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2011年10月1期セピア昔、一度だけ行った場所
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まだまだ心は昭和
思い出に残るドリフ 〜いかりや長介氏に捧ぐ〜
昔、一度だけ行った場所
- 1 :04/04/29 〜 最終レス :11/06/18
- 子供の頃一度だけ、俺のはとことかいう兄弟と会ったんだ。
そしてものすごく巨大な団地に行った。
高いコンクリートの壁の谷間で、俺たちは大はしゃぎで遊んだ。
なぜだか俺たち以外の人間がいた記憶がない。まるでその団地は、俺たちだけのために用意された遊び場みたいだった。
階段を駆け上がったり、下水道に潜ったり……あっという間に日は暮れた。
一晩だけおばあちゃんちに泊まって、次の日には俺たちは別れた。以来二度と会ってない。
あの日、行った場所がどこだったのか、俺は随分経ってから親に訊いてみた。
でももちろん覚えてはいなかった。ばあちゃんちの周囲は一面田んぼが広がっていて、
あんな団地があるような場所じゃない。子供だけでそんな遠くまで行けるはずが無かったのに……。
今でもあの無人のコンクリート群に俺たちの声だけが響いていたのを覚えてる。
たった一度しか行かなかったのに、妙に心に残ってる……そんな場所。
そこがどこだったか思い出せなくてもOKです。
そこで会った人とか、経験したこと。風景のこと。
そんなことを語りましょう。
- 2 :
- 漫画とかにありがちだけど、小学生の頃近所の大通りを歩いていたら
見たことない細道があった。
通って、そこを出たら小さい公園があった。
ブランコ・砂場・滑り台だけしかなかった気がする。
そこで同い年位の女の子にあって、一緒に遊んで、門限がきたので別れた。
次の日行ってみたら公園がない。小一時間は探した。けど見つからなかった。
マジな話。
すんげぇ不思議だ。
確か一緒に遊んだ女の子は隣の町の小学校に通ってるとか言ってたなぁ。
- 3 :
- >>2
同じ体験をしたことがある。しかも16歳頃、高校生時代。
自転車通学でなんとなくいつも通る道を一本手前で曲がってみたら、まったく観た事もない町並みに出てしまった。
正確には町というより古い村のような景色。関東地方なのに、まるで沖縄にでも来たみたいに低い石垣と植え込みが
あって、どの家も木造藁葺き屋根だった。しばらく行けば元の道に通じる曲がる道がきっとあるだろうと思い、そのまま
進んでみると、古い神社の境内にうっすらと光る提灯と盆踊りのやぐらがあった。でも誰もいなかった。
ふと気づくと、最初に曲がってから神社に着くまでの間にも誰一人も見掛けなかったことが急に怖くなって、そのまま
急いで最初に曲がった馴染みの道まで戻った。
それからしばらくして、その道の先を観てみたくて曲がった道を探したけれど、結局見つからなかった。
実話。
- 4 :
- 夏休み婆さんの家に行った。すぐ裏に公園があるんだが狭いし既に遊び飽きてた。
そういえば、かなり奥の方にもうひとつでかい公園があったのを思い出し、一人では行ってはいけないと言う親との約束を
破り無断で、ソノ公園に遊びに行ってしまった。
そこは白い象さんの形の滑り台があって、勝手に象公園と呼んでいた。そこで、キックベースをやってた男の子たちに
混ぜてもらい遊んだ。本当に、楽しかった。
俺のたまたまの活躍で、俺たちチームが勝利して一緒に遊んだ子達に「明日も、頼むぜ」と言われたが明日は、帰る日だった。
が、言い出せずに明日公園での集合時間まで、約束してしまった。
名前も聞かず、住んでるところも聞かなかったけど、大昔からの友人のように遊べた。
でも、約束破って悪いことしたな。
- 5 :
- ある・・・知ってる土地なはずなのに、見たことが無い風景が広がっていた事。
よくフェンスとか大きなブロック塀をよじ登り、知らない場所へ行ってた。
でも何度も行くうちに道も覚えたり、その風景も詳しくなっていった。
でも、ある日いつもと同じようにして来たのになんかおかしかった。
見た事も無いアパート(団地?)が並び、その中にあった、
物静かで日の当らない公園に辿りついた。もちろん初めて見る。1人でブランコに、
乗った記憶がある。でも静かすぎて恐くなって帰っちゃったね。そんで、それっきり。
何度行っても、公園とかないし、私の見た風景って一体なんなんやろう??
もう1つの場所は2回行った事が有るけど消えてた。初めて行って、また行ったら無くなってた。
時が大分経って行って見たら、なんかまた偶然あった!知ってる場所からは想像できひんような、
風景が広がってたのを覚えてる。道が横に斜めになってたり、階段があるけど、
幅が狭すぎて上れなかったり、ぐるぐるとカーブだらけだったり・・・
・・・かなり不思議な場所だった。引っ越してしまったが、まだあるんかな?ってか実在するんか??
- 6 :
- 良スレハケーン。みんな読み応えアルーヨ。
土地勘悪いボキは、大人になった今でもちょくちょくトワイライトゾヌに紛れ込むが。。。
- 7 :
- 意外とオカルトちっくな話ばかりだな……面白いけど。
- 8 :
- 家族共々だけど、大好きだった3歳上のいとこの姉ちゃんと大阪の花博に一緒に行った。 夜には京都の旅館の誰もいない部屋で、たくさんチューしたり、オパーイやあそこを触り合ったりした。 当時中1。
- 9 :
- てすと
- 10 :
- 昔、幼稚園に通ってたときに課外学習みたいなので
男女、手を繋ぎ先生を先頭にクラス全員で道路を並んで歩いて、
今じゃ殆ど見られなくなった様な小川が横にある草だらけの原っぱで
シロツメグサの冠をつくったりままごとや鬼ごっこをして
半日遊んだ。そこへ行ったのはただ一度だけでそれから数日も
たたないある日、そこへ行く道は通行止めの看板でふさがれ
みるみるうちにその先は高速道路に整備され、原っぱも無くなってしまった。
今じゃ昔遊んでたような空き地みたいなとこも住宅やら店が立ち並んで
ずいぶん変わってしまったなぁ〜・・・
どんどん見慣れた景色が変わっていく・・・悲しいね。
- 11 :
- 九州の田舎の方場所
県境の近くに保育園だか小学一年だかで遠足でいった森
もう一度行きたいけどハッキリした場所がわからない。
大きな森の中に大きな池(っても半径5Mくらいかな)
コンクリートで固められた学校で鯉飼ってるような感じの池
ちょうど『となりのトトロ』に出てきたトトロの寝ていたような場所
小さな水神様の社があったような気がする
今でも印象だけは残ってるけど場所がわからない‥
いや、場所の検討は大体ついてるんだけどそこに行くまでの道がわからない
そこに入っていくための道がないんだな‥あの山だってのは大体見当つくんだけど‥
- 12 :
- (((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
- 13 :
- もっと聞かせて。
- 14 :
- かなり前のレスだよ・・・
- 15 :
- 東京タワー 子供の頃、家族で一度だけ行った。大人になって東京タワー見るたびにその時の事を思い出す。ちなみに自分の子供は千葉ポートタワーによく連れて行きます。@千葉在住
- 16 :
- 母方の実家の町田の通称「戦車道路」と言われてた所。
そこから雑木林に入ってカブトムシやクワガタをたくさん採ったけど
戦車道路なんてもうないだろうな。
- 17 :
- 誰か書いてよ 揚げ
- 18 :
- http://w3land.mlit.go.jp/cgi-bin/WebGIS2/WF_AirTop.cgi?DT=n&IT=p
おまいら、ここで探してみたらどう?
- 19 :
- >>16
町田の戦車道路はまだありますよ。ただ、当時の姿かどうかはわか
りませんが。
- 20 :
- age
- 21 :
- >>19
名前だけでも残ってるならそこがオレのセピア、、、
報告ありがとう
あれから25年かー
- 22 :
- age
- 23 :
- スマン
>>1を読んだら何故か涙が出てきた(´・ω・`)
>>1と同じような景色を断片的にしか思い出せない自分が悔しいよ
- 24 :
- このスレいいね
- 25 :
- 人
(_)
(__)
( ・∀・)つ ー♪
(( (⊃ (⌒) ))
(__ノ
人
(_)
(__) ー♪
(・∀・ )__
(( ⊂⊂ _)
(__ノ ̄ 彡
人
(_)
(__) ー♪
(・∀・ ∩ ))
(( (⊃ 丿
(__)し'
- 26 :
- >>1
俺も同じような思い出あるよ
あと昔いった海もどこだったんだろう?
今も毎年海にいくけど違う場所だった
- 27 :
- タンク山
- 28 :
- あげ
- 29 :
- 俺が小学2年の時に他界した じーちゃん。
余命が僅かになった頃、お袋は入院先である福島県まで5時間電車に揺られて幼稚園生だった俺を連れて向かった。
福島はお袋の実家だったので親戚も多く、病院近くには叔母の家があったので暫くそこにお世話になることになった。
それからは叔母とお袋は交代で1ヶ月くらい泊り込みで看病をし、俺はその間、叔母の家で3つ年上の従兄弟と過ごしてた。
幼少の頃の記憶なのでどれも断片的にしか思い出すことが出来ない。
しかし引込み思案な俺と違って行動派の従兄弟との遊びは刺激的で、驚きと好奇心がそそられる毎日だったことをよく憶えている。
大人になったある日、お袋の実家へ一人で向かう機会があった。帰りは少し時間に余裕があったので、その頃の記憶を頼りに今は亡き叔母の家に行ってみることにした。
特に理由は無いのだが、興味というか懐かしさの様なものだろうと思う。
憶えているのは町の名前だけ。当然すんなり辿り着けるわけも無く、堂々巡りを続けていると突然目に飛び込んできた用水路。正しくドジョウを捕って遊んだ用水路だった。
車をゆっくり走らせると断片的だった風景の記憶が完成間近のパズルのようにどんどん繋がっていった。
そしてその先にあったのは、叔母の家があった場所だった。建物こそ変わっていたが風景、匂い、耳に響く列車の音、全てが当時のままだった。
車から降り、懐かしさのあまり周りを見渡すと、次に飛び込んできたのは、道路を挟んで反対側にあった10台ほど停められる駐車場だった。その駐車場を見た瞬間、膝がガクガク震えた。
その駐車場は、胴体が青のプラスチック、翼が薄い発泡スチロールで出来ている1機30円の飛行機を散々飛ばした場所なのだが、すっかり記憶から消えていた場所だった。
ただ、時々夢に出てくる場所なので、自分の脳が作り出した妄想の世界だと思っていた場所だった。
夢でだけ訪れる場所が、現実の記憶として繋がった瞬間、今は亡き温かい人達のとの記憶が一気に蘇り、溢れる涙を堪えることが出来なかった。
たった一度、一ヶ月過ごした場所なのに、切ないくらい懐かしい…そんな不思議な場所。
きっとその時過ごした時間の密度が濃かったのだろうと思う。
- 30 :
- 谷津遊園のネッシーが忘れられない。
楽しかった
- 31 :
- 遠い親戚の法事。東京の下町の狭いお寺で、長椅子に座ってお経聞いた。墓なんて1M四方もなかった。
その後、激ウマの天丼食って、喫茶店にいった。
その後、天丼屋はかの大黒家(屋?)と判明。つまり、浅草。
だけど、あの狭いお寺とお墓は未だ判明せず。
- 32 :
- >>18 に行ってみた・・・
昔の俺んちが写ってた、小学校も、今は住宅になってしまった池も・・・
- 33 :
- あげ
- 34 :
- 幼稚園にあがる前だったかな。
親にいつも「あまり遠くまで出かけるな」て言われてたもんだから、
普段は絶対に通らない道ほど、魅力的だったんだよな・・・
ある日思い切って、住んでたアパートの裏側から伸びる路地を歩いてみた。
なぜか、大切にしていたガンダムのプラモを持って。
まっすぐに伸びる道の右側には駄菓子屋があって、小学生がたくさんいて怖かった。
左側には氷屋があって、のこぎりを引くような音がまた怖かった。
しばらく歩くと、男の子が1人で遊んでた。
その子が手に持っていたおもちゃはマクロスのプラモだった。
マクロスのプラモが喉から手が出る程欲しかったのに、なかなか買って貰えなかった俺は、
それを持っている子だから仲良くしよう、という思いだけでその子に話しかけた。
年はたぶん俺より1つか2つ上、ちょっとお兄ちゃんて感じに映った。
ひとしきり遊んだあと、また遊ぼうねとガンダムとマクロスのプラモを交換した。
ちょっと暗くなってしまってから帰宅した俺は、親にもの凄い勢いで叱られた。
また叱られるのが嫌で、しばらく裏路地へ行けなかった。
1週間?1ヶ月?どれくらいの期間行かなかったのかおぼえてないけど、また裏路地に。
プラモを交換した男の子がいないどころか、全然景色が違っていた。
道を間違えたかなと思ってぐるぐるまわってみたけど、氷屋も駄菓子屋も無い。
日を改めて何度も何度も行ってみたけど、やっぱり無い。あの景色はどこにも無かった。
男の子も、見つけられなかった。
確かに交換したプラモは手に持っていたのに、あの場所は・・・いまだにわからん。
- 35 :
- あげ
- 36 :
- 保守
- 37 :
- 東京デズニーランド
- 38 :
- 山
- 39 :
- 現実世界ではないが夢の中で知らない場所に行くことはありますよね。
最近の夢で富山の高岡に自分がいる夢を見た。
高岡は通ったことはあるが街中を歩いた経験は無い。
夢の中の高岡の風景は夏の日の曇った午後って感じだった。
道路の横の空き地で30歳位の眼鏡をかけたおっさんと話をした。
あのおっさんは現実世界の知り合いではなく夢の中だけに存在した人だ。
もしかしたら現実世界でどこかですれ違った人だったのだろうか。
とにかくあの場所にはもう行けないし、あのおっさんと話をすることも二度とないな。
- 40 :
- すんごい良スレ。
私はそういう経験ないけど、似たようなのがあった。
当時5歳ぐらい。いつも行く、遊具のない小さい広場。
そこで同い年くらいの女の子にあって、一緒に遊んだり、お喋りしたり、地面に絵を描いたりしていた。
そして最後、別れるときに楕円形の布製シールをもらった。私はそのシールをいつも見れるようにと、キティちゃん自転車のカゴに張った。
あれから何度か広場に行ったけど、もうその子とは2度と会うことは無かった。あの子は何だったんだろう。
自転車なんかあれから何回も乗り換えたのにそのシールは未だにカゴに張ってある。
- 41 :
- 只今31歳。小田急の電車には100回以上乗った(祖父母の家が生田にある関係で)が、
狛江市内に降り立った経験は1回しかない。
あれは4歳か5歳のときだった。祖父が俺を散歩に誘い出して、
普段は準急 or 急行で通りかかるだけだった和泉多摩川駅で降りて、川べりを歩いた。
今ではその辺りの景色はがらりと変わってしまったなー。
- 42 :
- >>39
夢の中で一度だけ行ったことがあるといえば、俺の場合は札幌市。
本州在住で北海道には一度も行ったことないのだが、
夢が始まったときには時計台前にいた。
JRの青春18きっぷを使う旅で、そろそろ本州に帰ろうということで、
何時の電車に乗れば村上発の「ムーンライトえちご」に間に合うのかと
時間を気にしながらウロウロする自分がいた。
- 43 :
- >>42の補足。
「えちご」は現在は新潟始発だけど、夢を見た当時は村上始発だった。
- 44 :
- >>42
新潟在住の俺が来ましたよ
- 45 :
- 中学一年の頃。
自転車でそこら辺を冒険していたら、見慣れない畑。というより草原だったのかもしれない。
自分の家の近くに、こんなに緑の香りが有るとはと、感動していた。
しばらく適当に進むと、木で出来た店が有った。
どんな店だったかは忘れたけれど、出入り口付近にタルが置いてあった。中には見慣れない妙な物がたくさん有った。
なんでこんなでかい畑に、こんな店があるんだ?と不思議に思った。入ろうとも思ったけどやめておいた。
今でもたまにそこら辺に行く。草原は普通に見つかるのだが、どこを探しても店は見つからない。本当に一面が緑のようなところで、辺りを見回せば店なんかすぐに見つかると思うのだが。
うーむ。
- 46 :
- 良スレage
- 47 :
- 船橋センター
- 48 :
- 小学校低学年くらいだったときのこと。
はじめて姉と二人だけで近所にあった自然公園に行ったとき、
その公園内で行われている自然観察ツアーというものに参加した。
普段は自然保護の為立ち入り禁止されている場所にツアー指導者とともに進入し、自然を間近で観察する、というものだ。
当時住んでいた場所はどちらかというと都市に近いほうで、自然を感じることが少なかった為、ツアーに参加するときは喜んで参加していた。
その日ももちろん参加したのだが、なぜか参加者が姉と私と指導者の三人しかいなかった。
参加者が自分達しかいないということに開放感があり、いつもなら他人のペースにあわせて観察をしていたのだが、そのときは自分達のペースで観察を楽しめるということでワクワクしていた。
そして三人で観察を続けているうちに、指導者が手招きをして呼んだ。
見ると、とても珍しいらしい蝶が飛んでいた。
種類名や色の感じは記憶がおぼろでよくわからないが、その蝶はなにか特別なオーラを漂わせているようで綺麗だったと思う。
するとその蝶は、公園の奥のほうへ飛んでいってしまった。
残念がっていたが、指導者はその飛んでいったほうへ私たちを連れていってくれた。
そして、いつもは観察ツアーでも入ることを禁じられている道へと入ることが出来た。
その奥はいっそう自然が深まっている感じで、その奥に先ほどの蝶を見つけることができた。
指導者はその蝶についていろいろ教えてくれたが、もう観察時間が無くなり入り口へ戻ることになった。
それ以来、ツアーに参加してもその道の奥に行くことはなかった。
あの時だけに蝶に連れられて入ることのできた、秘密の道だった。
- 49 :
- ダムになる直前の村。
- 50 :
- 東京都八王子市にある東京手の外科・スポーツ医学研究所(高月整形外科)
は手術件数が年間2000件以上の大病院です。しかし、ベッド数が20床以上
あるにもかかわらず診療所のままで病院申請をせずに規制の緩和を狙ってい
ます。(診療所は病院より自由が利く)
さらに隣に美季形成外科が建っていますが、二つの建物は内部でつながっ
ており、実質は一つの病院として機能しています。東京手の外科・スポーツ
医学研究所で手術をした患者さんが美季形成外科へ術後にそのまま入院する
ことはよくあります。また二つの病院の二階部分は完全につながっており、
行き来は自由です。
また東京手の外科・スポーツ医学研究所で診察を受けレントゲンを撮りに
いくと美季形成外科(廊下はつながっている)でレントゲンを撮ってくるこ
とになります。
当直も東京手の外科・スポーツ医学研究所の当直医が美季形成外科の当直
にも実質は対応しており、表面上は別の病院である美季形成外科は入院患者
さんがいるにもかかわらず当直医はいないことになります。
また外来の看護婦は一人しか居らず、残りは臨床検査技師や看護助手です。
(職員の名札を見れば確認できます)
外来は非常に込んでおり、臨床検査技師等が資格以外の業務を行っており、
そのことは混雑具合と看護婦の数から確認は容易です。ひどい場合は事務職
員が医療業務を手伝っていることすらあります。
さらに東京手の外科・スポーツ医学研究所は常勤医が三人以上にもかかわ
らず、薬剤師を置いていません。
さらに院長の診察の際は患者を隣の人の話が丸聞こえの状態でカーテン一枚
の仕切りすら作らず「知識を共有するため」というプライバシー無視の違法
診察現場が目撃できます。
これだけの不正がある病院を放置しといて問題ないのでしょうか。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~bbm29938/
- 51 :
- 豊川稲荷
- 52 :
- 保守
- 53 :
- 廃墟の鉱山街。朽ち果てたアパート群やら、巨大な工場、学校なんかが不気味に残ってた。
- 54 :
- 母の友人のアパートに9歳くらいのとき一度だけ遊びに行った。
そこには年上の男の子と年下の男の子の二人がいて、俺は彼らとファミコンとかやった。
それから数ヶ月後、アパートには誰も居なくて、母はその友人と連絡が取れなくなった。
後から聞いた話では、その友人の夫が多額の借金をしていたそうでウチの母は食べ物(米やお菓子)を送ってたらしい。
今はどうしてるんだろう?
- 55 :
- 小学校低学年の頃、父方の祖父母が住む団地へ家族で行くことになった。
路面電車を降りて、長く続く一本道を延々と歩く。
まだ幼かった自分の足には相当な距離に感じた。
途中には、左手に某高校の校舎、右手にはグラウンドがあった。
かなりの距離(と感じた)を歩き、ようやく団地の入り口付近にたどり着くと
そこに一人の老人が座っていた。
今思えば体の不自由な人だったのか・・・少し人間離れしたような姿形に恐怖心を抱いた。
その老人の前を通過しないことには団地内に入れないのだが
自分は怖くて怖くて母親の足元にすがりつき、もう行きたくないと泣いていた。
その日以降も、祖父母宅へ行く機会は何度かあったが、その老人に会うことはなかった。
それでも幼心に抱いた恐怖心は簡単には抜け切れず、大きなトラウマになってしまい
大人になった今でもその場所へ足を踏み入れられないでいる。
- 56 :
- 鬼ケ淵ってとこ
90度に曲がった幅が広く深い川で見てるだけで恐かった。もう一度行ってみたいけど何処なのか全く思い出せない
- 57 :
- 保守
- 58 :
- age
- 59 :
- 廃墟のような展望台。
あれはどこだったんだろう?
- 60 :
- 茨城県ひたちなか市
- 61 :
- 昔からよく親類で福島に法事等で泊まりがけで行った物です。
大体泊まる場所は岳温泉街と決まってたのだけど、幼稚園に入る前だったかな。
いつもとは毛色の違う、というかお寺みたいな旅館に泊まった事があった。
何を食べたとか温泉はあったとかは全く覚えてないのだが、妙に覚えてるのは
夕飯時に和室の宴会場で同世代の親類と遊んだ事、朝起きたら新緑が眩しかった事、
古銭が額縁に入れられて飾られてた事ぐらい。あれは何処だったんだろう。
…もう二十数年前の話。
- 62 :
- 2週間前の話だがチャリで運転してたら見知らぬ商店街にでた。
家からチャリで20分くらいのとこ。
昨日行ったらなんで見つからないかわからないが、本当に気持ち悪いw
- 63 :
- 幼稚園に通う前かな〜〜
母親と近所のダムのあたりを散歩してたんだよ。歩いてたら、資材置き場のような感じの、崖を掘って作ったような倉庫を見つけたのさ。その倉庫
は入り口に鉄格子がつけられていて中に入れなかった。しばらくボーっとその中を見ていたら、倉庫の闇の中から、ヌ〜って戦闘機の尾翼みたいなのが現れたんだよ。尾翼には数字が書いてあった。
でもその尾翼はすぐに闇に消えていったな〜。
それから数年。倉庫があったと思われるところを探してみたけど、そんな物があった形跡すらなかった・・・
あの尾翼はなんだったんだ?
- 64 :
- といっても行ったのは6年前でそれほど昔ではない
その時は靴やら服やらが球場入り口から通路まで販売されてて
そこで中学進学の為に色々買い込んでおこうという事で爺ちゃんについて行った
グランドに続く門は閉じられていて入ることは出来なかった
自分はいつか入ってみたいと思ってたんだけど競輪の試合で入れたんだな、つい最近知った
球場内に入ったのはあれが最初で最後になってしまった
取り壊し発表から数年経って最近ふと思い立って行ったら広大な更地しかなかった
後悔の念に駆られたけれどもなんだかあの時行った球場の雰囲気は残っていたような気がした
阪急ブレーブスのことはよく知らないけどブレーブスの最後の年に生まれた自分も、今春から大学生
入ったのは一度だけだけど思い出すとまだきれいに思い浮かんでくる
- 65 :
- ごめんなさい何故か場所が抜けてた
『西宮球場』です
- 66 :
- 小学生の頃の夏、よその県まで連れて行かれて、海で花火を見て
帰りに親戚だという人達の、妙にだだっ広いリビングで
ピザをご馳走になりながらデカイTVで七つの海のティコを見てた記憶がある
プールサイドにありそうなデカイ椅子が幾つかあって、遊んでたけど怒られなかった
成金にありそうなゴテゴテしい装飾とかは何故かまったく無くて、非常に居心地が良かった
一人も見た事が無い顔だったし、明らかに生活水準が違っていたけど
いい人達だったのを覚えている
ああいう家に住んでみたいなぁとずっと憧れてたけど、親に聞いてみようと思ったら
名前どころか住んでいる町さえ覚えていない事に気づいた
あの椅子欲しいなぁ
- 67 :
- もっとこういう体験読みたいな
- 68 :
- 小学生のとき、新潟県の湯沢でバカ殿に追いかけられた。
なんかのイベントだったらしい。
「マジメなだけが人生じゃないよ、旦那」といわれた。
- 69 :
- うつくしま未来博
あの頃が最高に面白かった
- 70 :
-
- 71 :
- 僕の最も古い記憶の中の一つ。30年以上前だ。3才位だと思う。
場所は多分、新潟にある父方に実家から旅行した出雲崎か寺泊。もしくは
別の時に旅行した軽井沢かも知れない。
夜、僕は未舗装の砂利道に坂を下へ向かって駆け下りている。周りは林が
広がっている。道の両端は水路の様になっており、水が流れていたと思う。
そして、辺り一面にホタルが飛んでいる。
瞼の裏に今も焼きつく、最も美しい光景の一つ。
- 72 :
- 摩周湖はグッドだった
- 73 :
- 上京したての頃、俺は五反田に住んでいたんだけど、暇だからよく目的を
持たずに色んな所を散歩していたんだよ。
そして、いつものようなかなり長い間歩き回っていると、長い川があった。
その川の両端は休めたり出来る歩道の様になっており、俺もベンチに座り
一時間ぐらい川やその周りにあるビルなどを眺めてたんだけど、凄い落ち着いた。
その後、そこに行こうと思っても行けないうちに、地元に戻ってしまった。
- 74 :
- >1
田舎に、突如出現する大団地・・・
「東洋団地」というのがそうでしたが・・・
- 75 :
- 麻布中学校・高等学校。ま、長い人生のたった6年だが。
- 76 :
- 箱根山荘
- 77 :
- ドリームランド
- 78 :
- 恐山
怖い場所と思っていたが、不気味さはなく何とも言えない不思議な雰囲気の場所だった。
宇曽利湖の蒼さが美しかった。
- 79 :
- アゼルバイジャン
- 80 :
- 猫岳
- 81 :
- 杉沢村
- 82 :
- 猫鼻温泉。
水害で基礎流出+源泉枯渇。
さらにアクセスする道まで廃道になったのでもう二度と復活する事はないでしょう。
- 83 :
- 猫招き伝説を有する麓
- 84 :
- 小学2年の1年間だけ広島に住んでたことがある。
かなり忘却の彼方になってしまっているけど
思い出したら何か書いてみよう。
- 85 :
- ミミズク山と宝森
- 86 :
- 小学生の低学年の頃だったかな?夏休みに父親と3つ上の姉とでドライブがてら 八つ墓村のモデルとなった地へ行った
- 87 :
- 岡山の貝尾じゃねえか!
- 88 :
- ジェイソン村
- 89 :
- 甲賀ファミリーランド
- 90 :
- 精神病院
- 91 :
- 座間味島
- 92 :
- 箱入り娘の館
- 93 :
- 古い火葬場
- 94 :
- 東京ディズニーランド
1度で十分だわな。記憶にないけど。
- 95 :
- 甲賀の里
- 96 :
- 後楽園球場
- 97 :
- 神戸の丘
- 98 :
- 茨城の花園
なんか嫌な雰囲気がした。
- 99 :
- 鴨川シーワールド
- 100read 1read
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