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2011年10月1期戦国時代運の良かった武将。悪かった武将
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運の良かった武将。悪かった武将
- 1 :07/02/12 〜 最終レス :11/08/29
- 知恵と力がぶつかり合った戦国乱世
だが、それ以上に勝敗を決する物があるとすれば
それは、運。
この武将は運が良かっただけで実力は・・
あの武将は運が悪かったが本当は有能だったのに・・
武将たちの運、不運の評価を皆で下そう!!
- 2 :
- 長野業盛
あの状況で親父に死なれたら・・・・
- 3 :
- 因みに、運が良かった武将ランキング
1、秀吉 2、信長 3、家康
運が悪かった武将ランキング
1、義元 2、勝頼 3、三成
- 4 :
- 高坂昌信(春日虎綱):武田四名臣中唯一畳の上でた男。長篠の合戦に参加せず、その前後も負け戦には従軍していないし、名だたる武功もないにも関わらず、甲陽軍鑑のおかげで知名度は高い。強運の持ち主である。
- 5 :
- 運がいいのは圧倒的に家康、邪魔者がどんどん死んでいった
運が悪いのは信長だな
- 6 :
- 信長なんて運の良かった武将の代表じゃん
ただ最後に本能寺でツケが回ったってだけで
それまでは圧倒的に運に支えられた武将だよ
- 7 :
- 義元にせよ勝頼にせよ本来家督を継げるような立場じゃなかったんだから、
最期が悲惨でも格別不運だというわけじゃないと思う
天災で一族全滅した飛騨の内ノ島とかの方があからさまに不運
- 8 :
- 前田利家じゃねえの
信長のおホモ達だったのでなんとなく可愛がられる。
賤ヶ岳でキャスティングボードを握ってしまい、お猿さんに潰されるどころかマブダチ扱いされてしまう。
お猿さんは狸さんが怖いので、対抗上どんどん位階も上げられていつの間にやらNO.3に。
死んだ後も気の利いた女房が勝手に遺言無視して100万石を残す。
- 9 :
- ( ´゚ω゚` )
- 10 :
- 今川氏真は運が良かった
- 11 :
- 運も実力のうち
運も実力のうち
運も実力のうち
運も実力のうち
運も実力のうち
運も実力のうち
- 12 :
- 運が良かった 伊達政宗
戦国時代の終盤に生まれたので、色々妄想の対象になる
しかも、眼帯をしているので何となくカッコイイ
- 13 :
- あと、武田信玄、上杉謙信、織田信長も運が良かったな
中途半端な所で死んだから「もし、生きていたら」という妄想の対象になる
- 14 :
- 名前忘れたけど地震のせいで城が埋まって滅んだやつ
うちがしま とかいったっけな
- 15 :
- >>14
内ヶ島氏理な。優勝だろ
- 16 :
- なんつーか絵に描いたような不運っぷりだな。
呪われてるか何か有ったんじゃないかと思うくらい。
似たような感じの例だとなんだろ。ポンペイ?
- 17 :
- 城って地震に弱いのか?
石垣なんかはなかなか崩れ無そうだけど・・・
- 18 :
- >>17
伏見はぺったんこ。
- 19 :
- 京極高次
無能で肝心な時に判断を誤ったり、間が悪いのに
最終的に六万石の中堅大名で将軍家の縁戚に。
- 20 :
- 高次は無能じゃないだろ? 最後の最後でみごとな判断を下しみごと
勝ち組みになったし
- 21 :
- 主張とその根拠に繋がりがない
12点
- 22 :
- 上杉景勝
御館の乱で当初は北条と武田と上杉家の家臣6割以上を敵に回しながらも勝利を収める
織田軍侵攻で万事休すというところで本能寺の変が起こる
家康に反旗を翻し、関ヶ原の戦後の処理で流罪が確定していた状況から一転、減封に持ち込む
運が良いんだか悪いんだか・・・
- 23 :
- 大石静脚本の大河ドラマに出た武将ほとんど
- 24 :
- 信長秀吉も運は良かったが、家康が一番ラッキーだったのは、
信長がついて秀吉がこねた餅を食べる役が回ってきたこと。
ただ、信長と秀吉が家康に感謝すべき面もある。
天下統一が未完成または不完全なままだったら、
信長は虐者、秀吉は暗君暴君として後世に悪名を遺していただろう。
家康が天下統一事業を完遂させたので、
信長秀吉の行為を三傑の継続事業として肯定的に見ることが可能となった。
- 25 :
- 0点
秀吉が統一してる
- 26 :
- 関ヶ原後に戦乱が続いてたら、家康は一度秀吉が作った泰平の世をぶち壊した悪党だろうw
- 27 :
- 武将じゃないけど小山田信茂の息子。
見当違いの親父の厄災に巻き込まれて首チョンパ。
- 28 :
- ちょっと時代微妙だけど
太田道灌とか属にいう不運の名将だと思う。
あとは芦名盛興。
- 29 :
- あ、芦名盛興は不運な武将って意味で。
- 30 :
- 結城秀康と松平忠直がかわいそうでならない。
- 31 :
- 運が悪かった駒姫
十五歳で処刑なんてなぁ…
- 32 :
- 今川義元がありならば龍造寺隆信もだろ
- 33 :
- 義元と隆信では自業自得ぶりという点で全然違う。
- 34 :
- 阿蘇惟光以上不幸な武将はなかなかいるまい
- 35 :
- >>28
俗に言う悲運の名将、じゃねぇの?
- 36 :
- >>35
あ、そうだったww
俺アホだw指摘dクス
- 37 :
- 二階堂盛義は運が良いのか、悪いのか
- 38 :
- 毛利元就は強運の持ち主。
- 39 :
- 21世紀に名前が残ってるだけでも強運だろw
- 40 :
- >>14
何が不運って一番不運なのは城を乗っ取られて
やっとの思いで取り返した直後に大地震
乗っ取った奴は城から出てたので生き延びてその後出世
理不尽にも程があるなw
- 41 :
- 内ヶ島
- 42 :
- >>33
同意、鍋島直茂の活躍に勝手に脅威を覚えて
止めるのも聞かず功を焦って突っ込んで死んだのは
運が悪いだけでは済まない。
- 43 :
- 伊達輝宗さん
拉致られて死んじゃったから
- 44 :
- 真田信繁(幸村)は、運が良かったとも悪かったともいえないな。
本人はどう思っていたのかね?
- 45 :
- >>44
実力もあるけど、最後に家康と戦えたのは、運がよかったと思う。家康を敗走させたから日本一のつわものと呼ばれ名をのこすことができた。
実力があっても家康と関係ない所で戦っていたら誰もしらなかったかも。
- 46 :
- >>42
隆信って直茂と同じ一部将じゃないでしょw
功を焦る必要はまったくない
沖田畷で負けたのは数で押し切ろうとして主軍が突出し本陣を伏兵に襲われただけ
- 47 :
- >>44
本人が名乗った憶えのない芸名みたいなほうが
有名になってる事が不運じゃないか?
子供のころ読んだ「まんが日本の歴史」にも
幸村の名だったw
- 48 :
- うほっ!信長死んだっ?
急いで京に戻るがね!
↑このひと
- 49 :
- >>46
直茂は義弟なんで、ただの重臣じゃない。
(隆信の母親が直茂の実力を見込んで、無理矢理直茂の父の後家に入った)
しかも最初から竜造寺再建の同盟者と言う意味でも大きな貢献をしてきた上に、
今山の合戦における寡兵での奇跡的な勝利による武勲。
しかも隆信は実力はあっても暴君としても知られてて、家臣領民の心はやや離れつつあっただけに、
実力だけでなく温和で人望のある義弟に脅威を抱いても不思議ではない。
実際に合戦以前からもう直茂の讒言を無視していたり、
明らかに遠ざけるような配置をするようになっていったり、直茂との溝ははっきり表れている、
その後の直茂があっさり竜造寺をまとめて行った辺りを見ても
家臣の多くは既に直茂の方に心服していたこともうかがえる、そして結局竜造寺は没落、
鍋島は後世にまで残る事になる訳で隆信の読みは当たっていたと言う訳だ。
- 50 :
- 長宗我部も不運だな
九州征伐のとき仙石なんぞが大将でなきゃ、その後の家運も違ったろうに
- 51 :
- 羽柴秀次
小早川秀秋
- 52 :
- >>40
知らなかったのでぐぐって見たんだが、城奪還のお祝いの直後だったのか…。
不運No1は間違いなさそう。
- 53 :
- >>49
>義弟に脅威を抱いても不思議ではない。
隆信がほんまに暴君なら誘するか左遷させてるよw
- 54 :
- >>45
いや、それまでほとんどの時間を人質や幽閉されて無為に過ごし
戦将としての能力を存分に発揮できなかったわけだし
晴れ舞台となる大阪の陣でも当然だが自由気ままに戦える状況じゃなかった。
幸村は後世に名を残せたものの、人生の大部分は不幸だったと思うよ。
まあ不幸か幸運かなんて他人が勝手に決めることじゃなく
結局本人が死ぬときどう思っていたかだと思うけどね。
- 55 :
- スレタイ読め
幸せだろうが不幸せだろうがどうでもいい
幸運か不運かで語れ
- 56 :
- 真田幸村(信繁)は、
不遇であっても不幸ではない
名を残す機会を与えられてるんだから
- 57 :
- 長年の戦乱で衰退した畿内弱小大名ばかりのエリアに隣接した豊かな濃尾平野に生まれた信長は最強に運がいい。
- 58 :
- 信長はほんまに運がいいよな
不慮の事故で兄弟や叔父が死んでしまうんだから
- 59 :
- 武田信玄や上杉謙信も途中で死んだしな
- 60 :
- 信玄謙信は50前後まで生きてるし普通に寿命だけどな
でも義龍病死は文句なしのスーパーラッキー
- 61 :
- あのタイミングでの信玄の死は信長家康にとってスーパーラッキー
- 62 :
- ん?結核で死期が近づいてたから
上洛する最後のチャンスって
無理して出張ってきたんでしょ。
- 63 :
- >>50
十河もね
- 64 :
- 最近氏真は意外と不運な部類に入るんじゃないかと思えてきた
あの状況だと動こうにも動けないと思う
- 65 :
- とは言え、朝比奈泰朝やその他の家臣は掛川城落城まで戦ってくれたし
同時代の戦国武将より長生きして家は残った。
全般的には不運とは言えまい。
- 66 :
- 信長秀吉徳川で一番運がいいのは秀吉だろ
信長一番不幸だね
信玄 謙信 信長 浅井長政は皆不幸
いや一番は不幸は一向宗だな
- 67 :
- 最上義光は大河のおかげでいつも悪者
- 68 :
- 秋田実季へのは悪役そのものだろ
コイツも運が悪い。悪すぎる
- 69 :
- 女運最強は池田
- 70 :
- 運がいい武将 徳川家康 実力はたいしたことない。ほんと運
運が悪い武将 三好長慶 さあこれからという時に有能な一族がバタバタと死に出す
- 71 :
- >>49
讒言は無視して当然
- 72 :
- 実質、一番運の良かった武将は信長だろう
- 73 :
- >>70
運も実力のうち
- 74 :
- >>66
大谷伯爵家2家 木辺男爵家、華園男爵家 として
一向宗は今でも子孫は残ってるよ。殿様のような生活を今もしてるし
- 75 :
- もっとも幸運な戦国武将
北条幻庵
...おまいら、今後の人生、全くの医者抜きで
97まで生き延びる自信はあるか? www
- 76 :
- 全くの医者抜きではないと思うがな
現代医学には及ばない水準だとしても
- 77 :
- 幻庵は長生きしたうえに、北条家滅亡を見ずにたのも幸運
- 78 :
- その理論でいうなら80過ぎてから家族を皆しにされてそれでも戦って家を復興させて94で大往生した竜造寺家兼のほうがすごいな
- 79 :
- >その理論でいうなら80過ぎてから家族を皆しにされて
これは不運
上で行ってんのは(幻庵は)幸運
不運と幸運比べてどっちが凄いなんて無意味
- 80 :
- 幻庵は息子らみんな戦で死んでるんで、失意の晩年だった可能性はあるけどね。
- 81 :
- 一時期養子だった景虎まで死んでるしね
子供運は無いよな >幻庵
- 82 :
- 北条は早雲〜氏康まではよかったが、氏政・氏直は運が悪すぎだ。不運・不幸すぎて、涙が出てくるくらい。
秀吉が攻めてきて、戦でない、ただの戮をされて、戦が長引いては民が苦しむと考え、民のため殉死した。
北条関連の本を読むたび、氏政が殉死(自刃)するシーンを読むと、涙が止まらない。心が痛む。
今の政治家に是非読んでもらいたいものだ。
- 83 :
- 氏政は運じゃないだろ、戦争回避派を押し切って戦争始めたんだから。
- 84 :
- 家康 秀吉は運が良過ぎでムカツク
謙信とか信玄とかマジで可愛そう
信長もあまり運良くない
- 85 :
- 信長は運なんか良くないって
美濃制覇も長島一揆もジリ貧だったんだが
家康が一番運がいい
- 86 :
- 弱小大名はみんな運が悪いということに。
- 87 :
- 運で片付けられる戦国時代
- 88 :
- 三村一族は運がない。
意地と悲劇の一族であった。
- 89 :
- 信長と家康は運。
秀吉も、信長と出会ってなかったら…とも言えるが、清洲会議は見事。
- 90 :
- 運にいかに乗れるかも重要
- 91 :
- 内ヶ島氏理
- 92 :
- 元就はある程度、運で切り抜けた感もあるけど
スタートが最悪だからなあ
運が悪いと思う
秀吉もスタートが最低だから、運が悪いと思う
- 93 :
- 京極高次の運の良さは異常
それ以外はてんで駄目なのに
- 94 :
- まぁ北条は可哀想って言えば可哀想だけど、不運ってことじゃないよな。
ラスボスに選ばれちゃったおかげで「小田原評定」とかの
馬鹿な人達のイメージがついたのは不運だけど
でも、早雲の幸運と引き比べてといといぐらいだわな。
早雲の幸運ってのは、ああいう人があの場所にいることができたってこと。
あとはだいたい実力だと思うけど。
- 95 :
-
- 96 :
- 山名豊国はどうなんだ?
あの状態で家名保てたのはすごい強運だと思うが…
同じ点で織田有楽や朽木元綱とか。
武田勝頼は運ないよな。
才能はあると思うけどあれじゃどうしようもない。
- 97 :
- 一栗放牛は幸運だろ。武士としてたんだから。
- 98 :
- 今川氏真
30歳で不向きな武将稼業を離れてからはけっこう幸せな人生だと思う。
趣味に打ち込めて、妻と仲がよく子供にも恵まれ、当時としてはかなりの長寿。
個人としては才能豊かだし、家も存続。
不幸は息子に先立たれたことくらいか。
- 99 :
- 関ヶ原での裏切り組の1人赤座直保。
所領没収され溺死。
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