2011年10月1期哲学ルイ・アルチュセール
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ルイ・アルチュセール
1 :11/07/03 〜 最終レス :11/11/25 “テクストとしてのマルクス”を蘇生させた伝説の哲学者について語ろう。
2 : マルクスレ立ちすぎ カール・マルクス http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/philo/1309648641/ 「所有」という概念について http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/philo/1309563194/
3 : 後藤和智
4 : だれかコネクッションもってきてよ
5 : 昔今村仁司がアルチュセールの入門本書いてたけど もってる人手挙げて!
6 : Epouserlanotion Epouserlanotion 仏国営ラジオで、7月11日から5日間にわたりアルチュセール特集。一回目のゲストは、 『アルチュセール伝』を刊行したヤン・ムリエ=ブタン(コンピエーニュ大学教授・経済学者) Figures de Louis Althusser (1/5) http://t.co/LH85ch1 8時間
7 : >>6 よし同時通訳してネットに流してくれ
8 : ついでに要点とか感想もヨロシク こないだのドゥルーズ特集も結局、誰も感想書かないから、 関心あるのかないのか不明じゃん? 聴いてる人いるのかさえ分かんない
9 : それはない
10 : あたらしい
11 : マルクスがなぜあれほど観念論を攻撃し、唯物論にこだわったのか。 観念論は、それが資本主義を終わらせようとする目的を持つものであっても、有効性を持たない、 観念論は資本主義に対して有効な攻撃手段とはならない、だったからだと考える。 それはなぜなのだろうか? 私はそれを、観念論という知的実践形式が、資本主義に限らず、階級社会に固有のものだからだ、と考える。 資本主義が階級社会の最も発展した形態、最終形態であるとするならば、資本主義の究極化、そしてマルクスを信じるなら、 その後の共産主義社会の到来は、その物質的編成とともに、その知的編成全体、つまり知的実践形式自体を終焉させるはずだ。 哲学にもそれが起こるはずだ。 観念論に対する人々の執着を終わらせるのは、論争、意思、闘争ではない。 歴史的必然性である。 階級社会が限界を迎えるとき、必然的に、観念論という、 古い知的実践形式もまた終わり、新たな知的活動が勃興することになるはずである。 観念論は、人々が誰も耳をかさなくなるのである。 それは唯物論哲学を除く哲学の終焉を意味する。 唯物論を見ない人にとっては、それはニヒリズムに見える。
12 : アル中
13 : Forgive Me God. Forgive Me Lord. "in the name of the Father, and of the Son, and of the Holy Spirit" Amen.
14 : Forgive Me God. Forgive Me Lord. "in the name of the Father, and of the Son, and of the Holy Spirit" Amen.
15 : † Forgive Me God. Forgive Me Lord. "in the name of the Father, and of the Son, and of the Holy Spirit" Amen. † 神よ、主よ、我がすべての罪をお赦し下さい。 父と子と聖霊のみなによりて、アーメン。
16 :11/11/25
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