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2011年10月1期心と宗教☆ ★ 宗教なんでも@相談箱 ★ ☆ TOP カテ一覧 スレ一覧 削除依頼
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東北顕正会集まれ〜 お題目 第2唱目
日蓮正宗・小川頼宣(妙観講?)と日護会・黒田大輔
イエスは大好き!でも、クリスチャン大嫌い!
GOは神


☆ ★ 宗教なんでも@相談箱 ★ ☆


1 :08/12/29 〜 最終レス :11/12/17
宗教に関する質問、相談、議論はこちらでどうぞ

2 :
>>釈迦は欲を捨て悟ったんでしたっけ?
いえっ、何も悟ってはいないのです。
悟ったと勘違いしただけです。

3 :
>>そのような信仰者が少ないなら一体誰のための宗教思想なのでしょうか?
だからこのように希少な信仰者があなた方を導いているのです。

4 :
>私は霊天上界に於いて10次元でした。
>なぜそんなこと知っているのですか?記憶があるのでしょうか?
記憶と云うよりも魂の叫びです。

5 :
>>釈迦はなんら悟ってはいません。
  悟ったと勘違いしただけです。
  釈迦の唯物教は宗教とは関係ありません。
  一生懸命偉く見せようとする権威は
  仏陀再誕の大川君を見れば理解できるでしょう。
>>それは浄土の教えですか?
事実を語っております。

6 :
>>あなたは凡人でないから高き神理が理解できてると言いたいんですね?
  これとか人を見下す、差別発言ですよ。
  これが貴方の言う創造性のある信仰者の発言には思えませんが
正直な発言なだけです。

7 :
>>釈迦は悟りを得るためにいろんな難苦行をやった。
  だけど、得られるものは何もなかった。
  それで、それらを止めてもとの身体に戻し、菩提樹の下に座し、悟りを得るまでここを
  離れないと誓った。
  つまり苦行という修行は何の役にも立たない、ということです。
苦行とは神からもたらされる創造体験です。
自らの浅知恵で苦行に走りましても無意味な訳です。
釈迦は唯物論者ですから先入観に囚われて過大評価すべきではありません。
大川君が釈迦です。
釈迦がどんな人物であったか創造つくでしょう。

8 :
>>7
おまえに答えたんじゃないんだよ。 おまえに答えたって意味ねえよ、ムダ。

9 :
釈迦が悟った等とぬかす「四諦(したい)」
「四諦」とは「苦諦(くたい)」「集諦(じったい)」「滅諦(めったい)」「道諦(どうたい)」の四つ。
1・人間の生きていることそのものが苦であると知れ
2・苦の原因は欲望と執着であることを見極めよ
3・その原因である欲望や執着を捨て去り滅せよ
54・そのためには八つの正しい道を実践せよ
釈迦は無神論であった為、物に執着した論理を展開しました。
有神論ではこれらは邪道なのです。
1・この世では人生は修行ですから苦はつき物なんです。
2・苦の原因は修行の為に神が用意した環境です。
3・欲望や執着は切れません。
4・八正道は無意味です。

10 :
>>8
もっと勉強して下さい

11 :
>私は霊天上界に於いて10次元でした。
あなたの過去世の名前を教えてください。
それから、関係ないですが中島みゆきの過去世がマグダラのマリアだと
幸福の科学スレで連呼している人がいるのですが真実かどうか分かりますか?

12 :
>>11
名前はわかりません
中島みゆきの過去世がマグダラのマリアな訳ありません。
幸福の科学なんて全部嘘です。

13 :
手塚治虫の過去世がゲーテという説は?

14 :
過去世がどうのこうのの内容は取り扱っておりません。
大川君に問い合わせ願います。

15 :
>>13
今啓示を受けました。
手塚治虫の哲学性はそれ程高くありません。
黒人差別の作品等で問題となりましたが、それを示しております。
ゲーテの哲学性は非常に高い次元にありまして
両者は似ても似てかずの関係と云えます。

16 :
>>982(別スレ)
>釈迦は悟りを得るためにいろんな難苦行をやった。だけど、得られるものは何もなかった。
>それで、それらを止めてもとの身体に戻し、菩提樹の下に座し、悟りを得るまでここを
>離れないと誓った。つまり苦行という修行は何の役にも立たない、ということです。
なるほど、そういうことでしたか、、
>スピリチュアル情報です。精神界の話では常識になりつつありますね。
やはりそうでしたか

17 :
>>2
>だからこのように希少な信仰者があなた方を導いているのです。
もう一度聞きますが、その信仰者はどこにいるのですか?浄土のお寺の坊さん?
>>4
>記憶と云うよりも魂の叫びです。
これは真面目な意見ですか?ならば、単なる思い込みに思えます
>>7
>大川君が釈迦です。 釈迦がどんな人物であったか創造つくでしょう。
これって浄土の解釈?ところであなた今更だけど本当に浄土信仰しているのですか?
それとも他の宗教の人?
>>9
>有神論ではこれらは邪道なのです。
>1・この世では人生は修行ですから苦はつき物なんです。
>2・苦の原因は修行の為に神が用意した環境です。
>3・欲望や執着は切れません。
>4・八正道は無意味です。
欲望や執着は切れない、だから欲望や執着にたいして
どう対処するべきということでしょうか?

18 :
>>982(別スレ)
ちなみに因果応報や輪廻は釈迦の解釈ですか?

19 :
答えは、すべて法華経の中にある。

20 :
何かにとり憑かれてるかも

21 :
>>16
かわいそうに (゚_゚i)タラー

22 :
>>17
>>その信仰者はどこにいるのですか
一応私です。
>>本当に浄土信仰しているのですか
万教帰一です。
>>欲望や執着は切れない、だから欲望や執着にたいしてどう対処
欲望や執着は色です。
心は神の心。
色心不二です。
色即是空とも云う。

23 :
>>18
>>ちなみに因果応報や輪廻は釈迦の解釈ですか?
違います。
輪廻を否定しました、アン.アートマンを主張したのです。

24 :
>>17
>>欲望や執着は切れない、だから欲望や執着にたいしてどう対処
釈迦は、この世のすべてのものは無常にして結局破壊にいたってしまうものに過ぎないのに、
そのことを理解せずそれに執着してしまうことから人の悲しみや苦しみが生じると考えました。
そのために、「定恒永住にして、変易せざるものは、この世には存しないのである」という
理解を徹底すること(覚り)によって執着心をなくし、
執着心が無くなればひとは苦しみから解放される(解脱)と考えたのです。
これは間違いです。
真の善と理法は物質(この世)を媒体として顕現するのである。
神の公正は物を否定した場合、喪失する。
例えば欲望を悪と云うが、欲望や情欲なるものは神の与えしもので、これは本来善である。
これを否定した場合、人類の存続は無い。愚か者はこれに執し、これをやたら規制しようとする。
天界の高低と理法をこの世で顕すものはこの欲望なのである。
すなわち神の公正と理法という最も高きものをこの世で表すものは、
最も低きこの物質なのである、ここに嘘はない。
苦しみの生成の原因は欲望のせいではなく、自己の神の善を知らぬ霊的未熟にある。
これゆえに宗教家は欲望を捨てよ、自我を捨てよ等言い、悪を欲望や自我のせいにしてきたのである。
これでは全人類を真に生かしている「神の理法」が顕現しない。
欲を否定する者は力と数、都合とエゴ、「虚栄の善」の統治をしている。
信仰による万物肯定の道とは云えぬ。

25 :
地獄(苦)は欲望(執着)のせいではなく、自己の善的未熟である。
すなわち金や女の欲を満たしても地獄を創らない者がいる。
物質的欲望を超越し、物質を超えているものが生命の中心にある。
単に欲望を悪として否定していくなら人生上の諸問題について解答を与え得ない。
善的に成熟している者、いわゆる高い精神と善の自得を成就している者の場合、
欲望を満たしても地獄を創らない。この時、欲望や情欲は善となる。
すなわち地獄は欲望より生じるのでは無く、神の心への無知と未熟より生じているのです。
もし欲望を悪とするなら、富を避け女を避け権力、支配の一切を否定する「不自由」を実現することとなる。
この場合、悪から逃亡し、問題の解決から逃げる無責任者を生み天地をわけ自他をわけるエゴイストを
大量生産することになります。

26 :
スレチだったら申し訳ありませんが、30年来の疑問なので
ご存知の方が居られましたら教えてください。
子供の頃に、神戸で神様に助けを乞う言葉として
「ぶーたいふーにーれ」を3回唱えなさいっと
見知らぬご年配から教わりました。
実家の信仰・宗派が何であれ、問いませんという教義だったと
記憶していますが、これも何処かの宗教の布教活動だったのでしょうか?
詳しい方、宜しくお願いします。

27 :
>>22
>一応私です。
あなただけですか?
>万教帰一です。
元の信仰をもったきっかけはどこの宗教ですか?

28 :
>>24
>例えば欲望を悪と云うが、欲望や情欲なるものは神の与えしもので、これは本来善である。
>これを否定した場合、人類の存続は無い。愚か者はこれに執し、これをやたら規制しようとする。
>天界の高低と理法をこの世で顕すものはこの欲望なのである。
>すなわち神の公正と理法という最も高きものをこの世で表すものは、
>最も低きこの物質なのである、ここに嘘はない。
>苦しみの生成の原因は欲望のせいではなく、自己の神の善を知らぬ霊的未熟にある。
ここはなんとなく理解できるね。ただし貴方とは解釈が少し異なると思うけど
欲といってもたくさんある、例えば欲があったから現代科学が発展し、
それにより国民を飢えからの解放につながったわけです。
さもなければ貧困からの解放はなかった。
ただ原爆のように欲の使い方を間違えると人を不幸にもする
また心が欲に支配され欲に振り回されれば、それは不幸そのものである
それはその人の境涯というべきか、その人の考え方、生き方が大きく影響するね
ところで釈迦が欲を捨てるとかいうのは
実は方便で実際は法華経の中に書いてあった気がするが違いましたっけ?
ところで霊的未熟をなくすにはどのようにするのでしょうか?

29 :
>>24
それと俺は何度もいうが死後、来世や天国で救われるから今我慢しよう見たいな思想は好きではない
それは困難に直面したとき、死後を求め、生きる希望をなくさせ現実逃避につながるからである
本来は今救われてこそ本当の救済だと思う。
さもないと命というものをないがしろにしていることにつながりかねない
例えばエホバのように来世やら天国いきかはしらぬが魂が汚れるからという解釈で
輸血禁止は生命を粗末にしていることにつながる
それは来世や天国で救われるという餌を元に現世での命を粗末にしているといえよう。
あなたは神の子の信仰者だからありえないといっているので、まあそれは百歩譲るとして
あなた以外の凡夫ならば困難に直面したとき、あなたのいう思想は
死にたい願望がでる思想だと思いますが
いかがでしょうか?

30 :
あ、そうそう
欲をなくすなんてのは人間の本質ではないんだよね
家庭をもち、財産をもてば欲や執着は生まれてしまう
欲や執着をなくすためには、一人で山に入り仙人みたいな生活しないと無理でしょうね
欲を捨てるのでなく欲を万民のために活かすという発想のが好きだな

31 :
>>27
>>元の信仰
信仰は無いのです。
人間は神性を有しているが為、信仰と云う概念は無用なのです。
信仰を必要とするのはキリスト教で云う処の原罪を持つ者です。
私にはその原罪が無いのです。

32 :
>>28 釈迦と法華経とは何ら関係ありません。
>>29 >>今救われてこそ本当の救済
救われるとは何の事ですか?
誰も遭難しておりません。
 >>死にたい願望がでる思想
日本では年間3万人が自しています。
死後の幸福を期待しての自ではないでしょう。
信仰者は自が魂の逃避だと理解しますから避けるでしょう。
信仰無き者は人生を修行と捉えず、天国だけを求めるならば
死にたい願望もでるでしょう。
自は地獄行きと釘を指す必要があります。

33 :
>>28 >>霊的未熟をなくすにはどのようにするのでしょうか
神に拠る創造体験が起きるのです。
その体験、(修行)に拠って霊的成長があります。
例えばマイホームを持つのが一生の夢で実現したとします。
それが構造偽装で、解体せざるを得なくなったとか。
当人にとっては大きな試練となるのです。
魂の根底から打ちのめされる創造体験なのです。

34 :
今生が地獄なら来生も地獄ですが?
何故なら来生が天国になるための努力を地獄である今生でしてないから
地獄から抜け出す努力しなけりゃ、ず〜と地獄

35 :
現在の苦楽は前世の禍福によるものと信じて我に反って改めることが肝要。
法華経しかありません。

36 :
へぇえ〜、法華経は輪廻転生を認める教えでしたか?

37 :
>>31
>私にはその原罪が無いのです。
なぜわかるのですか?あなたのいう魂の叫びですか?
>>32
>救われるとは何の事ですか?
救われるとは例えば、大病になることで死ぬ不安に苦しむ状態の中
前向きな闘病意欲、生きる希望をもてれるかだと思います。
その結果が治癒という良い方向につながるのだと思いますし
悔いのない人生につながるのだと思います。
それが現実的に救われることになると思います。
死後に天国いけて、今苦しむのが修行だから耐えよう!
という思想は死んだほうが楽ですので現実的に前向きな闘病意欲にはつながらないと思います。
貴方のいう救われるとは魂の成長に何を学んだかですので
その根底には現世で生きる希望や闘病意欲がどうとか関係ないですので

>>33
>神に拠る創造体験が起きるのです。
>その体験、(修行)に拠って霊的成長があります。
>例えばマイホームを持つのが一生の夢で実現したとします。
>それが構造偽装で、解体せざるを得なくなったとか。
>当人にとっては大きな試練となるのです。魂の根底から打ちのめされる創造体験なのです。
それをどのように考え学ぶのでしょうか?
構造偽装メーカーを訴えますか?

38 :
死ぬことが原罪の証拠なのではなく、
生きていることが原罪の証明なのですよ。
原罪とは無明のことですから。

39 :
命あってこその開眼

40 :
>>37
>>それをどのように考え学ぶのでしょうか?
それは回答できません。
それに拠る悟りは個人的だからです。

41 :
>>37
病気が治ることを救われたとは云わないでしょう。
宗教上の救済とはもっと別の意義があるのではないですか?

42 :
>>37
>>>私にはその原罪が無いのです。
>>なぜわかるのですか?あなたのいう魂の叫びですか?
統一教会の講習を受けましてその教義上(堕落論)の原罪を学びました。
原罪とは妬み、嫉み等の自ら制御不能の意思の事で人類の遺伝との教えでした。
その原罪ゆえに神との隔離が起きたとの事。
再臨のイエス(無原罪)である文鮮明に従う事で人類の再生を図る(復帰原理)
思想が世界キリスト教統一神霊教会なのです。
人類史上 文鮮明 のみが無原罪との教義ですが、
私もそのような原罪(負の感情)を持ち合わせておりませんので
統一教会は邪教であると判断したのです。
仏教に於いても、悪しかできない凡夫、・後生に一大事あり・とか
原罪に似た教義が有るようです。

43 :
>>37
闘病意欲と云われますが、信仰者には大病が起きないのです。
闘病の必要も無い訳です。

44 :
そんなことないですよ。信仰者のほうが病気になっています。

45 :
>>26
回答が無いようですが、いずれにせよ
神様に助けを乞う言葉は無意味だと思います。
狐、狸に獲り憑かれる危険もあります。

46 :
誰も答えられないだけだと思うが。俺も知らないし
どの宗教かを聞いているだけで宗教の性質を聞いてるものじゃないだろ

47 :
社会正義を重んじています。

48 :
社会正義とは多数決ということですか?
正義とは立場によって曖昧なものですが。

49 :
>>45,46
ありがとうございます。 ググっても私と類似の案件が
1件しか掛からないし、マイナー系なのかも知れませんね。
皆様、どうぞ良いお年を。

50 :
>>48
社会正義とは神の絶対正義です。
つまり私の絶対正義です。

51 :
50は全然分からん。喩えを出してくれ。

52 :
全ての善の源である神の心と全ての悪の源である神の体は、物質宇宙は神の表現体で善悪不二です。
大宇宙は神の一大倫理表現であり、人類普遍の価値基準(絶対正義)とは、
この大宇宙の存在とその権威にのみあります。
全てはここから始まります。

53 :
その権威(絶対正義)は信仰者と一体となります。
大宇宙の神の心と我(われ)が一体化している感覚が非常に強い段階であり、
神と我を切り離して考えることができない。
我がいるとは、神がいるということであり、神がいるということは、我がいるということである。
我がそのまま大宇宙の理法であるといった悟りで出ます。
王陽明のように「わが心の発動が理である」、
あるいは孔子のように「おのれの欲するところに従って矩(のり)を超えず」といった悟りで出ます。
おのれの欲するままに生きて「矩(のり)」を超えないのは、孔子と矩が一体化しているからです。
ひとつであるから超えようがないわけです。
「われは道であり、神理である。我は世の光である」とイエスも述べていたと思います。

54 :
あくまで理想を語るのは結構ですが。
人間社会には高低・強弱・貴賎が現実に存在する。
従者は常に正義を選択できない。
孔子はのりを超えずと言ったのは70歳を超えた話。
王陽明も優秀ゆえの苦悶の人生であった。
かの賢者を例に出しても凡人では到底かなわぬ。

55 :
真の平等とは。
スピノザは「万物は神の差別相」と言い、私は「物心は神の差別相」と言いました。
肉体を捉えても同一平等の肉体はありませんし、人格を捉えても個性ゆえに同一平等の人格はない。
法の下における平等にしろ、ある国では人権が重んじられるがある国では重んじられない。
国々の法制度自身も時代と共に変化していくものであるゆえに、いつでも万人に対して平等とは言えない。
物質と自我同一性としての生命を捉えている限り、平等はない。
平等というのは唯一であり、これしかないというものです。
これは過去・現在・未来の人類の中では一つしかありません。
もっと言えば全宇宙に住する霊人一人残らずに共通妥当するものでなければならない。
つまりこの宇宙に住する限り、一人の例外もなく、完全に平等で完全に同一であり、
時間の流れの中にあっても変化することなく、万人に対して欠落や差異が全くなく、
完全に同一平等でなければならない。
これは我々には一つしかありません。個々人の生命の中心に在って、宇宙と直結している神の存在のみです。
生命のど真ん中にある神の存在のみです。これ以外「永遠の平等」は一つもありません。
平等をもし認めないというならば、各人はバラバラであり、「統一なき多様性」となり、
人類はただ地球にはびこっているような卑しい存在となります。
神の存在においてのみ永遠に平等なわけです。
そしてこの平等の神の心に従って自由を行使した時、全人類は自由となる。
神の存在は認めざるを得ないはずです。
これを否定した場合、我々には平等と共通性が永遠になくなるからです。
一方で平等を語り、他方で神の存在を否定するならば、その方の言う平等は嘘であるということです。
神の存在を無視して平等はどこにも存在していないからです。
平等観からも必然的に神の存在は要請されます。
平等はこの宇宙ではこれしかないからです。

56 :
平等と逆の自由観から述べても結構です。自由は主に差別相を表現します。
ある者は10の努力をし、ある者は100の努力をする。
個々人がどう努力するかはその者の選択と意志に関わっておりますので、
誰がどういった努力をどのぐらいするかは分かりませんし、
同一平等の努力をする者もおりませんので、結果として差別相が表現されます
かつてエマソンは「あらゆるものには段階と度合いがある」と言いました。
何故でしょう。段階と度合いがあるということは、どこかに向かっているわけです。
どこかに向かっているから、その過程で段階と度合いがあるわけです。
神の正義以外の価値や対象に向かっているのであるならば、自我は必然的に利益と快楽を求めますので、
これを求めても段階はあるでしょうが、利益は握った瞬間、対立を生み、その対立から上下、勝敗、苦楽、優劣を生み、
その苦楽から悪が増大して克服できない者は地獄に落ち、この世では犯罪や精神病、苦悩や経済の没落、
悪魔の跳梁跋扈に環境破壊、飢餓や癒着、傲慢や憎悪が無制限に表現されてくるでしょう。
もしそれが人生の目的であるならば、宇宙は存在しておりません。
憎悪や苦悩は自他の存在の否定です。
存在そのものの否定が悪ですから、宇宙が存在しているということは目的はこれらとは別にある。
かつてプラトンは宇宙の存在そのままが善であると言いました。
悪の本性は存在の自壊性ですから、宇宙の本体、人類の本体がもし悪であるならば、存在しておりません。
悪は存在の否定がその本質ですから、存在しているということは善であると言うことです。
正義に向かう段階と度合いのみが在るといえるでしょう。
その究極は分からなくとも、現実に段階と度合いがあるという点は理解できるわけです。
段階と度合いがある限り神に向かっているとしか結論づけようはない。
各段階と度合いがある限り、自由からも共通の目的である神の存在が要請されるということです。

57 :
西田哲学にありますように
「実在の根本的形式は一なると共に多、多なると共に一、平等の中に差別を具し、差別の中に平等を具するのである」
という平等即差別が正しい実在の公理であると思います。
宇宙の仕組みもこの公理に基づいて整斉運行しております。
そしてこの「完全永遠に平等」なる神の心に従って「自由」を行使した時、全人類は自由となる。
少なくとも今の民主主義が矛盾しているのは理解できると思う。

58 :
茨城にある正覚山正信寺ってどんな感じ??

59 :
「ジゾウカイ」について知ってる方はいますか?

60 :
こっちのが良いかも。
☆ ★ 宗教なんでも@質問箱 11 ★ ☆
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1230709603/

61 :
>>58
何か問題起きましたか?

62 :
>>60
ありがとう。気付かなかった。

63 :
>>59
オール、カタカナの名は珍しいです。
そして怪しさ満点です。

64 :
真の平等を詳しく説明して下さい。

65 :
     , - ' ゙    `` ‐ 、_,,,,,
   ,r'          /=ミ
  /           彡ll',''´
. /             彡lll
 !-- .、    ,、、、、,,,   彡lノ
 l,,,,,__ /   ___     'r''゙ヽ
. |`゙'' ./   `'゙'''"    .〉,l |
 |.   ,'           //
. ',. ,'           , r'
.  ゙, ゙'ー ‐`      l  |
   ゙、''゙ ,,、二''‐    ノ  l、
''''''''7'ヽ  '''    /   /`〉`゙T''''''''''
  l  ` 、,,,,、- ' "    / /.|  |
.  |  |  .l i       / ./ |  |
  |  |  | l      / ./ .|  |
. |  |   | l     / /  |  |
 |  |   | ',   / /  l  .l
【ゴールデンレス】
このレスを見た人はコピペでもいいので
10分以内に3つのスレへ貼り付けてください。
そうすれば14日後好きな人から告白されるわ宝くじは当たるわ
出世しまくるわ体の悪い所全部治るわでえらい事です

66 :
>>64
真の平等とは個々人の生命のど真ん中に宇宙の本体と連結された神の存在がある。
この一つの神の心から分かれ、無数に派生している生命が人間であるゆえに人間を神の子というわけです。
従って我々個性を有した人間生命の源を辿っていけば、共通普遍の神の存在に行き着くわけです。
全く共通同一の神につながっているゆえに、神においてのみ人類は永遠に平等と言えるわけです。
実相の平等が真の平等です。これを現象の平等にすりかえているのが現代です。
つまり神が存在しないならば、人類には共通普遍の存在、平等はないということです。
これにおいてのみ平等だからです。
神の存在を認めない方は人類の共通性を否定している方と言えます。
共通性を否定しているわけですから、善や正義の意味はその方にはありません。
正義は万人に普遍妥当するから人は求めるのです。
神を否定したり、無神論だと堂々と言われる方の主張する正義や善はインチキだということです。
神を否定した場合、我々人類からその共通性が失われるからです。
人格を捉えても個性ゆえに平等はないし、肉体を捉えても同一の顔や肉体などはない。
物心は神の差別相です。
そしてこの平等の中に差別を具し、差別の中に平等を具していると主張しているのが西田哲学です。
この差別も現代では偽者の差別を差別と言っている。
平等も差別ももともと現代では偽者の平等と差別になっておりますので、
中々この西田哲学の意味は理解しづらいかもしれませんが、
たとえば平等も現象の平等にすりかえておりますが、差別も多くは現象の差別にすりかえて認識しているのです。

67 :
>>64
俺はたった一つだけの平等に与えられる真の幸せを知ってるぜ?w
それはバカ笑いだよwwwww
腹ん底から笑ってるヤツが、その時に不幸を考えるか?w
だから、生と死だけが平等なんて言うヤツは信用ならねぇ。
世の中には生に困惑し、死に悲しむヤツは沢山居る。
幸せになりたきゃ、笑える努力をするんだな。
誰かを幸せにしたいなら、笑わせるんだな。
笑う門には福来るとはよく言ったもんだwwwwwwwww

68 :
笑いだけじゃーねー(@@)
>>66の続き
宇宙は「生命と物質」によって構成されているわけですが、物質の平等と物質の差別にすりかえて認識しているため、
平等も差別も偽者になっているということです。
一般的に「差別」と言いますと多くは悪、ないしは嫌悪の感情があると思います。
この原因は生命ではなく、物質を基準とした差別を差別と言っているからです。
たとえば物質と言いますと肉体です。
肉体という物質を基準としますと、肌の色が黒いとか白いといった人種差別があらわれます。
ほかには問題などの原因も肉体です。そこのに肉体をもったというだけで差別する。
あるいは物質の意味する利益や快楽を基準としますと富や収入の多寡によって人格を差別する。
現象ですと地位の上下、学歴、職業の貴賎など相対的比較から生ずる差別、
あるいは国力という力を基準としても差別が生じます。
この世では大抵、物質と現象を基準として差別が生じておりますので、一般が嫌悪するわけです。
その嫌悪はそれはそれで正当なものだとは思いますが、この物質を基準とした差別と天界の差別相を、
同じ差別という言葉を使いますので混同して認識しますと、それは全く違いますよということになるわけです。
天界の差別相はこの世の人間が認識している物質や現象を基準として生ずる差別相とは根源から異なっているのです。
この世では物質を基準として様々な差別が生じておりますので、これへの嫌悪から差別はよくないとし、
人によっては何でも平等にしようとするのですが、やってごらんなさい。他の問題が生じてきます。

69 :
天界の差別相は物質ではなく、生命を基準とした差別相なのです。
この点がこの世の差別相と天界の差別相の決定的な相違点なのです。
基準が全く逆なのです。この点が理解できず、今回、二万人しかいない菩薩が一人地獄界にひきずりこまれたのです。
その方は一流大学出であり、IQも高く、霊格も菩薩であり、優秀だったのでしょう。
ところが現代人の多くの人たちのように現象の平等と現象の差別という偽者の「平等と差別」のあやまりを理解できず、
現象や物質観で生きていたわけです。
一流大学ですから、三流大学出の人間を下に見たり、軽んじたりして内面で快楽にふけっていたわけです。
「俺の方が優秀だ」と。一流大学の人が快楽にふけるのは、三流大学の人がいるからです。
一流企業の人が快楽にふけるのは三流企業の人がいるからなのです。
同じ神の子を下において快楽にふけっている、その相対的比較観がその菩薩を死に追い込んだ元凶と言えます。
自分よりも劣る人間を眺めたり、作っていないと自己の安心や平安が得られない心性は決して菩薩のものではありません。相対的比較観は物質観です。
物質を基準として生きてきたため、その比較から一流企業と三流企業を比較し、次に快楽のある方を選択する。
その優越感に日々ふけっていたため、自分の霊格が如来よりも劣ると分かった時、また比較するわけです。
「俺は常に一番だと思っていた。しかし生涯生きても如来よりも上に行けないのだ。
地位や名誉ではなく、人格という一番価値があり、大切な基準で自分は如来よりも劣るのだ」
常に比較観の中で生きておりますと、その者はその同じ比較の基準に従って如来との関係から
劣等感の苦しみにあえぐわけです。

70 :
優越感と劣等感はコインの裏表です。それは今まで人間や世界をどう見てきたのか、比較から生ずる快楽にふけり、
自我にふけり、物質観にふけっていたその者の内面が問われたわけです。
その自己との戦いに敗れて地獄界に引きずり込まれたようです。
「吸血鬼」という魔物がおります。これは物質観とその性質である相対的比較観が生む魔物なのです。
一流大学と三流大学、一流企業と三流企業、優劣、勝敗、苦楽、上下を比較して快楽のある方を選択しておりますと、
三流大学や企業、劣る者、敗者、苦悩、下の者を見ていないと快楽と安心が得られないのです。
これは他の生き血を吸って生存している吸血鬼と同じです。
他を下に置き、他の生き血を吸わなければ生存しえないわけです。
外部を生命の基準として生きておりますとこの魔物が生命に巣食うわけです。
これは犠牲ありの世界であって、神の心とは言えません。まずそういった菩薩はいないからです。
菩薩というのは、神の心を基準としております。その生命の基準が外部にないのです。
相対的比較の基準ではなく、生命のど真ん中の神の心を基準とした絶対観の基準で生きているのです。
菩薩は神の心をまだ十分知りませんけれども、悟った分だけの神の心、
神の正義と愛を実践しうるところから来る自信がその根源なのです。

71 :
この世の人間は比較から来る自信を自信と言っているようですが、天界は違います。
つまり一流企業や大学と三流のそれを比較して「俺の方が優れている」といった自信ではないのです。
これは過信です。その方は人生の意義も正義も宇宙の意味も何も知りません。
問うて御覧なさい。知りませんから。にも拘わらずうぬぼれているわけです。
菩薩の自信は神の心を実践しうる生命の中から出てくる自信ですから、たとえ自分よりも劣る神界人がいようが、
自分よりも優秀な如来がいようが、そこに優越感も劣等感もないのです。
神の心を基準とし、物質を握って比較していないからなのです。
ただ我は神の心を知っている、そして実践しうるところからくる自信をその根源にもっております。
ここら辺から神の心を心として活動している。
物質観、いわゆる相対的比較の自信とは違います。これは物質観であって、そういった菩薩はおりません。
ところが今回、菩薩がこの物質的比較観に捉われ、一人地獄に行ったようです。
一般と共に普通に生きていたならば、地獄に行くこともなかったのでしょうが、
なまじ霊道を開いたため今までの間違った人生観や世界観がその菩薩を直撃したようです。
天界の差別相はあくまで神の正義と心を基準として、これをどこまで知っているか、
悟ったのかによって差別相が決しているため、
この世の物質観から生ずる差別とは根源からその基準が違うということです。
それをこの世の地位のように物質的比較観から如来の方が菩薩よりも偉いとか比較しておりますと、
これはプロとは言えません。
如来ならば如来らしく文明の源流になりうる神の法を説けと、菩薩ならば菩薩で如来を助けて神の心を実践しろと、
できなければ如来でも菩薩でもないということです。

72 :
地獄に落ちた菩薩は、もはや菩薩ではないのです。あの世の地位はこの世では絶対のものではない。
この世の差別は外部に基準を持っているようですが、あの世の差別は内部に基準をもち、
それが正確に神の心の基準にかけられているということです。
つまりこの世の差別は物質を基準としたものが多いようですが、あの世の差別は神の心を基準としているということです。
西田博士が言う平等と差別はこの実在の方式上からの平等と差別の関係を述べていると見て間違いないわけです。
この世の自信は物質観、天界の自信は絶対観、この世の自信は相対的比較観、
天界の自信は神の心を実践しうる点から生じている自信ということです。
そしてこの物質観がこの世の腐敗の根源的原因であるということです。
われわれは今後も物質を心の基準として生きるのですか。あるいは生命を基準に生きるのですか。
少なくとも「生命と物質」の宇宙的見地より述べますならば、物質観とそこから必然的に導かれます相対的比較観から
生ずる様々な思想や感情が世界の腐敗の原因になっていることは間違いないのです。
ならば宇宙において神は人類に何を期待しているのでしょうか。
宇宙は神の表現体です。宇宙のみが人類に生き方を教えていると言えます。
我々の模範は方便神でも特定の人間でもないでしょう。
神(宇宙)のみが我々の永遠の模範と言えるでしょう。

73 :
質問です。
仏陀の教えとはどのようなものですか?
幸福の科学の大川隆法は仏陀の生まれ変わりなのですか?

74 :
>>73
その話題はここでは荒れる。こちらにしては?
☆ ★ 宗教なんでも@質問箱 11 ★ ☆
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1230709603/

75 :
>>73
釈迦が悟ったと云う「四諦(したい)」
「四諦」とは「苦諦(くたい)」「集諦(じったい)」「滅諦(めったい)」「道諦(どうたい)」の四つ。
1・人間の生きていることそのものが苦であると知れ
2・苦の原因は欲望と執着であることを見極めよ
3・その原因である欲望や執着を捨て去り滅せよ
4・そのためには八つの正しい道を実践せよ

76 :
実に釈迦は悟りになっていないのです。
1・人間の生きていることそのものは幸福なのです。
2・欲望と執着はそれなりに必要であり、苦の原因ではありません。
3・欲望や執着を捨て去る必要はありません。
4・八つの正しい道は邪の道に過ぎません。

77 :
釈迦は父親が国王であった為、皆が釈迦の教えに批判できなかったのです。
釈迦は一生懸命に偉くなりたいと考えました。
そして再び日本に生まれ、父親である善川三郎の霊言シリーズが大ヒットして、
その影響で教祖になり、再び偉くなりたいと云う人生を送っております。

78 :
年賀状に南無阿彌陀佛って書いて送ってきた人がいるんだけど、年賀状に南無阿彌陀佛って書くの普通なの?

79 :
>>78
余ほど浄土真宗に入れ込んでる人物かと・・・

80 :
>>77
えっー、、
そうですか?
釈迦は偉い人だと思っていましたが、只のアホなんですか?
釈迦がアホだから大川氏もアホだと・・・

81 :

82 :

83 :

84 :
東と西はどうちがうのか?

85 :
>>84
天下の趨勢は徳川家康の手に落ちていました。
家康は京都七条烏丸に寺基を寄進し本願寺を建て、隠居されていた教如上人を招きました。
時の天皇陛下の勅許を賜り教如上人はこの本願寺に入ることとなりました。
ここに本願寺は二つに分かれ、その位置から准如上人の堀川七条にある本願寺を西本願寺といい、
教如上人の烏丸七条にある本願寺を東本願寺と称するようになったのです。
統治能力に優れた家康は、本願寺を東西に分かつことによって、
本願寺の力を二分し、幕府の基礎を安泰ならしめたのです。
 
 ここで私たちが覚えていなければならないことは、
親鸞聖人御一流の御法義に食い違いが生じて東西に分かれたのではないということです。

86 :
本願寺は葬式仏教に成り下がっていますので、
社会的な存在意義は皆失しているとみて良いでしょう。

87 :
阿弥陀仏とは何の事でしょうか?

88 :
阿弥陀如来の事でしょ。五智如来の一人

89 :
五智如来の一人とは人間の事ですか?

90 :
阿弥陀如来の何を聞きたいの?

91 :
阿弥陀如来とは何の事ですか?
質問の意味分かりませんか??
神ですか、人間ですか・・?

92 :
>>91
お答え致します。
浄土真宗の阿弥陀仏は神と云う意味です。
キリスト教の神と同一です。
阿弥陀(アン)(ミータ)アン→否定 ミータ→計測
つまり計測不能仏で無限エネルギーで神です。
浄土真宗とキリスト教とは同一の神への帰依を教えております。
「なまんだぶ」=「神に栄光あれ」

93 :
詳しく解説すると・・
浄土宗では「南無阿弥陀仏」ともうしますが、多くの人は「南無阿弥陀仏」という言葉の意味を知りません。
佛となったものは永遠の存在です。永遠と言うことは測ることが出来ないと言うことです。
測ることが出来ないと言うことを古代インド語で「アミータ」と言います。
「ミータ」はメーターと言うことばと同じ語源で「測る」と言うことを意味します。
「ア」は否定を意味する前置詞であり、「アミータ」とは測ることが出来ないという意味になります。
「ブッダ」は覚者(覚った者)の意味であり、「佛」と同義語です。
「永遠の佛」これが「アミータ・ブッダ」です。
永遠の存在、計測不能仏をキリスト教では神と表現します。
南無とは帰依、神に帰す、神に全てを捧げる、神に栄光を帰す、捧げる。
 故に なんまんだぶ=神に栄光あれ 

94 :
宗教って、なんのために存在し続けるのですか?
弱者の生きる意味?政治の道具?その両方?
本当に神様は居る!?
どうなんでしょう?

95 :
成人式に出ない宗教って創価以外にありますか?
先日宗教の勧誘を受けたんですが(何教か聞かなかった)その人たちが成人式にいなかったので…

96 :
>>94
宗教とは宇宙の仕組みを示す教えです。
今の地球人類に於いては神への信仰を伝える意義があります。
神は存在します。
人生の意義はこの世で修行して死後に神の世界である霊天上界で幸福に暮らす事です。

97 :
>>95
ものみの塔です。

98 :
>>94
テクノロジーと同じように人が幸せに生きる為に、その為だけに存在します。
テクノロジーと同じように虐したり搾取する道具に使う事ができます。
命あるうちに幸福になる方法が分からなければ死後も同じ事を繰り返す事になります。
神、仏、精霊など超科学的な存在は実在します。強く求め祈る事で確かめられます。

99 :
>神、仏、精霊など
人によって呼び方は様々だけどね。

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