2011年10月1期心と宗教【悟り】上座部仏教国で本気で出家【解脱】 TOP カテ一覧 スレ一覧 削除依頼
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【悟り】上座部仏教国で本気で出家【解脱】


1 :11/09/27 〜 最終レス :11/11/23
タイ・スリランカ・ミャンマーその他あると思うが、
出家する国をどこにするか?どんな寺にお世話になるか?
お金はかかるのか?などなど悩みは付きません。
同士いないか?

2 :
今の悩み・疑問
・どの国で出家するか?
・外国人の出家を国の制度(ビザ・医療制度など)としてうけいれているのはどの国か?
・出家に際してどれくらい費用がかかるのか?
・日本でどの程度仏教を勉強・修行してから出家するか?
・お金はいくら貯めておくべきか?(死ぬまでの一時帰国費用、もしものときの為)
・出家した際寺の住職と合わなかったらどうなるのか?
・涅槃に最短でいけるような素晴らしい指導してくれるいい寺はどんな条件の寺か?
・国によって同じ仏教でも大きな違いがあるのか。重視する瞑想方法とか軽微な違いを除き
・外国人も、パーリ語試験とか強制勉強させられるのか?
・出家後は一切費用はかからないのか?
時系列がちょっとおかしいですが、このような事が悩みの種です。
在タイ・スリランカ・ミャンマーの人とか本気で出家を考えてる同士
その他上座部仏教の出家に関心あるかたの参加お待ちしてます。

3 :
ちなみに出家の目的ですが、
1.阿羅漢になる。つまり解脱
2.禅定を全て経験する。
3.神通を得る(オカルト趣味ではなく、ブッタがあるという以上確かめたい気持ちから)

4 :
>>1は尊敬する師とかいないの?
国と寺はそれでだいたい決まるんじゃないか。
頑張れ、超頑張れー!

5 :
尊敬する師もなにも、外国人(日本に来てる出家層は除き)の出家僧は
まったくコネクションありません。
外国に行って会うか、現地在住の人の評判などをたよるしか外国の出家僧
の情報をえる術がありませんから・・
できればしばらくは現地後ちんぷんかんぷんだろうから、日本人出家僧の
いる寺でいい指導者がいる寺がいいと思ってます。
そうなると、ブラユキ師かアチャン・カベサコ師くらいしかしらいし・・
いかんせん外国の情報がたりません。

6 :
現地語

7 :
まず一般信者として寺に通いなされ、
さらにプチ修業としえ泊まり込みので雲水がする行をさせてくれる所
があるから何度か試してから決めたらどう?大変だよ簡単に考えない方がいい

8 :
マジレスすると、悟りに出家する国や国籍、寺や師匠は関係ない。
どこにいても悟る奴は悟し、悟れない奴は悟れない。
日本で無理なら外国でも無理。

9 :
理想の出家先
1.瞑想修行に最適な環境にある寺(自然に囲まれ、静かで、空気が良い)
2.指導者の資質(できれば阿羅漢に到達してる人、といってもそんなこと
 口外するわけもないが・・)
3.日本人、日本語通じる出家層がいる寺
4.できれば水道通ってる寺(シャワーくらいは浴びたい)
5.住み心地のいい寺(気候があまりに暑すぎるとかは苦行だろうとww)

10 :
>>8
・国や国籍は関係ないでしょうが、日本には上座部仏教指導者も数えるほ
どしかいいないし、托鉢の制度もなければ出家を支えるサンガも文化も
ない。環境がない以上解脱はできない、百歩譲ってできたとしても遅れる。
・師匠いらない?師匠なしで悟ったのはブッダのみ(独覚)。上座部仏教国
の現地人で少年から出家しても難しいものを日本で師も無しに悟れるのは
無理。そもそも出家者(授戒には条件があり日本では出家できない)しか
阿羅漢になれません。死ぬ瞬間になれるかもしれないという説はありますが、
それでは遅い。
・悟る力は万人にあります。最低限健康な人間であれば悟る力があるとブッダ
も言っています。
ちなみに悟りとは、阿羅漢果の意味でつかってるのでお間違いのないよう

11 :
まあ早い話、日本で独学でコツコツ修行するより、環境の整った
本場で修行するほうが遥かに悟れる可能性も効率もいいでしょって話です。

12 :
>>7
雲水とは禅宗のことですか?
パーリ三蔵に基づく仏教以外には興味がありません。
禅(瞑想)だけならそれこそどこでもできますし・・

13 :
>>10
師匠がいないと悟れないというのは
師匠がいないと悟ったかどうかの認定が出来ないってだけだろ。
人間が元から持ってるものを、
師匠がいないと持てないっていうのはオカシイと思わない?

14 :
さらに言うと約10年上座部仏教を書籍などで勉強し、瞑想もしています。
その上で決めました。軽い気持ちで外国で出家したいなどとは思って
ないです。
外国での出家は確定事項です。時期は決めていませんが・・

15 :
>>13
悟るというのは、私の聞いたところによればそれは衝撃的体験を
するようです。つまり、無常がわかる。瞬間瞬間で物質が消滅する
のを体験するそうなのですが、それは雷が落ちたかのような体験
だそうで判定されないと自分自身ではわからないようなものでは
ないようです。
素質はあっても、それを開花させるには修行・教え(今ではパーリ三蔵)が
必要であり、阿羅漢まで成長するためには日本語訳の三蔵読んで頭で理
解して一生懸命瞑想修行する程度では無理だと思ってます。
パーリ三蔵を2500年以上にわたり保持・研究してきた上座仏教国の
有能な出家僧指導なくしては悟るのは難しいでしょう。学問的理解の面
からも瞑想修行の進捗についても
経典でも、友(師匠や成長させてくれる友人)をもつのは修行が完成
されたようなものとブッダもおっしゃっているように、仙人ぐらしでは
解脱は無理なんだと思います。

16 :
>>14
それは失礼しました。
是非、修行を成功させて下さい。

17 :
>>15
>経典でも、友(師匠や成長させてくれる友人)をもつのは修行が完成されたようなものとブッダもおっしゃっているように、
「半分」のお経ですね。
このお経はとても好きです。
この教えからも、尊敬できる師、または良い共同体を探すのを優先するのが良いのかな、と思います。
水はともかく、日本語なんてどうでもいいでしょう。そこまで覚悟しているのに。

18 :
>>17
尊敬できる師、よい共同体は本当に重視しなければいけないと思ってます。
日本語については、絶対必要事項ではないですが、三蔵の教えや瞑想指導
が理解しやすいこともあり日本人入ればいいなと思ってます。
でも現地に住めば嫌でも3,4年すれば話せるようになるでしょうから
気に知る必要もないのかもしれません^^

19 :
>>1
確かに海外にいくには手間もかかるし準備もいる。
さらに行った先が観光寺ってこともある。上座仏教国だからって
まじめな寺ばかりとは限らない。
一回永平寺で臘八大接心を経験してからにしては?
永平寺以外でもそこここでやってる。

20 :
>>1は英語は得意ですか?
英語のできる僧なら、日本語よりもう少し探しやすそうな気もするですね。
白人の修行者も今は増えているでしょう。
そういう一応話が通じるところにまず在家として短期留学したらどうでしょうね。良かったらそのまま出家。
ところで、>>1はなぜ悟りたいですか。

21 :
>>19
日本からも安く行けるタイに年に数回ほど渡航して出家生活の体験や
出家先選びをしたいと思っております。かといってタイに限定してる
わけではないのですが、航空券が安いので^^
>>20
スリランカに旅行したことがあります。かなり英語話せる人がおおいので
スリランカなら多少生活面で楽かなとは思いますが、スリランカ外国人出家
を受け入れる制度が整っているのかわからないので、今は第一候補はタイです。
英会話は得意ではないですが、読むのには辞書があれば苦労しない程度です。
悟りの目的は、輪廻を超えて、苦を克服し幸福になりたいからです。
今現在でも怒ることもほぼなく、欲もかなりない方で軽やかに幸福に毎日を
おくっています。ブッダは、『比丘に残る苦しみは、大地の土の量と比べて
ひと摘みの砂程度』と仰っているとおり多くの苦しみがなくなりました。
そして『ヨルカになることは、世界の覇者になるより幸福だ』とも語ってい
ます。最高峰の阿羅漢の幸福はいわずもがなでしょう。
 そして、なにより俗世間で生きて社会システムに組み込まれ執着を余儀なく
され欲望に振り回されて無意味に輪廻をさまようことはむなしく生きることに
意味はない。次生まれ変わっても、人間としてブッダの三蔵の教えを学べる環境
に転生できるともかぎりません。何千何万劫(宇宙の想像と破壊までの期間)の
なかで覚者の生存してる期間はもちろん教えがちゃんと残ってる期間も一瞬のよ
うなものですから今世を無駄にしたくないのです。

22 :
>>21
>>20です。
素晴らしい。
ぜひ悟りを開き、みんなにも伝えてくださいね。
代々の先師達がそうしてくれたように。
どこまで続くのかはともかく、いま教えを次の世代に残すのは我々もできますよね。
私は在家がやっとですが、アナータピンディカ長者のような立派なひとになりたいです。彼も預流の悟りに達していたのだから。

23 :
1さんは何か考え違いをしている。外国に行けば悟れるものでもない。
あなた自身の中に悟りが隠れている。まして今は情報化社会、
本でもネットでも必要な情報はいくらでもある。
場所を選ぶ必要はまったくない。

24 :
>>22
ありがとうございます。日本の中で一人でも私の悟りへの挑戦を応援して
くれる方いるということは、とても心強く身も引き締まる思いになります。
口下手なので戻って伝えるということはお約束できませんが、人生を
かけてなんとしても悟りへ到達したいと思います。
ブッタの教えは完成されています。出家も在家も信じて実践すれば
相応の幸福と成長が必ずおとずれますので、20さんの幸多き生を心より
祈っております。また是非アナータピンディカ長者のような立派な在家
として一人でも多くの日本人にブッタの教えの素晴らしさを体現し周り
の方々に教えの価値を伝えていただきたいなと思います^^
場所は違えど同じ仏教徒!共に立派な人格者となり幸福になりましょうね!
>>23
前にもいろいろ書きましたが、私は最短で阿羅漢果をえられると自分が信じる
最善の方法として外国で出家したいと思います。

25 :
外国に行きさえすれば悟れる、ということではないと思う。
具体的に悟りを得る方法がわかっているのだろうか。
自分を捨て、自我を壊さないと悟れない。
こういうことなら、寺に行かなくても、外国に行かなくてもできる。
同じ行くなら、空海のように悟ってから行ったらどうか。
それなら外国でも歓迎される。

26 :
>>外国に行きさえすれば悟れる、ということではないと思う。
そのとおりですね。相当の覚悟をもって修行しなければ悟れませn。
>>具体的に悟りを得る方法がわかっているのだろうか。
それを学びに本場に渡ります。
>>自分を捨て、自我を壊さないと悟れない。
悟るために本場に渡ります。
>>こういうことなら、寺に行かなくても、外国に行かなくてもできる。
自分のような愚かな凡夫は、一人では悟れる自信はありません。
有能な師を求めて本場に渡ります。

>>同じ行くなら、空海のように悟ってから行ったらどうか。
それなら外国でも歓迎される。
空海さんが悟ったとは思えませんが、悟ったと仮定すれば
無学(学ぶことはない完成された)であり尚更外国に行く
必要などはありません。

27 :
>>26
自分を捨て、自分を壊さない限り悟れない。
これが昔からの悟りの方法であり、これ以外に方法はない。
こんなことは日本でもできる。師もいらない。
 
あなたには両親がいないのですか。
何か事情があり、日本から離れたいということなのだろうか。
悟りのために外国へ行く? 賛成できないですね。

28 :
>>24
>口下手なので戻って伝えるということはお約束できませんが、
伝えるのは何も口や文字といった言語にはとどまりません。
あなたが一生懸命修行している様子、立ち居振る舞い、表情や雰囲気、2ちゃんのレスに至るまで、すべてにあなたの学んだ仏法がにじみ出ているはずです。
だから、あなたが悟りを開くならば、きっと周りに伝わりますよ。
余裕があれば、日本の私達は、ブログでも書いてもらえると嬉しいです(^人^)
>場所は違えど同じ仏教徒!共に立派な人格者となり幸福になりましょうね!
はい、頑張りましょう!
>>1さんにも、このスレを見ている他の皆さんにも、幸せがありますように!

29 :
確かに悟りを目指すのなら上座の坊さんの指導を受けた方が
いいでしょうね。
もう止禅には到達したんでしょうかね、 ?
最短距離を走るなら純観行者でいくんでしょうかね。 ?
自分も知識ではしってますけどね、実際止禅を得るというのは
体験してみたいですね。
十六観智とかすごいですよね〜。
今世それだけ熱望するぐらいなら前世からずっと修行してこられた
のでしょうからきっとご縁があると思いますよ。
頑張って下さいね。 

30 :
正直、あまりお勧めは出来ませんが、やはりご自分でいろいろ体験されれば何かを得られるかと。。。
日本にはもっと良い成仏の法があるわけですが・・・
ニコ生で以前、 ニー仏ちゃんという方が出家前に放送されてから、去年あたりにミャンマーで出家されました。
今年、一時帰国されてからまた少し放送されてましたね。
瞑想ビザというのでミャンマーに入られました。外国人枠です。地元とは別扱い。
費用は分かりません。某有名大学で勉強されたらしいです。
出家前にも色んな宗派の僧侶と会って話をされたそうです。
もしもの時の帰りの費用は貯めておいた方がいいかと思います。
現地語はダメであっても英語は出来た方がいいようです。
あとは蝉丸P師の放送で、弟弟子さんがミャンマーやタイ、スリランカなどを回ったそうです。
実態を聞くと、日本のほうがぜんぜんましなようです。具体的なものは書きませんが
・・・と言われても行くと思われますので、止めませんけどね。

31 :
>>27
どうどう巡りの議論は望むところではないのでやめておきます。
両親は健在で仲も良いです。且つわりと裕福な家庭です。
仕事も順調ですし、素晴らしい職場の仲間にも恵まれています。
日本で生活する上でなんらかの障害があるとかいうのは一切ありません。
ただそれでは満足できないのです。もう日本ですることはない感じです。
ここまで来ると自分の心の問題なので理解はもとめませんが、そういうことです。

32 :
>>28
すべてに学んだ仏法がにじみ出る・・まだまだわずかな教えも分かっていない
と思いますが、それでも今の自分を作り上げたのは学んだ仏法のおかげ
だと思います。
出家しても何らかの形で伝えることができたらいいですね^^
素晴らしい生活ができたならそれを伝えたいです。

33 :
>>29
瞑想に関しては、残念ながら禅定には到達していません><
現状だと、瞑想が苦痛なものではなく静かな楽をもたらすもので
あることを体験しているレベルです。出家するまでには初禅くらい
はできるようになってたらいいなと思ってます。
励ましのお言葉嬉しいです。ありがとうございます^^

34 :
>>30
とても興味深いです!
ニー仏ちゃんという方も次一時帰国された時また放送されるかもしれ
ないのでもしコミュ分かれば教えていただけると嬉しいです。
検索かけてみましたが、出てきませんでした><
もしもの時の為の費用は今貯めているところです^^ある程度貯金が
できたら出家するつもりです。さらに、実際現地で出家生活を体験し
事前準備は抜かりなく行うつもりです。
お金に関しては、とりあえず死ぬまでのビザ更新の為の一時帰国費用
と、もしもの時の為に+100万位は最低限必要かと見積もっています。
でも、そういったお話を聞くとちょっと不安になりますね・・
寺選びで全てが決まりそうですね。

35 :
瞑想に関してですが、初めて上座部を知ったのはスマ長老なので
いわゆるヴィパサナをしていましたが、現在はサマタ中心にしてます。
理由は、経典を見てもブッダが弟子に業所つまり瞑想対象を与えたという
記述がよくみられるのでサマタで禅定に入ってから観にいくのがもっとも
初期の教えに近いかなと思ったからです。
ですが・・才能ないのか一向に禅定には到達できないんですよね><
スマ長老のお話だと、出家して20年真剣に瞑想しても禅定体験できない
人もいるそうです。
禅定に到達できるできないは才能による部分も大きい気がしてます。
とはいえ、誰でも禅定に到達できるとは思いますがセンスみたいなもの
は自分にはないかもしれません(汗)

36 :
つーかもうとっとと行け

37 :
>>34
コミュは消えてましたね。百科は残ってますので、人となりが分かるかと。
英語は必須?のようです。ニー仏氏はTOEIC800以上だとか。
あと、コンタクトする人が日本にいて、そのつてを辿って出家が叶ったようです。
人脈もある方のようですので。
あと、ネットに接続する機会もあるようです。よく更新されてるブログもありますので。
お金は直接持てるかは分かりませんけどね。でも浄人という在家?の人がいろいろやってくれますので
小乗戒には触れないように今は抜け道がキチンと整備されております。これも上座部の現状ですけどね。
お金は持てないけれども、それを預けているお寺での使用権(自分が不施を受けた額)を持っている、という感じ?
タバコなどももちろん当時は無かったので普通に吸えるわけで。
瞑想センターは体育会系みたいな感じだとも言われてます。
日本人はなぜか一目置かれてるとか。それは過去にそこに行った日本人が良かったのか、それとも・・・。
まあ本当にやる気があるのでしたら、1年間は何があってもやり通す気がないと日本で出家してもダメでしょうね。
あと、うちの宗派の場合、在家出家はあまり関係ないですね。役割の違いで。
そもそも、なぜ上座部の国の人たちが日本へ来たがるのか?
日本でもそうですが、あちらでもいろいろ投資をして会社経営とかも出来るようですので。
スマ長老には直接お会いして話を聞いたことがあります?けっこうくせのある方だと聞きますね。
あと、初期の教え=正しい というわけではないわけで。釈尊滅後にいろんな所でそれぞれの形で発展したので、
上座部と大乗ではっきり2つに分かれたみたいな感じではないようです。

38 :
タバコ…
そういうのは不飲酒戒を適用しないのか…
ゲームとかも脳内的な意味で引っかかる気もするから、止めようとか思ってるのだけど…
ブッダが見たら何と言うでしょうね。

39 :
>>37
ニー仏さんの大百科とブログみました。
とても面白かったけど、この人僧侶にはなっているみたいだけどブログの内容
みるに全く俗世間から離れてないし参考にはならなそうですw
スマ長老に実際あって話聞いたことあります。
彼は大乗は仏教の友達と評しています。といってもこれでも彼なりにかなり
柔らかく表現したものです。般若心経は全く評価しないし、真面目な禅僧も
頑張ってはいるけど禅宗は謎かけになってるとか、真面目に禅の修行をすれば
それなりの体験はできるかもしれないが悟りは無理だし遠回りなので上座の瞑想
をしたほうがいいといってます。一部禅の例えには素晴らしいものがあるとも
言ってるので禅宗のみ若干評価してるようですね。
密教だとか念仏だとかはボロクソですw
僕の考えは、古くは聖徳太子の17条憲法による仏法僧に基づく統治など
長い大乗歴史は日本人の優れた精神性に寄与した面は偉大な功績だと思います。
出家として解脱を目指すのは不可能ですが、大衆レベルの倫理道徳を根付かせた
のは紛れも無く大乗の教えによるところが大きい。
スマ長老も日本が仏教国だから来てくれたのだろうし、僕が上座仏教に会えたのも
ながい大乗の歴史あればこそだと思ってます。
タイなどは、銃器やが蔓延してるし日本より遥かに犯罪も多い国です。
出家僧にも、布施で得たお金で少女買春してご用となったどうしようもない
ダメ人間もいますしね。
でも、それはお釈迦様の時代にデーヴァダッタやお釈迦様を悩ませる煩悩だらけ
の出家層もいたように、それをもってタイの出家僧が腐敗しているとは思ってません。
ただこういう記事をみるにつけ寺選びは慎重にならざるをえないですね。

40 :
続き
上座の歴史は、ブッタ入滅200年後に、律を変える変えないで論争があり
律を変えたのが説一切有部、律を頑なに堅持したのが上座部です。そして
説一切有部を起源として中央アジア中国朝鮮などに伝わっていったのが大乗
であり一度教えを変えてしまって歯止めもかからなくなり日本にくる頃には
かなり変質してしまったわけです。
初期が正しいか否かは個人の評価になるので自由ですが、
釈尊入滅後、暴言比丘(煩いブッタが死んだし、やりたいように修行しよう)がいて
正法が無くなってしまう事を危惧したマハーカサッパ大阿羅漢(ブッタから
衣を頂き、ブッタが自分と同等と評した人物)阿羅漢のなかでも教えを完璧に記憶する
第一人者499人と後に解脱するアーナンダを加えた500人でまとめ上げた
教えが初期仏教の教えです。上座部のパーリ三蔵は諸説ありますが基本的に当時の
教えをそのまま残すことを目的とした上座部の編纂した経典群であるのはご存知の
通りかと思います。
そして第一次結集の時、何からまとめるか?とマハーカサッパが問うたところ
500人の大阿羅漢たちはこう言ったそうです。
『律である。律がとどまれば、経はとどまる。』と
律は、仏教の根幹であり命であるということです。
大乗を作ったのは、マハーカサッパをはじめとする大阿羅漢たちより優れた人物が
作ったものか?仏教の教えの命とも言える律を保持せず仏教といえるか?
などから、私は初期が正しいと思ってます。

41 :
ニー仏はいい声してるじゃないか。いい周波数だ。

42 :
>>39
ニー仏ちゃんの評価はともかく、まずは実際に行って体験されてみるのが一番かと思います。
あと、あまり僧俗のあり方に固定観念を持たない方が。
形はどうであれ、やる人はどんな環境でもやることやるわけですし。
それぞれの仏教観、釈尊についての考えなどはあるかと思いますね。
それでも釈尊の直接の教えというのは、誰も分からないものですけども。
直接の教えが根っこで、あとは上座部から大乗へと枝葉になっていく…というよりも、
蝉丸P師の説のように、最初の教えが種であとはそれが散らばっていくというのが
近いような気もします。
あと、菩薩というものに対する考えもたぶんだいぶ違うかと思いますね。
何で、どうやって救うのか?とか。それは同じ大乗でも宗派によって違いますがね。
うちのほうは実践的なもので、まさに「毒矢はすぐ抜く」という感じです。
それでも最初の頃よりは勢いは無くなってきてるようですが。

43 :
>>42
>>1さんでないのに横レスすみませんが、
>あと、菩薩というものに対する考えもたぶんだいぶ違うかと思いますね。
>何で、どうやって救うのか?とか。
僕は、ブッダが実践されたことが最善の救いかただと思います。すなわち「教えを伝えること」。
そのとき相手に必要な話をする。自らの行いを正して、模範となる。
行いは正すも何もブッダは自然にやっておられたのでしょうけれど。
だから、上座部ではことさら衆生済度を強調しない、自分がブッダになることが一番みんなの為にもなるーーこれは僕の想像ですが。

44 :
ひと昔前まで上座部を小乗などとよんでいたが、
小さな乗り物はどちらかと言われれば今の大乗。
だって上座部は一般市民から解脱を望むすべての人々、慈悲を育てて人間いがいの
すべての生き物の幸福のための宗教なのだから。出家への教えが大半だけれども
それは一般市民の幸福など5戒を守って、正しい仕事を一生懸命すれば天国くらい
いけますよ。ことさら教える必要もないことないというスタンスです。
ほんと大乗小乗と区別を作った人はアホだと思います。自分の無知をさらけ
だしてるだけ

45 :
加えてすべての1神教や神々に頼る宗教。
上座部の智慧で人間を解釈すると人間は5ウンです。
目耳鼻舌身心にそれぞれ視覚情報、音、臭い、味、温度硬さの情報が
心に入りそれらの情報を合成したり創造したりするだけのものであり
神の入り込むよちなどありません。
ブッタが神々と話したりしてますが、それは神通レベルの修行を積んだ
人のみできることで一般人には神や菩薩などいても関わりないものです。
病気なんか直してくれないし、奇跡もないし、幸福にもしてくれません。
病気なんて人間んだれしもかかります、奇跡にみえるようなこともちゃんと因果
があって起こってるだけ、幸福は自分の心を育ててえるものそれがブッタの教えです。

46 :
>>44
>出家への教えが大半だけれども
>それは一般市民の幸福など5戒を守って、正しい仕事を一生懸命すれば天国くらいいけますよ。ことさら教える必要もないことないというスタンスです。
在家だって真面目に八正道を実践すれば、預流に至ることだってできると信じます。アナータピンディカ長者がその例。
天国なんか行っても意味がないです。また元通りになるのだから。
>大乗小乗と区別を作った人はアホ
そのとおりですね。仏教はもともと一つの超大乗であります。

47 :
大乗ってのは、まさに在家、出家、縁学、小聞、そして説一切有部含む
すべての「小乗」も悟れるっていうスタンスで、出家しか悟れないって
いう説一切有部のスタンスに対するアンチテーゼでしょ。
「もともと1つの超大乗」でなくなったからあえてことさら言うことになったのでは?

48 :
それと神に対する信仰っていうのは、もともと五蘊でできた
仮の自己に対する反対概念への希求切望って感じで、
俺は必ずしも否定しない。最後には「彼岸」に達するアドヴァイタでいうバクティだね。
ラマナ・マハリシの本を読んで腑に落ちた。
パウロや親鸞の言うことも理解できたよ。

49 :
>>47
出家しか悟れないってのは歴然とした事実だよ。
説一切有部と上座部の仏教最初の分裂は、インド北部の習慣上
正午までしか食事をとれないのは無理なので変えてもいいか!いやだめだ!
の論争から分裂だと認識してる。つまり戒律の改変を是とするかしないか
の問題。
出家しか悟れないというのは、それだけ解脱は半端な修行じゃ得られない境地
であり、俗世間の欲望を満たす快楽に未練のあるもの(つまり在家)には無理ですよ
っていう単純な話。快楽に未練がなければ在家でも悟れるか?っていえば悟りに最適な
環境と修行者の体験による指導があって死ぬほど真剣に修行してようやく死ぬまでに
悟りに到達できるかどうかという困難極める道ですよ。といってるだけです。
出家の条件に上位カーストなどの制限があるのであれば小乗だが、本気で
世間の快楽を一切捨てる覚悟があればだれでも出家できるのだから
出家しかさとれないというよりは、万難排して出家する覚悟がある漢しか
悟れないということ。
悟りの境地を簡単に得られるのおもうな。解脱をなめんじゃねーよって話。

50 :
>>49
> 出家しか悟れないってのは歴然とした事実だよ。
阿羅漢の悟りならば、その通りでしょう。
しかし預流の悟りを開くことまでは、在家でも最高レベルの人のみ達成されています。
http://www.j-theravada.net/kogi/kogi140.html
預流ではすぐに解脱とはいきませんが、苦しみは大幅に軽減されていますね。
預流は、解脱に至る道です。
だから、「在家は天国にでも行っとけ」という話ではなくて、
「在家は今生で解脱は無理でも、できるだけ近づくよう頑張れ」ということと思います。
> 悟りの境地を簡単に得られるのおもうな。解脱をなめんじゃねーよって話。
ありがたい言葉です。
預流でさえも、聖者とされるほどの境地。並大抵のことではありません。
アナータピンディカも、自分の財産など全く惜しまず、人々のために尽くしたと言われます。

51 :
そうですね。預流、一来、不環なら在家でもなれることになっています。
ですので、個人個人できる限り心を育てて解脱に一歩でも二歩でも近づいて
ほしいものですね。

52 :
まあ出家してからの話だな。
2ちゃんやりながら「解脱なめんな」って

53 :

預流の別名は「法眼浄」でお釈迦様の説法聞いた人間が
その場で見道に達したりするのは経典にはあるようだし。
沙門果経ではブッダ自ら 質問者であるアジャータサットウ王が
退出した時に比丘たちに述べている。
お父さんをしたりしなかったらあの王はこの場で法の眼が生じて
いたにちがいないと。
阿羅漢は確かにむりでしょうが、見道までいけば道を外れる事が
ないようなので在家で見道を得るのが一番いいななんて考えたり
しますね。
出家となると強烈な戒律あるし ^^ 
出家を意図するぐらいの方なら機縁の波羅蜜が充満しているような方
なんでしょうから、難しく構えなくてもすうっといきますよ
すうぅっと。

54 :
たしかに、お釈迦様の説法を聞いた
だけでなんらかの何らかの悟りを得た話は膨大な数ありますね。
ダンマパダの因縁話にはみんな一句ごとにそれをきいて何百人が
預流の悟りを得たとありますからね。
これだけ出家を熱望する自分は、たしかに前世でなんらかの縁があったの
だと思います。ある長老にお聞きしたところ仏縁のある人はたとえ他宗教
の家に生まれても仏道にそれに価値を見いだすそうです。
とはいえ、問題もないわけではなく両親の説得には骨が折れそうです。
仏教となのはしってますが、他宗教でありそれも信じると難病が完治する奇跡
を唄うそれは低俗な宗教ですw自分の親ながら恥ずかしい限り・・・
一度出家したいとぽろっといったら、悪い宗教に騙されてるから目を覚まさせて
やらなきゃという勢いで反対されましたww
まあいざとなったら絶縁するしかないかな〜と

55 :
在家のままで見道を得るのも大変すばらしい目標ですが、7回生まれ変わる
間に出家して阿羅漢になるのが預流ですから、遅かれ早かれ出家する運命
ならば今生出家してみてはどうでしょうか?早いか遅いかの違いですよw
お釈迦様の教えのみのこの時代、当時より在家で預流になれる確率は相当
低いですし、在家で預流は出家で阿羅漢になるより難しいかもしれませんよ!
それにしても、お釈迦様存命中のインドに生まれた方々はどれだけ徳を積まれた
方たちだったんでしょうね><ほんとうらやましい限りです。

56 :

>>55
> それにしても、お釈迦様存命中のインドに生まれた方々はどれだけ徳を積まれた
《<護象本生経>の記載によると、護象という人はただガンジス川を見て
いただけで禅那(ジャーナ)を証したと書かれている。なぜこのようなこと
が可能なのか?それは彼が過去世においてなしたハラミツが支えてくれた
ために、川の水を見るだけで禅那(ジャーナ)を証することができたの
である。故に修行者は不断に瞑想修行をすることによってハラミツを積めば、
それが修行者をして、今世において道果智を証するための支えとなる力に
なるのである。》
 昔とっといたセヤドーさんのhpから なので今は何処にあるのか
 しりません。 ^^
 徳を積むだとかは危ない宗教さんがよく使うので私はそういう考えには
 残念ながら賛成できません。
 禅の修行を成したのか成さなかったのか やったことの結果それだけ
 だと思います、貴方が出家を熱望されるということはそれだけの
 要因があるのでしょうから頑張って下さい。

57 :
>>56
川見つめるだけで禅定ですか!それはすごい話ですね^^
確かに仏教において布施は徳を積む善行為ですが、もっとも徳の高い行為は
瞑想することだそうです。
過去の業はどうしょうもないことですから考える必要はありません。
ただ、明日死ぬ業があるかもしれないので出家するなら一分一秒でも
早いほうがいいですよね。一刻も早くお金貯めて、いい出家先見つけ
なければ!

58 :
>>57
師にすれば、君のような人はずいぶん迷惑だろうと思う。
他人を頼ってはいけない。今の君は目をふさがれた馬車馬のようであり、
自分の夢しか見えなくなっている。
 
そんなこともわからないようでは、悟りなど無縁だと思った方がいい。
夢を捨てることが悟りなんだよ。今の君にはわからないだろう。
 
いくら言ってもわからないだろうから、
どこへでも行って、骨折り損のくたびれもうけをやって来い。

59 :
>>58
あなたの言葉よりブッダの言葉を信じます。
師をもつこと
悟りに夢を持つこと(これを志欲といいます。)

60 :
ブッダの言葉を信じる? 志欲? そんなもの悟りに邪魔なだけ。
君ほどの熱意があるなら、仏教系の大学や大学院で学び、僧籍を取ったり、
研究者を目指したほうがよほどいい。少なくても僧籍を取れ。
東南アジアへ行くかどうかはそれからだろう。

61 :
>>60
 ブッダの言葉を信じるから悟りを目指すのだし、
悟りへの志は 欲勤心足といって大事な事ですよ。
あなたの文章は主張においてなにか矛盾しているように思います。
生命はいつ途切れるか解らないのだから そういう面をも
勘案して助言すべきではないですか。

62 :
君は悟りを甘く考え過ぎている。
悟りはだれかに導かれて達成できるようなものじゃない。
自分の心を破壊しつくことだよ。
 
ブッダの言葉や夢だなどと気取ってる君には無理、悟れるわけがない。
君は基本的に考え違いをしている。そこから見直せ。
悪いことは言わない。日本でも悟れる。

63 :
>>62
私はここのスレ主ではありませんよ、通りすがりの者です。
貴方は経典引用した議論をしないのですね。
となると貴方の主張は貴方の宗教であって 仏教ではない
話ではないですか。 ?
悟りといってもいろいろありますからね。
またブッダは梵網経において 初〜四禅を得た比丘たちが
これが涅槃であると云うのを諌めたシーンもありますし、経典には
邪思惟なるものもあるようです、なので魔境を避ける上でも
師は大事であるし
修道において長老達が後塵の方に対してその方にあった業処
を授けて導いたのは釈尊以來の伝統でありますから
私はそれを否定したりはしません、禅定を得る為の戒律を
守れる環境も必要となってきます。
貴方は あまり経典を読んだりはしない方なのではないですか。?

64 :
>>63
それは失敬。みんな名無しだからカン違いした。
スレ主あてだからやめるよ。
 
話の流れでつけ加えれば、ブッダの言葉が知りたければ経典を読めばいい。
しかし悟りは、知識ではなく体験だ。ブッダは無師独悟。
師だ、ブッダの言葉だ、などと言ってるようでは絶対に悟れない。
 
場所を選ぶようでは悟れない。
師など無用。魔境を恐れるようでは悟れない。

65 :
> 場所を選ぶようでは悟れない。
> 師など無用。魔境を恐れるようでは悟れない。
禅坊主かぶれの間抜けがいいそうなこった。
まともに観想もしたことないやつが悟ったような口をきくものではない。
上座部だろうと大乗だろうとまともな瑜伽行には一定の環境が必須だ。
場所を選ばなくなる境地に到るためには場所を選ぶ必要があるのだ。

66 :
>>63
かなり経典に詳しいお方のようですね。経典解釈談議に花を咲かせたいです^^
今、念住教の文言解釈で悩んでいます。
呼吸については念を前面に出し正念と正知をもって・・知り
それ以外では ・・・・と知り
とブッダはおっしゃっていますが、この『念』という文言にはどんな意味が
あると解釈されますか?
つまり念が必要なのは呼吸瞑想(アナパナ)で、念とはスマ長老のいうラベリング
が当てはまると思ってるのですが、そう解釈すると日常動作の観では〜と知りとしか
書いていないのでラベリングはしないように思えるのです。
マハーシー式では呼吸を中心に動作、感覚、思い全てにラベリングをするとなると
すべてに念を全面に現出させ生念と生知をもって〜と知りと書いてないと経典どおり
ではない気がするのです。つまり、スマ長老をはじめとする全てにラベリングは大
念住教の教えをより難易度の高い瞑想に変更している気がするのですがどうでしょう?
とはいえより強く知るわけですから、間違ってはいないとは思ってますが・

67 :
>>64
あなたは一体どんな宗教を信じているのですか?
ブッタの言葉に価値がないといいながら、日本の仏教大学いくのがいい
とか支離滅裂のようにしかおもえません。
大乗仏教なんとか教をを作ったどっかのえらい坊さんがブッタを超えて
るとでもおっしゃりたいのでしょうか?
あなたのいう悟りの境地を得た人は一体誰ですか?

68 :
64氏は悟りを無我と解釈してるようですが、
無我はどちらかというと真理の側面、つまり無常の真理を表現したもので
悟りとはちょっと違うんじゃないですかね。
初転法輪でブッダは、渇愛が輪廻の元凶であると断言してます。
悟りはつまり執着を全てなくすことが悟りと解釈してますが・・
今風に言うと何ものにも囚われない自由な心といったところでしょうか!
自己の破壊といってもそもそも自己自体本質的には無いわけで、自己を
あえて使うなら自己の開放が適切な表現ではないですかね?
自己の破壊というと、イメージとしてもう植物人間のようなぶっ壊れた精神じゃないですか?
ブッダのいう悟りは究極の覚醒であり、智慧にあふれた明晰な精神状態だとは
思いませんか?

69 :
初転法輪ではなくてブッダガヤで解脱した時の言葉でした><失礼

70 :
本当に悟りを得たいならミャンマーへ行け。
最近は日本人もかなり修行に行ってるようだし、
ひとりで修行に専念できる環境が整っている。
パオ式にしろ、マハーシ式にしろ、悟りへの
システムも確立されている。
いい師が多いし、無言行も奨励されている。
タイやスリランカは近代化が進んで、環境も
悪くなってるし、葬式の読経やあれやこれや、
僧侶は雑務が多くて、修行も捗らん。

71 :
ところで質問です。
皆さんはどのような瞑想を実践されていますか。
僕は、アーナパーナサティ・スッタと、サティパッターナ・スッタを読んで、それに従って瞑想をしています。主にアーナパーナサティですね。
息を吸って、今息を吸っていると知る。
息を吐いて、今息を吐いていると知る。
といったものです。

72 :
>>65
君にはコメントしない。勝手にしなさい。

73 :
>>67
どの宗教も認めるが、どの宗教も認めない。一長一短だよね。
 
慎重であれ、と言っている。
タイなどで出家することは日本を捨てるのに等しい。
日本人なら日本を拠点にしろ。
  
君は日本人ではないのか。親不幸なことをするな。

74 :
>>68-69
言葉の使い方で誤解が生じている、ということもあるよね。
悟る前と、悟った後では、「我」にしても意味が変わってしまう。
真我という言葉にはすでに色がついてるしね。
悟りを表現することは難しい。

75 :
確かに本当にいい修行になるのはこの俗世間な気がするな。
環境のいいところで悟ってみたところで、
この世間で通用しないんじゃ意味ないと思うよ。

76 :
>>73
日本で拠点ですか・・
できないことはないんですよね。
上座部仏教修道会というところが茨城にありまして、ミャンマーの高僧が
指導してる立派な上座部仏教寺です。
出家に際しても、わざわざ日本で戒律の勉強と基礎的な生活習慣をみにつけ
てからミャンマーに行き律士に授戒してもらってまた日本に戻ってくるそう
です。
でも、師とサンガとそれを支える在家集団、文化的環境を考えるとどうしても
上座部仏教国に憧れてしまいます。まあどうしても納得の出家先が見つからない
場合の最終手段として選択肢にはあります。

77 :
>>71
アナパナは四念住の一番目にあり、アナパナから始めるのがオーセンティックな
修行法ですね。今は師の方針により様々な瞑想法が開発されていますが、大事なのは
疑わずに続けることです。
師がいないと自分の方法は間違っているのではないかといろいろ疑問が出てそれが
瞑想を進めるにあたり障害にもなるので師はいたほうがいいのです。
もちろん師が三蔵の教えを深く理解し、瞑想の熟練者であることは必須条件でありますが

78 :
>>77
アドバイスありがとうございます。
アーナパーナサティは、シンプルだし、やっていてとても楽しいです。
一生続けていきたいと思っていますよ。
私はこれをティク・ナット・ハン師のコミュニティの先生に習いました。
ナット・ハン師は禅僧ですが、パーリ経典をもとに話されることが多いです。
日本の仏教は阿含経典をあまり学ばないようですが、ブッダの教えはパーリ経典や漢訳阿含経典ではないのでしょうかね。
般若経典とかの思想は阿含経典の思想の発展なので、理解を助けてくれる面もあるとは思いますが。

79 :
>>66
遅れましたが 
セヤドーさんのが探してみたらありましたので提示してみます。
既に知っているのならご勘弁の程 ご参考までに
http://web.archive.org/web/20070405093323/www012.upp.so-net.ne.jp/asia21/
「智慧の光」
                第三章  安般念の修習方法
疏鈔の中で「世尊が『念は、どの業処においても必要とされる』と述べている」
と書かれているのである。なぜであるか?念は心を守ることができるから
である。念とは守護のことである。なぜなら、それは心を不可思議な境界に
向かわせることができるからである。正念が無ければ、不可思議な境界を
証したり、そこに入ったりすることはできないのである。正念は心を守護
できるだけでなく、心を所縁の境界から離れないように制御することが
できるのである。であるから、智慧をもって知見する修行者に正念が顕現
するならば、それによって業処を守り、修行者の心を守ることができると
いうのである。正念が不足すると修行者は心を策励したり、
制御したりすることができない。これが、仏陀が「念は一切処において、
応用することができる」と述べた理由である

80 :
>>66
念、念処は「道」そのものでありますのでこれはよい論書をご自分で
探していただくよりはないですが一応自分がもっているものから
要点を書きだしてみたいと思います。
「念処の語彙」
「念処」とは三の念処である。すなわち(1)念の活動範囲でもある。
(2)三種〈念住〉である。師には行道する弟子たちに対して
 瞋恚(対立)・貪愛が超越されているゆえに。(3)念でもある。
念処と云うのは念の場所「念の活動範囲」が念処と云われる
これにおいて確立するから住処である。何が確立するか。念である。
あるいは重要なる場所であるから住処である。
〈これは、布施などを行う者には色などが念の場所になる・・〉
四念処の修道がある程度進んで七覚支に入り
七覚支で使われる場合はの念は「念」そのもの その意味はー発進する。
躍進するから念処であり、 近づく、進み、拡げ、発進(発起)
或いはまた億念の意味によって「念」であり、近住(近づきとどまるもの)
の意味によって「住処」である。

81 :
>>66
妄想を招来する色の所縁などの味汁から心を引き離し念所の所縁に
心を向けさせる為にこの場合は「念」を綱としてみなす。
そうすると杭につながれた子牛のように修行者のこころは あっちこっち
遊びに出ず定に向うようになる。
(これは後世の十牛図の元になったもののようです。)
《片山氏大念処経注から勝手に引いてコメント入れたもの。》
個人的に思うのはこの憶念というのが大事で、有分心に落ち込んだだけで
あるのに解脱しただとかいろいろ陥穽に嵌るのを防ぐ意味において大事
であるし、刹那を観察するにおいても有分とタイミングを外し一緒に
流れるのを阻止してそれを観察できる利点があるものと推測されます。
またこれは定の五自在においても使われるのではないでしょうか。
私は実践家ではありませんので思うとしか書けませんが、お金に執着
する方は常にお金に対しての色念がそこにあってその場所が念の住所
活動範囲になる。一乗道と呼ばれる四念処は所縁によって四ではありますが
これは道の意味によって一です。修行中は随観のようなものが念の住所で
あり、修行が終わってブッダのような存在になったなら
〈師には行道する弟子たちに対して  瞋恚(対立)・貪愛が超越されている
ゆえに〉 この悟りの念が常に現前していると云う事なのではないでしょうか。

82 :
>>79〜80
まとめてレス失礼いたします。
また真摯な解答感謝いたします。
要約すると
念=注意をもって知ること。
  業処にとどまらせること
  志、やる気
  執着、不善に流されないこと
のうような意味になりましょうか?
ということは、単純に呼吸で禅定に入れと言う意味で念を強調していると
解釈でいいのでしょうね。それ以後では、1点ではなく寝たり立ったり歩いたり
いろいろ複雑な動作感覚にたいする瞑想になるので禅定を得るための1点集中
ではなく体感覚全体にまんべんなく注意をはらうという意味なんでしょうか?
ラベリングと念の関係についても見解があればお聞きしたいです。アナパナ教えて
もらったことないので、自分の場合一応雑念を排除する意味で呼吸に集中する場合
はラベリングしてそれいがいはラベリングなしで知る(といって欲だ、怒りだ、歩いてる)
とか自然と言葉で思ってしまうこともありますが)という見解で念を保ってます。
ラベリングはそもそも必要ないのか、あるとすれば呼吸だけなのか、全てなのか、それ以外
なのか?この辺が謎です

83 :
ラベリングに関しては、プラユキ・ナラテボーさんが
著書の中で、具体事例に基づいて、問題点を指摘して
いたな。 それなりに理に適った指摘だと思った。
確かに不立文字の悟りの世界を探求するに、名色の実体視、
さらには自我の存在感を 強めてしまうラベリングはいかが
なものかとオレも思う。
ブッダ自身もラベリングせよとはひとことも言ってないし。
おそらく方便(道具)として用いよということだとは思うが、
その道具が諸刃の剣であることは自覚しておいた方がいいと思う。

84 :
>1の言ってる事があまりにも都合良すぎてどうにもこうにも
日本でコツコツ修行するより東南アジアの綺麗で快適な寺で日本語の分かる
日本人僧にべったり依存してたまには日本に帰りながら手っ取り早く阿羅漢
目指したいってねえ
自分探しの旅に出るアラサーOLにも劣る理由だな

85 :
>>82
ちょっと著作者の名前を失念してしまって申し訳ないが 
>>83 氏が指摘されている本の著作者がタイで出家して住職されている
日本人の方の本だとすると その方が 云われるには 《 念 》 そのまま
《 今の心 》としてコメンとされている部分があったように記憶しています。
確かに心は過去へ未来へ飛んでしまって現在にはいないのが普通なので ^^
今現在このままありのまま、
実践修道者では無い者がラベリングにコメントするのは適切ではないと
思いますが感想を述べますと《 今の心 》今ここに心を引き戻す為の
工夫の一つとして捉えておけば良いのではないでしょうか。
補助輪と捉えて道が進んだらそれを外すなりしてはいかがでしょう。
ちなみに大念処経にはラベリングらしき記述は無いように思います。
「比丘たちよ、ここに比丘は、
 身において身を観つづけ、熱心に、正知をそなえ、念ををそなえ、世界
 における貪欲と憂いを除いて住みます。・・略・・・」
※ 「念をそなえ」satima 〈身を把握する念をそなえ〉。なぜなら、
  〈念によって所縁を把握し、慧によって観つづけるからであり、
   念を欠く者に随観というものはないからである〉
   片山氏大念処経

86 :
>>82
「身において生起の法を観つづけて住みます。或いは、
 身において滅尽の法を観つづけて住みます。或いは、
 身において生起と滅尽の法を観つづけて住みます。
 そして彼に〈身がある〉との念が現前します。それは他でもない、
 智のため念のためになります。・・・・略・・・
 このように、比丘たちよ、比丘は身において身を観つづけて住むのです。」
※ 〈身がある〉
  atthi kayo あるいは「身のみがある」。〈身がある、生けるものは
  いない、女性はいない、男性はいない、我はない、我に属するもの
  (我所)はない、私はいない、私のものはない、誰もいない、
  誰のものもない、とこのように彼に念が現前している〉と
  いうこと。
  「同上」
※ 〈このように〉
  ここでは、出入息把握の念(・略・)が「苦諦」である・・略・・
 ご参考までに。

87 :
>>82
 億念に関して思うのは 仮に
・・・・〜〜〜〜ーーーー〜〜〜〜・・・・ーーー
こういう思考と心の流れがあったとして常にはこの流れが重なって
・・・・〜〜〜〜ーーーー〜〜〜〜・・・・ーーー
・・・・〜〜〜〜ーーーー〜〜〜〜・・・・ーーー
一緒に有分心として滅と生が重なってしまっているので
これを一旦億念して
     ・・・・〜〜〜〜ーーーー〜〜〜〜・・・・ーーー
・・・・〜〜〜〜ーーーー〜〜〜〜・・・・ーーー
こうすると有分が一緒に剥落せず、観えるようになる。
一旦記憶しておいてそれを観察するというかそういう感じなんですが
これは私の仮説なのでまぁ参考にはならないと思いますが
よろしく修行されていただければ幸いです。

88 :
マリアコーポレーション

89 :
西成区でナマポになる方が、コスパが良いと思いますよ。南無(^人^)

90 :
>>1
日本テーラワーダ協会で聞いてみれば?

91 :
>>1 さん。お気持ちよく分かります。ただ、それで悟りをなどというのは無理だと思います。
釈迦が得た正覚とは何か。ブッダは何も隠しておられません。
根本仏典にあるように、十二因縁であり、四諦であり、八正道です。
無明があり、ゆえに行があり、その故に色があり・・と続きます。
ただ、分かったように思えても、頭、つまり悟性でいくら考えても悟りには至りませんし、
釈迦と同様の悟りを得ることは不可能です。ミャンマーやタイ、スリランカで、釈尊が得たのと同様の正覚を得た方がおられるとは思えません。
おられるなら、梵天勧請にてこの世の中に真実を広めておられるはず。

92 :
http://imakokoniaru.blog105.fc2.com/blog-entry-7.html
佐々井秀嶺はインド仏教徒巡礼者用の宿泊施設をブッダガヤに建てる計画の委員長
となったが、工事は途中でとん挫した。
神戸市長田区臨済宗南禅寺派明泉寺住
職冨士玄峰〔荘碩〕〔臨済宗南禅寺派前総務部長〕
の働きかけで昭和61年神戸市仏教連合会が
500万円の寄付を集めて送った。高尾山など真言宗の関東三山からも1−2
千万円の支援が集まっていた。
「失敗の原因は十分な計画性に欠けていたことです。ヒンドゥー組織の妨害も
あり、だまされてしまったんですね。こちらは具合悪いですよ。あの500万
円はどないなったと言われますからね。上人は懺悔はする。でも説明がないん
です。そういうところが一番マイナスですね。」
佐々井の「いい加減さ」には幾度か尻拭いをさせられてきた、冨士玄峰だが、「蹴ら
れても殴られてもついてゆく女みたいなもんですね」と、苦笑いした。惚れ込
んだ男に対する信頼と期待は揺るぎない。「日本では悪名高き男として知られ
ています」は佐々井の口癖。数少ないが強力な支援者を黒沢映画にたとえ、「
私には7人の侍しかおらんのですよ」と言った。佐々井が日本仏教界から評価
されない理由を玄峰はこういう。〔他人事では済まされない。冨士師が仲介者〕
そして今年、平成23年、
佐々井秀嶺氏は
冨士玄峰氏が仲介する、臨済宗からの寄付四百万円を流用したことが発覚した。

93 :
>>92
流用ってどちらへ?

94 :11/11/23
>>89 さんのおっしゃてることの意味の深さを理解できないようなら、どこに行っても遠い遠い
まず蓑の丈を知ることから始めたほうがよろしいかと
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何か宗教信じたいんだけどオススメある?
十三仏六観音七福神御真言を毎日唱えています001巡
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