2011年10月1期哲学ニーチェの 『権力への意志』 を読む TOP カテ一覧 スレ一覧 削除依頼

ニーチェの 『権力への意志』 を読む


1 :11/11/09 〜 最終レス :11/11/29

ニーチェの著作 『権力への意志』を、テキストに添って考えて行きます。

2 :
2
頑張ってくださいね。
私も参加したいかも。

3 :
テキストクリティークの結果、著作としては怪しいんじゃなかったっけ?

4 :
>>2
クリティークかあ
ありがとう
ところで、みなさんどこの出版社のを読んでるのでしょうか?

5 :
間違えた、>>3でした。
どこかだけ『力への意志』って訳があったような気がするけど、どこだっけ?

6 :
>2
怪しいところの検証も兼ねてということなのかも。

7 :
>3
でした。間違えました。

8 :
白水社版全集が、研究者定番のグロイター版だけど、
ちくまが旧全集を文庫にしたのでみんなそっちを読んでる
もし真面目に調べるなら白水社の遺稿をみて比べればいい

9 :
………………………………………………
エリーザベトはニーチェの死後、遺稿を編纂して『力への意志』を刊行した。
エリザベートの恣意的な編集はのちに「ニーチェの思想はナチズムに通じるものだ」との誤解を生む原因となったが(次節参照)、
これがニーチェの意図を正確に反映したものでないことは広く知られており、
決定版全集ともいわれる『グロイター版ニーチェ全集』の編集者マッツィノ・モンティネリは「贋作」とまで言い切っている。(Wikipediaより)
…………………………………………………ただグロイター版というのは、直訳すぎて読みづらいというレヴューをちらと見かけました。
・・取りあえずちくま文庫の方かな。
上下とあってしかも他の本もというのは明らかにキャパオーバー・・でも興味あるし。

10 :
第三部の項目にもなっている「認識としての権力への意志」、「自然における権力への意志」、
「社会及び個人としての権力への意志」、「芸術としての権力への意志」のうち、
一番わかりにくくて興味深いのは、「芸術としての権力への意志」じゃないかな。

11 :
ロリコンで権力を目指せる瞬間って ある
一番輝いてたロリコンの見所を味わえるのは俺ぐらいだ
まさかって、思うんだろうな がっくりうな垂れちまってよお
ちゅ〜がくせい
俺がローリータだって宣言するだけで
家臣どもは俺にひれ伏すんだ
スガスガしー スガスガしー
実にすっきりしてスガスガしい気分だー

12 :
いたのかねーーーー

13 :
>>8-9
ふむふむ。
角川旧版なんかは?

14 :
範馬勇次郎ウルトラスーパーハイパーアルティメットインフィニティエターナルサイヤ人99999に勝てる存在は居ないですよねー!?♪。

15 :
ニーチェはショーペンハウエルを通俗化しただけ。
読む価値があるのは「ツァラツーストラ」「善悪の悲願」「道徳の系譜学」くらい。
こんな本を読むくらいなら「意思と表象としての世界」「随想録」を何度も
読み返したほうがいい。

16 :
シュタイナーによれば、ニーチェはデューリングから永劫回帰のアイデアを得たと言う(シュタイナー『ニーチェ』)。
ニーチェの蔵書のなかにあるデューリングの著書にはニーチェの書き込みが残っているのだ。
ニーチェはデューリングの『厳密な科学的世界観と生命形成論としての哲学教程』(1875年)に対する否定的記述から永劫
回帰の説をあみだしたという(邦訳シュタイナー『ニーチェ』p197)。
まとめるなら、シュタイナーの解釈によればニーチェは、<進化論からは「超人」思想を、そしてエネルギー総和の一定説か
らは「永劫回帰」の思想を生みださざるをえなかった「同時代との闘争者」なのである。>(『ニーチェ』p217解説より)
ということらしい。
ただし、「霊人」ではなく「超人」であるところにニーチェの限界があるそうだ(同書p197)。
実際、『道徳の系譜学』( II:11)や『権力への意志』(ちくま文庫下巻No.792、307頁、No.1066、539頁)でデューリ
ングは批判されている。
ちなみに、エンゲルスは主にこの本に抗するようにして『空想から科学へ』の前身となる『反デューリング論』(1877年、序論
と社会主義論である第三部が後にまとめられた)を書いた。
追記:
若きシュタイナーは、ニーチェの『反キリスト者』という本について、「この本のなかに、私は自分自身の感性を見出
すことができた」と述べている。
http://blog.goo.ne.jp/iruma-kai/e/57cc0aa1c280df47554e5736fdbf0719

17 :
アンニュイ
おれ、だから
差別されてたから
反対に、トップ取らせてくださいよ
少数民族の誇りを取り戻すだからあ

18 :
ニーチェ最強。

19 :
ニーチェは永遠に楽しいですよねー!?♪。

20 :
>>15
通俗化することには大きな価値があると思うんだ

21 :
通俗化=世間一般にわかりやすくすること
ってあるけどニーチェってわかりやすいかなあ?

22 :
>13
角川文庫の『権力への意志』(1952年)と、ちくま文庫の『権力への意志』の翻訳者は、同じ元東京大学教授の原佑という人のようですね。
同じ原佑の翻訳で、1962年に理想社から『権力への意志』が出たようですが・・。
角川のほうは下巻があるのかわかりませんでした。

23 :
原佑の訳文は読みにくい

24 :
>23
では・・誰の翻訳が読みやすいんでしょう?
もうちくま文庫注文しちゃったよ。

25 :
英訳

26 :
>>22
ありがとうございます
ちくまの装丁と手触りがどうしても馴染めない壁・・・

27 :
ニーチェの思想哲学には憧れる要素が有るよねー。

28 :
>26
なんかひどい仕事してますよね。
素人でももっと巧く仕上げるんじゃないのかな。
この田舎の玉ねぎ小屋とかに転がってそうな、腐ったパンかチーズみたいなのは、珊瑚か化石?ですかね。
なんかずっと見てたら気持ち悪くて鳥肌立ってきた・・。

29 :
>>28
角川リバイバルとか、最近の光文社古典新訳も同じだけど、
ちょっと流行そうだからそれ行け量産!!的な何かを感じる
ストイックさに欠けるんだよね

30 :
ちくまは確かに安っぽい・・・ 活字もスカスカで気合が入ってない
のが伝わってくる。表紙の絵も安易すぎる
言っていることは痛いほど分かるんだな、これが
岩波くらいの気合の入りようが一番いいと思うが、それはそれで消化
するのが一仕事になるんだよねぇ・・訳が高尚すぎて難しい

31 :
紙質が妙に白くて気色悪いのもわかる。ある全集を8000円もかけて
買ったが、どうしても違和感を感じてしまい、捨ててしまったことがある。
魂がこもっていない本から知識を吸収するのは、なんか屈辱的なので
やめてしまった思い出がある。 たしかに何となくあわない。

32 :
第三部の「芸術としての権力への意志」と「認識としての権力への意志」は、M.ハイデッガーが『ニーチェ』の中で詳しく解説している。
白水社の『ニーチェ』では、「芸術としての権力への意志」に約250ページ、「認識としての権力への意志」に約200ページを割いている。
「芸術としての権力への意志」が、ニーチェ哲学で極めて重要であることをハイデッガーが説明していて納得できる。
ニーチェの「芸術としての権力への意志」について、ハイデッガーは「芸術」という語を19世紀以前に使われていた語法・意味で「あらゆ
るものの生産能力」という意味で使っている。
政治家が行政や外交をするのも「芸術」と捉え、将軍が戦争をするのも「芸術」と捉え、工場で製品を作るのも「芸術」と捉えた。
本来芸術は感性にもとづくものであり、この感性にもとづく生産能力から旧来の価値体系を転倒しようとする。
感性とは時に激情であり、「力への意志」の「力」も「意志」も本質的に激情であるとハイデッガーは説明している。
この芸術のもつ感性は超感性的なプラトニズムと正反対なものであり、超感性的なプラトニズムを転倒する基本原理であると言っている。
ハイデッガーの説明は分かりやすいが、『権力への意志』第三部の「芸術としての権力への意志」の章のテキストと比べ、検討すべき
部分もあるだろう。

33 :
ニーチェは人生を前向きに積極的に受け止めて解釈する姿勢大好きですよねー。

34 :
アンニュイ
大和がやって来て権利を持ち込んだから、自然と切り離された
自然に権利なんてないのに
アイヌの権利を回復する必要ないよ〜
アンニュイ
アイヌは機会あっても分配少ない?
ダメェ〜?
財産を平等にして欲しい

35 :
http://www.youtube.com/v/6l6GeaEu2XE

36 :
勝ち組の僕にはニーチェのニヒリズムは理解しにくいですよねー。

37 :
>>32 の続き
ハイデガーが使った「あらゆるものの生産能力」−
「権力への意志」は人間の本能的意志であり、力への欲求と不可分であるのだから、「芸術としての権力への意志」も
本能的欲求である。いささか古いと言われるかもしれないが、フロイト学説の文明解釈論に私は留意している。
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精神分析学ではリビドーを、様々の欲求に変換可能な心的エネルギーであると定義している。リビドーはイド(簡単にい
えば無意識)を源泉とする。性にまつわるものだけでなく、より正確には人間の性を非常にバラエティに富んだものへと
向ける本質的な力と考えられている。
(中略)リビドーは非常に性的な性質を持つとして見られる一方で、全ての人間活動はこれの変形としてフロイトは理解し
ている。特に文化的活動や人間の道徳的防衛はリビドーの変形したもの、もしくはそのリビドーから身を守るために自我
が無意識的に防衛したものとして理解されている。(◆)芸術や科学の活動も、リビドーが自我によって防衛され変形した
ものである。
「リピドー」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%93%E3%83%89%E3%83%BC
--------------------------------------------------------------------------------------
>>32
>>政治家が行政や外交をするのも「芸術」と捉え、将軍が戦争をするのも「芸術」と捉え、
荒廃した社会、崩壊しつつある社会を眼前に、「あらゆるものの生産能力」としての激情、即ち「芸術としての権力への
意志」の発動。
『ツァラトゥストラ』では、性欲と権力欲を同時に扱った章があるが、「権力への意志」が性欲と不可分であることは同書など
から理解できる。フロイトと決別したA.アドラーは性欲ではなく権力欲を人間の根本衝動としたが、ニーチェの「権力への
意志」とは性欲と権力欲からなる合成物であろう。
ニーチェの「権力への意志」とは性欲と不可分なリビドーであり、人間を常に駆り立てる激情、「あらゆるものを産み出す
生産能力」としての激情、即ち「芸術としての権力への意志」として自己表現される。

38 :
age

39 :
フィジカルエリートでない痴呆老人が虚弱な肉体と戦い
脳内で如何に王座につくかとう死闘である

40 :
>>37
権力で世界の女をと無想しつづけたニーチェ?

41 :
フロイト的に言えば去勢されていないニーチェ

42 :
>>22
旧版角川文庫の下巻は本当にまぼろしだよねえ
上巻は2冊みつけたけど、下巻はさっぱりです

43 :
姿勢指示器で上とか下とか決められた飛行機に乗りたくないから

44 :
お母さんも同じだよ

45 :
カールは全ての女を諦めてるけど
そこから特に、お母さんとだけは優先的にやるようにって思われたくないから

46 :
カール早くおしっこをして寝なさい

47 :
僕は想像力への意思ですよねー。

48 :
俺さあ 叩きあいまでして 権力に登るつもりないからさあ
権力に登るつもりないから
ブヘヘヘヘッ ブヘヘヘへッ ! って笑うのを止めて?

49 :
障碍の同情をかりて上り詰めた場所ってヤツか!

50 :
有意義な毎日を暮らしてニーチェのニヒリズムを克服するよねー。

51 :
なぜ、そんなに軟らかいのか。
そんなに軟化し、屈従するのか。
なぜ、君たちの目には、
そんなにわずかの青春しかないのか。
君たちの硬さが稲妻を発して
切断し、寸断しようとせずに、
どうして勝つことができようか。
意志するものは硬いのだ。
最も高貴なるものだけが真に硬いのだ。
               ―――― ニーチェ

52 :
あほやさかい わからん

53 :11/11/29
力への意志の希望。

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