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2011年10月1期伝統芸能宗十郎死んじゃったよー!!
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宗十郎死んじゃったよー!!
- 1 :01/01/12 〜 最終レス :11/11/25
- あああーやっぱり〜。合掌。
- 2 :
- まじですか!?
- 3 :
- 2です。ああ、ほんとだーーーーーーー! 速報で出てますね…。
ああ〜〜やっと復活されたのに、そのとたんだなんてあんまりです。
最後の「蘭蝶」見ておいてよかった…。大好きだったのにな。合掌。
ちょっと…立ち直れない…。
- 4 :
- 仕事中なのに………
神様のばかーーーー!!!
- 5 :
- 満足なんてするかっ!>芝翫
お心残りは沢山あったことでしょうに...
うわーーーーん!!
www.mainichi.co.jp/news/selection/archive/200101/12/0112e069-400.html
- 6 :
- まじかいい!!
私も、蘭蝶みましたよ。なんか痛々しくて、芝居として
冷静に観られなかったけど〜。
あー、20世紀最後の口上だったんだね。あれが・・・。
- 7 :
- >>5
せめて「満足してった」と思おうよ。
じゃないと、辛過ぎる。
きっと芝翫さんだって、そう思ってるはず。
- 8 :
- ネタスレであって欲しいと思ったのに...本当なんだ...
宗十郎さんのホームページ、せっかく出来たばかりなのに。
どうなっちゃうの?
- 9 :
- まだ67才じゃん。早すぎる・・。
- 10 :
- こんなときになんですが、跡継ぎはどうなるんでしょう。
紀伊国屋って幹部クラスの名跡は現在宗十郎・藤十郎・田之助の三つ
だと思いますがみんな確定した跡継ぎはいないような・・・
- 11 :
- 死因は心不全ということだったけど、実際は何か他の病気だったのでは。
- 12 :
- ま、心不全ってのは、たいてい他の病を抱えていて入院or治療の結果だからね。
- 13 :
- 12月歌舞伎座千秋楽の蘭蝶を見に行っていました。
実は八十助としての最後の姿が目的だったのですが、
宗十郎さんの本当の最後の姿をも見ていたとは・・・・
あの雰囲気は、余人をもって替えがたいものだった。残念無念。
- 14 :
- 宗十郎さんがいなくなってしまったことで、歌舞伎は
途方もなく多くのものを失ってしまった。宗十郎が一手に
担っていた部分がたくさんすぎた。もう二度と戻らない
ものが山ほどある。
宗十郎さんは生前「あたしが死んだら歌舞伎は滅びます!」
なんて言ってたけど、あれは冗談じゃなかったのかも。
実は「蘭蝶」見逃しちゃったんだけど、ほんとに馬鹿な
ことをした。二十世紀の最後の演目が新内流し。すげえ。
- 15 :
- そんな直前まで舞台に立てるものなの!?
医療をめぐる不祥事が続出しているので、あらぬことを考えてしまいますが
ご冥福をお祈りします、としかいいようがないですけれど。
- 16 :
- 執念で立っていた、としか思えないですから。
先月の蘭蝶に関しては。
悪婆ものに関しても「あたしがやって最後かも
知れないね」とおっしゃっていましたね。
確かにそうだろうな…寂しいよ…
- 17 :
- 初日から衣装を着るのもままならぬ状態だったそうですが
やっぱ役者としての執念ですよねぇ。
- 18 :
- 歌舞伎座三階西側の写真の面々に連なることになるのですね。
- 19 :
- 大阪のホテルで倒れていたそうで。
- 20 :
- 12月。歌舞伎座行かなかった僕がおバカでした。
卒論なんてもっと早く書いておくんでした。
宗十郎さん自身も自分の体の事は一番良くわかっていたでしょうから、
ある意味12月の蘭蝶は遺言だったんでしょうね。
20世紀の歌舞伎座の最後を飾る舞台で蘭蝶できたのがせめてもの償いですね。
- 21 :
- >>18
そう、歌舞伎座に行くたび、あそこにいらっしゃるご贔屓の
役者さんにご挨拶に行くんですけど、こんなに早く宗十郎さんも
加わるなんて…
>>19
どうして大阪のホテルなんでしょうね。
私はてっきり東京で入院されてるものと思ってました。
- 22 :
- 芸は一期一会ですね。
これからは、見たいと思ったものは多少の借金しても不義理しても
見に行きましょう。
今はビデオがあるとはいえ、生の舞台は、あとになって何億つんでも
決して見ることはできないのですから。
- 23 :
- 芝雀が最期を看取ったようなものです。
立ち上がらせてもらっていたしね。
腹水が溜まっていたという事らしいけど、たしかにお腹は
妊婦のようで。でも腹水って末期の症状だし、苦しくて
たまらないはず。それなのに、しっかり芝居していたのは
役者の執念という他ないですね。
本当にもったいないことでした。
紀伊国屋は若い女の子に囲まれるのが大好きだったんだって。
お嬢さま方、告別式には行ってあげてね。
- 24 :
- 立ち振る舞いはきつそうでしが、せりふはすばらしかったですね。
千秋楽での立派な口上の声がいまだに忘れられません。
- 25 :
- >24
口上のときの男座り、なんかすごい色気がありました。
- 26 :
- ちょっと例えがよくないかもしれませんが、
舞子さんが、月のあれがきちゃってて、そうっと舞ったら、客が、
「今日はえらい色気あるなあ。」みたいな?失礼しました。
- 27 :
- >>23
若い女の子お好きだったんですか?
遠慮しないで、出待ち(もっとお元気なころ)でもしてみれば
良かった…(涙)
>>24
そうなんですよ、あれだけ痩せ衰えてて、腹水たまってるにも
かかわらず、科白は3階まで響いていたので、「まだまだ
大丈夫、しばらく養生なさったらきっとお元気になる」と
信じてた……だけに辛いです……
- 28 :
- 24です。
先月の蘭蝶は幕見を活用して何度か見ていますが、
千秋楽での声は他の日と比べてもひときわ力が入って聞こえました。
もしかしたら、悟っていらっしゃったのかもしれません・・・
- 29 :
- 立ち上げたばかりのホームページ、きどってない笑顔がすごくいいです。
- 30 :
- HPみつかりません。ヒントだけでもいただけないでしょうか。
- 31 :
- http://www.kabuki.ne.jp/9sojuro/
ここと、次のページの「最新ニュース」を読んでみてください。
- 32 :
- 31さんに感謝。
揚巻をやりたかったんですね。
若い頃にやったのを谷崎潤一郎が絶賛した位ですから、
今できたら本当よかったでしょうね。
せめてもの救いが、第七回宗十郎の会『跳後夢吹寄』で、
ほんのさわりだけですが、段四郎の意休で、
せりふだけ聞かせてくれました。
- 33 :
- >若い女の子お好きだったんですか?
そそ、好きだったんだってパーティーとかで囲まれるのが。
自分のまわりにいないと、女の子と話している人の所へ
わざわざ行ってお話するくらい・・
賑やかで華やかなのが好きだったんでしょうね。
- 34 :
- ほんと、台詞・声はしっかりしていた>蘭蝶
それにやつれたとはいえ、最後まで美しかった。
発表はされてないけど、癌だったのかもしれないですね。
もしそうなら、気力しだいで最後まで、命を燃焼させられる
病気なんだってあたしゃ思ったよ。
癌がこわくなくなった・・・
- 35 :
- 腹水だったのですね・・・
楽屋を出られる時も まるで関取の様に威勢良く また
御話しされながらいらしたので てっきり腹部を防護されるに
何かされていらっしゃるものだ思って居りました
舞台がきれてからも夢を壊さぬ様 芝居されておられたのでしょうか・・・
さすがに役者 歴史に残る女形でしたね
御冥福を御祈り致します
- 36 :
- 「夢を壊さぬよう」というのはあの方らしいですね。
最後まで夢を見せてくれ続けてくださいました。
- 37 :
- ここに来ると、亡くなってしまったことを
痛感させられて辛いんですが、
皆さんといろんな思い出話ができて
少し嬉しいです(泣)
ファンがこんなにいらっしゃるなら、
生きていらっしゃるうちにこういうスレを
作ってみればよかった。後悔ばかり...
- 38 :
- ちょっと詳しいのを発見したので一応。
政岡も見たかった。涙、、、
http://gotcha.mycom.co.jp/news/2001/01/13/ent/0620003.html
- 39 :
- この際、藤十郎か田之助が宗十郎襲名を!
紀伊国屋の火を消すな〜
- 40 :
- いろんな役者さんがコメント出されてますが、
藤十郎さんが何かおっしゃってるの聞かれた方
いますか?
藤十郎さんもお体よくないようなので、気を落
とされたかと思うと心配です
- 41 :
- 藤十郎さんの話題が出たので…
先日、山川静夫さんのエッセイ「勘三郎の天気」を読んだら、中に
“藤十郎と次女智世栄さんの間に生まれた初孫の精一君…”
というのが書いてあったんですよ。
その精一君という人は、勘太郎よりも年上のはずなのですが、役者には
なっているのでしょうか?
- 42 :
- 残念ながら、藤十郎の息子は役者を希望しなかったため、役者にはなってないはず。
- 43 :
- 谷崎潤一郎の遺作「瘋癲老人日記」を読まれましたか?
主人公の老人が、紀伊国屋の揚巻を見に行くのを楽しみにしている
場面で「さぞ美しいだろうと思うと云々・・・」
みたいな事が書いてあります。
老いた文豪が若女形の揚巻を愛でて、パワー貰ったんだろうな。
久しぶりにページをめくったら感慨深かったです。
揚巻、見たかったですね。
- 44 :
- agemaki
- 45 :
- 間夫があーー <キノクニヤ!> なければ女郎は闇
- 46 :
- agemaki
- 47 :
- a
- 48 :
- g
- 49 :
- 藤十郎さん、五月に舞台復帰したいとか言ってるけど、
大丈夫なんかなぁ・・・。
- 50 :
- >>49
去年も同じことおっしゃってたような……
うろ覚えなのでsage
- 51 :
- 人間死してなお、四十九日の間、魂魄宙宇に彷徨うと聞く。
まずは、四十九日までは持ち回りでときどきageませんか?
故人を偲んで。
- 52 :
- 世間は冷たい
- 53 :
- ほーそりゃいいですな。ageましょう。
白石話の傾城宮城野、よかったな〜。
あれも芝雀と共演だったっけ。
- 54 :
- 10月だっけ。歌舞伎座(御浜御殿)と国立(小栗判官)、掛け持ちしてたよね。
体きつかっただろうに……。
- 55 :
- 定期的age
次は任せた。
- 56 :
- 「渡海屋・大物浦」の典侍の局
あのスケール!
ドンピシャの石持姿&せんだくの仕方話
「トコウする内もうヒクレ。ドレ、お御灯しなと・・・」
緋の袴になってからの量感。
すべてにおいて、
底の割れそうで割れない(実はワレたんですけど)
うれしい藝質でしたねえ。
- 57 :
- >54 あの「御浜御殿」のご右筆、ほんとにうっとりさせられましたね。
- 58 :
- おっと定期age
- 59 :
- そうそう、側室の孝太郎さんをいたわるやさしさに、
しみじみしてしまいました。
国立は観にいけなかったんですよ。残念。
- 60 :
- 20年前くらいの元気なお姿を、今日テレビで見ました。
道化たセリフもかわいらしく言ってらしたなあ。
- 61 :
- >>57に同意
あれなら、孝太郎さんも心を開くよなぁ…と
素直に納得できるおおらかさと聡明さがあった。
今月は伝統文化放送で、昔の宗十郎さんが
いろいろ見られるよねー。
宗十郎の会の映像なんて、ないんでしょうか。
あと徹子の部屋も追悼再放送きぼんぬ。
- 62 :
- 伝統文化放送。来月あたり追悼特集組んでくれないかしら。
来月のプログラムもう決まってるなら、3月でもいいけど。
- 63 :
- みんなでメール出そうよ!!!
- 64 :
- 観たかったモノ
「毛谷村」の吉岡息女お園
「七段目」の遊女お軽
「梅ごよみ」の芸者米八
「六歌仙」の業平
- 65 :
- >「渡海屋・大物浦」の典侍の局
>あのスケール!
嗚呼、そうでした。
知盛よりも、あの子役よりも、宗十郎に泣かされたのだった..
- 66 :
- 「毛谷村」おその、見たかったねえ。
強いけどかわいい女。
- 67 :
- age
- 68 :
- >>21
大阪のホテルに宿泊しながら紹介された病院に通院していたそうです。
- 69 :
- >>61
「徹子の部屋」やるとしたら、追悼には誰が出てくるかな。
- 70 :
- >69
新三津五郎は、義理からいってでなきゃウソでしょう。
- 71 :
- 娘さんが倒れてるのを発見したらしいけど、
実は粋な姐さんが最期を看取ってた・・・なんてこと
だったらいーなー。
- 72 :
- 「板額門破り」を楽しそうに演じていたのを思いだします。
役がらは、お園に近い。
あと蘭蝶。ああ・・・・。
- 73 :
- 28日まではときどきアゲましょう。
- 74 :
- 宗十郎さんが亡くなって、歌舞伎のこと考えるのさえ辛い、
劇場に行くのも胸が痛むくらい参ってました。
でも、紀伊国屋の皆さんを応援し続けること、宗十郎さんが
あんなに愛した歌舞伎をずっと見続けることが、私ができる
一番の供養であり、宗十郎さんへの御礼だと、思うようにしました。
芝居を見てて、ふとした拍子に宗十郎さんのことが思い出される
ときがあって、やっぱりそういうときは辛いんだけど…。
妙なこと書いてすみません。
- 75 :
- 濡衣、もう一度見たい。
紀伊国屋はわけ知りの女をやるとよかった。
- 76 :
- 神霊矢口渡のお舟もよかった。
- 77 :
- 田之助さん、代役がんばってらっしゃいますね。
大向こうからの声援も多くて。
- 78 :
- 75さん、濡衣ねえ..アノ黒の着付。
同系列で「新薄雪」の奴妻平女房(げげ役名失念!)
お家ものオキマリの序幕「新清水花見の場」
薄雪姫の恋の取り持ち(そんなら恨み言をしたためて..だの、
サアサアお側に..だの、手練手管を指南/時代物のテリトリーの中で)
をする訳知りの局役。あの恰幅のヨイ体型に黒綸子御殿模様の衣装を
全体ふんわり&胸元はキリリと着こなした姿に、頭の白の角隠しが
ドンピシャリ!ふれなば落ちんフゼイでしたねえ。
- 79 :
- 何もかも飲み込んで・・・がこれほど似合う役者もいなかった。
- 80 :
- 今日のアゲ
- 81 :
- ♪月の都を立ちイデてえ〜
いつでしたか、歌舞伎座で弁慶:富十郎、
富樫:ガンジロハンの「勧進帳」で
九郎判官をなさったことがありますが、
花道いつものトコロで、まづ琵琶湖(舞台上手揚幕/
この場合松羽目狂言ですから臆病口)方向を
見込んでおいてから、左ターンして同じカタチで
逢坂山を見遙かすくんだり(出のシドコロ)で、
杖を右手に三階照明室(爆)辺りを見上げた
そのカタチ。で、その鼻!
「宮島のだんまり」袈裟太郎だの、「六段目」の勘平
(藤十郎さんと兄弟競演)だの、おお「金閣寺」の黒の
着付けに縄目の直信(あーゆーめえー)等々
花道付け際でキマッタときのアノお顔あのお鼻!
チョイ眉間を寄せた表情と共に(鬢のほつれ含む)
目に残ってますです。
- 82 :
- 葬儀・告別式
28日午前11時から
築地本願寺第二伝道会館
- 83 :
- 今朝のアゲ
- 84 :
- 今宵のあげ
- 85 :
- 28日行く予定の人、手あげてー。はーい。
- 86 :
- 「引窓」の幕開き
手拭いを姐さん被りにして
ススキと三宝にのせたおダンゴ
を縁側に供えるトコロの風情。
「近所のヒトがみえたとて
煙草吸付けてなど出しゃるなや」
「ホンに私としたことが○オオ笑止ぃ−」
のこぼれるような愛嬌!
「常からものごとを○包むと思うてくださんすな」
の実!
- 87 :
- >>86
いいなあ、「引窓」のおはや、みたことないです。
「はいしい、どうどう」のところもかわいかったんだろうなー。
- 88 :
- 團十郎襲名の前年ですから59年の六月だかに
常磐津の大曲「三世相錦繍文章(サンゼソウニシキブンショウ」)
が夜の切にでまして/っても全編2時間!
玉三郎のお園、孝夫の六三郎のコンビでしたが、
芸者屋の主が権十郎さん、女将が紀伊国屋でした。
かど口の六三郎をかばっての
「ア、アノかけかまいの無い☆モノォモライィィ」
大年増の残の色香+包容力のある情味+スパイスの愛嬌
あの十五ケン間口の東京歌舞伎座の舞台にひろがる
大歌舞伎の<藝>でしたねえ−。
- 89 :
- 蘭蝶見なかった・・・
- 90 :
- 「週間文春」立ち読みしたら、小林信彦(だっけ?)のコラムに
紀伊国屋のことが少し書いてあったよ。
芝居のことは知らないらしいけど、日本橋の小学校で同窓
だったんだって。幼少時代の宗十郎さん、なんと、まぶたに
紅を差して登校していたらしい(!)
いいな〜役者の子だな〜。
紀伊国屋のあの雰囲気、やはり一日にして成らず!
そういうふうに育てられたからこそ、あの芸風だったんスね。
なんか、歌舞伎は、とてつもないものをなくしたような
気がして、再び落涙・・・
- 91 :
- >>82
あげ。
みなさま、明日は雪の告別式になりそうですね。
- 92 :
- ゆき
- 93 :
- 国立での「毛剃」の宗七で、海賊に海に突き落とされてから、
花道すっぽんより這い上がり、
「宗七これからお礼もうす〜」がなぜか印象に残っている。
そのときの劇評でも、この芝居は宗十郎でもったとかかれてた。
- 94 :
- 宗十郎ブロマイドを眺めてます…女暫……良かったなぁ。
宗十郎の会で玉三郎と「夕顔棚」を踊っていた時のあの笑顔。
歌舞伎座の前でひょっこり見掛けて、サインしてもらった事。
28日は行けないのですが、いずれお墓参りに行きたいです。
- 95 :
- 宗十郎さん追悼の公演とかってないのかな?
- 96 :
- テレビに出てふつうにトークしていても、歌舞伎役者であることを
濃厚に感じさせてくれたのを思い出します。
- 97 :
- 告別式あげ
- 98 :
- 97に同じく、あげ
- 99 :
- NHKで杵屋佐登代さんの追悼番組のインタビュー
受けてた。宗十郎さんは子供の頃佐登代さんから
長唄の手ほどきを受けたらしい。
とっても楽しそうに懐かしそうに笑顔で話しをして
おられたのが今も蘇ります。
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