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2011年10月1期心と宗教【仏教】99%の経典は偽経・偽書です!
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金光教★こんこうきょう★12代様
統一教会スレッド常駐工作員・薮下健文
こんな仏教徒・仏教教団はイヤだ!
幸福の科学のすばらしさと、創価学会の反社会性2
【仏教】99%の経典は偽経・偽書です!
- 1 :09/12/02 〜 最終レス :12/01/05
- 言うまでもなく「経典」(きょうてん)とは仏教の聖典とされるものである。
当初は釈尊の死後3〜4度にわたる結集と呼ばれる集会にて教えがまとめられ、それは出家信者に口頭で伝えられた。
文字に起こされた経典と呼べるものはやっと紀元前後、つまり開祖である釈尊の死後300〜400年後からのことである。
そのうち内容で分類すると、釈尊の言葉を記録したとされる「経」、規範である「律」、経典の解釈である「論」の3種に分けられる。
しかし、結集の3回目が行われた時点で、すでに上座部と大乗に分裂しており、おのおのの説くところは相違があったとされる。
そして全ての経典は「如是我聞」(にょぜがもん、つまり、わたしは釈尊からこう聞いた)という枕詞をつけることにより、
自らの宗派、団体が創作する「偽書」に釈尊の言葉であるという正統性をもたらせた。
現在最も古い経典と言われるパーリ5部ですら、釈尊の直接の言葉はその内の数行に残るのみだろうという研究結果すらある。
日本での経典(特に経や律)の権威は「命をかけて伝えられた、はるか古代より西方からもたらされたありがたい釈尊直々の言葉」とのものであることを考えると、
それが偽書であったことの衝撃は仏教界にとって計り知れない。
我々一民間の仏教徒はこのような事実を正面から受け止め、まず「全て経典は偽である」と認めたのち、
既存の経典やそれに立脚する様々な仏教団体の権威を否定するところから仏教の復興を望むべくしかない。
- 2 :
- 20世紀にハワイの洞穴より発見された、ありがたい経典
「ダイアモンド・ヘッド経」より。
我是の如く聞けり。かつて霊鷲山にあった時、釈尊は十万すべての存在を集める集いを起こした。彼は無言のまま非常に長い間座っていたが、
アーナンダがとうとう待ちきれなくなった。「世尊よ、どうかあなたの言葉で我々に恵みを与えてください」と、彼は言った。
釈尊はアーナンダの頼みに対して、穏やかな眼差しで長く見つめ返したが、ついに語りだした。
「時が経ると、わたしの教えに混乱が生ずるであろう。わたしの法の明確さに陰りがでるであろう。
そして教える者は、わたしの真理が理解を超えていると言い出すであろう。それにもかかわらず、多くの師たちは違ったことを言いだすであろう。
ある者はわたしがこのように言った、別の者はわたしがあのように言ったと言いだすであろう。全員が、わたしの言ったことに著しく確信を持っているが、皆言うことが違う、ということになろう。
わたしの言葉はこのようにさまざまな形をとって、この山を越えて広がるであろう。
そしてもっともふさわしくない場所に伝わり、もっともふさわしくない人びとに語られることになるであろう」。
<後略>
- 3 :
- 儒教 は 子曰く(先生は仰った)
キリスト教 は イエスは語られた
仏教 は 如是我聞(私はこのように聞いた)
であり、不思議なことに、すべて聞き書きである。
つまり孔子もキリストも釈尊も、自分は教祖となる
意思はなかった。すべて弟子たちがでっち上げたもの
である。
その意味において、論語も聖書も諸経も信ずるに足ら
ないと言える。
- 4 :
- んま、テキストだから。
- 5 :
- >>3
孔子とキリストに関してはそうだが、釈尊は意思を持って団体を率いバラモン教とは違う概念で改宗させていたと思うが。
教義に関しても単に物に記すといった概念が存在しなかっただけで、法の重要さは繰り返し説いていたとされる。
それと重要な部分を見逃している。
論語は後漢時代(紀元前後)にまとめられ、その後増えはしない。
新約聖書はキリストの死後すぐに書かれ、公会議と呼ばれる制度によりどこまでがキリスト教のドグマかを定めている。
有名なのは三位一体ではないとキリスト教ではない、など。
こうして、外典の部位は定められ、基本的にどのようなキリスト教の団体も使っている新約聖書は27書で構成されている。
仏教経典のみ、無限に増えていく。教義の確認は4回のみ。
それ以降は放置され、何が仏教かも曖昧になった。
誰が書いたかによらず、便宜的に「ここからここまでが我々の宗教であり、それ以外は違う」としたのがその他の宗教であり、
「すべての経典は釈尊直伝」と誤った解釈のまま来てしまったが仏教。
これが大きな違い。
仏教には輪郭が存在しなくなってしまった。
- 6 :
- 仏典において、もう一つの問題は、漢訳において象形文字を
使用することによって、象形文字本来の意味が原経の意味に付加
される、本来の意味と変わってしまう場合を避けられない。
それと、漢文は五言絶句、七言絶句などの形にもとの経を収めるために
無理をして、切り詰めたり、敷衍したりと、原意をゆがめている。
従って漢訳は信用できない。中村元さんの原典訳が最も信憑性がある。
中論などは、原典訳と漢訳とは驚くほどの相違がある。
- 7 :
- >>5
釈尊はバラモンの改革(派)であって、仏教という新しい宗教を
創立するつもりは無かったと思う。
キリストがあくまでユダヤ教であったように。
- 8 :
- >>7
釈尊はバラモン教徒に「改宗の必要はない。ただわたしの説く法に依りなさい」と話したと記されている。
これはつまり釈尊生前当時の概念でも、バラモン教からは既に独立した別の宗教であったと自認していたわけです。
バラモン教は神に捧げる儀式を重要視し、そのため祭祀を司るバラモンを崇めた。
この儀式を否定した釈尊の教団は既にバラモン教と認識されてはいない。
- 9 :
- >>2
>20世紀にハワイの洞穴より発見された、ありがたい経典
ジョージ・タナベさんはこんな設定をつけていたのか。
- 10 :
- >>8
その仏語自体が創作されたものと思われる
が。つまり教団の営業コピー。
- 11 :
- 1%は本物、これだけで十分です。
- 12 :
- >>9
序文としてもっと長いものがある。
ちなみにこれで作者が伝えたかったことは、経典は誰にでも書ける、ということ。
仏教のそういった仕組みは悪いことではなく、むしろ皆積極的に自分の思うところを経典として書くべきである。今までの経典の作者がそうしてきたように、との趣旨だそうだ。
> 1958年7月22日、私と叔父は、ハレイワの上手にあるコオラウ山の山中深く分け行った。
<中略>
日帰りの予定であった。しかし最近降った雨のため、道は膝までつかるぬかるみで、行程は遅々として進まなかった。夕暮れになり、小雨が途切れなく降っており、目的地は、まだまだ遠かった。
軽装の私たちは薄れ行く陽の光を頼りに岩だなの方へ向かった。すると、驚くほど大きな洞穴に行きあたった。
<中略>
私たちはトーチ代わりに火のついた棒を持っていたが、その火だけが、ゆらゆらと揺れる光を発していた。その向こうに洞穴は先へ先へと延びているようであった。
収納用の穴の中には物がいっぱい詰まっていたが、さらに、そこにコップ、どんぶり、手斧、棒などとさまざまなものを見つけて、目を見張った。
そして、ある箱を見つけた。本ぐらいの大きさのその箱を開けると、何とそこには本があった。
というより、タパ布のような紙がバラバラになって置いてあった、という方が正確か。
しかしそれには、溶岩よりも黒いインクで文字がはっきりと刻み込まれていた。私たちは火の近くに寄って、それを読み始めようとした。
<後略>
- 13 :
- >>11
問題はそこ。
仏教は儒教やキリスト教のように、その教義は完全に後世の人間による編集であることを認識し、
つまり上座部やチベット仏教などにある「すべて経典は釈尊直伝である」といった幻想を捨てた上で、
その教えの幅、「どこからどこまでが仏教である、どこからが仏教ではない」かを定義しなおす必要があると考える。
(むろん、それはさまざまな仏教団体が集まった大同団結が望ましいが、無理なら団体の数だけ経典が別れてもいい)
釈尊直伝の部分が仏教なのではなく、有用な部分が仏教である、という認識に立つべきだ。
その場合、むしろ釈尊が本当に説いた部分はむしろ邪魔になるのかもしれないが。
現状の仏教界の混乱である大乗非仏説や輪廻転生の問題などを乗り越えるのはこうした道しかない。
- 14 :
- >>10
有資産者を装う者ほど貧乏人であることは、殊に金融関係者の熟知するとこ
ろです。冒頭にいきなり「如是我聞」を掲げる心理は、自身が金持ちである
ことをアピールせずにはいられない貧乏人の哀しい心理に似ていないでしょ
うか。本当に仏陀から聞いたのであれば、わざわざ「如是我聞」を被せる必
要はありません。【コピペ】
- 15 :
- >>14
コピペにレスをつけるのもなんだが、最古層の部分は「如是我聞」がつかなかったらしいね。
第一回結集をまとめたアーナンダをかたった人間が「如是我聞」と言い出した可能性もあるそうだ。
研究結果によると。
- 16 :
- まずすべての経典の権威を否定することから真の仏教の再興が始まる。
- 17 :
- あと300年くらいかかりそう。
- 18 :
- そうすると、気にいらない部分はすべて後世の付けたしと読み替え無視することも可能。
でも、それでいい。
- 19 :
- >>15
コピペ元
ttp://kokageno.jakou.com/agon002.html
- 20 :
- マガダ語で書かれた死海文書の様なものが発見され本当のブッダの本意が見つかる日が来るかはわからないが、
とりあえず学者は原始経典を研究し続け、1%のブッダの本意を探し続けてほしい。
俺はとりあえず、現状は縁起と四諦八正道だけしかブッダの言葉と信じない。
どうやら初転法輪でブッダが説いたのはこの事らしいから。
- 21 :
- 我々が頼るべきは四諦八正道だけ。
改編を繰り返されたテキストは信用できない。
- 22 :
- 阿含宗桐山教祖の逮捕歴
昭和二十七年八月十六日詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署
十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署
二十八年八月酒税法違反私文書偽造容疑逮捕
警視庁防犯課
二十九年三月酒税法違反私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
- 23 :
- >>22
阿含の名を騙った密教だろ?
密教なんてヒンドゥーだ。
- 24 :
- 大乗・上座部非仏説。
- 25 :
- 経典に権威などない。
- 26 :
- ブッダの本当の言葉を最古層から探れ
- 27 :
- 偽経からは何も読み取れはしない
- 28 :
- 釈迦の言葉に救われる人もあれば、親鸞の言葉に救われる人もある。
それでいいではないですか
- 29 :
- 少し横からゴメンナサイ。「中論」の人からは「戯論」と言われ、仏教哲学者からは
「無記」と言われるでしょうが、参考にして下さい。
グーグル検索:「C点による時空論」「C点による仏教論」
- 30 :
- >>29
ぐぐって、↓まで読んで納得した。
http://www016.upp.so-net.ne.jp/jikuron/
>筆者は哲学解らず、数学解らず、物理解らず、宗教解らずの部外者であるが、
>空想癖のある頑固老人であり、乱筆乱文をお許しください。
- 31 :
- >>29
意味不明
- 32 :
- 「中論」における「非有非無」は、論理に「矛盾・無限」を入れない。空性、無に
重点がある様だが、「C点論」では、論理にギリギリのところで「矛盾・無限」をいれる。
矛盾・無限のC点そのものに重点を置き、C点そのものを単位として考える。
世俗諦が「第一」の有の世界とすると、勝義諦の中論は「第二」の無の世界、C点論は
「第三」の非有非無の世界。中論とC点論では、中論が論理的であり、C点論は非論理的
とも言える。瞑想を必要とする。
- 33 :
- 日本の仏教はオリジナルと違う仏教ということは明白だけど、
それで何か問題でもあるのか?
- 34 :
- 釈尊が対機説法されたことを考えれば、悟りにいたる道は一つではなかったようだし
ポイントをきちんと押さえていればそんなに目くじら立てるようなことではないと思うが
そんなことよりも>>1は99%の経典は偽経・偽書です!と書いているのだから
釈尊直伝の教えを知っているんだろう?
それを皆に教えるべきじゃないの?
- 35 :
-
色即是空 空即是色
- 36 :
- >>33
釈尊をないがしろにし、他の神々や偽経を拝むなら好きにしろ。ただし仏教の名を使うな。
>>34
たしかに要点を押さえていれば仏教だ。
要点は縁起と四諦八正道だけだろ。
- 37 :
-
空性は仏教のポイントに入るだろうが?
- 38 :
- 仏法に要点など無い。
縁起を説く全てのダルマは、筏に過ぎん。
- 39 :
- 現代に現存するインドや東南アジアや中国や日本などのすべての仏教は
釈迦オリジナルのものとは違う仏教ということは明白だけど、
それで何か問題でもあるのか?
- 40 :
- 「諸行無常」だけは仏陀の教えではないだろうか?
仏陀もそう感じ、いろいろのお経に、影響がある。「色即ぜ空」は仏教の、やはり、
ポイントではないか。総てが仏陀と無関係では無いだろう。
- 41 :
- >>36
第一、仏教ってのが支那語(笑
日本の仏教は神道と融合した「日本式仏教」
日本語の理解できない馬鹿が偉そうなことを言うんじゃない
- 42 :
- >>39
オリジナルが何かは分からないが、要点を押さえりゃ仏教だ
- 43 :
- 釈迦が安心を求めたことから仏教が始まった。
そして周りから教えを求められ、教えを説いた。
自分を救いたい、人を救いたいという仏心がすべてだろ。
四諦八正道で安心をえても、南無阿弥陀仏で安心をえてもいいと思うけどな。
道のり(修行のしかた)は違えども、最後に見る月(安心)が同じなら仏教でいいんじゃない。
- 44 :
- >>43
釈尊が求めたのは苦の滅却。
そして苦は因縁生起(縁起)により起きるという概念を中心に据え、
苦を少なくするための実際の行動規範として縁起をベースにした四諦八正道を説いた。
苦を無くすなら何でもいいのか?
そうではなく、苦を無くすために縁起の概念を根底にするなら、それこそが仏法と呼べると考えるが。
- 45 :
- 原始仏教と浄土真宗との関係について議論しています。
本願寺派の坊さんと思われる方によるアラシが激しく迷惑しているのですが、共存の道を
探ります。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1254879446/429-432
- 46 :
- どこも難しそうだなぁ・・
- 47 :
- 原始仏教を研究して、何が釈尊の本心かに迫れ
- 48 :
-
>>1 様へ!
【スッタニパータ】が
古いと、されている様ですが、
もっと古いと、されている物が有れば、
お経の解説書の書籍の、
御教示の程を、宜しく御願い、申し上げます!
- 49 :
- test
- 50 :
- 法華経だけが真実!
- 51 :
- 偽書じゃなくて外伝だろ。
- 52 :
- 仏教への試論です。参考にして下さい。
グーグル検索:C点による仏教的宇宙論
- 53 :
- >>52
つ>>30
- 54 :
- C点論のオリエンテーションです。
第一の存在 有の世界 現象肯定 世俗諦 自性 科学
第二の存在 無の世界 現象否定 勝義諦 無自性 縁起 空性 仏教哲学
第三の存在 非有非無の世界 現象再生 C点論 仏教
注:単なる有でなく、単なる無つまり空でもなく、「実体ある現象」で非有非無の世界、これが
第三の存在です。
- 55 :
- 少なくともここには相手にする人はいないよ。
だからここでやる意味は無い。
空しくなるだけだ。
- 56 :
- 如来は、高い見地から世俗諦に拘る者には、勝義諦を説き、勝義諦に拘る者には
世俗諦を説いた。方便を駆使して、自由自在の視座からと、考えられて信じられて
いた。
しかし、如来の真意は「無記」に守られ知ることが出来ない。有に非ず、空に非ず
「中」として、第三の存在が如来の真意では無いだろうか?
「C点による仏教的宇宙論」を検討して下さい。
- 57 :
- 話は変わりますが、「唯識」を以って仏教の最高の悟りと言う出家も沢山います。
この世は「識」が総てと言う。外界は存在せず「空」であり、存在するのは識の創りだした、
識の「仮」に認識した現象に過ぎず、現象は縁起により「仮」に創られた、「無自性」の存在と
言います。存在するのは「識」のみで、是も最期は「無」と消えます。総ては「空」だからです。
唯識では、意識下の本能の世界も、論じています。しかし、意識と言う現象は、「心」つまり「精神」
として、精神医学が取り組んでいます。まだまだ是からですが、唯識の問題は、仏教論を別に
すれば、精神と言う現象に限れば、精神医学が解明してゆくでしょう。
仏教論を別にすれば、「識」は「生きる」ための存在と思われて、なりません。
総てを仏教で説くのは、問題ではないでしょうか?
- 58 :
- そもそも最古の経典と言われるパーリ五経&阿含四経からして
アーナンダを貶めて、マハーカッサパを神格化する記述にまみれてるとこからも
こんなの後世のバイアス入りなのは明らか。
慈悲のアーナンダを後世、大衆部や大衆部の強い地方で崇敬したようだが
一方苦行主義者の匂いの強く、またバラモン出身のマハーカッサパがバラモン化していく部派仏教で奉じられていったのだろうし
アーナンダを奉じる慈悲主義派との対立もあるのだろう
それとよく指摘されることとして、アーナンダも含め、シャカ族の高弟は全員必ず貶められているという事実もある。
シャカ族の仏教から、バラモン出身者による仏教に変遷していった匂いもある。
経典やブッダの言を捜し求めて、何かを全てと思い込むようなのは、執着を生み、知性を曇らす。
ブッダも言ってる。人を師とするのでなく、法を師とせよと。
どの経典がどうとかそんなことは大事な話ではない。法を見ねばならないのだ。つまり、ありのままのこの世のありさまを。
- 59 :
- 経典は兎も角、ブッダの生存についても、前566−486と言う説から、古くは前623−549、
新しいものでは、前463−382と言う諸説あり、真偽のほどが解らない
経典はなを更わからない。
- 60 :
- 仏教学的に、どうかは解りませんが、如来が「生老病死」を知り出家し、「色即是空」の
悟りに至ったと言う事だけは、確かでは無いだろうか?
その外のお経が正しいかどうかは、在家の私には関係無い。
- 61 :
- あの時代の
インドの文化、科学
ヒンズー教
そういった背景を持った人々に説かれたのが仏教。
もし仏陀が現代日本人のために
「方便」
を語るとしたら全く別のものになるだろう。
現代に仏陀がいたら、当然物理学もカオス理論も知っていて
それを考慮した講和になる。
どっちにしろ仏教はそのままは使えない。
今でも使えるエッセンスを少量抜き出すのがやっとでしょう。
- 62 :
- >>61
> 現代に仏陀がいたら、当然物理学もカオス理論も知っていて
> それを考慮した講和になる。
それが現代に書物の形で現れると経典とされるというようなものだ
さすがに、今書いても経典扱いはされないが、
ある時期までは、その当時の人が仏陀になりきって書いたものが経典とされた
だから、ほとんどの仏典は偽書ということになる
偽書というのは、来歴を偽って書かれたものであって、
内容が偽りかとは別の概念であるから、
何かの拍子にそういう偽書の中に、真の法がないとも限らない
偽書じゃないというのは、仏陀から聞いた事をそのまま書き記した経典だな
ただ、書物という形をとるまでに、何代にもわたって口伝で伝えられてきているから、
その間に、伝言ゲームのように、不正確に伝達される危険もある
- 63 :
- 中村元訳「ブッダのことば」「真理のことば」「感興のことば」を読んでいるが、ブッダの
時代は素朴な世界の様です。それなりに生きるのは、大変さも有ったろうが、心は今も同じ
とは言えない様な気がする。
- 64 :
- 真の法というなら
金剛般若、般若にはなんの欠点も見出せない。
ただ、これをどうやって理解できるところまで成長するかということについての
ブッダ本人の言葉が何かというのがやっぱり本題でしょうね。
- 65 :
- 素朴だし、国をあげて全体的にみんなが
輪廻転生を信じていたので生の感覚がまるで違うような。
- 66 :
- 出家者に施して、出家を尊敬し支える在家など、今の日本では考えられない素朴な
風土である。古代インドのカーストも成立していたなど、厳しい社会らしいが。
- 67 :
- >>66
そんなものではない。
インドにおける布施の文化というのは、
バラモンに奉仕することが功徳得られる唯一の道というヴェーダの定義によるもので
国教となっていった部派仏教は次第にバラモンの仏教になり、出家はその代替になっていった
今、小乗諸国で、現に僧侶に布施をすることで功徳が得られ、死後が約束されるという信仰が盛んですけど
これはバラモン化した部派仏教の悪弊そのものなんです。
布施の文化の無い中国では、「一日不作、一日不食」という自給自足の文化を生んだわけですが
よっぽどまともと言えるだろう。
- 68 :
-
@ゴータマ シッダールタは マガダ語で 説法してた?
Aマガダ語の 根本聖典が 有るかも?
Bその次は パーリ語 聖典?
Cその次は サンスクリット語 聖典?
D漢訳は 何処の時点で はん訳されたのか分からない?
> 釈尊基準だと そんな感じになるでしょう
> 釈尊自身が 今でいう方言みたいなのを 使っていただろうし、
> それで それが記憶を通って 伝聞になって
> 更に翻訳されたりしている
> 経典に仏は 一音で説法すれば それを聞くみなが了解した
教誡(きょうかい)神変
他の人に 正しい仏法を 実践させて
他の人の 心の中に 智慧を生じさせる 特別な能力
↑ この【教誡(きょうかい)神変】によって【一音で皆が了解した】
- 69 :
-
>>57 様へ!
仏教要語の基礎知識(単行本) 水野弘元(著)
この164ページの右から6行目と9行目の所 ↓
【阿頼耶識】
外教が説くような常住の実体としての霊魂は仏教ではこれを説かないが、
人格の主体として業を保持している霊魂は三世を通じて存在するものとして、
これを認めている。それは不生不滅ではなく、輪廻の主体として、
業や経験に従って常に変化しつつ連続する有為法である。
唯識法相の学説で阿頼耶識といわれるものもこれに他ならない。
↑ 霊魂 識 阿頼耶識といっても
↑ 【それは仮合(仮和合)の存在として】
↑ 仮設されたものとするなら 縁起と矛盾しない
- 70 :
-
>>69 の続き!
解深密経心意識相品第三
「阿頼耶識(あらやしき)は
甚だ深細なり、一切の種子は瀑流の如し。
我れ凡と愚とに於ては開演せず、
恐らくは彼れ分別し執して、我とせんことを」
「深遠で微細な 阿頼耶識(あらやしき)は、
あらゆるものの種子をもって 暴流のようにながれる。
それがアートマン(常住不変の自我)であると
思われてはいけないので
私(大乗の菩薩?)は 凡夫たちに
決してそれを 説かないのである!」
- 71 :
-
>>70 の続き!
瑜伽師地論(ゆがしじろん)
人がまさに、死せんとする時に、過去の長い間の経験により、蓄積された、
我愛が現起して、その力に、促(うなが)されて、
自己に愛着し、無始の時、以来、続いて来た、執着された、戯論と善悪業により、
中有(死んでから次の生まれるまでの間の状態の意識)を、形成する!
その、中有(死んでから次の生まれるまでの間の状態の意識)が、
次に、生まれるべき処を、求めて、母胎に入り、
ここで、父母の、精子と卵子が、結合する時に、
中有(死んでから次の生まれるまでの間の状態の意識)が、
滅すると同時に、生有が生じて、
一切種子たる、阿頼耶識(あらやしき)が、結合して、
胎児を形成して、出生に至るのである!
- 72 :
- 初期経典とされる南伝パーリ経典&北伝阿含経においてすら
シャカ族は劣った部族とはっきり書かれ、シャカ族出身の高弟はみな
劣った存在として描かれている。
一方でバラモン出身の高弟は凄く神格化されている。
しょせんバラモン化した部派仏教の経典なんだよね。
真の経典とかいうてホルホルしてる人はバカだし、真の法というものを見ることができなくなる。
経典はしょせん経典なんだよ。絶対視してのめりこむようなものじゃない。
- 73 :
- そういう意味では経典へ依存を、しょせん弟子らの伝聞と価値を限定的なものとし
ブッダが辿った過程を再体験し、ブッダの悟りを考えようと、生活や生き方に
そのヒントがあると考えた、禅仏教の思想は評価すべきところがある。
- 74 :
- よく日本のテーラワーダ信者が、禅は評価するとか、禅は日本のテーラワーダとか言ってるけど
禅について何も勉強してないのが聞きかじりで言ってるだけ。
極度に経典信仰のテーラワーダと経典否定の禅が同じわけがない。
これはスマナサーラ氏が日本に留学して、そこで大学で道元を専攻したので愛着があるのか
著書でたびたび道元は唯一いいみたいに言うのをなんの検証も無しに信じきってるだけでしょう。
- 75 :
- >>1
とりあえずWebで手に入る経典のソースURLを挙げてから主張して下さい。
中途半端なのは駄目だよ?
- 76 :
- もちろん参考文献でも可だけど
2chで主張するならWebソースくらい調査してから書き込めよ
- 77 :
- 【社会】「宗教介入だ」「布施に定価なし」仏教界反発 イオンの葬儀サービス「お布施」に目安 賛否両論
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/wildplus/1278019779/
- 78 :
- >>75
ttp://www1.atwiki.jp/occultfantasy/pages/1035.html
- 79 :
-
http://sports2.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1278040208/
↑ ☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ 【臨時 避難
↑ 携帯とか 書き込み規制などの時に どうぞ!
- 80 :
- >経典否定の禅が同じわけがない。
禅が経典否定?馬鹿言っちゃいけない。
「 道元 法華経 」でググると面白いよ。
…まあ、スマ長老が道元の法華経崇拝と、
どう折り合いをつけているかは知らん。
ああ、あと道元はもちろん大乗(つうか法華経)至上主義ね。
- 81 :
- キミの中で禅=道元なのか?
それこそ禅思想を全体的に把握できてないとしかいいようがない。
- 82 :
- >キミの中で禅=道元なのか?
んー、別にー
74の書き込みで名前が出ていたから挙げただけだよ。
法華経抜きで道元語れないでしょ。
それとも「 良寛 般若心経 」で
ググりなおすかい?
「良寛」のところは「一休」でも「盤珪」でもOKだよ。
- 83 :
- 阿含宗桐山教祖の逮捕歴
昭和二十七年八月十六日詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署
十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署
二十八年八月酒税法違反私文書偽造容疑逮捕
警視庁防犯課
二十九年三月酒税法違反私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
- 84 :
- 生まれる前の闇、死後の闇、この膨大な闇に視座を置くと、この世は一瞬の存在。
幻のような、夢のような、蜃気楼のような、瞬時。
色即是空 空即是色
無の世界、第二の存在、無自性、縁起、空性。空に徹し、瞑想し、体験し、
我を忘れ、宇宙と一体化し、悟る。不生不滅。涅槃は瞬時でも、一即一切。
如来に栄光あれ。
- 85 :
-
瑜伽師地論(ゆがしじろん)
爾(そ)のとき父母(ぶも)の貪愛倶(とんあいとも)に極まって、最後に決定して、
各々一滴の濃厚の精血を出す、
二滴和合して母胎の中に住し、合して一段となる。猶(なお)し熟凝結の時の如し。
当に此の処に於て一切の種子を持ち、異熟性に摂められ、
執受の所依たる阿頼耶識和合し依詫するなり。伝何んが和合し依詫するや。
謂(いわ)く此の出だす所の濃厚の精血合して一段と成り、
顚倒(てんどう)の縁と中有倶に滅す。滅と同時に即ち、
一切種子識の功能力に由るが故に、余の微細の根および大種ありて、和合して生ず。
及び余の有根の同分は精血和合して搏生(はくしょう)す。
此の時の中に於て、識すでに住して結生相続すと説く。
即ち此れを名けて羯羅藍(かららん)の位と為す。
- 86 :
- 私達は、現象世界に生きています。確実に生まれ、確実に死にます。この命は「不生不滅」と
言う「仮」の命では有りません。「非有非無」の命では有りますが、実体が有ります。
この世は空の世界つまり無の世界では、有りません。「空」の世界では無く、「色即是空」の
世界で有ります。「空」が単位では無く、「色即是空」が単位で、実体が有ります。詳しくは
「C点による仏教的宇宙論」を検索して下さい。
「性」について、論ずることは、特に出家に対しては、如来は禁じているようです。しかし、真言
密教の理趣経では、欲望を大らかに認めており、現象世界に生きる在家には、むしろ当然の事と
感じられます。抑圧された欲望は心を歪めます。精神分析はここから始まります。だが如来は無記で
その真意は、解りません。「方便」として、禁じたものと思われます。
この世が「仮」の世か、「実在」か、それは解りません。だが「C点論」の様な、試論もあります。
「C点による仏教的宇宙論」再検討して下さい。
- 87 :
- C点論のオリエンテーションです。参考にして下さい。
第一の存在 有の世界 現象肯定 世俗諦 自性 科学
第二の存在 無の世界 現象否定 勝義諦 無自性 縁起 空性 仏教哲学
第三の存在 非有非無の世界 現象再生 C点論 仏教
- 88 :
-
生きているている時は 【 阿頼耶識 】として
死んでいる時は 【 魂魄 】として
【 生滅 変化 相続 】している
私【?】も
【 仮 の命じゃなくて 実体が有る】と 解釈しています
- 89 :
- 般若心経は、表面的には、第二の存在「空」の世界です。この世は、縁起、空性、無自性の世界で
実体は有りません。それ故、実体の無いものを恐れるな、と言う如来の「方便」による訓えです。
しかし、時空の本質は「色即是空」です。なを「空」の世界に生きる出家もおります。
それも宗教です。
- 90 :
- >>82
答えになってない。
禅をやるなら道元以前にまず中国禅の各種文献を学ぶものだが
禅語るなら「不立文字」という思想くらい知ってたほうがいいぞ。
- 91 :
- >答えになってない。
答えになってるよー。
74の書き込みの「経典否定の禅」ってのがおかしいって指摘だよー。
道元、良寛、盤珪あたりは偽物って思う人には説得力が無いのかもしれないけれども。
中国禅でも経典読まんといかんしね
臨在録なんか、経典の教養があることを前提としての説法でしょ。
- 92 :
-
☆ ウィキペディア参照 ☆
末那識について
八識はみな思量の作用があるが、
末那識は特に恒(間断なく常に作用する)と審(明瞭に思惟する)との
二義を兼ね有して他の七識に勝っているから末那(意)という。
思量とは「恒審思量」といわれ、恒に睡眠中でも深層において働き続け、
審(つまび)らかに根源的な心である阿頼耶識を対象として、
それを自分であると考えて執着し続ける。
この深層的な自我心を滅することによって、
我々は初めて真の無我行を実践することができる。
- 93 :
-
末那識の
根源的な心である阿頼耶識を対象として、
それを自分であると考えて執着し続ける、
深層的な自我心を滅却する為には、
◎呼吸法
◎瞑想
◎クンダリニー・ヨーガ
◎中阿含経などに説かれた、【三十七道品(さんじゅうしちどうほん)】
などの修行を実践する事が必要であると
私は解釈しています。
- 94 :
- どいつもこいつもくだらねえ事書き込みやがる…お経だけが重要なんだよ!俺は、ハッキリ言っておく。法華経なら一生涯法華経と共に生きろ!それが悟りだ。華厳経なら華厳、浄土経なら浄土!ひとつだけ選んで命賭けたらんかい!
- 95 :
- 他人の悟ったの迷ったのは、所詮は他人の問題だ。自己の問題を徹底させい!仏もクソもあるもんか!2500年前くたばった野郎に何の用がある?今、目の前の経だけが重要なんだよ!「悟り」であり「仏体」なんだよ!
- 96 :
- プッタタート比丘のような人がでてきて
まともな科学者や論理学者や文献学者、まともな哲学者やまともな他の宗教家を交えて
朝まで生討論を毎日5年間ぐらいやってほしい。
- 97 :
- ↑こいつ、上座系かな?ブッチュンべロンパ比丘?比丘か…気に入らねぇ…TV使ってマスコミ利用の世論操作…日本人の常套手段。醜い…日本から上座系は出ていけ!大乗以外は華麗に死刑
- 98 :
- >>96
まあ、そういう仏教もありか
しかしながら、方便か低い見解であることは間違いない
- 99 :
-
☆ ウィキペディア参照 ☆
五時八教説(天台)
◎華厳時
経典 - 華厳経(大方廣仏華厳経)
◎阿含時
経典 - 増一、長、中、雑、小の阿含経、法句経などの南伝大蔵経
◎方等時
経典 - 大方等大集経、阿弥陀経、大日経、金光明経、
維摩経、勝鬘経、解深密経など権大乗経
◎般若時
経典 - 大般若経、金剛般若経、般若心経など
◎法華涅槃時
経典 - 法華経28品を中心とする法華三部経、涅槃経
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