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2011年10月1期伝統芸能葉村屋・嵐徳三郎を語る
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葉村屋・嵐徳三郎を語る
- 1 :02/08/24 〜 最終レス :11/11/25
- 上方の芝居に無くてはならない役者だった,七代目嵐徳三郎。
あの濃厚な味わいが忘れられない人,いませんか?
- 2 :
- 萬野と岩藤、結構どしたなあ。
お石は傾城上がりめいてよろしゅうおへんどしたけど。
貢にしなだれて「どうなとおし」いうて流し目して横座りに決まるとこ、
花見竹刀打の幕切で艶然笑うてたたずむ姿、
今に忘れしまへん。
- 3 :
- 東京の国立。越路。
- 4 :
- ほんとに万野はねえ。歌右衛門や玉三郎のする役じゃないね。
あとはね、お辰。
- 5 :
- 中座の万野よかった。勘九郎の初役の時。
このひと、前進座の四谷怪談に与茂七で出演してるって知ってた?
(松竹から参加で)
うちにプログラム有るよ。
- 6 :
- 万野は絶品といっていい。あの色気となにより万野という女がもつ陰のある
いやらしさがありました。孝夫の貢での中座で通し上演の時の万野もよかったね。
- 7 :
- 忠臣蔵の顔世とお才
- 8 :
- 河内屋さん直前でキャンセル(師直、勘平、由良之助 →「大津絵道成寺」)
の、昭和63年正月中座ですね。
初日に昼夜観ましたが、まず顔世御前にビックリ。
あのエグい風の優がなんとまあ神妙な・・・・
扇雀さんからスライドで急遽判官(お軽も)を勤めた
田之助さんの、梅幸さん直伝(直接伝授はなかったにしても
菊劇団での薫陶)ともいえる古格に則った演技に
影響されたのかも・・なんて感じた記憶があります。
- 9 :
- 顔世は「臈長けた」上品な色気がありましたね。師直が付け文
するのも尤も。あの時の田之助の判官さんもきっかりとした演技でね。
芸裏から見てました。四段目の白装束がまたなんともいえぬ風情でした。
- 10 :
- (あのとき急遽大阪へ呼ばれたんでしたかね?)
段四郎さんの師直がまた古風〜ぅで大きさもあって&勘所は
十分突っ込んだ・・・・ それでいてやっぱり東京の役者さん:
客席を窺って底を割るような危うさのない行儀の良さで。
お生でない壮年期の男の色気横溢。
そこへ抑えにおさえたが故に、尚更露も零れんばかりの
あの顔世がからむんですから・・・
大序の黒に紫(お納戸かも)ってよく考えたものですね。
そうでした、焼香場の一貫した憂愁にトドあの引っ込み。
つけ際でタメるのみで、なにをするでもないんですが、
気丈に耐えるいち女の悲しみばかりでなく、混乱や悔恨
そして絶望(先祖累代は勿論家臣郎党をも巻き込んだ)
等々、どこから見ても「後室」の位取りでしたね。 <長文失礼>
- 11 :
- 花車のイメージが強い優でしたが,時代物の,
こういうものにも佳品が多い方でしたね。
- 12 :
- 昭和50年代あたりの長い期間、めっきり興行数の減った
関西在住という地理的条件に加え、何と言っても門閥外。
東京からお声のかかる機会もなく・・・・
梅田コマだの、新歌舞伎座、中座や角座・朝日座なんかの
ちょっとした商業演劇公演に、三番手クラス(?)の
役どころで、大いに気を吐いてらしたような印象が・・
あの仰天(←当時としては)「女王メディア」への起用、
そして一部の好劇家間でのブレイクぶりも、そういった
必要に迫られた他流試合の一環だったように思われます。
- 13 :
- しわしわー
てんてけてんてけ
\(^▽^)/新スレおめー
100式につや消しパピコぬりまくり.りんねおかわりは30円
いんたこ王者
むむなべ
(●´ー`●)<>>1DISCを一枚このわたしに!
モニフラinぶりんこ天然果汁1000%
___ ______ ───────────…‥
/日 「 日\_.\ ━━━━━━━━━…‥
|. │/ \ ┃ .| | ────────…‥
.______∋oノハヽo∈ __/,-、__\ | / /━━━━━━━…‥
()_____|_日(´D` ))(@)_二〉 ̄,ー' ゞ ⌒ヾ∠_─────…‥
\|乙/∪∪=/__/__二二,新スレおめ〜 =- 三ニ=−──…‥
<_,<、二ニ_/ ̄ ̄ //_ く ̄ ━━━━━━━…‥
l/ l/^ー' / / ∨.N \ ─────…‥
マローン
- 14 :
- 鴈治郎忠臣蔵七役のときは九段目のお石でした。
東京の国立では、既出の「筍堀」、「楊貴妃」では楊貴妃の姉さんの役で見ました。
>昭和63年正月中座ですね。初日に昼夜観ましたが、・・・
偶然ですが私もです。
三段目は「おかるの文遣い」も「裏門」もあった。伴内は扇豊!!!。
裏門の立ち回りは怪しかったなあ。。。。
忠臣連理鉢植・・・・。
- 15 :
- 上方式の「加賀見山」岩藤の濃厚な色気!立役が加役でやることが
多いですし,勘三郎・二代目鴈治郎と女形が身体にあるひともありますが,
女形にウエイトのある徳三郎十分な手強さもあり憎さも効き,ちょっと通俗的な
味もあり,大きさもありで面白かったですね。
- 16 :
- お石は上方では持ち役でした・・・。
- 17 :
- 嵐寛寿郎も葉村屋でしたよね。
先日見た映画「残菊物語」の五代目菊五郎の役、劇中劇の鞘当など、立派でしたよ。
- 18 :
- 三段目「裏門合点」ありましたね。あの場面があると、お軽の
積極的でそして軽率な行動、勘平の(というか男というものすべての)
不器用で優柔不断な側面が浮き彫りになりますね。
こちらはホントに暗がりの「そんならソコの松陰で」でしょうか(笑)
で、昼の切が「五・六段目」 ここの一文字屋お才です。
これがもう「本物?」かと思わせる造形で、切って嵌めたとはこのこと。
これまた扇豊さんの程を心得た善六をたしなめる箇所や、「水離れ」を
よそごとのように駕篭で待つ姿、そしてやっぱり引っ込みです。
この道で年輪を重ねた上での美しさあり、万事訳知りで目から鼻。
でもどこか鷹揚さもあり・・ 都祇園で名の知れた大店のお内儀でした。
- 19 :
- 「封印切」のおえん,最後のお役であったというのも巡り合わせか。徳三郎ベスト3
には入る役だと思う。
- 20 :
- 我童さんみたいに、幕開き座敷前方で梅川と竹とんぼみたいに
かんざしを放って畳算、なんてなさってましたですか?
- 21 :
- 廓の華やぎを体全体から発しているおえんでしたね。
秀太郎の残んの色香とは好対照で。
舞台が大きい人でした。
- 22 :
- ジャンジャンでの公演や,大谷ひと江時代の舞台を知っている方
いませんか?ずいぶん実験的なこともされていたようですが。
- 23 :
- 今後「三婆」はこの人だと思っていました。
- 24 :
- やっぱり「特別」な役者さんだったのかな?
東京の公演にはあまり出てなかったし。
関東方面の方,徳三郎の舞台見たことある?
- 25 :
- 門閥の壁は厚かった・・・。何かのおりにご本人が
おっしゃったそうです。
門閥外の登用は歌舞伎の閉塞を打ち破る一つの方法ですが,
保護者がいなくなると風当たりが厳しくなるのは古今東西
同じこと。あとは腕一本。
現上村吉弥あたりが有望ですね。
猿之助のところはどうなるのか?
- 26 :
- 筍掘りの母も立派だったけど、ニンではなかったと思う。
本人は白をかける役についてどう思ってたのかな。
個人的には雁のたよりのお玉どん。
>22
ひと江時代は勿論見てはいなけど、
徳三郎襲名後に写真集が出ていて、
そこに若き日の舞台姿が満載させている。
勉強会、巡業とはいえ、
先代鴈治郎の相手役など、
大役を次次にこなしていたことがうかがわれる。
- 27 :
- >26
白をかけての役で、あの時表彰されたけど、ご本人は余り嬉しくなかったらしいよ。
嵐徳三郎という名は、今まで立女形だった名前で、自分がそういう役をして
まして賞を受けてしまうなんてことは、先祖に申し訳ないって気持ちだったらしい。
- 28 :
- >25
門閥の壁は厚いよ。今月の演劇界見て激しくそう思った。
八月の関西の舞台、上村吉弥のみよし会は上方歌舞伎会を除く
他の公演(春秋、ドラマ、浪切)と扱いがはっきし違ったからね。
- 29 :
- みよし会の扱いは噴飯ものであった。
「夏祭」の劇評もお笑いである。
あの舞台のどのあたりが熱かったのか?
不感症なのかしらん?
- 30 :
- こんどの正月,松竹座の「二人夕霧」吉田屋おきさ。
この役徳三郎で見たかった・・・。
- 31 :
- 四国新聞火曜日に連載中の、徳三郎伝「花もあらしも徳三郎」
を読むと徳様の話し方などが蘇り胸が一杯になります。
それと門閥のない方がそれぞれの局面で、どう対処し、どう役
に取り組んでいかれたかとってもよく判って・・・。
今月の忠臣蔵見ても、文楽劇場のを思い出して、「ああ、ここに
いらっしゃるはずなのに」という思いが募ります。
- 32 :
- 第一回中之芝居の岩橋も好きだったなぁ。
ああ、中座も徳さんももう・・・。
みんなの記憶の中だけに生き続けるんですね。
- 33 :
- 徳さんの色とかコクっていうのは忘れられない。
そう言えば、今夏、みよし会での亀治郎をみた時、ふと
徳さんを思い出したんですよ。なんか、ふと、ね。
- 34 :
- age
- 35 :
- 12月5日が発表されたご命日。もうすぐ2年。合掌
- 36 :
- >>24
東京在住ですが、ひと江時代は松嶋屋三兄弟の「若松会」、
ひと江主催の「日桜会」、国立でやった孝夫との「油地獄」
などを見て、その後は追っかけでずいぶん関西へは行きました。
お辰、万野、お玉、お石、顔世、おえん、お庄、舞踊「天神祭」、
薬師寺の「王女メディア」etc. etc.
「鯉つかみ」のお姫さんの時など南座はガラガラの時代でした。
みーんなもう一度見たいけど、中でも義太夫狂言にした「波の鼓」
のお種は是非再演して欲しかった。夫の着物の残り香を嗅ぐ時の
色気など真似手がありません。
- 37 :
- 嵐寛寿郎も葉村屋でした。
- 38 :
- ほんっとこんなこと申し訳ないのですが
上方歌舞伎のスレがどんなにさがしても見つからないのです。
・・・まだあります・・?
- 39 :
- 私にとっての「上方歌舞伎」への情熱は,残念ですが徳三郎の死を以て
消えつつあります。age。
- 40 :
- age
- 41 :
- 京の顔見世,道成寺のきいたか坊主一役の時もあった・・・。
お声がかかれば何にでもでる,というてはりましたが・・・。
むろん,ええ役の時もありましたけどねぇ。
徳三郎丈のまねき,懐かしや。
- 42 :
- 中座の万野よかった。
- 43 :
- (^^)
- 44 :
- (^^)
- 45 :
- 「二人夕霧」のおきさ,徳三郎の役ですな。
- 46 :
- 葉村屋〜!あげ
- 47 :
- 嵐徳江、頑張れよ!
嵐寛寿郎の葉村屋は永久に不滅です。
- 48 :
- >>47
嵐徳江さん、来月は歌舞伎フォーラム公演「歌舞伎はともだち」に出演。
歌女之丞さんの代役で、嵐橘三郎さんの相手役。
今日は公演のプロモーションのため、17時から名古屋のNHKに生出演。
見れた方、教えてね。
- 49 :
- 嵐橘三郎(伊丹屋)と嵐徳江の顔合わせは楽しみだな。
情報ありがとう。
嵐姓の役者がもっともっと活躍するといいね。
- 50 :
- 定期あげ
- 51 :
- 日本橋劇場で嵐徳江を見てきた。
素顔が可愛いね。娘役が向いてるね。女形の有望株になってほしい。
弥作の女房役は年増だからちょっと可哀想だった。
師匠の徳三郎が死んじゃって、徳江の師匠はいま誰なの?
- 52 :
- 徳江さん、今のところ主なしです。
いずれどちらかの預かりになれば、名前も変わることになると思います。
- 53 :
- (^^)
- 54 :
- 嵐徳三郎の名跡はいま、誰が持ってるの?
7代目が襲名する前までは嵐寛寿郎(6代目の甥)が持っていたんだよね。
- 55 :
- 七代目襲名の折、代代の墓参に嵐寛が同席してた写真を昔見ました。
永山さんも一緒だったんじゃなかったかな。
- 56 :
- この人、実力のわりに、ホント、役に恵まれなかったよねえ・・・
- 57 :
- 徳也が廃業し,徳丸が仁左門下に移った後,
葉村屋の孤塁を守るのは徳江のみ・・・。
関東出身,国立研修生で徳三郎の芸にほれ込み,
単身大阪へ。徳三郎の「徳」に前名の「大谷ひと江」の
「江」をもらって「徳江」。葉村屋も見守っているぞ!
頑張れ徳江!
- 58 :
- 大序の黒に紫(お納戸かも)ってよく考えたものですね。
- 59 :
- (^^)
- 60 :
- 花車のイメージが強い優でしたが,時代物の,
こういうものにも佳品が多い方でしたね。
- 61 :
- ━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
- 62 :
- ∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
- 63 :
- 葉村屋あげ!
徳三郎亡き後、歌舞伎が物足りない。
心がときめかない。
- 64 :
-
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
- 65 :
-
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
- 66 :
- ∧_∧ ∧_∧
ピュ.ー ( ・3・) ( ^^ ) <これからも僕たちを応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄ ̄∪ ̄ ̄〕
= ◎――――――◎ 山崎渉&ぼるじょあ
- 67 :
- (⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
- 68 :
- 越路
- 69 :
- 祝! 評伝発売!
http://product.esbooks.yahoo.co.jp/product/art/ranking/rb?accd=31316645
http://esbooks.yahoo.co.jp/yhs.svl?CID=ESI504&view&image_file=http://img.esbooks.co.jp/bks/images/i5/31316645.JPG&url_copy_right=&shop_name=e-Shopping!Books
- 70 :
- あげ
- 71 :
- あっ、本になったのね。
四国新聞の連載は読んでたけど、
最終回は切なすぎて泣いちゃった。
50回連載だったけど加筆とかあるんだろうか。
写真いっぱい入っているといいなぁ。
- 72 :
- うん、紀伊国屋で平積みされてた。
読んでいるところ
写真、けっこう多いよ
- 73 :
- やぱーり、歌右衛門なのね、ガンは
- 74 :
- 伝記を書いてくださる。
もって瞑すべき、とは言わないけど、ある意味、素晴らしいことだね。
- 75 :
- 私も紀伊国屋で買いました。
大阪では売れ行きいかがでしょうか。
- 76 :
- 大阪に嵐徳三郎資料館とかってあるの知ってる?
松竹座や文楽劇場に近いから、関心のある人はどうぞ。
- 77 :
- 評伝,早速購入。改めて得難い上方役者であったことを痛感。
そして,その舞台の数々に思いをはせた・・・涙。
- 78 :
- 資料館に行くと、余りにも思い出がいっぱいで
泣きそうになる。
私が撮って送った写真なんかまであるんだもん。
- 79 :
- 徳三郎,観客を鷲掴みにしてしまう,ほんとにいい役者だった・・・。
- 80 :
- 写真集も続編出版してくれないかなぁ。
カラー写真も入れて。
- 81 :
- 葉村家(関西は昔は「家」と書いた)で良かった役三絶
@油屋の萬野……これこそ本役。歌右衛門以上。
A鏡山の岩藤……花見の幕切で下侍を斬り捨てて桜を見上げた顔の立派さ!
B九段目のお石…ちと「ソレ者」らしき風情あれど、見事なコトバの旨味。
三婦内のお辰は見てないの(泣)。
封印切おゑんや河庄お庄はよくって当たり前、そんな脇だけの役者じゃない。
筍の勘助母も結構だったが、老女形の人じゃないよ。
板額や戸無瀬や政岡や八汐やお谷や袖萩や花園や相模やおわさが見たかった…
- 82 :
- >>80
よく知らないんですが、徳三郎の写真集出ているんですか?
- 83 :
- 昭和48年8月発行の貴重な写真集。
ほとんど古書店でも見かけません。
- 84 :
- >81
私の葉村屋三絶は
@岩藤(女形から出ていながら加役以上に大きな舞台)
Aお辰(これでこそ顔を焼ける意気)
Bお玉(舞台と客席を一つにした楽しさ)
勿論万野もよかった。
お石は流石に色気有り過ぎ。
しかし、伝記が出版されて本当によかった。
- 85 :
- 好きどしたなあ、葉村屋はん。
最初はどろりとした色気、低温が響く男声、おどろおどろしい顔にびつくりしましたけど。
見る度に引き込まれました。
「私もあの治右衛門はんと、清水の浮無瀬で・・・ああテレクサ」なんてもう。
- 86 :
- 本ttp://www.actors.or.jp/news/shoseki.html#book13
- 87 :
- >>86
今読んでまつ!!!!!!!!!!!!!!
- 88 :
- >>76
>嵐徳三郎資料館
ちょっと探してみます。
- 89 :
- 日本橋一丁目交差点の近く、ビルのワンフロアです。<88
- 90 :
- >>89
ありがとうございます!!
一度ってみます。
- 91 :
- なんちゅうビルどす?
- 92 :
- http://www.niku-mansei.com/htmf/shop/honten01/index.htm
- 93 :
- くそっ!!
- 94 :
- >91
演劇界にも出ていたので書いてもいいでしょう。
「歯科センタービル」 です。
- 95 :
- (・∀・)age!
- 96 :
- ハムラヤ
- 97 :
- >>94
遅レスすまん
thanks
- 98 :
- age
- 99 :
- こんなスレあったんですね、感謝
葉村屋さんに、13代目我童さんに、先代の三吉屋さん
関西でもちょっと前までは酷のあるいい女形がいましたね
文楽劇場で拝見した忠臣蔵通しのお石が目に浮かびます
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