1read 100read
2011年10月1期戦国時代足利将軍家は何故政略結婚をしない?
TOP カテ一覧 スレ一覧 削除依頼 ▼
・ 次のスレ
やる夫の関が原戦線異常あり
天正10年の武田攻めを語るスレ 3
天変地異の被害と戦況
戦国時代を舞台にした歴史小説 第参話
足利将軍家は何故政略結婚をしない?
- 1 :08/06/21 〜 最終レス :11/12/13
- 足利将軍家が有力守護に対して政略婚をしたことなんて六角氏くらいしか思い当たらない。
ただでさえ、守護大名に支えられていた足利家が何故政略婚をしなかったのか?
- 2 :
- 若狭武田氏・三好氏とかは?
- 3 :
- 足利一門は、家督争いを避けるためだろうが、嫡男以外の男子は寺に入れる。
これが戦国時代に入った時、血族の勢力の弱さをつくり、結果他の戦国大名に比べ、主家一門の支配力の
弱さを生んだ。
- 4 :
- 同族でし合いをした結果主家の力が弱くなった晋や晋に比べたら
はるかに平和だな。
- 5 :
- >>4
足利将軍家は守護大名家の嫡流と庶家をそれぞれ煽り、対立、抗争させることで
幕府への求心力をつくり大名をコントロールしてた。
- 6 :
- >>4
つ鎌倉幕府
- 7 :
- >>1
若狭武田の当主・義統の室が、義輝の妹。
- 8 :
- たしかに、15代もあった割には、将軍家の娘が
守護の正室に収まったことはすごく少ないね、ここでは既に
何件か上がってるけどもう出尽くした感じかな。
- 9 :
- 斯波とか畠山とか一色とか、将軍家の娘を嫁にもらったことないよね
- 10 :
- 守護にも養子押付けてないね
斯波や畠山に入れていたら応仁の乱も起きなかったかも・・・
その頃は寺社の勢力が大きかったのでそれを抑える意味で坊主に
したのだろうが
- 11 :
- >>10
足利幕府の収入源の少なくないものが、五山をはじめとする寺社領からの上がりだった、ってのも関係あるかもね。
- 12 :
- >>4
気持ちは分かるが、
>晋や晋
ここは気になる。
- 13 :
- 香田晋
- 14 :
- 名前は同じだが時代が違う別王朝だからな。
- 15 :
- 秦新晋清
- 16 :
- >>13
( ^ω^)帰れ
- 17 :
- 足利将軍家もそうだが、室町期の守護大名家も婚姻や分家などで一族の勢力を増やそうとしない(まあそれをすると
幕府の分裂政策に付け込まれる、ってのもあったんだろうけど)
尾張の斯波氏や三河の吉良氏は、それぞれ一族の勢力拡大に熱心だった織田や松平に、その違いのせいで
やられたと言ってもいい。
- 18 :
- 六角氏みたいに記録が充実してるとこがあれば
何かしら足利将軍家との婚姻記録が残っているかもしれないなぁ
あと、小笠原、斯波あたりも、婚姻関係が全く謎だよね
- 19 :
- 京とのツテにもなる公家の娘のおしとやかなエロスを好んだ。
- 20 :
- 20get!
- 21 :
- 足利家は幕府初代将軍から派手な兄弟間の争いがあったからな
- 22 :
- 伊達家
伊達成宗:奥州探題就任
伊達尚宗:上杉氏から正室を迎える
伊達稙宗:再び奥州探題就任
伊達実元:上杉氏の養子となるが長尾家の妨害により失敗
長尾家
長尾景春:関東を争乱状態にして、管領上杉家の勢力を衰退させる
長尾邦景:上杉家をないがしろにし、専横を振舞う
長尾実景:越後守護家に謀反を起こす
長尾為景:上杉房能、八条定宗、上杉顕定らを害して上杉家を傀儡化
長尾晴景:上杉実元の家督継承を妨害
長尾顕景:上杉憲政、上杉憲重らを害して上杉を僭称
さらに上条上杉政繁を追放
どちらが上杉を継ぐに相応しいかは、バカでもわかるわな
- 23 :
- 武田だな
- 24 :
- 上杉輝虎の叔母の白井局と足利義輝
- 25 :
- つーか江戸以前はみんなそんな感じだったんじゃねーの?その反省というか
失敗?を江戸幕府が生かしたと。
- 26 :
- 江戸幕府の将軍でいうと、将軍の正室は、天皇や上級公家からもらうのが一般的。
(ただし、正室の子供が将軍になったのは三代将軍家光しかいない。)
将軍の子供達はというと、娘は大名に嫁入りするのが普通。外様大名にもばんばん与えている。
息子は、長男を除けば、分家して新たに家を起こすか、一族としてそのまま。
同じ名字が多すぎるので、徳川でなく、松平とか武田とかの名前を再興して使ってる。
- 27 :
- だいたい守護大名の力が衰えたから下克上がおこったわけで、弱い守護大名と政略婚しても
意味ないかと
- 28 :
- >>26を見て家光までと慶喜を除いた歴代将軍よりも、そこいらの小大名のほうが
貴種なんじゃないかなあと思った
- 29 :
- 室町政権は京都政権なので
公家と寺社を支配しないと安定しない
だから正妻は日野家からもらい
公家の荘園保護に乗り出し
比叡山など南朝の温床になりそうな場所には次男以下が出家して入る。
公家の荘園を守るとなると、荘園横領した六角氏などと対立するので、将軍直轄軍たる奉公衆(近江や三河が大半)を使って討伐したり、京でのクーデターの際の逃げ場所になる。
- 30 :
- 何でかは知らないけど、いつからか日野家(富子など)から嫁をもらう事になった
んじゃなかったか。
- 31 :
- >>27
では、室町前〜中期でも、婚姻関係の記録が少ないのは何故?って話しになる。
>>28
松平一族を初め、出自の定かでは無い大名、中には「平民」出身の大名さえ
いたわけだから、そうなってもおかしくはないね
- 32 :
- 日野家は鎌倉幕府転覆に功績があった南朝の功臣にして後醍醐天皇の側近だったからね。
その分家で北朝側の正統性のアピールの一環。
- 33 :
- イメージ的にいうと日野市とばっかり結婚してた言う感じ
義政とトミ子なんか殆ど近親相姦(息子は若くして死亡)
考えもんだな
- 34 :
- 各守護の連合政権な上に、極めて危ういバランスで成り立っていたから
政略結婚したくてもできなかったんじゃないの?
政略結婚の対象は相応の有力守護になるだろうが、
必ず反対派がブーブー文句垂れて、ただでさえカオスな室町幕府が
よりカオスになったりすることも十分に考えられたのでは?
- 35 :
- つーか、日野氏との結婚こそ政略的なものだと思うが…。
足利氏の場合日野氏以外も公卿の娘との婚姻ばかりだが、こう言うのも全部「政略」が先にあるだろ。
- 36 :
- >>28
正室が世継ぎ産んだことも、確かないんだよな>徳川
どこの馬の骨だかわからない徳川の血筋に貴種が交わるチャンスが
まったく無くなってしまったわけだ
- 37 :
- 重婚関係にあったのは、六角家ぐらいだな、ほんとに
- 38 :
- 南近江を抑えられると京都つらいから
縁を結んでたのかいな
ダメなら朽木に避難と
- 39 :
- 朽木といえば、世界のナベアツの出身地が近いんだっけ?
- 40 :
- 死ぬほどどうでもいい情報をありがとう
- 41 :
- マジで将軍家の子女の嫁ぎ先といえば、六角氏や若狭武田氏ぐらいしかないな
- 42 :
- ヘタに親族増やすわけにはいかなかったんだろうな。
- 43 :
- マジで謎だよな、将軍家の子女がドコにも嫁がないなんて
- 44 :
- 鎌倉幕府が将軍家の外戚だった北条氏に簒奪された様を知ってるだけに、
政略結婚には慎重にならざるおえなかったんじゃないか?
軽はずみに有力な守護大名に娘や妹を嫁がせて男子でも生まれようものなら
相手に乗っ取り許可証を与えるようなものだからな。
応仁乱の頃に山名や細川家に将軍の孫や甥がいて
「この子を将軍家の養子に」
と、乞われたら将軍家は拒否出来なかったと思う。
将軍家を存続させる面だけ考えるなら
外戚を作らない方が無難だったんだろうね。
- 45 :
- >>44
将軍家へ北条家の娘が嫁ぐのと
北条家に将軍家の娘が嫁ぐのでは意味が違う。
鎌倉時代、後者は有っても前者は無かった。
つまり、足利家の子女が有力大名へと嫁がない理由を
鎌倉北条家の例に求めることはできない
>応仁乱の頃に山名や細川家に将軍の孫や甥がいて
室町時代以降は男系が非常に重要視される時代。
そのようなことな養子押し付けが起こるようであれば
どちらにせよ幕府は崩壊直前だろう。
- 46 :
- >>45
北条政子のことじゃないの。
北条氏に限らず、比企氏だの牧氏だのといった
閨閥のゴタゴタが目も当てられなかったからな。
源氏将軍時代は。
で、摂家将軍や宮将軍の奥方は京都から一緒に輸入するか将軍家で自給していたような。
- 47 :
- >>46
ごめん、前者と後者を間違えてた。
北条家に将軍家の娘が嫁ぐ
ということは無かったと言いたかった
- 48 :
- 京の安定支配の為に公家に嫁いでたんだろ。
- 49 :
- >>48
ところがどっこい…
- 50 :
- 義満以降の足利将軍は、義持のゆり戻しがあったとはいえ、
公家の長者という面が何のかんので大きくなるな。
- 51 :
- 大奥がある徳川将軍ほどではないにしても、足利将軍にも相当な数の姫がいたんだよな
みんなどこへ嫁いだのかしら?
- 52 :
- >>48
そういう記録も残ってない
>>51
ホントに謎・・・・・
- 53 :
- 義教は男子だけで十数人いたんでしょ、義視は十一男だっけ
女子も相当数いてもおかしくないよな。
- 54 :
-
栃木リンチ人事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%83%E6%9C%A8%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%81%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6
【強姦】 警部補強姦逮捕 栃木県警「心から深くおわび」 [06/18]
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/owabiplus/1213958526/
【栃木】連続強盗強姦の2人 懲役30年と28年を求刑
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tochigi/20090519/CK2009051902000109.html
【父親が実娘を強姦し続けた】栃木実父し事件
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/baby/1096037070/
栃木県立今市高校教師、卒業生も強姦されたと被害届を提出
http://sagool.tv/detail/3880201651115013861/
取り調べ女性への性的行為否定 元栃木県警警部補が無罪主張
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/auto/5043/1190871900/66
【社会】「強姦が好きで、彼女や風俗店では満足できない」 33歳無職の男を再逮捕…栃木
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1240961004/
【栃木】強姦被害者望まなかったのに 宇都宮地検勇み足? 起訴”強行”[01/25]
http://gimpo.2ch.net/test/read.html/wildplus/1232861243/
【栃木/教師】女子生徒への連続行高校教諭、3度目の起訴
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1234921971/
【栃木】先生と女子中学生「ベロチューしまくった」「首触りすぎい…まあいっか」お口の中たかゆき★11
http://s03.megalodon.jp/2009-0417-1923-18/tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1239940813/
- 55 :
- >>53
まったくだ・・・・・
- 56 :
- 足利家が貧乏で貧弱だから持参金とかの期待ができないからじゃね
- 57 :
- >>56
少しは歴史のお勉強してから書き込もうや
- 58 :
- 天皇に準ずる存在になろうとしたんだろ
- 59 :
-
もし堀北真希が足利将軍だったら
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1164945963/
もし堀北真希が足利将軍だったら
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1164945963/
もし堀北真希が足利将軍だったら
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1164945963/
もし堀北真希が足利将軍だったら
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1164945963/
- 60 :
- >>59
変なスレ建てんなや
- 61 :
- 第二、第三の北条を生み出さないため
- 62 :
- うちの親父は足利将軍家に女子が生まれると殆どを間引いていたと言っていた。
同僚の日本史の先生の請売りだったが。
- 63 :
- そんなw
農民じゃないんだからwww
- 64 :
- それだけ日野家の力が強かったんじゃないの?
義輝の時代にはもう力が無いからそうできたんだろう
- 65 :
- いや、正室を選ぶ権利はともかく
有力守護へ娘が嫁がないのはおかしい
- 66 :
- 有力守護に嫁いだら、その娘の子が本宗を乗っ取りに来るご時世だし。
- 67 :
- いくらなんでもそれはない
六角氏は数少ない足利家の嫁ぎ先だが
足利家を乗っ取りにきたか?
京から近い六角ですらそういう事例はない
- 68 :
- そろそろageますね。
- 69 :
- >>67
うむ、そんな簡単に乗っ取りはできん
- 70 :
- 足利家が守護大名と政略結婚をしなかったのは
若死に将軍、男色将軍ばかりだったからだろう
- 71 :
- >>70
( ´д)ヒソヒソ(´д`)ヒソヒソ(д` )
- 72 :
- 男色将軍、足利義持の生涯
- 73 :
- >>72
( ^ω^)とりあえずけ
- 74 :
- >>66
いくらなんでも極端やぞw
- 75 :
- >>50
義持時代に揺り戻しがあったという話自体が微妙
義持は義満みたいな露骨な方法を取らなかっただけ
仁和寺門跡に弟を入れたり、称光天皇の諱を強引に変えさせたりとある意味義満以上の無茶苦茶なこともしている。
- 76 :
- 足利将軍家から守護大名に娘を嫁がすって,降嫁ですね。
この時代に上位の家から下位の家に娘を嫁がすような慣習はあったのでしょうか?
それに娘を嫁がすということは,人質を出すことと同じじゃないでしょうか?
- 77 :
- >>75
ゆり戻しの方向性が違うだろ。
外交政策に関しては明らかなゆり戻しがあった。
- 78 :
- >>76
上の家から下の家に嫁がせる?よくあることだわな
関東管領上杉氏→宇都宮氏
能登守護畠山氏→長氏
管領細川氏→赤松氏
- 79 :
- 血縁を広めるって発想が足利家には致命的な気がするが
斯波に一色に吉良に今川……すでに有力な支族がこれだけ居るし
足利名乗ってた斯波を管領に押し込むのだって苦労したじゃない
- 80 :
- 男系の血縁だと一門格というか、別家を立てなくてはいけないけど
女系の血縁だと、他大名と血縁を結ぶ という感覚だから根本的に違う
女系から「支族」は始まらない
- 81 :
- 足利家自体が執権北条氏から嫁貰って権力もってたのに何を
- 82 :
- 藤原摂関家は天皇家との結びつきを深くするために、そして戦国大名は領土の
保全を図るために行う必要があったが、足利将軍家は曲りなりに当時の日本の
最高峰だったから、あえて必要がなかったのでは?
- 83 :
- 有力守護から娘貰って側室にして、男子量産して元の有力守護のところに養子に出せればよかったのにねw
- 84 :
- >>83
室町幕府の「有力守護」なんて、軒並み足利一門なんだが。
- 85 :
- >>82
けっこう足利将軍の武力は危ういよ
- 86 :
- >>85
「足利将軍の武力」を、どの範囲に設定するかによるな。
「足利一門」と言う意味で言えば、その武力は圧倒的だ。
- 87 :
- >>86
足利一門だって一枚岩ではないだろう
- 88 :
- >>87
少なくとも南北朝期までは一枚岩だろ
- 89 :
- 南北朝から盛大に仲間割れし始めるからなぁw
- 90 :
- 足利宗家ってほら、キチガイの血筋だから
そういう血をよそに入れちゃいけないって自重したんだよ
- 91 :
- >>88
室町中期以降は理由にならないじゃん
>>90
そんなことを自覚するわけないだろ
- 92 :
- 政略結婚しないのは、義満の時に摂関を越えて天皇家に匹敵する家格になろうとして、
そのため子女の扱いも天皇家のやり方と殆ど同じにし、義満以後も
その「先例」が守られてしまったためらしい。
- 93 :
- 義輝の娘とかは普通に三好家に嫁いでたような
- 94 :
- 足利家の家格が準天皇家みたいなとこまでいって
男子は皇室門跡までいきついたからなあ
貰い手がいないんだよな女子は
- 95 :
- >>93
誰相手?
- 96 :
- 常識で考えれば陪臣に将軍の娘はやれないだろうから嫡男か当主本人じゃね?
- 97 :
- >>95
三好義継
- 98 :
- >>97
その頃になればあ足利将軍家も、家格云々言えなくなってたってことだろ。
- 99 :
- 義輝の妹じゃなかったか?
- 100read 1read
- 1read 100read
TOP カテ一覧 スレ一覧 削除依頼 ▲
・ 次のスレ
やる夫の関が原戦線異常あり
天正10年の武田攻めを語るスレ 3
天変地異の被害と戦況
戦国時代を舞台にした歴史小説 第参話
-