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2011年10月1期戦国時代雑賀衆・根来衆
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戦国時代の医者
雑賀衆・根来衆
- 1 :06/08/29 〜 最終レス :11/11/22
- 「雑賀衆を味方にすれば必ず勝ち、敵にすれば必ず負ける―。」
鉄砲を使った先進的な戦術で、周囲にその名を轟かせた紀州の傭兵集団を語りましょう。
湯川衆についての話題もどうぞ。
- 2 :
- とりあえずこのサイト
http://www.m-network.com/sengoku/kisyu/index.html
- 3 :
- 〜報告〜
本日、CCさくら板のふたごスレ
ファインたんのおててに頬ずり
http://anime.2ch.net/test/read.cgi/sakura/1151634753/
で、みんなでファインたんのおててに頬ずりしませんか?
- 4 :
- でも結局、本願寺は負けたのでは?雑賀も猿にに負けた!
所詮は傭兵(土豪連合)一国を保つことができなかった。
でも戦国時代の紀伊国(南国)の気風に悪感情はないなぁ・・・
今の和歌山は・・・紀州徳川家に抑圧されたのね・・・
- 5 :
- まずどうして紀州に大名家が育たなかったのか詳らかにして頂きたい
- 6 :
- 土豪(小領主、小大名)はたくさんいたよ。
前提として大きな大名家がなかった国はたくさんあります。
自分が考える理由としては
@それぞれの土豪の力(独立心)が強かった。A寺領が強かった。
B本願寺勢力が強かった。C畿内に紀伊を狙う大勢力が無かった。
D畠山氏があぼーん!E南国なんで人心が御気楽?
といろいろな理由があるのでは?
- 7 :
- 堀内氏善について教えてたも
- 8 :
- 堀内氏善・・・マニアックな大名ですな・・・
豊臣政権下で紀伊国新宮を領有していたとしかわからん・・・
(参照ウィキ)
紀伊の国人だったのか?豊臣秀吉の子飼いだったのか?も
わからん・・・とりあえず関ヶ原で西軍についてあぼーん!しました。
- 9 :
- 傭兵供給地つまりスイスみたいな所なんだよね。
ある物は本願寺に雇われたり織田に雇われたりとにかく大きな傭兵企業みたいなもんかな。
だけど秀吉にとっては邪魔な存在だったらしいの丸ごとアボーンされた。
- 10 :
- とりあえず戦国時代の紀伊国は雑賀衆、根来衆、
南紀白浜(和歌山県新宮市から三重県尾鷲市)のほうは
熊野大社、九鬼氏(海賊さん)と小勢力の乱立で
紀伊国内での統一は難しかったと思われます。
- 11 :
- 『陰徳太平記』に雑賀衆は25人で一組となり、
二組50人を一小隊とし、二組が交代で射撃を行なったとある。
そしてその発展例としては作家の工藤章興氏の「二人一組、
25組で一小隊、二人で交互に射撃」という考え方もある。
- 12 :
- ねごろ=吹き矢のイメージ
- 13 :
- 鈴木さん伊達家でなにしてたの?
- 14 :
- 「織田武神伝」
女を犯しまくってるところで、暗される雑賀孫一
- 15 :
- 腹情死か
いい氏に方だなw
- 16 :
- >>13
鉄砲頭やってましたよ。結局徳川の子孫が水戸の雑賀を継いだんだよね
- 17 :
- 雑賀孫市は7万石の領主だったけど、他の雑賀衆族長の石高はどのぐらいだったのかな
- 18 :
-
.
- 19 :
- 雑賀孫一についてはこちら
http://www.m-network.com/sengoku/kisyu/magoichi.html
あとオマケでこれも
http://www.m-network.com/sengoku/sen-01.html
- 20 :
- ちょっとまとめるつもりだったけど・・・今はこれが限界w
雑賀衆
雑賀衆は雑賀五縅とも呼ばれ、雑賀荘・十ヶ郷・宮(社家)郷・中郷・南(三上)郷
の五郷を以って雑賀衆と呼称され、人口10万〜20万、鉄砲三千〜五千挺、動員兵数3万余といわれ、
戦国時代最大の惣国一揆とも呼ばれているが、その実態は各郷の有力家の争いが絶えなかった。
雑賀荘・十ヶ郷は一向(浄土真宗)門徒の鈴木氏をはじめ、浄土宗の土橋氏や岡氏、粟国氏、
狐島氏、松田氏、宮本氏、渡辺氏などが寄合を形成して鉄砲衆や海賊衆を束ねていたが、
五縅の中心的な一門である鈴木氏と土橋氏の仲がすこぶる悪く、鈴木孫市は後に土橋家の首領を
害したりもしている。
また宮郷の日前宮の神宮を勤める太田党は宮(社家)郷のほかにも中郷・南(三上)郷の国人たちと共闘し、
鈴木氏と何度も戦をしている。この三郷は特に三緘衆とも呼ばれ、農耕を由とした一団のようで、
秀吉の紀州攻めにも最後まで抵抗し、壮絶な水攻めの後、滅亡する。
雑賀衆の著名人には雑賀孫市、土橋氏の支流佐竹伊賀守義昌、
石山合戦で名を馳せた的場源四郎などがいる。
根来寺
新義真言宗の総本山だが、戦国期には廃れる。
坊舎2700余、寺領72万石を数え、1万余の僧兵を要していた一大勢力。
紀伊でももっとも早く鉄砲が伝来した土地で、
種子島から鉄砲を伝えた津田監物算長の弟(或いは兄)明算は杉之坊の院主。
杉之坊は根来寺西口の旗大将で根来衆で最も大きな勢力の子院で、
これに続く勢力は東口の旗大将岩室坊、泉識坊、阿加井坊の三院だった。
岩室坊は紀伊の土豪・田中氏が代々僧院を世襲し、最後の院主・岩室坊清祐は
雑賀衆と共に紀伊にとどまり、最後まで豊臣家に抵抗した後、縁故のある毛利家に仕えて
関ヶ原の合戦にも参戦、後に根来姓を名乗る。
泉識坊は、雑賀衆の土橋氏が院主を配し、当時の院主・土橋泉識坊は
遠く安房や土佐の三好・長祖我部氏の動乱にも出兵し、根来滅亡後に土佐に逃れ、
長祖我部氏の家臣にされた。阿加井坊は詳細不明w
院外では雑賀衆と戦ったり、院内でも利権にからむ騒乱で僧院どうしがたびたび争うことが
あったが、その場合は鉄砲はほとんど使わず「打ち捨て(首を取らない)」と呼ばれる
暗黙のルールで最低限の秩序を守っていたらしい。
津田監物没後は、子の杉之坊照算率いる杉之坊が実質的な根来寺の首領となり、
フロイス曰く盗賊の王のような振る舞いを行っていたが、1585年、豊臣秀吉に滅ぼされた。
有名な根来衆の豪傑には、久米田合戦で三好実休を討ち取った往来左京、
千石堀城で島左近と一騎打ちで敗れ討ち取られた根来的一坊、
熊取寿明院の院主で中氏藤原家の末裔、熊取大納言坊(小佐次盛重、盛繁とも)
などが有名。
粉河寺
天台宗系の粉河観音宗総本山。
寺領四万余石、雑賀衆の鈴木氏、根来衆との共闘が知られ、多数の僧兵を要していた。
- 21 :
- 保守
- 22 :
- 雑賀孫一=鈴木重秀ですか?
- 23 :
- 孫市ならそうですが、襲名する名前なので複数いるから他にもいます
- 24 :
- 根来衆の坊さん(といってもごろつきみたいなもんだけど)の名前がすごいよね。
法華頭三位とか阿加井坊とか寿明院坊とかさ。
根来寺を訪れた宣教師が「山主(たぶん杉之坊)は大王のようにふるまい、僧院ではなくまるで騎士団のようだ」
と報告書に書いている。おもしろいよねぇ。騎士団って表現。なんか燃える。
- 25 :
- 全てエンの行者に始まる山伏だろう?
それが忍者になり僧兵になり鉄砲集団になった
日本のいちばん解らなくて不思議な所だよね
やっぱ空海なのかや?
- 26 :
- いろんな武将が根来衆、雑賀衆に手を焼いているが興味深いことに
法力を使う者がいたという記述がある。
エスパーがいたのなら強いはずだよなあ、と妙に納得してしまった。
- 27 :
- 法力使いは根来・雑賀のどちらにいたんですか
- 28 :
- 例えば西洋の薔薇十字とかメーソンとか、穿ちすぎ?
記録映画で鬼畜米英滅びよと護摩を焚く真言密教の勤行を観たことがある
とか毒薬なんかの書も持ち帰ったんだろうなぁ、、空海
- 29 :
- 結局雑賀衆は滅んだの?
- 30 :
- うん
- 31 :
- >>28
薬物のことについてはどうかわからないけど水銀に関する知識は半端じゃなかったらしいよ。
主に建造物の朱塗りや仏像の金めっきに水銀を用いたものだと思うがひょっとしたら
水銀を使った秘薬も作っていたのかも知れないね。
- 32 :
- >>27
根来衆みたい。
経文を唱えると辺り一面が紫色に染まり兵士がバタバタと倒れた、とか
法印を結び僧兵が10尺の塀を一足飛びに飛び越えた、とか
火炎術で炎を自在に操り兵が進軍できなくなった、とか
いろいろあるよ。
- 33 :
- あんな山深い場所まで攻め込むには、圧倒的兵力で押し通る位の覚悟がいるな
地方大名程度の力だと山間部までは手がだせんよ。
紀伊山地の旧道なんて凄い道なんだから 若葉で行ったら命にかかわる
- 34 :
- >>32
あーー、そういえば根来は僧兵ですね
なるほどです
根来衆も雑賀衆も、漫画化かドラマ化したら絵になって面白いだろうに
いまいちマイナーで、もったいない題材だなあとつくづく思うな
- 35 :
- 根来衆の坊さん(といってもごろつきみたいなもんだけど)の名前がすごいよね。
法華頭三位とか阿加井坊とか寿明院坊とかさ。
根来寺を訪れた宣教師が「山主(たぶん杉之坊)は大王のようにふるまい、僧院ではなくまるで騎士団のようだ」
と報告書に書いている。おもしろいよねぇ。騎士団って表現。なんか燃える。
- 36 :
- 子孫は検事総長になっている
- 37 :
- 佐味城
この城は奈良県御所市にあります。
保存状態もよく、瓢箪型をした台地上に築かれた城で、
縄張りも土塁や城道で区画された住宅地という感じがします。
周りは空堀に囲まれているものの、城という感じがしません。
山を登っていくと突然、整然と区画された城域に突入します。
城の中心に幅7〜8メートルほどの道が東西に走り、東端は虎口でしょう。
登り道は果たしてあるのでしょうか?植林された山肌を直登しましたが、
それほどの高さではありません。しかしきつかったです。
この城の城主は佐味氏とされますが、永禄10年(1567)に、
根来衆と畠山氏がこの城に攻めた記録が『多聞院日記』にあり、
当時、畠山氏と根来衆は松永久秀と組んで三好三人衆と対立していたことから、
三好三人衆と組んでいた筒井方の城であると推定が出来ます。
当時、松永方は苦境でしたからその救援に向かった畠山氏と根来衆は
この城により食いとめられたのです。
交通は、近鉄御所駅などから出ているバスで風の森下車、
徒歩で西にある高鴨神社を目指してください。
そのさらに西にある下の写真のように見える山が佐味城です。
(2003 12/22現在)
さて、2回目の探訪でほぼ全体を把握でき、図を完成させました。
本当にこれだけしっかり遺構が残っているのに全く整備もされずに
残されているのはある意味、皮肉なものです。
発掘をしてみると何かしら必ず発見されると思います。御所市さん、頼みます!
まぁこのまま放置するのも味がある城跡のままでいいかもしれません。
しかしかなりの大規模な土木工事をしたものです。堀も深く、土塁だらけ。
根拠はありませんが、城として利用する前にお寺とか何かあったのかなあ、と思います。
- 38 :
- 佐味城の攻略法は!?
- 39 :
- 当主をおびき出して謀
- 40 :
- >>37
元は南都六宗維摩派の寺だったようだね。
平安後期から城砦に近い構造物が追加造営され現在の形に近くなったようだ。
- 41 :
- 雑賀党て東海畿内中国東部で唯一織田の領地にならなかった勢力だよな。すごい
- 42 :
- 三河とかは
- 43 :
- 三河は同盟だからな
- 44 :
- イェーヤス
- 45 :
- >>35
ロードス騎士団とかテンプル騎士団みたいなもんかwww
- 46 :
- 十津川兵
- 47 :
- 岡吉正ってのは結局、何者なんだ?
やっぱ、下間頼廉とかと石山合戦出陣?
- 48 :
- 朝鮮南部(現韓国)に残った武士団、沙也可=雑賀説ってどう思います?
- 49 :
- 証拠ないんじゃなかったっけ
- 50 :
- それ初めて聞いた。いつ頃の話なの。詳しく教えて
- 51 :
- ググれ
- 52 :
- 根来衆大河ドラマ出演おめ
- 53 :
- どのくらいの数の鉄砲があったんだろう?
- 54 :
- 戦国の傭兵集団根来衆カッコヨス!
津田監物役はシェークスピア役者だから威厳あって西洋の僧兵みたいだ。
ほとんど秀吉に焼かれたが、焼け残った国宝の寺院に種子島の弾痕が残っていて
凄いな。
根来衆は無頼の徒で命知らずの傭兵だから勘助みたいな雰囲気だったのかな。
内野はジャック・バロウみたいだから水軍の将の九鬼なんかやると面白いのに。
あの面構えはいけるよ。
- 55 :
- 何で雑賀衆って大河にならないんだろうね。
年配の層には司馬遼太郎の小説で結構人気あるんじゃなかったっけ?>>孫市
- 56 :
- 川崎にあるデパートに雑賀の一族の臭いを感じる・・・
- 57 :
- >>53
天正四年五月織田方の武将大和守護原田直政が三好・根来衆とともに本願寺方の
三津寺砦を攻撃したとき、雑賀衆が織田勢を迎撃した
兵力は一万程度だが、鉄砲は数千挺
織田家中で馬廻から大和守護まで昇進した家中一の出世頭だった原田直政は銃撃
を受け戦死した
この時の戦いで雑賀衆は鉄砲の二段撃ち戦法を使用したといわれる
- 58 :
- >>55
尻くらえ孫市とかいいのにね。江戸時代も人気あったそうだし。
大河にすれば絵的に派手でいいと思うんだが、多分1年やるには
材料と文献が少ないんだろうね
- 59 :
- 最悪、雑賀衆が出てくる大河ドラマでもいいかと
- 60 :
- 北条の軍師・根来(大藤)金谷斎
北条水軍の将・梶原景宗
黒潮に乗って東国にも派遣されてたのね
- 61 :
- 皆の衆。
こんどNHKのBSで木曜日13時に司馬遼太郎原作「尻吼え孫市」をやるよ。
戦国最大の鉄砲の傭兵集団の雑賀衆のボスの話だ。
周辺の戦国大名たちに恐れられた漢の役は勝新太郎だったとおもう。
根来衆の津田監物役のシェイクスピア役者の吉田氏も貫禄あってよかったが
雑賀衆の勝氏も破天荒な無頼らしさありそうで楽しみ。
- 62 :
- >>58
傭兵部隊となると・・・予算もね。
- 63 :
- クライマックスは伏見城?
- 64 :
- 雑賀孫一=鈴木重朝かは不明。
- 65 :
- >>61
これか
衛星映画劇場 尻啖(くら)え孫市 1969年・日本
BS2 9月6日(木) 後1:00〜後2:46
司馬遼太郎の原作をもとに、自由と信義を重んじ、女と戦いをこよなく愛した戦国の型破り男・雑賀孫市の半生を描く。
3千人からなる最強の鉄砲隊として武将たちから恐れられたよう兵集団の雑賀衆。その若き大将・孫市は、一人の
女性を見初めたことから天下統一を目指す信長や秀吉、本願寺の法専坊信照らの戦いに巻き込まれていく。
孫市に中村錦之助、信長に勝新太郎、秀吉に中村嘉葎雄ほか個性際立つ配役が見どころ。
http://www.nhk.or.jp/bs/genre/movie.html
昼にやるのね。
- 66 :
- 見わすれた
せっかく教えてもらってたのに(つД`゚)゚。
- 67 :
- ビデオ録ったぜ!まだ見てないけど。
- 68 :
- 勝は信長役だった。
- 69 :
- 見たけど正直面白くなかった。
- 70 :
- 戦闘場面は凄かった。
馬に乗りながら、孫市が手下から次々火縄銃を、野球のボールみたいに投げられ
キャッチしては撃ち込む様子が西部劇みたいだった。
当時はありえない馬車がなぜか出てきてトロイの木馬みたいに敵の陣地に突っ込んで
爆破させて奇想天外。
馬の数や織田信長の勝新の存在感が凄かった。
姫様とのラブラブより戦闘場面をもっと多くして欲しかった。
でも大河よりも迫力あった。
- 71 :
- まあ、映画として見て下さいな。
- 72 :
- >>70
うおっ かっこいいな
大河でやってほしいなあ
- 73 :
- 現代の雑賀孫一
http://i58.photobucket.com/albums/g254/maroder13/160photos025ik1.jpg
- 74 :
- ドラマ見たかったなぁ
- 75 :
- 後北条氏の軍師として仕えた根来(大藤)金谷斎、
畠山に味方して三好実休を討ちとった往来(おく)左京、
武田の重臣山県昌景配下の豪傑鳶二位、
阿波の本山氏に与力して長曽我部氏と戦った佐武伊賀守など、
雑賀・根来衆は各地にとびちって戦っている。
中国の倭寇の詳細を記した史書にも紀伊や雑賀の名前があったり、
種子島に渡った津田監物をみると、相当行動力があった集団だったことがわかる。
本当に不思議で魅力的な集団だ。
ゲームでは鈴木一族一辺倒なのがおしい。
的場源四郎や根来小密茶坊など、
雑賀孫一にひけをとらない人物はたくさんいるんだがなあ
- 76 :
- 小説の力はやっぱ大きいからね
ほかの人にスポット当てて活躍する小説か漫画が出ればいいのになあ
- 77 :
- 1番評価されてしかるべきは津田堅物だと思う
- 78 :
- 根来衆の子孫で一刀流を修め、
天心独名流を興した根来八九朗重明がいますね。
- 79 :
- ウィキペディアに顕如がいる紀州鷺森御坊を織田信孝が攻め寄せたが、孫一の奮戦で持ちこたえ、本能寺の変で撤収したと書かれている。
これは嘘だよね?
- 80 :
- 外国のWIKIを見ると、根来寺の僧兵たちが
テンプル騎士団などの宗教騎士団に似ていると言われててワロタw
soheiとかwarrior monkというらしい
限られた数の鉄砲を使ってたとか書いてあるが、大量の鉄砲持ってただろw
- 81 :
- 中世は宗教の時代だから、坊主たちも世俗の権力を持ち膨大な領地をもち、大名と変わらない
存在で信徒は大名領を超えて民衆や家臣団の中にも存在し、ば極楽と立ち向かってくるから
厄介な存在で怖かったんだろう。
比叡山や高野山など天皇も公家も平安から持て余していた集団だし、信長の殲滅戦もキリシタン追放も
徳川の檀家制度も宗教の力の恐ろしさを知りすぎてるからで、世俗的権力の支配下に置こうとした。
映画では孫市は本願寺の坊主に入信させられそうになるが拒んでるが、実際の中世人は熱烈な仏教徒だった
だろうな。中世ヨーロッパと非常に似てると思う。
- 82 :
- 根来って浄土真宗だっけ?
信長に従って本願寺相手に銃ぶっ放してなかった?
- 83 :
- >>82
真言宗だよ
あと雑賀衆でも宮郷、中郷、南郷は真言宗徒が多かったようだ
- 84 :
- 司馬遼太郎先生の孫市の小説はどの程度まで史実といえるんでしょうか?
- 85 :
- >>84
司馬遼太郎が書いたのは小説
- 86 :
- 子孫からクレームが来たそうだね
まあ、何の根拠もないのにあそこまで女好きに書かれちゃなあ
- 87 :
- >>86
まあ、そのおかげで子孫が残ったわけで・・・って、いるの?
- 88 :
- 鉄砲といえば昨日はこんなのが。
http://www.asahi-net.or.jp/~eg8y-krsn/kanko/tuki/10/hojyutu/hojyutu11.html
- 89 :
- 土橋は「つちばし」と読むらしいね。
- 90 :
- >>87
たくさんいますよ
- 91 :
- >>84
読んでみなよ最近新装版がでたからさ。
正直司馬先生の戦国小説TOP10には堂々4位だな。
- 92 :
- 尻くらえ孫一の孫一はかっこよすぎる
- 93 :
- 尻くらえの孫市は秀吉と友達だってのはちょっとなあ
- 94 :
- 本郷功次郎が本願寺の坊主役だったね。
- 95 :
- 大江戸捜査網で雑賀衆の生き残りが出てくる話があったが
いつ頃までいたのこいつら
- 96 :
- 孫市の子孫は鉄砲大将として水戸徳川家に仕えてたし
他の人たちも藩士になったりで存在してます
- 97 :
- 活動範囲の広さは、本拠地が海のそばだった事もその理由である思うが…
熊野水軍とはやはり協力関係にあったのか?
- 98 :
- 自らも水軍は持ってたね
各地の戦闘に加わってたのも舟を多用して遠征してたんじゃないかな
舟を足代わりみたいに使ってたから、江戸時代も日本中や海外にと活動範囲はものすごく広いね
- 99 :
- 雑賀の水軍の場合は瀬戸内海の東側から大阪湾、紀伊水道くらいの
範囲じゃないの?
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