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2011年10月1期伝統芸能桂文紅さん死去
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桂文紅さん死去
- 1 :05/03/15 〜 最終レス :11/03/28
- 桂文枝師にばかりでなく文紅師についても語りましょう
- 2 :
- 2ゲット
- 3 :
- そー言えば思い出すなぁ
先代文我との文・文コンビ・・・・懐かしい
- 4 :
- 確かエチオピアの煙突だっけ?
- 5 :
- 鬼あざみ
- 6 :
- >4
ソウデス。「オピアの煙突ソージ」がキャッチフレーズでした。
上方落語界の一言居士ご意見番でした。
- 7 :
- 文團治直系の最期の生き残りやったはず
- 8 :
- 誰???
- 9 :
- 桂文紅またの名をアオイサオダケでしたねぇ
漢字は忘れた
- 10 :
- >>8
上方落語会の隠れ重鎮だす
- 11 :
- 祝々亭伯伝さんはまだ生きてるのかなぁ?
- 12 :
- 文紅師は米朝事務所やったよなぁ
- 13 :
- 三枝さんの創作落語にかなりの影響与えた師匠でした
- 14 :
- 名前は聞いた事ありましたが
ついに噺を聞く機会はありませんでした
南無です
- 15 :
- ぜんざい公社の生みの親
- 16 :
- >>15
違うよ
- 17 :
- NHKで鬼薊聞けたのが有難かった。
- 18 :
- 南方の寄席で、亡くなる5日前に聴いた。「天神山」とでていたが「いかけや」だった。
もう歩行ができなくて、背もたれのイスに座ってはりましたが、おかしかった。
時おり目を閉じたまましゃべってはりました。
- 19 :
- http://www.mediagalaxy.co.jp/CGI/ritsumeikan/kic/741/info/bbs.cgi?section=&this=681
東京独演会
- 20 :
- 最後に鬼薊が聞けてよかった。
- 21 :
- >>16
文我だったか? >ぜんざい公社
- 22 :
- 文団治系の人がいなくなりましたね
>>11
たしか、ずっと前に亡くなったのでは?
もし生きてはったらごめんなさい
- 23 :
- >>21
桂文三だったかと。
- 24 :
- 先代文我は今生きてたら
いい噺家になってたろうに
惜しいねえ
- 25 :
- ぜんざい公社を今の型に仕上げたのは、文紅師と松之助師 !
- 26 :
- ぜんざい公社をマキシム・ド・ゼンザイに仕上げたのは、小佐田師と雀松師!
- 27 :
- ぜんざい公社は、故桂春蝶さんが良かったなぁ
- 28 :
- まてまて、文紅師を追悼しましょうよ
- 29 :
- >>22
祝々亭伯伝さんは死んでたのですか?
ほんまなら残念です
- 30 :
- 先代文我師匠は自転車で転倒して死にはったんです(泣)
酒での伝説の多い方だった
- 31 :
- http://www.tokyo-np.co.jp/00/fuho/20050309/ftu_____fuho____004.shtml
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/fu/news/20050310k0000m060003000c.html
- 32 :
- 72歳ですかぁ
- 33 :
- まだまだこれからだったのに・・・・・・
- 34 :
- 追悼番組は、ないの?
- 35 :
- 桂文紅さんは、東京の小円朝師匠みたく良き稽古台、流行の言葉でい
うとスーパー・バイザー、コーO名人。持ち前の知性が愚劣な世
俗を拒否していたのかもしれない。仙人の如き生活には憧れる。
- 36 :
- 桂文紅さんに弟子はいないの?
- 37 :
- 特別いらっしゃいませんが、教えを受けた噺家は大勢いると思われます。
- 38 :
- >>27
ぜんざい公社は春蝶が演りだしてからあまり演らなくなった。
こないだの「なみはや亭」で追善で若い頃の「ぜんざい公社」を
聞いたけど、若いしテンポがあって爆笑につぐ爆笑だった。
春蝶やんのはやっぱり文紅さんから出てることを再確認した。
- 39 :
- >>34
13日にABCラジオ「なみはや亭」であった。
「ぜんざい公社」1968.3.10
「盗人の仲裁」1969.10.8
いずれもABC上方落語をきく会より
- 40 :
- なみはや亭には一度も出演されませんでしたね
紅梅亭にも出ていない?
- 41 :
- 文紅師は地味ながら骨格のしっかりした芸風で、
寄席では、笑いよりも聴かせる事に重点を置いた芸だったと思います。
- 42 :
- 文紅師はあまりテレビでは見なかったが昔、お笑いとんち袋って
番組が面白かったなぁ
大喜切のメンバーは司会が米朝師で回答者が文紅・文我・吾妻ひな子
枝雀(小米)・露の五郎・ざこば(朝丸)・松之助などがいて・・・・
かなりの方が鬼箱に入られましたなぁ
謹んでご冥福をお祈りします
- 43 :
- >>42 米紫師匠も出てハリマシタ
- 44 :
- 文紅師が弟子をとらなかったのは、経済的な問題と、「面倒くさかったから」かもしれませんね。
- 45 :
- >>44
先代文我師匠でも弟子をとってたのに文紅師匠が面倒くさいなんて
- 46 :
- 米紫師匠はサウナで死んではりましたなぁ
- 47 :
- >>42
替え歌の名人でした
- 48 :
- 文紅師は米朝事務所所属だったのですか?
- 49 :
- 松竹芸能では?!
- 50 :
- 昔は松竹芸能に所属してましたが
晩年は文我師匠同様米朝事務所が
面倒見てました
文団治の名跡目当てと、うがった
見方をする人もいてたけど
- 51 :
- 文我つながりでは?
- 52 :
- お笑いとんち袋つながりでは?
- 53 :
- 林家染護桜も死んじゃったね
- 54 :
- >>50
米朝事務所というより、米朝師匠が面倒を見てたでしょう。特に先代文我は。
文紅さんは先代文我ほどじゃないと思いますが。
- 55 :
- 昨日、久しぶりに鬼あざみのビデオを観たけど
文紅さんの飄々とした噺は何時聞いても好きですねぇ
- 56 :
- 先代文我師匠は確か二代目春團治一門だったはずだが?
- 57 :
- >>55おまえも変わったやつだね。オーストラリア産の味もそっけもない
ステーキみたいな芸を。
- 58 :
- ほっといたれよ
小人めが
- 59 :
- まあ確かに初心者向けの人ではないしね。
- 60 :
- >>59初心者向け?笑わせるんじゃねェよ!何が飄々とした噺だ。はっきり言うが
文紅はセコです。通ぶって淡味とか枯味とか言うんじゃねぇよ。彼は企画や立案などに
その能力を発揮した方で、決して落語には向いていなかったということです。
達者だったのは、先の文我さんでしたな。
- 61 :
- 三言しゃべれば氏素性が現れる、言葉多きは品少なし
- 62 :
- 確かに話の達者な人ではなかったが、文團治系の話を伝える貴重な存在でした。
- 63 :
- 先代の文我俺好きだったけど
あまり受けていなかったね
何でだろ俺は面白いと思うんだけど
- 64 :
- >>61おい!先生よ。落語歴1年のわたしに、文紅がセコじゃないということを
教えてくれよ、ボケ!
- 65 :
- http://page2.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/b52398377
まだサインなんて実在したんだ。。。
漏れ買っちゃおうかな
- 66 :
- 彩二十歳プププ
- 67 :
- 天神山、米揚げ笊。口開いて五臓の見えるあくびかな
- 68 :
- 彩20歳ちゃん
文紅は初心者向けだよ
落語歴1年にしたら凄く詳しい過ぎるなぁ
惨敗
- 69 :
- 彩20歳ちゃんの好きな落語家は誰ですか?
- 70 :
- 彩20歳ちゃん出ておいで
- 71 :
- >>68
他のスレによると談志ヲタらしい。
あと小朝も気に入ってるよう。
- 72 :
- 彩20歳ちゃんは談志ヲタと小朝好きかぁ
上方落語を語るなよ、ボケカス、かぼちゃ!!
- 73 :
- 彩20歳ちゃんは語る資格なし
- 74 :
- はっきりと
下手な噺家だったと思う。
が、知性とセンスは並ではなかった。
この人の録音を復活させる意義は低いが、書いた噺は復活させて
色々な人が演るべき。
三枝も影響を受けてる。
というか三枝が再演すべき。(初期には録音も文紅作で残してる)
ちなみに談志師はこの人をちゃんと評価しています。
- 75 :
- >>74それが正論ですよ。
- 76 :
- 五十年しばりが……、知性とセンスもしばり……
- 77 :
- >>74
下手な噺家かなぁ?
聞きながら寝るととても良く寝れますが(苦笑)
彩20歳ちゃんの言うとおり旨いのなら僕も先代の文我さんと思います
先代の文我師の評価が一般的に低いのが残念です
- 78 :
- >>74文我さん生きていたらなあって思います。いろんな落語会で「ここにいたらなあ」
ってほんとによく思います。
その点、文紅さんは・・・別にという感じです。
- 79 :
- 先代文我さんの評価がイマイチ低い理由について、あくまでも個人的な見解を。
スタイルとかキャラクターが、(東京でもそうかもしれませんが、特に関西では)一般受けしにくいものだったのも一因ではないかと。
タイプの違いはあっても、福団治さんとかも同様な気がします。
- 80 :
- 先代文我さんの世帯念仏や京の茶漬けなどは最高ですよね
- 81 :
- お〜い文紅さんのスレだよ〜ん
- 82 :
- 録音に残された文団治師匠を聞いたけど文紅さんと語り口、全く同じだった。
松鶴師匠が香川さんのインタビューに応えて「あの人は影響力ゼロでんな」
といった意味が分かった。
いかに才能あっても、手本にならない晩年の弟子と言うことは不幸だったと思う。
- 83 :
- ちなみに上岡竜太郎師のobc番組に時々電話で参加してた先代文我師は
爆笑させてくれてました。
今でも十三でご商売やられてるご兄弟姉妹の談では、大変な酒乱で
ご本人も苦労された由。生では1,2回しか聞いてないけどスゴイと思った記憶あり。
- 84 :
- 文我師のへべれけに酔ったときの口演がビクターから発売されているよ
これもまた一興
- 85 :
- >>84
どれの事? 演目は?!
- 86 :
- 演目は軽業
特に出だしが呂律が回ってない
- 87 :
- 泥酔状態でやってきた文我をみて
枝雀が弟子に
文我兄さん位になったら高座に立ったら
しゃきっとするで見ててみといったのに
グダグダだったので面目丸つぶれだった
と解説に書いてあった
- 88 :
- 文我師は大変な酒乱で、しかも瓶ビール一本でスグに出来上がるそーです
- 89 :
- お〜い文紅さんのスレだよ〜ん
- 90 :
- 先代文我師の一粒種弟子のがたろうさん(廃業)談。
「酔って意味なくボコられるので辞めました。」
- 91 :
- 我多呂さん 鳴り物上手かったのに
- 92 :
- お〜い文紅さんのスレだよ〜ん
- 93 :
- 文紅さんの良い所は?
- 94 :
-
- 95 :
- >>93
珍しい持ちネタがあったトコらしい、よく知らないけど・・・
噺自体はうまくなかったと思う。
- 96 :
- 文紅さん・・・・・・ドボン
- 97 :
- 誰か文紅さんの面白エピソードを教えてください
- 98 :
- そ〜言えば文紅師の前名は文光だったなぁ
襲名の意味があまりないよな
- 99 :
- 今年は文紅さん・文枝さん・染語楼さんに・・・・泣けるなぁ
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