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セピアな思い出∫泣ける話 第2話


1 :08/01/23 〜 最終レス :11/10/24
セピアな思い出。感傷的な気持ちにさせてくれる話をうp汁!!みんなでしみじみ泣こうじゃないか!!
前スレ
セピアな思い出∫泣ける話
http://bubble6.2ch.net/test/read.cgi/sepia/1076319536/
保守をサボっていたら前スレがなくなってしまったので、建てました。

2 :

  /\___/\
/ /    ヽ ::: \
| (●), 、(●)、 |    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|  ,,ノ(、_, )ヽ、,,   |  < ま〜た始まった
|   ,;‐=‐ヽ   .:::::|    \_______
\  `ニニ´  .:::/
/`ー‐--‐‐―´´\

3 :
これは人犯の精神鑑定に 使われた話らしい。
お父さん、お母さん、息子のある平凡な3人家族がいました。
ある日、お父さんが不慮の事故で亡くなってしまいます。
その葬式で、お母さんは何を思ったのか、葬儀に来ていたお父さんの会社の格好いい人に一目惚れしてしまいます。
数日後、お母さんは自分の息子をしてしまいました。
なぜ、お母さんは自分の息子をしたのですか?
考えた人は下の結果に進んで下さい。
       ↓
「息子が邪魔だから」90何%の人がそう答えるそうです。
そう答える人は正常らしい。
       ↓
でも宮崎努と酒鬼薔薇聖人はそれとは違う答を言ったらしい。
しかも2人とも同じ答。
       ↓










「息子の葬式で、またあの人に会えるから」

4 :
結婚するのに邪魔だから息子をすと答えるのが正しいなんていう鑑定に本当に信憑性があるのか疑う

5 :
俺正直この話何かの本で見たことあるぞ・・・
確か古本屋だったような・・・・・
いや・・・・ハローバイバイの奴か・・・・

6 :
sage

7 :
sage

8 :
鳥肌立った…

9 :
sage

10 :
sage

11 :
sage

12 :
セピアではない件

13 :
sage

14 :
>>5
砂糖菓子の弾丸は打ちぬけない
桜庭一樹の小説にも出てた。

15 :
sage

16 :
sage

17 :
保守

18 :
保守

19 :
http://moemoe.homeip.net/view.php/6694
ここはこういうお話を書き込むスレだよ、
おまいらも昔、切なくて、悲しくて、胸キュンする話の一つや二つあるだろうが
そんな話で大いに泣かせてくれ

20 :
あぃよ

21 :
俺の祖父は医者だった。
っていっても金はなく家はボロボロで食事なんか庭の野菜とお茶漬けと患者さんからの頂き物だけ。
毎朝4時に起きて身寄りのいない体の不自由なお年寄りの家を診察時間になるまで何件も往診して回る。
診察時間になると戻ってきて待合室に入りきらないで外まで並んでる患者さんを診察していく。
昼休みはおにぎりを片手にまた往診。
午後の診察をこなし食事をすませてまた往診。
夜中に玄関口に患者が来たり電話があればいつでも駆けつける。
一年365日休みなど無かった。
自分の体調が悪くなっても自分を必要としている人がいるからと病院にもいかず診療を続け無理矢理家族に
病院に連れて行かれた時にはもう手遅れ。
末期がんだった。
でもどうせ治らないなら入院はしないと痛みをごまかし死ぬ間際まで往診続けてた。
遺産なんか何もなし。残ったのはボロボロの家だけ。
聞けば治療費を支払えない人ばかりを診察・往診していてほとんど収入なんか無かったんだって。
でも葬式のとき驚いた。
患者だけで1000人ぐらい弔問に訪れ、中には車椅子の人や付き添いの人に背負われながら来る人もいた。
みんな涙をボロボロ流して「先生ありがとう、ありがとう」と拝んでいた。
毎年命日には年々みんな亡くなっていくからか数は少なくなってきてはいるけど患者さんたちが焼香に訪れる。
かつて治療費を支払えず無償で診ていた人から毎月何通も現金書留が届く。
いつも忙しくしてたから遊んだ記憶、甘えた記憶など数えるぐらいしかないけど今でも強烈に思い出すことがある。

22 :
それは俺が厨房のときに悪に憧れて万引きだの、恐喝だの繰り返していたとき。
万引きして店員につかまって親の連絡先を教えろと言われて親はいないと嘘ついてどうせじいちゃんは往診でいないだろ
と思ってじいちゃんの連絡先を告げた。
そしたらどこをどう伝わったのか知らないけどすぐに白衣着たじいちゃんが店に飛び込んできた。
店に着くなり床に頭をこすりつけて「すいません、すいません。」と土下座してた。
自慢だったじいちゃんのそんな無様な姿を見て自分が本当に情けなくなって俺も涙流しながらいつの間にか一緒に土下座してた。
帰り道はずっと無言だった。
怒られるでも、何か聞かれるでもなくただただ無言。
逆にそれがつらかった。
家にもうすぐ着くというときふいにじいちゃんが「おまえ酒飲んだことあるか?」と聞いてきた。
「無い」と言うとじいちゃんは「よし、着いて来い」と一言言ってスタスタ歩いていった。
着いた先はスナックみたいなところ。そこでガンガン酒飲まされた。
普段仕事しているところしか見た事がないじいちゃんが酒飲むのを見るのも、なによりこんなとこにいる自体なんだか不思議だった。
二人とも結構酔っ払って帰る道すがら川沿いに腰掛けて休憩してたらじいちゃんがポツリと
「じいちゃんは仕事しか知らないからなぁ。おまえは悪いことも良い事もいっぱい体験できててうらやましい。
お前は男だ。悪いことしたくなることもあるだろう。どんなに悪いことをしても良い。ただ筋の通らない悪さはするな。」
と言われてなんだか緊張の糸が切れてずっと涙が止まらなかった。
それから俺の人生が変わった気がする。
じいちゃんのような医者になるって決めて必死で勉強してもともと頭はそんなに良くは無いから二浪したけど国立の医学部に合格した。
今年晴れて医学部を卒業しました。
じいちゃんが残してくれたボロボロの家のほかにもうひとつ残してくれたもの。
毎日首にかけていた聴診器。あの土下座してたときも首にかかっていた聴診器。
その聴診器をやっと使えるときがきた。
さび付いてるけど俺の宝物。
俺もじいちゃんみたいな医者になろうと思う。
長文失礼しました。

23 :
>>22
じいちゃんを超える医者になれ。それが何よりの供養だ。
そして、いい話をありがとう。

24 :
部活で一緒で後輩だった君の、ほっぺを触ったり、ストーブであったまったり、ねこと遊んだり。
熊本行きのPAで就職の相談の電話がきたことかな。
結局ダラダラ話して笑って電話終わらして。
彼氏がいるとかいないとか結局聞けずに好きともいえずに
二回もすれ違って結局いまじゃ音信不通
だけど、ありがとな。あの頃に戻りたい。
今もまだ想っている自分が情けないよ。

25 :
>>22
世の中、学力があるというだけで医者の道を選ぶ人がたくさんいると思う。
本当の志を持ったあなたみたいな人が、医学の道へ進んで欲しいと心から
思います。

26 :
>>22
泣いたよ。
頑張って良い医者になれよ。

27 :
自分の身体を優先にしてれば、もっと沢山の患者を助ける事ができただろう。

28 :
>22
素敵な話をありがとう。
泣いてしまいました。
おじいちゃんはきっとあなたが
医者を目差した事、自分の背中(おじいちゃん)を見て目差してくれた事、晴れて医者になれた事…
とても喜んでますね。
そしておじいちゃんの信念を受け継ぎ、あなたがおじいちゃんのような医者になったら もっともっと喜んでくれると思います。
頑張ってくださいね!

29 :
先日ばあちゃんが亡くなりました。
俺は今実家を離れて学校に通っているので、夜中に電話でその事を伝えられました。
俺が高校の時に足を悪くして以来、ずっと車椅子だったばあちゃん。
丁度その位から手術やらを何回もするようになって、一気に体調を崩し始めた気がする。
ばあちゃんと俺は昔は仲がよかった。
けど、大人になっていくにつれ何故だかばあちゃんとうまく話せなくなってきた。
目上と話すのに気を使ってしまうようになってしまっていたから、ばあちゃん話すのを避けていたのかもしれない。
いつのまにか、俺は自分からばあちゃんに話し掛けなくなっていた。

30 :
今年になってすぐ、母から電話。
ばあちゃんはもう長くないかもしれないと伝えられた。
医者の見立てでは、延命措置をとってもあまり変わらないかもしれないとのこと。
母は医者にその事を聞かされたとき
「延命処置するのと何もしないなら、どっちが楽ですか?」
と尋ねたらしい。
ばあちゃんは母にとっての実母。ばあちゃんが歩けなくなってからは、母は懸命にばあちゃんの面倒をみてた。
自分の睡眠時間を削って、夜中に何度も起きていたのを知っている。
母は体が丈夫ではなく、久しぶりに会ったりすると、はっきりと体調の悪さがわかった。
父は義母であるばあちゃんの介護にはノータッチだったが、母は何の文句も言わず1人で面倒を見てた。
俺自身夏休みに実家に帰っても遊んでばかりで、何も手伝ったりしていなかった。
俺は電話でばあちゃんの話を聞いた時、そんな資格もないのに
「延命措置を取ればもしかしたらまだ生きれるんじゃないか」
と母に意見した。何も手伝ってない俺には言えた事ではなかったが、母は穏やかな口調で
「今の治療でさえ大変やのに、延命措置を取ったらますます苦しくなる。
変わらんなら、おばあちゃんをもう苦しめたくないんよ」
と言った。
ばあちゃんの大変さをわかっている母だから言える言葉だった。

31 :
母の電話を受けてから俺はすぐに実家へ帰った。
ばあちゃんに会えるのはこれが最後かもしれないと思ったから。
母は電話で、今のばあちゃんを見たらびっくりすると言っていたが、本当に驚いた。
ばあちゃんは綺麗な人だったが、体は痩せ細り頬はこけ、目は虚ろで、人相が随分変わっていた。
聞けば、ここ数日何も話さず、家族の顔も認識していないらしい。
病は気からという言葉は本当で、あまり人と話さず刺激がないため、一気に症状が進行したのだ。
ばあちゃんはもう、自分で物を食べる事もベッドから起きる事もできなくなっていた。
こんなになるまで俺は何もしてこなかったんだ。後悔した。
俺は実家にいるあいだずっとばあちゃんに話し掛けた。
そして先日。ばあちゃんは亡くなった。桜が丁度満開になって、温かくなってきた時だった。

32 :
通夜の前にばあちゃんの顔が見たくて、急いで実家に戻った。
化粧をしてもらい綺麗な顔。お気に入りの着物を着てばあちゃんは静かに寝てた。
覚悟してたし、ばあちゃんの姿見ても泣かないかなと思ってたけど、すぐ涙でてきた。
心の中で、
「ばあちゃんごめんね、ごめん。ずっと何もできなくてごめん」
何度も謝った。
通夜と葬式でアホほど泣いたけど、喪主だった母の葬式の挨拶がいつまでも心に残った。
「母は足を悪くして以来、車椅子での生活でした。
不便な生活を強いられ、不満もあったと思います。
体調を崩してからは、食事も色々と制限され、大好きなお茶も飲めなくなり、恨めしい顔をされたこともありました。
それでも、苦しい闘病生活に弱虫で泣き虫だった母が泣き言を言わず耐えてくれました。
苦しまず楽に最期を迎えられたのがせめてもの救いです。
丁度去年の今頃、母と2人でお弁当を持って花見に行きました。とてもきれいな桜で、母と2人で来年も見に来ようねと話しておりました。
ありがたい事に、戒名に春と光という文字を頂きました。
今頃母は車椅子から解放され
あー、やれやれ、やっとやわ
と言いながら、春の光の中を、自分の足で歩きながら桜を眺めていると思います」
泣きながら話す母の姿に、涙が止まらなかった。

33 :
昨日色々片付けをしてると、母が何やら届いた荷物を開けていました。
何が入っているのか見てみるとそれは、カロリーを取るための桃のジュースや、血圧をあげるゼリーなど
食事制限で好きなお菓子なんかが食べれないばあちゃんのために母が注文していた商品でした。
「あー、これ全部そうやわ
間に合わんかったなー」
と苦笑いの母がとても寂しそうに見えました。
高校の時から音楽の道に進むと決めていた俺をばあちゃんは応援してくれて
「うちの孫は将来歌手になるんよー」
ってよくご近所に自慢してたっけ。
俺がもっと話し掛けて一緒に笑ってたら、ばあちゃんまだ元気だったかな?
ずっと後悔してます。
つまらない話を長々と書いてすいませんでした。
どこかにこのモヤモヤした気持ちを吐き出したかったんです。

34 :
うちの親父今年の命日で丸七年になっちゃうんだけど
親だから言う訳じゃないけど死んでからも誰からも悪口言われるような人じゃなくて
絵に描いたようないい人とか優しい人だった
記憶にある怒られたことも消防の頃面白半分で万引きしたのがバレた時とか
ホントに悪いことをした時くらいだった
この親父、昔から日記とか認めてたような人で
死んで遺品整理してたら高校〜社会人(結婚するまで)のが出てきたのよ
大学の頃のはダブりそうだとか書いてあって
息子と同じようなことやってたんだなって泣きながら読んでて
お袋と結婚するまでの一年間の部分なんか
「○○さんに早く逢いたい」「早く結婚したい」とか
挙げ句、どうやら親父にとって初めての女性がおかんだったらしく
読んでるこっちが恥ずかしくなるような内容が認めてあったわけよ
まさか10年後くらい先に産まれる息子に
しかも自分が死んでから読まれるなんて思ってなかったろうけどww
それ読んでお見合い結婚で一緒になった人で
こんなにも馬鹿正直におかんを愛してたことが判ってすんごく嬉しかった
その恥ずかしい内容の日記はおかんも恥ずかしいだろうから
今でも俺が持っちゃってる
親父ももっとおかんと一緒に居たかったろうし
生前は忙しすぎて定年なったら旅行とかもしたかったみたいだった
俺もなんとか結婚できて、しかも親父と違って恋愛結婚だしw
自分の奥さんの幸せと親父が果たせなかったお袋の幸せ
未来に産まれてくるであろう自分の子供の幸せ
重いけど背負おうと思います。多分それも幸せだと思うから
なんか支離滅裂駄文すいませんでした
何となく自分に言い聞かせたかった

35 :

文才がなさすぎて何が言いたいのかわからん。
そういう意味では22は文才がある。
起承転結きちんとしてるし読むものを引き付ける書き方をしている。
ただダラダラ長いわけでなく伝えたいことが簡潔にまとまっている。

36 :
文才とかどうでもいいんだよ・・・・ここは創作文芸板じゃねえんだぞ。
読みとこうとする努力さえするなら十分いい話だった。

37 :
俺の一才下の妹は、よく出来たヤツだった。
成績が、とかじゃなく人間的にっていうか。
明るいし、誰とでもすぐ仲良くなれる。「M(妹)ちゃんはええねえ!
いつもニコニコして元気で優しくてなぁ!」と近所や学校でも褒めちぎられ
る事なんてザラだ。そのうえ顔も可愛い。
一方の俺は鉄男経由のアニヲタで、俯きがちの根暗で、友人も極少、赤面症の
ダメ人間www「ほんまあのMの兄ちゃんなんか?」「お前なんか捨て子や!」
とからかわれる事もあったし、妹の同級生からも「こんなお兄ちゃんでM
ちゃん可哀想やわ〜」「気持ち悪い〜」と笑われた。
だから俺は、かなり妹に辛くあたっていた。
お前がそんなんだから、俺のアラが目だつんだ。お前さえいなけりゃ。
「金輪際、俺の妹だって言うなよ!」
そう言った事もあった。妹は泣きそうな顔をして、何も言わなかった。
妹はよく俺の事を友人に言っていたのだ。
「Iくん(俺の名前。妹は昔から俺を”くん”付けで呼ぶ)って超頭いい
の!何でも知ってるんだから!」
と、自慢していた。確かに俺は成績はよかった。勉強が好きだったから。
だが俺には、妹のその行動が皮肉にしか思えなかった。どうせ俺はガリ勉だ
よ、そう言いたいんだろ、お前みたいに友達が多くないから、勉強のが楽し
いんだよ…!
俺はそんな考えしかもてないような捻くれたダメ人間だった。
そんな中、イジメが悪化した。
(続く)
 

38 :
当初、幼い頃から外国にいたせいか、いまいち日本語や日本特有のカスタム
に慣れていなかったため「ガイジン!」や「非国民!」などとからか
われていた(これらは妹も言われていた)。俺は受け流せずに心を閉ざして
しまっていた。西の田舎の方だったので閉鎖的な文化があったのかもしれない。
俺は日本人そのものを嫌悪するようになっていたのだ。だから言い返さなか
ったし、無反応を決め込んでいた。
だが、そのうち「からかい」では済まなくなっていった。
詳細は省くが、とにかく俺がとある件の「犯人」にしたてあげられた
のだ。いくら俺が違うと叫んでも、誰も聞いてくれない。
「お前しかおらんやん!」「白状せえ!」「ガイジンは手癖が悪くて
かなわんな」「キャハハハハ!」
怒鳴り声、高圧的な笑い声、教師も疑わしげな表情をしている。まあ、
普段から無愛想で、「お前らの事なんて好きじゃねえよ」的オーラを出
している男子を信じろっていうのも無理な話かもしれないが。
皆の怒号と注がれる軽蔑の眼差しに耐え切れずに、俺は教室を飛び出そ
うとする。「逃げんなや!」男子がそれを阻む。「最低やな」女子がヒソ
ヒソとこちらを見ながら言う。気が狂いそうだった。周りがみんな敵なの
だと悟る。パニック障害の発作が出そうだった。
その時。
「Iくん、帰ろ!」
の声とともにドアを開け放ったのは…
目に涙をためて、顔を真っ赤にした、妹、だった。
ランドセルも背負わず、体操着のまま、今にも泣き出しそうな顔で俺に
手を差し出す妹の姿を、俺は忘れる事は無いだろう。
俺は、吸い込まれるように妹の手を取った。妹はぎゅっと握り返して
きた。そして、クラス中をキッと睨みつけ、
「you people are so pathetic!! screw you!!」(アンタら最低よ!
みたいな意味ですな。ホントはもっと汚い言葉を使ってたwww)
と泣き叫んで、俺の手をひいて駆け出した。上履きのまま、学校の外
へ出て家へとそのまま走った。おいおい授業中だぞ、と思うくらいに
俺は落ち着いていた。パニック障害の発作も引っ込んだようだった。
(続く)

39 :
その後もたいへんだった。家にたどり着いた妹は母親に泣きながら抱きつき、
英語で(この時期妹は興奮すると英語しか出てこなかった)泣き叫んでいた。
だが母親は英語がそこまで分からないので「?」。
担任や校長が説明に来ると、妹がいちいち噛み付く。
「Iくんを庇わなかったくせに!」
「男子が乱暴していたのに止めなかったくせに!」
「「ガイジン」って言われてるのに、何も注意しないくせに!」
妹の怒りは凄まじく、当の俺は隣で黙っていた。本当に情けない兄貴だ。
妹が、言いたい事を全部言ってくれている。あんな下らない疑いを一片
たりとも信じず、俺を信じている。少しも疑っていない。
妹はたまたま体育の帰り道に俺の教室の前を通ったらしく、その際に教室
の騒ぎを聞きつけて、飛び込んだらしい。Iくんがそんな事する筈が無い
と。ひどい、と。上級生の教室なんて入るのも恐いだろうに…。
「ヒッ」
隣で突然、妹の喉が鳴った。そしてそのまま床に倒れた。びくっと身体が
大きく震えた。
「M子!」
俺は妹に駆け寄る。泡を吹いている。息が出来なくなると思い、俺は必死
に泡をぬぐった。それでも泡は出てくる。俺はぬぐう。俺は泣きながら
「死ぬな!」と叫びながらぬぐっていた。
(続く)

40 :
妹はひきつけを起こしていただけだった。子供はよく起こすらしい。
だが病院のベッドに横たわる妹の顔色は悪く、俺は傍を離れなかった。
両親も傍にいた。
妹も、住み慣れたのんびりした国(豪州)からいきなり日本に移住し
て、相当のストレスを溜め込んでいたらしい。無理していたのだろう。
自分だけでもたいへんなのに、情けない兄貴は苛められているときてい
る…。俺の事をからかわれて、喧嘩をして怪我をする事も多かったのだ
とその時母に知らされた。
「Iくんは優しいからね、人をぶてないからね。私がぶつの」
そう言っていたらしい。
俺は泣いた。
妹の優しさに。思いやりに。こんな兄貴なのに全幅の信頼を寄せてくれ
ている事に。俺自身よりも俺を信じていてくれることに。あんなに酷い
事を言ったのに、変わらず俺を慕ってくれることに。
なんて大きな存在なんだろう、と俺は思った。震えが来る程だった。
こんなに小さい妹なのに、何てでかい存在だ…。
大切にしなければいけない、と俺はその時明確に、強く思った。
いや、誓った。
本来なら、俺が守るべきなんだ。
その後、転勤族の我が家はアルゼンチンに数年滞在し、東京へと落ち着い
た。東京では、俺はすんなりとなじめた。やはり俺にとって、日本の田舎
は恐怖だ。東京は、よそものに優しい。生粋の東京人は、よそものを受け
入れるのに慣れているからだろう。
俺は恐らく、日本で住めるのは東京か横浜だけだ。あとの場所に住むく
らいなら北京に住むってくらい。
そんな俺たちは、高校生になった。
(続く)

41 :
>>40
続き待ってるよ〜

42 :
友人もぼちぼち出来て(といっても秋葉原でしか自分を解放出来ないアニヲタども
のみなのだがwww)、俺は穏やかな日々を送っていた。相変わらず自分に自信は
なかったが。
東京で、俺は中高一貫の男子校に、妹も中高一貫の女子校に進学した。
二人とも一応、都内では名の通った進学校、いわゆる御三家だ。妹は頭が良い方で
はあったが、御三家に受かるまでとは思わなかった。唯一勝っていた勉強ですら抜
かれるのでは…などと心配するほどに、俺は情けないままだった。
俺が守るなんて誓っておいて、俺はなんにも行動に移せていなかった。
妹はあのまま成長した。優しく明るくよく笑う、東京でも彼女は評判のいい娘
さんだ。ちょっと服装は派手になったが(茶髪にピアス)、それを感じさせな
い程におおらかで素直だった。
ある日の事。
家に帰ると、玄関に靴が綺麗にたくさん並べてあった。そして二階からはキャッ
キャッと明るい笑い声。そこへおめかしした母が現れ、
「あらI、お帰り。あのね、Mのお友達が来てるんだけど、ママは今日パパとご飯
食べにいくのよ。だから夕飯、ピザが出前とっていいからあの子達と食べちゃって
ねー」
予算は一万円よ、などと言いながら母は出て行ってしまった。
俺はその場に固まった。
妹の友人は、写真で見た事がある。華やかで可愛い、長いセーターに短いスカー
トの今時の子達だった。頭もよくて可愛い、私達が世界の中心よと、自信に満ち
溢れた、気の強そうな女の子達だった。
恐い。
そう思うと同時に、妹が不憫になった。こんなキモイ兄貴がいるって分かった
ら、友人達に引かれるだろう。妹だって嫌だろう。
このまま連れの家に行こう。
妹も恥ずかしいに違いない。あんな華やかな妹に、こんなヲタで気弱でダメな
兄貴なんて似合わない。
そう思ってドアに手をかけた瞬間、
「あれ?」
背後から声がした。

43 :
(↑の続き)
そこにいたのは、妹とその友人と思しき人だった。妹と同じで、気が強そうで
華やかで、パッチリした目をしていた。
やばい。早く逃げなきゃ。
俺は自分の家なのにも関わらず「し、失礼します」とボソリと言って出ていこ
うとした。
「Iくん! お帰りー!!」
妹はいつも通りに右手を高々とあげて駆け寄ってきた。その声に、他の友人達
も二階から降りてきた。ポカンとした顔をして、こっちを見ている。
馬鹿だな、お前何やってんだよ…こんな貧相でキモイ情けない兄貴がいるの嫌だ
ろうって思って静かに出て行こうとしてんのに!何でそんな笑顔で駆け寄ってく
るんだよ。何で俺の腕つかんで家にあげようとすんだよ。
「これ、私のお兄ちゃん!」じゃねえよ、近所の兄ちゃんですって言い訳も出来
なくなっちまったろうが。
その時、クスっと、友人達が笑った。
あたまの中が真っ白になる。
ほらみろほらみろ!言われるぞ!「つかアンタの兄貴きもくね?」「やばいって
もしかしてオタクってやつ?」「笑えるんだけど!!」とかって言われるぞ…
ごめんごめんごめんよM子、もっと早く出て行けばよかった―――
「M子、いい年してお兄ちゃんを”君”付けすんなよー!」
「I君なんて呼ぶから親公認の彼氏かと思ったんだけど、お兄ちゃんかよww」
「マジビビったわ。普通に二股じゃん、って思っちゃった」
と彼女たちはコロコロ笑った。
妹が俺の事を名前で呼ぶものだから、どうやら彼氏だと誤解したらしい。
というか妹は彼氏がいたのだな…まあいてもおかしくはないが。
複雑な思いだったが、妹が全く恥ずかしがらずに、普通に俺を兄だと紹介してく
れた事に、俺は何だかとても嬉しくなると同時に、恥ずかしくなった。
俺は、妹を疑っていたのだ。この期に及んで。

44 :
家の外で俺を褒めるのも、俺に同情しているから。
俺によく勉強の質問をしてくるのも、プライドだけは無駄に高い俺に気を遣って
いるから。
俺に何かと相談事を持ちかけてくるのも、兄貴を立てようと思っての事だと。
捻くれたダメ人間の俺は、何処かそう考えていた。
妹も、本心では俺を見下しているに違いない。恥ずかしがっているに違いない。
きもいって思ってるんだろう。ダメな人間だと思っているんだろうって。
あの時、上級生の教室に勇気を出して入ってきてくれたっていうのに。
担任と教頭っていう大の大人相手に怒鳴りつけてくれたっていうのに。
引きつけを起こすくらいに、怒ってくれたのに。泣いてくれたのに。
俺のために。
そこまでしてくれたのに、俺は妹を疑っていたんだ。
ごめんな。
甘くみてたよ、お前のこと。
こんなダメ人間でも、お前は愛してくれんだな。
俺はその日の夜、妹たちに好きなだけ出前をとらせた。
「予算あるんじゃないの?」
妹が心配そうだが、気にするな、足が出た分は兄ちゃんが払ってやる!
それを聞いた友人達も「おとこまえー!!」「さすがMの兄ちゃん!!」と嬉
しそうだった。
結局その晩は予算の二倍遣ってしまった…。
でもその後、妹とその友人達から連名でプレゼントを貰ったので、まぁいいか。

45 :
妹の存在を大きさを再確認した後、俺は変わらなければと思った。
部活に入った。
試合に出られる事はあんまり無かったけど、妹が応援に来てくれるのが
嬉しかった。でも試合会場でナンパされたり、部活仲間に話題にされて
ばかりだったから心配だった。でも、「俺の妹だ」っていうのが誇らし
かった。
人前に出るバイトを始めた。
どもる癖と赤面症で苦労したけど、妹になんか高いものを買ってやりた
かったので頑張った。今までも誕生日とクリスマスはちょっとしたもの
(花とかぬいぐるみとか)をあげてたけど、その時は2万の香水セット
を買った。デパートのお姉さんと一緒に見繕った。sweet sixteenだった
ので特別なものをあげたかった。
妹は「ギャー!!」と叫んで喜んでたwww
その後、お互い大学生になって、俺は院に、妹が勤めだした。
大手商社の総合職。営業。
まさか妹が先に家に金を入れるようになるとはなwww
相変わらずのダメ兄貴だw
仕事の悩みなんて当時の俺には分からなかったけど、研究で遅くなって
家に帰ると、妹が食卓で難しい顔をして座り込んでいる事がしばしば
あった。俺は人の話を聞くのも話をするのも上手くないから、何もアド
バイスは出来なかった。だからお土産に買って帰ったコンビニのケーキ
やアイスを「食うか」と言う事しか出来なかった。
時々泣いていたな、お前。泣きながらアイス食ってた。
そんなに辛いのか。だったらやめちまえ。どいつがお前を泣かしてんだ。
周りが悪いに決まってる。お前は悪くない。
そう言うと、妹は余計に泣いてしまった。
あわてた俺は、「そ、そそそ、そういえば、俺が今研究してる―――」
と何故か研究内容を話しだす始末www
バリバリ文系の妹に分かるわけねっつのwww
だけど妹は泣き笑いして聞いてくれた。

46 :
「M子さんは、よくお兄さんの話をするんですよ」
目の前の青年ははにかみながら、俺にそう言う。
「そうなんですか」
「はい。昔から何でもお兄さんに相談してたって。勉強にしたって何にしたっ
 て、とても丁寧に話を聞いてくれるんだって。小さい頃、周りの友人の兄ちゃ
 ん達は、妹や弟と叩いたりイジワルしたりしたけど、Iさんは絶対に自分にそ
 んな事しなかったって」
妹を叩く?んな事するわけないだろ。一体何処の世界に、妹を叩いたり意地悪す
る兄貴がいるっていうんだ。
「ふうん…」
「兄貴風をふかしてえらそうにしないで、おもちゃでもお菓子でも、何でも最
 初に選ばせてくれたって。穏やかで優しくて、何に関しても自分を優先してく
 れたと」
俺はそんなに物欲が無いんだよ。妹の方がお菓子が好きなんだし、そんなのは
当たり前だ。そんな事で俺を褒めるな…。
「へえ…」
「何があっても絶対に自分の味方でいてくれるから、相談するととても心強か
 った、だから何でも相談したんだって。頼りになる、自慢の兄貴だって、いつ
 もそういうんですよ」
妬けますよ、とそいつは笑った。
自慢の兄貴だって。
俺が?
笑わせるじゃないか、M子。
こんなに情けないダメ兄貴を捕まえて「自慢」?
26年間一緒に生きて、結論がそれか?ファイナルアンサー?
「だから、ご両親とは別に、別途お兄さんからお許しをいただきに参りました」

47 :
>>46
それで、それでどうなったの、
続きを聞かせて。

48 :
許すだ?
何を?
「M子さんを、僕に下さい」
…誰が許すか!!
だいたいお前、妹をどれくらい知ってんだ。お前が妹の何を知ってるって
言うんだなんにも知らないくせに何も知らねえだろうがあぁっ!!
こいつはな、結構だらしないぞ。人の服を勝手に寝巻きにしたり人が取
っておいたレア地ビールを勝手に飲んで酔っ払ってたりするしだな…
そ、それに結構わがままだぞ。人がやっとの思いでUFOキャッチャー
で取ったFFのキャラのぬいぐるみ、平気で自分のもんにしてるんだぞ。
しかも無断でだ!別にいいけど!
あと人がニュース見てるのに、勝手にバラエティにチャンネル変えて
「いいじゃーん」の一言で済ますんだぞ?
別にいいけど!
それと、俺も読みたいのに、新聞を会社に持ってっちまうんだぞ?
「コラ!」っつっても「ごみーん☆」で全部済ませるぞ??
あと、自分でホラー映画借りてきて恐くなったもんだからって、
「Iくんも一緒に起きてて!」って、俺はなぁ、研究続きで徹夜してた
んだぞ…!結局付き合ってしまったしな!
あとなあ、あいつは気が強そうに見えるけど、結構溜め込むからな。
ああいう一見明るいヤツの方が、俺みたいな準ひきこもりの甘ったれより
よっぽど我慢して苦労してんだからな。
あいつは簡単に弱音を吐かないからな、あいつが話し出したら最後まで
全部聞いてやれよ。口は挟むなよ。うんうん、って相槌だけ打て。
あいつが泣いたら、止めるな、泣かせてやれ。
人前であんまり泣けないヤツだから。
…つーかお前は泣かすなよ!
あとあと…そうだ、優しくしてやってくれよ。これ大事。
あいつはいい子なんだ。優しくされて当然なんだ。
M子さんは優しい…?ほざけ!お前は妹の優しさの1億分の一もまだ味
わっちゃいねーんだよ。あいつを甘く見るな。あいつの優しさはある意味
無敵だぞ?そのうえ無尽蔵ときてる。どれだけ俺が救われてきたと思って
んだゴラァ!!!
あと、最後に。
妹の愛情を全部信じてくれ。嘘みたいな、でかすぎる愛情を貰うだろうけど、
絶対に疑うな。あいつは冗談で人に好意を示すような人間じゃない。
黙って妹の愛に包まれてろ。
妹の笑顔を信じればいいんだ。
許婚の横で、M子、お前随分と幸せそうだな…
なんか泣いてるけど。
かすんで見えない。

49 :
先日、その妹の結婚式だった。
素晴らしい式だった。
教会に新婦が入ってきた時、「私は幸せです」と言わんばかりの笑顔に、何で
だろうな、皆が泣いて笑っていた。すごいな、お前の笑顔は。周りまで幸せに
してるんだな。
親父がすげえ泣いてたぞ。料理にほとんど手をつけず、酒ばかり煽ってた。
新郎が手紙を読んでる時も、おうおう泣いてて俺が支えてなきゃならんかった。
「一生大切にします」って言った時に、「当たり前だ…っ」ってぼやいてたww
俺は意外に冷静でいられた。
式には俺の顔見知りも何人かいたし、泣いたら格好がつかないからぐっと堪えて
いたのが事実なのだが。親父やおふくろが泣いていたから、逆に落ち着けていた
のかもしれない。
妹が両親への手紙を読む。もう親父がやばいww もう号泣。普段は寡黙で恐い男
なのに、「M子ぉ、M子ぉ、行くなぁ」って。子供みたいに。
「続いて、新婦より、新婦のお兄様へのお手紙です」
…へ?
俺は固まった。
普通、新婦が挨拶すんのは両親だろ。何だよ、今なんか、「お兄様」って言わ
れなかったか?
壇上を見ると、妹が、M子が、こっちを見ていた。泣いていた。
…何だよ。
「お兄さんへ」
何だよ、お兄さん、って。お前、そんな風に呼んだ事なかったじゃないか。
いつもIくんって呼んでたのに、何だよ、それ。
「私は今この瞬間も、お兄ちゃん離れが出来るかどうかが…とても心配です」
この時点でもう、妹の声は震えていた。
「社会に出て、私はいかにIくんに甘やかされていたかを知りました。
 Iくんは何でも私に譲ってくれていましたね。新しい家に引っ越した時、大
 きい部屋がいいと ごねる私に「うん、いいよ」と譲ってくれました。
 Iくんのモノなのに、私が「欲しい」と言うと、「いいよ」と何でもくれま
 した。小さい頃から、今の今まで、ずっとそうでした。
 人は私を我侭だといいますが、その原因の大半はIくんのせいですね」
おい、そこは笑うところだろ…? 泣いてちゃ駄目だろ。しっかり喋れよ…。
手が震えてるのが見える。
本当は人前が苦手なんだよな。知ってるぞ、俺。本当は上がり症なんだよな。

50 :
正直言って気持ち悪い

51 :
>>50の愚図は無視して。
続き聞かせて下さい。

52 :
続き希望!

53 :
続きを聞かせて下さい。

54 :
おねがい 続き おねがい 続き >>50のクソヤロウの所為で…

55 :
この流れを見ると50に同意せざるをえない

56 :
>>50

57 :
http://jp.youtube.com/watch?v=5SMIgGAHAoU&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=looALHmz6aA&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=XlJkpEsaYMY&NR=1
http://jp.youtube.com/watch?v=aJ47PkaeM_M&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=vsbv9Y-oPxg&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=srYyLjVihYQ&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=GyY_GFtj5Tg&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=9uF85UO9-lg&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=svH44ZUVE4A&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=k9OJL0c-CBg&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=I7nMFPYuF7o&feature=related
鉄道をこよなく愛する人たち

58 :
>>50
鏡でも見ちゃったか?

59 :
オレさ、木曜日に正社員の面接行ったのね。もうこれで20数社目。
今まで全部駄目だった。
それで、その日は車でしか行けないところだったんで、
オフクロが仕事を休んで付き添ってくれた。
駐車場の社内にオフクロを待たせて面接してもらった。
出てきたのは社長と人事課長。社長が絵に書いたような悪人顔でさ。
鼻くそほじりながら履歴書見て「職歴なし?あんたもう30だろ?」
「バイトなら経験あるっていったって職歴なしは職歴なしだろう?」
「うちでそんなの雇うわけないだろ?もう帰ってくれ。用はないだろ。終わり終わり」
車に戻るとオフクロは面接には触れず、「また寒くなるんだって、今ラジオで言ってた」
「ごはん食べて帰ろうか」って。
無言のままうどん屋に入ってカツ丼食べた。
そしたらオフクロが「受かるといいねー」って言うからさ、オレ、答えに困っちゃってさ。
で、いろんな言い訳考えた末に、正直に、「いや、駄目だったんだ、今日も」といった。
そしたらオフクロ、「また次も送っていくよ、カツ丼、あんまりおいしくなかったね」だって。
・・・・今頃になって泣けてきたよ。・・・・情けねーなー。・・・就職してーなー・・・・。
・・・・・・・・今まで何やってたんだろうな、オレは。・・・・・・・・・・

60 :
がんばれ!
おかんを喜ばせてやれ

61 :
中学の頃に、好きな子がいたんだよ
あたまも良くて、可愛かった
幼なじみでさ、よく遊んだ
でも、ある時気付いたんだ
俺みたいに勉強もできない、運動もだめ、すぐにへまをして足を引っ張る
こんな落ちこぼれと付き合って幸せなのだろうか? …って
同級生に頭が良くて、イケメンで、運動もできる子がいた
しかもよく話をしていた
俺は決めた 彼女を諦めて彼に譲るって
それでさ、思い切って借りていた時点とか漫画本とか一気に返したんだよ
で、何故かその1週間後に俺引っ越したんだ
別にショックなんかじゃないぜwww
もう諦めたんだしwwww
でもね、この話を思い出すたびに目から水があふれてくるんだwww
今もあふれて止まらないやww

62 :
[PV] FUNKY MONKEY BABYS - 旅立ち
http://jp.youtube.com/watch?v=U_U_QOrQjbA
今 旅立ちの日 君が強く
Oh oh 残してきた足跡が 闇の中の光となり
Oh oh 果てしなき道を照らす
さぁ行こう 僕らの未来へ
さぁ行こう もう迷わないで
どこに当たって転んでも 間違いだらけじゃないだろう
歩くその先に 新しい道が開けるんだ
今 旅立つ時 君が何かを 見失いかけた時は
耳をすませ あの日のように 大きな声で僕が歌うから
http://lirama.net/song/238595

63 :
おれが保育園の頃、
保育園で自分ちのばあちゃんとおにぎり作って食べる会みたいなのがあった。
でも、うちのばあちゃんはそのちょっと前に亡くなってて俺だけばあちゃんがこなくて泣いてた。
そしたら知らないばあちゃんが一緒におにぎり作ってくれたんだ。そのばあちゃんも孫がいなっかたらしい。
ずっと泣いてる俺の頭なでながら、やさしく声掛けながら一緒におにぎり作って食べてくれた。
俺はなんだかうれしくてもっと泣けて来たな。
その時お礼言えなかったのがすごく悔しい。

64 :
あの頃携帯があったらなーと今でも思う。

65 :
あっても、俺の場合聞きだせる立場にはなれないような気がする。
固定電話は向うの親が出るし、いろいろ緊張したなぁ。
でも、今じゃ個人情報保護のため、そういう電話番号もわからないままかもと考えると、
それで良かったのかなぁとも思える。

66 :
          ,,                                 ,,,
  ゙'lliiiiiiiiiiiiilllllllllllllllll|||li,,                               l||||l
   ゙゙゙゙゙  、,,,,,,,ii!!"゙゙゙゙゙     、,,,,,,   、,,,,                      ||||
      ,l||||"       ゙゙'llli,, ゙l||! ,,l|||゙   ill,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,iiilllll,,,      |||
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     ,il|l゙゙            ,,rlll"                      ,,,,
    ,,ill"゙           ,,,ril"゙                         il||||l

67 :
いい話

68 :
今更ながら49の続きが読みたい

69 :
来月俺は結婚する。相手は元付き合っていた彼女の妹です。元付き合っていた
彼女は2年前に天国に旅立った。彼女は母を幼いころに交通事故で亡くしそれ以来
父と妹と一生懸命に生きてきた。その父も他界してからは姉妹で暮らしていた。
俺が姉と出会ったのは大学合格後の春休みに一人旅に出たときだった。大阪から東北を1週間旅行
した。2日目に秋田の男鹿半島に向かった。春は近いというのに海は大荒れだった。
大荒れの中海沿いを歩いていると一人の女性が寂しそうに海を眺めていた。
「こんにちは」
と声をかけてみた。しかし気づかないのかただ海を眺めていた。なにかお祈りをしているかのような姿だった。
もう一度声をかけてみた。今度は俺のほうを見た。しかしその目はにらみつけるようだった。
「寒いですね」
続けてそう声をかけるとまた睨んできた。さすがに気まずくなって黙っていると女性は叫びだした。
「どうして!」
そういった。そして俺から離れようと駆け足でぬかるんだ道を走り去ったときだった。雪に滑って転んだ。
俺はあわてて駆け寄った。
「大丈夫ですか!」
そう声をかけた。今度はうつむいたまま黙っている。足を見るとどうやら捻挫をしたらしく一人で歩くと痛み
があるようだった。
「家はこの近くですか?」
そう聞いてもただうつむいていた。

70 :
だんだんと雪が強くなってきた。どうにかしてこの女性を近くの民家まで連れて行って応急処置をしてもらわなくてはならない。そう思って
彼女を見た瞬間だった。彼女は泣いていた。足が痛いから泣いているのか?泣く理由がわからなかった。
そして俺は決断した。
「僕におぶさってください。近くの民家に連れて行って手当てをしてもらいましょう」
そういうと少しびっくりしたような表情を見せた。雪が強くなってきたので彼女をお姫様抱っこするような感じで歩き始めた。
彼女を持ち上げたとき、ずいぶんと軽いと感じた。だから15分ほど吹雪の中を歩いていたのだがそれほど苦にはならなかった。
民家に行き、彼女の怪我の手当てをお願いした。民家にはおばあさんが一人だった。突然の訪問にもかかわらず傷の手当てをしてくれた。
しかも暖かいきりたんぽまでご馳走してくれた。
礼を言って民家を後にするとバス亭に向かった。彼女はこれからどうするのか聞いてみたがまったく言葉を発しなかった。ただ、俺がバス
で帰りますのでというと何も言わずについてきた。
バスに乗り込むと彼女が3つ前の席に座った。乗客は俺と彼女の2人だけだった。
バスは暗い夜道を海沿いに走っていた。窓の外には暗い冬の日本海の景色が見えていた。代わり映えのしない景色を彼女はじっと眺めていた。
その後姿を見ていろいろ考えてみた。この人はなぜあんな寂しいところで一人でいたのか、なぜ怒り出したと思えば泣いたりしたのか、わからなかった。
ただ彼女の姿を見ていると寂しさでいっぱいだった。無表情だった。
まさかこの人は自をしにきたのかと突拍子もないことを思った。そんな考えをあわてて否定した。
どんな理由があるにせよ、俺はこの人を家まで送ってあげようと思った。そしたらもうこの人と係わり合いになることもないだろう。

71 :
>>49をセメントと言うならば、
>>69-70はケーフェイ

72 :
あるバス亭に近づいたときだった。彼女が降車ベルを押した。バスが止まるとゆっくりと前のドアに向かう。料金を払おうとして彼女が困っていた。
財布がないようだった。
「財布、転んだときに落としたんですかね?」
そう聞くとまたうつむいてしまった。俺は彼女の分の運賃も払ってバス停を降りた。
「家はこの近くですか?」
と聞くと彼女は1件の家を指差した。バス停から100メートル先の家まで肩を貸すような感じでゆっくりと歩いた。
家の玄関まで来た。どうやら一人暮らしのようだった。
「じゃあ俺はこれで失礼します」
というと無表情のまま何も言わずに家の中に入っていった。
俺はそこから近くの駅まで歩いていった。
とにかく変わった人だと思った。何も話をしないし、ずっと暗い表情だった。彼女に何があったのだろうか、何か悩みでもあるのなら
手助けになってあげたい、俺はなぜかそう思った。でも俺に何ができようというのか。秋田には旅行に来ているのであってあと5日もし
ないうちに京都に帰ってしまう。何かしてあげたいというのも彼女にとってはおせっかいなのかもしれない。
もう彼女は俺の名前も住所も知らない。彼女と会うことは二度とないだろうそう思った。
しかしこの5日後に偶然にも再会することとなるのであった。

73 :
>>71
セメント?ケーフェイ?どういう意味ですか?

74 :
>49の話が気になる…

75 :
69は泣ける話になりそう。続きおながいします。

76 :
15年前の話です。
今でもそうだが人付き合いの苦手なオレは、会社を辞め一人で仕事を始めた。
車に工具を積み、出張で電気製品の修理や取付の仕事。
当時まだ携帯電話は高価で 俺は仕事の電話をポケベルに転送し、留守電を聞いて
お客さんに連絡するという方法しか取れなかった。生活さえギリギリだった。
ある日 母親が九州の実家から関東の俺の家まで訪ねてきた。遠くから来た親を
いたわることもせず、無愛想な俺、ホントにバカだ。俺を心配し、掃除、洗濯 料理を
作り山ほど食糧を置いて母は帰郷した。バカ息子は見送りもしない。
仕事から帰宅した俺は母の手紙を見つけた。「仕事頑張って下さい、少しですがこれで
携帯電話でも買って声を聞かせて下さい。」手紙にはお金が同封されていた。
手紙を手に俺は、わあわあ泣いた。 
カメラやメールなんて出来ない。メモリーも50件しか入らない初期の電話。
でもこの電話にどれだけ助けられただろう。俺には最高の宝物。
母の日に電話を送った。ちゃんとお礼をいわなければ。
「おかあさん どうもありがとう」と。

77 :
スレチかもしれんが書かせてくれ。
あれは俺が5〜6歳の頃の夏…確か幼稚園だったと思う。
ある晩もの凄く腹が痛くなり、寝ていた親を起こし酷い腹痛を訴えた。
両親は俺に正露丸を飲ませたが、腹痛は治まらず夕飯を全部吐いてしまった。
次の朝早くに病院に連れて行かれすぐに精密検査。
その病院では手術はしないで投薬治療で二週間程入院した。
寝たきりで遊びたい盛りの俺は退屈だったのを覚えている。
しかしやっぱり体調は良くならない。
病名は…詳しくは忘れたが腎臓と膀胱を繋ぐ管の一部が異常に細く、
そのせいで腎臓の横に水の袋が出来てるんだと。
比較的近くの病院で手術する事に。
着いた先の病室は個室じゃなくて一般の病室だった。
しかも前の病院とは違い、ある程度規律があったが自由に動けた。
これが嬉しくて仕方ない。
俺は人と話するのは苦手では無かったので、
一緒の病室になったおじさんやお婆さんや高校生のお姉さんお兄さんによく可愛がってもらった。
年が近い男の子もいてよく遊んだ。
俺がこの病院に来て少し経った頃、
隣のベッドの高校生のお姉さんが退院したかそれとも別の病室に移ったかは分からないが
そのベッドが空いた。
看護婦さんは「ここに○君(俺の名前)と同じくらいの女の子来るよー」って言ってた。
どんな病気かは忘れたがとにかく俺の隣のベッドに来た。
最初は恥ずかしそうにしてたが半日もすれば打ち解けて仲良くなっていたんだよな。
思い出補正もあるが可愛い子だったと思う。
次の日はその女の子、もう近くの病室の人と打ち解けてた。
俺の事をを随分気に入ってくれて
夜になるとベッドの脇についてるカーテン閉めようとすると
「閉めないで〜…」とか言ってくる。何で?って聞いたら「…顔見たいから」とか言ってくる。
俺は当時ガキだったから女の子なんて全然意識してなかったから「?」と思いながらもカーテン開けたままにして寝てたなあ。
(今思えば凄く惜しい事した気がする)
続く

78 :
続き
話は病室に戻る。
その病室では親父が買ってきてくれたドラクエのカードゲームがちょっとしたブームになってた。
俺とその女の子と同い年くらいの男の子やら高校生のお兄さんやら
いつの間にかこっちの病棟に戻ってきたお姉さんや俺の両親やその子のおばさんまで一緒になって
皆でドラクエのカードゲームやってんの。
傍から見たら実に変な構図だ。ガキや若者、中年のおじさんおばさんが一緒になって夢中でカードゲームやってるw
うわあ負けたとか言いながらなw
それが・・・なんというかすんごい暖かかったんだよ。
俺が薬苦くて飲めなくて泣いてたら高校生のお兄さんが応援に来てくれる、とか日常茶飯事だった。
なんというか大きな家族が出来た気分だった。
病院って結構孤独なイメージあるかもだけど俺はその病院では決して独りじゃなかった。
皆で一緒に頑張って退院しようっていうかそんな雰囲気が常にあった。
その後俺は大きな病院に移って手術を受け退院した。
皆退院したりもっと大きな病院移ったり・・・元気でいるだろうか・・・。
高校生のお兄さんお姉さんはもう30過ぎか・・・
俺の隣のベッドに来た女の子・・・俺より先に退院して「また会おうね♪」って手を振ってくれた・・・(結局会えず仕舞いだが)
もう働いているんだろうか・・・それとも大学に行ってるか?
俺と同じ病室にいた人・・・中には命に関わる病気もあったんじゃないだろうか?
だけど俺は生きていて欲しいと強く願う。
何故なら・・・俺達は短い間だったけど一つの「家族」だったんだから・・・。
駄文スマソ(´・ω・`)

79 :
72の続き
その後、青森、岩手を旅して最終日がやってきた。
朝6時に青森駅に到着した。ここから大阪まで走る特急に乗るためだ。
朝6時にあわただしく電車に乗った。車内は20%ぐらいの乗車率で空いていた。
電車は弘前、大館を停車して秋田を過ぎた。秋田を過ぎてまもなくトイレに行くために席を立った。
用を済ませて自分の席に戻ろうとするとき、背後から声をかけられた。
「こんにちは」
振り返ると見たこともないほどきれいな女の人がたっていた。単なる挨拶だろうと思い軽く挨拶をした。
「こんにちは」と返すと席に戻ろうとしたときだった。
「先日はどうも」
と女の人が言った。俺は目の前にいる人に見覚えがなかった。ポカ〜んとしていると
「こんなところでまた会えるなんて偶然ですね」
はて、どこであったのかと考えている。
「私は...4日前に入道崎で助けていただいた。。。」
そういわれてもまだわからなかった。しばらくの沈黙の後、女性が少しうつむいた。
その表情で気がついた。

80 :
「ああ、あのときの人ですか」
「先日はお世話になりました。」
そういうと彼女はにっこりと笑った。入道崎で助けたときとはまるで別人だった。
今目の前にいる彼女は明るい表情をしてきれいな服を着てとにかくしゃべっていた。
入道崎では彼女は「どうして!」という叫び声にも似たような言葉しか発していなかった。
あまりの変わりように唖然としていると彼女のほうから誘ってきた。
「私は3号車の指定席にいるんですがあなたは?」
「7号車の自由席です。」
「どこまで行くんですか?」
「京都までですよ」
「私は大阪までですよ。それまでご一緒できますね」
このように今回は彼女のほうから積極的に話しかけてきた。入道崎のときとはまるで反対だ。
結局彼女が俺のいる席の正面に座ることになった。それから京都に着くまでの11時間2人で話
すことができた。
自己紹介からはじまり、お互いの趣味のことなどを話した。聞くと彼女は東京の女子大生で3年生だといった。
ということは俺よりも2歳年上ということになる。春休みなので秋田に帰省しているが今回は大阪にいる彼女の
叔母が入院したのでそのお見舞いのために電車に乗ったのだという。なんという偶然!
11時間も話すことはないだろうと思っていたが次から次へと話が進んだ。とても楽しい時間だった。
新潟を過ぎ、金沢を過ぎても話が尽きることはなかった。
福井を過ぎてまもなく、俺は気になっていたことを聞いてみた。
「なぜあんな寂しいところにいたんですか?何をしていたんですか?」
こう聞くととたんに彼女は黙ってしまった。下を向いてゆっくりといった。
「あの時は・・・ただ海をみたかったの。。。。」
寂しそうにひっそりとそう言った。
しまった!この質問はしてはだめだったのかと思ったがもう遅い。それからは
話が途切れてしまった。
窓の外が暗くなり始めた。この日は青森からずっといい天気だった。敦賀を過ぎて左手に琵琶湖がみえはじめた。
次の停車駅は京都だった。昼間なら琵琶湖の青い湖面が楽しめるのだがこのときはもう暗くて琵琶湖は見えない。
山科のトンネルに入った。車内アナウンスがまもなく京都に着くことを告げている。
楽しかった。でも入道崎にいた理由を聞いてからはほとんど話さなくなった。その質問をしたことを後悔した。

81 :
山科のトンネルを列車が抜けた。席を立った。
お互いの連絡先はまだ知らなかった。
「もう一度会いたいです」
その一言が言えずにいた。
京都駅に着いた。ホームに下りるとドアをはさんでむかいあわせになった。
「あああ・・・ううう・・」
声にならない声を発した。発射ベルがなった。そのとき彼女が言った。
「ねえ、手を出して!」
突然のことだったが手を出すと手を握られた。そのときドアが閉まった。
ゆっくりとホームを離れていく電車を見送った。
とうとういってしまった。もうこれで会うこともないだろう、そう思った。
なんかとても疲れたのでしばらくホームで休むことにした。
ベンチに腰を下ろすと手に紙切れを握っていることに気がついた。
くしゃくしゃになった紙を広げてみた。そこにはこう書いてあった。
「また会いたいです。私の連絡先を書いておきます」
彼女の携帯の番号と住所が書いてあった。これでまた彼女に会えるチャンスを得た。
俺はニヤニヤして階段を駆け上がり転んで足を捻挫した。

82 :
山科のトンネルを列車が抜けた。席を立った。
お互いの連絡先はまだ知らなかった。
「もう一度会いたいです」
その一言が言えずにいた。
京都駅に着いた。ホームに下りるとドアをはさんでむかいあわせになった。
「あああ・・・ううう・・」
声にならない声を発した。発射ベルがなった。そのとき彼女が言った。
「ねえ、手を出して!」
突然のことだったが手を出すと手を握られた。そのときドアが閉まった。
ゆっくりとホームを離れていく電車を見送った。
とうとういってしまった。もうこれで会うこともないだろう、そう思った。
なんかとても疲れたのでしばらくホームで休むことにした。
ベンチに腰を下ろすと手に紙切れを握っていることに気がついた。
くしゃくしゃになった紙を広げてみた。そこにはこう書いてあった。
「また会いたいです。私の連絡先を書いておきます」
彼女の携帯の番号と住所が書いてあった。これでまた彼女に会えるチャンスを得た。
俺はニヤニヤして階段を駆け上がり転んで足を捻挫した。

83 :
名作の予感。。。

84 :
69に出てくる特急って白鳥のことか?
スケールの大きなストーリーになりそう。
鉄道板から来ました。

85 :
おい!69続き楽しみにしてるぞ!!

86 :
俺なんて49の続きも読みたくて待ってるのに・・・

87 :
俺なんか49も69も待ってる
待ってるからな

88 :
69を読んで電車男を思い出した。

89 :
楽しかった記憶というと、いつも思い出すのは、高校時代のことだ
それ以前にも幸せな記憶はあるのだけれど、一番って決めてしまうと、
高校時代しか思い浮かばない。
私は父親がずいぶんなDQNだったらしい。生後10ヶ月程度で父母は離婚し
母は私と2歳上の姉を連れて祖母の家に戻った。
祖母は私たちの世話はやってくれたが、基本的にねじくれた性格の人で
物心付かない私たちを捕まえて「お前は人間じゃない!絶対に幸せに
なんかなれない!」等ストレス解消にわめくのはしょっちゅうだった。
姉は朗らかな性格で学校内の人気者になったが、私は陰気な性格で
あまり友人も出来なかった。姉が私のことを面白おかしく周囲にばらまくので
年上の人が何故か私のことを知っていて、からかわれたりもした。
(全学年が聞くクラス放送で「私の妹はゴジラみたいです」と流された
恨みは一生忘れられない)
小4になったとき、姉が網膜剥離になり、手術が必要だと聞かされた
友達は少ないながらも、平和な毎日を送っていた私は、引っ越しによって
状況が一変した。
その引っ越し先で、今でも馬鹿だと思うのだが重大なヘマを犯して、
私はいじめられっこになった。
いじめられっこになった私は、昔の写真ばかり懐かしむようになった。
それが「自分だけが不幸」な姉には気に入らなかったらしい。古い
友人の写真をこれでもかと破かれた。学校でしかもらえなかった、
行事の写真で、小4で引っ越した私には卒業アルバムもない、そういう
写真だった。特に妹なので写真は少なく、今残っているのは数枚だ。
そんなとき、誰が助けてくれただろう、親も助けてくれなかったのに。
そう、誰も助けてはくれなかった。
姉の病気は何度も再発し、中学で(成績のことで)ちょっとした有名人になった私は
性的ないじめを受けた。男の子とろくに話も出来ないような子だったのに。
それについては、姉が「妹が迷惑を掛けた」と思い込んで謝らせる、という
異常事態があった
時過ぎて高校、部活に入った。漫画イラスト研究部だ
優しい先輩や同級生に恵まれて私は幸せだった
そんななか、病気病気で追いつめられた母親が、私の頭を金槌で殴るという
異常事態が起きた。
1週間は意識不明だった。誰も病院になんて連れて行ってくれる筈もなかった。
2週間は経って、やっと部活に戻れた。そして昼、先輩はこう言った。
「なーお(仮名)、フライいるー?」
一番安いからあげ定食を頼んだ私への言葉だった。
私はぽろぽろと涙をこぼした。

90 :
馬鹿みたいだ。何で泣ける?私の家は姉の病気で苦労ばかりで、
私はたくさんの友達をもてるほど良い子じゃなくて……
そう思ったら、ぼろぼろ泣けてきた。本当に泣けた。先輩は困ってた。だけど嬉しかった。
あの時の嬉しさは、何とも形容できない。
「アホやなぁ。なおは」
普段なら高いプライドが邪魔する言葉も、自然に受け入れられた。
そこ(学食)で泣いたことが噂になって、何人か理由を尋ねに来たけれど
受け入れなかった。周囲の何人か、放っておいてやれという言葉を聞いた、
その人達には分かりそうな苦労が、あの子達には分からなかっただろうから。
10年は経った今では、分かっているのかも知れないが。
あの日から、からあげ定食が大好きになった
今でも心からへこんだ時、からあげ定食を頼む。
悲しい記憶と、優しい記憶が合致していて、少し悲しい

91 :
俺が消防の頃の話
同じクラスに黒田平一(仮名)、通称クロベーってヤツがいたんだ。
クロベーの家は母子家庭で母親とクロベーと弟の3人暮らしだった。
クロベーの一家は、親戚の家の離れに間借りして、風呂は母屋のを共同で使わせてもらっていた。
クロベーの母ちゃんは、その親戚の家業を手伝う形で生計を立て、
女手一つで一家を支えていていた、所謂、貧乏な家庭だったんだ。
制服のズボンとかも何年も同じのをはき続けてるから丈が短かったり、
体操着なんかも所々破れたりしてんだ。
しかもクロベーは軽く池沼気味で、ギリ普通のクラスって感じで体も小さく、
万年ハナタレで勉強やスポーツは大の苦手でだった。でも、すげーいいやつなんだ。
いつも笑顔を絶やさず、優しくてクロベーはクラスの人気者だったんだ。
そんで、クロベーは虐められることもなく、無事小学校を卒業し中学校へ進学した。
そして俺は、中学でもクロベーと同じクラスになったんだよ。
クロベーはスケッチが好きで、休憩時間になるとテラスに出て、
よく風景を写生してたんだが、クロベーの場合は太陽を写生したりするわけ。
目を細め、太陽を直視しつつ、すげー色使いで太陽だけをスケッチするんだよ。
すると、この様子を見た他の小学校出身の連中がクロベーを虐め始めたんだ。
虐めっつっても、暴力を振るったり無視したりするわけではなく、
クロベーの突飛な発言や行動をからかったりする程度だったんで
俺もそこまでは気にはいなかった。

92 :
そんなある日、授業参観の案内があったんだよ。クロベーの母ちゃん
は仕事が忙しく、消防の頃から殆ど学校行事に参加していなかっ
た。クロベーは運動会の時も、弟と二人教室で弁当を食べていたんだ。
ところが、親戚の粋な計らいで、今回はクロベーの母ちゃんが来るら
しい。クロベーは満面の笑みで俺たちに、そう報告した。
そして参観日当日、どこの親も、一張羅でめかし込んで来るわけ。
当然俺の母親もスーツで来てたんだよ。
そんな中、いよいよ授業が始まるって時にクロベーの母ちゃんがやっと登場。
仕事の最中に学校に寄った様子で、ピンクのジャージに紺のヤッケを羽織ってる。
急いで走って来たらしく首に掛けた手ぬぐいで額の汗をぬぐいながら、
場違いな雰囲気に遠慮がちに教室に入って来た。将に貧乏丸出しである。
でも、クロベーの顔を見ると、そりゃー嬉しそうにニコニコ笑って張り切ってたよ。
そんで、授業開始、その日は担任の女教師による日本地理の授業だったんだ。
程なくして、先生がこんな問いかけをした・・・
「北海道の旭川市は稚内と比べると南に位置するにも関わらず冬季
の気温が低いのはなぜか?」この中学生には難しい問いかけに一同
沈黙する中、なんとクロベーが「はい!!」と高らかに張り切って
手を上げたわけ。
普段からクロベーの突飛な回答に困惑していた先生も「しまった!!」
つー表情。先生は「では、黒田くん」と已む無くクロベーを指したんだ。
クロベーの回答は以下のようなものだった・・・
「稚内には牧場がいっぱいあって、牛がたくさんおって、その牛の息が
集まって空気が温くなります」と、言い放ったんだ。

93 :
当然、保護者含め一同大爆笑。するとクロベーの母ちゃんが言った
「いいぞ平一!!」てな。
そんで次の瞬間、無言でクロベーのところにツカツカと寄って来て、
ハナタレだったクロベーの鼻水をチーンと手ぬぐいでぬぐったわけ。
笑い声は一気に静まり返り、一同呆然とする中、クロベーの母ちゃんは
何事もなかったような涼しい顔で教室の後ろへと戻った。
俺は、なんだか妙に感動して、胸がジーンと熱くなるような感情を覚えた。
けど、周りのやつらの反応は違ったね。
この一件は、クロベーの虐めを激化させる引き金となってしまったんだ。
「貧乏人」「不潔」に始まり、クロベーの母ちゃんを中傷するような酷い
言葉を浴びせ掛けられたんだ。
腕力に自信のあった俺と連れのHは、そのたびにクロベーを助け、
虐めている連中を一喝した。
しかし、俺たちの見てないところで虐めは更にエスカレートし、靴を隠したり、
筆箱に残飯を入れたり、無視したりと陰湿なものに移行していった。
しかし、クロベーは気にする様子もなく、淡々と笑顔ですごしていたよ。

94 :
そんなある日、クラスで盗難事件が発生した。
ある女子生徒が、鞄の中に入れていた、現金の入った封筒を盗まれたと
騒ぎ出したんだ。
すると、クロベーを虐めてた連中の一人が「貧乏人の黒田に違いない」
と騒ぎ立てやがったわけ。
移動教室の時、おっとりしたクロベーはいつも最後まで教室に残ることが多く、
それが疑われる要因になったってこと。
俺とHは必死に「クロベーは人の物を盗んだりするようなヤツじゃない」
と訴えたが、生活指導の強面教師は、クロベー犯人説を真に受けて
クロベーを尋問しやがった。
身に憶えのない容疑に、クロベーは「知らない」と否定したが、
状況証拠のみでクロベーの尋問は続き、語彙の乏しいクロベーは、ただ
「知らない」と言い張るばかりで、生活指導の教師の心証を悪くしたようである。
そして下校時間を過ぎ、その日の取調べは一端終了し、クロベーは仮釈放となったんだ。
ところが次の日、あらぬ冤罪を掛けられた息子を弁護すべく、クロベーの
母ちゃんが職員室に乗り込んで来たんだよ。噂を聞きつけた俺とHは、
急いで職員室に様子を見に行ったんだ。
そしたら、クロベーの母ちゃんは嗚咽して、生活指導の教師にすがりつき、
泣きながら叫んでるんだ。
「あの子じゃありません!あの子は人の物を盗むような子じゃないんですっ!!」てな。
噂はあっと言う間に全校を駆け抜け、野次馬達が集まって来たんだ。
汚い格好で嗚咽するクロベーの母ちゃんを見て「あいつら共犯に違いない」
などと心ない噂が学校中を駆け抜け、クロベーに対するイジメや中傷は更に激化したわけ。
この事態にさすがのクロベーもシュンとした様子だった。俺とHは、
クロベーを励まし勇気づけ、更に冤罪を晴らすべく真犯人を探し聞き込みを開始したんだよ。

95 :
しかし、なんの手がかりも掴めず、クロベーに容疑が掛かったまま一週間を過ぎたある日、
担任の先生から思わぬ報告があったんだ。
紛失した現金入り封筒が見つかったと・・・・
なんと紛失したと思われていた封筒。実は、その女子生徒の勘違いで鞄の奥にあったんだよ。
でもあまりに騒ぎが大きくなったんで今まで言い出せなかったが良心の呵責に苛まれ、
その子は、泣きながら担任に事の顛末を告白したんだ。
「黒田くん、疑いを掛けてごめんね」と担任から報告を聞き終えた瞬間、
Hのヤツが突然立ち上がり「うおっー!!」叫びながら走り出し、クロベーが犯人と最初に
疑いを掛けたヤツにいきなりドロップキックをブチかましたんだ。
続いて俺も立ち上がり、助走をつけて、そいつにラリアットをブチかましたんだよ。
まるで、ゴディ・ウイリアムズ組みてーな見事なコンビネーションでな。
続いて、その取り巻きのヤツら含め3人をボコボコにしてやったんだよ。
すると心の優しいクロベーは俺達を止めるべく「やめて!!」と割って入ってきて、
俺達は「おまえは悔しくないんか!!」とクロベーを払いのけ、更に連中をどつきまくったんだ。
そんで、俺達は駆けつけた生活指導の教師に取り押さえられたわけ。
当然、死ぬほど怒られたよ。俺達は何度も生活指導の教師にぶん殴られたんだ。
そんで親も呼び出されこっぴどく怒られた挙句、俺達がどついたヤツらの家を一軒一軒、
親と一緒に頭下げて回らさせられたんだ。
行く先々の家で俺たちは罵倒され、それでも親に無理やり頭を抑えつけられ俺たちは頭を下げた。
正義のヒーローのつもりが、自分の親にまで迷惑を掛けてしまい、俺はその理不尽さに
一人悔し泣きしたんだ。

96 :
ようやく、ほとぼりも冷めたある日、クロベーが俺とHの所にやって来て、こう言った。
「今日うちの母ちゃんが二人にご馳走したいって、だから遊びにおいで」と言うんだ。
別に用事もなかった俺達は即座に了承したわけ。
そんで放課後、俺達はクロベーの家に行ったんだ。だが、まだお母さんは仕事から帰ってなくて、
家にはクロベーと弟しか居なかったんだ。
俺達は仕方なく、ファミコンはおろか、テレビすらないクロベーの家で母親の帰りを待ったんだよ。
いい加減に待ちくたびれた18:00を過ぎた頃、クロベーの母ちゃんが帰ってきた。
「みんな遅くなってごめんね、いまご馳走するからね」と手に下げた買い物袋をテーブルに置くと
エプロンを付け何やら料理を始めたわけ。
暫くすると「ぷーん」とカレーの匂いが漂って来た。
「やったカレーだ!!」クロベーの弟が嬉しそうに叫んだ。
程なくして、クロベーの母ちゃんが「おまたせ!!」と鍋に入れたカレーを持ってきたんだよ。
それと餃子も出て来たんだが、よほど好物だったのか、クロベーも弟も餃子に歓喜の声を上げたんだ。
俺達にとっては、ご馳走と言うには、ほど遠いメニューだったが、貧乏なクロベーの母ちゃんにしたら
精一杯のもてなしだったことだろう。
腹も減ってたんで俺達はとりあえず食べることにした。
カレーに肉はなく、刻んだ魚肉ソーセージと玉ねぎとジャガイモニンジン、そして、なぜかシイタケが
入っていたが、どうやらこれが黒田家のデフォルトらしい。
だが、味はうまかったので俺達は豪快にカレーを流し込んだんだよ。
そんで暫くするとクロベーの母ちゃんがスプーンを置き、静かに口を開いて俺達にこう言ったんだ。
「あんた達、平一を助けてくれてありがとう、これからも友達でいてね・・・」
そう言うと、声を上げて、うぉんうぉん泣き出したんだ。
俺もなんだか悲しくて、そして嬉しくって、涙が溢れて来て、声を上げて泣いたんだよ。
Hも釣られて、みんなでカレーの味も判らなくなるほど泣きじゃくったんだ。
一言もしゃべらず、ただカレーを食べながら声をしゃくりあげて泣いたんだ・・・・
クロベーだけは笑ってたな。

97 :
そんで、それから中学校3年間、俺とHはクロベーを守ったんだ。
そして、卒業を迎え、俺とHは地元の高校に進学、クロベーは県外へ就職することになってたんだ。
俺とHはクロべーに別れの言葉を告げたんだ
「もう俺達は、おまえを守ってやれない、これからはお前が母ちゃんを守っていくんだ」
そうクロベーに言った「わかった」と力強い言葉がクロベーから返ってきたんだ。
その言葉に俺達は安心してクロベーと別れたんだ。
それから数年後、県外に落ち着いたクロベーは、母ちゃんと弟を呼び寄せ、
3人で一緒に暮らしはじめたんだ。あのクロベーが、なんと頼もしいことだろうか。
だが、俺の記憶はあんときのままだ・・・。
今も思い出すクロベーの屈託のない笑顔。あいつには幸せになる権利があるんだ。
あれから四半世紀が経ち、今は、俺も家族を持ち、子供を育てる父親となった。
俺は子育てで悩んだ時、いつもクロベーの母ちゃんの事を思い出す。
親ってのは、どんなにブサイクで恰好悪くても、子供の味方して守っていかなくちゃならないんだと・・・。
長文、駄文失礼しました。おわり・・・

98 :
>>97
いい話だ!
今はクロベーと交流はないの?
ハンセン・ブロディ組だったら、生活指導の教師ものしてやれたのにな。

99 :
>98
ごめんコレ パート1のコピペ何だわ

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