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◇◆◇蒲生氏郷を語ろう◇◆◇


★★★戦国時代の衆道★★★


1 :06/07/21 〜 最終レス :11/10/21
戦国時代の衆道に関して自由に語ろう。

2 :
待ってました

3 :
なれば早速、2番殿より語られよ。

4 :
秀吉がそっち方面に興味を持たなかったのはやっぱり身分が低いからでしょうな。

5 :
あれは秀吉が身分賤しい事を揶揄中傷する為の作り話であろう。
石田三成ほか何人もの稚児小姓を寵愛して居た程に。
徳川時代に記された書物は、とかく太閤を貶める内容が目立つのう。

6 :
この時代って普通にしてたのか?

7 :
明治になって西洋思想が入ってきてからタブー化したにしても余りに急に廃れすぎ
何故か信長、蘭丸の関係だけはその後もしきりに取り沙汰されてきたのも不自然だよな

8 :
>>7信長と乱丸は確かに有名だけど、証拠はないんだよな。衆道説・美少年説は江戸期以降の創作。
春日と信玄みたいに手紙残ってたり、信長と前田犬千代みたいに関係を匂わせる逸話とかあるわけでもない。
ま、本能寺で一緒に討ち死にしたってことで判官びいきもあるだろうな。

9 :
宣教師の残したものに
秀吉は男色に興味ないなんて珍しい的な記述残ってるんじゃなかったっけ?
別スレで聞いたんだけど

10 :
そんなもん、あらへんで

11 :
フロイスの書き物にあった等という奴は、
その出典箇所と翻訳文とを記して呉れないか。

12 :
そんなもん、あらへんで

13 :
そうや、おまへんで。

14 :
挿入があったかどうか

15 :
アーッ!

16 :
◆◆ 衆道の歴史 ◆◆
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1069466725/
このスレで珍種・まつ信者が暴れてますwww 誰か回収して下さいw

17 :
仏僧なれば稚児を愛するのが当然である。
女犯僧は橋のたもとにて、さらし者にする御定法ぞ。
近代以降の日本仏教は徹底的に堕落し果てて、根本戒律たる
「女犯の禁」さえ破って恥じぬ輩ばかりである。
全国の破戒僧ども!
向後はもそっと弁えるようにせよ。
よいな。

18 :
山内一豊は、衆道愛好家で妻とは何かの間違いで膣してしまったが為、
一女を儲けてしまっただけに過ぎない。
にもかかわらず、下俗なNHKの大河ドラマでは、飛んでも無い一夫一婦制
の一穴主義者に捏造されてしまって居る。
幾ら最底辺の低能どもを相手にするテレビ番組だとて、これでは余りに
ヒド過ぎるとしか言い様がないゼッ!!!!

19 :
一豊は一穴主義に限りなく近い当時の奇人だろ

20 :
当時男色が女色より上に位置づけられるのには一応根拠がある。
身分がある程度上がると性欲処理要員にかかるコストが男女で逆転する。
平民が女を犯すのは自然なこととして通い婚などの民俗ルールなども整備されているが
男を犯すのは社会的衛生的リスクが大きいわりには得るものが少ない。
しかし上級の武士になると女、特に孕ませた女にはそれなりの手当てをせねばならず
女を連れてゆけない出世の機会も増えてくる。
権力さえあれば、相手は男のほうが後腐れなく使い捨てるのに向いている。
それくらいの階級のものは権力者の特権として男色をやたらと自慢する。
ハレムを作っても痛くもかゆくもないほど金に不自由しない身分になると、
女色は再びステータスシンボルになるのである。

21 :
>>20久しぶりに真面目な考察を見た気がする。そういう視点もあるんだな。
マジレス(・∀・)イイ!

22 :
したが、上の二人は愚か者よのう!

23 :
火病ってばかりいないで、まともな考察でもすれば?
史板の衆道スレにも来てるみたいだけど、時代錯誤な言葉遣いで煽りレス入れてるだけじゃん。
ただの荒らしにしか見えないよ。

24 :
「男色」という社会構造に合致した風俗があったというだけで
当時本物の同性愛者が多かったわけではけしてないんだよな。
「空とびたい」とか「毘沙門天になりたい」とかいうのも
まったく恋愛の動機としては不純だとおもうし。

25 :
>「男色」という社会構造に合致した風俗があったというだけで
>当時本物の同性愛者が多かったわけではけしてないんだよな。
これはそうだよね。刑務所(の男子房)や軍隊などの男ばっかりの
環境だと、物理的に男相手に性欲を発散するしかないからなあ
下の二行は、意味がよくわからないが…

26 :
後者は謙信じゃないか?
ようは当時の僧が御仏に帰依するために女犯を絶って稚児(男性)とのみ
性行為を行った事は、恋愛=同性愛の動機としては不純という話だろう。

27 :
下らネエ御託ばかり並べて居ねえで、
まともに戦国衆道の話をせぬかゑ!

28 :
空飛びたかったのは管領細川の人かね

29 :
魔法使いになりたくて守ってる人は現代日本にもたくさんいるよね

30 :
よく聞くのは
謙信と直江兼続の関係だけど、これって根拠あんの?
だって、10代の与六は景勝の近習じゃないのか

31 :
>>30
謙信が足利義輝と京都で派手に華奢な若衆連れて
遊びまくっていたというのは近衛前久の書簡に残ってるけど
直江兼続の話は知らんな……。
謙信の時代は景勝の近習だけど何やってたか史料は残ってないと。
ただ春日山城の景勝屋敷と謙信が普段居たお屋敷との距離は近いし
毘沙門堂とも近いので、手を出しにいくのは距離的には可能だけどw

32 :
やっぱり景勝に浮いた話がないのがすべての原因かと
正室一人側室一人で子供がたった一人じゃそういう噂が立っても仕方ないかと

33 :
称光天皇も男色ばかりにて女犯に身を穢すことは無かったと聞くが、
一説に「二女史を儲けた」とも伝えられている。
ただし、「皇女」だというのに、二人とも名前すら分かって居ないし
養女だった可能性もあるのではないかと思われますのう。
詳しい方々、教えて下さらぬか。

34 :
>>33
称光天皇なら戦国時代の人じゃないので日本史板の該当スレへ

35 :
ホモならともかく、普通の男なら男とHするのなんて嫌じゃないか?
俺なら神木君みたいな子供なら犯りちぎりたいが、
15歳以上の男は無理だ・・・よほどの美少年ならいいけど、それでものはダメだ

36 :
大抵相手は十代の小姓だよ。
で、相手が元服したら、
非常に深い絆で結ばれた側近として仕える。
で、今度は次の小姓がお相手になるって感じ。
ただ未練がある場合は元服させないで20代前半まで
キープしていた殿様もいたようだが。

37 :
男色ってそんなにいいものなのかなぁ…。
俺も試してみるか。

38 :
つねづね男色の交わりで疑問に思うのは、
なんというか殿様の方も棒がまみれになると思うんだが、
それはどうしていたんだろうか?
目を瞑って見ないふりでクリアしてたのか?
つか、だぞ・・・途中で萎えないか・・・おれはどう考えても無理だ

39 :
そもそも当時は紙で拭かない
指で中まで清めて、手を洗う

40 :
稲垣足穂の『少年愛の美学』読めば
上方の僧と稚児のの仕方が史料に基づいて
微に入り細に入り解説してある。
戦国の男色はそれの延長なんで大体同じものと見ればOK。
ただ潤滑剤(今でいうとローションな)が存在したのは何時からか探してみたんだが
江戸時代から使っていたトロロアオイから作る通和散というのしか確認できなかった。
戦国時代は果たしてどうだったのやら。
>>39
冬なんかは稚児がお尻を温めてから床入りしたりもしたらしいね。

41 :
布海苔を使ってたって話は聞いた事あるな。
とりあえず食用にできる位人体に安全で、匂いや色がなく粘土の高い物なら
たいていは潤滑剤として使用可能なんじゃなかろうか。

42 :
http://www.yagikuma.co.jp/business/funori.html
これか。
これなら潤滑剤として使えそうやね。
っていうか潤滑剤がなかったら痔で死ぬ人間がめっちゃ増えそうだから
その説は正しそうだ。

43 :
細川忠興は、男色嫌いで家中の者にも禁止したそうだ
この人は衆道に興味がないというより、むしろ嫌悪している
理由はよくわからん キリシタンでもないし潔癖症でもない
生涯現役で女好きなんだが、男色はまったく受け付けなかった
戦国では、逆に珍しいタイプかもしれん

44 :
細川忠興にも衆道相手が居た事実も知らぬと見ゆるのう!
たんに男色絡みの刃傷沙汰や騒擾が打ち続いたが為に家中の者に
禁令を出したに過ぎぬのぢゃ!!!!

45 :
ここにも来てたか

46 :
Mの殿様っていたの?
ほとんどがSだと思うが

47 :
>細川忠興にも衆道相手が居た事実
細川忠興にも衆道相手が居た事実
細川忠興にも衆道相手が居た事実細川忠興にも衆道相手が居た事実

48 :
一般に、そういう男色相手がいた事実って根拠ってあるのかなあ・・・
特に有名なエピソードがある大名以外、実際のところ記録にも残らんし
確かめようがないと思うけどな。本人の私信が残ってれば別だろうが。
別に殉死する家臣が、すべて小姓上がりで衆道の相手なわけないし。

49 :
小早川秀秋が片倉小十郎の尻を追いまわしたという衆道史話の出典を
教えて頂き度く存知まする。
文献名と典拠となった箇所(章、節、段、等々)を包まず御教示下さりませい。
よしなに頼み参らせます程に。
これこの通り(と拝礼する所作)。

50 :
衆道史話と芸能記事はよう似とる。
「お前見たんか!」
「お前誰やねん!」
の連続なのである。もううんざりでごわす。

51 :
秀秋と重綱の話は片倉代々記の二代重長譜にある。
箇所までは覚えてないが、京都での話だったから上洛した辺り探せば出てくるんじゃないかな。
頼まれた政宗が秀秋の所に行かせようとしたら嫌がって寺に逃げてたのが印象に残ってる(w

52 :
「秀吉が男色に興味にかったので珍しがられた」
というのは一般向きの開設本に書いてあった。
>>30
兼続は景勝の相手だろうね。
信玄と高坂の関係に似ている。
>>8
証拠はないとはいえ、
やはりやってたと思われ。
乱丸とも。
>>51
重綱は政宗のお相手。
政宗は男色相手が浮気したと思い込み
激怒して摂関した事を謝罪する手紙が残ってるような男だし、
重綱も秀安芸とやったら政宗に
なにされるかわからんしね。

53 :
http://peace001.fc2web.com/

54 :
http://peace001.fc2web.com/

55 :
>>52
とりあえず、まず、漢字の書取りを勉強した方がいい

56 :
>>55
単なる変換ミスだよ。
ちと急いでたのでね。
ただし「乱丸」はわざとだよ。
一部にその名で記されてるし、あえてその名で。

57 :
ずいぶん中途半端な拘りだな。

58 :
>>52>>56
( ´,_ゝ`)プッ

59 :
>>52いちいちレスする前にちゃんと嫁よw
文意もつかめてねぇなw >>8へのレスとかw

60 :
戦国関係の男色をまとめた本ってありますのん?
お勧めあったら教えてちょ。
江戸時代の男色、明治時代の男色についての本なら幾らでもあるが
何故か戦国時代男色決定版みたいのが見つからん……。

61 :
戦国時代のみの男色関係書籍は今のところ無いが、
岩田準一の「本朝男色考」は足利時代にも可成り重点が置かれている。
しかも、今では非常に廉価で購入出来るしナッ!
なお、室町・戦国時代の足利将軍家などの人々は
少年時代に寺院などに入って高僧の受け手を
つとめていたぞゑ。

62 :
ガチムチの汚ねえおっさん限定

63 :
>>61
サンキューサンキュー。
買ってみるわ。

64 :
礼には及ばぬ。

65 :
柴田勝家が信長から
衆道に血道を上げぬように
と忠告されたという史譚の出典は
何という文献でありましたかのう?

66 :
「陰間茶屋」と呼ぶのは江戸近辺の辺土のみぢや。
京・大坂など上方・畿内一円の先進文化地域では、
もそっと上品に「若衆茶屋」と称して居たぞよ。
心得ておくがよい!

67 :
柴田勝家が信長から
衆道に血道を上げぬように
と忠告されたという史譚の出典は
何という文献でありましたかのう?
誰一人知らぬというのかゑ。

68 :
そもそも「柴田勝家が信長から衆道に血道を上げぬようにと忠告されたという史譚」をどこで見たんだ?
まさか文献の名前も上げないどこかのサイトや2chの書き込みを鵜呑みにしたってわけじゃあるまい。
その文献が分かれば書かれた時代や著者の他作から出典史料の範囲を狭められるかもよ?

69 :
>>68よ、おまいは優しいな。
そいつは史板の男色スレに粘着していた奴だ。誰にも相手にされないで、汚い捨て台詞を吐いて行く常連の荒らし。

70 :
>>69
テメエはドだナッ!!!
貴様こそド白痴の上に下賤な荒らしだ!
柴田勝家の史譚も知らずに書き込む勿かれ!!!!
無知無教養にも程があるゼッ!!

71 :
>>68
柴田勝家が信長から衆道を慎むようにと訓戒されたのは、
1575年に越前領の一部を信長から与えられた時の事ぢや。
そも出典を知らぬというのであらば、教えてやっても無意味だがナッ!

72 :
口惜しくば返答してみるがよいぞ。

73 :
>>71
いかにも衆道狂いの信長らしい発言だね。
若衆を与えられたら誰でも自分みたいに
夢中になると思ってるんだね。

74 :
教えない=知らないorそんなの無い
と判断されてもおかしく無いだろうな。

75 :
73〜4は揃ってド白痴ぢゃのう!!!!

76 :
犬夜叉
蓬莱鉄道、桔梗山線、十六夜線、狩野線、御扇場線、奈落線、白竜線、琥珀線、弥勒線
蟲師と結界師
蟲師線、伊月線、津月線、烏森線
蟲師では廃線になっているが、蟲師鉄道があった。
犬夜叉の方が鉄道の数が多く、蟲師は少ないな。

77 :
「日本史 掲示板」から「衆道の歴史」が消え失せて居るが
何処へ行ったのぢゃゑ?
誰ぞ知らぬか。

78 :
落ちたようですね

79 :
なれば新しきスレを作れば良いに。

80 :
誰ぞ新たなるスレを作ってたもれ。

81 :
該当板でスレ立て依頼した方がよいのでは

82 :
否、そもじがうち立てよ。

83 :
「日本史 掲示板」から「衆道の歴史」が消え失せて居るが
何処へ行ったのぢゃゑ?
誰ぞ知らぬか。
早々にうち立てよ!!!

84 :
どう考えても同性愛者じゃない限り大人の男は気持ち悪いだろう
戦場に連れて行ったのはせいぜい12〜3歳までの子供じゃないかな?

85 :
13、14くらいから可愛がり出したものの
情が移って20過ぎても元服させなかったり
ってのはあったみたいよ。

86 :
偉い人の衆道はともかくとして、
一般兵卒にも衆道を勧めた軍も結構あったというのをなんかで見た、
なんでも、基本的には野党の集団のようなのまで集めた雑兵集団だと、
農村などで強姦が絶えないため、衆道を奨励する事である程度抑える意味もあったというのを
見たことがある、必ずしも偉い人の性欲の処理と言うだけでは無い可能性もある。
秀吉が興味なかったというのも単なる趣向で、身分関連の話は関係なかった可能性も高い。
>>84
そもそも衆道ってのは、「若衆道」の略。
若い子がメインなのは当たり前。

87 :
秀吉を掘りたい

88 :
太閤が女色しか出来なかったというのは
彼の出自が低いことを、当てこすった徳川期の
中傷がメインではないのかな。

89 :
どうなんだろうか?徳川時代は特に一般民衆でも
衆道が広まっていたし、中傷にしてはいささかピンと来ない中傷になりそうな感じもする。

90 :
実際のところどれだけ衆道が一般化してたのか
当時の認識がどんなもんだったのかイマイチ掴みづらい
基本的には女色に耽るのが普通で一部の高尚な嗜好なのか
もう上から下まで男女問わずやりたい放題だったのか

91 :
江戸に入ると文献も豊富なんだが
戦国時代の文献があんまりないんだよな。
信玄みたいにラブレターが残ってるのは稀なケースだし
一般民衆だと尚更。
坊さんは稚児とやりまくりだったし
京都なんかにはする若衆なんかが既にいたんだが。
室町時代の延長線上だとしたら岩田準一の著作が参考になるだろうが
戦国はどうだったのかねえ。

92 :
好色一代男では世之介が54歳までに「たはふれし女」が3742人
「もてあそ」んだ「少子(男の子)」が725人、とある。
ただしこれは抱いた数であって抱かれた数は含めないから「男色」という
くくりではもう少し増えるだろう。
世之介は稀代の色好み設定だから、上限としてはこの位の頻度、という
目安にはなると思う。

93 :
>>84
それは現代人の考え方。
実際は男色は一度やったらやめられぬ程楽しいものだったらしい。

94 :
山内一豊が衆道好きだからこそ、他に側室ももたず石女の正室しか
女人を侍らせなかったというに、平俗なるテレビ番組では、彼の
男色生活を描こうともせず、ただただ凡庸陋劣な異性愛者として
表現して居る。世も澆季と成り果てたものぢゃのう!!!!!

95 :
大名クラスの人たちは、戦場に女連れて行けなかったから衆道って発達したの?(遊女は病気が怖くて敬遠)
だとしたら、日本に限らず世界の戦国時代にも衆道ってあったのかなぁ?

96 :
アリストテレス

97 :
>>95
普通に考えろ
遊女が持っている(かもしれない海外経由の)梅毒よりも
男色行為の不衛生のほうがよほど健康上の脅威だ。

98 :
この時代はいたす前にどうやって直腸を洗浄してたの?

99 :
お寺の稚児の話ではあるけど
致す前に結構準備に手間をかけたそうだよ。
指を入れて水を使って綺麗にしたらしいよ。
結構念を入れてたみたい。

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