1read 100read
2011年10月1期哲学◆サルトル 実存主義 【ロンパリ】◆
TOP カテ一覧 スレ一覧 削除依頼 ▼
◆サルトル 実存主義 【ロンパリ】◆
- 1 :11/01/03 〜 最終レス :11/11/24
- 【Wikipedia】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%AB
たてた。
- 2 :
- サルトルは頭いいのか悪いのかわかりません
- 3 :
- サルトルの言う責任とはどういう意味でしょうか
なぜ不条理で自由な存在に責任があるのか分からないので
どなたか解説をお願いします
- 4 :
- 自分が影響を受けたものに対する責任ではないか?
- 5 :
- そういえばサルトルはマジで共産主義の影響を受けちゃってるんだよね。
んで、「カミュ−サルトル論争」とか、あったらしいね。
ソ連崩壊で、最終的にはカミュの勝ちだったよ。ごめんね、カミュ。
- 6 :
- この世界がバラ色に見えるキチガイはそう言うだろ。
- 7 :
- >>3
サルトルの言う責任というのは、「それを選んだのは自分だ」と認めることだよ。
結果が予想できない状況で選択に責任を負うのだから、「賭け」だとされる。
- 8 :
- サルトルが初期に唱えていたのは意識の無謬性を中心とし、つまり全ては変更可能、透見
可能、とする哲学である。サルトルのいう責任の概念は根底に、意識の哲学があり、そこで
“すべては己の意識により選択されている”とする選択を担わされている。一旦、意識され
たその限りで、その状況は選択されている。意識された以上、選択と選択に伴う責任は避け
られない。それがサルトルの哲学であり、自由は、この選択・責任と、同義、同じことであ
る。だから、サルトルのいう自由は選択とそれに伴う責任が付着してるから、辛いもので、
〈人間は自由であるよう呪われている〉という命題はそこからでしょう。それで、ではその
ような意識=自由を阻む要素があるとすれば、それはどうサルトルに捉えられるか、といえ
ば、例えば意識に先行し、無化しえない要素があるとすれば。それはサルトルにとって疎外
とされ、否認されていく。しかし、この哲学が脅迫的であるのはよく考えてみれば明らかで
、脅迫的に機能するから、かつて学生運動華やかなりし頃、サルトル哲学は流行するわけ
です。何故なら、この哲学自体、マルクス主義の補完となりうる、機能となりうる特徴を備
えていた。元々サルトル哲学の発祥はドイツ占領下のフランスにあり、レジスタンスの運
動だった。ああいう限界状況での抵抗にあった。自由=責任が重視される必然性があった
。サルトルはよって、晩年になるにしたがい、〈宿命〉といったことを言うようになり、転向
を仄めかすようになる。自分自身でさえ、自分にとって、まったき透明を獲得することの
困難を、暗示するようになる。サルトルは人生は自分がかつて言っていたほど自由ではな
い、と認めるようになっていたと思います。
- 9 :
- エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』など読んでみれば分かるが、
そうした自由観はサルトル特有のものではなく、
いわば「時代の雰囲気」とでもいうべきものだったのだろう。
サルトル自身の思想の起源はともあれ、サルトルを受け入れた大衆が
そこに見たのは、この「時代の雰囲気」の表現だったのだろう。
- 10 :
- 実存主義の時代な。進歩主義の頓挫した。
根本的問題は未解決なまま、ナチズムの
焼き直しを我々はやってるけどw
- 11 :
- ネオ・レッドパージの時代だ。浅ましい世の中になり果てた。
- 12 :
- サルトルは「ユダヤ人問題は我々の問題」と言えたが、
今や我々は、誰もがユダヤ人であることを誇りに思う。
- 13 :
- 我々は皆、アメリカ人だ。醜悪なる豚の群れだ。
- 14 :
- 「人間の醜さ」なんて言葉は死語になった。
醜いのが当たり前になったからなwww
- 15 :
- たくさんのレスありがとうございます
ここでいう「責任」とはが何か失敗をすると
指を詰めなければならないといった義務、罰とは違った意味ということで良いですかね?
>>8
>意識=自由を阻む要素があるとすれば、それはどうサルトルに捉えられるか、といえ
>ば、例えば意識に先行し、無化しえない要素があるとすれば。それはサルトルにとって疎外
>とされ、否認されていく。
この要素とは例えばフロイトの無意識とか決定論とかですか?
あと、調べても良くわからなかったのですが「疎外」「脅迫的」とはどういう意味ですか?
>サルトルはよって、晩年になるにしたがい、〈宿命〉といったことを言うようになり
なにかこのことについての本や文章などがあれば教えていただけませんか?
質問ばかりですみません。
- 16 :
- お答えします。先ず「疎外」ということ。これは、インタビュー「作家とその言語」の中で語られてい
る。どのようにかといえば、人間にとって、己には意識されざる意味活動があるということ。
《インタビュアー―ところがハイデガーの場合には、言活動(パロール)への呼び掛けの完全なイニ
シアチブを持つのは結局のところ意味されるもの、つまり〈存在〉なのではないか。
サルトル―そうです。したがってそれは私にとって、疎外を表すものなのです。これはある程度まで
メルロー=ポンチの場合にも感じられる。〈存在〉へと逆行するどんな関係も、或は〈存在〉に向かって
開かれたもの、前にも後にも己を条件付けるものとしての〈存在〉を想定しているところの、〈存在〉
に向かって開かれているどんなものも、私には一つの疎外だと思われます。》
〈宿命〉について。これは「うちの馬鹿について」というインタビュー、これはフローベール論につ
いてのインタビュー。
《サルトル―(中略)同性愛的傾向とともに、そこに最も強く現れているのは、彼の性欲の受動的性
格なのだ。私は(フローベールの内部の)受動性という概念に重要な意味を与えた。(中略)こうし
た観点からすると、フローベールは次男という彼の位置そのものによって、受動性に運命づけられ
ているように見える。
インタビュアー―運命づけられているですって?この言葉は自由の哲学を貴方のうちに見ている
人々を驚かすかもしれない。
サルトル―ある意味で、我々はみな宿運を定められて生まれてきているのだ。我々は、ある時期の
家庭と社会とが置かれている状況によって、初めからある型の行動に運命づけられている。(中
略)我々は例外なしに幼年期に自分を見失ってしまう。教育方法、両親‐子供の関係、学校教育等々
、こうしたことすべてが自我を与えるのだが、それは見失われた自我なのだ。(中略)かといって
それは、この宿運のうちにはいかなる選択の余地もないということではない。けれども我々は、
選択をしても選択したものを実現しえないだろうということを知っている。これは私が自由の必
然性と呼ぶものだ。(中略)ギュスターブには幾つかの選択が残されているが、それは条件付け
られた選択なのだから。私が示しているのはこういうことだ。》
- 17 :
- ちなみに「作家とその言語」はかつては『シチュアシオン\』(人文書院)に、「うちに馬鹿
について」は『シチュアシオン]』(人文書院)に収録されていました。絶版ですが、古書店
では出回っていると思います。新しい版のサルトル本ではどうか、よく知りません。
- 18 :
- 結局はスターリン主義つかマルクス主義を捨てられなかったわな。
そこだよな、60年以降日本でだんだん評価されなくなった理由って。
70年代にゃ、日本強酸党のイデオローグごときにさえ、
サルトルはヘーゲルとレーニン+スターリンのごちゃ混ぜに過ぎないって
揶揄されちまったらしいじゃん。
思想的には過去にシトって理解でOKだろ?
- 19 :
- >>16
>人間にとって、己には意識されざる意味活動があるということ。
これは無意識ということですか?
>言活動(パロール)への呼び掛けの完全なイニ
>シアチブを持つのは結局のところ意味されるもの、つまり〈存在〉なのではないか。
この辺もよくわからないので解説お願いします。
- 20 :
- >>18
そうそう、サルトルは過去の人、現代は新赤狩り時代な。
何遍言わせるんだコラ
- 21 :
- >>18
サルトルの実存主義はマルクス主義と必ずくっつくものなのでしょうか?
サルトルが反マルクス主義のときもあったのでそうではないと思っていましたが・・・
どなたか解説お願いします 質問ばかりでホントすいません
- 22 :
- マルクス主義を貶めるのはバカでも出来るが、
その正当性を擁護するのは、卑怯者には無理だ。
- 23 :
- 「サロー(卑劣漢)め!」ってさ。
- 24 :
- >>21
くっつく必然性はなかったようです。
- 25 :
- 実存的投機として、何でもいいけど何かしなければならないということで、
とりあえず目の前にあったマルクス主義に飛びついた感があります。
- 26 :
- 疎外論は実存主義と仲良しだよ。
- 27 :
- 吉本自慰さんの言を待つまでもなく、
実存主義はプチブルの善意のイデオロギーに過ぎないよね。
要は本質存在を求めず、現存在(=実存=移ろい)にのみ信を置く陽炎思想ってとこかな。
- 28 :
- ジジイと一緒に耄碌したんだろ。
- 29 :
- 異邦人論争にあったな。「年は取りたくないものです」って名台詞。
- 30 :
- サントルにも生まれつき「棘」が刺さってる。そういう見地から
考えるのもありかな。
- 31 :
- 少なくとも『存在と無』に代表される初期のサルトルにかぎれば、マルクス主義との連結は容易い
。前のレスにも書いたように、意識されている、ということの中に、己に選択されている、という命
題も繰り込まれている。意識とは選択の別名で、従って責任も伴う。自由も伴う。これは政治への
参加に必ず促す。逃げられません。参加するしかありません。本当にそうです。だからサルトルの
哲学の怖さがそこにある。あれを理解したら政治から逃げられません。そういう強固な拘束力を
持っているのがサルトルの自由の哲学です。
で、引用して質問されていた、ハイデガー有論を疎外だとしているところ、ここが実は核心的な
問題で、サルトルがここを否定しなければサルトルの自由の哲学は成立しない。その意味で非常
に大きな分岐点だと僕には思えます。一体何をサルトルは否定したいのか。言活動を、言語の活動
をインタビュアーは聞いて、存在 Sein すなわち己の内に覆蔵されている歴史が、己に意識され
がたい歴史としてある。それが呼び声となり、それに応えるように己は世界を生成させ、何かを
気にかけ、本来性を求める…それはハイデガーの有論そのものですが、これをサルトルは疎外とみ
なし、越えられるべき、と見なしている。ここです。何故否定しなければならないか、にサルトル哲
学の核がある。つまり、一人の固有な歴史、覆蔵された歴史を抱えてる。そのような領域を認める
訳には行かない。己にさえ、責任を全的に負えるのがサルトル哲学で、意識に先行し、差し向ける
歴史とか、認められない。何故なら、自由と責任の哲学にとって、己の歴史を引き摺り拘束される
存在は疎外であり、否認の対象になる。しかし、リアルな人間像を提示したのはどちらだ、とな
ると、サルトルに疎外と命名された方ではないか、そこに核心的問がある。
- 32 :
- >>31
>前のレスにも書いたように、意識されている、ということの中に、己に選択されている、という命
>題も繰り込まれている。意識とは選択の別名で、従って責任も伴う。自由も伴う。これは政治への
>参加に必ず促す。逃げられません。参加するしかありません。本当にそうです。だからサルトルの
>哲学の怖さがそこにある。あれを理解したら政治から逃げられません。そういう強固な拘束力を
>持っているのがサルトルの自由の哲学です。
私の行動は人類全体をアンガジェしたことになるということですよね
これも政治運動や子作りの例は分かるのですが
誰かが「私」の行動を認識しなければアンガジェしたことにはならないんじゃないですか?
「われわれが選ぶものはつねに善であり、何ものも、われわれにとって善でありながら万人にとって善でない、ということはありえないのである。」
というのもありますがこれも意味が分かりません。解説お願いします
- 33 :
- >>27
確かに。
共産主義の圧倒的な水圧に抗し切れず、
さりとて共産主義にドップリはまるには覚醒しすぎてると。
そこで限りなく赤色を帯びた実存主義が登場するって具合だ。
アカの連中から言わせたら、ブルの蒙昧イデオロギーだわな。
- 34 :
- 32の質問とも関係し、また、サルトルに批判されているハイデガーとも関わるんですが。サルト
ルにおける自由、責任、選択は一つだと書きましたが、サルトルのいう主体。があるとしたら、その
特徴とは、絶えず公共性にたいし意味を持たされている点にあるんじゃないか。そう思えるわけで
す。つまり、何を以て責任を負うか、選択をするか、自由を負わされるか、というと、公共性にたい
してである。そこが、サルトルの主体が今だ死んでないと思える所以であでしょうり、また、欠陥もまたそ
こだと僕は思うわけです。サルトルの主体が絶えず公共性を相手に成立する、であるから、ハイデ
ガー有論のように、己の歴史からの呼び声が意味を示唆し、というのでは困る。だから否定されて
しまう。しかし、そこがサルトルの主体が、公共性に包括されているところで、今の社会が内包する
人間観と繋がっているんじゃないかとも思えるし、欠陥にも見えるところです。負い目という点で
、公共性にたいして専らそうである。そこが存在論として違うのではないかと僕には思えます。そ
の違うのではないかというところを、だから徐々にサルトルは修正していったんじゃないか。
- 35 :
- >>33
お前はただの右翼だけどな。
- 36 :
- 平均的日常性に頽落していた「普通の男」が、
ある日、実存に目覚め、自らの置かれた疎外
情況を自覚して、
ってのが実存主義文学的のテンプレみたいな
ところはある。
- 37 :
- 実存主義的文学、
マルクス主義では、これは資本主義的疎外である
ということになるのな。自分を率先して品物扱いした
がるような奴らが当たり前な顔をしている。
まぁ、その通りな話で。
- 38 :
- 平たく言えばカネで買える奴らのことだが。
こんな言い方だと茶飲み話にしかならん。
- 39 :
- 国家権力がそれを堂々と励奨する。
魂をカネで売るというが、どちらかと
言うと魂は気絶しておるのだな。
だから悩みもしない。
- 40 :
- 口というのはメシを食うためと
お喋りをするためだけにある。
- 41 :
- 脳のスイッチはオフにして置く。
口が滑らかに動くようにだ。
それが世の中の正常な人間。
それを異常なことに感じてしまった
のがムルソーやロカンタンのような
実存主義小説の主人公だと。
- 42 :
- 続けます。サルトル哲学を再考すると、公共性と個の橋渡しにもみえ、彼の謂っていた、
〈飢えた子供の前で文学は有効か〉という問いかけも、文学に公共的価値を附加するための
一つの言い回しにみえる。で、彼は個別な作家論も書いてる。その作家論は己の素因を作品
形成の動力とし、作家になる、言い換えれば、作品形成によって自己意識になる過程が彼に
とって重要だったんじゃないか。自己意識としての人間というのがサルトルの重心だった
んではないか。そこで如何なる人間でも、例外なく人類史の過程に組み込まれる。ではその
人類史とはどっちを向いているのか、といえば、〈人=神〉の証明である。サルトルの対自存
在はだから自己意識のことだと言えるだろう。ヘーゲル哲学の変奏として。ハイデガーへ
の「疎外」という批判も、そう考えれば解ってきます。ハイデガーのいう有 Sein は自己
意識の存立を阻むように見える。言い換えれば全体の成立を阻む。何故なら没交渉的であ
ることが現‐有 DA-sein にはある。繰り返すと、ヘーゲル哲学の変奏でもあるんじゃ
ないか、ということ。今から見返せば、その辺は見えるんじゃないかと思えるんですけど
ね。
- 43 :
- ムルソーやロカンタンを羨ましいと
思う奴はいないだろ。
危険人物扱いだ。
- 44 :
- >>42
>人類史とはどっちを向いているのか、といえば、〈人=神〉の証明である。
そりゃ、たかだかダーウィン後だろ。人は存在だが、神は無だ。
- 45 :
- いまどきサルトルとは、時代錯誤つか、訓詁学?
団塊の死に損ない世代までだろ、サルトルごときに拘泥してるんは。
つか、乗り越えられなかったってのが実態かな。
- 46 :
- ああ、コンビニの商品棚の上を流れて
行くような流行り物が好きなのだよな。
- 47 :
- サルトルは終わコン
- 48 :
- 道徳や倫理に関してはどう思っていたのでしょうか?
- 49 :
- サルトルは革命のためなら人もアリだと考えていて、
チェ・ゲバラを「20世紀で最も完璧な人間だった男」と評していたものだ。
- 50 :
- >>49
サルトルはブダペスト市民の抗議デモにソビエトが武力介入したときに
抗議文を発表したり、それを「犯罪」と弾劾してソビエトやフランス共産党と絶縁を表明したとあります。
また、ソビエトがチェコスロヴァキアに軍事介入したときにも「戦争犯罪」と非難したともあります。
たぶん、
「われわれが選ぶものはつねに善であり、何ものも、われわれにとって善でありながら万人にとって善でない、ということはありえないのである。」
これの意味が分からないと訳が分からないので解説お願いします
- 51 :
- 倫理については、『存在と無』終わり近くで語っているところがあるので、そのまま抜粋しておき
ます。
《存在論の示す直説法から、命令法を引き出すことはできない。それにもかかわらず、存在論は、「
状況のなかの人間存在」に対してみずから責任をとる一つの倫理が、いかなるものであろうかを、
予見させてくれる。事実、存在論は、価値の起原と本性とをわれわれに顕示してくれた。われわれ
が見たように、価値は、それに対して対自が自己の存在において自己を欠如として規定するときの
、「欠如」(補注:及び欠如の充填)である。》(原書 720頁)
あと、サルトルにとって、人類史の方角は〈人=神〉である地点ではないか、と書きましたが、『存在
と無』にそれを示すと思われるセンテンスがあるのでそこも引用してみます。
《あらゆる人間存在は、彼が、存在を根拠づけるために、また同時に、それ自身の根拠であることに
よって偶然性から脱れ出ているような即自すなわち宗教では神と名づけられている自己原因者を
、構成するために、あえて自己を失うことを企てるという点で、一つの受難である。》(原書707頁)
〈自己の原因であること=自己原因者〉を狙いながら、その企てのために自己に有責性を負わせ、
ために反省的にならざるをえない、選択の自由を負わせざるを得ない、その過程にサルトルは人
間存在の重要部分を見ています。この辺が、自由と責任の観念を推し進めたことで、公共性の中に
歴史性(自己有の根拠)を融解させてしまった、と思える。そこが現代の社会通念に繋がっていく
、と思える箇所です。
- 52 :
- それは人間が神になるのではなく、自ら人間的自己を
無化することによって神を現前させようとする預言者
的な志向のことを指しているのではないか?
- 53 :
- 50レスの質問は、51レスに抜粋してある、一連の言説を再考すれば分かるんじゃないか
な。もう一度書きます。《すなわち宗教では神と名づけられている自己原因者を、構成する
ために、あえて自己を失うことを企てる》とあるでしょう。この意味をかんがえてください
。サルトルにおける自由、責任、選択の意味を捉えるには、上にある諸概念を考えるしかな
い。もう一度書きます(笑)《神と名づけられている自己原因者を構成するために、あえて
自己を失う》…。つまり善が神の選択となるべき、ということ。そのように選択すべきという
こと。たとえ挫折するとしてもです。しかも、サルトルにおいて、マルクス主義は進行中
の全体化作用であるから、問題点は欠如として充填されなければならない。そう意味付け
されているでしょう。だからやっぱり〈人=神〉というのが企てとして、あるべき過程とし
て、哲学にあったと思いますけどね。
- 54 :
- 人が神になれるなら受難ではないだろう。
人生とは徒労への受難である、だっけ。
- 55 :
- 或いは、受難を通じてしか神に近寄れない、か。
- 56 :
- 52レスの方の意見がありますが、単に人間的自己を無化し、神を現前させる、というの
とも違うと思う。そうじゃなく、やはり選択として、責任、自由として、《あえて自己を失う
》ことが主張されている。誰か、評論家も言ってると思うけども、左翼党派における恐
怖政治を、サルトルは肯定している。〈同胞性=恐怖〉という概念があり、こう書いている。
《実在性としての集団とは、まず、各人が共同の実践を放棄することの不可能性にほかなら
ない。或は、おのぞみなら、集団の存在は、各人の内部で、厳密に個人的な行動のあらゆる
可能性の惰性的否定として誓われた死であるといってもよい。》(『弁証法的理性批判U』
111頁》
革命のための全体化として、恐怖政治がいち過程として組み込まれているのは明らかで
、このような発想が可能なのは、全体化と命名される歴史的変革への視線があるからだろ
う。この過程のために、《あえて自己を失うこと》が組み込まれている。善とはマルクス主義
をそうやって蘇生させ、進行させることだ。そのなかで自己は失うことを要請されてしま
う。
- 57 :
- サルトルの挑発的な言葉尻をとらえて、それを
単純な肯定ととらえるのは、どうかな。
サルトルの眼差しは、革命を客観的に評価しよう
としている歴史家のそれに近いようにも思うが。
通奏低音としての宿命論は聴こえないか。
インターナショナルとはちょっと曲調が違う。
- 58 :
- >>57
>サルトルの眼差しは、革命を客観的に評価しよう・・・
知識人の階級移行というスターリン主義の嘘っぱちを論破できなかったお粗末さの顕現だろ。
>インターナショナルとは・・・
もともと赤色国際主義なんぞ信じてなかった斜視猿が、
吉本隆明から「ロシア・マルクス主義の最後のチャンピオン」とおちょくられた時にゃ、
斜視猿万歳の埴谷雄高も「言い得て妙」の感嘆を『文芸』で著してたな。
- 59 :
- シニカルになるのはそちらの勝手だが。
- 60 :
- >サルトルの眼差しは、革命を客観的に評価しよう としている歴史家のそれに近いよう
にも思うが。 通奏低音としての宿命論は聴こえないか。
成る程。モノの稀少性により分断され、互いに憎悪する、モノに支配される実践的=惰性
態を抉り出し、他者として捉え、それへの対抗の必然として、暴力の必然をサルトルは主
張する。で、互いの自由は互いの誓約として、拘束し、実践的=惰性態への逆行を止める。
そのくだりは感動的で、読んでしびれるところでもある。マルクス主義における自由の描
写として、卓越してるし、今読んでも感動的でありますね。峻厳な論理の中に、自由への
渇望が折り畳まれて。マルクス主義と自由をここまで掘り下げて描いた思想は他にないん
じゃないか。その意味では、マルクス主義の再生を、考える際には必読かもしれない。その
主張に全面的に同意はしないけども、これが凄い思想だということだけは判る。実際、今
の日本の経済悪化の最中で、サルトルが描いた暴力が、現出しないとは言い切れない。む
しろ、今の日本の社会こそ、『弁証法的理性批判』が再生する土壌ができつつあるのかもし
れない。それは感じますね。それが好ましいか否かは別にしてね。その意味では、サルト
ルによる革命的存在論は、これから再評価される可能性もあるんでしょうね。惜しむらく
は『弁証法的理性批判』という本は、既に絶版となっており、古書店にしかない。もしかす
ると、将来、人文書院から再発されるかもしれないけども。それはあるかもと思います。
- 61 :
- 『弁証法的理性批判』ね・・・
あんな時代錯誤の疎外論に今頃夢中になるなんてどうかしてると思うがね・・・
- 62 :
- いや、実践的=惰性態という概念については、色んな所で言及されてるし、革命論として
参照されたと思いますよ。モノの稀少性に支配され、敵対し、または集列化する大衆、と
いうのはサルトルがあそこで展開した暴力の起点として、それなりにリアリティーがあ
った。実際、そこが解決されるか否かは重要な問題点には違いないわけで。資本主義に内在
する問題点の抉り方としていいと思いますけどね。
ただ、あれが絶版で云々というと、希少本みたいだけども、実際は古書店の店頭で陽ざら
しで安価で売られているのが殆んどで。あの本がどれだけ人気がないかを証してる証拠で
もある。実際、現代社会の住人たる大衆を自己欺瞞として有罪宣告しているのも確かで。
サルトルの自由の哲学からするとそうなるのは解りますけども、必然的に敬遠されていっ
た。というのが実情でしょう。ただ、現代社会における倫理の在り方として、この哲学は
態度決定する対象として、生きていると思えます。どうこれを読むか、ということが左翼
として、問われると思える。というのは、モノに左右されることに即自的に凝固すること、
に、本能的に抵抗感をもつように人間は出来ていると僕には思える。モノの支配から自由でない
ことをマルクス主義批判として俎上にあげたことの功績は消えないと思われる。
- 63 :
- 生存集団というのはある種の合目的性を
帯びるのが常だから、それで神云々と言
われるのか知らんね。
- 64 :
- >>51
>価値は、それに対して対自が自己の存在において自己を欠如として規定するときの
>、「欠如」(補注:及び欠如の充填)である。
これの意味が分かりません。
>あらゆる人間存在は、彼が、存在を根拠づけるために、また同時に、それ自身の根拠であることに
>よって偶然性から脱れ出ているような即自すなわち宗教では神と名づけられている自己原因者を
>、構成するために、あえて自己を失うことを企てるという点で、一つの受難である。
宗教での自己原因者は分かるのですが、無神論的実存主義者の自己原因「者」は
なんなのですか?そもそも自己原因者というのは存在理由を保証するモノということでいいですか?
- 65 :
- 人間は絶えず己を選択しうるし、選択しうることで、存在の責任を負っている。それが人間の自由
である。自己を根本から選択しうる、それが人間である。それが「自己原因者」の意味である。絶えず
己を選択しうるし、世界内存在として責任を負っている、しかし己を充全な存在とは見なせないと
すれば、充全とみなせるよう充填しなくてはならない。欠如を満たさなくてはならない。満たされ
た分が価値である。そういう意味だと僕は捉えています。
『弁証法的理性批判』の戻ると、集団にとって、意気粗相をもたらす構成員は処刑される、で、私はそ
れを私の自由として受け入れる、と書いている箇所がある。あの本で考え込まされるのはこういう
箇所で、集団内の死は、集団を元の位置に、実践的=惰性態に落とし込まない為に不可欠なように
見なされている点である。これもそうなんですが、要するに弁証法的理性批判という課題そのもの
が、神の理性、神の精神、それを具現化する試みとして考えられている気がする。マルクス主義が
存在論として考えられており、刺激的な本なんだけど、これを実践しうる人間は、有るのか否か、
てところがそもそも問題視される。何故なら、己の自由として、集団の存続のために死をも受け
入れる、というのは考えにくい。考え方は殉教ですね。それが最初から理論的に組み込まれている
。そうすると、一体誰のための革命なのか、判らなくなってくる気がする。だから、弁証法的理性と
は神の理性じゃないか、そう言うしかなくなる。また、そこが最も面白いといえば面白い点である
。そう感じますね。
- 66 :
- サルトル世代の口にする「自由」ってのは、
徹底してて、カミュがドストエフスキーの後
をついで自由の究極表現としての自を
論じたりしてるな。
ヤンキーの好きな「フリーダム」とは、やや
趣が違う。
- 67 :
- >>58 ちょいと横やりをば。
『文芸』誌の掲載された吉本の「ロシア・マルクス主義の最後の・・。」云々は
決してサルトルをおちょくっての文言ではないぞよ。
文脈としては、六十年の安保闘争を回想して、
闘争に敗北したブント幹部連中がこぞってレーニン主義への純化を標榜する革共同に
懺悔したことなぞから、レーニン主義の政治主義を批判し、わが国の左翼が
「ロシア・マルクス主義最後のチャンピオン」且つ「最良のロシア・マルクス主義者。」
たるサルトルを持てなかった不幸を指摘したもの。
おちょくりなぞとは誤読の最たるもの。
- 68 :
- 「ロストフューチャー」ってのがあんだろ。
人類が進歩して来るはずだったのに、
来なかった未来。
憧憬と喪失感を我々は感じ、この先どう
して良いのか分からなくなる。
これが、第一次大戦後の感覚だ。
- 69 :
- この問題は、第二次大戦の対ファシスト戦争と
それに続く米ソ冷戦によって覆い隠されてしまった
んだが、冷戦が終わってぶり返してしまったのだな。
その空白を埋めようとして、ネオコンの連中は、
来なかった未来を無理矢理に実現しようと非現実的
なプロジェクトをやりたがる。
ドバイ・ブルジュみたいなバカ高い建造物を乱立させ
ようとするのは、そのせい。
- 70 :
- 人類の進歩は止まってしまったかと辺りを
良く見回してみると、そうでもない。昔はな
かった色んなものがあらたに存在してる。
しかし、我々は自分たちが未来的な暮らしを
しているとは大して感じない。テクノロジーが
幾ら進歩しても人間は生身の人間のまま、
超人になれるアテもない。
進歩主義たけなわの時代の人間は、そんな
ことは考えず、文字通り超人になれると信じ
たわけだ。進歩が人間的な苦悩から自分たちを
解放すると。
- 71 :
- 「禁煙して超人になろう!」
これがナチスのスローガンだった。我々は
強烈な既視感を覚える。
- 72 :
- >>65
>弁証法的理性とは神の理性じゃないか、
マルクスなら「神」と言わず「歴史」と言うのでありませんですか?
これは時々、指摘される点ですが。
- 73 :
- 67さん江。
う〜ん、な〜るヘソ。
まぁ、58のカキコは印象批評だったってことで。
- 74 :
- なるべくならアンカー付けてくれるとうれしいです><
サルトルって不細工?
- 75 :
- http://sky.geocities.jp/shchan_3/pagetr.htm
詳しく解説している所がありました
- 76 :
- >>74
強度の斜視だったそうだ。
- 77 :
- >>76
いや、それにしても不細工だとは思いませんが・・・
自分の西洋人に対する憧れですかね?
- 78 :
- サルトルは、「何を選んでも自由だから他人から裁かれることがないだろうか?」という質問に対して
サルトルは「道徳の形相は普遍的である。一方、道徳の内容は変化する。己自身がつくってゆくから。」
と答えています。
この「道徳の形相」と「道徳の内容」の意味を教えてください。
- 79 :
- ナチズムってのは現代史だね。
http://www.youtube.com/watch?v=c252ByuGIhs
- 80 :
- 『嘔吐』を読んでたら芥川の『歯車』を思い出した
翻訳のせいかな?
- 81 :
- サルトルの著作にも『歯車』ってあるよね
チラ見した限りでは随分と色調は変わってるけど
- 82 :
- ヴェレリーの『テスト氏』は機会があったら
読みたいと思ってるよ。
ひょっとしたらそこにムルソーやロカンタンの
原型が見つかるかも知れないからな。
- 83 :
- 間違った、ヴァレリー。昔は読んでて当たり前だった
らしいね。ヴァレリーは第一次大戦終結、間もなく、
こんなことを講演で言ったらしい。
「諸君、嵐は終わった。にもかかわらず、われわれは、あたかも嵐が
起ころうとしている矢先のように、不安である。」
実存主義というのはここから出発してるようなもんだ。
- 84 :
- 米ソ冷戦が終わって、我々は同じような体験を
した。第一次後はマチズムが勃興し、今また、
同じような政治思想が世界を席巻している。
- 85 :
- マでなくて、ナ。適当だからなw
・・・規制すなよ。
- 86 :
- 十字軍国家の正義のハートをうれしがらせるような
大きな悪党国家が存在しないのがこの時代の悩み
の種だな。
- 87 :
- 皮肉なんだぞ?
- 88 :
- メモ帳
ttp://www.kinjo-u.ac.jp/nakata/pdf/Beauvoir1.pdf
- 89 :
- >>88
こんな文章を各人が大学で教えているのか?
- 90 :
- 大学でマンガ読んでいても仕方ないだろう。
- 91 :
- 虹が美しい、それはサルトルにより完全否定されてます。
サルトルが言うに愛はお互いに愛し合うところのみに存在します。
一方的な慈善活動など愚劣な事らしいです。
- 92 :
- サルトルに精通wしてる奴って、ジョン・レノンも好きそうだな
- 93 :
- http://www.geocities.jp/hong5012/sartre1.html
このページの最後の
>>人が「私はちょうど私の仕事をしているところです」と言ったとすれば、それは「自分の仕事」のせいにして自分自身の>>選択を避けているので、「不実」の罪を犯したことになります。
の意味がわかりません。自分にはこの文章は能動的に感じるんですけど・・・
どなたか解説お願いします。
- 94 :
- ageますよ
- 95 :
- http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110325-00000164-jij-spo
- 96 :
- http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110325-00000164-jij-spo
- 97 :
- 文学板に見あたらないと思ったらこんなところに
『想像力の問題』読んでたら眠たくなってきた
どうもサルトルの文章構成はまだるっこい
- 98 :
-
「誠に残念ですが、日本は貧しい国になるでしょう」… - 米国家経済会議前委員長の米ハーバード大学教授
http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1301594283/
http://diamond.jp/articles/-/11689?page=5
欧米、とくにフランスを筆頭とした国々は、日本のことを悲惨な震災に見舞われた被災国というよりも、原子力エネルギーを管理できない核犯罪国家とみなし始めている。
このままではG8の一員である先進国としてどころか、放射能汚染を放置する無政府状態の最貧国として扱われる日が近いのかもしれない。
- 99 :
- >>79
赤い婦人には愛を示さないんだな。
- 100read 1read
1read 100read
TOP カテ一覧 スレ一覧 削除依頼 ▲
-