2011年10月1期セピア今、思ってみると、、、、スレッド
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屈辱的に恥ずかしかった思い出
【XLU】カセットテープの思い出【SA-X】
失われた思い出の場所について
「先生、トイレー!」
今、思ってみると、、、、スレッド
- 1 :07/09/20 〜 最終レス :11/10/01
- / ! / | || ,'_|_! ! ハ ! |ヽヽ
./ 〃! i .! _| !| / | !.! ヘ, ! | ヘ \
i ./| i ! |/ .!i ! // !ニニ,リ ! !. |ヽヽ !
| | ! | ! ! |__!_|、. / テ,;,;,;,; |ヾ, .|ヽ | ! |ゝ ヘ!
| ! ! | ! !テz;,;,;i| / r;,;,;,;ノ / ! | !. !,-ヽ !
| ! | リ| ハ |!! r;,;,;レ !/ `ニ´ リ| ,! |ヽ ! |\
.r | |、!. !ヘ,!` ー´ `ヽ !. !.! / ! !. ! |
! ! ヽ ! ヾ , ノ !.リ' |// /
!| ヽ,,! | ! /´!. ! | !,/||
ヾ ヾ .i |/ ! !!
| ヽ <ヽ | | ||
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| | ||`ヽ、 ィ !/! ! |_ ||
| | ! ヽヽ、__ ィ´ / ! / !::::::ヽ::
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私が、始めてタバコを吸ったのは、5,6才位の時、、、
タバコは、自ら吸っていたが(一本だけだが、、、)悪友から、自販機の空き缶箱の空き缶の
残りの甘い汁を味わう事を教わって、従兄弟の前で、道端の空き缶の汁を吸って見せて止められたことがあった
、、、、、、、と、、、、さ、、、。
- 2 :
-
詳細は後日、、、。
- 3 :
-
http://etc6.2ch.net/test/read.cgi/denpa/1174920756/l50x 何でもスレッド保管スレ
- 4 :
- 悪友から、自販機の空き缶箱の空き缶の
残りの甘い汁を味わう事を教わって<<
悪友から、自販機の空き缶箱の空き缶の
残りの甘い汁の味わい方を教わって、、、でした、、、m(。。)m、、。
- 5 :
-
、、、、、あっ、同じか、、、、、。
- 6 :
-
どちらかと言うと、食べ放題と同じ感覚で、しかも、ただです、、、。
今、思ってみると、身の毛がよだちます、、、、、。、、、、信じられません、、、。
- 7 :
-
後、ワイングラスで牛を良く飲んでましたが、よくコップを噛み割って
口の中をシャリシャリしたっけ、、、。
- 8 :
- ,
- 9 :
- 7<<ある種の客観性を与える意味で、いい経験になってると思う。
力道山は、グラスの薄い部分をバリバリ食べる癖があったらしい、、、。
その話を聞いた時、私は、懐かしい感覚がこみ上げてきたものだ、、、。
- 10 :
-
幼稚園生のころ、おもちゃのお金をプレゼントされた事があった。
そのお金でおままごとをして遊ぶことにした。友達が、あまり気が進まなかった
らしかったので、そのお金を実際に使ってみようとして、お店で止められた。
仕方が無いので、ガチャガチャにおもちゃのお金を20円入れたら、おもちゃの
お金が、ガチャガチャから、プラスチックの容器のかなにおもちゃの20円が入って
出てきた。私は、そんなはずないと思ってたのに、意表を突いて戻ってきたので
諦めて、使えないから、20円は友達にあげた。友達は、その20円でガチャガチャで
商品のおもちゃを手に入れていた。自分は、何故、自分だけ、そっくり、おもちゃの
20円がプラスチックの殻にはいって戻ってきたのか未だに不思議に思う。あれは、気のせいでは
ないと思われるが、、、、。
でも、ユリ・ゲラーだったらこういうことって普通じゃない?
- 11 :
-
本当のお金を友達が入れて、商品を手に入れていた可能性がある?
私が、おもちゃのお金を入れたら、そのまま、動いて、商品は、出てきたのは
覚えています、、、。
- 12 :
-
私は、昔から、変わり者で、一人で溝川で、生き物を捕まえたりして、暇を潰す
事が、昔の日課でした、、、。
ある日、ヘドロの上を歩いていて、やたら大きなザリガニが目に入ったのですが、
そこには、毛布らしきものが、やたらちらばっていたのが解かりました。
そこで、ザリガニが毛布に逃げ込んだのでそれに手を突っ込んだら、硬い感触がして
気付いたのですが、直ぐ隣に、白骨があって、あたり一面の毛布らしきものは、
ネコの死体の山田と言う事を悟った訳です、、、。
直ぐに、そこは、立ち去りました、、。その溝川は、多摩川上水で、太宰治も自した
自の名所です、、、、。
- 13 :
- 多摩川上水→玉川上水
- 14 :
-
昔、小学生の頃は、よく、シクウラ(宿浦?)の別荘に夏休みは行ったものですが、
朝、漁港によく連れていってもらって、親たちが魚を捜している間、私は、
地面に落ちてもがいている魚を海まで蹴っ飛ばして、逃がしてあげる事が、
私の漁港でのライフワークだったのです、、、、。1メートル近くの穴子とか、
最初は、20センチ位の大きさの魚を逃がしてあげて、更に、徐々に大きな魚を逃がす事に
挑戦することをしていました、、、。結構、高級魚を逃がしていたと思います、、。
今思ってみると、何で叱られなかったんだろうか、、、?、、、解かりません、、不思議です、、、。
- 15 :
-
14<< あの時は、楽しかった、、、あれは、熱中したよ、、、本当に、、、。
恐らく、気味悪くて、声を誰もかけられなかったんだろうなァ、、、、。
。。。( ̄ー ̄) 今、私が、そんなことをしたら、幾ら弁償させられる事になるんだろう、、?
- 16 :
-
(´Д`)y─┛〜〜 あ〜っ、、、昔に戻りてぇ〜っ、、、、。
- 17 :
-
あの時は、食べるものが無くて、よく、試食品、食ったなぁ〜、、、。
酒の試飲めぐりで、店を転々として、酔っ払って、満足しながら、裏道を
歩いて学生とすれ違う時、学生が私を無意識にしかけたが、場数踏んだ私に、我に帰って、謝って行ってしまった。
只で、いい事があった時は、何かがあるように世の中出来ていると、あれで、身にしみて解った。
理屈抜きに、何かが取りついて襲いかかって来るみたいなんですよ、、、、。
- 18 :
-
済む家が無くて、よく、広島平和記念公園で昼は寝ていた、、、、。
公衆便所以上に臭くなった服を着て寝ていたが、何故か、幼稚園の子供がそれを
取り囲んで、お昼の弁当を喜んで楽しそうに食べていた。こんな、くさい人のそばにやって来て
どうして食欲がわくものなのか不思議だった、、、、。
- 19 :
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γ⌒⌒⌒"'-^~〜、
ζ ,,, ,, , , ,,, ,, , , ヽ
ノ シ'" ゛'ミ i
(彡 ミミ )
トシ┏━━ノヽ━━┓トヾ)
ミ| < ● > ;;< ● >、|ヽ)
| ノ ゛ - ' | l ヽ - ' |トiミ
ヽ_ヽ 、_ ,ィ / |ノν 今、思い出してみるとおっかないやつがあった、、。
| iii■■ ■■iii /| ν
l `ヘ三三ヲ^ l よく考えてみると相当怖いです、、、。誰もが目にしている
ト ~""~ /
ヽ__ ノ 日常の目の当たりにする事の話なんですが、、、、。
- 25 :
- http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/uranai/1176819034/347
実は、基本的にこの寮は、重役にすら倦厭されていたと思われる程の所です。
滅多に行くべきところではないと言う意味で、、、。芝生の所に立っている木は、白樺なんです。
まず、この別荘に行くのが危険。特に冬は命がけです。物凄く解り難い道なんです。
冬は、雪が積もっているし、そうでなくとも、2m先は見えないほどに霧が激しい時があります。
私は、物心つかない時から来てたし、通算50泊以上は泊まっていて、恐らく、常連のトップに入っている
事でしょう、、。寸又峡とか下呂温泉、箱根、伊東温泉、代々木会館なんかが印象的ですが、特に
常連だったのは、振り返ってみるとそこでした。考えてみたら不通じゃないと今は思われます。
ぶっちゃけ、親が普通じゃないんです、、。間違えなく気のせいではありませんと思われます。
その件は色々な思い出がありますが、機会があれば投稿するとしましょう。
今回は、普通じゃないなと言う意味で投稿することにした件なんです。それは、酒の事です。
- 26 :
-
↑ひょっとすると百泊ぐらい行ってるかもね、、、、。
酒に関しては小さいころから思い出があった。父が酒を飲むところを寝ないで見てるのが
日課だった。機嫌が良いと、それを舐めさせてくれる事があった。印象深かったのは、
父がこいつは、香辛料が好きだから酒飲みになると言っていた事、、。ある日、私が、夜中目を覚まして
台所に出ると、酔っ払って人格が変わった父がいて母を突き飛ばして酒を飲んでいた。
私がぶったたいてもまるで効き目が無い。酒に対しての考え方はこれで変わり、強いて言えばトラウマとなった。
1のレスを見れば解ると思うが、大人のする事の真似をするのが好きだったんだと思われます。
- 27 :
-
酒には当分興味はもてなかったのですが、ある時期、酒をいたずらで盗み飲みをする時期があったんです。
梅酒が少しおいしかったのはあったのですが、ビールが飲めないのは困った。ぶっちゃけ飲めない物がある
と言う事に対して恐れがあったからだと思われます。何んであんな物がのめるのか解れなかった訳です。
父が大切に飲む傍ら私が隠れて缶ビールを開けて少し飲んだら捨てる事を繰り返す事が日常になった時がありました。
そして、もうそろそろ二度とこんなの一生飲む事も無いだろうと思い始めたときの事なんです。
ある日、父と母が、えぇーっ!!?て感じで深刻な顔をして瓶を持ちながら見合わせていたのが印象的だった。
それは、一リットル黒紫のビールなんです。両親がこんなのあるのか?と真剣に考え込んで
悩んでいたようでした。私は、父に「お前飲んでみるか?」と言われ、日頃捨ててたので断れなくて
- 28 :
-
飲んでみたんです。今まで経験した事の無いような飲み物でした。飲んだ事は無いが、
最高級のワインを思わせまろやかで泡自体がたとえ様も無く上品でとにかく飽きなかったんです。
どちらかと言うとロゼでもビールでもないアルコール入りの液体と言ったほうが良いか、、。
その快感そのものが生まれてはじめての体験だったのは、間違えなく、世界の見方は変わるし
なにしろ体調が生まれて初めての健康状態を体験する事が出来たからなんです。
この事で私は、アルコールに対しての考えが変わったんです。傍ら、酒好きの父がその酒を倦厭するように
飲む事無く普通の酒を飲みだし、母がこれは、全部あげると言って自分によこしたんです。
2,3日かけて全部飲んだんだと思います。体調良くなる、頭良くなる、人生が変わる酒です。
私が酒を評価できると判断したのですが、それ以上の酒が存在しなかったのが私の誤算だったんです。
- 29 :
-
体調良くなる、頭良くなる、人生が変わる酒を飲んだ時、私は、こんな事が存在するのを
知らなかったのは愚かだった。どのようなものが存在するかもっと知るべきだと痛感した訳です。
その後、色々、専門店を当たったり、ドンペリとか他に高級な酒も飲んでみたことはあったが、
ついに見つかりませんでした、、。つまり、出回っていないんです。この事が解ってきたのはそれから10年以上の歳月を要します。
仕事先の差し入れでシャンパンのクリュッグを一本もらった事もありました。
この場合、家の冷蔵庫に保管していたら父が知らないうちに殆ど飲んでしまっていました。
それでも、一口は含んで美味しかったのは覚えているが、、、。多くの酒を飲んだ後、150円くらいの
ビール位が妥当であると言う結論に至った。父という奴は精神構造が理解しがたい不可思議な奴で、私が参考書を持っていて
それを父が興味深そうに取り上げて感心しながら見てその後、私に返す事なく、捨てたりする事がある奴なんです。
- 30 :
-
確か、あの酒は、母の知人が個人的に作った酒だったと思われます、、、。何か特別な材料を
使ったとか、、、。運命や生きる意欲を掻き立て、それ以上の期待と可能性の希望をかきたてる。
運命と人生観を変える酒だがそれ以上のものが存在しなかった意味でとんでもない魔物である事が
後なって解る事になる。あんなもの飲まなきゃ良かった、、。しかし、飲まなきゃ解らない、、。
酒という存在は魔物です、、。ついには、ろくでもないものを良いものであると思わせる力がある。
これは、25のレスの話同様全く、偶然がキッカケの話なんです、、。偶然ですから理由が解らない。
酒好きの父がそれだけは倦厭して私になぜよこしたのかも不思議、、。
- 31 :
-
しかしながら、ちょうど今年、5月ごろ、NHKホール前の健康自然食祭りで、濁り酒が
手に入ったんです。そのふたを開けた瞬間中身が噴出して3分の1はこぼしてしまいました。
しかし、飲んでみると、アルコール分は少なく炭酸のようにはじけ酸っぱいが何故か楽しくなってくる
飲み物で健康に全く害の無い子供でも飲めそうなものであると言う事が解りました。
最近、あれは、この領域の飲み物であると分かったんです。
振り返ってみて、結論としては、よく考えてみると存在自体が危険であり非常に恐ろしいものと
思うことになるが、日常でよく見かけるものであると言える訳です。
何度も再認識を繰り返す中で、、、、。
- 32 :
-
今、思ってみて、この時点で解ってきたのは、母の知人から手に渡って来たという事は、
母の屈折した言い方では、単に個人的に材料を特別に使って作ったと言う言い方ですが、
察するに、恐らく最高級の薬草をかき集めて作ったものであると思われます。これで、初めて
説明が付くわけです。作った後で、長持ちしないので配られたものと思われます。バカな発想で
バカな事して浪費の無駄使いをして、更にバカな事態を引き起こしてくれたわけです。
曰く、高級の薬草を使った物で市販はされず、ウラで出回った自家製のビールであると言う結論ですね、、。
- 33 :
-
セレブの連中の悪戯で、バブルの真っ最中に海外で滞在しながら、
高級な薬草を集め前代未聞の試みをしたと、、、。これで、父が私によこした理由が解った。
今の自分だったら私でもそうすると思う、、。人生経験をつんだ今じゃなきゃ解らない高度な話です。
- 34 :
-
これは、経済力のある人なら個人的に可能である。しかし、心身共に健康にする薬草の酒を普通に飲んだらどうなる?
際限なく良くなると言うわけだ。可能だが危険すぎる。もし、有効であるとしたら特定の病人に
ある条件付で使用するなら適切であると思われる。これで、全ての謎が解けてきた。
私の人生を狂わせた根拠の一つが、、、、。
- 35 :
- http://life9.2ch.net/test/read.cgi/utu/1176831538/658
- 36 :
-
つ http://life9.2ch.net/test/read.cgi/yume/1190297437/54-57
- 37 :
- ,
- 38 :
- ,
- 39 :
-
、、、、あの時と言ったら、、、、、、図書館の検索機50〜100台近くの
全台が停止したり、してた時で、私が、半狂乱の時でした、、、、。
、、、でもその前に、ハルヒ系の奴に出くわしているんだよな、、、。
、、、でも、そいつと出会う以前から変な事が起きていたし、、、。
http://set.bbspink.com/test/read.cgi/sm/1187369832/270-276
- 40 :
- >>25
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/uranai/1151026593/954-955
実は、その重役社員用の別荘は那須岳の温泉の別荘だったんです。
始めていった記憶もあって、物心は付かなかったが、そのときだけは覚えています。
始めは家族全員で泊まり、次に、テニスコート場につれられていった時、ナスで食べようと父が私に
言うので、わたしはナスを食べると答えたと思いました。父と私の二人で、重役社員寮に行く事となり、
ご馳走があったものの茄子が出てこなかったので困っていたんです。那須岳に登山して、
途中あたりから歩くのが辛くなりだしたんですけど、困っているのを父がニヤニヤ見ていて、
地獄の時間が始まり、その後の記憶が途絶えています。恐らく、肩車で下山したと思われるんですが、
那須や茄子というと、先ず地獄のイメージが心の底で付きまとう所があります。
そこが重役社員寮の珍しい旅館であると言う事が解り出したのは高校生の頃で、
1月単位や2週間に一回の割合で普通に行っていた時もあったと思われます。
その頃には、那須岳の良が解るようになったが、旅館は飽きていたので、最果ての地の屋敷に居る
気分くらいで、少し見慣れた庭の急斜面に感激するくらいの状態でした。
いま、振り返ってみると本当の意味で何かが狂っていると感じたんですけど、
父が、自分にとっては良い所だと始めてきた時は感じたが、次からは、父が暮らしなれた
実家の感覚で行こうと思うようになったらしいのではないかと言う事が、ずっと後になってきて
解ってきたと言う事なのです。 先ず、私の平常の感覚が普通の人と何かがずれていると
思われるのはここからきているのではないかと思われる。
- 41 :
-
父の母に当たる私の叔父は物心付く前に他界されましたが、叔母は、私が物心付いたとき、
叔母の手におえない状態らしく、叔母は、寝込む事になったらしいです。私から言わせると、
(父がお袋が本当に辛いらしいから、これからはお前とあわせられないと真剣に言うようになった時があった)
叔母は松本人志みたいに甲高い声でキンキン騒ぐ印象が強くあまり寛げる嬉しい性格ではなかったんです。
8人位育てた人で、他界されるときは、骨が殆ど無く、焼いた後は骨がわずかしか残らなかったらしいです。
80から90歳くらいの享年ですかね、、、。死ぬ前は足か痛いと訴えがあったが、その長男が甘やかさないと言う事で
買い物は一人でいかせたと言う事を後悔しているとの事、、、。
私は、あの暴力的な勢いのテンションの生活の人は本当に好きになれず馴染めなかったんです。
ボケが始まったと言う知らせを聞いたときは、ボケないようにしてくださいと伝えたら、
ボケないように頑張るとの返事が手紙で来ました。
- 42 :
-
因みに私の父の名は、逮捕されていないテロの凶悪犯と同姓同名です、、、。
警察のとりしらべがあるとき、何時も、その氏名を聞いたときにやけられた時は
あった、、、。恐らく、なぜ逮捕されないかは、父はそんな犯罪をしている暇は
無かった筈だからなんです、、、。
あの犯罪者はもう、時効ですよね、、、、。
、、、、いやらしいな、、、これ、、、。
- 43 :
-
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/police/1162856514/240-248
、、、、、ふぅ、、、、。
- 44 :
- まいったな、ジンクスっていったら、露骨な予言の的中のあの日からずっと続いている
以前に、ひょっとして、生まれる以前からずっと続いてきた奴なんじゃないのか、、、?
- 45 :
- 露骨な予言の的中 >>
最近確信をもてた事だが、精神医療関係の事で過去にもめた事があった。
私は、誰かに、もし約束を破ったら多くの人が死ぬかもしれないと言った。
そいつは、数週間後に私との約束を破った。その次の日、親戚かオウムサリン事件
の知らせを聞きいた、、、。
しかし、その予言は関連妄想臭い、、、。なぜかというと、沢山の人が死ぬと
予測される以前に既に沢山の人が人体実験の犠牲になって死んできたんだから、、、。
精神医療問題は、人体実験の犠牲者の問題の扱いと共に、自分の宿命だったと思う
今日この頃だ、、、、。
あれだけの犠牲者が居る。とてつもない事態が目の当たりになる事は、別に不思議な事ではなかろう。
- 46 :
- ムゥ〜おやつが食べたいな〜
あっ、シュークリームだ
おいしそう 食べよう
モグモグモグモグ おいしいな
モグモグモグモグ
もう一個ある これも食べちゃえ
モグモグモグモグ
モグモグモグモグ
あ〜おいしかった
ねえムーくん、ここにあったシュークリーム知らない?
知らないよ
変だなぁ 後でムーくんと一緒に食べようと思ったのに
おかしいな どうしたんだろう?
あんなおいしいシュークリーム どうしたんだろうね?
あんなおいしいシュークリーム?
それじゃまるでムーくん
あのシュークリームを食べたことがあるような言い方じゃないか?
ワッ しまった
さてはムーくん シュークリーム食べたでしょう?
知らないよ
ほら 白状しないと コチョコチョコチョコチョ
ムヒヒヒヒ 食べた 食べた
ほら やっぱりムーくんが犯人じゃないか
もう おしりペンペン
ムッヒーミンミンミン ムッヒーミンミンミン
ようし ムー汁にして食べちゃおうかな
ムッヒーミンミンミン ゴメンナサイ ムッヒーミンミンミン
- 47 :
- wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
w藤岡 孝章 1952.06.05 (木)w
w藤巻 直哉 1952.08.20 (水)w
w大橋 のぞみ 1999.05.09 (日)w
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
- 48 :
- ,
- 49 :
- 今思えば、えげつない虐めをしていた連中って犯罪に近い部分が有ったと思う。
多分中年になった今もこういう残忍性は持っている
人間なんて5歳過ぎれば性格なんか そんな簡単に変わりはしない。
そんな奴らが生んだ子供 欠陥品なんだろうな。
- 50 :
- 確かに
- 51 :
- ,
- 52 :
-
__ ∧ ∧ (~)
ヽ|__|ノ ヽ(・∀ ・)ノ γ´⌒`ヽ
||‘‐‘||レ _)_,( )ヽ )) {i:i:i:i:i:i:i:i:}
/(Y (ヽ_ /・ ヽ >  ̄ヽ (・ω・` ) ヘ⌒ヽフ⌒γ
∠_ゝ ` ^ヽ ノ.::::::__( ノヽ∽[ ̄ ̄ ̄ ̄] (・ω・ ) )
_/ヽ /ヽ ̄ ̄/ヽ ◎───◎ しー し─J
- 53 :11/10/01
- >>49
一概には言えないと思うけどなあ・・・
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