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2011年10月1期お茶・珈琲茶経 (578) TOP カテ一覧 スレ一覧 削除依頼

茶経


1 :04/02/21 〜 最終レス :11/03/15

 一碗の茶によって養われる精神もある。
 さあ、語れ。

2 :
茶は芸術品であるから、その最も気高い味を出すには
名人を要す、とかの岡倉天心伯も述べておられるが。

3 :
2げと

4 :
>3 「自性了解」の悟りの境に至らねば
   2げとはならぬ、とも申されておる。

5 :
 ID:FCEc0FnEを並べ替えて、C0FFEEcn
 まだまだ精進が足りませんな。

6 :
>>FCEc0FnE
何気に凄いIDだな。
ところで、このスレは茶経――「茶に関する最古の書。三巻。唐の陸羽の撰。
団茶の歴史や製法・器具などについて述べる。」(大辞林)――について語るス
レということなのかな? >>1 は陸羽スキーなのか?

7 :
千家流茶道の開祖千利休は、秀吉の命により、
天正19年(1591)2月28日に自害した。
その1ヶ月遅れを命日としており、表千家は
3月27日を、裏千家は3月28日を利休忌
として追善茶会を行っている。

8 :
>6
「一碗の茶の湯の中にだって宇宙はあるサ」
ということを申し上げたい次第です。
珈琲、紅茶、日本茶の種類に関わった話
ではありません。ましてや茶器や作法の
話を論じるつもりもございません。
  

9 :

陸羽スキーの意味がよく判りませんが、
陸羽スキーでもイゴール・イワノビッチ・シコルスキー
でもありません。
ただ世界最古の茶書として、中国唐代末
の文人、陸羽が「茶経」(760) 全3巻を
飲茶全般にわたる百科全書として表して
いることは知っております。

10 :
烏龍聞茶で初めてその存在を知る

11 :
こんな話がある。紅茶好きな英国紳士の爺さんと
若者の禅問答のような話である。
ちょうど茶の時間、老人の家の庭先のテラスだ。
茶に誘われた若者が、蒸気の噴き上がるポット
をコンロからおろし、紅茶に湯を注ごうとする
と老人が言う。

「まだだよ」と。

12 :
爺「お湯は沸騰させて、自分の体温の二倍になるまでさますのだ。
  それからはじめて紅茶に注ぐ。何回か教えなかったかな?」
すると若者はポットを持ったまま、
若「何分ぐらい待つんですか?」
爺「それは日によって違う」
若「じゃあ、どうやってお湯が手ごろな温度になったかを知りゃあ
  いいんですか?」
爺「だから、自分の体温の二倍だよ」
若「それをどうやって調べるか判らないんですよ」
爺「君は自分の体温がどのくらいかも判らんのかね?」
   (マイク・ハマーへの伝言 矢作俊彦著 光文社文庫)
手強い爺さんには油断しちゃダメだぞという話である。

13 :
手強い爺さんにヤり込められる前に、
自分の体温はしっかり確かめとこう。
隣りのお姉さんだってしっかり自分
の基礎体温を計っているのだから。

14 :
>>10
中国茶
http://www.huang-inn.com/
茶経と陸羽
http://www.huang-inn.com/cha-kyou/cyakyou.html
香港の陸羽茶屋
http://gnavi.joy.ne.jp/hongkong/jp/c000418s.htm

15 :

 「形式」に囚われると茶を楽しむことができない。
 しかし形式美が精神を愉しませてくれる茶もある。

16 :
手摘みの高価な茶葉を譲ってもらったとしよう。
僅かではあるが、その値打ちに相応しい器に分け
袱紗に恭しく包まれたものを受け取るのと、
コンビニのレジ袋に造作なく分け与えられるのと
では、淹れた茶の味も変わってくるというものだ。

17 :
アメリカである実験が行われた例がある。
コーヒーの味に関するもので、
いわゆるマーケティングリサーチである。

18 :
5つの色の違う缶が並べられている。
黄、黒、茶、赤、青。それぞれにコーヒーが
はいっていて、被験者はそれらを飲み比べた
感想を、アンケートとして答える。

19 :
5つの缶の中身は同じコーヒーであるにも関わらず、
多くの被験者がまんまと罠にかかった。
黄色はまろやか、黒は苦味、茶は酸味、赤はコクが、
という具合にである。視覚、色彩の魔術である。

20 :
晒しておく。IDが変わるのは残念だ。

21 :
色彩や見た目で味が変わるというような話は
枚挙にイトマがない。
五感でいうと、視覚の次が嗅覚、そして触覚、
つまり口にするモノの温度が味覚をかえる。
マ○ドナルドのようなクソ不味いものでも、
徹底した温度管理により、一番マシに食える
状態が研究されているのだから。
近田春夫さんも楽曲。(ミッキーD)の中で
「冷たくなったらマズくて食えない」と
歌っておられる。

22 :
茶の話でした。 加藤茶、ヘンな名前。

23 :
香り命のフレーバーティーの類も
実際、鼻を摘まんで飲むと味はわからないものである。
それでも、昔から多くの人間を魅了してきた不思議な
飲み物。それが「茶」である。

24 :
かつて中国においては茶の道楽がたたって、
散財した男の話があるという。
住居はおろか身包み剥がされても最後まで
風呂敷に包んだ茶道具一式だけは手放さな
かったという話だそうだ。
そうまでして人間を魅了する「茶」の秘密、
それはカフェインにある。

25 :
ヨーロッパにおける茶について最も古い記事は、
アラビアの旅行者の物語にあると言われていて、
879年以後、広東における主要なる歳入の財源
は塩と茶の税であったと述べてある。
(茶の本・岡倉覚三著・村岡博訳/岩波文庫)

26 :
マルコポーロは、シナの市舶司が茶税を勝手に増やしたために、
1285年免職になったことを記録している。ヨーロッパ人が、
極東についていっそう多く知り始めたのは、実に大発見時代の
ころである。16世紀の終わりにオランダ人は、東洋において
潅木の葉からさわやかな飲料が造られることを報じた。(略)
1610年に、オランダ東インド会社の船がヨーロッパに初め
て茶を輸入した。1636年にはフランスに伝わり、1638
年にはロシアまで達した。英国は1650年のこれを喜び迎え
「かの卓絶せる、かつすべての医者の推奨するシナ飲料、シナ
人はこれをチャと呼び、他国民はテイまたはティーと呼ぶ。」
と言っていた。
(上記・「茶の本」より)  美本なり、買って嫁

27 :
茶の味には微妙な魅力があって、人はこれに引きつけられない
わけにはゆかない、またこれを理想化するようになる。西洋人
の茶人たちは、茶のかおりとかれらの思想の芳香を混ずるに鈍
ではなかった。茶には酒のような傲慢なところがない。コーヒ
ーのような自覚もなければ、またココアのような無邪気もない。

28 :
「ひそかに善を行って偶然にこれ(茶)が現れることが
 何よりの愉快である。」(チャールズ・ラム)
 茶道は美を見いださんがために美を隠す術であり、
 現わすことをはばかるようなものをほのめかす術
 である、と喝破して見せるのである。

29 :
日本には729年、聖武天皇奈良の御殿において百僧に
茶を賜ると書物にある。茶の葉はたぶん遣唐使によって
輸入せられ、当時流行の淹れ方でたてられたものだろう。

30 :
801年には僧最澄、茶の種を携え帰って叡山にこれを植えた。
その後、年を経るにしたがって貴族僧侶の愛好飲料となったの
はいうまでもなく、茶園もたくさんできたということである。

31 :
宋の茶は1191年、南方の禅を研究するために渡っていた
栄西禅師の帰国とともに日本に伝わってきた。彼の持ち帰っ
た新種は首尾よく三か所に植え付けられ、その一か所が京都
に近い宇治で、今なお世にも稀なる銘茶産地の名をとどめる。

32 :
南宋の禅は驚くべき迅速をもって伝播し、これとともに
宋の茶の儀式および茶の理想も広まっていった。

33 :
15世紀のころには、将軍足利義政の奨励するところとなり、
茶の湯はまったく確立して、独立した世俗のことになった。

34 :
それ以来、茶道は日本にまったく動かすべからざるものとなる。
後世の中国の煎茶は、17世紀中葉から日本に知られたばかり
であるから、比較的最近に使用しはじめたものである。日常の
使用には煎茶が粉茶に取って代わるに至った。
とは言っても、粉茶は今なお茶の中の茶としての地位を占めて
いるが。

35 :
日本の茶の湯においてこそ、はじめて茶の理想の極点を見ることが
できるのである。
茶はわれわれにあっては飲む形式の理想化より以上のものとなった。
今や茶は、生の術に関する宗教である。茶は純粋と都雅を崇拝する
こと、すなわち主客協力して、このおりにこの浮世の姿から無上の
幸福を作り出す、神聖な儀式を行なう口実となった。

36 :
茶室は寂寞たる人生の荒野における沃地であった。疲れた旅人は
ここに会して芸術鑑賞という共同の泉から、渇きをいやすことが
できた。
茶の湯は、茶、花卉、絵画等を主題に仕組まれた即興劇であった。
茶室の調子を破る一点の色もなく、物のリズムをそこなうそよと
の音もなく、調和を乱す一指の動きもなく、四囲の統一をやぶる
一言も発せず、すべての行動を単純に自然に行なう。

37 :
――― こういうのがすなわち茶の湯の目的であった。 そして
いかにも不思議なことには、それがしばしば成功したのである。
そのすべての背後には微妙な哲理が潜んでいた。
茶道(茶)は道教(禅)の仮の姿であった。

38 :

        ζ
     / ̄ ̄ ̄ ̄\
    /   ⌒   ⌒\
   /    ・    ・ |
   |(6     つ    |
   |    三 | 三   |  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   |    \_|_/  | <   まー、イップクしろや
    \    \__/  /   \__________
   / \ ___/\
  │ ∴∵━━○━∴│      ____
───────────── /∵∴∵∴\────
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     _。_    旦~       /∵∴< >∴∴.< > |
   c(_ア            |∵∵∵/ ●\∵. |
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                   \∵|       |/
                    \|

39 :

  ∧__,,∧         彡彡彡
 (´・д・`) お茶、   (@ー@o;)
 (つ旦と) どーぞ   (⊃旦⊂ )
 と_)_)        (_(_つ

40 :
昔、アラブの偉いお坊さんをも魅了したといわれる褐色の飲料
コーヒーについて・・・

41 :
「コーヒーの日」というものがある。専門の暦を捲れば
「○○の日」の冠のつかない日を探すほうが難しい。
 関連団体と広告代理店による大掛かりなイベントが
 催される場合もある。これらは経済の問題である。
「コーヒーの日」は10月1日。国際コーヒー協定に
よって、コーヒーの新年度が始まるのが10月1日。
それに由来するこの日が、コーヒーの新しい年の始め
になるというのが由緒らしい。
秋も深まりコーヒーが旨く飲める季節に調度よい。

42 :
コーヒーがエチオピアからアラビア半島に伝えられたのが10
〜11世紀の初めといわれている。1258年、アラビア人の
オマールがイエメンの山中でコーヒー豆を発見する。
その後アラビアでコーヒー豆を煎る器具が作られるようになり、
1454年にはイスラム聖職者ゲマルディンにより、コーヒー
が民衆に知られるようになる。

43 :
1600年には、しだいにヨーロッパにも知られるようになり、
アラビア人によりインドの西海岸にコーヒーの木が伝えられた。
1640年、オランダの商人がイエメンのモカ港からコーヒー
をヨーロッパで初めて輸入。1668年に北米に伝えられた。

44 :
1600年には、しだいにヨーロッパにも知られるようになり、
アラビア人によりインドの西海岸にコーヒーの木が伝えられた。
1640年、オランダの商人がイエメンのモカ港からコーヒー
をヨーロッパで初めて輸入。1668年に北米に伝えられた。
1685年にはフランスでカフェオレが普及するようになった。

45 :
>43 → >44 カブった(;汗
1727年、ブラジルにコーヒーの実のついた枝が持ち込まれ、
現在コーヒー伝来の記念の年とされるようになる。
1732年、J・B・バッハ「コーヒーカンタータ」を発表。

46 :
1901年、日本人科学者によってインスタントコーヒーが発明される。
1903年、アメリカでコーヒーの焙煎技術・焙煎機械などの特許が
盛んにとられるようになる。以降、様々な技術による特許合戦が展開。
1906年、アメリカ人化学者が、コーヒーの濃縮液を真空乾燥する
方法(フリ−ズドライ)を開発。
1922年、コーヒーに関する専門書「オール・アバウト・コーヒー」が
ウイリアム・H・ユーカーズによって著された。

47 :
>30
空海は この後ですか? 前ですか? 弘法大師に興味があるのでお聞きしました。

48 :
日本にコーヒーが伝わったのは、1609年(慶長14)平戸に
オランダ商人が和蘭商館を開設し、貿易が開始したときとされて
いる。千利休が茶道を確立した後で、すでに徳川の時代であった。
200年に渡る鎖国の前夜である。

49 :
>>30
空海 COOKAI。四国八十八箇所を巡ったあと、高野山の
金剛峰寺を参ったことがあります。
平安遷都の時代に、皇室や貴族に教養や信仰としてもてはやされ
た密教を持ち帰った高僧で、当時最高のインテリジェンスです。
最澄とは同じ時代に遣唐使として入唐し、専ら密教を学び、
ものの本によりますと805年に最澄が天台宗を、806年に
空海が真言宗を開いています。空海の真言宗は東密と呼ばれ、
対する天台宗は台密と呼ばれました。
当時のトレンドでもあった、現世的欲望(現世利益)をはかる
仏教として、加持祈祷を重んじる密教が持て囃されたようです。

50 :
失礼、>47 >49 です。
日本の歴史とコーヒーの関わりの続きを。
1724年、洋書輸入の禁緩和を受けてオランダ文化に注目が集まる。
オランダ人による西洋のテーブルマナーの講義をまとめた「和蘭問答」
の中に、コーヒーと思われる記述が記載される。
1804年(文化1)ロシア使節レザノフが長崎に来航し、通商を
要求した年である。日本人として初めてコーヒーを飲んだ体験を書いた
太田蜀山人は「コーヒーは焦げ臭くて味わうにたえない」と書いている。

51 :
1826年(文政9)オランダ商館のドイツ人医師シーボルトが
「コーヒーは長寿をもたらす良薬である。」と、『薬品応手録』
の中でコーヒーをすすめた。
2年後、長崎でシーボルト事件(持ち出し禁止の日本地図を帰国
の際に持ち帰ろうとした)のため、国外追放となるが、帰国後、
『Nippon』などを著し、当時の日本研究の第一人者となる。

52 :
>51
文政のこの時代、蘭学者の緒方洪庵が大坂の北浜に私塾「適塾
(適々斎塾)」を開設し、多くの人材を育成し、のちの西洋文化
の吸収の土台が築かれた時代でもある。

53 :
1853年(弘化3)アメリカ東インド艦隊司令長官ペリーが、
軍艦4隻を率いて浦賀に来航する。いわゆる「黒船」である。
日本の開国を強く要求し、翌1854年、強硬な条約の締結を
要求するに屈して、幕府はアメリカとの間に「日米和親条約」を
むすぶ。ここに200年以上に渡る鎖国政策は崩れ去る。
その後、日米修好通商条約、そしてオランダ、ロシア、イギリス、
フランスとも同様の条約を結んだ。(安政の五ヵ国条約)
1858年(安政5)このような流れの中で自由貿易が開始され、
コーヒーも正式に輸入されるようになった。

54 :
1869年(明治2)横浜の邦字新聞に初めてコーヒーが広告掲載。
1878年(明治11)小笠原で初めて国産コーヒーの栽培を試みる。
4年後に収穫となるが、一般の栽培は行われなかった。
1888年(明治21)東京下谷にヨーロッパ風カフェ「可否茶館」が
開店する。しかし4年後には閉鎖。
1910年(明治43)横浜に小売と喫茶を兼ねた不二家洋菓子店開業
1911年(明治44)銀座に洋画家松山省三の「カフェ・プランタン」
同じく銀座に水野龍の「カフェ・パウリスタ」が開店。

55 :
1912年(大正1)喫茶店「カフェ・パウリスタ」が各地に開店。
1934年(昭和9)コロンビアコーヒーの輸入始まる。
このころカフェは全国で約3万軒に達し、女給という仕事が確立した。
芦屋の茶屋之町にもカフェが立ち並び、お妾さんに店を持たせる流行が。
1936年(昭和11)ブルーマウンテン種がロンドン経由で輸入される。

56 :
1939年(昭和14)戦時体制の強化により輸入規制。コーヒー代用品
として、タンポポの茎の汁などが用いられた。
1942年(昭和17)コーヒーの輸入が完全に途絶える。戦時中は統制
会社によりレギュラーコーヒー、インスタントコーヒーが製造され、軍
に納入された。
1949年(昭和24)連合軍放出コーヒーの払下げが行われ、各地の組
合を通じて家庭配給さた。
1950年(昭和25)8年ぶりにコーヒーの輸入が再開さる。品不足の
ために50%に上がっていた税金が、50%に引き下げられた。

57 :
>>56 訂正
 × 品不足のために50%に上がっていた税金が、50%に引き下げられた。
 ○ 品不足のために50%に上がっていた税金が、30%に引き下げられた。

58 :
1953年(昭和28)戦後初めてのブルーマウンテン輸入。
この年、ブラジルで大規模な霜害が起き、国際コーヒー市況が高騰した。
1956年(昭和31)インスタントコーヒーが初めて輸入許可された。
この年、国産のエスプレッソマシンが初登場した。
1960年(昭和35)コーヒー生豆の輸入が全面自由化となる。
この年、国内メーカーがインスタントコーヒーの製造を開始した。
1961年(昭和36)インスタントコーヒーの輸入が全面自由化となる。
日本インスタントコーヒー協会が発足、インスタントブームの幕開け。
1967年(昭和42)フリーズドライ製法による製品が登場。
インスタントコーヒーブームが新しい時代を迎える。

59 :
高度成長と核家族化などのライフスタイルの変化を横軸に
コーヒー生豆の輸入や出荷量、分類などを行なうと分かり
やすいが、喫茶店の数、スタイルの変化、レギュラー・イ
ンスタント・缶コーヒーの分類など、あとコーヒー相場の
分析など面倒なので省略する。
>>27 コーヒーは何かと主張が多いのである。

60 :
歴史を知ったからといって、美味いコーヒーが飲めるワケではない。
コーヒーの美味しい淹れ方について・・・。

61 :
簡単に言ってしまえば、沸騰した熱い湯を使い、
あらかじめ温めておいたカップで飲むのがいい。

62 :
コーヒー豆を手に入れなければならない。好みである。
自分はモカマタリやガテマラを好むが、通常は他人に
淹れてもらうので、よっぽどのことがなければ喧しい
ことは言わない。
コーヒー豆を選ぶとき問題となるのは、ローストと、
挽き売りの場合の粉の粗さである。

63 :
レギュラーコーヒーの場合、淹れる器具によって豆の挽き方に
注意しなければならない。
器具による淹れ方には、
ネル・ドリップ式、ペーパー・ドリップ式、サイフォン式、
エスプレッソ式、その他がある。

64 :
ネルドリップ式とは名前の如く、ネル(布)のこし袋を用いる。
虫取り網のような布の漉し器を見たことがあるだろう。
コーヒーを中挽きにした粉を使い、コクのある味を楽しむ。
8世紀のフランスで始められたドリップ(落し方)である。

65 :
新品のネルの袋を使うときは、煮沸して布に付いているのりを
完全にとることだ。ネルをポットにセットし飲む分のコーヒー
の粉を入れる。湯をしみこみやすくするために、粉の真ん中に
くぼみをつけてやる。
沸騰した湯を弱火で保温(95℃)し、最初はほんの少しずつ、
蒸らすように、次にケトル(やかん)から細い線くらいに湯の
量を抑えながら円を描くように注ぐ。
湯が染み通ってしまわないうちに、少しずつ湯を注いでいく。
2〜3分間位でろ過が終わる。湯の量に注意して。
使ったネル袋は、洗剤を使わずによく水洗いし、完全に乾燥
させないよう水につけ、そのまま冷蔵庫に保管するとよい。

66 :
ペーパーフィルターを使うペーパー・ドリップ式。自分はこれで
淹れている。よく行く美味いコーヒー店がこの方式で淹れている
からである。何より手軽で、簡単かつ清潔である。
コーヒー豆の挽き方は、中挽きまたは中細挽きの粉を使う。
コーヒードリッパーにペーパーフィルターをセットする。
あらかじめ温めておいたポットの上にドリッパーをのせ、
杯数分のコーヒーの粉を入れる。
あとはネルドリップ方式の場合と同じである。沸騰した
湯を少し落ちつかせてから、粉全体にゆきわたるように
少しずつゆっくりと注ぎ、約20秒蒸らしてやる。
コーヒーの粉が膨張したら、泡の消えないうちに1回、
または数回に分けて湯を注いでやる。
2〜3分間で漉し終わる。
使い終わったペーパーは使い終わった粉ごと捨てる。

67 :
サイフォン式とは、フラスコ、アルコールランプ、漏斗、そして
フィルターからなる器具を用いたドリップである。
古い家なら実験道具のような一式があるのではないだろうか?
スコットランドの研究室で誕生したそうだ。フラスコの空気圧を
利用した淹れ方で、フラスコから熱湯が漏斗に立ち上るコーヒー
が出来上がるプロセスが楽しめる。

68 :
コーヒー豆の挽き方は、細挽きまたは中細挽きの粉を使う。
フラスコに人数分の湯を入れ、アルコールランプでポコポコと
いうまで沸騰させる。
ロートにフィルターを固定させ、杯数分のコーヒーの粉を入れ
フラスコに差し込む。
フラスコから沸騰した湯がロートに上がってきたら、竹ベラか
スプーンで、1分前後軽くかきまぜる。
アルコールランプの火を消して、約30秒でフィルターで漉さ
れたコーヒーがフラスコに下りてきて出来上がり。
ロートをはずして、フラスコからコーヒーカップに分ける。

69 :
エスプレッソ式とは、モカエキスプレス(抽出器)を用いた
煮出したコーヒーである。フレンチの食後に出てくるアレで
ある。ヨーロッパ諸国で広く飲まれており、沸騰の蒸気圧を
利用して抽出する。
コーヒー豆は極細挽きの粉を使う。モカエキスプレスなどの
抽出器を用意しなければならない。コジャレた輸入雑貨店で
購入できる。もちろんコーヒー焙煎店などでも。

抽出器の下のポットに湯を入れ、中央フィルターにコーヒー
を入れる。上のポットにしっかりと取り付けて、火にかけて
沸騰させる。蒸気の圧力で熱湯が上がり、コーヒーの入った
フィルターを素早く通過すると、濃いコーヒーが上のポット
に噴出されて、それをカップに注いで飲む。
エスプレッソ、煮出し式として様々な専用の器具が販売され
ている。トルコ式やベトナム式というのもあるようだ。
それぞれの使用方法に従って淹れる。

70 :
ペーパーフィルターを用いた、コーヒーメーカーも
家電メーカーから各種販売されているが、コーヒー
を淹れる儀式として、つまり美味いコーヒーを飲む
ためのプロセスとして考えるとあまりにも味気ない。

71 :
「茶気」という言葉がある。コーヒーが日本に知られるように
なる前に茶道は確立しており、その後、200年に渡って世界
から孤立していた期間、自称をする一助となって茶道の発達に
非常に好都合であった。
茶道が与える影響は、貴人の優雅な閨房にも、下賎の住処にも
行き渡っていた。
田夫は花を生けることを知り、野人も山水を愛でるに至った。
 たかが一碗の茶のためでも、準備を怠ってはいけない。

72 :
コーヒーメーカーで淹れるコーヒーを良く言わないのには
別な理由もある。湯の温度である。これはのちに記す。
コーヒー豆の粉を挽いた粗さについてものちに記す。
出かけなければならない。
今夜、18:55からのTV番組「鉄腕!DASH!!」
で、茶の効用のような特集があるようだ。
ビデオをセットしてもらって出かけることにする。

73 :
豆の種類は好みの問題である。自分の気に入った味を探すことだ。
あとはコーヒー豆のロースト(煎り加減)と粉の粗さ(豆の挽き
加減)だ。
コーヒー豆の挽き方は、粗挽き(荒挽き)、中挽き、中細挽き、
細挽き、極細挽きの5段階に分けられる。すでに挽いて売ってる
パックには包装したラベルに挽き方が表示されている。

74 :
ネルドリップ式の場合は中挽き、ペーパードリップの場合は
中挽きか中細挽き、サイフォン式の場合は細挽きか中細挽き、
そしてエスプレッソ式の場合は極細挽きの粉を使う。
コーヒーの淹れ方によって豆の挽き方を選ぶ。お店で挽いて
もらうか、自宅にミル(挽き器)がある場合には自分で挽い
てみるのもよいだろう。
深炒りのコーヒーは細かく、浅炒りのコーヒーは粗く挽いて
使うのが一般的である。
また細く挽くと味は濃く、苦味が強くなり、逆に粗く挽くと
味は軽く、酸味が強くなる。

75 :
味覚について書く。五感が如何にアテにならないかという話である。
パリから西に200kmばかりのノルマンディの海辺にカキの旨い
町があるという。カキ、牡蠣ね。oyster,フランス読みでl'huitre
それを食いに何時間もかけてその町に向かって、地元の白ワインと
一緒にカキ料理を食って、楽しんでそして家に帰る。

76 :
そうしょっちゅう行けるワケではない。日本で言えば東京から
浜松に鰻を、信州までソバを食いに行くような話なのだから。
しかし、何回行ってもソレが旨いというのだ。 友人を連れて
行っても同じ。とにかく旨いというのである。
ある日、わざわざ行かなくても取り寄せればいいじゃないかと
思いつき、シーズンに地酒と一緒に送ってもらいみんなで食う
ことにした。直送の届いたスグを封を開けてみんなで食したが
期待していたほど美味くなかったって言うんだ。

77 :
結局、わざわざ田舎町まで食いに行ってたから美味い
って話である。その町でしか食えない空気だってある。
また、その町にカキを食うために向かう道中で、舌も
胃袋も準備が出来ているワケである。 時間をかけて、
手間をかけて、骨を折って、無意識の中でも準備をし
ているのである。

78 :
共通する話に思い当たりはしないだろうか? 決して美味いもの
でもないのに、そこでしか食えない個性的なものとなると記憶の
中で美味いものとして残っている。あるいはまた食べたくなる。
経験という想い出は、美しくも醜くも残すことができるのである。
そして感覚という不安定なものは、常に相対的なものなのである。

79 :
ラーメンの話もわかりやすいだろう。わざわざ食べに行く。
今から○○のラーメンを食べに行くぞ、と決める。そして
実際に食べに行く。行列で数十分待たされる。 この間に、
注文する準備、食べる準備、感想を言う準備、友達に教え
る準備が密かに行なわれているのだ。無意識の中で。
これとは別に、その時の感情や体調、あるいは旨いものに
食べ慣れて、舌が肥えてしまうというトラップ・罠もある。
実は全く同じ味の同じモノなのに、自分には味が変わった、
味が落ちたと思える場合がある。対象に対する信頼感とか。

80 :
知人の父親が、若い頃から毎日、新橋のある喫茶店に行って
同じコーヒーを飲んでいたという。お世辞にも理性的哲学者
に見えるようなタイプではなかったが(かなりの目利きで、
美食家ではあったが)、その彼がコーヒーの味で、その日の
コンディションを測ったというのである。
思い込みや誇張もあるだろうが、非常に興味深い話であった。
ある意味で、友人の父親は幸運にも信頼に値する対象を持ち
合わせていて、それによって極めていい加減な自分の感覚を
モノサシのように測っていたのである。

81 :
>72 鉄腕!DASH!!のVを見た。
    面白いとは思ったが、もう少し
    掘り下げて、コーヒーとかの
    実験も見たかった。

82 :
昨日、タマグシのオヤジさんと話をした。
アマチュアだけど筋金入りのカメラマン。
写真なんて記録に残すだけならデジカメ
で十分。デジタルだから修正もし易い。
でも、記憶を残す。写真を創るとなると
何十本使ったとしてもフィルムじゃない
と撮れない絵がある。
手間隙かけて準備して、時期が来るのを
じっと待つ。言葉では説明できない魂の
ようなものを写し込む。何十枚も撮って
たった1枚の絵でも、見る人が見れば分
かるというのだ。

83 :
「幽玄」は自動販売機の取り出し口からは出てこない。

84 :
自らが茶の湯を立ててこそ見えるものがある。
それに如何ほどの価値があるかということも。

85 :
侘びさびですね。京都の方?茶道に通じる方ですか?

86 :
>85 そのような呼び方もあるようです。
   京都ではありませんが関西です。
   通じておりませんがそうあろうと志しております。

87 :
おもしろくて一気に読みました。

88 :
>87 ありがとうございます。
まだまだ茶の話題にはネタには尽きないのですが
如何せん時間が在りません。2chというメディア
を十分に理解していないということもある。
どう表現していいのかという苦悩もある。
何より、自分自身に「知りたい」という欲がある。
人間の根源的な欲求でもあると思うのですが・・・。

89 :
今から自分のために茶を立ててみようと思います。

90 :
マターリと

91 :
>87
同意。おもしろいですよね。
GBcafeさん、茶樹に関して何かご存知のことは無いですか?

92 :
>91 ありがとうございます。
中国の福建にカンプラカン(漢武羅漢?)という銘茶の木があるそうです。
宇治どころか、ワインで例えると「ロマネ・コンティ」に価するほどの
値打ちがあるそうで、茶種としてはウーロン茶?らしいです。
もちろん中国は広いですから本土の人にもあまり知られていないようですが、
ここ10年ほど、機会があるたびに探しています。死ぬまでに一度飲んでみたいと。

93 :
いきさつはどうあれ茶の葉の香りとタンニンに気付き、葉を乾燥させたモノから湯で抽出したものを飲用とするようになった
人類の英知とでも言いますか。また、そんな「茶」の完成形が400年も昔の日本で得られたというのも興味深い話です。
この世に「茶」が無かったとしたら、なんとも味気のない人生を過ごすことになっていたかもしれません。

94 :
NHKアーカイブス
■婦人の時間 この人この道 鈴木大拙」
 1964年(昭和39年)5月21日放送 (12分)
---------------------------------------
「婦人の時間」は昭和30年代に月曜から金曜にかけ、
総合テレビで午後、毎日異なるテーマでお送りして
いた番組です。毎週木曜日には、「この人この道」
というテーマで、当時、各分野で活躍中の著名人と
個性的な聞き手の組み合わせの対談形式でお送りし
ていました。
今回、お送りするのは、鈴木大拙(すずきだいせつ
1870〜1966)。宗教とは何かを語ったインタビュー
です。
鈴木大拙は、自らの禅の体験や仏教研究をもとに、
「禅」を西洋へ伝えようとした人で、禅思想史研究
で有名。 仏典の英訳やヨーロッパでの仏教の講演
などを行い、
史上初の英文による仏教研究雑誌EASTERN BUDDHIST
の創刊に尽くした方です。
この年93歳、しかし世界中を禅の講演で駆けめぐ
っていた鈴木大拙をアメリカに渡る直前にスタジオ
でインタビューした貴重な記録です。
この回の聞き手は評論家の犬養道子さん。


95 :
鈴木大拙の方法は、合理ではなく非合理、
分別ではなく無分別、分析ではなく直感。
そしてさらに無分別による分別になる。
禅の周囲を歩いている西洋人で、どんな
形にしろ鈴木大拙につながらないものは
いない。
20世紀が真に精神的な意味で、東洋と
西洋のの季節であるとすれば、彼
はその真っ只中を生ききった一人である。
物質文明で自ら溺れはじめていた西洋文
明への一喝として、ひとつの思想的事件
であった。
東洋と西洋の間に橋を渡そうとする大拙
の方法論は、両者の共通点をではなく、
相違点を強調することから始められた。
二が一になるところを見極めたいのなら、
同時に一が二になることを知らなければ
ならない。往くだけではない。この場に
再び帰ってきて「人」として生きること
求めるのである。

96 :
合理ではなく非合理、分別ではなく無分別、
分析ではなく直感。
だが、そこにとどまるかぎりでは、ただの
消極的な考えに過ぎない。
そこで無分別による分別ということになる。
二が一になるところを見極めたいのなら、
同時に一が二になることを知らなければな
らない。往くだけではない。この場に再び
帰ってきて「人」として生きること求める
のである。無分別の分別の体得が、そこに
はある。
「これからは日本を世界の中に入れ、世界
を日本の中に入れ、それでいて日本は日本、
世界は世界」であることを望んだ大拙。
英文・日本文をあわせて100冊に及ぶ
著書をあらわし、96歳でこの世を去った。
To do good is my religion;
The world is my home.
(善を成すのがわが宗教であり、
 世界は我が家である。)
  D.T.Suzuki

97 :
禅の思想。
腹が減ったら食事をし、喉が渇けば
水を飲む。ここに禅のすべてがある。
大切なことはただひとつ。
それをやっているのはいったい誰か?
ということだ。いまこれを読んでる
あなた、それが大切なのですよ。
そして、あらゆる場面で「わたし」
自身を問われることになるのです。

98 :
「わたし」は「わたし」以外の何者でもないのに、
なぜ「わたしは誰か?」と問うのか?
生きることが禅だというなら、わざわざ禅寺まで
行って坐禅したりする必要がどこにあるのか?
この種の問いにがんじがらめになってはいないか?
出口を見つけたいなら、問題と共に生きればいい。
答えはおのずから明らかになるであろう。

99 :
禅に生きるのではなく、禅によって生きる。
犬はまさに禅に生きるけれども、禅によって
生きるのではない。禅に生きると同時に、禅
によって生きるのは、人間だけである。

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