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2011年10月1期心と宗教◇ 神とは言霊 。あめつちの巻 。◇ TOP カテ一覧 スレ一覧 削除依頼
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◇ 神とは言霊 。あめつちの巻 。◇


1 :11/09/23 〜 最終レス :12/01/08
神代記(古事記の)が言霊(心の運用)学の教科書であることを知らせ、少し勉強するスレです。
神(一神教も多神教も)なんて存在しないという人も、
神(一神教も多神教も)を信じている人も、
カッと明かに見た人も、
何かしようとする初めの時、心の世界に出てくるのは
イメージ・言葉だよね。
言霊が言葉になったのか、
神によって言葉を発するようにさせられたのか、
神の言霊が言葉になったのか、
言霊の神が言葉になったのか、
どうなんだろう。
体感的、創造的に、まるで自分が言霊という子供を産むような感じで、、、、
神とは言霊→精神生命の現象→心→我々自身。
普通に言われる、言葉に乗ったパワーや言葉の霊的な力ではなく、
言=霊と霊=言の一体となったものを求め創造していくものです。
命名学、占いおまじない、愛の言霊、霊感言霊パワー、等は扱いません。
学べる HP。 http://www.futomani.jp/manabi.html
神道の神名が言霊の実相実体であることを証明しているサイトです。

2 :
お値段以上2とり

3 :
その中の竹内古文献には「鵜葺不合皇朝[うがやふきあえず(神倭朝以前の皇朝)]
第三十八代神足別豊鋤天皇(かんたるわけとよすき)の御宇(みよ)、
イスラエルの王モーゼ来る。天皇親しくこれを教う。帰るに臨み天皇モーゼに勅して曰く
『汝モーゼ、汝一人より他に神なしと知れ』と……」

4 :
現代人は誰でも信仰心を持つ持たないに関係なく、
心の中に自分とはかけ離れた宇宙の何処かに万能の神がいて、
我々人間界を見そなわしている、と思っている。

5 :

「汝人間モーセ、汝一人がそのまま神なのであり、
それ以外に神はないのだ」と。
人間の心の宇宙が究極に於て五十個の言霊で構成されていることを
確認することが出来た聖(霊知り)天皇にして初めて明言することが出来る真理なのだ。

6 :
I am that I am. とは初めの
I am の私はとはエホバ神自身のことであり、
that I am の私はモーゼのことを意味している。
「神とはモーゼがモーゼであること(モーゼがモーゼたらしめているもの)である。」

7 :
最も素晴らしい能力の根本、言霊の原理というものを勉強なさってこの学問の力を発揮してくだされば人類にどれくらい寄与できるか、
パレスチナのごたごた、イラクのごたごた、世界の紛争、まるで地獄の果てです。
単なる決起集会で収まるものではございません。
何故って言えばみんな三千年来の罪、汚れなのですから。
その罪穢れを一掃する方法がある、それが言霊の学問の霊葉(ひば)という、
日本語の力、
これが活用して霊葉を使いますと、人間の心の底の底にある方便としての闇が消えてなくなる。

8 :
「空」へ行くための手段が「無」
自分の特長がどんどん失われて「どうなってしまうのだろう」ということになります。
にも係わらず信仰を頭に描きながら人間の真実を求むべしとして、
自我を形成している自分の得意としている知識の一つ一つを「そうではない、
これは心の衣なのであって俺自身ではないのだ」と言って否定していく。
否定していくことを「無」と申します。
今の禅のお坊さんは何もなくなったことを「無」と言います。
その一字が禅宗の張り手を意味している。
何もなくなったら広い、広い宇宙に飛び出す。
「空」へ行くための手段を「無」と言う、それが禅の極意です。

9 :

昔の禅宗の本を読みましても、「無」になれ、「無」になれ、なんて書いているものは何処にもありません。
「無」と言うのは経験知の「俺が」が出てきたら、それを「無」とする。
ケネディが狙撃された時に傍にいたジャクリーン夫人が瞬間的に「NO!=ダメ!」と叫んだ、
その「NO!」が「無」です。
その経験知は必要なものではあるけれど、それは自分自身ではないのであって、
自分自身が集めた心の衣なんです。

10 :

ということに気がつきますと、何もなくなってしまう。その経験知が自我だと思っているから。
経験知が自我を形成していることをお考えになったこともない。
「今」って何だと申しますと、経験知の綜合体、
最後の経験知に「NO」と否定した時に、自我意識がスーッと消える。
消える前まではとても心細いことだったですが、消える瞬間には何の意識もない。

11 :
よくわからまい

12 :
>>11
実は、上記は、引用文なのですが、引用しているわたしも分かりません。
分からないところが良いなという感じです。、、
「分かったガッテン」、と坊主の頭を叩いて、笑って終わり、
後は気にしないで忘れてしまうことより
このまま分からないだろう、分かることもないだろうと、
思っているほうがまだ先があり、そんな気をもんでいる状態です。

13 :
何方でも行ける境地ですが、ただそういう意味で今の宗教書に罪がある。
阿弥陀様を遠くから偶像崇拝して「南無阿弥陀仏」と死に際になると唱える。
普通なら阿弥陀様を感じることはありません。
遠くにいる仏様のために祈る、そうすれば救われると教えているわけですから、「あんな人にはなれない」と思う。
お釈迦様は素晴らしい人で普通の人には到底なれない、超人間、スーパーマン、そのように教えられている。
だから拝む、救ってくれる人は阿弥陀様と言ったり、イエスキリストと言ったりします。
けれど、阿弥陀様だって、屁をたれたり、腹が減ったら飯も喰う、眠たくなったら寝て、寝言だって言うだろう。

14 :

誰だってそうなんです。阿弥陀様は崇め拝む先にいるんじゃない。
誰もが言霊アの境地に至れば阿弥陀様なんです。
要するに感情が発露した時、「あぁ、楽しい」、「あぁ、悲しい」、「あぁ、喜ばし」と言っているのは阿弥陀様が言っている。
アの主宰仏が阿弥陀様。
他にいない、いるという時は、戦国時代のようなこの世の安心がない時代、ば極楽浄土へ行ける、
キリスト教も人類の罪を一人で被って磔になったんだ、
だからイエスキリストの名において祈れば、天国へ行けるというのがローマ教会の教義ですから。

15 :
一番大切な掟、だけどそんな立派なイエス様なんていない。
竹内文献によればイエスキリストは
「俺は死ぬのがいやだ、もっと生きたい、もっと他の仕事をしたい」と言って逃げてしまって、弟が身代わりになって磔にされた。
本当かどうかは知りません。ですが、そんな理想的な人は決していない。
理想的な行為を時々するのが人間なんです。
ピンからキリまで理想的な人なんていないんです。

16 :
人間精神の究極の原理としての言霊の学問はいったいいつ頃発見確立されたのでしょうか。
詳しいことは今後の研究、立証を待つより他はありません。
けれども少なくとも現代の歴史学者や言語学者が日本の歴史について主張しているよりは
遥か以前の出来事であったことは間違いないようにおもわれます。
なぜなら現在私達が日常使っている日本語の内の大和言葉というのはすべて五十音言霊の原理によって決定され命名された言葉であることが、
その明かな証明でありましょう。言霊の原理を理解し、その原理の観点に立って現行の歴史学や考古学を再検討するならば、
日本のれきしの起源は現在の常識より遥か遠い昔に遡ることが明瞭となります。

17 :
と同時に日本のみならず、世界各地の神話、宗教書等に示され、今の学者にはどうしても説明することができない多くの事柄が、
この言霊の原理から考えると、いともすらすらと解釈することができるという事実にもよります。
これよりその大略をお話しいたしましょう。
先に「言霊の発見と変遷」のところでお話しましたごとく、紀元前数千年の昔、言霊の原理が発見され、
その後この日本列島においてその原理に基図いて人間社会の文化の創造、政治国家が建設され繁栄して時代が続きました。
言霊原理は遠く全世界に流布施行されるようになりました。いわゆる神話の時代です。
ところがこの精神原理が人間のもう一つの性能面である物質文明の発展促進のために隠没される時がきました。
約三千年前の出来事です。

18 :
原理の隠没とは消滅ではありません。一定期間を経て物質文化がある程度に進展した時、
再び人間の脳裏から甦り、物質文明と車の両輪をなす精神文化の原理とならねばなりません。
そのために原理を隠滅する事業と平行して、その甦りの時の用意に、種々の方策が取られたのでした。
その第一は言霊の原理をあからさまではなく謎として呪示する神話の制定です。
各民族の神話の原型はすべて言霊原理を表徴しています。

19 :
第二に世界的宗教の創生です。
その目的は、言霊原理の韻没に続いて当然招来される人類の精神暗黒時代に生きる人類の心のよたどころとし、
また、言霊原理が甦る時に備えて、その原理を受け入れ易くすくための人間精神の修練とするためです。
と同時に、言霊を各宗教書の中に表徴てきに暗示するためでもあります。
第三は、言霊の原理を形の上で表徴する各種の建造物を遺しました。
例えば日本では伊勢の内外宮の本殿の作り方、仏教の多宝塔、五重塔、方丈等々がそれであります。
以上のような歴史的な記述は、今までの常識の枠をはみ出していますので首肯しかねる方が多いことと思います。
けれども、今後この本の説明する道筋に則ってご自分の心の構造に踏み入って頂くならば、
否定のしようのない事実としてなるほどとうなずかれることとなりましょう。

20 :
自己の心の中に踏み入ると申しましても別に特別な方法によるのではありません。
数千年の歴史を持つ神道、儒教、仏教、キリスト教等の宗教に明示しているそれぞれの反省、修行をそのまま踏襲して、
その上で各宗教が奥義としてきた内部にまで妥協することなく突き進んで頂ければこと足りるのです。
前置きはこのぐらいにして、言霊の原理はその隠没の時代に
どのように呪示として遺されたのかを数例を挙げて説明してみましょう。

21 :
あらわれるのじゃがあらわれた!

22 :
おもいっきり乗り遅れてます、orz
wikiや過去の書き込みから、遅まきながら本は手元に手に入れてました。
あらわれさん、いつのまにか肯定スレだし(今気づきますたw)・・・。
そしてここにました。
あゆみの遅い私ですが、
よろしくお願い致します。
最近、体調がすぐれず、文字を追うとめまいがしますw老眼が始まったと
思われますw
ちょっとずついきますよーーーーー。
コトタマ学入門から、入ってま〜す。

23 :
>>21
◆x6s/29sxi2さん、肯定スレでここ教えてくれてありがとう〜

24 :
こんばんは。どうか宜しくお願いします。
同じく◆x6s/29sxi2さんありがとう!

25 :
>>
島田正路著
『言霊』
昭和62年 言霊の会刊行 (絶版)
絶版になっていますが、丸写しで載せます。全208頁。
ただし、図形は複写法を知らないので、省きます。
内容は五千年以上前の大和の聖人たちが現代の私達のために、既に成し遂げ残したものです。
著作権の侵害にはならないと思います。
改行空白が多いと字数制限みたいなのがあるので、書き切れません。
空白改行を少なくして載せます。
名前欄は原著の表題と頁です。

26 :
 これから言霊(ことたま)の話をしましょう。
皆さんが小学校で習ったアイウエオ五十音図が、なぜ右の行の母音が上かアイウエオの順で並び、
横の上段がアカサタナハマヤラワの順で並んでいるのかご存じでしょうか。
れはある時代に単に偶然にこの順序で並べられたものが、そのまま習慣になったというのではありません。
どうしてもこの順序で並べなければならない理由があるのです。
この理由を、そして現代の日本人が使っている日本語の源泉である大和言葉の
一音一音の持つ意味を深く探って行くと、究極においてこれからお話しようとする言霊に行き着くのです。
 ある言語学者は、「古代の日本人はことたまの存在を信じていました。
人間が発した言葉には、その内容を実現する働きがこもっていると思っていました」と言っています。
この場合のことたまとは言葉の魂という意味でありましょう。
わたしがお話しする言霊とは、言語学者気いうことたまの意味を包含しながら、
もっともっと深い意味内容をもったものです。
 普通言葉とは、何らかの思考、意識、状況を他人に伝達する手段ぐらいにしか考えられていません。
けれどもよく考えてみると、人間は口から発音する以前、頭で考えている時も、実は言葉で考えてるのです。
心の動きとは言葉の動きと言ってもよいでしょう。
その心の動きを深く深く探っていきますと五十音の言霊に行き着く事になります。
端的に言って、言霊とは、人間の精神を構成している根本要素ということができましょう。

27 :
 「これは何だろう」という思考が始まった瞬間、人間の意識は必ず考える側の主体と考えられる側の客体とに分かれます。
この時考える側の主体が捨象され、考えられる側の客体の内容か抽象化、法則化されますと一般に科学が成立します。
物質科学は長い間かかって”物”とは何であるかの疑問に取り組み、
今世紀に入ってその全貌をほとんど解明するところまで進歩しました。
物質の究極単子である諸元素の発見と、それら元素の先験構造の内容である電子、原子核、またその核内構造の解明です。
そして核内エネルギーの解放に成功したのです。
 この科学への態度とは全く逆に、考えられる側の客体を捨象し、考える側の主体すなわち、人間とは、人間の心とは何であるか、
を追求していって、その人間精神生命の先天、後天の究極の構造を明らかにして時、
その最終的な要素が言霊と呼ばれているものなんです。
 心の根源要素が五十個あります。
その五十の要素のそれぞれにアイウエオ五十音を当てはめました。
そしてそれを「アイウエオ五十音言霊」と申します。
元素とか原子核内素粒子(核子)が物質宇宙の究極存在だとするならば、
五十音言霊はわれわれ人間精神宇宙の究極存在であるということができましょう。
言霊とは言語学者のいうような”言葉の魂”の意味ではなく、
人間の心と言葉を構成している根本の言葉であり同時に「たましい」であるものということです。
全ての大和言葉のものの名前はこの言霊の法則から命名されたものなのです。

28 :
話を変えて現代世界の人類が直面している物心両面の状況を考えてみましょう。
物質科学の進歩は人類に驚異の繁栄と便利さをもたらしました。
と同時にもしその使用運用をひとつ誤れば、世界人類全体の破滅といういまだかつてない危機の可能性も現出しました。
 第二次大戦以降国際緊張はやむ時なく、繁栄の裏にひそむ破錠が常に人類をおびやかしています。
このような世界の危機状況に対蹠するには従来の哲学、道徳、宗教はあまりにも無力です。
物質文明の急速な進歩向上に反比例するように、人類の精神文化の水平線は明らかに低下しています。
高度に発達した物質分化の巨大な機械のハンドルをにぎっているのは、いまだ精神的には錬金術の水準にした達していない、
道徳的には幼稚な人間なのです。物質文明と精神文化の完全な跛行状態といえます。
 ある精神主義者は物質科学の進歩追求をこの段階でストップさせるべきだと主張します。
 しかしそれは歴史を逆行させることで、不可能でしょう。
要は現代のごとく高度に発展した物質科学を人類の真の福祉に役立つようにコントロールすることが可能となるよう、
人間精神の高揚自覚ができるかどうかが問題なのです。
現代の科学文明を完全に包摂してコントロールできる人間精神とは、
現代科学と少なくとも同じ程度の精密な詳細な内容を備えた精神の先験、
後天の構造原理でなくてはなりません。

29 :
と同時に現代の”科学する心”をその構図の中に合理的に組み入れることのできる精神原理であることが要求されるでしょう。
このことが可能となったとき初めて人間社会の営みである物と心の分化の両輪が
調和の廻転運行を開始できることとなります。
 言霊の話は日本語の成立の起源と深い関係を持っています。
言葉がどのようにできたかがはっきりしてきますと、日本の歴史の発見に明るい光を投げかけることにもなりましょう。
これからお話しする言霊の原理が、以上の日本と世界の課題に明快な解決策を提供することができるものと思っています。
 この本を読んで言霊の意味に興味をもたれた方は、ぜひ個自分の心の内容に立ち入り言霊の存在を確認して頂きたいものです。
そのことによってわれわれ日本人の話す日本語の持つ素晴らしい内容と、
人間の心の霊妙としか言いようのない構造に気付かれることでしょう。
と同時に、人間とは何であるか、日本人とは、という問題に明確な回答を手にされることとなりましょう。

30 :
>>756 :雪丸ちゃん : 岩戸開きについては、
あらわれさんの解説が欲しいところだ
精神原理上では、岩戸を原理の表徴とした戸を開くこと全部に関することです。
古事記神代記、天の石屋戸の章に全部載っています。
それ以外の話になるなら、各人のお気に入りの現象が取り上げられることになります。
いずれにしても各次元世界(五)の岩戸という表象の、実在現象の五次元のどれかに落着くものです。
精神次元で話をするなら、イ。)を、宗教感情次元でなら、ア。)を、知識学問ならオ)を、智恵の実践事項ならエ。)というぐあいです。
ウ。)肛門開いてすること、校門開いて下校するすること、後門開いてコソコソ逃げること、
生産ラインを開いて車を生産すること、エプロン掛けて食事の準備をすること、口を開いてご飯食べること、
神示読んでみたい、テレビを見たい等、全ての五感感覚次元での行為を始めること、
オ。)本を開いて勉強、知識が出てきて、相手のいうことを理解する、神示の言葉に疑問を出すこと、
原因を考えること、全ての知識記憶概念を扱うこと、
ア。)美しい悲しい素晴らしい、神をみた、自然に感動した、空を悟った、神示を信じること等々、
感情情感を動かし動かされること全てに関すること、

31 :
一部。言霊
言霊の発見と変遷
 言霊とは
 五十音の区分
 母音
 半母音 
 父韻
 親音
 子音
 再び父韻について
 次元の相違と父韻
 四つの五十音図
 事物に名を付けること
 言霊による宇宙とは
 言霊原理の発見、隠没、復活
 言霊と古事記
 言霊と仏教典
 言霊と聖書
 言霊を自覚確認する方法について
 言霊子音の自覚について
 言霊原理による創造について
 古事記と日本書紀
 濁音と半濁音
 神代文字

32 :
二部。言霊学随想
 日文。ひぶみ
 俳句と和歌
 宗教について
  仏教へ
  キリスト教へ
 漢方医学者と自然農法者へ
 ピタゴラスの定理
あとがき

33 :
 今をさかのぼること少なくとも五千年以前、おそらくアジアのどこかの高原地帯において賢人のグループが集まり、
人間の心とはいったい何であるかの研究が続けられていました。
そして長い研究の結果、人間の心の全構造とそれを構成している最小単元を解明することに成功したのです。
それは言葉という人間精神の究極の構造原理でり同時に言葉の原理でもありました。
 人間が人間という種を保持している限り決して変わることのない永久不滅の原理法則です。
 時かきてこれらの賢人(これを聖=霊知・ひし・りという)の中から選ばれた一団が住み
心地のよい気候温暖な低地に下りてきて、この精神と言葉の原理に基づいて
人間の文明社会を造り出そうと活動が始まりました。
そのグループが最終的に定住地とした場所ははっきりということができます。この日本列島です。

34 :
 この列島に居を定めた聖の一団はまずその持っている言霊の原理に則って事物の名前を付けました。
と同時に原理の図形化を基礎として各種の文字を作りました。いわむる神代文字です。
次にその命名した名前のごとく事物を操作伝達する社会の建設に取りかかりました。政治の始まりです。
人間精神の真理そのものである言葉がそのまま通用し誤らない社会、人間の理想社会が建設され永く続きました。
この真理の言葉、言霊の原理とその運用法は次第に世界中に伝えられていきました。
この人間社会の理想精神文明の創造の時代を各民族の神話は”神代”として今に伝えています。
中国における尭(ぎょう)・舜(しゅん)帝の鼓腹撃壌の善政、儒教で伝える白法・結縄の政治の時代、
(追加注、白は昔「申す」と読み、言葉の事、仏教には白法隠没・びゃくほうおんもつ・がある。)、
ギリシャ神話の中のタイタン族の支配の時代等々の伝説は、単なる伝説ではなく、
実際に精神の究極の原理である言霊の法則に基づいて政治が行なわれ、
精神文化の栄えていた時代のあったことを伝えているのです。
時代が下って言霊の原理が一時隠没する時か来た時、人はこの原理を神として祀りました。
人が人であることの根本理法でありますから、言霊を神と祀ることは当然といえるかもしれません。
それゆえ、言霊の原理による理想社会の続いていた時代を神話では神代と呼ぶのです。

35 :
 易に可図・洛書と呼ぶ数の理があります(図表参照)
これについて中国の古典に「河は黄河、洛は洛水、古昔伏義は黄河よりいでたる神馬の文に則り八卦を畫し、
禹 は洛水を治めて神亀を獲、その背文に因りて洪範を作れりとの伝説あるをいう。
しかれどもこの事実の真否は今これを詳にするにあたわず」とあります。
河図
・・7
・・2
83549
・・1
・・6
洛書
492
357
816
 言霊の原理を理解しますと、可図といい洛書と呼ばれるものが
明らかに言霊の法則の一部を数の理でもって表したものであることが分かります。
そこで言霊の原理の隠没の時代のために、
神馬とか神亀などと謎めいた言葉で神話を美化したのだということが了解されるのです。
言霊の原理が世界中に通用していた期間、世界は精神文化の華咲く理想の時代であったのです。

36 :
 この精神の根本である言霊の原理が、その時の為政者らの明らかなある意図によって、
ある期間、隠滅される時がきました。
今から三千年ほど前のことです。爾来世界は次第に弱肉強食、権力至上の時代にはいります。
その意図とは何であったのでしょうか。
精神と反対の、人間のもう一つの面である物質文明の急速な進歩を促すための方策であったのでしょう。
精神的に満足している鼓腹撃壌の社会には物質科学の研究は急速には進歩しません。
他よりも強く豊かで権力を持ちたいと思う競争が物質文明を促進します。
この状態は三千年を経た今日まで続き、物質の研究は頂点に達した感があります。
この期間人類の精神的荒廃に一定の歯止めとなるよう、韻没する言霊の原理に代えて、人間精神の拠り所として、
言霊原理を比喩的に形どっ多種の宗教が創始されました。
 日本の伊勢神宮を中心とする神道、中国の儒教、印度の仏教、
イエスのキリスト教、その他マホメットの教え等々であります。

37 :
 「大道頽れて仁義あり」とは中国の言葉です。これは左記の消息をよく伝えています。 
仁義とは儒教が教える人間として守るべき最も尊い道徳です。
人間精神の究極の原理である言霊の大道が隠没し、頽れたために、儒教の仁義が興ったのです。
孔子は尭・舜の治世を渇仰した人でした。覇道権力の政治の期間が三千年続いた現代に至って、そ
の仁義の道徳も見えなくなるほど人類社会の精神的荒廃はひどくなりました。
人類の存続さえ危惧される時代です。
この問題に処していくに現代の宗教や道徳は蟷?の斧ほどの力しかないでしょう。
 この時三千年の暗黒を破って、まさに不死鳥のごとく言霊の原理が蘇ってきたのです。
確固とした方策として三千年の権力闘争を基調とした物質文明を産み、
各宗教を創成した「言霊」が、神というベールを脱いで私達の手の届く所に顕れてきました。
西暦二千年を控えた一九八六年とはこういう時代なのです。
 以上言霊の発見から現代までの変遷の歴史をごく大雑把に書いてみました。
たぶん大部分の識者は荒唐無稽の空想事と笑い飛ばすことでしょう。無理もありません。
この世の中のことに処して一本の筋を通すことほど難しいことはないと覚えるのが物知りの常識となった、
この三千年の来の暗闇に浸りきってしまっている現代人なのですから。
しかしこれから説明する「言霊」の原理を、一点の妥協も許さずご自分の心の中に分け入って探求していただくならば、
その空想と笑ったことが直ちにいとも厳粛な”事実”となって一つひとつ心の底から焼きつくごとく認識されてくるでしょう。
 さあ、これから言霊の紹介と説明に入ることにしましょう。

38 :
 人間が考えたり、しゃべったり、やったりする時、全て言葉によっています。
言葉に出さずただ考えている時でさえ、実は頭の中を無言の言葉がかけめぐっています。
言葉がない時、人間の精神活動は全く無為です。
言葉なくして人間の分化も文明もありません。
言葉はそれぞれ究極的には五十個の単音の組み合わせで成り立っています。
とすると、その五十個の単音の一つひとつは何なのでしょうか。
一見その一音一音には何の意味もなくただ人間の口が偶然に出し得る発音でしかないように思われます。
そしてその個々の組合せでできている種々の言葉、
事物の名前等も偶然と習慣で決定された社会の約束事ぐらいにしか思われてないかもしれません。
 しかし、事実はどうなのでしょうか。

39 :
 科学者は長い年月をかけて物質世界の謎の解明に挑み、物とは何であるのか、を解明してきました。
そしてわたしたちが手に触れ、目で見える物質の、これ以上分割できない究極要素として
水素とか酸素とかの元素を発見し、それぞれに名をつけました。
さらに近代の原子物理学はそれら元素の内容に踏み入り、その先天構造内容である
電子、原子核またその内容である陽子、中性子等々の諸核子を発見しました。
物質の根本構造が完全に解明される日もそう遠いことではないでしょう。

40 :
 今、人間が、以上の物質科学とは正反対の方向、
すなわち考える人間の精神の主体のほうこうにどこまでもどこまでも顧み踏み入って、
もうこれ以上分析することのできない根底のところまで進んだらどうでしょうか。
その時人間はその究極点に至ってちょうど五十個の人間精神の根源要素に逢着します。
人間が人間である限りその生命現象はこの五十個の根本要素の範疇領域をはみ出すこともなく、
またこの五十個以下であることも決してあり得ません。

41 :
 遠い昔、日本人の祖先はこのことを発見し、
この五十個の根源要素に五十の清音の単音を当てはめて命名しました。
れぞれの根源要素は人間生命活動そのものであり、霊(タマ)であります。
それに言葉としての単音を名付けましたので、これを言霊=コトタマと申します。
現代の言語学者がいう言霊が、言葉の魂、すなわち言の霊であるのに対して、
ここで取り上げる言霊はあくまで言と霊の一体となったもの、すなわちコトタマであります。
 日本の昔からある言葉すなわち大和言葉は、
一つひとつの事実の実相をこの生命の本源の言霊を結合し表現することによって制定されたのでした。
例えば科学において、水が水素二原子と酸素一原子の化合によって成り立っているためH2O 
の記号で示されるのと同じように、一つひとつの事物の実相を、言霊の結び合わせによって名を付けました。

42 :
 言霊の一つひとつが精神生命現象の確定した明白な部分部分でありますので、
その結合である事物の名前は、何らの議論の余地なくその事物の実相そのままを表現します。
すべての事物の名前を付ける基本の言葉でありますゆえ、
言霊のことを「言葉の言葉」ということができます。
また人間精神とは五十個の言霊の総合でありますので、
その五十個の言霊を順序よく並べることによって人間精神の全構造を表示することができます。
アイウエオ五十音図とは五十個の言霊の配列によって示された人間精神の構造図なのであります。

43 :
 五十音言霊はどのような構造で精神生命を構成しているのでしょうか。
まず生命を構成している根源の内容によって五十音を区別します。
母音、半母音、父韻、(親韻)、子音ならびに ン 音です。
母音はアイウエオの五母音、
半母音はワヰウヱヲ、
父韻はキシチニヒミイリの八音、
その他に子音三十二が加わります。
( ン 音については後の項で半母音の中のウとの関連とあわせて説明することにします。)
 この内母音、半母音、父韻の計十七音が生命の先天部分です。
すなわち頭脳の中で確かに何かの発想が動いてはいるが、
まだ精神的実際現象としては現れていない間の構造と機能です。
それに対して、初めて現実相として現象した後天の最小要素が三十二個の子音であります。
 以下それぞれの音の生命の内容を簡単に説明しましょう。

44 :

晴れた日の夜空をじっと見上げていると沢山の星が瞬いているのが見えます。
さらに見上げていますと、それらの星が浮かんでいる広い広い考えも及ばないほど
広い宇宙が眼に迫っていて畏怖の念にうたれることでしょう。
これが物質的な外界の宇宙です。
今度はその場で目を閉じて思いを自分の心の中に向けてみましょう。
ここにもいろいろな思い、意識、欲望、記憶、感嘆、道徳観等々が、ちょうど夜空に星が浮かんでいるように
現れては消えて行く心の内面の広い広い宇宙が存在していることに気付かれることでしょう。
これが精神的宇宙です。

45 :
さらにこの心の宇宙に起こる自分の精神現象を見つめていきますと、
この精神宇宙というのは単純な唯一の領域の構造ではなく、
五つの別個の拡がりの積み重なりであることと、
そしてその重なり方が単に五つの段階の並列と言うのではなく、
一つの段階が完結した時、その点から次の段階が始まり、またその段階が完結した時点で次の段階が始まる、
というように各次元段階の五層の重層という構造を持っていることが分かってきます。
このような心の宇宙を母音で表し、また五つつのそれぞれの次元空間をウオアエイの五母音で表します。
 五母音を実際に発音してみて下さい。どの音も息の続く限り同じ音が続き、変わることがありません。
もちろんこの五つの宇宙は、そこからそれぞれの空間特有の精神現象が現れてきますが、
その宇宙自体は決して現象とはならない先天性の永劫不変の実存です。
 しからば五つの母音で表される宇宙とはそれぞれどんな空間なのでしょうか。

46 :

人間が母親の胎内から生まれ出て産声を上げ次にすることはおを呑むことです。
赤ちゃんは教えられることなく房をすいます。
これは生来人間に備わった欲望本能です。
これは人間の最も幼稚な機能であると同時に最も初発的な働きでもあります。
この欲望の根拠ともなっている根源の宇宙を言霊 ウ といいます。
眼耳鼻舌身と仏教でいう五感認識も結局この次元に入りましょう。
赤ん坊が次第に成長して大人となり、美味なものがほしい、肩書がほしい、
大臣になりたいと思うその欲望も言霊 ウ次元のものです。
この次元の内容をよく表現する漢字を挙げますと、生、有、産等が考えられます。
産業活動はこの次元に属します。

47 :

赤ん坊から次第に成長し、物心かついてくると、人間は自分のしたこと、見たことを振り返って考えて、
それはどんなものをどんな順序で繰り返せば同じような結果を
手にすることができるのかを記憶するようになります。
この記憶とその整理の働きの根本宇宙を言霊 オ というのです。
この機能の高度に発達したものが一般に学問科学といわれているものです。
抽象的概念による経験事項の把握表現の世界です。
この言霊オの意味を漢字で拾うと、尾、緒、等が挙げられましょう。
 「余韻か尾を引く」、とか「生命の玉の緒」などの言葉があります。
過ぎ去ったものの記憶の働きとか関連とかいう意味です。

48 :

人間は喜怒哀楽の感情を繊細に表現します。
 この感情の世界は、欲望の世界とも記憶の世界とも様相を異にした世界です。
この根源の宇宙を言霊 ア といいます。
 「ああ」は感嘆の言葉であり、阿弥陀、アーメン、アラー等のアは国際的にも共通した感情音です。
 この言霊アの次元から宗教、芸術活動が出てくるのです。

49 :

以上の三つの宇宙から現れる心の現象は、それぞれ勝手に自己主張をします。
欲望、記憶、感情は時には相剋し、時には協調します。
心の葛藤が起こります。
この時、この葛藤しているものをどのようにまとまった行動にするかの選択に迫られます。
感情の赴くままにするか、純粋に過去の記憶の通りに動くか、欲望を先にするか、
その按配をどうするかの選択の機能の根源宇宙が言霊エであります。
 ”エ”らぶ現象がでてくる根源の世界です。
 ともするとこの機能は言霊オである記憶・整理の世界と混同しがちでありますのでご注意下さい。
 言霊エの世界は社会的に見れば道徳とか政治の根本機能が発言する宇宙であります。

50 :

この次元は他の四つの次元(言霊ウ、オ、ア、エ)に根底において力動を与え、
統合し、その現象を言葉にして表現する人間意志の根本宇宙です。
人間生命の根源である創造意志の実体となる世界です。
この言霊イ次元は最も理解がむずかしいところでありますがのちほどもっと詳しく説明されるでしょう。
人間に生きる根源意志があって初めて他の四次元が現象を産むのであります。
この言霊イに漢字を当てはめると、生、胃、位、居、意等が適当でしょう。
 以上で母音の五つの次元を最も幼稚な次元から高位な次元へとその内容を感嘆に説明しました。
この五つの宇宙がそれぞれに特有の無言、無音の力動で充満し、しかもそれ自体は決して現象として現れることのない実在です。
人間の精神機能はこの五つのせかいにおいて働き、この五つ以外の世界は存在しません。
人間の心はこのウオアエイ五次元の重畳を住家とします。
それゆえ人の住む所を大和言葉で五重(いえ)、すなわち、家、というわけです。

51 :
更新お疲れ様です。いつもありがとね。

52 :
ウオアエイ五母音が精神宇宙の主観方面の極限に自覚される純粋の主体であるのに対し、
ウヲワヱヰの半母音は同じく精神宇宙において客観の方面に局限された純粋の客体ということができます。
母音も半母音も精神の先天的なもので、
現象を現象足らしめながら自体は決して現象界に現れることはありません。
母音と半母音とは自と他、主体と客体、出発点と目的点、吾と汝という関係です。
例えば アとワ とは吾と我(古代大和言葉では吾をア、我をワと呼びました)、
そして二者の交渉で種々の現象を産み出しますが、
吾も汝も共に純粋の主体と純粋の客体として自らは決して現れないのです。
 あまり概念的説明に傾くと理解が難しくなります。例を引きましょう。
朝が来て目が覚めた時を創造して下さい。
初めは目が覚めて明るさを感じるものの、眠りの気分が半分残っている状態です。
意識の内部でぼーっとしながも何かが目覚め出したといった状態、
何かが”ある”、または何かが動くといった状態、これが言霊ウであるといったらよいでしょう。

53 :
目が覚めた瞬間は何もない状態、その次に何か心の奥で動き出した状態、
この流れを図で示しますと左のように書くことができましょう。(図は省略。以下同じ。)
それゆえ、ウの字に漢字を当てはめるとすると、有、生、産、動などが適当でしょう。(図2) ○→○にチョン
 京都の大徳寺の一室に「梅花破雪香」(梅花雪を破って香ばし)の軸が
掛かっていくのを感心して見たことがあります。
冬の白雪一面何も見えないところに春の息吹の初発の気であるウの芽まは目として咲く花、
その花を大和と言葉ではウメと名付けました。
 心の奥に何かが動きしたとう状態から意識がさらに目覚めてきます。
すると前に何やらあるなぁ、と感じてきます。
前に何かあると感じると同時にそれを見ている自分の存在に気が付きます。
前にあるものがまだなんであるかは分からない。けれど何かがある。
と同時にそれを見ている自分の存在に気が付く状態となります。
心の中に何やら動くものが、ここで主と客に分裂するのです。
この間の消息は次のように図に描くことができましょう。(図3) ○にチョン→○の中にア・ワ

54 :
目が覚めた瞬間は何もない状態、その次に何か心の奥で動き出した状態、
この流れを図で示しますと左のように書くことができましょう。(図は省略。以下同じ。)
それゆえ、ウの字に漢字を当てはめるとすると、有、生、産、動などが適当でしょう。(図2) ○→○にチョン
 京都の大徳寺の一室に「梅花破雪香」(梅花雪を破って香ばし)の軸が
掛かっていくのを感心して見たことがあります。
冬の白雪一面何も見えないところに春の息吹の初発の気であるウの芽まは目として咲く花、
その花を大和と言葉ではウメと名付けました。
 心の奥に何かが動きしたとう状態から意識がさらに目覚めてきます。
すると前に何やらあるなぁ、と感じてきます。
前に何かあると感じると同時にそれを見ている自分の存在に気が付きます。
前にあるものがまだなんであるかは分からない。けれど何かがある。
と同時にそれを見ている自分の存在に気が付く状態となります。
心の中に何やら動くものが、ここで主と客に分裂するのです。
この間の消息は次のように図に描くことができましょう。(図3) ○にチョン→○の中にア・ワ

55 :
はっきりしたわけではないけれど、一つのウという心の宇宙が見るものと見られるものに分かれた時、
見る側が言霊アであり、見られる方が言霊ワであります。
このようにそこに何かあると思う時、事物は必ず主体と客体に分かれます。これが人間の宿命です。
このことは全く当たり前のようにおもわれるかも知れませんが、
実は人間生命の創造活動の最初の重要な法則であるのです。
事物が主と客とに”分かれる”ということは、それが何であるかが”わかる”
すなわち人間が理解することと同じ意味であるかです。
 中国の老子の言葉はこの消息を「一二を生じ、二三を生じ、三万物を生ず」と数理で示しています。
 再び大徳寺の話に戻りましょう。
「梅花破雪香」の軸の掛かった部屋の隣の部屋に
それと同じ書体で「余座聴松風」の軸が掛けてありました。
また関心しました。「余座に松風を聴く」とは何を表徴した詩なのでしょうか。
「余座」とは次の座ということです。何に体して次というのかというと、
心の宇宙に何かあると感じる初め、言霊ウの次ということで、それは主と客に分かれる時のことです。

56 :
松の葉は根元から二つに分かれています。松葉の形です。
「松風を聴く」とはこの主と客に分かれていることを極めて詩的に表現したのです。
いつの時代にか大徳寺に偉い坊さんが居て、
座禅によって人間生命が創造を始める最初の精神構造を悟って、それを詩の文章に表現したのでしょう。
 意識の目覚めがさらに進んだとしましょう。はて前にあるものはいったい何であろう、と考えます。
この時記憶が呼び覚まされるのです。この記憶を呼ぶ主体が言霊オであり、
その結果「ああ、あれでよかったのか」と呼び覚まされた対象が言霊ヲであります。
次にきょう起きてから何をしようかなと考えてきます。
いろいろなことが実行可能です。そのうち、きょうは、よし、これをすることにするか、の選択的決定をします。
 この選択の主体が言霊エであり、選択される純粋客体が言霊ヱであります。
以上で母音ウオアエと半母音ヲワヱが出揃いました。これまでのことを図で示しますと次のようになります。
人間の意識の目覚めはこの順で行なわれます。(図4) ○→ウ→アワ→オエ・ヱヲ
 

57 :

「ラリルレロ」には軽やかで、しかも、まろやかな音調がある!

58 :
(^ω^)なにぬねの

59 :
>>57
そうですね。音調、音韻、響きなどいろいろな角度から見ていけます。
軽やかでまろやかな心の動きが、心のら行になるのを捉えようとしています。

60 :
母音・半母音のうち残ったのは言霊イとヰです。
前にも言霊イ・ヰの理解はなかなか難しいと申しました。
なぜなら、これが、「現象が起こる」ということが実際にはどういうことなのか、という事実認識の根本に関係しているからです。
誇張でも何でもなく、過去数千年の間、各宗教、哲学その他種々の精神探求が真理の究極の目標とし、
しかもいまだ解明することができないでいる、人間精神の最終の命題であるからなのです。
いまその課題を言霊イ・ヰの立場から説明していきましょう。
 ここに一本の木が立っています。この立っている、ということはどういうことなのでしょうか。
立っていると見ている人がいなければ立っているか否かが分かりません。
また木が物として存在しなければ見ることができません。
現象があるというのはこのように見る主体と見られる客体双方に関係します。
現象の認識は単に物があることを見る、五感認識言霊ウばかりとは限りません。
体験認識の体系化である言霊オの次元、感情界のアの次元、
事物の選択に関する道徳、政治等々の高度の次元にも起こります。

61 :
これら全ての現象において純粋の主体であるアオウエと純粋き客体であるワヲウヱはどういう経緯で現象を産むのでしょうか。
 例えばここに鐘があります。棒で突きます。鐘が振動して空気を震わせます。
空気中に波動が起こります。しかしこの波動自体がゴーンという音を立てているわけではありません。
その波動が人間の耳に入った時、初めてゴーンという音に聞こえるわけです。
鐘自体は無言の波動を出しているだけです。
客体である鐘の発生する波動と、主体である人間の認識知性の波動とがぶつかって、
双方の波動の波長がある調和を得た時、すなわち感応した時、初めて人間は鐘がゴーンと鳴ったのだと認識するのです。
同じように大空の虹はそれ自体七色を発しているわけではなく、七種の光の波動を出しているだけです。
その波動が人間の知性の主体波動とシンクロナイズする時、七つの色の虹として主体の側において認識されるのです。

62 :
このように、アとワ、オとヲ、ウとウ、エとヱ、イとヰがシンクロナイズしてそれぞれに現象を産むためには、
それぞれを結びつける懸け橋となるものが必要です。
この役目をするのがキシチニヒミイリの八つの父韻なのです。
純粋な主体と客体を結び付ける人間知性の根本韻律はこの八つより他にはありません。
客体から発する波動は科学的に計測される波長を持った波動エネルギーです。
それとシンクロナイズして、あらゆる現象を産み、認識する人間の主体側の原律が八つの父韻です。
 先に五母音の説明のところで、言霊ウの世界から次第に次元の重畳を登り詰めて
最後は言霊イに至る時この世界が生命創造意志であることをお話ししました。
ここで自分の心の中を考えて見ますと、
この生命創造意志の世界が他の四つの次元ウオアエの世界の現象を産む原動力であることが理解されます。
欲望の世界である言霊ウも、経験知の世界の言霊オも、言霊アの人間感情も、
言霊エの選択や道徳の世界も、生命の創造意志が働かない限り、何の現象も萌すことはないでしょう。

63 :
欲望が起こるのも生きる意志があってです。
経験を成り立たせる好奇心も、哀しいうれしいの感情も、いまここでいかなる道に進むかの選択も、
すべて創造意志が縁の下の力持ちとして働いて初めて出てくるものです。
 言霊イは他の四つの次元の基礎であり、原動力です。
このすべての現象を起こす原動力である創造意志言霊イの実際の働きである八つの父韻が、
それぞれどんな韻律で働くかは後程生命されるでしょう。
それにまた”現象が産まれた”ということは実際にはどういうことなのでしょう。
「赤い花が咲いた」というのは現象です。この時そのことを認識する人間が存在しなかったら、
それは現象であったかどうか分かりません。
また見る主体としての人間がいてもそのことに「赤い」「花」「咲いた」というそれぞれの事物に名前がつけられないならば、
ただ「アーアー」というばかりで現象にはなり得ません。創造とは名を付けることです。

64 :
以上の三つのこと、すなわち、
一、現象としては現れない純粋主観と純粋客観との間の懸け橋として、
母音ウオアエ、半母音ウヲワヱを結ぶ
父韻キシチニヒミイリと展相して現象である子音を産み、
二、五つの母音の長として他の四音を統轄する働きをし、
三、同時に、それに名前を付ける根本の名(名の名)としての役目を果たす、
それが言霊イと言霊ヰであります。
この三つの作用こそ人類文明創造の根本原動意志であります。
であるからこそ、母音・半母音であり、また、父韻キシチニヒミイリとして展相する実体
でもある言霊イ・ヰを、五母音のなかで特に親音と呼ぶのです。
人類文明の創造主なのであります。

65 :
 以上で母音・半母音・父韻・親韻と出揃っていよいよ言霊子音の誕生となるのですが、
今までに人間の意識がだんだん目覚めて行く過程で説明した音の図形は次のようになるでありましょう。
図5。     
 人間が眠りから目覚めて、何だか分からないが、何かが発生し動きだしたなという漠然とした意識から始まって、
頭の中で形にはならない先天部分の各段階の経緯を経て、
人間知性の原律である八父韻の働きかけがあり、
最後に人間生命の創造意志が最底部で発動して、
初めて心の現実の現象の最小要素である言霊子音が誕生する経過は以上のようなものであります。

66 :
 この図形の原理が、大昔、中国に興った易経によって数理に置き換えられ、
人生における現象の予知とそれに対する心構えが説かれました。
それを左に示します。
原理の交流の経緯やその歴史的意義などついてはのちほど詳しく説くことにいたします。
図6。7。(ここに八卦図。太極図。)
 ついで大和言葉命名の面白い例を申し上げましょう。
先の意識の目覚めの図形で、言霊ウからア、ワ・・・・と始まり、十六番目の言霊イに至って初めて、
人間創造の意志が働き現象を産みます「イザ」と意思が加わります。
十六番目でイザです。それゆえ十六夜をイザヨイと呼ぶのであります。

67 :
朝、目が覚めてまだ夢うつつの状態から次第に意識が
はっきりしてくるけれどまだ現実には何々と行動が起こらない期間、
すなわち頭の奥で目覚めの活動が何やら活発に始まろうとする先天の部分、
それが言霊ウからア・ワ・オ・ヲ・エ・ヱ・、キ・シ・チ・ニ・ヒ・ミ・イ・リ・、イ・ヰ・、
という十七の言霊で示されました。
そこで十六番目と十七番目のイ、ヰ の親韻の協同作業によって
イザと現象創造意思が具体化されてきます。
親は子を産む事となります。
現実には、父である八つの父韻と、母である母音のうち言霊イを除いた
ウオアエ四母音の相乗で、8×4=32 の子音が生まれ出ることになります。
例えば父韻チ×母音アは チア ですが、
ちちいんはあくまで実在でなく知性の律韻でありますから英語アルファベットの T で現すとよく理解できます。
すなわち TxA=Ta となります。

68 :
同様に父韻ミ×母音オは MxO=Mo で子音モが生れます。
こうして生れた三十二の子音はその一つ一つの子音が父と母の性質を共に受け継ぎながら、
しかも父とも母とも違った独立した実相を備えています。
父母の先天から子として後天が生れたわけです。
この子音は生れたばかりで無垢な赤ん坊のようなものです。
後天現象の最小要素または元素です。
これが複雑に結合して実際の心的現象すなわち言葉が作られていくわけです。
言葉の元の単位の言葉を言霊と呼ぶのです。
意識が目覚めていく自然の様子を母音の順に記しますと、ウアオエイとなります。
これを縦に書き、父韻キシチニヒミイリを横にとって五十音図を書いてみると、
母音、半母音、父韻、親韻、子音の意義が比較的容易に理解できますので、
見なれないかもしれませんが下に一つの五十音図を掲げます。
図8。

69 :
保守。

70 :
戻ってこないかなあ・・

71 :

まもなくしたら戻ります。

72 :
主体と客体とを結びつけて現象を生む人間知性の原律である父韻には八つの種類キシチニヒミイリが
あることを先にお話しました。この知性の原律とはどのようなものなのでしょうか。
八父韻は二つずつ組み合わさって陰陽または正反をなし、それが四組あります。
チイ・キミ・シリ・ヒニであります。
しからばそれぞれはどんな働きをするのでしょうか。
実はこれを表現し理解していただくことは非常に困難なことなのです。なぜなら父韻の
原律とは人間の心の最も深い所で創造意志が四つの母音に働きかける一瞬の力動なのですから。
本当に理解し体得するには、自分自身の心の中で、実体験で確認するより方法はないわけです。
そうはいっても何も参考になることが無くてただ把握せよといっても無理ですから、
参考例を次に掲げておきましょう。

73 :

チ・精神宇宙全体がそのまつ現象発現に向って動き出す端緒の力動韻。
イ・動き出した力動が持続する韻。
ミ・精神宇宙の中に己にある自己の体験内容に思いが結びつこうとする力動韻。
キ・反対に体験内容を自我の方向に掻き寄せようとする力動韻。
シ・精神宇宙にある精神内容が螺旋形の中心に静まり収まる力動韻。
リ・シとは反対にある精神内容が宇宙の拡がりに向ってらせん状に発展拡大していく力動韻。
ヒ・精神内容表現が精神宇宙球の表面に完成する韻。
ニ・その反対に物事の現象の種が精神宇宙の中核に煮詰まり成る韻。

74 :
さらにこの八つの父韻について参考にして頂くために、私の言語学の師であった小笠原孝次氏
ならびにそのまたしであった山腰明将氏(共に故人)の八父韻説明を付け加えておきましょう。
・・小笠原氏・山腰氏
チ・創造・・・陽出力
イ・繁栄・・・飛至力
キ・収納・・・陰搔力
ミ・整理・・・旋回力
シ・調和・・・透刺力
リ・滲透・・・螺婁力
ヒ・開顕・・・開発力
ニ・成熟・・・吸引力
以上八父韻それぞれについて説明を加えましたが、どれをとってもやはり概念的説明に留まってしまいます。
これ以上の立ち入った説明は、どうしたら言霊の理解を深め、体得することが出来るかの方法を
申し上げるところで詳しくお話しすることにしましょう。

75 :
商人と学者が、または学者と芸術家が、社会的な事件などについて口角泡をとばして
議論をしている光景を時々見かけます。いつまで経っても意見はすれ違ってしまい、
まとまることがありません。これはどちらかが正しくて一方が間違っているためというよりか、
双方の意見のよってたつ次元が異なるための場合が多いようです。
商人はウ言霊の次元に、学者はオ次元に、芸術家はア次元に、、立っていて、
お互いに相手の立つ次元を理解しかねているのです。
このように、住む母音の次元を異にしますと、考え方がそして使用する言葉自体が、違ってきます。
この相違を言霊からみるとどいうことになるのでしょうか。
住む母音の世界が異なりますと同時にその意見き発想目的ばかりでなく議論の進め方まで違ってきます。
この場発想の根元は母音に、目的は半母音に、あたります。
そして発想から目的に至る経過が懸け橋である八父韻で現されます。

76 :
母音に働きかけて現象を生む人間創造意志がどのような韻律の順序で
発動されるかによって現されるのです。
そして母音の各次元にはそれぞれ特有の父韻の配列を持って表される目的追求の方法のリズムが具わっています。
その内容の詳しい説明は後に譲ることとして、その次元特有のリズムである父韻の配列を書きますと、
次のようになります。
ウ 欲望の次元 キシチニヒミイリ (かさたなはまやら)
オ 経験知次元 キチミヒシニイリ (かたまはさなやら)
ア 感情の次元 チキリヒシニイミ (たからはさなやま)
エ 選択の次元 チキミヒリニイシ (たかまはらなやさ)

77 :
五十音図といいますと一般には小学校のときから教えられたアイウエオが唯一のものと思われていました。
なぜ縦にアイウエオと並び、横にアカサタナハマヤラワと並べるのか、
ただ教えられたからそう覚えて使っているだけです。
そもそも音図とは何なのでしょうか。巻頭序の書き出しの答は次の通りです。
先にお話ししてきましたように人間の精神は全部で五十個の最小単位の要素から成立しています。
五母音、五半母音、八父韻、三十二子音です。
これで全部ですし、これ以上でもこれ以下でもありません。
大昔、日本人の祖先はこのことを探求解明し、同時に、この五十音をどう配列したら、
言い換えますと、人間がどのような心の持ち方、どのような精神構造であったら、
理想なのであろうかということを解明したものが五十音図なのです。
この場合、心の住む次元、すなわち母音を右側に配列します。
そして人間の最も行動の眼目となる次元を五母音の中心に位置させます。
例えば、商売行為の眼目には欲望であり言霊ウです。
しかし商人の世界が欲望、言霊ウであるとはいっても、
商人に経験知、感情、道徳心等々がないわけではありません。

78 :
ただ商人は商売をする時、言霊ウ以外の次元はウ次元の目的を達成するための道具に使うことにとなります。
その道具に使う他の四次元の中で大切な道具ほど仲側から配列して行きます。
そうしますとウ言霊中心に生きる人の心の母音体系は、上より、アイウエオと並びます。
そしてウ次元の欲望を達成するための意志の運び方、すなわち母音と半母音とを結ぶ懸け橋である八つの父韻のの配列は、
先に述べましたようにキシチニヒミイリであります。
以上のことを総合して五十音図を作製しますと下図のごとく私達が常に使っている五十音図を得ることになります。

79 :
言霊 ウ
アカサタナハマヤラワ
イキシチニヒミリヰ
ウクスツヌフムユルウ
エケセテネヘメエレヱ
オコソトノホモヨロヲ
しかしながら右の道理をそのまま進展させますと、この音図のほかにさらに四つの音図がある勘定になりましょう。
すなわち言霊オ、ア、エ、イを主眼目にした心構えを表す精神構造の音図です。詳しく言えば、
言霊オである経験知、一般に科学的探求に必要な心構えの音図、
言霊アである芸術宗教に備わった感情構造の音図、
言霊ウオアの次元の事象をどのように選択していくかという、一般に道徳、政治に必要な言霊エである心構えの音図、
さらに言霊イである、精神の深奥にあって他の四つのの次元の原動力となる人間意志そのものの音図、
これらの四種があるはずです。

80 :
この四種類の音図を簡単に書くと40頁の図15〜図18のようになります。
言霊 オ
アカタマハサナヤラワ
イキチミヒシニイリヰ
オコトモホソノヨロヲ
ウクツムフスヌユルウ
エケテメヘセネエレヱ
言霊 ア
イチキリヒシニイミヰ
エテケレヘセネエメヱ
アタカラハサナヤマワ
オトコロホソノヨモヲ
ウツクルフスヌユムウ
言霊 エ
アタカマハラナヤサワ
イチキミヒリニイシヰ
エテケメヘレネエセヱ
オトコモホロノヨソヲ
ウツクムフルヌユスウ
言霊 イ
ア・・・・・・・・ワ
オ・・・・・・・・ヲ
ウ・・・・・・・・ウ
エ・・・・・・・・・ヱ
イ・・八父韻・・・・ヰ

81 :
昔の日本人は右に図示した音図のうち、言霊オを中心としたものを赤珠音図(ア段が横にアカタマと続くため)、
言霊アを中心としたものを宝音図(ア段の二番梅からタカラと配列されるため)、
言霊エを中心眼目としたものを天津太祝詞音図(アマツフトノリトオンズ)、
言霊イのものを天津菅麻音図(アマツスガソオンズ)、と呼んでいました。
また先に掲げた言霊ウが中心となった音図を天津金木音図(アマツカナキオンズ)と申します。
現在はなぜ言霊ウを中心とした天津金木音図のみが一般に伝わり教えられているのでしょうか。
それはここ二千年ほどの間、世界の歴史は人間が持つ五つの性能の内で第一に言霊ウが独走する時代であったからです。

82 :
それはここ二千年ほどの間、世界の歴史は人間が持つ五つの性能の内で
第一に言霊ウが独走する時代であったからです。
言霊ウが他の次元の人間性能と調和が保たれない時、
招来する社会国家の世相は弱肉強食の権力思想に塗りつぶされてしまうこととなります。
言霊ウを眼目とする音図こそ現代社会にとって最もぴったりした音図ということができるでしょう。
なお言霊イ中心の天津菅麻音図のみは、縦の母音、横の父韻とも、
その配列が先に述べた配列法則と異なります。
それは言霊イ、すなわち人間の根本意志は他の性能の底に働いて現象を生起させますが、
意志自体は現象としては現われないからです。
そのため母音配列と八父韻の順序は定まりません。
生れたばかりの素朴な状態の意味で
スガスガシイ麻または衣と名付けられたわけです

83 :
五つの母音、五つの半母音、八つの父韻(以上先天)、ならびに三十二の子音(後天要素)が確定しました。
ということは人間の精神生命宇宙の構造が解明され、さらにその宇宙のそれ以上分解することのできない最小要素それぞれに
一音一音に名が付けられたということです。
この最小要素とその名前が一体となって宇宙の全ての事象が文明として創造されるわけです。
その要素とは名であり、なとは存在それ自体です。
霊である言、言である霊であります。
この五十音を言霊というわけです。
精神宇宙は究極的にこの五十個の言霊によって成立していてそれ以上のものは存在せず、
それ以下であることもないわけです。

84 :
そしてこの五十個の存在要素の意味を駆使して宇宙全体の事物に名を付けました。
古代大和言葉の創造です。
命名の基本である五十音は、宇宙の構成要素としてその一音一音に意義と帰納が確定されたものでありますから、
その五十音それぞれを組み合わして付けられた名前は完全純粋にその事物の真実の姿を表現しています。
名前がすべてでその他に注釈を加えたり、その意義に議論をする必要がないものです。
この間の消息を昔の人は 「この日本は惟神言挙げせぬ国」 などと称えました。
それは、この大和言葉は惟神(カミナガラ)、すなわち人間思惟の先天ならびに後天の最小要素によって名付けられた言葉であって、
その言葉自体が事物の実相を現しているから、その上のくどくどしい概念的説明は必要としないのだという意味です。

85 :
それを言葉の意義を忘却した為政者が、「お上の命令にはただハイハイト黙従していけば決して誤りなく正義が行なわれる国なのだ」
などと暴言を履く仕儀にまでなってしまったのでした。
例えば次のようなことを挙げることができます。
聖徳太子の十七条の憲法に、「和を以て貴しとなす」とあります。なにげなく読めば、仲良しは大切だ、ぐらいにしか考えられません。
しかし、これが言霊の立場から捉えますと決定的完結的な意味がでてきます。
和はワです。また輪○です。
ある点から二つの反対方向に別れてやがて究極にまた一致することです。
また、ワは純粋客観であり結論です。
ここに二人の仲のよい友達がいました。
ある時二人の間に利害の対立する問題が起こりました。
ふたりはとことん議論しました。意見はどうしても噛み合いません。もう絶望です。
その時友情が蘇ったのです。二人の見つめ合った目と目とに笑いがこぼれたのです。
それからの話し合いはスムーズでした。どうしたらお互いによいかの結論はすぐ出ました。
友情の輪は以前にもましてかたく結ばれたのです。
始まりからいったん別れて結果として結ばれる輪の完成です。

86 :
この意味での輪が真の「和」であります。
この意味で言霊ワを知った人は常に和でいられるわけです。
ある主義者が主張する「われわれは平和を闘いとろう」などという言葉が
いかに空虚で平和の心からかけ離れたものであるか、お分かり頂けると思います。
和を知っている人は、心は出発から和で始まるのです。
常に和なのです。それが言霊ワの一音の意義であります。
以上のように一音が決定的な意味を持ち、それぞれの音が物事の真実の姿に合うように組み合わされて
名がつけられていきます。
事物の名付けの限りない発展とその伝承が文明にほかなりません。

87 :

以上言霊五十音を順に母、半母、父、親、子に分けて
それぞれが人間精神宇宙の中で占める構造位置とその生命上の意味について説明してきました。
まことに大雑把ではありましたが、日頃私達が無意識に使っているアイウエオ五十音図も、
ただ何の深い意味もなく覚えやすいように並べてあるのではなく、
それぞれの一音一音が他とは替えることのできない決定的な意味を持ち、
また五十の集合によってそれぞれ次元の相違する心の構造を表現するものであることを
了解して頂けたものと思います。

88 :
最初にお話しましたように、眼を開けてみる物質的客観宇宙は、目の前のミクロの世界から、遠い、遠い、
膨張し続けるといわれる宇宙すなわちマクロの宇宙まで続いています。
そして今私達が地上から真上に真直ぐに飛び出して超高速に限りなく飛び続ければ、
ちょうど飛び出す時と反対の方向から元の場所に帰って来てしまうということがよくいわれます。
宇宙は無限ということの概念的神秘がここに考えられるでしょう。
それとは全く逆の方向に、眼を閉じて内なる主観的精神宇宙について言えばどうでしょうか。
この広大な主観的精神宇宙も極めて具体的に要約して考えてみれば、
人間の意識が何も起こらない時、すなわち空なる宇宙そのものの中に、
初めて現われる意識の萌芽であるウに始まり、
アワ、オエヲヱ、ヒチシキミリイニ、イヰ の先天部分が頭脳の中で働き、

89 :
それが後天として具体的形となり言葉として発音され、
その音が空中を飛んで自分または他人の耳に入り、
また頭脳の中に進入して再検討され了解されて先天の宇宙に帰り、
記憶として頭脳内に印画されます。
精神宇宙を言霊の立場から最小限に要約すると
上記以外のものではないことが明かに理解されます。
大昔の日本人は言霊の原理に到達して、
この最小限要約の宇宙に起こる精神現象の機能順序を言霊によって表現することに成功しています。
詳しい説明は後に譲りますが、今はその作用を現す言霊の順序を示すことにしましょう。

90 :
(先天十七)
ウ・・
アワ・・
エオヲヱ・・
ヒチシキミリイニ・・
イヰ・・
( 後天三十三)
− タトヨツテヤユエケメ
− クムスルソセホヘ
− フモハヌ・ラサロレノネカマナコ
− ン
(計五十)


91 :
人間精神の究極の原理としての言霊の学問はいったいいつ頃発見確立されたのでしょうか。
詳しいことは今後の研究、立証を待つより他はありません。
けれども少なくとも現代の歴史学者や言語学者が日本の歴史について主張しているよりは
遥か以前の出来事であったことは間違いないようにおもわれます。
なぜなら現在私達が日常使っている日本語の内の大和言葉というのはすべて五十音言霊の原理によって
決定され命名された言葉であることが、その明かな証明でありましょう。
言霊の原理を理解し、その原理の観点に立って現行の歴史学や考古学を再検討するならば、
日本のれきしの起源は現在の常識より遥か遠い昔に遡ることが明瞭となります。
と同時に日本のみならず、世界各地の神話、宗教書等に示され、
今の学者にはどうしても説明することができない多くの事柄が、
この言霊の原理から考えると、いともすらすらと解釈することができるという事実にもよります。
これよりその大略をお話しいたしましょう。

92 :
先に「言霊の発見と変遷」のところでお話しましたごとく、紀元前数千年の昔、言霊の原理が発見され、
その後この日本列島においてその原理に基図いて人間社会の文化の創造、政治国家が建設され繁栄して時代が続きました。
言霊原理は遠く全世界に流布施行されるようになりました。
いわゆる神話の時代です。
ところがこの精神原理が人間のもう一つの性能面である物質文明の発展促進のために隠没される時がきました。
約三千年前の出来事です。
原理の隠没とは消滅ではありません。
一定期間を経て物質文化がある程度に進展した時、再び人間の脳裏から甦り、
物質文明と車の両輪をなす精神文化の原理とならねばなりません。
そのために原理を隠滅する事業と平行して、その甦りの時の用意に、
種々の方策が取られたのでした。
その第一は言霊の原理をあからさまではなく謎として呪示する神話の制定です。
各民族の神話の原型はすべて言霊原理を表徴しています。

93 :
第二に世界的宗教の創生です。
その目的は、言霊原理の韻没に続いて当然招来される人類の精神暗黒時代に生きる人類の心のよたどころとし、
また、言霊原理が甦る時に備えて、その原理を受け入れ易くすくための人間精神の修練とするためです。
と同時に、言霊を各宗教書の中に表徴てきに暗示するためでもあります。
第三は、言霊の原理を形の上で表徴する各種の建造物を遺しました。
例えば日本では伊勢の内外宮の本殿の作り方、仏教の多宝塔、五重塔、方丈等々がそれであります。

94 :
以上のような歴史的な記述は、今までの常識の枠をはみ出していますので
首肯しかねる方が多いことと思います。
けれども、今後この本の説明する道筋に則ってご自分の心の構造に踏み入って頂くならば、
否定のしようのない事実としてなるほどとうなずかれることとなりましょう。
自己の心の中に踏み入ると申しましても別に特別な方法によるのではありません。
数千年の歴史を持つ神道、儒教、仏教、キリスト教等の宗教に明示している
それぞれの反省、修行をそのまま踏襲して、
その上で各宗教が奥義としてきた内部にまで妥協することなく突き進んで頂ければこと足りるのです。
前置きはこのぐらいにして、
言霊の原理はその隠没の時代にどのように呪示として遺されたのかを数例を挙げて説明してみましょう。

95 :
古事記が、特にその神代の巻が、言霊の原理の手引書であるといったらどなたも驚かれることでしょう。
現に今の歴史学者の中には「奈良時代に到って 日本の中央集権化に成功したその時の権力者が、
その統治に権威あらしめる目的ででっちあげたのが
古事記、日本書紀である」として両所は架空の創作書と称える人が多いようです。
そしてその主張の根拠の第一が古事記の神代の巻です。
古事記をただ漫然と歴史書として読む人にとってはそのように思うことも無理からぬことでありまましょう。
しかしそれは全くの見当違いなのです。
古事記と日本書紀の神代の巻は、言霊原理の隠没した時代の末に、
再び日本人が潜在意識のそこからその原理を甦らすために用意された
神話の形をとった言霊の教科書なのです。
古事記神代の巻きの最初に登場する神名天の御中主神より建速須佐之男の命まで
ちょうど百個の神名が挙げられています。
古事記は神話の形をとって書かれた人間精神の根本構造を明示し呪示した
言霊原理の指導書なのです。

96 :
百神のうち前半の五十神は五十音言霊をそれぞれ示し、
後半の五十神はその五十音言霊をどのように操作したら
人間行動の理想の規範ができるかを説いています。
簡単に説明してみましょう。
「天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は、天の御中主の神、
次ぎに高御産巣日の神、次ぎに神産巣日の神、
この三柱の神は、みな独神に成りまして、身を隠したまひき」
以上は神代の巻きの冒頭の文です。
天地の初発の時などと言われると誰でもこの宇宙の始まった
天文学的、地球物理学的な始まりのことと想像するでしょう。
しかしここでは違います。
古事記神代巻はすべて人間精神の内面について語っているのであって、
客観的なそれの話ではありません。
すなわちこの本の始めの頃お話質したように、
内に省みた広大な精神的宇宙から初めて人間意識が目覚めて、
現象以前の先天的機構を経過して眼に見える現象が現われる
細部の精神的消息を解説しているのです。

97 :
天地の初発の時は常に、「いま・ここ」 に人間の意識が何もないところから
ふと生れてくるその「初発の時」のことです。
その何もない澄んだ宇宙が高天の原です。
前に「言霊とは」の章で人間の意識が眠りから目覚めていく順序に従って言霊の発現を説明しました。
実はその記述の順序は古事記に現われ出てくる神々の名が示す言霊の順序に従ったのです。
天御中主神言霊ウ、高御産巣日神言霊ア、神産巣日神言霊ワまでは既に説明しました。
神名は次ぎに宇摩志阿しか備比古遅の神言霊ヲ、天の常立の神言霊オ、
国の常立の神言霊エ、豊雲野の神言霊ヱ・・・と続いています。
そして天御中主神より建遠須佐の男命まで
ちょうど百の神名が出てくることとなります。
それぞれの神名がどうしてそれに相当する言霊と結びつくのかの説明は
あまりに煩雑になりますので後の機会に譲ることにしまして今は
言霊五十音とそれを呪示する古事記の神名をそれぞれ列記しておくことに留めます。

98 :
淡路の穂の狭別の島の領域
【ウ】 天の御中主の神(あめのみなかぬしのかみ)
伊豫の二名島 の領域
【ア】 高御産巣日の神(たかみむすびのかみ)
【ワ】 神産巣日の神(かみむすびのかみ)
隠岐の三子島(天の忍許呂別)の領域
【ヲ】 宇摩志阿斯訶備比古遅の神(うましあしかびひこぢのかみ)
【オ】 天の常立の神(あめのとこたちのかみ)
【エ】 国の常立の神(くにのとこたちのかみ)
【ヱ】 豊雲野の神(とよくもののかみ)
竺紫の島 の領域
【チ】 宇比地邇の神(うひぢにのかみ)
【イ】 須比地邇の神(すひぢにのかみ)
【キ】 角杙の神(つのぐひのかみ)
【ミ】 生杙の神(いくぐひのかみ)
【シ】 意富斗能地の神(おほとのぢのかみ)
【リ】 大斗乃弁の神(おほとのべのかみ)
【ヒ】 於母陀琉の神(おもだるのかみ)
【ニ】 阿夜訶志古泥の神(あやかしこねのかみ)
伊岐の島(天比登都柱)の領域
【イ】 伊耶那岐の神(いざなきのかみ)
【ヰ】 伊耶那美の神(いざなみのかみ)
(以上先天十七神)

99 :
津島(天の狭手依比売)の領域
【タ】 大事忍男の神(おおことおしをのかみ)
【ト】 石土毘古の神(いはつちひこのかみ)
【ヨ】 石巣比売の神(いはすひめのかみ)
【ツ】 大戸日別の神(おほとひわけのかみ)
【テ】 天の吹男の神(あめのふきをのかみ)
【ヤ】 大屋毘古の神(おほやひこのかみ)
【ユ】 風木津別の忍男の神(かざもつわけのおしをのかみ)
【エ】 海の神名は大綿津見の神(おほわたつみのかみ)
【ケ】 水戸の神名は速秋津日子の神(はやあきつひこのかみ)
【メ】 水戸の神名は速秋津比売の神(あやあきつひめのかみ)
佐渡の島 の領域
【ク】 沫那芸の神(あわなぎのかみ)
【ム】 沫那美の神(あわなみのかみ)
【ス】 頬那芸の神(つらなぎのかみ)
【ル】 頬那美の神(つらなみのかみ)
【ソ】 天の水分の神(あめのみくまりのかみ)
【セ】 国の水分の神(くにのみくまりのかみ)
【ホ】 天の久比奢母智の神(あめのくひざもちのかみ)
【ヘ】 国の久比奢母智の神(くにのくひざもちのかみ)

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