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2011年10月1期オカルト【戦国・前世】415総合28 TOP カテ一覧 スレ一覧 削除依頼

【戦国・前世】415総合28


1 :11/11/05 〜 最終レス :11/11/29
〜あらすじ〜
夢で見ていた話を投下してくれていたスレ番415・・・
まったり415を待つスレとして発生したこのスレですが、
突如として現れた前世お市を名乗る女とそれに憑いている自称織田信長の霊!
415を取り込むべき所属団体と共にスレに殴り込み!
ついでに恐ろしげな予言を残し消えたかに見えたお市だった。
その間もスレはお市による自演嵐に見舞われたが、415スレも元に戻り、平和が戻ったように見えた。
しかし自己サイトを引ひっさげお市が宣伝に再度現れお市自演で荒れたスレだったが、
飯サイトにはだれも興味を持たずスルーされた。
焦ったお市は燃料投下とばかり煽り、ついにはネタまで出して頑張ったがスルーされまたまた逃亡w
再度サイトを宣伝に来ていたがスレ住民に完全スルーされていたのに、何を考えているのか呟きにあらわれた!
しかし満足なレス一つできずに散り、やはり意味不明な人だったがスレ住人は気にもとめなかった。
現在のスは前世話や雑談をしつつ415を待つスレになっている スレ潰そうとしたり
前世話題で逆ギレしちゃう人、人が避けたがる話題を好む人は来ないでください。

前スレ
【戦国・前世】415総合27
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/occult/1305564139/

2 :
キモイ市は立入禁止
【戦国・前世】415総合26
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/occult/1293685459/前スレッド

まとめ&過去スレ
http://www20.atwiki.jp/sougou415/
【夢】>>415の話をまったり待つスレ

http://yomi.mobi/agate/hobby10/occult/1186729847/a
霊感霊媒体質霊魂@王様の耳はロバの耳
http://yomi.mobi/agate/hobby10/occult/1196592612/ba
お市再登場は550すぎあたり
【戦国・前世】415・お市総合【日月・ひふみ】
http://yomi.mobi/agate/hobby10/occult/1200010173/a
霊感霊媒☆戦国・前世スレ
http://yomi.mobi/agate/hobby10/occult/1203388657/a
【戦国・前世】415総合21
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/occult/1253766693/
【戦国・前世】415総合22
http://anchorage.2ch.net/test/read.
cgi/occult/1259948745/
【戦国・前世】415総合23
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/occult/1269016537/
【戦国・前世】415総合24
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/occult/1278808686
【戦国・前世】415総合25
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/occult/1286800929/
【戦国・前世】415総合26
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/occult/1293685459/


3 :
>>1乙〜(*^^*)

4 :
ぐぐってきたけどウィキは字が細かい上に長い…(^o^;)ワカラン

5 :
で、このスレもあと少し〜(*^^*)ワ〜イ
友禅さんも遠慮なく書いてください〜(*^^*)ネ〜

6 :
>>1000でみんな幸せ〜捧

7 :
スレ間違えた…(^o^;)トホホ

8 :
誤爆恥ずかし〜い(つと;)ピィ
つーか妖怪人間のアニメが見たい〜

9 :
>>1さん乙です!
書き込んで下さる方が増えて、いろんな話が読めて嬉しいです(^ω^)
源平は来年の大河ネタでもあるし、中学生のとき武蔵坊弁慶というドラマが大好きだったので、興味深く読んでますよ!

10 :
>>8
DVD化してるよ〜
ノーカット完全版とそうでないのがあるのでご注意!
昔再放送見てたけど最後知らない…(´・ω・`)

11 :
>>10
メントスさんやっほ〜(*^^*)ノ
おいらアニメの妖怪人間の最終回を見たことあるんだけど、
誰も信じてくれないんだ〜(^o^;)トホホ

12 :
全員ジャニーズで源平大河やればいいのにな〜(*^^*)グヒヒヒ

13 :
こんど福原に行ってみよ〜(*^^*)ワ〜イ
福原の油屋さんは親切だったな〜
まだあるかなぁ〜?

14 :
しかしなぁ〜うちの子を庇うてくれる者はおらんかったんか〜?
くやしいのうくやしいのう(つT;)

15 :
ミノムシさん、>>5さん
ありがとうございます。
来年の大河は源平ですか。
今年は記憶の扉の鍵が壊れたらしく
やけに色々思い出してとても疲れるので
NHKには近寄らないようにしよう…

16 :
今見聞きする歴史が覚えているものと違ったときの違和感は
なんというか例えようのない気持ちの悪さが。
別スレでどなたかが最後に書いていたのは
「藤原伊子」のことではないかと…
松殿基房の娘で駒王の正室と語られているようですね。
松殿基房は当時とても悪名高い人でした。
駒王を含め木曽者で彼を快く思っていた者は一人もいません。
怒る駒王が何かを「松殿の元に返せ!」といったやり取りがありました。
思い出せないのですが、たしか何かの物品であったかと思います。
私が死んだあとの事ならば分かりますが
少なくとも私が生存している間に駒王が正室を持った覚えはありません…
ましてや松殿基房の娘ならありえない。

17 :
Googleで調べてどんな人物であるのかを読んで
初めて記憶のどの人物に相当するのかわかることもありますが
なかなかビシッと「これこれこの人だ!」と思い出して語れる人はいませんねぇ。
ミノムシさんはよく思いだせるなぁと本当に感心しています。
私なんて最初に「駒王」こそ思い出しましたが、
「木曽義仲」に至るまでだいぶ時間がかかりましたから。
記憶の偏りがすごいですよ…あまうり…

18 :
>>16
松殿基房が娘を木曽殿に嫁がせたというのは、「平家物語」が出典ですね。
「平家物語」は事実を基にしたフィクションですから、真実とは異なる
エピソードもたくさんあると思います。
松殿基房といえば、殿下乗合い事件で平資盛をいじめた人ですね。
この事件でも「平家物語」の語るエピソードは、事実とはかなり違うことが
当時の公家の日記「玉葉」の記述から明らかです。
こちらは、ミノムシさんが詳しそうですね。
なにか覚えていらっしゃいますか?

19 :
>>11
えーなんで信じてくれないの?
>>15
友禅さんよろしくです(^ω^)
正確に言うと、平清盛主役なので木曽義仲の出番は少ないようですよ
いろいろお話楽しみにしてますが、無理しないでくださいね!

20 :
>>18
松殿基房という名前自体に覚えは全くないです。
略歴を読んで「ああそんな人がいた。あの人の事か」という感じですね。
以仁王に与同した駒王の正否、結果の成否はともかく
後白河法皇・以仁王に関わる件でかの人とは断絶していますよ。
しつこく媚びへつらうので名に負う藤原が泥武士にすら笑い者にされ、
木曽でなくとも喜んで縁組もうとする者がいたとは思えず…
それが今どれほどの人物と伝えられているのか、そこまで読む気にはなりませんでした。
駒王が泥田で額を一矢打ち抜かれて死んだ、とあるのは平家物語でしたよね。
駒王は四郎兼平と私の目の前で死にました。
下がれと言ったのに下がらず、よりによって私たちを庇おうとした。
それで致命傷を負いました。四郎も私も自害です。
>>19
ミノムシさん、こちらこそよろしくです。
出番なんて
なくていいです(笑)

21 :
友禅さん、辛い記憶を書いてくださってありがとうございます
やっぱり、「平家物語」の描く木曽殿最期は事実とは違うのですね
なにか、涙が出てきました
あの、余計なおせっかいかもしれませんが、>>19さんは、ミノムシさんとは
別のお方じゃないか、と思うのですが・・・

22 :
>>20-21
>>19です
ミノムシさんではありません
オカルト成分少ない生活を送っていますが、なぜかここにいる住人です

23 :
駒王殿・・・
将軍である前に身内を想う一人の人間だったんですね・・・
いくら負け戦だといって武勇では義経と並ぶ駒王殿ですから
ただ額を打ち抜かれるのはこういってはなんですけどお粗末過ぎると思ってました
巴さんも落ち延びて再婚して子どもまで残した説とか
自由すぎますよね

24 :
ちょっと救心買ってきます…(つo^;)ゼイゼイ

25 :
>>21さん
とてもとても昔のことです。
>>23さんが言われるように、駒王も一人の人間
誰もがそうであるように彼の行いには善も悪もあります。
それがどう記録に残され笑われ蔑まれていたとしても、また
仮にも源家の血を引く者の生の終わりが敗走の果ての惨めな討ち死だとしても
それでも今、顔も知らない駒王を思って涙を流してくださる人がいるのだから
「木曽義仲」は本当に幸せ者だと思います。
私も心癒されました。
ありがとうございます。
>>22さん
大変失礼いたしました。
お邪魔させて頂いております。
改めてどうぞ宜しくお願いいたします。
オカルト成分…
私も実際のところ少なめですよ。
古い記憶があるだけで。
>>24さん
だいじょうぶですか?
まだ全快されていないのでは… お大事にです。

26 :
>>24
ミノムシさん、大丈夫ですか?
ウイルスの症状がぶり返したなら、救心よりも病院に行かれたほうが、
良いのではないでしょうか

27 :
そうですよ
体調崩して長いし病院行きましょう
それとも・・・
もしかして別の意味でのドキドキゼイゼイなんでしょうか

28 :
平安時代くらいの子が馬から落とされたのは超トラウマなんす…(^o^;)ゼイゼイ
10歳の子を馬から引きずり落として地面に土下座させたんすよ…
しかもうちが文句言ったら、『身分が上の者が下の者をどうしようとかまわない』
とか言われてマジであのときは頭に来て3日寝込みました…
じゃうちの子を馬から落とした奴は、家より身分がしたなんだから、
おいらがどうしょうといいはずだから引き渡せって言っても渡さなかったし…
そいつの首はねるで話しはついたけど、
首を見たわけじゃないからホントにはねたかどうかわかんないし〜(`´;)=3プンプン
たとえお上でも子供にあんな酷いことしないよ!

29 :
>>28
ミノムシさん、トラウマに触れるような話を持ち出して申し訳ありません
友禅さんの記憶でも最悪の人物だし・・・本当にひどいヤツだったんですね

30 :
松殿基房誰だっけと思ってぐぐってきたら…
わかりました
この人嫌だ

31 :
なんか、共通の人物を語るとか、物凄く面白く興味深い
ご本人方には不謹慎で申し訳ないですけど、なかなか聞ける話じゃないですよ
ミノムシさん、甘い物でも食べて、落ち着いてくださいね(ToT)
友禅さん、鎌倉殿について何か覚えていたら、よければ聞かせてもらいたいです
ミノムシさんは鎌倉殿とは接触なかったんですかね?

32 :
あのムカツクやつの名前は松殿基房っていうのか〜φ(..)メモメモ

33 :
>>29さん、>>30さん
少なくとも木曽内ではあまり…
それが娘、駒王の正室となっているのは
系図の偽装か何かがあったのではないかと思います。
伊子という人物とは実際に会ったこともないですよ、たぶん。
軽い気持ちで娘と男を対面させるような時代ではないですし
後に語られる歴史があっての源家、いくら飛ぶ鳥を落とす勢いとはいえ…ですね。
時は平家全盛です。
そこら辺はミノムシさんが詳しいのでは(笑)

34 :
>>31さん
鎌倉殿ですか…うーん
駒王と九郎は、私が思うになんとなく似ていました。
駒王自身も九郎のことは遠くにいる弟のように思っている様子でしたし、
血族同士の争いが激しかったそれまでの源家の在りようを嫌悪していた駒王と
兄を慕い、誠実実直な九郎には根底に共通するところがありました。
佐は異質です。
彼はそんなに突出した何かがあったわけではなく…
源家というよりも北条家の一部というか。
駒王は佐を父の義朝に似ている、似過ぎていると言っていました。

35 :
やっぱその松殿基房って奴の家には他の奴に行かせずに、
おいらが行けばよかった!(*´3`*)ブチブチ

36 :
行っちゃえばよかったですねー
ホントに。

37 :
>>33
平家物語とかだいぶ作ってるだろうし、
後から家系図たすのとかよくあったよ!
つーか15年前に作ったうちの家系図すら眉唾物だもんね〜

38 :
>>36
ホントにそうっすよね〜!
打ち込みならおいら超得意だし、他の奴は手ぬるいし〜!
馬で行って火をつけるくらいがよかったな〜(*^^*)ネ〜

39 :
駒王が田舎者だけに貴族にデレていたと語られるのは
面白くないですね…
どちらにせよ、
今あの時代のものを読もう知ろうとは思いませんが。

40 :
もしかすると、駒王さんは刀を賜った→娘を貰ったに話が変わっちゃったのかなぁ?

41 :
友禅さん、女性ですよね?
さすがに武将だった名残かすごく男らしくて(失礼)かっこいいんですけど
なんかかわいいっすw
もともと自分は義経ひいきだったのに義仲殿と巴さんに思い入れが強くなってしまった

42 :
つーかマジで松殿基房がムカつく〜(*`´*)=3プンプン
マジで動悸息切れがするよ〜!
しかしこれが妄想だったらアホだよなぁ〜(^o^;)トホホ

43 :
しかし巴さんの亭主もドラマになったりしないのかなぁ?
源の義経はよくテレビでやるから知ってるし〜!
前にタッキーがやってなかった?(*^^*)キャ〜キャ〜

44 :
>>34
どうも佐殿と九郎さんは兄弟なのに異質なイメージがあります
新井白石の佐殿評が面白いです
いい評価はしてない上、弟2人を粛清したことについて、「頼朝の弟であることは、最も難しいことだ」とのことですw

45 :
>>43
数年前やってたねぇ>タッキー
途中でギブアップしてしまったんだけど、たまたま最終回の録画が残ってて見たらまぁひどかったことww
あれは大河板でもネタになってたよ

46 :
全部ドラマ見たけど内容はひどかったんだ…(^o^;)シランカッタ

47 :
しかしぐぐってきたら松殿基房はマジで酷い奴だ!
名前がわかったから必ず生まれ変わりを見つけるもん!(*^^*)ネ〜

48 :
そういや他スレで宗盛の生まれ変わりは松井棒の人の亭主じゃないかってあったな〜
おいらも似てると思います〜(*^^*)ププ

49 :
なんだっけ〜?オーラの泉でやってたんだよね〜

50 :
そういやタッキーのドラマに将軍様も出てたな〜
時代がよくわかんないや〜(*^^*)?
一回もチャララ〜ってなんなかったし〜(^o^;)ツマラン

51 :
タッキーのドラマに木曽義仲と巴御前も出てましたよ
巴さん役の小池栄子が意外にもきれいでりりしくて好演してました
木曽殿役は誰だったか忘れたけど・・・

52 :
タッキーと将軍様しか見てなかった…orz

53 :
巴さんはどんな鎧きてたんだろ?o(^o^)oワクワク
つーかおいらさぁ〜かぶるやつのあごひもとか痒くなるから嫌いだったな…(^o^;)イヤ

54 :
Σ(^o^;)!!
連投してしまいました…自重します…ミミミミミサッ

55 :
>>46
ひどいのはお堂ドッカーン!!
あれで全てをぶち壊したと言われている…(´・ω・`)
暴れん坊将軍こと松平健さんは武蔵坊弁慶役ね
>>51
義仲役は小澤征悦さんですよ
別のドラマでは佐藤浩市さんも演じてます

56 :
>>55
小澤征悦でしたか。でも、全然、印象に残ってない。
壇ノ浦のシーンで、弁慶が張りぼての大岩を投げるのを見て、
家族で大爆笑した覚えがあります。
ドリフのコントみたいな大河ドラマでしたよね(#^.^#)

57 :
>>56
うわ〜(^ω^;)
その辺りは既にギブアップしていました
義経は平家滅亡までのほうが評価が高いようです
義経 お堂ドッカーン でぐぐると、放送当時のスレが引っ掛かります
やはりネタですw

58 :
>>48
宗盛じゃなくて知盛です〜
松井棒の息子が知章です〜

59 :
>>58
また間違えた…(^o^;)アチャ
盛ばっかり多すぎ〜

60 :
みなさんの書き込みで初めて知りました。
いろいろとすごかったのですね、大河の義経。
全く観ていませんでした…
>>44さん
兵衛佐は度が過ぎるほど用心深く、誰にも心を許さなかったのでしょう。
もちろん伊千姫には違ったのでしょうが…
人質とした幼い義高にすら怯えていると聞きました。
駒王が義高とともに差し出した鬼切。
伊千姫は木曽の誠意に応えるべきと、
義高のそばに置くよう進言してくださったそうですが
佐は即日に取り上げたそうです。
>>53
普通の鎧兜ですよ。
戦場に出るときは男装でした。

61 :
>>41さん
はい。今世も女です。
ひとつ前は男に生まれ戦争に出ていましたけれど。

62 :
>>60
友禅さんありがとうございます
ドラマで描かれる猜疑心が強い佐殿はかなり史実に近そうですね
義高って10歳そこそこで鎌倉に来たんでしょう…
伊千姫というのは佐殿と政子の長女のことですか?
名前が伝わっていないので、大姫(長女のこと)と呼ばれていますよね
すげ〜!!(^ω^)

63 :
伊千姫ですが、大姫のことかと思いましたが、もしや政子を名乗る前の名前でしょうか?
政子は朝廷から従三位の位をもらったときに、父親の時政の政をもらって付けた名前だそうで…
それ以前の名前は不明だそうなので、まさかと思いました

64 :
>>63さん
私の記憶には「北条政子」という名前がないんですよ。
これについて別スレで少し書いたのですが、
「北条政子」は今世で初めて知った名前でした。
兵衛佐の室は「いち」「いち姫」と呼ばれていました。
その話をしている最中に思い出せたのですが、字は「伊千」です。
伊豆の国と千代で伊千。
「北条政子」という名が父・時政から一字をとってのことならば
まあ、似たような名づけですね。
大姫は「浮葉」です。

65 :
あ。
後にもそう名乗ったかどうかは分かりません。
ただ、義高と大姫で縁組をしたときの名は浮葉でした。

66 :
すごい!
義高殿と大姫の悲恋は有名です
その上鎌倉殿と北条政子の長女でありながら名前が残ってないんですよ
浮葉・・・イメージにぴったりでちょっと感動しちゃいました

67 :
>>64
またもや友禅さんありがとうございます!m(__)m
政子を名乗るようになったのは1218年、佐殿はとっくに亡くなってます(1199年)
大姫は浮葉といったのですか
姫らしくて詩的な名前です
しかし彼女の行く末は哀れですね(´;ω;`)
うわ〜草燃える観たい〜!

68 :
>>67さん
源頼朝、北条政子や源義経、現代では当たり前のようにそう呼ばれますが
(いわゆる本名なので当然だとは思いますが)
昔は職や、どこに住む誰それの子という呼称を使っていました。
つまり駒王だと木曽次郎…
源は多くいますが、駒王は木曽中原の元に拠点を置いたため「木曽」
次郎はそのまま源義賢の次男であることから「次郎」
大姫の名を知るのは、木曽方でも駒王と父・木曽中三(中原兼遠)
あとは樋口次郎(中原兼光)、今井四郎(中原兼平)、私くらいでは…
私も覚えている限り、駒王を義仲と呼ぶことは殆どなかったです。
だから、記憶は早いうちからあったものの
どこの誰の記憶なのか、長いこと分かりませんでした。
思い出せる記憶そのものが少ない初めのうちは
自分が「たつひめ」なのか「ともえ」なのかも怪しかったです。
駒王は私を「辰姫」とも呼びましたから。
「前世は武将!戦乱の世を駆け抜けましたー!」
といえばかっこいいかもしれませんが
実際は想像するよりドラマチックじゃないです。地味です(笑)
ミノムシさんはどうでしたか?
平家の記憶ってどんな風に思い出しました?

69 :
>>68
そうですよねぇ
ドラマでは本名呼びがほとんどですが、大河ドラマ徳川家康は数少ない官職呼びをしてました
例えば関ヶ原の頃、家康は内府(内大臣)と呼ばれていましたし、石田三成は治部(治部少輔)と呼ばれていました
ようつべか何かで少し観ただけですが、草燃える(主役頼朝→政子)もそうです
政子が頼朝のことを佐殿と呼んでましたよ(^ω^)
巴というのは後世に創作された名前なんでしょうかねぇ>辰姫
辰年の生まれだったのかも??

70 :
>>69
割り込んですみません
以前、別スレで友禅さんに
「駒王殿からは当時なんと呼ばれていましたか?」
と質問したことがあります。
そのときのお答えが「巴、たまに辰姫」とのことでしたので、
巴さんというお名前も当時からあったと思います。
その時、私も69さんと同じように、 辰年の生まれ?と思い、
調べてみたのですが、
永暦元年(1160年)が庚辰で一番可能性が高いような気がします。

71 :
>>70
70さん、いろいろありがとうございます(^ω^)
巴とも呼ばれていたんですね!
とすると、本名辰姫、通称巴なんでしょうか…

72 :
>>68
巴さんの鎧姿はさぞかし凛々しかったんだろうなぁ〜(*^^*)ミタ〜イ
おいらも自分の名前ははっきり覚えてないけど、
平清盛と子はよく覚えてて、清盛はテレビとかによく出るから、
毎回うわ〜見たくな〜い(つ^;)ア〜レ〜
って思ってました!
細かいことはこのスレをやりだしてから、
あの時代の人ならこんなことあったんじゃね?
って教わって、そういやそうだった〜!ってなりました…
あと刀とか当時行った神社とかはよく覚えてます!
日本の凄いところは千年前の神社や物が残ってることです〜(*^^*)スゴイ

73 :
>>71
ごめんなさい。友禅さんが答えて下さるのを待てばよかったのに、
さしでがましく、書き込んでしまって・・・(-_-;)
巴さん1160年生まれ説は、ちょっと無理があるような
気がしてきました。自分で書いておいてなんですが・・・。
というのは、義高殿の母上は巴さんの妹だと、
以前、友禅さんがおっしゃっていたのですが、
巴さんが1160年生まれだとすると、
妹さんは12才以下の年齢で義高さんを生んだことになり、
いくら当時でもちょっとありえないんじゃないか、と
思いまして・・・
いろいろと憶測、失礼しました<(_ _)>

74 :
平安時代の刀ったらこんなんかなぁ〜?(*^^*)つhttp://imepic.jp/20111109/491170

75 :
>>73
ありえなくはないですよ
時代は下がりますが、まつは数え12歳で前田利家に嫁いで、翌年には第一子を生んでいます
あくまで一例ですけどね

76 :
>>70さん
以前、私の話し相手をしてくださった方ですね。
ありがとうございます。こちらでお会いできてよかった。
さしでがましいなんて、とんでもない。
お話してくださってとても嬉しいです。
なぜ「辰姫」なのかは相変わらず分からないです(笑)
義高の母は私の妹でしたがこれは正しくは姪になります。
樋口次郎、兄の娘です。
かなり年若いときの子ですが、母親は生んだと同時に亡くなったかなにか…
それを父が「木曽中三の末の娘」としました。
母に似たのか身体の弱い子で、
今思えばひどい喘息にも似ていますがたびたび咳き込んでは寝込み
とても馬に乗ったり遠出をしたりはできず、屋敷から出ることは少なかったと思います。
それでも駒王を慕っている様子があまりに哀れだったこと、
中三は駒王の嫡子を早く多く欲しがったこと、
私にはどうしても駒王の子が出来なかったこと、
諸々の事情が合わさって駒王に添わせることになりました。
無事に義高を生んだものの、
そのような妹ですから殆ど表に出ることはなく
結果、私が母代わりをつとめました。
中三は中原の腹以外を非常に嫌がったような覚えがあるので
ずいぶんと無理をさせたと思いますが、仕方なかったのです。
>>75さん
そうですね、そう珍しくはないです。
要は成立すれば…ということです。

77 :
駒王は正室を持たなかった複雑な理由があるんです。
妹には子だけ生ませてろくに傍にいてやるでもなく
結局その子も取り上げてしまった。
かたや私とは小さなころから夫婦になる約束をしていたものの
どうしても子が出来ない。
その上、私は戦場に出ていましたから。
木曽次郎の嫡子を生み育てるべき室が
いつ命を落とすかわからない場所に出ずっぱりというわけにはいきません。
すべて承知の上でしたが、駒王は諸々をよしと出来なかったのでしょうね。
出先でいわゆるつまみ食いはしたようですが
子は作らなかったのでまあ問題はありません…
殿方にはいい時代だったかもしれません。

78 :
友禅さん、>>70です
やさしいお言葉と詳しいお話ありがとうございます
すごく興味深く読ませてもらっています
以前の前世スレで、友禅さんに質問した直後くらいに
こちらのスレへの誘導レスを見て、こっちに来てみました
最初は???だったのですが、
ミノムシさんの発言にピンとくるものがあり、
ミノムシさんの奈良時代の前世について質問したのを
きっかけに、ずうずうしくこちらにお邪魔していました
だから、友禅さんがこちらに書き込んでくださったのは
本当に嬉しかったです(*^_^*)
これまでは、前世が有名人だと語る人をみると、
失笑を禁じ得なかったのですが、
ミノムシさんと友禅さんは本物だと確信しています

79 :
お市は失笑モノだったよなw

80 :
>>72
ミノムシさん、
やはり自分でひたすら記憶を手探りするのではなく
誰かに話し相手となってもらえることで
ひらめく様に思い出すことも少なくないですよね。
大姫のことは別スレで触れたあとに、やはり少し思い出しました。
それにしても、膨大な量の記憶をお持ちのようですごい。
鎧姿ですか。
戦場でちらと見ただけならば多分女だとわからないと思います。
長巻で見分けられるかどうか、ですね。
後にこうしてお話できるのならば、是非一度お会いしてみたかったです。
…時代と立場が許さなかったでしょうが。
そしてなぜか、>>74が開けません…
>>78さん
ええ、私もこちらに来てはみたものの
しばらくの間、お邪魔していいものか迷っていました。
他の時代のお話は感心しながら読むばかりだったのですが、
みなさん心置きなく(?)昔の話をされているので
つい居座ってしまいました…
「巴」の記憶を持つ方もたくさんいらっしゃるそうですね。
それはそれで面白いです。
私もその一人、ということで(笑)
余談ですが、近藤勇の愛刀でも有名な「虎徹」をご存知ですか?
虎徹は「百口あれば百口が贋物である」といいます。
(口は「ふり=振り」と読み、刀の数え方です)
けれど、万に一つの可能性でも本物があるかもしれない…と思えるなら
それもまた楽しいですよね。

81 :
>>79さん
よく名前を聞きますね。
お市と呼ばれる人はもうここにはいないのですか?

82 :
自分は長く前世別スレの住人でしたが、やっぱり友禅さんの巴御前としての前世と、ベトナム兵の前世の語りを聞いて、この人は本物だって確信しました
もうお話は聞けないと思っていたので、こうしてミノムシさんとの絡みが見られたり、より詳しい話が聞けて本当に嬉しいです

83 :
ミノムシさんもどうぞたくさんお話を聞かせてください!

84 :
>>81
その人は自演バレして消えたのですが何度も湧いてきて、思うようなレスが返ってこないと通報と騒ぐし、関わると勧誘されるから
来てもスルーしたほうがいいです。

85 :
おや、新しい人が来てるようだな。

86 :
マグナさんキタ〜!

87 :
>>80
おいらこのスレで教わったこと多いです〜(*^^*)ラッキ〜
初期に歴史板や戦国板で宣伝してくれた人がいたから
普段オカルト板を見ない人も来てくれたんです!(*^^*)チョ〜ラッキ〜
日本の鎧は女性でも違和感なくつけれるかもしれません!
しかしお腹が出てるように見えちゃうからおいらはあんまり着なかったな〜
虎徹は見たことあります!3つ胴もいけるらしいし超欲しいです〜(*^^*)ゴクリ

88 :
>>80
画像見れなくてすいませんすいませんm(__;)m
これならどうだろ?(^o^;)つhttp://i.pic.to/7663z

89 :
友禅さんの話も、なかなか面白いものではあると思う。
義高を義高と諱で呼ぶのは何か理由があるのか。

90 :
マグナさんがしゃべった〜!(*^^*)キャ〜キャ〜

91 :
>>89さん
はじめまして。
諱という言葉を久しぶりに聞きました。
義高は本当ならば太郎と呼ぶべきでしょうね。
実際そう呼んでいました。
けれど今、義高をただ「太郎」と書いても読む方にはわかりづらい。
ただそれだけの理由です。

92 :
そうですね。
あとひとつ付け加えるなら義高は傍にいた記憶が一番少ない。
生前共に過ごした時間も、他の者に比較して極端に少ない。
それだけにわざわざ字で呼ばなくとも抵抗はない、
というところでしょうか。

93 :
友禅さん
義高殿は清水冠者と呼ばれていますよね
この「清水」とはどこのことなのでしょうか
調べたのですが、複数の候補地があるようで...
義高殿の生母は中原氏の出だということですので、
やはり、木曽に清水という地があったのてしょうか?

94 :
>>84さん
そうなんですか。
よく名前を見かけるので、
ミノムシさんのように色々お話を聞かせてくれる人なのかと思っていました。
>>93さん
申し訳ありません。
清水の名に関することで覚えていることがありません…
ただ、駒王の領地の内に清水という地はあったと思います。
覚えていることとそうでないことの偏りがひどく
私はどちらかといえば、何の役にも立たない個人的なエピソードの記憶の方が多いです。
ミノムシさんと別スレで話したのは源家平家の話ではなく、当時の好物の話でした…
そしてミノムシさん…なぜでしょう。開けません。

95 :
>>94
ご記憶にないなら、全然、かまわないのです
ありがとうございました
好物の話、読んでいました
確か、アマウリと雉がお好きなんでしたよね(^・^)

96 :
>>95さん
そうです。
あまうり大好きでした。
私の育った土地ではよく作られていて、
遊びに出た先で分けてもらって食べるなんてこともありました。
甘いものは貴重で、
私が寝込んだときに駒王が甘い粥を持ってきてくれたことがあるのですが
それなどは割と贅沢な食べものだったと思います。
玄米粥のようなものに蜜で甘みがついているものです。
もちろん今なら甘酒の方がこくもあって余程美味しく思うけれど…
今でも雉を見つけるのは得意です。
もちろん、食べたいなーと思って探しているわけではありません(汗)

97 :
まんま同じは無理でも甘い粥なら雰囲気は再現できそうですね!
玄米粥に白蜜まぜてみたら駒王殿の味もどきを楽しめるかな?
大姫の浮葉って名前をすこし調べてみました
浮葉は平安時代の頃は蓮をさすそうです
常磐は常磐草(松)をさしたりもしますし植物にちなんだ名前は多かったのでしょうか
義高殿と大姫
清水と浮葉・・・あまりにお似合い過ぎる(>_<)

98 :
浮葉ちゃんかぁ〜かわいいなぁ〜(*^^*)ウフ

99 :
ミノムシさんは甘いものとかなんか記憶に残ってるものありますか?
平氏ってやっぱりいいもの食べてたんですかね?

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