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2011年10月1期戦国時代美濃の小勢力を語る〜稲葉・氏家・安藤・不破 他 TOP カテ一覧 スレ一覧 削除依頼
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美濃の小勢力を語る〜稲葉・氏家・安藤・不破 他


1 :08/06/22 〜 最終レス :11/11/22
・稲葉家
・氏家家
・安藤家
・不破家
・東家
・遠藤家
・遠山家
・妻木家
・佐藤家
・竹中家
などなど。ついでに、土岐家も語れw
■関連スレ
美濃斎藤家
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150539318/

2 :
頑固一徹の一鉄は、稲葉一鉄に由来する。

3 :
姉川の戦いで大軍の朝倉軍に苦戦した家康が増援に欲したのが稲葉というのは創作。
江戸時代に稲葉家が大名として残ったので、持ち上げてるだけ。

4 :
>>2
めちゃんこ有名だし、確定じゃないし。
大沢正秀って織田に属してからのその後って不明だよな。

5 :
アラレちゃん発見!

6 :
明智が抜けてる気がするが

7 :
竹中と明智は単独スレ向きかな?
竹中半兵衛
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1149961905/
【本能寺の変】明智日向守光秀【山崎の戦い】
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1167303526/

8 :
明智って、光秀個人の事じゃなく明智一族のことだろ?

9 :
美濃三人衆の筆頭って誰だったんだ?

10 :
安東伊賀守

11 :
>>8
じゃあ明智一族も追加でいいんじゃね?

12 :
稲葉って最初は西軍についてたんだよな

13 :
断トツの勝ち組は稲葉氏だな
豊後の外様で1家、春日局の縁で譜代重臣として数家残してるし

14 :
それに比べると氏家や安藤は悲惨に尽きるな。

15 :
日根野弘就を無視するとはいい度胸だ

16 :
>>15
だよな。

17 :
>>15-16
折角だから、人物紹介でもしてくれよw

18 :
日根野弘就って斎藤龍重と龍定を暗したって言われてる武将だっけ?

19 :
斉藤6人衆には氏家・安藤・日根野が入っているのに、稲葉は入っていない。
ちょっと意外だろ?
あと斉藤大納言正義(烏峰城主)の事跡に詳しい方、何かカキコして。
こいつのおやじは関白近衛稙家なんだぜ。

20 :
>>14
守就は追放組の中でも佐久間信盛に比べればずっとマシと思うよ。
本能寺の変の時、北方城(一鉄の城)を攻めて、
短期といえど城主の座に就いたほどの力を蓄えていたことは確かだし、
すぐ一鉄に攻め返されて一族滅ぼされたけどね。

21 :
守就が死んだときは80歳代と言われてるけど、信憑性はあるかな?
子の尚就と混同してるとかない?

22 :
>>17>>18
そうだよ。
反信長の急先鋒で、斉藤家滅亡後に浅井・今川・一向宗に仕えて73年まで、反信長を貫いて
いるね。

23 :
>>21
いや、混同していない。尚就といっしょに挙兵した。

24 :
>>1に意外にも明智家がないことに気付いた
地味だけど残った家としては高木とか市橋とか丸毛とかがあるね

25 :
明智一族は明智光秀スレで扱うことが多いからな。
ここでも差し支えは無いけどね。
>>23
当時にしては相当の長寿ですな。

26 :
>>25
そういや、明智の一門に秀満と光忠って武将いるんだが、前者=遠山氏・後者=小里氏に比定した
系図が歴史群像に載ってた。何でそう言えるのか???だったな。

27 :
>>26
濃州小里記だったかの影響じゃないか?
明智秀満は光秀の娘(といっても養女)を娶って明智姓を名乗ったから、
元々は明智じゃない。
三宅氏であった説が一番有力なんだが(実際三宅を当初名乗っているし、
子孫も三宅を名乗っている)。
光忠も光秀の娘を娶ったので明智を名乗っているが、
秀吉などと同じで、きちんとした身分がないところから成り上がった説が
現在は有力ではなかったかな。

28 :
稲葉美濃守一鉄
氏家卜全
不破河内守光治
西尾豊後守光教
安藤対馬守守就

29 :
>>27
d、やっぱネタ本があったんか。
光忠は彼のオヤジが明智の足軽あがりで、明智家の法要で光忠がオヤジの家柄が悪いから焼香をめちゃ
遠慮してたって逸話があるね。
秀満の息子は三宅重利やったかな。子孫はどっかの藩の旅家老やってるね。

30 :
>>29
ネタ本とまで言うには、結構面白い史料だけどね。
明智光秀の出生した城としては、長山城と恵那の明智城の2説とあるけど、
恵那の方の説だと、光秀自身と遠山明智氏との関わりを指摘していて、
その根拠の中の一つに濃州小里記がある。
小里氏の事が割と詳しく載っているし、一概に全部嘘とは片付けられないんだ。
で、その一説に、秀満は遠山景行の子で、母方の三宅氏を名乗ったとする説の
根拠になるところがあった筈。
光秀は明智じゃなく、光秀の実父が妻木氏という説もあるが(光秀正室の実家との
混同ではなく)、妻木氏出身と考えると、遠山氏との関わりが深くなり、
全面否定はしにくいという現状もあるな。

31 :
>>30
>光秀は明智じゃなく、光秀の実父が妻木氏という説もあるが
「言経記・兼見記・多聞院日記」にでてくる「オツマキ・惟日州姉」等の解釈の件やね。
>母方の三宅氏を名乗ったとする
母は三河広瀬城主:三宅高貞の娘やという説だね。
>長山城と恵那の明智城の2説とあるけど
遠山氏は徳川家と並び、対武田家の重要な緩衝国なのに、恵那説を採るなら、なぜ地縁が濃厚な光秀を東美濃の
担当に起用しなかったのかという素朴な疑問があるなぁ。
指摘d。これ以上はスレチになるので、レス不要です。

32 :
では光秀は可児郡に引き取らせてもらおう。

33 :
加賀井キティ重望を忘れちゃ困るな

34 :
お、スナイパーktkr

35 :
>>33-34
スナイパーというか、治部の鉄砲玉だろw

36 :
>>27
三宅氏は美濃の出ですか?

37 :
揖斐光親と鷲津光敦
美濃守護土岐頼芸の弟たち
ただこいつら国盗り物語に出てただけでぐぐっても実在したかどうかわかんないんだよね

38 :
鷲巣とか揖斐とかってもっと早い時代に分かれてなかったっけ。

39 :
>>37
土岐氏は江戸時代には旗本に成れたりとかしてます?
頼芸の子・頼次は松永の居候になってたのは知ってますが。

40 :
今までなんで遠山一族が出てこなかったか不思議・・。
織田と武田の間でキャスティングボードを握ってたし、信長の叔母さんが女城主だったしと話題に事欠かないのに・・。

41 :
>>40
城を明け渡すなら謝罪で済むけど、敵の武将と婚姻して裏切るじゃあ、
信長が怒るのも仕方なかろう。

42 :
遠山自身が死んじゃったしな

43 :
家臣としても妻としても裏切ったわけだからのぶりんの怒りも激しい

44 :
あと、叔母としても

45 :
遠山に興味あるな
秋山が敵の女城主を寝取った(笑)ってすごすぎるし
面白すぎる 戦国でもこんな痛快な話もないな

46 :
城をとられて、信長の実子も武田に人質として送ってじゃ、
信長も怒るわな。
信長は養子に出すの反対してたの、無理言っても養子にもらったお坊を
あっさり引き渡したんじゃ、そりゃ怒る。

47 :
小山田が笠原清繁の室を側女にしたように武田の山侍はそんなのばっか
なんでもある植物の汁が媚薬になるようでそれを局部に塗るとどんな女でも虜にできるそうな
長野県ならどこでも生えてるよ

48 :
ちょうど今軽井沢の別荘にいるんだが・・・・
いえ、何でもないです

49 :
>>19
斉藤六人衆って、当時の資料に出てくるの?
後世に適当に付けられた名前とかじゃなくてw

50 :
>>46
信長も実は興奮してたんだよ
息子も城も女も取られて悔しいっ!ビクビクッ!!! でも・・・
ってなw

51 :
岩村が女城主で有名になっているのがとても辛い。

52 :
その女城主が信長の叔母なんだから、知名度Upでおいしいじゃんw

53 :
岩村はなあ・・・
大して名産もない、人口がここ500年で倍増していない石垣の町なんだよ。
30年前に住んでた借家の現在の住人がブラジル人だったときの虚しさといったら・・・

54 :
悔しいですね

55 :
道三と義竜との争いで、各家がどっちについたとか詳しい人いる?

56 :
>>55
斎藤家スレのレスによると
129 :人間七七四年:2007/11/09(金) 23:09:35 ID:zF6gZbgK
>>121
亀だが、『美濃国諸旧記』によると
道三側の武将は以下の通り。
川島掃部助唯重
林駿河守正道入道道慶
道家助六定重
道家清十郎
高橋修理治平
竹中遠江守道治
竹中主水氏泰
川村図書良秀
片桐縫殿助為春
溝尾庄兵衛茂朝
大塚藤三郎昌宗
三宅式部信朝
桑原十郎左衛門久明
神山内記義鑑
神山主馬正長
神山彦八定常
松原治郎左衛門義保
岩手弾正道高
大沢治郎左衛門為泰
中村宗助秋益
井上加々右衛門頼久
大西太郎左衛門勝祐
一柳右近直秀
山内伝兵衛盛重
飯沼杢之助知俊
鷲見新藤次基綱

57 :
中村一栄の重臣野一色頼母は
やはり岐阜の野一色の出かな?

58 :
野一色いうくらいだからそれでいいよ。

59 :
あら、つれないお答え

60 :
>>56
ありがと。
マイナーな家中心で、殆どの家が義竜側か中立だったみたいだね。
道化とか竹中とか溝尾とか一柳くらいかな、馴染みがあるのは。

61 :
数年前にTVのワイドショーで騒がれてた岐阜の幽霊団地。
あれ、確かどこかのお姫様の幽霊てことだったような?。
違ったっけ?

62 :
>>61
親父が裏切って信長に付いたせいで処刑された佐藤紀伊守の娘じゃなかったっけ

63 :
加茂野だったっけ。

64 :
>>62-63
dキュー!
加治田城主佐藤氏のことですかね。

65 :
岸信周とか佐藤忠能という名前を挙げると。
両者の子孫と思しき家の2名が1年B組で同級だった。

66 :
>>57
野一色は近江。

67 :
東濃で武田勝頼にぬっころされた豪族って誰が居る?
信玄死後だったと思うんだが名前が出てこない

68 :
森可行&可成親子(土岐氏譜代の家柄)
坂井政尚(森と同時期に出奔)
金森政近&長近兄弟(土岐氏庶流)
蜂屋頼隆(土岐氏庶流)

69 :
今尾藩の先祖で斎藤道三に仕えた竹腰道鎮と、長良川での道三と義龍が戦ったときに
義龍側の先陣をきった竹腰道塵って同一人物かな?
世代的にはあってるし、名前の音も似通っているんだけども。

70 :
国盗り物語にそれっぽい奴がいたような

71 :
同一人物でいいだろうな。

72 :
俺の岐阜県在住の知り合いには竹腰、稲葉、野一色さんがいるなあ

73 :
>>66
岐阜市長森校区の野一色でしょ。
まあ全国の字にありそうな地名だけど。

74 :
美濃遠山と相模遠山って縁戚なのか!?

75 :
それなりに。

76 :
安藤一族って信長に追放されてから、本能寺の変に合わせて蜂起するまでどこにいたんだろ?

77 :
>>76
確か稲葉一鉄が引き取ってたと思う。

78 :
んで始末つけるのも一鉄爺さんかね。

79 :
金森長近が美濃生まれの近江育ちだという事は忘れられがち
斎藤家に仕えてた時期は無い

80 :
>>1
現在は名門ぶってる氏家って、たかが美濃の小勢力だったんだw

81 :
氏家がいつ名門ぶったんだ

82 :
稲葉河野末裔、氏家宇都宮末裔て仮冒?

83 :
稲葉は信じたい。
氏家は後付くさい。

84 :
六波羅で負けた河野通盛が美濃で逃亡成功しているから国内に庶流がいても不思議では無い

85 :
織田家に恭順した順番としてはどんな感じだろ?

86 :
「遠」山とか「遠」藤とか、「遠」の文字が使われてる家があるけど、
由来とかあるのん?

87 :
>>86
そりゃぁ由来の無い苗字は無いだろ。遠藤は遠江の藤原氏からってのが普通。だけどwikipediaには「美濃の
遠藤氏は千葉氏の一族である東氏の庶流である。」とあるからどう繋がるのかよく判らんが。
遠山氏は美濃に有った遠山荘という地名に由来する様だ。

88 :
西美濃の豪族は交易もやってて、その交易路は和泉・河内・山城・近江・西美濃・尾張
織田家と交戦状態に入ってからは交易が滞っていた
斉藤家は交易路を確保するために今川・六角と同盟して織田・浅井を潰そうとしたが、どちらも失敗
秀吉は近江・美濃・東海道で活躍してた商人でもあり、六角家に仕えていた記録がある
美濃攻めで秀吉が活躍したのはこの経歴と人脈があったからだという説がある
東美濃衆が関わっていた交易路は、越中・飛騨または相模・駿河・甲斐・信濃から
尾張か西美濃・近江・山城・河内・和泉へで、こちらも尾張が大きな玄関口になっていた
蜂須賀・前野・遠山・木曽家などがこの交易路に関わっていた
遠山家は斉藤・武田の両家に従属していた。織田家が美濃を攻め取った時、遠山家の帰属が問題になった
当時、武田家は駿河攻めに失敗して今川家に逆襲され四面楚歌状態だった
武田家は背後の安全と交易路確保のため織田家と織田に有利な条件で同盟した
その条件の一つとして、遠山家は武田家を離れて織田家に従った
遠山家と木曽家は古くからの交易仲間であり、争うことはあっても大抵は五分の条件で手打ちをしていた
だが武田の一門衆に加わった木曽義昌は武田勝頼の方針に忠実に従い、東美濃に侵攻して遠山諸家と激しく戦った
秋山信友が処刑された後でさえ木曽勢は東美濃に攻めこみ、遠山家の多くの将兵を討ち取っている
織田家にとって憎い敵のはずだが信長の木曽義昌に対する評価は高く、織田家でも厚遇された
秋山信友も降伏したことで東美濃の織田家帰属を確定した功績があったが、信長に処刑されている
これは東美濃の交易人脈において木曽家は古参であり、秋山信友と遠山夫人(信長のおば)は新参だったから、という説がある
仇敵の間柄になりながらも遠山家と木曽家は交流と交易はしっかり続けていて、本能寺の変後に手を結んでいる
まず信濃から美濃に逃げ帰る森長可を害しようとした
次に木曽家が徳川家の侵攻に屈服すると、家康は木曽家を通じて遠山家を取り込もうとした
これに対して秀吉は森長可に命じて遠山一族の諸城を攻め取らせ、遠山家の勢力を削いだ
この際、遠山家の一族の多くが徳川領に逃げて家康の庇護を受け、家臣になっている
秀吉は尾張・美濃の交易人脈を塗り替えるために大規模な侵攻・転封と粛清を行った
東美濃でその役割を担ったのが森長可で、尾張では福島正則だった
また秀吉は味方してくれた稲葉家の勢力伸長を抑制し、稲葉家の交易路支配を支配を阻止した

89 :
伊賀伊賀守って名乗りはもっと評価されてもいい。

90 :
「100人乗っても大丈夫」稲葉山城攻撃中に城壁が倒壊。23人がケガ
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/river/1293804606/

91 :
妻木はなんで大名になれなかったかなぁ。
東美濃で唯一と言っていい東軍参加武将だし、家康と書状のやり取りして美濃の内情をきっちり報告してるのに。

92 :
>>91
妻木て明智の家臣にいたな。光秀室の実家だっけ?

93 :
>>92
光秀自身が妻木の出身って説もあるしな。

94 :
不破って柴田勝家の与力だったのに、いつの間にか消えてるな。
金森は江戸時代に残れたのに。

95 :
飛騨国司が天正期に摂津で戦死してるのはなぜ?

96 :
96

97 :
名将が多いですね

98 :
>>91
妻木家は旗本にはなれたので?

99 :
妻木家は7500石の旗本になったよ。
でも徳川譜代の遠山の方がやっぱり扱いは良かった。

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