1read 100read
2011年10月1期セピア【喧嘩】兄弟との思い出【絆】 TOP カテ一覧 スレ一覧 削除依頼
・ 次のスレ
きもい糞教師or良い先生に言われた言葉
小学生の時、どんなブリーフを穿いていた
1984〜1988
私立小学校の思い出


【喧嘩】兄弟との思い出【絆】


1 :07/01/08 〜 最終レス :11/08/05
兄弟との思い出ありませんか?
兄弟喧嘩から笑い話まで何でもどうぞ。

2 :

3 :
あげ

4 :
うちは俺と妹二人の3人兄妹ということもあって
口げんか程度しかなかったなあ。特に下の妹とは
結構年も離れていたし。でも一度だけ上の妹を
殴ったことがあった。確かお菓子の取り合いか
なんかのくだらない事が原因だったけど殴ってしまった
あとすっげえ後悔した。いまでも夢に出てくるくらいだ。
当然妹も憶えてるだろうなあ。ごめんよ、兄ちゃんが悪かった。

5 :
俺には兄貴が一人いるんだけど、兄貴が上京するとき、家族皆で見送りをしたんだけど、俺だけ行かなかった。ただなんとなく面倒臭かったから。
でも、がらんとした兄貴の部屋を見るたびに、なんであの時見送りしなかったんだろうと後悔したよ。

6 :
>>4
異性の兄弟がいないからよく分かんないんだけど、成長してくるとあんま会話とかしなくなるの?

7 :


8 :
兄弟いないので語れません。

9 :
>>4
いい兄妹だな。
俺も妹いたけど、小学校のときはガチでけんかしてたぞ。
2学年違いだけど、妹は気が強く体も大きかったので張り合ってた。
高学年になると、身長体重抜かされてケンかをしても力負け。
プライドずたずただったよ。

10 :
>>6
家族関係にもよるだろうけどな。俺の場合は10代の頃までは
妹と言うのは正直ウザイだけだったからあんまり会話は無かった。
進学・就職で家を出てからはあんまり実家に帰らなかったけど
たまに帰って顔を合わせるとなんか普通に友達とするような
感覚で会話するようになった。まあお互いが大人になっただけ
なのかもしれないけどね。

11 :
>>10
そうか。異性だと腹割って話すってことはあんまないのかな。

12 :
正月は離れていた兄弟と会ったりした?

13 :
俺の兄貴は六才も離れているのに子供の頃はケンカばかりしていたが、小六の
時兄貴がバイクを買ってきて乗せてって言ったら乗せてくれた。
休みの日に河川敷に行って練習させてもらったり、ウイリーの練習中にバク転
したり(バイクはMTX50R)した。
兄貴が大学に行く時にMTX置いていくから好きに乗れと(250を買ったので)言った
ので、親が借りてる駐車場で乗り回してたら誰かに密告され中学校の担任に
7時間怒られた。
あれから20年、兄貴はいまだに中免で原二のスクーターで俺は大型取ったけど
同じく原二スクーターにのってます。
今も度々酒を飲むほどの仲良しです。

14 :
良スレあげ

15 :
実は幻の兄弟がいた。
母親が妊娠中毒症だったので、兄は生まれてからすぐに亡くなり、真岡のおじいちゃんの墓に埋めた。遺骨は現在も墓に埋まっている。
兄がいたとしたら、私より重度の障害者だったのかも。弟が兄の面倒を見なくちゃならなかったかな。
面倒見切れず、非常に強いストレスとなり、リストカットをして自分の手首を傷付け、嫌がる兄の手首をわざと傷付けていたかな。.

16 :


17 :


18 :
兄に何年間かお年玉をもらっていたことがある。
兄は6歳年上でバイト代をお年玉に当ててくれていた。
もらったとき、正直すごく悲しかった。
兄ちゃんは一番身近な人だったはずなのに、その頃はバイトと学校が忙しくて
あまり家にも帰ってこないし、寂しかった。
そこにお年玉なんて貰って、いよいよ兄は「はたらくひと」になってしまったんだと思った。
自分とは違う「おとな」だと思ったら、兄はどんどん離れていく気がした。
6年の差がこんなに大きいなんて思わなかったなぁ
正月早々隠れて泣いてた。

19 :
兄弟からお年玉貰うと、なんかしみじみするよね

20 :
あげ

21 :


22 :
兄が大嫌いなオレがあげ!

23 :
俺には兄がいる。
ちなみに親父の周忌は俺の年齢と同じ。
ガキの頃よく喧嘩して泣かされたもんだ。
ゲームの順番から漫画の取り合い、全部泣かされて負けた。
学生時代成績も良くリーダーシップもある兄。
週2回は職員室に呼び出される正反対な俺。
俺はなにも考えてなかったが兄は俺の親父になったつもりでもあったらしい。
その度俺はぶん殴られて兄は俺の尻拭いしてた。
周りからの期待と重責でちょっと壊れちゃった時もあったが
3歳しか離れてないのにしたい事我慢して
バカな弟面倒見て頑張ってたんだもんなぁ。
弟はなにも考えず学生時代好きなことしてましたよ・・。
今じゃ立派な家庭もって幸せそうで良かった。
ガキの頃を思うとあなたには頭があがりません。
面と向かっては言えないのでこの場を借りてありがとうと言わせて下さい。
あんたは俺の親父であり兄だよ。ガキの頃散々迷惑かけてごめん。有難う。

24 :
俺にも2つ上の兄貴がいる。
運動神経0、成績も悪いピザデブの俺と違って兄貴は勉強も出来たし、ユーモアもあった。
そんな兄貴に俺はいつも馬鹿にされてた。
それでも俺は兄貴が大好きだった。何でもできる兄貴は俺の目標であり、ヒーローだった。
兄貴が高校3年の時、兄貴
は学校にいかなくなった。別に不良とかそういうんでもない。『行けなくなった』
原因はイジメだったらしいが詳しい事はわからん。

25 :
続き
兄貴は部屋に篭るようになった。いわゆる『ひきもり』ってやつ。
俺が学校から帰ってきて、兄貴の部屋をそっと覗くと、そこには薄暗い部屋の隅でぶるぶる震える兄貴の姿があった。
俺は急に怖くなった。今までの兄貴はどこにいったんだろうって。
俺にはどうすることも出来なかった。心のどこかで「あれは兄貴じゃない。」って否定してたのかも知れない。俺にとって兄貴はどこまでもかっこいい男だったから。
家族もまさか自分の家の子がひきもりになるなんて思ってなくて、家中パニックだった。

26 :
続き
ひきもりは5年以上続いたよ。その間、診療内科にも通ってだいぶよくなってきた。
その頃には家族もこれは病気なんだ。だからきっと治るんだって思うようになった。
俺もありのままの兄貴を受け入れていた。
そんな時、今まで外にも出たがらなかった兄貴が急に働きたいと言い出した。皆びっくりしたよ。
それからすぐに車の免許をとって、自分で仕事見つけてきた。小さい町工場での仕事だったけど、ほんとに楽しそうだった。
今の俺の夢は兄貴と二人で働くこと。いつになるかわならないけど、それまで頑張って行きたいと思う。

27 :

いい話なだけにひきもりが気になる

28 :
×ひきもり
○ひきこもり
すみません

29 :
俺の兄は6歳上だから、小さいときからすごくかわいがってくれていた。
俺をかばってくれたことも何度もあった。
小坊のとき、家のガラスを割ってしまい、震えて泣いている俺に
「俺がやったことにしろ、お前は何も言うな」っていって
親父が帰ってきたとき、兄が罪を告白しにいった。
当時、我が家のお仕置きはケツたたきが主で悪いことをすると竹の棒で
尻をなぐられていた。俺はこれが怖くて泣いていたのだ。
兄は俺の代わりに尻を殴られた。
家の中でボールを蹴って割ったことになっていたので
を下ろして20回くらい叩かれていた。
俺は隣の部屋で音を聞きながら泣いていた。
兄が戻ってきたとき、兄の目にも涙が浮かんでいたけど
声を出して泣くことはなかった。
俺は兄に抱きついて泣いてしまった。
父は俺がやったことをそのときわかったらしいが、兄に免じて俺へのお仕置きは
なかった。
兄は俺に恨み言ひとつもなく、ただ痛てーと尻をさすって俺に笑いかけた。

30 :
私は3人姉妹の長女。
小さい頃はその立場を利用して妹達に面倒を押しつけたり
親に叱られたときは妹達のせいにしてきた最低の姉でした。
貧しい家なので欲しい物も買ってもらえず、妹の髪は私が、私の髪は母が切っていました。
下の妹とは6才違いで、私にとって妹は子供でわがままでとても面倒な存在でした。
そんな妹も大きくなり就職し家を出て2年がすぎた頃、姉二人を差し置いてできちゃった結婚しました。
出産の為、里帰りしてきた妹と2年ぶりの束の間の生活がはじまり、知らないうちに妹の方が大人になっている事に気付かされました。
無事に子供も産まれ退院の日、ベットの片隅に小さい布の袋が置いてありました。
なんとなく見覚えのある薄汚れた袋には[お守り]と刺繍してありました。
「昔、遠足の前の日に、おねーちゃんが作ってくれたじゃん」と。 中には折り畳んだ紙が入っているけどお守りはあけちゃダメだからって言われたから開けてないと。
服も靴もかばんもみんなお下がりばかりで、遠足に行く妹。文句一つ言わずに、それでも喜んで出掛けて行ったね。お守りを持って…        
新品に身を包み、それでも文句ばかり言っていた、
そんな私があの頃も、今も、一番わがままだったのだと、一番子供だったのだと思います。

31 :
イイハナシダナー

32 :
俺は三人兄弟の末っ子で、一番上の兄とは4歳、真ん中の姉とは3歳離れていた。
姉とは口喧嘩しかしなかったが、兄とは殴り合いの喧嘩ばかりしていた。
当然、子供の頃の4歳の差は如何ともし難く、まともな殴り合いで勝った事は
一度も無かった。
兄貴は中学に入って、柔道をやり始め、県下でもトップクラスの強豪として
知られる程になり、高校生とも対等以上に渡り合える実力を身に付けたが、
それでも、回数こそ減ったが俺との殴り合いの喧嘩が無くなる事は無かった。
中学生の癖に握力が70sを超えている化け物兄貴だったので殴られたり、
蹴られたりで重度の打ち身が出来ることはざらだった。
(生まれつき、体は丈夫だったので骨が折れることは無かった)
俺は悔しくて、小学6年生から柔道を始めた。中学に入学後の初めての公式戦では
一年生だけの個人戦ではあるが優勝もできた。だが、それでも高校に進学と同時に
柔道をやめた兄には柔道でも喧嘩でも勝てなかった。生まれつき持った身体能力が違いすぎた。
ある程度は努力で埋められるが、瞬発力は生まれた時点で個人個人で上限が決められる。
薄々、気が付いてはいたが、兄貴は運動に関しては天才と呼んでも問題ない運動神経や
身体能力を持っていた。
事実、柔道以外の別の運動部でも県下の強豪が集まっていた学校で、其々の分野に打ち込んだ
人間たちと競っても競り勝っていたと、兄貴の担任をしていた教師が言っていた。
一例を挙げるなら、野球の練習を全くしていない癖に、134qの玉を中学三年の時点で
投げたらしい。
俺ははっきり言って、不器用な方だったので一つの事にトコトン打ち込んでやっと成績を
残せるような人間だった。唯一、兄を上回っているのは体格位だったが、身体能力に差が
ある為、プラスマイナスではむしろマイナスだった。
悔しかった。本当に悔しかった。

33 :
続き
俺は練習した。強くなりたい一心で県内の合同合宿では同年代ではなく、稽古をつけに
来てくれた高校生や大学生とばかりやっていた。当然、全く歯が立たなかったが。
まあ、その甲斐もあり俺も県の強化指定選手に選ばれる位にはなった。
その頃にはお互い殴り合いの喧嘩はしなくなっていた。変わりに数ヶ月に一回柔道で
勝負をしていた。俺は一度も勝てなかったが、引き分けること位は出来るようになり、
もう一息で勝てる手応えを感じていた。
だが、兄貴は高校を卒業後に就職をして実家を離れた為、俺は結局一度も勝てないままだった。
ずっと俺は勝てないままなのかと思った。
しかし、母が兄貴は向こうでも柔道の道場に通っていると俺に告げた。確かに兄貴の柔道着が
家から消えていた。
まだ、終わりじゃない。次に戦う時こそ勝ってやる。
そう思った時に初めて大会で優勝するより、兄貴に勝つことの方が目標になっている事に気が付いた。
そして、月日は流れ俺が高校二年生になった時に機会は訪れた。
場所は中学校の道場。兄貴がお盆休みで帰郷しており、俺と二人で後輩たちに稽古をつけに
行き、その練習が終わった後に、審判は俺たち兄弟共通の柔道の師匠で試合を行った。
就職しており、仕事の合間に練習している人間と、毎日部活で夜遅くまで練習している人間
では、その差自体が大きなハンデだ。それでも試合は互角だった。
全国大会への出場を大会の最後に争うレベルだった俺は圧倒できる自信があったが、差は無に等しかった。
結局、試合は一瞬の隙を付いて投げて、ポイントを取った俺の優勢勝ちだった。
初めて勝ったにも関わらず、俺は実感を持てずにいたら、兄貴が近づいてきた。
兄貴は笑っていた。そして一言「強くなったな。」と俺に言った。
その時初めて、実感を持てた。泣きはしなかったが胸に来るものがあった。
俺は改めて「有難うございました。」と兄貴に言った。兄貴は「俺如きに手こずるなんて、まだまだだな」と
か照れ臭そうに言っていた。
その時、初めて俺の兄弟がこの兄貴で良かったと思った。俺が強くなれたのもこの人がいたからこそだと。
それ以来、わだかまりの様なものが無くなった所為か、親や姉にも「お前ら双子みたいだな」と言われる程、
打ち解けた。喧嘩するほど仲が良いってのは本当かもなと、俺は思った。
実を言うと、俺は兄貴に勝つまで兄を「兄さん」と呼んでいたが、勝ってから「兄貴」と呼び始めた。
理由は誰にも言っていないが、尊敬の意を込めて「兄貴」と呼んでいる。貴は「貴い」の貴だから。
まあ、本人には言わないけどな。調子に乗るから。
以上、長文失礼した。

34 :
私と姉は8歳年が離れている。私は小さいときからお姉ちゃんみたいになりたいと思っていた。
姉は中学から私立に通った。私はいつも姉の真似っこばかりしていた。
私は頭が良くなかったけど、どうしても姉の通っていた女子校に行きたくて中学受験をした。
今は結婚して東京に行ってしまったけど、たまに家に帰ってくる時は
一緒にお風呂に入るくらい仲良し。姉は今でも私の憧れ。

35 :


36 :
携帯唐揚げ

37 :
私には弟と妹が居る。
リーダー格の弟、明るくてしっかりものの妹、まぬけで家事だけが取り柄の長女(私)。
よく喧嘩した。高校生になってもしてた。
朝の洗顔&ドライヤーを使う順番だとか、お風呂や電話(子供には携帯のない時代)の順番なんかで。
ほんとつまらないことばかり。翌日には忘れて、また同じようなことで喧嘩する。
こたつに背の高い3人がぎゅうぎゅうに入ってて、「もっとそっち寄ってよ!」とか。
趣味も性格もバラバラの3人で、一緒にどこかに遊びに出かけるってことはなかったけど、
家に居るときはいつも3人でしゃべってた気がする。
一人が電話してようが本読んでようが同じ部屋に固まってた。
夜、寝ようと思うんだけど一人がしゃべりだしたら止まらなくって、
結局寒い中布団をそれぞれかぶって、3人が同じ部屋に集まって、結局夜更かしして話込む、
なんてことが多かった。(そして寝不足のまま学校へ)
馬鹿話もしたし、一人の悩み(人間関係、進路、恋愛)を、なんでも3人で話してた気がする。
親が離婚でゴタゴタしていたので、小さい頃の私達は幼稚園にも通えずいつも家に3人で居た。
親戚に預けられたり住むところを点々としたので、幼いときの友達の記憶がない。いつも3人だった。
親(大人)は信用できないけれど、3人は家族だ!って気持ちが強かったんだと思う。
私達が全員成人した頃、一家離散のような形になり、「実家」というものがなくなった。
今、家庭を持った弟、職に就いた私と妹はそれぞれ別の街で暮らしている。
自立した私達は、もう一緒に住む事もないんだろう。
一人の部屋で風呂に入るとき、もう風呂の順番で喧嘩したりすることないんだなー、と思うと
馬鹿みたいだけど、毎回ちょっと泣く。

38 :
なんかいいスレ

39 :
>>37
いい話だねぇ。
兄弟っていいねぇ。

40 :
小さい頃はほんのささいな事で毎日のように喧嘩し
年頃になるとお互いにあまり干渉しなくなり
大人になるとよい相談相手になる。
兄弟ってそんなもの。

41 :
>>37
私も妹達と喧嘩しながら、暮らしていた時の事を
考えると懐かしくてきゅんときます。
もう生活を共にする事はないんだよね。

42 :
俺も兄貴が上京したから今はなんか寂しい。
春から俺も関東に行くから会えるようになるけど。
将来は兄弟で会社でもやりたいという夢がある。まぁ俺一人の勝手な夢だけど。

43 :
私には3つ歳が離れた兄がいる。子供の頃は親に叱られると、蔵に鍵を掛けて反省するまで閉じ込められるのが定番だった。
ある寒い冬の夜、私は悪戯をして蔵に閉じ込められていた。暗くて心細くて大泣きしていたら「助けにきたよ」と親に内緒で兄ちゃん登場。
しかし、子供の身長では鍵の位置が高すぎるため開けることが出来なかった。

44 :
続き
外の気温は既に氷点下。
相当寒かったろうし、当時兄は物凄く体が弱かったのだが、兄ちゃんが私を見捨てることはなかった。
扉一枚隔てた場所で
「助けられなくてゴメンな。泣きやむまでここにいるけんね?兄ちゃんと一緒に家に帰ろな?そしたら一緒にドラゴンボール観ような?」
と親が兄を発見し、私を蔵から出すまで一緒に居てくれたのを覚えてる。
長文ゴメソ

45 :
蔵の扉を開けると、そこにはガラスの破片で手首を切り刻んでいるギンコがいた。
床にはギンコの真っ赤な血が滴っていました。手首はすごく寂しかったためか、ものすごく深い傷があちこちに。
親は慌ててギンコを病院に連れて行き、傷を縫ってもらった。「何故こんな馬鹿なことをしたの?もう少しであなたが出血多量で
死んでしまうところだったよ。」と叱られた。だが、その後もギンコは剃刀で手首を傷つけた。

46 :
あげ

47 :
>>44の「ドラゴンボール観ような?」に感動しますた(泣)。
後半スレチっぽいけど漏れの兄弟の話。
漏れの兄弟は姉、俺、妹、妹、弟の五人兄弟。
中学生までどこに行くもつきまとっていた俺に「ついてくんな!」と怒鳴っていた1つ上の姉貴。
つきまとわなくなった今でも「尻でかい」とからかうとマジギレして頭を蹴ってきた姉貴。
8歳年下の妹、10歳年下の弟に必死になって「兄貴って呼べな!」と教育(笑)した俺を
二人と一緒になって「兄貴、兄貴」と姉なのにも関わらずそう呼び始めた天然な姉貴。
友達があまりいない(たぶん姉も重々承知)俺のことを、自分の同級生にためらいもなく弟だと周りに吹聴し
「兄貴、結構2年生で知名度高いよ〜」と顔を売ってくれた姉貴(ちなみに同じ高校)。
最近ではお互い大人になったのか、友達感覚で接してくれてる。
本当にいい姉貴だと思う。ありがとう。
姉貴は今高校2年生で、来年は進学の為に必死になる時期。
この前「卒業したら沖縄に行く」とか言ってたからおそらく家を出て行くつもりだろう。
ふと浅はかな考えだけど、高校入ってからエレキギターを始めた俺は旅立つ前の日に歌をプレゼントをしたいと思った。
曲は姉貴が薦めてくれて今では大ファンになった{BUMP OF CHICKEN}のにしようと思ってる。
このスレにBUMPファンが居たら、どの曲が良いか見積もってクレマイカo(゚д゚o≡o゚д゚)o
構成が下手糞で長い上にスレ違いですまそorz。。。

48 :
天体観測とかでいいんじゃね?
むしろそれしかできない

49 :
>>48
エレキだから?
それとも他の曲が一年で弾くには難しいとか?o(゚д゚o
一応「バイバイサンキュー」「fire sigh」らへんで迷ってる
スレチsage;

50 :
>>45
ギンコさん、リストカットはダメだよ。現在も傷跡は残っているだろ?
家族や友人や職場の人が悲しむよ。信用を無くすよ。全然いいことはない。
第一、剃刀なんかでやったら傷跡が後々残るんだ。
切ったら血も出るし。血を見ると落ち着くの?
切りたい気持ちは分かる。でもやめろ。

51 :
医者になればいいんじゃね?

52 :


53 :
>>47
「ダンデライオン」と「K」くらいしかしらないが、どちらもすごい好きな曲。

54 :
このスレ好きなんだが、セピアだと人少ないな

55 :
>>54
だがそれがいい。
25年ほど前の小学生の頃、同級生と遊んでいた俺にずっと付いてきて、
にいちゃん、にいちゃん言ってたのを邪魔に感じて、膝蹴りくらわせて
泣かしてすまんかった・・・・

56 :
妹がいる。
子供のころはいつもけんかばかりしていて、泣かせていた思い出しかない。
その妹が嫁に行く事になって、結婚式の前日に
「あたしの会社の人が、式でお兄ちゃん見れるって楽しみにしてた」
「?…なんで、お前の会社の人が俺のこと知ってんの?」
「あたし、会社でよくお兄ちゃんの話してたからw」
「ふ〜ん」と平静を装いつつ、部屋に閉じこもってギャンギャン泣いた。
なぜか思い出すのは子供のころの事ばかり。
あんなに泣かせてばかりいたのに、兄らしい事など一つもしてなかったのに
おまえは、他人様に俺の話をしていてくれましたか!
もっと可愛がってやればよかった。もっと大事にしてやればよかった。
もう、そんな思いがどんどん溢れててしまって、ひたすら泣いてた。
家を出て行く朝、妹の最後の言葉。
「お母さんをよろしくね。大事にしてやってね。」
がんばります

57 :
>>56
披露宴で新婦よりもよく泣く兄貴は結構多い

58 :
56ウラヤマシス
おれなんか妹の旦那がボッそっと兄貴いるのー?って妹に聞いてるのが
偶然耳に入って泣けた。

59 :
いい話だね(T−T)

60 :
>>58
どういう意味なんだろうね・・・(T−T)

61 :
>>56
銀河系が泣いた

62 :
>>48>>53
マジレスありがとう。
とりあえずアルバムのスコア集めてみる

63 :
春…別れの季節

64 :
あげ

65 :


66 :


67 :
あげ

68 :


69 :


70 :
あげ

71 :
兄妹もあり?

72 :
ありだぜ

73 :


74 :


75 :


76 :


77 :
おれが幼稚園。弟がまだ3歳くらいのころ。
ビーズ(小さい玉)を弟の前で隠して、
「どーこだ?」っつって遊んでた。
(手の中に握って、どっちの手に入ってるかとか、そんなレベル)
そのうち、まだ幼い(って自分も幼いんだが)弟を驚かしてやろう
と考えてるときに閃いた!
『鼻の穴に隠そう!』
そしておれは、こそっと鼻の穴にビーズを突っ込み
「どーこだ?」
さすがに弟も分からないようで、困っている。
『よしよし、困っとるな。種明かししたるか。』と思い
ビーズを取り出そうと鼻に指を突っ込んだが、
取れねぇ!むしろ奥に入って行く!
触れば触るほど奥に入っていき、ますますドツボにはまるおれ。
いよいよやばくなり、横で見ていた母に訴える。
母の「お医者さんに行って取ってもらわないとね」
の言葉に、怖くなって泣き出すおれ。号泣。
あぁ、このままおれの鼻はどうなってしまうのかと
絶望の淵に立たされたそのとき。
鼻水と一緒にビーズが流れ出てきたのであった。
あの時の安堵感と弟の笑顔は忘れない。

78 :
ついでにもう一つ思い出した。
小学生のころ、ファミコンで「燃えろ!プロ野球」ってのがあった。
(通称「燃えプロ」。知ってる人は知ってると思うけど、
強打者だとバントでもホームランが出ると言う、
とんでもゲームであったw)
その「燃えプロ」を弟と対戦しているとき。
巨人に黒人の「サンチェス」っつーピッチャーがいた。
そいつでプレーしていたら弟が画面に向かって叫んだ。
「クロマティがピッチャーしてる!」
そこでおれは反論した。
「アホか。クロマティはピッチャーしない。サンチェスって書いてあるやろ」
弟「違う。クロマティや!だって黒いもん」
そう、ヤツは黒い人は全員クロマティと思っていたのだ。
黒=クロマティ。
「クロ」っつー響きもあったんやろうなー。
おれは違うもんは違うと言い、
弟はクロマティと言い張りケンカになったw
我ながらアホな兄弟であった…。

79 :
>>77
よう俺

80 :
私は良く喧嘩する兄が居ますがいじめられた時兄がその子を殴りに行ってくれた時は嬉しかったな〜♪

81 :
>>77
今読んだ。
仕事中なのに噴いた。
上司から疑念の眼差しで睨まれている。

82 :
俺を悪ガキに売った兄貴は最悪

83 :
>>77
似たようなことが俺も経験あるw俺の場合は銀玉鉄砲の弾を
耳の中に入れて取れなくなっちゃったってやつだけど。

84 :


85 :
中学から寮に入った兄。
入寮の前日、兄の荷物の中にこっそり貯めてたお年玉入れておいた。
総額5万。
・・・出来れば今返して欲しい。

86 :
ひでぇw

87 :
喧嘩中継
http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=240028

88 :
昔はなにかと遊んでたけど、今は空気。むしろ嫌いになった。
なんだろね。今更前のような関係には戻れない

89 :


90 :
小6のとき、母親が再婚して、当時、中3だった、新しい父親の連れ子と兄弟になった。
それから間もなく、俺と兄貴はお互いに恋愛感情を抱くようになり、
小学校の卒業式があった日の夜、俺は兄貴に体を許してしまった・・

91 :
いつもお兄ちゃんと些細な事で喧嘩になり最後には金蹴りして勝ってました。

92 :


93 :
かなり最近だが、俺が将来の進路の為に親に大学を辞める意向を話す直前、
そのことを弟に話したら、「がんばれよ」って拳で軽く俺の胸を叩いた。
たった一言だったけど、俺にとっては何物にも勝る最高の励ましになった。
卒業したら自由にしていいという条件で結局大学は辞めなかったけど、
あの時励ましてくれたお前は世界一の弟だよ。

94 :
10才離れてたからケンカにもならなかったな。いじめられたけどいいとこもあった。大人になってからの方が仲良かった。いい相談相手だった。いつでも兄貴は兄貴なんだな。
いなくなって気付いても遅い。

95 :
くわしく

96 :
病気で突然ね。最後に会った一週間後には意識なかった。その三日後にはもう冷たくなった。
兄弟っていいよな。おれが兄貴の年齢を越えてもお兄ちゃんなんだよな。

97 :
それわかるわ。
兄貴の年齢をこすと切なくなるよな

98 :


99 :


100read 1read
1read 100read
TOP カテ一覧 スレ一覧 削除依頼
・ 次のスレ
きもい糞教師or良い先生に言われた言葉
小学生の時、どんなブリーフを穿いていた
1984〜1988
私立小学校の思い出