2011年10月1期哲学思想と哲学って何が違うの?
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思想と哲学って何が違うの?
- 1 :10/09/30 〜 最終レス :11/11/08
- 何故「思想」と「哲学」は微妙な仕方で分けられて居るんですか?
明らかにに哲学者イコール思想家では無いですよね?
それでいながら、一般的に、
何処までが哲学で何処までが思想か厳密に分けられているのでは決してない。
これは何故なんでしょうか?
- 2 :
- マルクスの影響
- 3 :
- 思想というと〜主義とかイデオロギーなど政治色が前面に出る気ガス
- 4 :
- 哲学:西田幾多郎、広松渉、大森荘蔵、永井均
思想:小林秀雄、吉本隆明、柄谷行人、東浩紀
日本だとこんな感じだなw
- 5 :
- 思想=哲学=宗教
- 6 :
- 哲学は恥ずかしくない。思想は恥ずかしい。
- 7 :
- 思想は印象、哲学は論理。
ごめんテキトーいった。
- 8 :
- 一般的に文芸評論家が哲学使って社会を論ずると「思想」になる
- 9 :
- 思想を論理的に構成したものが哲学
- 10 :
- 「〇〇とは何であるか」を問うのが哲学
「〇〇とは何である“べき”か」を問うのが思想
「それは神がそう決めたからです」と言うのが宗教
- 11 :
- 包含関係を考えると、思想は哲学に内包される。
思想家には様々な専門職を兼ねる場合も多いが、哲学者は哲学者としか表記されない。
- 12 :
- 哲学者って基本的には哲学史に基づいてる。思想家はそうでもない。
- 13 :
- 俺は色んな考えの哲学者やら学生たちと話してきたけど
とにかくあいつらは持論とかいうのに拘る傾向がある
だいたいがプライドが高くて固執しすぎている
世間では通用しない空論で威張っているだけで
あんなのを有難がっているのは無知の極みとしか言いようがない
- 14 :
- 思想は独り言の文学。哲学は電波と対話する文学。
- 15 :
- 完璧には分けられないけど
哲学者で異論はないみたいなポジションの人の著作や人生は総じてつまらない
思想家か哲学者かあるいは文学者かで意見が割れるタイプの人のほうが面白い
- 16 :
- マルクス以降イデオロギーが強調されるようになり、
ニーチェが反哲学を言いたてる過程で、
文芸評論家が哲学畑にドヤ顔で乗りこんでくるようになった。
「思想」は彼ら知的怠惰さの言い訳に使われてるのが現状だな。
- 17 :
- 思想は何か枠が広いと言うかバルザックやトルストイやドフトエフスキーを思想家
といっても哲学者とは言わないでしょ。だけどカントやヘーゲルを思想家と言っても通ずる物はある気がする。
- 18 :
- 思想家の中でも特に真理の追究に従事する人間が哲学者と呼ばれる、とか
ただ「思想家」と呼ばれる場合は、わりと形而下的、実践的な面が強い気がする
- 19 :
- 根源を問うのが哲学、
善し悪しを考えるのが思想。
- 20 :
- ドイツ語のGedankeとPhilosophieでは違いが歴然だが、
日本語だと違いがはっきりしなくなるのか・・・?
- 21 :
- それが言語の限界
- 22 :
- 「思想」は広義の「哲学」(「○○哲学」…経営哲学とかプロレス哲学とか)と同じだけど、
狭義の「哲学」(ギリシア哲学とか東洋哲学とか)の上位概念だね。
「宗教」も「思想」の下位概念だよ。
- 23 :
- 神学>哲学>その他>神学
三すくみなんよ
- 24 :
- 結局日本で「思想家」と言ったら吉本隆明が原型なんだよ
だからおかしくなる
- 25 :
- 「哲学者」で哲学を専門的に勉強してない人はいないけど、
「思想家」は文芸や美術をやってた人でもなれるらしい。
- 26 :
- 哲学は神学のはしためと言われたように哲学には政治性がある。
そうした政治性を主眼にしてるのが思想。
- 27 :
- >>23
オマエの頭は単純すぎて、小僧という称号がふさわしい。
- 28 :
- >>25
哲学史的に言えば、構造主義以降の人は大体「思想家」って呼ばれるね。
もしくは「○○哲学者」…政治哲学者とか社会哲学者とか。
ヘーゲルみたいな典型的「哲学者」のイメージと区別するためにやってるんだと思うけどね。
- 29 :
- >>21
負ける気がありますかありませんか?
- 30 :
- いい加減、他人を考えるのは止めようよ!
それでは、人生を棒にふるで!
「臨済録」を読みなさい。
- 31 :
- 思想:自分の感性に沿って、理論を形あるものに構想してゆく。
無意識の世界(深層)にあるものを表層に昇らせてゆく。
哲学:自分の感性そのものを疑う。あらゆるものを疑う。
そもそもの無意識の世界の存在すら疑う。
- 32 :
- トメッハネッ
- 33 :
- >>22と>>25でわかったような気がする。
- 34 :
- >>25
> 「哲学者」で哲学を専門的に勉強してない人はいないけど、
それは哲学という知識を学んだもので、評論家の1つ。
哲学者と呼ぶのは間違いなことに気がつけ。
専門的に勉強した結果は、勉強した結果に集束する。
理屈で動くものは理屈に集束する。
オマエはその力に支配されている。
- 35 :
- >>22
シャーマンなどの密教は、思想を教えるのではない。
自然を受け入れることを体感するのである。
汝(体感)と我(意思)と力を合わせ未知なものへ進むってことな。
宗教は布教するものであって、思想は余り重要ではない。
偶像崇拝は偶像さえあれば考えが主観的でも成立するってこと。
- 36 :
- まとめると、
思想:芸術
哲学:学問
って感じかな。
- 37 :
- >>36
そんなまとめ方すると、オカルトも郷土学の1つになる
- 38 :
- >>36
哲学を行うのと、学ぶのは180度違う。
- 39 :
- そんなことはない。
カントを読むことがイコール哲学することだよ。
これがわからない奴は哲学が分かってない。
- 40 :
- >>39
うん、それを否定するつもりは全くないが、それでもなお、ちょっと微妙なんだよな。
定理を証明しない者は確かに数学者ではないが、かといって、カント(ただの一例ね)
を読めない者は哲学者ではないと断言できるかというと、ちょっと難しい。
余りにもバカな勘違い野郎を根絶するためには、ここで断言すべきだろうし、本音を
言えばそういう気持ちもあるが、でも哲学という言葉の含みは、もう少し広いという
のが実状だろう。
- 41 :
- 中島義道が日本には哲学研究者が多くて哲学者が少ないようなことを言っている。
しかし中島は触れていないが実際欧米にたくさんいる「哲学者」というのは、
日本でいえば中沢新一みたいなタイプの「思想作家」なんであって、
ああいうのなら居なくて全然構わない。
- 42 :
- それはちょっと違うだろう。
中島がどういうつもりで言っているのか知らないが、現代の哲学者というのはほぼ例
外なくサラリーマン(教員)であり、しかも最近ますますいろんなプレッシャーに喘
いでいるわけだ。しかも大学と無縁の「在野」には、まず存在しない。
かつては、日本の大学にもそれなりの「豪傑」や「哲学者」は存在しただろうが、そ
れすら、冷静に見れば例外に過ぎない。(例えば中島の恩師の大森さんなど)
要するに、哲学には本質的にスコレー(ヒマ)が必要であり、それは民主主義の世の
中では、とまでは言わないが、社会や学生に対して今風の「説明責任」を求められる
世の中では、もはや実現不可能だということだ。
これ、誰もが思っていることじゃないのか?
- 43 :
- >>42
ドウィング。
古代は奴隷制という社会的不正義によって、
そして社会的正義に向き合わない事への肯定によって
本来あってはならない暇を作り出すことに成功した。
哲学がしばしば古代を越えられないと語られるのは、
我々が社会正義を後退させられないから。
20世紀最高の哲学者といわれたウィトゲンシュタインが
資本主義という名の奴隷制の頂点にいたことを思い出されたし。
- 44 :
- 思想は他人に広めるのが前提というか目的で、
広まった思想は勝ち、寂れたのは負け…つか失敗だろ。
でも、哲学は、哲学者個人の問いに答えられればそれでよく、
他人に広まるかどうかはどうでもいい。
- 45 :
- >>44
それは結構本質をついてるかも。
- 46 :
- >>39
それを果敢に否定してもいいのでは?
カントを読んで、もし正確に理解できたとしても、それだけでは哲学したことにはならない。
それがわからない奴は哲学が分かってない。
- 47 :
- じゃあ調子に乗ってもう一つ。
思想は答え・結論が無いと話にならない。
(できればわかりやすいものが良い)
哲学は、答え・結論がある方が望ましいが、
答え・結論の無い難しい問い・問題意識それ自体が哲学でありうる。
- 48 :
- 最近東浩紀や宮台真司がやりたがっているのは
哲学や思想というよりもむしろ宗教なんじゃないかという気がしてきた
- 49 :
- 世俗宗教というのもある
サン・シモンとか
- 50 :
- 歴史哲学と実践哲学では全く違うものだよ、
他人の主張をポエムだとか感じるのならば、それは歴史哲学にすぎない。
たんに過去を正確に習うことであって、考えることではない。
考えない奴はソースをただ知識として覚えるだけにすぎない。
- 51 :
- >>50
「日本在住英文科卒」と「英会話を重視する英米大学進学組」の対立に似ているね。
英語は手段であり、英語で別の学問分野を学ぶ進学組と、
英語が目的であり、たかが4〜6年間の英文科生活から英語というものが
自分のアイデンティティーになってしまっている英文科卒。
5,6年という短い期間、しかも日本で学ぶ英語、しかも、「英文法と翻訳」という
「英語そのものではないもっと専門的な小さな何か」を「英語」と捉え、
自我保守のために、「それよりも大きい何かとしての英語」を否定して、
小さなそれのものさしで再評価して切り捨てる、ということを英文科卒はしているよ。
哲学に自己への同一性を感じ、その哲学の定義を保守することで自己を守る人
という英文科卒みたいな人達がいるってことだね。
- 52 :
- なんか勘違いしてる奴多いけど、
ポエムみたいなのは自分でやるからいいんだよ。
ある程度哲学勉強してる人にとって、電波な哲学なんて自分のだけで間に合ってるわけだw
他の人の電波なんかわざわざ見たくない。
そんなものわざわざ見せないでくれって話なんだよ。
- 53 :
- そう価値観を押しつけられてもなぁ。いろんな人がいるんだし。
- 54 :
- 思想は完成
哲学はあらゆる過程の発展性
哲学には思想さえちっぽけだ
哲学は発展性を求め続けるから
- 55 :
- 哲学は考える方法論であり、思想は考えられた事。
哲学は思想を産み出すが、思想の全てが哲学的ではない。
- 56 :
- 思想は文字通り考えているんだから哲学だろ
- 57 :
- 思想は哲学より広い。哲学は思想の一部。
例えば経済に関する理論は思想と呼ぶことはあっても哲学と呼ぶ事は少ない。
- 58 :
- 逆だよ
思想哲学
市場哲学
成功哲学
- 59 :
- 譲ってもらった席に座り度を越えた大声で談笑しながら道楽で山登りに行く老人と
生きているのが不思議なくらい疲れた顔して最早考えるのをやめてしまった若者が
朝の満員電車に溢れています
- 60 :
- 正直、哲学と言っても独仏と英米でだいぶ違うよね。
- 61 :
- 言語文化の違いかもね。
- 62 :
- >>51
英会話が出来る人に、英会話もできないのに文法の間違いだけを指摘する
愚かな学生が沢山いるのが問題だと思う。
それは知識をしっているのに知恵を知らない空虚で空論な知識で俺が正しい
と2chで大きな顔をする奴のこと。
言葉尻や単語の意味とかヒステリシスな部分だけを誇張しているやつ。
比喩など表現がヘタクソやらよく分からないから全面否定とか、
反論すらできていない否定て病気なんだろう。
- 63 :
- >>52
見せつけているのではなく、お前が覗きに来ているだけなことに気がついて
ほしい。
他人の意見など、否定論をもっていれば電波にしかみえないのは当たり前ってこと
他人の悪いところをみて自分を直すそういう態度が見られないのは、自分では
考えず教科書の表面だけを丸暗記してきたタイプによく見られる。
何故他人がそういう意見になったかを聞いてみるべきで自分の意見が正しいと
混戦している時点でその他者の貴方の評価=電波となんの違いもない。
- 64 :
- >>52
それから、現代の女性の尿失禁は明らかに機械にたよりすぎが原因です
もともと女性はおしっこの勢いが強すぎるのだから
機械にたよってばかりで、体を使わないと
おしっこの勢いを制御できなくなります。
まったく、おしっこの制御もできないで
なにが女性の社会しんしちゅだとか・・・
- 65 :
- 独仏現象学派と英米分析哲学派がほとんど何のコミュニケーションもないのを考えると、
大森〜永井みたいな現象学と分析哲学の折衷みたいなのが日本にあるのは素朴に面白い。
- 66 :
- 英米と独仏で哲学の流れが違うのは、
どうもヘーゲルとハイデガーがきっかけになってる気がするな。
英米哲学からすると、
ヘーゲルもハイデガーも統失のたわごとみたいな扱いだよね?
- 67 :
- 思想と哲学は別物
っていう永井の主張自体には俺は賛成だけど、
この主張はあくまでも永井均さん(と呼ばれる一個人)の思想。
- 68 :
- 思想、っていうと哲学以外の「考えること」全般もふひろく含む気がします。
社会思想、宗教思想、科学思想・・・
哲学はその中でも「考えることそのもの」に特化したジャンルだと。
- 69 :
- というか、哲学は思想を「学」として究明するために体系付けたもの。
- 70 :
- 思想を学問にしたのが哲学じゃないの?
そんな難しい事か?
- 71 :
- >>70
だよね。だから思想と哲学は何も違わないとも言える。
- 72 :
- 哲学とは物事の根本を考えることを基本とする学問。
思想とは、何らかの社会的事物に対して持つ、その在り方に対する主義主張。
- 73 :
- 永井風に言うと哲学には<始まる哲学>と<終わる哲学>の二つがあって、
スレの区別にしたがえば前者が「哲学」で後者が「思想」ということになるのだろう。
永井は前者の方が哲学的に優位と考えているようだし、
哲学科にもそう考える人が少なくないから、
このスレみたいな「思想」蔑視の風潮がどこかにあるんだろうな。
- 74 :
- 実は永井という人は70年代にポスト構造主義を積極的に論じてた人で、
そこまで「思想」と遠い人というわけでもない。
ただ当時マジメなところでポストモダニズムを論じたらアホだと思われたし、
その後永井はウィトゲンシュタインの研究で「成功」したから、
色々思うところはあるんだろうなw
- 75 :
- 哲学者が政治や社会をディスると「思想」になる。
- 76 :
- mu
- 77 :
- 思想−ど文系(ニーチェ、ポストモダンetc)
哲学−理系になれなかった文系(ドイツ観念論、分析etc)
- 78 :
- 思想―哲学の根源
哲学―合理化した思想の限界
- 79 :
- 思想の理解無しに学問・文化・社会について語ろうというのは
エアギターやってるようなもんだ
- 80 :
- 思想とは、考え方の大きな枠組み
哲学とは、世界事象への深い探求
思想理解がないとは、知性がないことに等しい
- 81 :
- 「感受性」というものが最も求められる点において
芸術と学問には感覚的に近しいものがある。
学問に求められるのは論理ではない。論理は概念の後付に過ぎない
学問とは感受性だ
- 82 :
-
哲学は思うものではない、疑い否定することで道を開く術である。
- 83 :
- イモリとヤモリの違い!に似ている。
ってか!?
ワォ〜w
- 84 :
- 思想は他人を動かすためのもの
哲学は世界を記述するためのもの
- 85 :
- test
- 86 :
- 言葉遊びで食っていける能力がなけりゃ
哲学なんてやる資格なし
言葉遊びこそが本質
青臭い哲学ごっこで満足してるならそれはそれで自由だが
- 87 :
- 文学は好きだが哲学は嫌いだという人にとって哲学は理屈っぽいものに思え、
哲学が好きな人は同時に文学も好きだが、彼等が書く文章を理屈っぽいと感じる
文学通は多いかも知れない。
極稀には理屈っぽくない文章を書き文学的才気も溢れ尚且つ哲学的思索が出来る人はいる。
彼等は地味で目立たないが。
- 88 :
- 哲学は学ぶことではなく、行うこと。
野球をルールや選手の名前だけで語るのは野球ではない。知識だ。
そして過去のそれを学ぶのは野球の歴史知識であってゲームの野球ではない。
- 89 :
- あなたはそれを存在の神秘と呼ぶべきではない。何故なら、あなたの睾丸は
まず第一に、いくつかの単純な実体から成り立っているからである。
それらの実体は、複合体を構成するのに一役買っているものどもである。
私は、あなたの睾丸そのものは、あなた自身のある内的な原理を通じてのみ、
変化させられることが出来るということを意味しているのである。
私はそれ(内的な原理)を定義できないが、しかしそれがあなたの内部に
存在することは確かである。
もしあなたの睾丸が黒くなるのならば、あなたは完全になるだろう。
私自身は、自分が今何を言っているのか理解できない。
以上
- 90 :
- >>89
ここはオカルト板じゃない。
- 91 :
- 細かい区別はどうせ中島義道あたりが自己宣伝のために「哲学」を持ちあげたころからでしょ。その昔は「思想」の方が「現代の課題」wを扱っていてカッコイイことになっていた。
だいたい同じようなもの、でいいんじゃないかな。
- 92 :
- 思想は何となくこんな気がするという感性の部分を表現する事。
哲学はそれにイチャモンをつける事かな?
- 93 :
- まじすか
- 94 :11/11/08
- 中島義道の「哲学/思想」の分け方は大森荘蔵の「哲学病」の影響だな。
大森のにも元ネタはあって、ルーツを辿るとアンスコムのウィトゲンシュタイン論。
「哲学者向けの哲学(例:プラトン)/一般人向けの哲学(例:アリストテレス)」
という分類で、後者は宗教や文学で代替できるけど、前者はできないという。
似たようなことを永井均も言っているな。
ただ中島のそれは分析系の大森の弟子たちともちょっと違うらしいのだが。
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