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2011年10月1期戦国時代【豪】本多政重【傑】 TOP カテ一覧 スレ一覧 削除依頼
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【豪】本多政重【傑】


1 :06/06/13 〜 最終レス :11/09/18
正信の次男坊、政重を語れ

2 :
これまた微妙な人物を・・・

3 :
ここは強制IDなのか
こりゃ伸びないな

4 :
前田家の監視役の人?

5 :
幕府からの監視役とする小説よりも、渡り奉公人として描く作品の方に魅力を感じます。

6 :
詳しく語ると某小説のネタバレになるから語りたくない。

7 :
某小説の作家さんはもう少し脚光を浴びてもいいような・・・。

8 :
>>7
基本的にどの作品も、ストーリーがこすい気がする>作家さん

9 :
本多作左衛門
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1149986581/

10 :
>>6
山 田 風 太 郎 「 叛 旗 兵 」
本 多 長 五 郎 = 直 江 左 兵 衛
さあ心置きなく語れ。

11 :
ネタバレついでに
山本勘助は上杉の間者
如水の書状から切り取られた名は結城秀康
淀の秘密は秀吉を毒したこと
二階崩れを仕組んだのは晴英
果心には途中から道三の死霊がとりついている
信長が死んだのは信忠の業務上過失致死
信長が死んだのは貞勝の消極的謀反
信長は秀吉が真っ二つにしたが刀が安かったのでそのまま茶を立てた「愛よ」
すっきり。

12 :
う、まだ読んでないのあったよ(⊃д⊂)

13 :
正純「政重よ・・・加賀に謀反の兆しは有るか?」
政重「完全にブルってます!芳春院様もあの世へかれますたし。」
正純「左様か・・・次は上杉を探れ!」
政重「おしゃ!」

14 :
安部龍太郎 『生きて候』

15 :
こんな頭悪そうな奴にスパイが務まるのか。

16 :
正純と政重は対照的ですね。

17 :
豪邸に住んでたらしい。

18 :
↓金沢市民が一言。

19 :
若いおなごはええのう

20 :
親の七光り
幕末には主家の前田家より金持ってたらしいけどね。

21 :
ほんとに親の七光りなら、正信が死んで正純が失脚した時点で叩き出されていただろう。
対徳川渉外に関しては確かに有能だったのだと思う。
外様百万石を煽りも潰しもせず政権下で安定させた。
正信の一族みんな家康はともかく秀忠とは相性が悪かったともいう。
前田利常と家光の関係は良好だったんだよな。
どちらも相当濃いキャラだが。

22 :
正純とかなりの年齢差がある。
長男と次男なのに。

23 :
年齢差=正信の出奔期間。身重の妻を置いて謀反出奔て最低だよな。
父と叔父と弟が揃って主家に後ろ足で砂かけて出ていってるわけで、何気に正純は苦労人だ。

24 :
正信は徳川の謀臣として大往生。しかもちゃっかり菩提は西本願寺。
正重は一万石の大名になり政重は前田家の家老で五万石。
正純の人生悲惨杉。

25 :
釣り天井なんて仕掛けなければよかったのにな

26 :
釣天井は存在していない
加納殿の恨み説が有力だけど、それだけじゃないな
土井利勝らとの共謀かな

27 :
関ヶ原で自軍を相手に押しまくっていた宇喜多軍の大将(の一人)が
自分の懐刀の息子だとわかった時の家康公はさぞかし複雑な思いだったでしょうね。

28 :
家康に捕らえられたらどうなったかな・・・
現実には近江に隠れ、その後何故か引く手あまたで、福島家、前田家、上杉(直江)、前田と仕えるわけだけど

29 :
一時期直江兼続の養子だったんだよね。
兼継には謙信と同じく実子が無かった。

30 :
いたよ
嫡男 平八景明 元和元年(1615)七月 数え二十二歳で没
冬の陣にも参陣してる
ちなみに政重の養子解消は、慶長十六年(1611)(人名事典では同十一年になってるが?)

31 :
娘もいたよ。つか政重は婿養子。
景勝が「勝」の字をやった相手って嫡男定勝と勝吉(政重)の他に誰か居たっけか。
「景」の字は謙信に引き続き家臣に与えているが藩主には継がれていないな。

32 :
金沢に本多政重の甲冑が残っているが兼続が長谷堂城合戦で身につけた甲冑と瓜二つ。

33 :
経歴的には凄い妙で面白い人物なのに、ゲームでは登場すら

34 :
初代決戦の明石隊で異国の踊りがどうしても合わない奴
明らかに間者。しかも土臭く風雅に疎い国出身の。

35 :
金沢市民www

36 :
>>32
そうなんだ
養子だからか

37 :
最初福島正則の家臣だったんだよね
前田に乗り換えて良かったね

38 :
正則が惚れ込んだが、結局馬があわず、二年程で前田へ
一回目の前田も二年程いただけで、直江の婿に

39 :
>>32
藩老本多蔵品館?

40 :
頭形兜・色々威二枚胴具足及び烏帽子形張懸兜が、藩老本多蔵品館にあるみたい
政重関係では他に、黒漆紺糸威頭形兜・丸竜蒔絵紺糸威五枚胴具足が、京都戦陣武具資料館に

41 :
陪臣で五万石といえば徳川政権下最高の石高であろうに
このスレの廃れ具合はどうであろう

42 :
金沢には本多町とか本多の森とか本多の名前のついた地名が多くある
やはり本多ではこいつが勝ち組だな

43 :
>>41
立場的には
1万石の大名>5万石の陪臣
100石の幕臣>5万石の陪臣
だからね
政重にしてみればやはり外様の陪臣と言う立場はあまり面白い状況ではなかったと思う

44 :
加賀藩重臣八家にはなぜか長(元能登畠山家臣)も紛れ込んでいる
信長時代に降伏していつの間にか前田家臣団に組み込まれたらしい
ちなみに他の六家は
前田(長種)家 前田(土佐守直之)家 奥村本家 奥村支家 横山家 村井家
ばりばりの譜代だが、幕府に対抗して百万石を維持するには同郷同族ばかりじゃ不安でしょ

45 :
安倍の小説どうだった?

46 :
つまらんやめとけ。
隆慶一郎に憧れて一夢庵風流記みたいのを書きたくて
しかしこねくりすぎて失敗した、そんな感じだ。
本多フリークならおすすめは羽田雄平。
二河白道(正信出奔。家康双子説)
本多の狐(江戸初期加賀本多。家康の埋蔵金伝説)
竜の見た夢(↑の続編。忠輝海外脱出説)
百万石秘訓伝説(幕末加賀本多。明治の忠臣蔵)
と、独自の愉快な本多サーガを語り倒してくれている。

47 :
>>46
>>45じゃないが面白そうだなそれ。読んでみる。

48 :
保守

49 :
司馬の「城塞」に出てくる本多政重は凄く嫌〜な奴に見えたけど、
やっぱアンチ徳川の司馬が書いたからああいうキャラになったのかな?
前田利長に皮肉を言って楽しんだり、豊臣家の使者一行に追手差し向けてそうとしたりしてたが。

50 :
はなから司馬が好むタイプの人物ではないことを差し引いて読めば
味のある小悪党として楽しめると思う。
断片的にしか軌跡が残っていないので、再構成した人の解釈によっていろんなキャラになってるからわらかす。
初めてこいつに会ったのは「叛旗兵」だったなあ。懐かしいw

51 :
政重は「正」重ではない理由は何だろう?
出奔したので、実家を憚って字を改めたのだろうか。

52 :
直江兼続が重光に改名したって実話なの?
養子の偏諱を義父が受けるというわけわからん形になってるんだけど

53 :
>>51
多分最初に養子に入った倉橋氏の通字が「政」だと思う

54 :
「生きて候」文庫落ちage

55 :

大名としての本多家はご存知のとおり取り潰されて
しまいましたが、その後100年ほどの間は、行儀作法
の指南などをしながら家名を繋いできたと伝えられています。
宝暦年間に入って幕府帰参を許され、400石の旗本として
維新を迎えました。

56 :

57 :
のぶやぼにすら出ないこんなマイナー武将にも大河出演のチャンス到来。
こうなったら是非瀬川亮を起用して
「それがし婿入りは初めてじゃ。…武者震いがするのう!」
「天下に名だたる上杉の直江家か。ますます身震いがするのう!!」
などと言わせて欲しい。
それで知名度が上がれば太閤立志伝くらいには出られるかもしれない。
金沢観光ガイドに藩老本多蔵品館が常載される日も夢じゃない。

58 :
そこまでいうならageようよw

59 :
僕も本多でして家紋も本多立ち葵なので先祖は関係あるのかなと思いますが良い調べ方ないでしょうか?

60 :
生きて候普通におもしろかったんだが。
たしかに某一夢庵っぽかったけれどもw
これ以外にこの人取り上げた小説とか新書系の評論とかないものか。

61 :
http://members3.jcom.home.ne.jp/soreoya/mainframe.html
ざっとこんなこんな感じか
そのほか>>46とか親族関連だと
白石一郎「戦国武将伝」の「本多正重の損得決算」
南條範夫「大名廃絶禄」の「本多上野介正純」
とか。
それで足りなきゃ金沢の藩老本多蔵品館にでもっとけ。

62 :
>>61
おお!サンクス!
……でも、リンク先がなんだかいろんな意味ですごいんだが。

63 :
関ヶ原では、宇喜多家の将として働いたらしいね。

64 :
安部龍太郎の 生きて候 読んだが結構面白かったぜよ

65 :
叛旗兵面白かったよ。ここでネタバレ見てから読んだが、そんなんどーでも
よくなるくらい面白かった。

66 :
小説では正純と仲良くないけど 実際はどうなんだろう?

67 :
親父や兄貴との仲がしっくり行っていれば 
徳川に素直に仕えてると思うな。

68 :
仲の良し悪しは別にして、真田信之・信繁の所みたいに
兄弟別の家を建てればどちらかが残る可能性が高いから
別れたような気もする。
正信の遺言って、正純の迂闊な性格に釘を刺してるようにも
取れるから、敵を作ってきた自分の尻ぬぐいも含め、長男だけに
家を任せるのは不安があったんじゃないかな。

69 :
好き嫌いが激しくてマイルールでしか動かない奴らが
それぞれ好き勝手に動いてただけかも知らんよ>>正信正重正純政重

70 :
>>68
であれば 正信はやはり相当な策士。。

71 :
>>69 正重と政重の叔父甥が特に奔放だな。

72 :
>>71
特に正重はあの蒲生氏郷相手にはっちゃけまくりだもんな。
あのおっさんの逸話読んだ時、笑ったもん。

73 :
09年の大河は義理の父が主役だからクローズアップされるだろう

74 :
08か。
ちょっと気の長い話になりますな。

75 :
ごめん09だった。

76 :
お松さんが死ななければ加賀には行かなかったろうね

77 :
>>40
さらっと書いてるけど、後者マニアックすぎるだろ。普通に民家じゃんwww
>>76
あからさまに乗っ取りポジションな政重は本来上杉にも直江にもいらない子。
もし定勝が生まれなかったら? 出奔前に景明が死んでいたら?
上杉取り潰しの種にならずにすんだのを偶然だけで済ませてよいのだろうか。

78 :
上杉ではいらない子でも、利長にとっては大切な人材だったんでしょかね?

79 :
長連龍の三万三千石を大きく上回る、五万石だからね

80 :
直江スレで農戒書の口述筆記したとか言われてたけれど
実際米沢ではなにしてたんだろうこのひと。
直江家の婿養子として入った以上個人の禄は貰ってないだろうし
徳川の息がかかっている奴に機密に関わるようなことにはかませたくないだろうし。
一、惣別御うしろくらき事いたすましく候、
  御父子様御為ニあしきやうなる事、
  存もよるましく候、覚悟たてあしき
  者ニ同心いたし、御まへかるしめ申ましく候事
一、人より合、大酒、よそありき、さへり口
   いたすましく候事
一、けんくわこうろん、あかりまちなる
  すいさんなるかくこ存間敷候、一すしニ無所在、
  喜平次様ヘ御奉公いたすへき事、
   若此旨少も偽ちかへ申ニおいてハ
これは上杉にのこっている本人による起請文案だそうですが
逆に言えばこれらのことが危ぶまれていたということでしょう。
それにしても二項目でかなりキャラがたってしまっているw

81 :
本人は徳川とは縁もゆかりもないつもりだろうけどね。まわりはそう見ないわな。

82 :
直系で現代まで続いているのは立派だね。

83 :
当初は加賀七家だね。村井家は元禄になった八家に数えられるようになったのね。

84 :
「生きて候」は結構面白い。

85 :
なんだかんだと言っても有能だから どこでも厚遇されたんだよ。

86 :
それはもちろんそうだけど、何かありそうな気も
徳川内通とかはないか

87 :
何処行っても徳川の役には立ってない気が。

88 :
喜平次様って景勝のこと?
その時代でも景勝って通称で呼ばれてたの?

89 :
景勝様とは呼ばれなんじゃないかな

90 :
Wikiの本多政重の項の子供のところに
「戸田政勝」という名前がありますが、何者なんでしょうか。
政重の子が忠純の後継いだり旗本になったりするのはわかるけど
政重が戸田家と直接関わった形跡があるのですか。
大垣藩戸田家といえば
本多正純・直江兼続両人の嫡男に娘を嫁がせて
どっちも出戻ってきた(本多の方はこぶつきで)家ですよね。
大変気になります。
>>88
>>80のことをいっているのなら、図録解説によると定勝のことらしい。

91 :
五万石だと支藩の七日市藩一万石より上だね

92 :
>>81
直江だって自身の養子に迎えたのはそういう縁を重視したからだしね。
ただ、この両者は交流が深いんだよね。たしか政重の甲冑は直江が
最上陣の時に着用した具足に似ているというし

93 :
加賀の行ってからも直江と政重とは交流あったんでしょ。

94 :
上杉家の文書には結構名前が出てくるね
「安房守も元気だそうでなによりだ」とか、消息程度だけれど。
大坂役に臨んだ政重の心中もなかなか興味深い
すぐご挨拶できる範囲に兼続も正純もいて
囲んでいる城にはかつての戦友明石掃部がいて
主君利常にとって敵の頭は同じ名護屋陣で仕込まれた兄弟で義兄弟
政重は真田に散々やられ、
宇喜多の叛臣坂崎直盛は人生を踏み外し
なぜかそれを正純が柄にもなくかばって賞賛される。

95 :
こう見ると宇喜多の影が濃いですね、大坂の陣

96 :
うまく立ち回ったよね

97 :
実力があんでしょ。

98 :
>>94
無双っぽい妄想だけどさ
もし戦場で政重と明石掃部が遭遇してたら、説得できたかな。
前田家は高山右近を食客にしてた実績もあるし、豪姫も居て宇喜多家との縁が深い。
浪人多いし石高も十分にあるし居心地は悪くないと思うんだが、やっぱ棄教しないと無理かな。

99 :
直江兼続の兜、金沢に 来年「大河」主人公 加賀八家・本多家に伝来
ttp://www.hokkoku.co.jp/news/OD20080904501.htm
来年のNHK大河ドラマ「天地人」の主人公で上杉家に仕えた名臣、直江兼続(なおえかねつぐ)(一五六○―一六一九)
ゆかりの兜(かぶと)が加賀八家の一つ本多家に保管されていることが三日までに分かった。
本多家の初代、政重(一五八○―一六四七)が兼続に請われて婿入りした際に、
結納の使者に返礼として贈ったものとみられ、十九日から金沢市の藩老本多蔵品館で初公開される。
金沢市内にある本多家に保管されている史料をひもとき、十五代当主の本多政光氏、本多俊彦高岡法科大専任講師、
長谷川孝徳北陸大教授が確認した。
兜は、冠のような形をした変わり兜の一種で、漆や金箔(きんぱく)で装飾されている。
出羽(山形)の最上義光(もがみよしあき)との戦いで実際に使われ、
兼続に献上された縁起物の「勝兜(かちかぶと)」と伝わっている。
一六○四(慶長九)年に兼続の娘婿として政重を迎える際に、徳川家の側近だった政重の父、
本多正信が直江方に結納の使者を派遣しており、勝兜に添えられた記述から、
兼続がその返礼として使者に贈ったものと推定される。
 同年に主君の上杉景勝と兼続がそれぞれ政重にあて、
「(上杉家の本拠地)米沢にいつでも来てほしい」という内容を記した書状も確認された。
(中略)
これらの史料も勝兜と合わせて藩老本多蔵品館で開かれる特別展「直江兼続と本多家」で初公開される。
十月五日には長谷川教授と本多専任講師による講演も予定されている。

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