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2011年10月1期戦国時代【海道一の弓取り】今川義元、北条氏康に圧勝
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島津家久公之スレ
【海道一の弓取り】今川義元、北条氏康に圧勝
- 1 :10/09/13 〜 最終レス :11/12/14
-
天文14年(1545年)【狐橋の戦い】今川義元○-●北条氏康
信玄率いる武田軍は合戦に参加せず、今川軍は独力で北条軍を撃破
小田原北条勢を駿東(駿河国東部)から追い出した
氏康は父・氏綱が奪取していた駿東を守りきれず、領土を削り取られる結果に
- 2 :
- スレタイで勇次郎厨のコピペ思い出した
- 3 :
- >>1 大儀であった どれでも好きな茶を選ぶが良いぞ
∧ ∧ (ハハ)
( ´・ω・) (ヮl` )
( つ旦O O旦⊂ヽ
と__)__) 旦 旦 旦 旦 旦 旦 (_(_つ
濃茶 薄茶 玉露 煎茶 番茶 出涸し 日当山一のちゃのみ
;; コポ
旦 旦 旦 旦 旦 コポ 旦 旦 旦 旦
生茶 雑巾汁 烏龍茶 ほうじ茶 ウラン お〜いお茶 髭茶 八女茶 狭山茶
旦 旦 旦 旦 旦 旦 旦 旦
緑青 静岡茶 宇治茶 鹿児島茶 紅茶 福寿草 白湯 ミユキのお手製太陽バクバク茶
- 4 :
- しかし戦国最大のネタキャラ
- 5 :
- 氏康の弱さは異常
引き篭もるしか能がないw
有名な河越の戦いも、相手は20歳そこそこの上杉憲政・上杉朝定。敵兵8万は誇張
関東の弱小大名をイジめて勘違いしてた井の中の蛙
息子の氏政も父同様に勘違い男で秀吉に楯突き、北条家ジ・エンド
- 6 :
- などと訳の分からない事を言っており・・・
- 7 :
- つまり序列は
織田信長>今川義元>北条氏康
って感じ
- 8 :
- 知名度もそうだしな。北条氏jは世間では「鎌倉時代とは違う北条」くらいしか認識がない
- 9 :
- >>1は勇次郎厨と似た臭いがする
間違いなく>>1は【武田信玄、今川義元に命乞いし死亡】とか【今川義元の威圧により上杉謙信は便所に引き籠もる】とか
【毛利元就、今川義元の知謀に敗れる】【奥州の竜・伊達政宗は今川義元に完敗】とかいうクソスレを建て始める
如何に擁護しようとも義元厨は聞く耳持たず妙な経典まで作り今川義元が最強だと言い張る
仕舞いには家康に天下を取らせる為にわざと信長に負けたとか言いだし始める
- 10 :
- >>1はゴミクズ
- 11 :
- まぁ、信長秀吉家康の戦歴を見てると他は全部グズに見えてくるよな。
一地方を統一できそうだったのは長宗我部と島津、伊達ぐらいだもんな
- 12 :
- マジキチ信長の領土に足を踏み入れた義元が悪い
自業自得
- 13 :
- >>12
その後の氏真がな・・・
- 14 :
- このスレ、第二次河東一乱のことだね
義元ってけっこう強かったんだな
- 15 :
- >>14
義元は太原雪斎の存命中は相当強かった
狐橋の戦いで氏康を破り、小豆坂の戦いで信長パパを下してる
信玄が義元存命中の駿河に攻め込まなかったのは親戚だからじゃない
諏訪頼重は親戚だが弱いと見るや即座に攻め込んでブッしてる
それに比べれば氏康はザコ
河越野戦でも扇谷勢に苦戦し、山内勢を追撃できず逃がしてしまった
- 16 :
- >>11
>>島津、伊達
プッ戦勝捏造王だから無理だろw
- 17 :
- 臼井城の戦い(うすいじょうのたたかい)は、戦国時代の永禄9年(1566年)に後北条氏と上杉氏の間で起きた戦闘。
上杉氏は常陸国へ出兵して、再び小田城に入った小田氏治を降伏させるなど積極的に攻勢をかける。また、里見氏が後北条氏に追い詰められていたため、
これを救援すべく下総国にまで奥深く進出、千葉氏の拠点である臼井城に攻め寄せた。だが城自体を陥落寸前まで追い詰めたものの、
原胤貞より指揮を受け継いだ軍師・白井入道浄三の知謀や、のちにこの戦いでの活躍を赤鬼と畏怖されるようになる松田康郷の武勇によって大きな打撃を受け、上杉軍は敗走した。
上杉方の戦死者は5千人以上ともいわれ、当時軍神と恐れられていた謙信にとっては、歴史的大敗であった。
- 18 :
- 善徳寺の会盟で体育館裏に呼び出された一年生氏康くんは
上級生の信玄くん義元くんに締められて心を入れ替えて改心することを誓った
- 19 :
- 最初はまだ氏康を叩いているからいいがその内義元厨が義元なら軽く天下を取れたと言い出す
そして有りもしない戦功を持ち出し捏造を繰り返し何としても義元最強を認めさせようとする
- 20 :
- >>1
馬鹿なの?
結局は取られてたのを取り返した。 つまりマイナスをゼロに戻しただけのことジャン。
氏康より強いんなら初めから取られてんじゃねーよ。
- 21 :
- 取ったのは氏綱
氏綱>義元>氏康
- 22 :
- 奇襲をかけて勝つのが氏康
奇襲を受けて死ぬのが義元
どっちが優秀か論ずるまでも無いだろ。
- 23 :
- つまり氏綱が最強でいいんじゃね
- 24 :
- 氏綱父さん、戦いは意外にやり手なんだよな。
それで方々に敵作るだけ作って急死とか、そりゃ氏康くんはびびっただろう。
- 25 :
- 義元は桶狭間の相手が悪すぎただけ
パパに英才教育を受け、村の若者と交わってリーダーシップを磨き、マムシの道三の兵略を学んだ天才が信長
頼みの綱の太原雪斎も決戦の時は寿命で亡くなっていなかった
一方の氏康は田舎のザコとしか戦ってない
父祖代々からの河東の地を義元に奪われた氏康の負け
- 26 :
- 氏綱父さんって鷹の件や絵画の件で
武田信虎や長尾為景に土下座外交してた人ですよね。
- 27 :
- そりゃ信虎と為景相手じゃ話にならん
糞スレかと思ったが氏綱世代を語るなら良スレな予感
- 28 :
- >>25
氏康が義元の立場だったら桶狭間であんな無様な死に方してないだろうな。
普通に尾張を領国化して一旦駿府に帰還してるだろう。
- 29 :
- 桶狭間は必然だと思っていないので
普通は義元の立場に誰がなったとしても死ぬことは無い。
普通にって…
一回の戦いで尾張一国を領国化できる戦国大名がいたとは思えない。
- 30 :
- 水野氏をそのままにして、尾張に攻め込むことから考えると義元の焦りぶりが伺えるな。
今川方の前線がそれだけ危機に瀕していた証拠。永禄3年の軍事行動はあくまで東尾張を固める程度さ
- 31 :
- >>26
いい話悪い話スレの内容そのまま信じてる馬鹿がまだいるのか。
- 32 :
- 政治家としても武将としても
義元>氏康
義元は織田信秀・信長という強敵と長年互角に戦った
氏康は関東でザコを虐めてただけで謙信や信玄が攻めてきたらことごとく逃げてた
- 33 :
- >>32
この手の釣りもさすがにもう何も釣れんでしょうに。
- 34 :
- 釣りって
どう見ても義元のが格上でしょ。
- 35 :
- 雪斎>氏康>義元
- 36 :
- >>32
信秀がカスだったかもしれないし信長も後に負けまくってる
関東の諸将を義元が蹴散らせる保証もない
よってあなたの意見はただの妄想になります
- 37 :
- 織田信秀って守護代の家来でありながら実力で尾張を纏め上げ、
マムシの斉藤道三にも一目置かれてた猛将だろ
三河の松平なんか信秀にフルボッコされて今川に泣き付いてるし
信秀がカスなんて歴史知らない人の意見だよ
よって義元は間違いなくけっこう強い
信長>義元>氏康
- 38 :
- 三河すら取れなかったヘタレ信秀が強いwww
- 39 :
- >>38
信秀は三河捕れそうだったが義元が松平の肩もって立ちはだかったんだろ
勉強しろオマエw
目的のためには手段を選ばない信玄が義元存命中は駿河を一度も攻めなかった
それだけ義元は強かったんだよ
- 40 :
- >>39
お前も勉強したほうがいいよ
信秀が負けた戦いは今川軍は雪斎が主将だよ
義元が強いというより、雪斎が強いんだよ
それと義元存命中は駿河を攻めなかったのは、信濃侵攻中だったからだよ
誰も知ってる基本だと思うのだが
- 41 :
- >>39
捕れそうとか妄想乙www坊主に軽くひねられ松平のガキを誘拐、ところが一族があっさり捕まり誘拐した子を泣く泣く返す羽目にw
有数の商業地を持ってるのに道三に負け雪斎に負け色々負の遺産を残したヘタレ
信長が狂乱をしてたのもひとえに信秀のヘタレぶりが情けなくて見てられなかったんだろうwww
- 42 :
- 信長自身もある意味義元の事を武将として尊敬はしてたみたいだぞ。
義元から結構学んだ事もあったみたいだ。
寄親・寄子制度なんかは大いに模範にしたみたいだ。
あと東海地方で鉄砲を本格的に実践で使ったのは信長ではなく義元なんだぜ。
それを見て信長は鉄砲を大量に購入したんだぞ。
だから義元の軍制を信長は独自に改良して強兵を作り上げたとも言える
- 43 :
- ヘタレキャラ扱いすんじゃねええ!
- 44 :
- >>40
雪斎という優秀な軍師が義元に仕え続けたのは義元の人望だろ
竹中半兵衛みたく優秀な人材は、主人が無能と思えば主人を見捨てて裏切る
それに義元は河東一乱で自ら指揮をとって勝利してる
政治家としても武将としても優秀だよ
>>41
主張したいことあるなら、まず冷静になってくれ
それから書き込んでちょ
- 45 :
- >>44
河東一乱を義元が自ら指揮したというソースは?
そもそも花蔵の乱も、河東地域の北条に対抗するために武田と結ぶのも
雪斎がしたのに、河東一乱だけ雪斎が何もしないわけないでしょ
仮に義元が指揮してたとしても、側には雪斎が居て間接指揮してたのは
想像に易い
- 46 :
- 義元は直接指揮、雪斎は間接と自分で認めているように思うが
- 47 :
- 流石今川厨は捏造マンセー大好きだな
- 48 :
- >>47
義元に嫉妬してるんだね
わかるよ
- 49 :
- >>48
ただのコピペ?です
そりゃ義元→氏真で違いがはっきりしてるから義元が名将ってのはわかるさ
- 50 :
- >>49
親が立派だからといって子も立派とは限らんよ
オレもその一人
- 51 :
- 義元も信長も最期は油断してるところを襲われて死んだってとこは同じだな。
ただ義元は戦場で鎧甲冑に陣羽織姿で武将としての最後としてはかなってるが
信長はお寺で寝巻き姿で自刃だからねぇ・・・・
- 52 :
- 後北条が地元なので、氏康の方が上と言いたいが、自分も総合的には義元の方が
上だと思う。
>>39
信秀ねぇ。
清康じいさんに手も足も出なかったんじゃなかったけか?
弱い時の松平と比べるのは、逆に織田を貶めているとしかみえんが・・・。
- 53 :
- 義元そんな優秀かな?
家督継いでから戦死するまで終始西方の弱小勢力相手にしてただけだし、氏康みたいに巨大な敵を
撃破したことないじゃん。
しかも立て続けに戦争続けて遠江と三河の地元勢力に大きな負担かけ続けてたから
義元死んだら駿河以外の領土が一気に離れて行ったし。
- 54 :
- 義元は外交手腕はあったかもね。武田などと組んで北条に対峙したり、
松平を取り込んでいったり等々
ただ、戦となるとあまり強いイメージが無い。駿東を北条に奪われ、
小豆坂では信秀に破れ、桶狭間では兵力でかなり優位にあったのに、
むしろ油断してしまう結果に。
- 55 :
- >>53
自分で答えを言ってないか?
義元が死んだら、今川が一気に下降したって事は、それだけ優秀だったって事
だよね。
まあ、戦上手かと言えば、>>54の言う様に外交手腕が択一していたんではない
かと。
あと、別に氏康が優秀じゃないって言うわけではないよ。
河越夜戦(本当に夜戦があったかは自分的には疑問視しているけど)の勝ち戦
は実力でしょう。
それよりとーちゃんの方が凄すぎると言うか、継承している部分をどうしても
マイナスしちゃうんだよねぇ。
後北条の基を作ったのはとーちゃんでしょ。
>>54
油断して負けたって言うのは、最近否定されてきているよね。
実際どう言った戦いだったのか、見てみたい気がする。
- 56 :
- >>55
でも氏康は自分の死後も信玄や謙信相手にびくともしない磐石な体制を築いてた点で義元より遥かに上だし
義元だって氏規の地盤を引き継いだからこそある程度までいけたんだと思うけどな。
- 57 :
- 義元の場合、どうしても雪斎の存在の大きさが際立つ
- 58 :
- >>56
氏康が体制を築いたのではなく、とーちゃんが築いたんじゃないか?
税収にしても、軍規にしても。盤石にしたのは氏康かもしれないけど。
まあ、その為に軍の進軍が遅いのが氏直の時に響いている気がしないでもないけど。
氏規じゃなくて、氏親じゃないっけ?
まあ、それはいいとして、義元の場合には家督争いしているからねぇ。
それでも今川って言う家柄は武器にはなったんだろうと思う。
ちなみに自分は義元好きではなく、氏綱好きなので、実は後北条贔屓だった
りする。
- 59 :
- 氏康の場合、全般的に水準以上の人だし致命的な欠点とか失策ってのが無い大きいんじゃないかな。
義元も勢力拡大のスピードは実は凄いんだけど北条に簡単に駿東取られたり
桶狭間で負けたりとか割と脆い部分が目立つんだよね。
まあ優秀な戦国大名でも命からがら逃げたってことはよくある話だけど死んでしまってはね。
桶狭間でも先鋒は順調に勝ち続けてたんだよ。
それが本陣突かれてそのまま死ぬってのは戦としては最悪なわけで。
義元は戦に関しては基本的な部分から能力的に問題があったのかもしれない。
総大将を重臣に任せて自分は駿府で後方支援してたほうが上手くいったんじゃないかな。
- 60 :
- 以前は、義元と信長は、ベジータとクリリンくらいの差があったと考えられてたが、
最近の研究では、意外にもベジータと悟空くらいの差しかなかった
つまり、桶狭間は交通事故ではなかった
- 61 :
- 義元が氏綱に河東地域を一時的に奪われたには、義元がまだ幼かった頃の話
老練な氏綱にしてやられたのはマイナス点にならない
北条の当主が氏康に代わると義元は外交・軍事的手腕の高さを見せ付ける
武蔵・扇谷上杉家の上杉朝定や上野・山内上杉家の上杉憲政と同盟して
氏康を挟み撃ちにし、奪われていた河東地域を奪還した
河東地域は北条早雲から代々の北条家の領地。つまり氏康は自分が当主の時点
では自分の領土だっ地域を奪われた情けない戦国大名ということになる
戦国で名将と言われる信長・秀吉・信玄・謙信・元就・義元・氏康の中で
もとの領土を失ったんは氏康ただ一人
これが氏康が信長・秀吉・信玄・謙信に比べて高く評価されない一因
- 62 :
- >>61
>戦国で名将と言われる信長・秀吉・信玄・謙信・元就・義元・氏康の中で
もとの領土を失ったんは氏康ただ一人
これが氏康が信長・秀吉・信玄・謙信に比べて高く評価されない一因
これはさすがに強引過ぎるし不勉強としかいいようがない。
100万石超の大名にとっての駿東5万石程度どうでもいいレベル。
信玄だって信濃北端部は謙信に取られたまま終わったし謙信も最終的には
西上野20万石を信玄に取られたままだった。
元就も北九州は最後は奪われて死んだし。
伊達政宗や長宗我部元親や島津義久に至っては大減封。
戦国大名なんて優秀な当主だって領土取ったり取られたりってのは日常茶飯事。
駿東取られたからマイナスってのは揚げ足取りでしかない。
- 63 :
- 氏康は氏綱とーちゃんから引き継いだ状況が苦しかったから息子に同じ想いさせたくなかったんじゃないか
義元だって奇襲なんかで死ななきゃちゃんと碁盤固めてたと思うけど
信長も信忠に譲って信長一人死んでもあまり支障のない体制にしてたし
政宗の親父の輝宗もかなり穏やかな状況で息子に譲ってるし ちと早いが
基本大名は適齢になれば跡継ぎの為に地盤固めると思うけどね 信玄謙信はともかく
そもそも義元はまだ脂ののってる歳だし奇襲で死ぬなんて予想出来ないから仕方ないんじゃないかな
氏真が駄目なのはその後でよくわかるけど
- 64 :
- 優秀といわれる武将は駆け出しの頃はともかく、大勢力になって万単位の軍を率いるときは
常に自身の命が危なくなるような戦いはあまりしてない。
勝った時はもちろん、負けて退くときも多少の損害は出ても本陣は粛々と引いていく。
それをだね、圧倒的大軍で進行しながら本陣だけでも敵の倍の兵力を有し山上に陣取りながら
あっけなく討ち取られるってのは戦国大名失格としか言い様がないわけで、
何のための本隊五千人だと。 斥候くらい十分に出しておけと。
酒盛りするまえに直属揮下の統率くらい取っとけってことだろ。
滅亡覚悟の戦ならともかく、余裕勝ちの戦で不慮の戦死って時点でせいぜい陶晴賢レベルだな。
あと信長は全く別ね。 信長は別に光秀と合戦するつもりではなかったわけだから。
- 65 :
- そもそも本能寺の時の信長の軍なんてたかが知れてるじゃん
しかも自分の領地内だし比べるのもおかしいかと
まあ義元を中心にまとまってた今川と氏真を中心にまとまってた今川じゃ天と地だな
- 66 :
- 義元が死んだのは太原雪斎のせい。
- 67 :
- >>63
それはあるかもなぁ。
とーちゃん死んだら、いきなり大事だもんね。
それを切り抜けられる器量も、運もあったと言うのは間違いないと思う。
氏真は、典型的な猪武者って感じだよなぁ。
政局が見えていなかったとしか思えない。
>>64
言いたい事は解るが、その解釈は義元の戦方面の才能しかみていないんじゃないか?
優秀と言われている武将は、戦術面だけではなく、戦略面でも長けているもの。
まあ、みんな桶狭間で台無しになっている気がしないでもないけど。
だからこそ、歴史に残る事になったのかもね。
- 68 :
- そう言えば、桶狭間の時の信長軍は、義元の軍勢とほぼ同数だったとの見方も
あるけど、どうなんだろうね。
本当なら恐るべき尾張と言う土地柄。
まあ、スレ違いか。
- 69 :
- >>67
簡単なことだよ。 氏康は戦略、戦術ともに並以上だったけど義元は戦術はさっぱりだったってこと。
この時点で氏康と義元のどっちがトータルで優秀かは決定的。
更に言えば戦術面で能力無くても自分がそれに気付いてれば危険を冒さないからずいぶんマシなんだよ。
でも義元さんの場合それも分かってなかったから勝てる戦を戦死という最悪の結果にさせてしまった。
敵を知り己を知れば、ってやつの真逆をやっちゃったらまあ負けるよな。
- 70 :
- うーん、それって結果論に近い様な。
- 71 :
- >>69
だから義元は戦国時代では稀に見る鉄砲をいち早く実践で取り入れて
本格的に使用した武将だぞ?
信長はそれを見て自分も鉄砲を大量に購入したんだと何度言えば分かる。
義元は戦術的にも決して劣った武将などではない。
桶狭間は本当に不幸な不慮の事故みたいなもんなんだ・・・・
- 72 :
- >>71
新兵器の鉄砲あったのに戦死しました。って、それ余計に無能を強調してるようなもんじゃん。
ハードウェアなんてのは時代とともにすぐに広まるんだからしばらくすれば
鉄砲なんて戦国大名の標準装備状態になったじゃん。
だいたいハードに頼って勝てるのは最初のうちだけ。 義元が本軍に鉄砲を集中配備して
それで織田軍を撃退したとか言うのなら見事なもんだけど、あいにく当日は雨だったらしいしね。
いずれにせよ戦が仕事の戦国大名が奇襲であれ討ち死にしたこと自体が不慮の事故で済むようなもんじゃない。
だいたい勉強や仕事でミスして不幸でした。で許されないだろ?
無法の戦国の世なんて特に結果が総ての世界だよ。
- 73 :
- うーん、戦死したからってのを前提に結論を出しているように見えるのは自分
だけか?
それに結果だけで言ったら、家康以外は無能ということに・・・。
- 74 :
- しかし仮に桶狭間で死なないで尾張併呑したらどうすんのかね
大内義隆の例もあるから稲葉山に攻めかかる事もせんだろうし血縁利用して伊勢かね
ただ三好と戦うには兵力足りないだろうし尾張を併呑しにきただけじゃないかなぁ
- 75 :
- 三好は黙ってても滅びるだろ。ずっと松永と内戦状態だし
- 76 :
- 国境付近の安定が目的ってのが最近言われて来ているよね。
安定させて、小勢力をどんどん併合していくってのが、政治面、外交面の強い
義元の真骨頂かも。
桶狭間も、デモストレーションのひとつだったんではないかと。
まあ、死んじゃったけどね。
- 77 :
- >>74
名門てのは家柄を大いに利用してハプスブルク帝国みたいに婚姻戦略で勢力広げる事ができるからねw
信長みたいに家柄にコンプ持ってる大名は自力で勢力広げて力で捻じ伏せなきゃ
ならないんだろうけど。
まぁ義元なら機内を平定したら信長なんかよりも武力を使わずに幕府開けただろうし
周辺の大名も従ってきたんじゃないの?
- 78 :
- >>77
ただ婚姻戦略で勢力拡大した場合って必然的に直轄領が増えづらいから宗主家の力が不安定になりがちなんだよね。
室町幕府や豊臣政権みたいな感じで後で血みどろのゴタゴタになりやすくて。
信長みたいに片っ端から潰してったほうがその時は死人がたくさん出るけど政権的には安定しやすい。
- 79 :
- >>78
>>信長みたいに片っ端から潰してったほうがその時は死人がたくさん出るけど政権的には安定しやすい。
この論点こそ奇怪。
「武力だけでとった政権」ほどもろいのは歴史家の常識。
信長政権は裏切りの連続だぞ。安国寺にももろさを露見された。
どこが安定しているのか?
- 80 :
- >>79
信長の採ったいわゆる覇道というのは過激で過酷な処置だから最初は至る所で反発を招く。
でも大勢力が存在しないことで各反発を根気強く潰していくことで確実に強固な統治体制を作れる。
前漢が呉楚七国の乱、清朝が三藩の乱で地方の大勢力を駆逐したことで全盛期を現出したのが
これらの好例といえる。
それと欧州の各国が中世から近世に移行するときに起こった絶対王政も諸侯の力を大幅に削いで
王家に国家の力を集中させることにより非効率な封建制度から近代国家へと進歩することができた。
特にモザイク状に諸侯が分立して長らくハプスブルク家の影響下に置かれてきたドイツ地方が
プロイセン王国によって統一されドイツ帝国が成立したことにより急激に国家の力を増大したことも
権力集中化によるものだといえる。
信長が覇道の最中に本能寺で倒れた真の理由は今となっては光秀にしか解らんことだ。
信長の光秀に対する対応に不備があったのかもしれないし光秀に全く別の野心があったのかもしれない。
ただ、信長の統一事業の方針自体は日本を近代化させるという意味ではまさに当然の方策であり
少なくとも豊臣政権のように大国が多数並立し、形式的にのみそれらが結束しているというような
脆弱なものでないことであるのは確実だといえる。
- 81 :
- 信長の論議はここでするものでは無いんじゃね?
そう言うやり方もあるって事でいいかと。
- 82 :
- >>78
秀吉や家康は片っ端から武力使わなくても、ある程度まで勢力を大きくして
それでほぼ従えてきたわけだが・・・。
武力は要所要所で使えばそれでいいんだよ。
頭が良い人間は武力だけでモノを言わせたりせず、あらゆるモノの力を
利用して勢力を広げるもんだ
- 83 :
- 結局、信長があれほどまでに勢力を広げたのに、武田や本願寺や毛利や上杉が
徹底して信長に抵抗したか。
理由は一つ、自分よりも格下の家柄としてしか見てなかったからだよ。
要するに織田家如きに何で俺が!って事だよ、幾ら血で血を洗う戦国時代でも
権力や権威ってのも大いに認められる要素だったのは確実。
もし仮に今川義元が本能寺寸前の信長と同じ勢力なんかを作ったら
それこそ本願寺も毛利も武田も上杉も軍門に下っただろうな。
義元もとっくに征夷大将軍に任命されてるだろうし。
- 84 :
- そもそも中国に国人という存在はない
- 85 :
- スレタイきめええええええええええええええええええええええええええええええ
勇次郎厨かよ
- 86 :
- >>83
武田、上杉、毛利の徹底抗戦こそ新時代を切り開く新興勢力に潰される旧勢力の象徴だよ。
現に武田は徹底抗戦どころか無様な自己崩壊を起こし、上杉も本能寺が無ければ確実に根絶やしにされてたろうし
毛利もせいぜい小諸侯として存続できればマシな程度だ。
征夷大将軍だの太政大臣だの関白だの関東管領だの旧来の制度にとらわれている限り
いくら大勢力であろうと時代に取り残されて哀れな末路をたどるしかない。
- 87 :
- どんだけ美化してんだよ
信長だって旧権力の官位もらったりしてんじゃんw
- 88 :
- >>87
最後は右大臣返上して無官だったじゃん。
- 89 :
- まーた信長厨が暴れてるのか
いい加減にしてくれ
スレタイも読めんのか
- 90 :
- 結局、義元が桶狭間で信長を討って上京しても征夷大将軍になれたのかな?
将軍家の権威を高めようと頑張ってた足利義輝が征夷大将軍を返上して義元に継がせる訳ないし。
それでも義元としては天下に号令をかけたい。力がないのに権威がある。力があるのに権威がない。
この2人がうまくいくわけがない。
信長と義昭と同じような構図で陰謀戦が始まるだけっぽい。
結局、義元が下手に上京しちゃうと戦国時代が長引いただけでしょ。
- 91 :
- 黙って義元を将軍にしなさい!
- 92 :
- >>69
河東一乱は、奇襲でも突発的でもない。
戦いの前に、お互い時間をかけて準備をしたガRの戦い。
義元と氏康のどっちがトータルで優秀かは結果がでているよ。
- 93 :
- >>92
ごめん、何が言いたいのか分からない。
- 94 :
- すまん。
天文14年は、戦いの前から義元と氏康の関係が悪化していて
第三者による和平工作が行なわれていた。
交渉決裂の結果、義元と氏康が出陣して戦いとなった。
義元は、交渉決裂を見越して、関東や武田と連絡をとる戦術をとっている。
氏康も、勝つための裏工作をしなければならなかったのに、
出陣した時すでに不利な状態に陥って駿東を明け渡すこととなった。
同じ時間があったのに戦術で遅れをとっている。
- 95 :
- >90
征夷大将軍になる事が目的ではないでしょう。
真の始皇帝型ではなく文王的な将軍を補佐し政治を司ることを目的とした上洛。
始皇帝型をもくろんだのは信長だけでしょうね。。
- 96 :
- 北条にとって駿東がどういう存在だったのかを考えてみると、興国寺城といった
北条氏のスタート地点があるとはいえ伊豆、小田原を抑えた後になっては
戦略的に大した意味もなく、国力に大きく貢献するほどの土地でもなく
むしろ領有することによって今川氏をいたずらに刺激するだけになる厄介な土地だったのかもしれない。
一時占領したのは今川に対する示威行動のようなもんで、氏康としても駿東を死守して
いつまでも関東勢力以外と敵対し続けるのは有効でないと思ったのかもしれないな。
- 97 :
- 関東人の自分としては、伊豆の人間に支配されるという事実が、生理的に受け付けない
- 98 :
- 伊豆と言うか他国の凶徒だし。
関東管領から報告されてしまい
幕府に悪事がバレて
縁を切られて
氏名も堂々と名乗れないほどの
悪事を関東でやってた
伊勢ハゲタカ金貸し商会は。。。
- 99 :
- 流れ者の伊勢一味に100年間負け続けた関東土豪ってどれだけクズ揃いなんだよ。
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