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Scientology-Freezoneについて 4


1 :10/01/06 〜 最終レス :11/12/22
http://www.freezoneamerica.org/
http://www.freezone.org/
このスレは、このフリーゾーンにおけるサイエントロジーの話題を中心として、
専らサイエントロジー並びにダイアネティックスの「技術面についての情報交換」
を目的に立てられました。
part1スレdat
ttp://miskatonic.hp.infoseek.co.jp/misc/freezone1.dat
part2スレdat
ttp://miskatonic.hp.infoseek.co.jp/misc/freezone2.dat

2 :
>>1
乙!

3 :
>>1
乙です

4 :
■前スレ
Scientology-Freezoneについて 3
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1243780138/
■過去ログ
Scientology-Freezoneについて 2
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1191209593/
Scientology−Freezoneについて
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1156682393/

5 :
これはフリーゾーン?
http://bit.ly/avatarscientology

6 :
>>5
自由領域は菜園を実践する個人と組織のゆるやかな連帯なので、菜園教会やアバター組織を
拒絶することはない。教会やアバター組織が自由領域の一部を構成するかどうかは、彼らが
自由領域についてどう考えているのかによるだろう。

7 :
>>5
アバターコースはニューエイジ系カルトだよ。
ハリー・パーマーはサイエントロジー教会の元メンバーで、
アバターのテクニックの大部分はサイエントロジー教会から剽窃したもの。
英語のサイトだが、ここにハリー・パーマーの過去の所業が詳細にされている。
The Wiz of Orlando
http://www.scientology-kills.org/avatar/avatar_wiz.htm
また2chの過去ログでその一部が翻訳されている。
アバターコースについて教えて
http://yasai.2ch.net/psycho/kako/987/987845275.html
アバターコースについて教えて2
http://yasai.2ch.net/psycho/kako/992/992619746.html
アバターコースについて教えて3
http://yasai.2ch.net/psycho/kako/996/996359851.html
アバターコースについて教えて4
http://yasai.2ch.net/psycho/kako/998/998922934.html
アバターコースについて教えて5
http://yasai.2ch.net/psycho/kako/1011/10111/1011132541.html

8 :
リンク切れだった。これね。
The Wiz of Orlando
http://www.xs4all.nl/~jeta/avatarinfo/avatar-wiz-of-orlando.html

9 :
avaの技術と背後のパラダイムを基礎コースからWIZまで仔細に研究してみると、
菜園とは明らかに違う。
幾つかの用語、及び入門編で使用されるオブジェクティブ・プロセス、そして菜園の橋のOT部分が幾分カバーされてるような構成になっているが、
そもそも拠って立つ準拠枠がぜんぜん違う。
パラダイムが違えば、技術それ自体の意味合いがまったく変わってしまうのだ。その結果、到達する領域や状態にも違いが現れる。
avaの技術の肝はCHPだが、「感じる(経験)モード」を予め徹底して訓練し、その能力をフル活用し、自分がそれになっている創造
(つまり、自分がそれに支配されている創造)になりきって、一気にアズイズし消去する手法は、誰しも身につけやすく汎用性が高い。
確かに50年代前半の幅度の講義には、ある物体になり、それにいきわたりそれになることで、その物体の製作者なども分かるようになる、
等と言うことも語られてるが、幅度はこの手法をハリーほどには発展させていないように思える。
完全なデュプリケーションもCHPと似ているが、使用される意識のモードに違いがある。
CHPの優れている点は、二つ以上の視点に分かれて存在しているように見える創造
(例えば、争いあっている二人や抵抗と欲求を同時に感じるアイテムなど)を
一つの創造として一度に感じきることで、速やかにその創造の元を消去し得ることだと思う。
菜園のテクニックの剽窃云々という視座も分からなくはないが、喩えてみるなら、フロイト以後の心理療法各派の見解や発展や技法が、
彼の天才の肩の上に立った小人のそれであったとしても、だからと言ってその存在の価値がないことにはならないのと同じだ。
幅度は明らかにこの分野における巨人だった。
estの創始者もavaの創始者も、その巨人の肩に乗った小人であっただろう。
だが、ときには肩の上の小人の方が、巨人よりも先を見通せることもある。たとえその視野が限られているとしてもだ。
だからこそ敬意を持って新しい動向を見守り、その発展を許して、学べるものを学びつくしたいと僕は思っている。

10 :

…ところで、このスレを閲覧しておられるあなたにぜひとも御聞きしたいのですが、日本での自由領域の活動や
このスレでのやり取り、また我らがオールドタイマーさんに対して、内心何を期待しておられますか?
特にこのスレに対する期待や閲覧目的などに関して、ほんとうのところを教えて頂けるとありがたいです。
よければお聴かせください。

11 :
>>9
そのあたりの話は、「菜園」という単語の意味範疇をどうとらえるのかによるだろう。
>>9にとっての「菜園」は、どうやら、「幅度によって開発された技術体系」に近いことを意味して
いるようだ。
自由領域の比較的保守的な考えでは、「菜園」は「『因子』と『菜園公理』に
基づく哲学と技術体系」あたり意味するので、アバターをも包含しえる。(社会的には、あくまで、
アバター側の態度次第だが。)
自由領域の比較的進歩的な考えでは、「菜園」は、おそらく、「非唯物論的な哲学と
技術体系」あたりになり、イスラム教の手前までかすめるほど意味範疇が広くなる。

12 :

確かにハリーの開発した技術は『因子』と『菜園公理』に包含される。
この観点からすれば、ハリーは、「幅度によって開発された技術体系」にはなかった新たな技術の開発者
としての位置づけがふさわしいかも知れない。
それにしても、波利井が菜園を学ばなかったなら、ava組織はこれほど急速に世界中には広がらなかったと思われる。
実業家、波利井の経営手腕は菜園知識の賜物でもあるのだろう。

13 :
ただ、avaの理論自体は矛盾してるよね。
人は信じていることを経験すると言っておきながら、ウィザードコースではエンティティ処理なんてやるんだもん。
「エンティティなんて存在しない」という信念を造れば一発だと思うんだけど・・・。

14 :
>>13
そこはしょうがない。
実践はなかなか理論を直接反映する形にはならないものだ。
一気に、とか、一発で、とかいうのは、実践では意外に難しい。
いいかえれば、広範なチャージを一気に、一発で処理することを志向するほど、うまくいく人は
限られたものになっていく。
逆に、個別の処理を志向するほど、うまくいく人の数は増えていく。

15 :
ゴールをさらに分解できそうな気がしてきた。
動詞部分と目的語部分は、多分、不可分ではない。

16 :

ゴールについて、「動詞部分と目的語部分は、多分、不可分ではない」とのこと、
詳しく教えてください。

17 :
>>16
例えば、「to catch a catfish」(ナマズを捕まえる)というゴールがあったとすると、「to catch」という
プロトゴールがあると推定できそうだ、ということ。

18 :

このように、動詞と目的語を区別したとき、その処理はどのように行いますか?

19 :
>>18
思案中だ。

20 :

リリース・テクニックを使った極簡単な動詞処理。(超入門編)
ステップT
@「すること」に対する抵抗感を手放せますか?
A「しないこと」に対する抵抗感を手放せますか?
(答えはハイかイイエで答える。)
@とAを一回ごと交互に繰り返し自問する。
両方共に何のこだわりも感じられなくなったらステップUへ進む。
ステップU
B「すること」を歓迎できますか?
C「しないこと」を歓迎できますか?
BとCw一回ごと交互に繰り返し自問する。
両方とも何のこだわりもなく歓迎できると感じられるまで行い、ステップVへ進む。
ステップV
「すること」も「しないこと」も越えた自由な状態に安らげるように、自分をさせられますか?
自分は自由な状態に安らいでる、と感じられるまで上記の、決心を促す問いに答える。
「捕まえる」という動詞を処理するために、概念的に対照的な語を採用し、
「捕まえる」VS「逃がす」というように行うこともできる。
また時制を変化させ、「した」VS「しなかった」。「している」VS「していない」のように
バリエーションを加えても面白い。さらに、「誰かがすること」VS「誰かがしないこと」のように主語を変換するのも可能だ。
入門編としてはこれで十分だろう。

21 :

現象世界は動きの世界だ。
諸行無常、すべては移り行く。
生命は意図してであれ、欲求からであれ抵抗からであれ、
動きを好むものだ。
そうして現象世界の絶え間ない集合的変化に対し、時に抵抗し、
時にさらなる変化を生み出そうとしながら個人的時間を創造している。
それが生きることを描写する一つの観点だ。
「動詞」を完全に処理することは、結果として「創造(現象界)の外」に出で立つことを意味するだろう。
ワークを続ければ、意識が個人的な時間創造を行うことを一時的に止め、唯「在る」という体験に到る。
そこは個人的な「創造の源」だ。そこには何も無い。

22 :
>>21
座禅が意図しているのも似たような境地なのかな。
唯「在る」という体験。

23 :

座禅においても似た境地に到達する。
思考の奔流にしばしもみくちゃにされながらも、
そのまま留まっていることで、やがて思考がひとりでに止む。
そして唸るような静寂があたりを包む。
そのときのことを振り返れば、明らかに心理的時間感覚は消失している。
しかし、この僕の個人的体験は、座禅に打ち込んでる人からすれば、
単なる始まりにすぎないと言われるだろう。
唯「在る」という体験には深さの次元において相当な相違があるのだろうね。

24 :
例えば無限に黄金を作り出す能力の保持者は金融資本主義のようなゲームを超越することに
なる。
ゲームが成立するには、制限が成立していなけらばならない。
つまり、あらゆるゲームを成立させるマスターゴールは「制限する」であるはずだ。
「ナマズを捕まえる」というゴールは、「捕まえる」というプロトゴールがマスターゴールによって
目的語部分を制限された結果に他ならない。
「「捕まえる」というゴールについて、誰または何がその対象を制限するでしょうか?」という質問を、
ケースレベルが十分に高い状態でL&N処理すれば、GPMが生じるしくみそのものに迫ることになる。
もちろん、ケースレベルによっては、この質問は全く噛まない。

25 :

「「捕まえる」というゴールについて、誰または何がその対象を制限するでしょうか?」
という質問には大変な興味を惹かれますね。
悔しいことに、菜園技術の門外漢の僕には<L&N処理技能>がなく、その点で敷居が高いです。
>>あらゆるゲームを成立させるマスターゴールは「制限する」である、と言う卓見にも御見それいたしました。
・・・L&N処理技能なしで「制限すること」そのものをプロセスする方法は何かないでしょうか?

26 :
>>20はoldtimer氏なのだろうか?

27 :

<20>の書き込みはオールドタイマーさんではないですよ。

28 :

またも規制ですか?
まさに<制限>されてる。

29 :
>>25
技能よりも、多分、質問に対してしっくりと来る答えが思いつくケースレベルかどうかが重要になる
はずだ。
レベル1スタイルの
 
 Loop{Loop -> FP} -> EP
という形でも、ある程度の効果はあるかもしれない。ただし、ケースへの食い込みは多少なりとも浅く
なるだろう。

30 :
old timer氏の文体を真似て書き込んでる人がいるのがちょっと笑えるね。
どこの宗教団体にもいるけど、こういう人。
NLPで言うモデリングを無意識のうちにやっちゃってるのかな。

31 :
>>30さん
それって僕なんだけど、分かるんだね!
面白いだろ。でも揶揄ってるわけじゃないんだよ。氏を尊敬しているんだ。
でも今度は違う文体で書いてみるね。
で、内容の方はどうだった?修行がぜんぜん足りんかな?

32 :
>>31
俺は>>30ではないが……
このスレで提案されたプロセスのうち、菜園公理に反せず、実践においてプロセスとして使えるものに
ついて、俺は基本的に「良い」とも「悪い」ともいわないことにしている。
ある時点の個人のケースの状態に合うプロセスが、その時点において良いプロセスなのだ。
ただし、ここは菜園スレなので、少なくとも菜園公理に反するプロセスについては、問題点を
指摘すべきではあるだろう。

33 :
>>1のdatファイルを公開してる者ですが、3のdatファイルありますか?
うちのは12/30日で切れてしまっています。

34 :
>>33
俺のdatもそこで切れている。
大量規制で書き込みはなかったかもしれないが …

35 :
>>34
以下の731番目のold timerさんの書き込みが最終ということでいいですか?
> >>730
>
> 順序が逆ではないか?
>
> 4次元能力が封じられたことで、生存衝動が生じたのだと思われる。

36 :

1952年11月の幅度の講演集(セータの統制)のパッケージの裏側に次のような言葉があります。
「人の自己決定は、その人がエネルギー、物質、空間、時間を創造し、保存し、変化し、
破壊することができる度合いに応じて優れたものです。」
これについてお聞きしたいのは、人はどうやったら「物質を創造する」ことができるのでしょうか?
「空間」や「時間」についても同様の疑問が湧きます。幅度は上記の文章で何を言ってるのだと思われますか?
もしやイリュージョン(モックアップ)で外界に自分の想像を投影する能力のことを称して、
このような表現を用いているのでしょうか。。。

37 :

> 4次元能力が封じられたことで、生存衝動が生じたのだと思われる。
この見解に関して、実践的な観点からお尋ねします。
僕は「生存衝動」の戦略的消去(他の目的を実現させるために意図的にそれを行うこと)が
4次元諸能力の回復をもたらすと思っているのですが、
オールドタイマーさんはこのような可能性についてはどうお考えですか?

38 :
>>36
俺たちは物質を創造しなくなって久しい。
今の俺たちはほとんど何も創造できない。例えば、絵画の制作は、実は、全く創造的な
仕事ではなくて、物質の再配置に過ぎない。
物質の創造には4次元以上の空間を操る能力が深くかかわっていると思う。
--
前スレのNo.730への俺の返答の内容は、生存ゲームへの参加が4次元能力を封じたのではなく、
4次元能力が封じられたから生存ゲームに俺たちが束縛されている、という主旨のものだった。
さて、生存衝動の戦略的消去が4次元能力の回復をもたらすかどうかだが、その可能性はあると
思う。生存衝動を消去していく過程で、4次元能力を封じている何かの構造が見えるかも
しれない。

39 :
何度も質問ばかりですみません。
「思考の原理」(2007年日本語版)P72の記述に関してですが、
以下のようなくだりがあります。
「セイタンは心の映像をモックアップし、それらを身体に押し込むことによって
身体の質量を増加させ・・・・・体重が約13.5キロも増え云々。」
「心の映像は物質的な環境に対して反応を起こすことができ、云々」
上記の「物質的な環境」とは有機体に限られてはいませんか?
つまり、同様のプロセスで、人間ではなく他の非生命的物質の重さを変えられますか?
神道の手法で石の重さを変えるものもありますが、僕自身は確かめてみたことはありません。
幅度の言う「モックアップを押し込む」というやり方で物体の重さに変化をもたらすことが実際に可能でしょうか?

40 :
>>39
ケースの状態が良く、もともとパワーに恵まれた魂であれば、それくらいは可能だろう。

41 :

自分や他者の体重を増やすことだけでなく、任意の物体の重さを増やすことも、
「ケースとパワー次第」では可能なのですね。(オールドタイマーさんはどうですか?)
これは一般的なPC(平均と言うものがあればの話ですが)にも可能であると見做せますか?
それとも稀な事でしょうか?(例えばクリアーや準OTレベルの者であるならそれくらいは出来る、等)
それから最近映画でも取り上げられましたが、その昔の「エクトプラズム現象」について、どうお考えでしょうか?
霊媒の口などから出てくるように見える、あの靄のような物質の正体はいったい何だとお考えですか。

42 :
>>41
ケースの状態は悪くないが、俺はパワーに乏しい。BTたちがおとなしくしている時
になら、水に浮かんだ極軽い物体を動かせることがあるくらいだ。
魂は本当は万能だから、ケースに制限されていないことなら何でもできる。エクト
プラズム現象がとりわけ特別な現象であるということはない。

43 :

オールドタイマーさん、(38,40,42の)コメントありがとうございます。
それにしても、あなたほど明晰で、且つ言語能力に優れた方が書籍の出版もなさらずにいらっしゃるなんて、
なんともったいないことでしょう。私は正直にそう思います。
この頃、ワークを行っていて思うことなのですが、人間の生存衝動は、BT群によってほぼすべてが生み出されていて、
セイタンであるわれわれは、それを自分の思いだと単に錯覚しているエフェクトにすぎない、と信じるようになってきました。
この錯覚を錯覚だと気づいたとき、BT群のまやかしに手を打つことができますし、より上位の視点に還り立つことができます。
ミスエモーション、ARCブレーク、衝動、制御不能な思考、混乱、それから生殖願望や食欲、睡眠、病など、
この世におけるあらゆる人間ドラマを生み出すもの、それこそBT群だと思うのです。
起因としての私は、まずこの策略を見抜き、解放する責任を担う者としての位置づけからです。
生存衝動として、また気持ちの背後にある欲求と抵抗の感覚として顕著に現われるBTのベクトル。
これを消去、ないしは解放することで、魂本来の万能性を回復していける気がしています。

44 :

お手数ですが、サービス・ファクシミリの処理手順をご教示願えますか?

45 :
>>44
その前にいくつか訊きたいことがある。
>>44にとって「サービス・ファクシミリ」とはどういうもののことか?
メーターを所有しているか?
L&Nの経験はあるか?

46 :

私にとっての「サービス・ファクシミリ」とは、自分の醜さの要因の一つだと把握しています。
特に他者との関係性において、自分のあやまちや失敗ついて言い逃れを自動的に行っていたり、
自分のインテグリティーに平然とそむく傾向性です。
また善意の顔をした忠告を装い、相手を責めたり、(これはかつて相手から自分へと為されたことの仕返しだったりします)
作為を隠した正直さを装う傾向などもこの範疇として考えています。
とにかく微妙で狡猾な嘘が自分にあります。
こんなゲームは止めたいものです。
これが自分を支配する限り、いや、自分がそれを使って他者や人生を動かそうとする限り
私は自分を誠実だとは見なせないのです。
メータもなく、L&Nの経験もありません。

47 :
>>43
俺の文章で何か賞賛に値するようなことがあったとしても、それはここに投稿している他の人々との
インタラクションがあってのことだ。
情熱的に語る人、突拍子もないことを思いつく人、批判だけする人、利点だけを語る人、
事実だけを述べる人、調整役に徹する人 ― いろいろな人がいたからこそ、俺が3年も菜園について
書き続けることができたのだ。

48 :
>>46
まず、サービス・ファクシミリというのは物事についての評価を中心とする思い込みのことだ。例えば、
「女はいつもずる賢い」という思い込みがサービス・ファクシミリで、「女を常に疑うことにする」というのは
人生に対する傾向または姿勢であって、サービス・ファクシミリではない。
メーター無しで、かつ、L&Nの経験なしでは、サービス・ファクシミリをセッション中に見つけるのは
ほとんど不可能だと思う。チャージとしてそれほど重いものはないが、日常生活へのかかわりが
密接すぎるからだ。
しかし、生活の中での変化が、サービス・ファクシミリを見つける機会となることは少なくない。禅寺に
籠るとか、外国にしばらく滞在するなどの経験をすると、それまでの日常生活から離れることに
なるため、サービス・ファクシミリを見つけやすくなる。
自由領域に日頃から貢献している先達たちは、ほぼ全員、外国暮らしが長い。

49 :
4次元能力とか物質の創造などの話が出ましたが、
もしかしてこれらの能力を取り戻す鍵が、「欲を捨てること」ではないでしょうか?
確か原始仏典では、釈迦は欲から離れることで、前世の記憶を取り戻し、空を歩いたり、壁を通り抜けたり、
さらには、何もないところから物体を造りだしたりできるようになったと書いてありました。
また、仏像を出現させることで有名な、発明家の政木和三さんも似たようなことを言ってましたね。
一切の欲を捨てることで奇跡が起きるとか・・・。
仏像や真珠の出現なんかは日常茶飯事だったみたいですね。
菜園人がOT8と雖も、こういった能力を発揮することができないのは、
まだ完全には欲を捨て切っていないからとは考えられませんか?
例えば、「有能になりたい」とか「ブリッジを上がりたい」、「完全な自由になりたい」というのも欲でしょうし、
「菜園を広めたい」、「教会を拡大したい」というのもそうですよね。
特に菜園教会が目標に掲げている、「完全な自由」っていうのは、よく考えると典型的な欲望って感じがしますよね。
釈迦は「苦悩からの解放」は説いたかもしれないけど、「完全な自由」とまでは言っていませんし、
目指すところは全く別だったんだなという印象を受けます。

50 :

「欲」に関して、それは階層構造をなすものと私は捉えています。
低位の欲を戦略的に消去していくのも、自由を求めるからです。
まず目的とする自由とは、「生存衝動」からの脱却だと考えます。
生存衝動の範疇をどう定めるか、ということによっても違いが生じるでしょうが、
まずはこの世界の生き残りを賭けたゲーム帯域を超え出たいのです。
それは所謂解脱ということを目指してるのではありません。
そうではなく、超人として蘇りたいからです。
世界の中で、超人としてゲームに参加したり、しなかったりの自由をこそ求めます。
そしてさらには、この創造された世界を超え出る自由を求めます。
もっとも世界はこの地球だけではないでしょうし、別次元もあることでしょう。
そのようにして物質世界をマスターしたら、創造の背後の静止した領域への飛翔が視野に入ってくると思います。

51 :
>>49
前に行ったことの繰り返しになるが、釈迦は悟りを求めることそのものを欲とは見なしていない。
だから、「ブリッジを上りたい」は釈迦がいう「欲」の意味範疇に含まれないと思われる。一方、
「有能になりたい」が社会的な意味を持つのであれば、それは欲だ。菜園の技術体系でも、
「有能になりたい」に対して否定的な態度を取るべきだとはされていないが、そういう気持ちは
「隠された基準」としてしばしば問題視される。(このことについて、教会では部門間に著しい
矛盾がある。)
ここで完全な自由を求めることが悟りと同じ方向性を持つかどうかという点が論点になるが、釈迦は
パーリ語経典『スッタニバータ』の中に『犀の角』という詩を残している。そこにこう説かれている:
` 林の中で縛られていない鹿が食物を求めて欲するところに赴くように、聡明な人は独立自由を
` 目指して、犀の角のようにただ独り歩め。
` 仲間の中におれば、休むにも、立つにも、行くにも、旅するにも、つねに人に呼びかけられる。
` 他人に従属しない独立自由を目指して、犀の角のようにただ独り歩め。
(出典: 『スッタニバータ』中村元訳)
「完全な自由」という言葉はないのだが、「独立自由」という言葉はある。方向性は菜園と
同じだったのではないだろうか?
>>50
菜園には、欲を消すために、GPM処理がある。教会ではGPM処理は現在提供中のレベルより
さらに上に移動されたらしいが、自由領域ではAspectikaというGPM処理拡張版がある。

52 :

自由領域の<Aspectika>は、どのような点において菜園GPMを拡張しているのですか?

53 :
>>52
基本的に、見つかったゴールをトーンスケール上で位置づけ、そのゴールを処理した後で、さらに高い
トーンのコールを探す。

54 :
>>51
「完全な自由」というものが「苦悩からの自由」を意味するのであれば、
釈迦も菜園も方向性は一緒になるとみなすことができると思います。
しかし、「完全な自由」というものが、菜園教会スタッフがパブリックを勧誘するときに話すような、
所謂クリアーやOTになれば何でもできるようになるとか、それこそ物質の生成だろうと、願望は思いのままだと
いったような自由というのなら、それは釈迦の志向していたものとは全く別物だったと言わざるを得ないと思います。
釈迦は欲を離れた結果、前世を見通す力や、物質の創造などの超人的能力を得たわけであって、
決してそういった能力自体を奨励したわけではないからです。
そればかりか、物質を創造してみせた弟子を戒めたりしています。
また、宇宙の起源を尋ねた弟子に対しても、そういったことに執着せずに、ただ欲を離れろとだけ説いています。
これらのことから考えるに、ブリッジを上がることは、釈迦から見れば欲の範疇に入るのではないか、と私は思います。
中には、全くブリッジを上がることで得られる能力に全く執着せずに、ただひたすら悟りを求める者もいるかもしれませんが、
少なくとも教会スタッフや、得られる能力に惹かれてコースを受講する生徒の多くは、欲でいっぱいという印象を受けました。
基本的に、欲がなければブリッジを上がりたいとは思わないのではないでしょうか。
欲があるから苦悩があると釈迦は考えたわけですし、「コミュニケーション能力を上げたい」とかも欲に他ならないと思うのですが・・・。
コミュニケーションをよくしたいと初めから思わなければ、例え上手くできなくてもそこに苦悩はありません。
釈迦が言いたかったことはこういうことではないでしょうか?
ちなみに、私自身は欲が悪いとは思っていません。
欲の消滅と奇跡的な現象や超人的な能力との関係に着目しているだけです。

55 :
>>54
その指摘はほぼ丸ごと正しいと思う。
>>51の「教会では部門間に著しい矛盾がある」というのは、「完全な自由」についての教会の
第2部門や第6部門のスタッフメンバーによる解釈についてもあてはまるかもしれない。
しかしながら、オーディティング技術面での訓練を全く受けていないスタッフメンバーの解釈は、
菜園の教義や技術についての評価の手掛かりにはなりえないだろう。
技術面では、オーディティングを阻害する要因の1つに「隠された基準」が挙げられている。菜園の
橋はそれぞれのレベルで何らかの能力を回復させるが、橋を上る人がある能力が得られるか
どうかを気にしていれば、橋はその人に本来得られるはずのケースゲインをもたらさなくなる。
PCが気にしているいくつかのことを解決し、「隠された基準」をなるべく持たせないようにするために、
いくつかの特殊なプロセスを教会は開発したが、それは蛇足だと俺は考える。それら特殊なプロセスに
関係のない何かをPCが欲したら対処できない。
橋がPCの能力を徐々に回復していくことは確かだが、PCが望んでいる能力が手に入るとは限ら
ないし、各能力の回復がどのような順序で起こるのかもわからない。
(20年ほど前、俺は大姉に視力の回復を期待したが、それは起こらなかった。しかし、心拍数を
随意にある程度上げられるようになった。車の運転には便利だ。視力についてはメガネをかければ
いいとして気にしないことにしていたら、最近ちょっと ― 外在化していない時でも ― 視力が上がって
きている。)
「隠された基準」を、PCのみならず、宣伝や広報を担当する職員にも熟知させたほうがいい。現在の
ところ、教会では、病気などの治療への支援効果を期待して大姉を受けるPC以外に対しては、
適切なPC教育が施されることはほとんどない。

56 :
超人的能力を欲することを、欲とみなすか、人間本来の姿に戻るだけだと見るかで、
意見が大きく分かれそうですね。
ただ、そういった能力を得たという人は、皆、決してそれらを求めて修行したわけではないという共通項がありそうです。
解脱を求めて修行していく過程で発動したり、欲を捨てたら使えるようになったとか・・・。

57 :

釈尊が目指していたもの、そして彼が得たであろう境地の典拠は、
ただパーリ語経典のみであり、それらはすべて弟子の記憶による編纂だった。
それらが文字化されるとき、釈尊の教えと修行方法とその目的とを、
ありのままに書き記したと素朴に信じきれる、というのが私には不思議です。
彼の弟子が神通力を示し、それを釈尊が戒めたということが経典に書かれてあったとしても、
実際には経典に書いてある手法や考え方をひたすら実践し「欲を離れ」る修行をしている現仏教徒で、
そのような能力を開発できた人がどれほどいるもかはなはだ疑問です。
それは経典には嘘と隠蔽が混入してある傍証だと私は単純に思うのです。
「欲」を解放する具体的手法とその真の目的は秘密にされ、
一般の者に対しては当たり障りのない道徳的「解脱思想」を信じ込ませたのでしょう。
人間とは一般にそのような者です。仏教徒とて同様。
そのように、もう2500年も前に編纂された真意の分からないものを
現在の菜園と関連づけたり区別しようと言う発想に、疑問を感じました。

58 :

>>54「欲の消滅と奇跡的な現象や超人的な能力との関係に着目しているだけです。」
これは前スレの725、726、730、そしてこのスレの37、(38?)などと同様の発想ですね。
違いは、<54さん>は伝統を踏まえ、欲を離れた結果として超人的な能力の発動が起こったのではなか、と見ているのに対し、
前者は、むしろそれを一つの目的とし、欲の消去をその意図を持ってアプローチする、というところにあるのですね。

59 :

>>56「ただ、そういった能力を得たという人は、皆、決してそれらを求めて修行したわけではないという共通項がありそうです。」
これに関しては、中国の孫さん、チン・リンポウ、スプーン曲げのユリゲラー、フィリピンの心霊手術ヒーラー、
インドの元祖サイババ、日本の清田君、チベットのミラレパ(初期のころ)、ロシアのグルジェフ、それからそれから・・・
欲を持ちつつ超常的な能力を意図的に発揮しうる人たちの数多くの反証がありますよ。
それに生まれながらの超能力者、つまり修練なしでそのような能力を持った人(元祖サイババや清田君など)も、
そうでなく、才能はあったでしょうが、事実上後天的にそれを身につけ、制御可能になった者(初期ミラレパや孫さん等)にも、
「欲」は結構ある人がいますね。
むしろ、解脱のために修行をしてたらいつのまにか超能力や4次元能力が身についていた、と言う人の証言の方が、
目に入りにくいですね。多分そういう人は、公然とは語らない、と言えばそうですが。
だから、「皆、決して・・・共通項がありそう。」というのはどうかな?

60 :
>>57
>そのように、もう2500年も前に編纂された真意の分からないものを
>現在の菜園と関連づけたり区別しようと言う発想に、疑問を感じました。
まあそうでしょうね。
でもそれならば、「釈迦が菜園人ほどは遠い前世を思い出していない」などといった議論もナンセンスということになりますね。
そもそも、釈迦の前世の話が真実かどうかなんて誰もわからないわけですから・・・。
私自身は、魂の輪廻は幻想(錯覚)で、釈迦の前世の話は方便じゃないかと思ってます(あるいは弟子の創作?)。
私には、菜園は原始仏教に関しては、ヴィパッサナーや慈悲の瞑想の技術を取り入れてるってことくらいの、いわゆる技術的な影響しか見いだせませんね。
原始仏典で一貫して言ってることは、とにかく「欲から離れろ!」ですから、
それ以外の前世や超人的能力の話は、まともに捉える必要はないのかもしれませんね。
むしろ、「それらに執着するな」ということが強調されているようにも思えます。
あくまで仏教は、ですが。

61 :
>>56
超常的な能力を求めている人が、その人の状態と望みに対応した修行体系を実践すれば、
求めている能力を得られるだろう。
「隠された基準」が問題になってしまうのは、修行体系がもたらすはずの効果と「隠された基準」が
一致していない場合に、修行体系がもたらす効果が阻害されてしまうからだ。
超常的な能力を解脱に置き換えてみよう。
解脱していない人の欲は解脱につながらない。もしも解脱につながる欲を持っていたとしたら、既に
解脱しているはずなのだ。
解脱に至る道において、日常生活から生じた欲は「隠された基準」になる。しかし、解脱したいという
欲を釈迦はその他の欲とは別のものとして捉えている。解脱に至る道の途中において、解脱を
目指すことは「隠された基準」にはなりえない。
>>57
幅度が仏教を素朴に信じていれば、菜園は生まれなかっただろう。しかし、菜園は仏教から多くの
要素を吸収しているため、菜園の理解に仏教の理解は有用だ。

62 :
>>59
それはその通りかもしれませんね。
でも、私のいう超人的能力は、スプーン曲げ程度のものではなく、
それこそ肉体を自由に創造して出現(いわゆるアバター?)レベルの話です。
波動の法則で有名な足立育朗さんの話では、こういった能力を有した宇宙的存在は、
エゴがなくて、自然そのものになっている状態だからこういったことができるということでした。
(スプーン曲げも、「曲がれ!」というエゴでは曲がらないと言っていたような・・・。)
解脱を目指す修行中に能力発動というのは、ヨガや禅の世界でよく聞く話ですね。
私はむしろ、こちらの例のほうをよく耳にします。
空中浮遊は有名ですが、禅の坊さんで未来を見通せた人もいたとか。
でも当然、解脱や大悟の妨げになると、そういった能力に執着するということはないようですが。
まあ、肉体の創造レベルのことは流石に無理って気もしますが。
少なくとも大多数の修行者には。

63 :
>>61
>>「隠された基準」が問題になってしまうのは、修行体系がもたらすはずの効果と「隠された基準」が
一致していない場合に、修行体系がもたらす効果が阻害されてしまうからだ。
このコメントによって「隠された基準」の意味が、よくわかりました。ありがとうございます。
基本用語辞典の定義:「オーディティングによって効果があったことが確かめられる前に、
人が解決されなくてはならないと考える問題。菜園やオーディターを判断する基準。」
これにオールドタイマーさんのコメントを付け加えておきたいですね。

64 :

「願望」を<欲求と意図>から構成された構築物として捉えれば、純粋な意図だけを残し、
欲求(あるいは目指している状態に到達していない現状への抵抗)だけを願望から差し引くことが
できますね。
「欲」と一般に呼びなわされてるもののランクの相違や隠された基準による識別法だけではなく
欲の構造をも考慮にいれて議論すれば、何かしら得るものがあるように思えました。
そもそも釈尊が言ったとされる「欲」の意味は、どうやら多くの日本人には的確に捉えられては
いないのではないか、なんて気がしています。儒教的な思想との混同なんかもあるでしょう。
ちなみに中国にいる数人の超能力を使う導師に逢うと、私からすれば彼等彼女等は欲丸出しでした。
聞くところによると「道を金品にて買う」というのは昔からの礼儀であり、
所謂「欲」についての価値判断は日本人とは大きく違うように感じました。

65 :
前スレのdatファイルを置いときました。
http://miskatonic.hp.infoseek.co.jp/misc/freezone3.dat
>>731以降の書き込みが記述されているものがあったら教えてください。

66 :
菜園は仏教というより、道教に似ているって気がするんですよね。
欲を否定しないところが。
超人的能力を志向するところもそう。
私が欲を捨てることと超人的能力とが関連があると思うのは、
人間(セイタン?)はもともと神(のような存在)だったという考え方と関係があります。
もともと神だったのなら、思考は現実化して当たり前。
欲があったら、「〜したい」という状態が現実化されてしまいます。
自分が創造主ならば、叶えられないことなどないわけですから、
そもそも「欲」なんてものは願望実現の邪魔でしかないわけです。
ですから、願望実現や超人的能力の発現のような、神に近い能力を発揮するためには、
第一歩として欲を消去していくという過程が必要になってくるわけです。
もちろん、「欲=悪」と言ってるわけではありませんよ。

67 :
>>66
「願望実現や超人的能力の発現のような、神に近い能力を発揮するためには、
第一歩として欲を消去していくという過程が必要になってくるわけです。」
…とおっしゃる観点に、私も同意します。
で、よろしければ教えていただきたいのですが、
具体的に66さんはどうやって「欲を消去」しておられますか?
御自身が実際に行っておられる手法をシェアして頂ければ大変嬉しく思います。

68 :
>>66
道教と仏教も似ている。「還虚合道」と「涅槃寂静」は似ている。
菜園が仏教より道教に似ている点としては、菜園はパワールートで、能力の回復を通じて
最終的な悟りに至ろうとするところだろう。
菜園が道教より仏教に似ている点としては、菜園には欲を消去するためにGPM処理プロセスが
あるところだ。
菜園の橋は能力の回復をもたらすが、菜園が欲を全面的に肯定しているものではないことは、
技術体系で「隠された基準」について何度も警鐘を鳴らしていることから明らかだ。
欲にはいろいろあって、そのうちのいくつかは悟りに通じている。しかし、俺たちが悟りの道を歩み
始める前に、日常生活で生じた欲は悟りに通じていない。もしも悟りに通じている欲を
追求してきたのであれば、もう悟っているはずなのだ。
『犀の角』の1節をもう一度ここに示しておこう:
` 林の中で縛られていない鹿が食物を求めて欲するところに赴くように、聡明な人は独立自由を
` 目指して、犀の角のようにただ独り歩め。
「求めて」と「目指して」はある種の欲について肯定的に使われている。
「縛られていない鹿」 : 「聡明な人」 = 「食物」 : 「独立自由」 = 「求めて」 : 「目指して」

69 :
>>67
特に手法というものはないです。
意識的に、その場その場で極力欲を持たないようにする。これしかないように思います。
私は、「○○の技法を行った結果、未来において無欲の状態になる」みたいなことは不可能なんじゃないかと考えてます。
禅でも坐禅時脱落とか言いますよね?
坐禅している状態がそのまま仏の姿なんだから、ただひたすら坐禅しなさいと。
それと同じような気がします。
流石に物質の創造までは無理ですが、普段から欲を持たないように心掛けるだけで、
シンクロ現象、例えば、欲しかった物が思いがけない形で手に入るとか、仲が悪かった人と和解するといった
程度のことなら頻繁に起こるようになります。
菜園の技法、「抑圧された人のランダウン」の最終現象は、抑圧者のほうから和解を求めてくるというものだったと記憶していますが、
欲を捨てれば、高いお金を払わずとも、そのくらいの結果ならば一瞬で達成されます。
「抑圧された人のランダウン」では、「PTSランダウン」を受けても未だにPCがPTS状態に陥ってしまう原因を、出生前のエングラムまで求め、
オーディティングでタイムトラックを遡るという手法を用います。
ですが、結局、過去に原因があろうとなかろうと、その状態を作り出しているのは現在の自分に他ならないわけですし、
抑圧者に対する欲求を捨てれば、過去を思い出さなくてもその場で問題は解決してしまうというわけです。
要するに、欲から離れれば、PTSになどなりようがないんです。
欲から離れることがどうしてもできないという場合、やはり、自分に戒律を課すのが一番手っとり早いかもしれません。
そう考えると、釈迦の八正道が素晴らしいのを再確認してしまいます。
もしかしたらこれ以上の技法はないかもしれません。
坐禅もそうですね。
ただ、これらの技法は、願望実現や超能力発動を目的に行っても意味がないかもしれないですね。
それこそ「隠れた意図」ですか。

70 :
>>69
細かい点だが、指摘させてもらう。
エングラムを処理するのはPTSランダウンの一部で、抑圧された人のランダウンでは抑圧者との
関係に特化したグレード1のようなことをやる。
チャージのある出来事が極度に多い場合、エングラム処理は効率面に難がある。数少ない
出来事のチャージを消去するよりも、数多い出来事のチャージをキーアウトするほうがいいことも
ある。
(内在化ランダウンと終わりのない内在化修復の終わりのランダウンの関係もこれと同じ。)

71 :
まあエングラム処理自体は否定しないです。
PTSランダウンにしろ、NEDにしろ、過去のトラウマがなくなるに越したことはないですから。
しかし、現時点で相手を許したり、他者をコントロールしようという欲を捨てるだけで、
同様の結果をもたらすことができるのもまた事実だと思います。
組織と関わるのが嫌だったり、お金を払いたくない場合はこちらのほうをお勧めします。
正直言うと私が教会で一番受けたかった技術がPTSランダウンでした。
でも、最近になって、現在の思いが現実を造りだしているってことにようやく気付きました。
別に出生前のエングラムとか、あってもなくてもどちらでもよかったんです。
今、思いを変えようと決心するだけで、現状なんていくらでも変化します。
当時はスタッフの言葉にかなり振り回された気がしますね。
オーディティングを受けなきゃ未来はない、みたいに。
教会菜園人の落とし穴は、コースを受けないと状況は改善しないと思っているところでしょうか・・・。

72 :

オールドタイマーさんにおききしたいのですが、
>>71の投稿に下記の文があります。
「今、思いを変えようと決心するだけで、現状なんていくらでも変化します。」
私の経験では、「決心すること」によって他者や現状や自分を許し(価値判断を手放すこと)、
その囚われから自らを解放できたり、生活状況をシフトさせたり対人関係でのあり方や態度を
変化し得たことが幾度かあります。
一方で、何度も固く決意しようとも、依然変え得ない、しつこい衝動や思考パターン等も存在し
悩まされることもしばしばです。
各種ワーク(プロセシング)を行うことで、「決心」のみでは変え得なかった問題から
解放されてきた事実もあります。
質問は、「決心」による変化とその効力や持続性、またそれを妨げてる要因などの関係性についてです。
何故、決心が効力を持ちうる領域があり、そうでない領域があるのでしょう?
かつての決心が新たな決心と同じ平面上にあれば問題や混乱や不確かさが生じるでしょう。
かつての決心を変えることや消去することで空き地が生まれ、そこに新たに何かを比較的容易に打ち立てる自由さが
得られるようにも感じています。決心が意識の多層構造の中でそれぞれ位置を持ち、対立構造をなさなければ
手に余るような混乱した状態も生じないとも思われます。このあたりのことをご教示ください。
また、かつての決心を変える(消去する)のもまた一つの決心なのでしょうか?

73 :
>>72
位置属性を持つあらゆるものはチャージだ。この宇宙全体もチャージで、その中の人の生活の
大部分もチャージだ。
決心はチャージを生む。
現在の生活を何らかの意図で良い方向に変化させることができたということは、決心の結果として
生じたチャージに当人が満足したということだ。
しかし、決心とその効果はその決心が生じた生涯を超えて残る。過去の生涯でのある決心と、
現在の障害のある決心が対立関係にあれば、そこに問題が生じる。
かつての決心を変えようとすれば、日常の生活には変化が生じるが、魂の能力の一部は、まだ
消去されていない過去の決心とそれを変えようとする現在の決心の両方に充てられているため、
その分だけ魂の能力は低下してしまう。
大姉やGPM処理でかつての決心を消去すると、能力の低下を避けられる。

74 :
>>71
現状を自分が希望する方向に変化させたいだけであれば、菜園をやる必要はない。
現状の変化だけを望む ― つまり、欲のある ― 人が菜園の橋を上ろうとすれば、現状に当人が
望む変化が生じたかどうかだけを、菜園の効果についての評価の拠り所にしてしまう。これは
隠された基準になる。
そういう人に菜園は本来の効果をもたらさない。
もちろん、教会の職員の勧誘姿勢にも大いに問題がある。
菜園が現状に何らかの変化をもたらすことは大いに期待できることだが、それが当人の望む順序で
生じるかどうかは全く分からない。実業家として成功したい人が、菜園を実践することで、
実業家として成功できるかどうかは分からない。たいていは、当人の希望と関係が薄い能力が
回復する。例えば、クリアーになると、歌うのがうまくなるようなことがあるかもしれない。

75 :
>現状を自分が希望する方向に変化させたいだけであれば、菜園をやる必要はない。
これも隠された基準になるのかもしれないですね。
欲を捨てるということは、そもそも現状を変化させるために行うものではないでしょうから。
「現状を変化させたい」という思い自体が欲に他なりませんからね。
ある意味、欲を捨てるというのも、悟りを目指すとか、本来の自分に戻るための行為だという気もします。
現状が好転したといったようなことは、あくまで副次的なものという感じですね。

76 :
オールドタイマーさんは、前世がアメリカ人で菜園をやっていたにも関わらず、
なぜ日本人に生まれてくることを選んだんですか?

77 :
>>76避難所にその答えが・・・

78 :
避難所?

79 :

http://bbs.shingetsu.info/thread.cgi/Freezone#rc3a364d7

80 :
>>79
ありがとう!
解決しました。

81 :
>>76
前世ではイギリス人だった。マンチェスターで菜園に入門し、セイントヒル荘でも少々オーディティングを
受けた。
日本人になることを選んだ覚えはないのだが、俺の別断片がたまたま日本に肉体を持っていたため、
俺もその肉体に入ったようだ。
次は、多分、北欧に転生することになるような気がするが、確信はない。俺がこの肉体を去る時、
北欧のその男も初老になっている。そういう年齢の肉体に宿る断片と融合することが、今の俺の
ケースレベルで可能なのかどうか、いささか疑わしいところだ。

82 :
>>81
ありがとうございます!

83 :
 

84 :

http://say-move.org/comeplay.php?comeid=4928&fmt=22

85 :
 

86 :
阿含宗桐山教祖の逮捕歴
昭和二十七年八月十六日詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署
十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署
二十八年八月酒税法違反私文書偽造容疑逮捕
警視庁防犯課
二十九年三月酒税法違反私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪

87 :
悟りについての意見
悟りとは人間の成長の1過程と最近思い至った。
肉体的且つ精神的、つまり生物学的成長の延長線上にあるものという事。
oldtimer氏が言うようにこの世の物質の再配置であることと同じく、
成長という現象もあるものの見え方の一つとは言えるが、便宜的に
人間の成長の延長線上の一つと位置づけておく。
人間の成長の過程↓(マズローの心理欲求やシュタイナーの成長スケールも参考にしつつ)
胎内で地球上の生命発達過程の一連を辿りつつ、必要な部分を除き不要な形状を除外する
出生し動物的な触れあいを経つつ、動物的本能に由来する恐怖を取り除いていく
生物学的な生存の必要要件を理性で制御し活動する術を身につけつつ、後退的な行為を除外していく
理性によって判断出来る全てと言える行為の中から意志を持って判断していく
この最期の4段目の意志の発現とそれまでの過程に見られる”無駄なものをそぎ落としていく”という過程との合致が
仏陀の説く悟りに向けての欲の放棄に連なるものだと考えた。
つまり肉体が水生生物の水かきを胎内でそぎ落とすように、幼児が親との触れあいで動物の本能的な恐怖をそぎ落としていくように、
理性によって無駄な動作を、意志によって成長には意味の無い理性的判断を…と進めていった時に、
人間の成長の一過程として欲を捨て去る過程が必要なのだと仏陀が見たのではないかというのが今回の悟りに対する意見。
余談として、仏陀の身体的特徴からは胎内での身体的発達が充実していた事を表しているように見受けられる。
顔立ちなどはともかく分かりやすいところでいうと耳たぶの大きさ。
人は胎内で十分な発達が得られると耳たぶがしっかりと割れた状態になる。
人を犯した犯罪者の特徴として耳たぶが無くそのまま首筋になだらかについていて前の方を向いている、
というのが見られる統計があるが、つまり身体的成長も精神性の発達に影響することから、
仏陀も 身体的に充実した発達→精神性の発達→その先の人間の成長(悟り)の発見
につながったのでは無いかと思われる。
覚者にとっては明確に分かるものとされる悟りも、その所作や精神性の現れはいわゆる”究極の大人”であるといった説明が
出来るのでは無いかと思う。
以上。乱文申し訳ない。

88 :
なかなか興味深いですね

89 :
うむ。

90 :

>>余談として、仏陀の身体的特徴からは胎内での身体的発達が充実していた事を表しているように見受けられる。
仏陀が悟りを啓いたときの姿を現したという仏像に着目し、その鎖骨が『水平である』こと、
ようするにYの字やUの字でないことをもって、悟りとへ向う身体準備がなされていた、
とする見解などもある。
このようなアポロン型身体を人体の完成型とみなし、その土台の上にさらなる精神の成長進化が起こる、
とする心身一元論に傾いた見解は、自由へと向うある段階で限度があるように思うな。

91 :
優良な身体を獲得するための競争に勝った魂は、確かに有利なんだろうね。

92 :
悟るために劣悪な身体を意図的に選んで転生する、というのもありかもね。
何せ、何が悟りに有利に働くのか、はっきりしていないのだからさ。

93 :
禅が言うところの悟りと、ヨーギが目指す覚醒には随分違いがある。
能力という点で、禅で悟ったという人等はヨーガの覚者に及ばない。
菜園のプロセシングで現在到達可能な状態は、1日1時間の自観法を3年続ければほぼカバー可能。
ただ菜園は、知性もある程度満たしてくれるのが違いかも。

94 :
ふむ。

95 :
人間精神の本来的能力(OT能力)は「夢」という領域に封印されている。
われわれは夜眠り、日常とは違う意識のあり方へとフェーズを代えるのだが、
起きてるときの諸意識と夢見の中での諸意識、という具合に大きく二分割されている。
この分割は、OT能力を日常性の昼間の意識からシャットダウンするために意図的にもたらされた。
これをなしたものこそ「旧支配者」である。
現在この封印は解除されているのだが、マインドの習慣性によって人間自身によって維持されている。
幅度が夢の研究にあまり深く入り込まなかったのは、旧支配者が仕組んだ自動性による防衛機制が発動したためだ。

96 :
>>95
旧支配者とは誰ですか?
あなたは菜園の経験者ですか?
夢と潜在意識の話は、マーフィーの本とかでよく語られますね。

97 :
旧支配者の痕跡を認識するには、BT処理に長けている必要がある。
現時点において旧支配者はわれわれに関与していないように思われるからだ。
しかしながら、云わばその配下的な存在は今も常に働き続けている。
その中には不慮の事故や犯罪などに巻き込まれるといった、
所謂悪しきカルマの現成を促してるように見えるエンティティー、
またOT能力の開発及びその発現を阻止する意図を持った未知の存在等がある。
夢に封印された能力は、マフィーの語る現世的願望実現の範疇では表現できない。
例えば身体的存在のまま姿を消したり生物学的寿命を超えて生きるなど、
かつて伝説においてのみ語られていた諸能力を含むからだ。
要するにこの物質宇宙における物理法則を一時無効にし得る何かを認識し
巧みに操作できる主体の側面だ。

98 :
>>97
夢を扱う体系の実践者でも、その夢に封印された ― といわれることもある ― 力を発揮している
人がほとんどいない。
安定した結果をもたらせないものを、菜園の実践の主流に加えるのは不適切だろう。

99 :
ワ〜オ!オールドタイマーさんだ。お久しぶりです!
やはりあなたからの投稿がないと寂しいですよ。

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