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2011年10月1期司法試験昔の合格体験記を語ろうず
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昔の合格体験記を語ろうず
- 1 :11/10/20 〜 最終レス :11/11/26
- 掲載媒体は何でもいいです。
昔の一発試験時代は面白い体験記がたくさんありましたよね^^
- 2 :
- にげっちゅ
- 3 :
- ●●●昭和四九年度司法試験合格者 喜びと戦績を語る●●●
最年少合格者の体験記
東京大学
山口厚
九月三〇日。法務省の中庭で合格者の中に自分の名を見つけた時、私は、うれ
しかったには違いないが多少それとも違う感じをいだいた。ほっとしたというの
とも違う気持ちである。何だか「あっけなく」ここまできてしまったという感じ
なのである。自分の実力の程度はわかっているつもりだけに、ほんとうに合格し
てしまってよいのかと思われたのである。私は、今年、初めて受験して合格して
しまった。ほんとうに運がよかったと言える。編集部の方に「体験記」の執筆を
依頼された時も、果たして私の書くものが、「合格体験記」たりうるのかとの気
持ちもなくはなかった。私は、種々の苦労の中で合格をかちとった人々とは異な
り、比較的恵まれた環境の中で勉強してこれたから、これといった苦労話もない
し、二〇才という年齢にしても、参考になりうるような事は書きえないのではな
いかと思われたからである。しかし、私がペンを執ったのは、この程度のヤツで
も「合格しうる」のだということを解ってもらい、若干なりとも参考になれば、
と思ったからである。
- 4 :
- 私は、昭和四四年、東京・目黒区の中学校から「受験校」東京教育大学付属駒
場高校へ進学。いろいろと動揺もあり、一時は本気で、大学で語学を専門にやろ
うと思ったこともあったが、この頃から、中央法学部に在籍していた従兄の影響
等や、漠然とした法曹へのあこがれもあって、法学部を志望するようになった
(そして、司法試験も考えるようになったのである)。大学は、高校の環境もあ
り、迷わずに東大を志望する。
昭和四七年。東大一本しか受験しなかったが、幸いに合格。四月には、東京大
学教養学部文科一類の学生となった。ストライキのために若干遅れたが、講義が
開始。法学の講義の時の先生の、早くから司法試験のための特別の勉強はしない
方がよい、との話を守ったためもあり、また語学の勉強や、経済学の勉強がおも
しろいこともあり、秋休み頃まで、全く司法試験のための勉強はしなかったので
ある。
しかし、まわりの人の中で憲法の本を読み出す人が出たりして、秋休み頃より、
シビレをきらした形で、憲法T・Uを読み出した。しかし、「法律の本はなんと
読みづらいのか」という感じしか残らなかった。現在記憶がはっきりしないが、
二冊を一回通読したところで、中断という形になったと思う。学内試験の準備に
追われ、語学に追われたのである。
- 5 :
- 昭和四八年四月。いよいよ、憲・民・刑の専門の講義が開始。これに合わせて、
春休みから三科目の教科書を読み出す。とにかく民法は、我妻講義を読み始めた
のだが、難しいやら、うんざりするやらで、とうとう、担保物権で中断。薄い本
に乗りかえる(現在でも、我妻講義を基本書にしている人には頭が下がる)。ま
た、友人と憲法の判例等を読みあう等の勉強もやった。一年の時に、本を読んで
いたので、憲法に若干余裕があるという程度であった。本を読んでも、時間がた
つとすぐ忘れる、わからない、といったぐあいで、司法試験までの道のりの遠い
ことをしみじみと感じさせられた。それに、私は、サボるということが出来ない
タチ(?)なので、マジメ(?)に授業には出て、語学の予習をやっていたため
に、法律書を読む時間はあまりない。語学がなければどれだけよいかと思うほど、
「単語調べ」に精を出したのであった。でも、どうにか夏休みが終わった時点で、
一通り、三科目は読んだという感じを得ることはできた。若干ウンザリしながらも。
秋休み明けから、友人にさそわれるままに勉強会を作る。これは非常に勉強に
なった。疑問点がはっきりしたり、新たな興味が出てきたり、これで、法律学と
いうものが、少々好きになれたような気がする。この頃から刑法が好きになった。
団藤先生のわかりやすい講義のためもあったが、理論の着実な論理性にひかれた。
それもこの勉強会で得たことである。
- 6 :
- 憲・民・刑が一通り読めたという気持ちからか、この一〇月頃より、刑訴にも
手を出したわけである。しかし、一、二度通読したのだけれども、よくわからな
いし、興味もうすれていく等で、ほとんど頭にはいらない。この頃は、とにかく、
団藤先生の刑法理論について、いろいろと読み、考えるのが、「おもしろく、楽
しかった」という位で過ぎてしまうことになる。
一人で本を読んでいることの不安ゆえに、真法会の答練(通信)に申し込んだ
のもこの秋である。しかし、とにもかくにも実力がないのだから、毎回の短答の
問題が難しく、全く通らない。二、三回出した程度で出すのは、やめてしまった
(毎週問題を送って下さったのには、申し訳なく思っております)。しかし、短
答のきびしさ、自分の実力のなさを、ほんとうに身にしみて感じさせられたのは、
なににもまして、勉強になったと今にして思われる。どの位すれば合格できるの
かとため息の出る日々であった。
- 7 :
- 明けて、昭和四九年。商法に手をつけてみる。すぐに学内試験のために中断。
このときの勉強は、能率的であった。試験を目前にしての勉強と、そうでない勉
強と、これほど頭に入る具合が違うのかと思われた。試験終了後、商法を一回通
読し、あとは短答の勉強にかかる。条文と問題集をむさぼるようにやった(この
四月に、法学部へ進学)。しかし、どうしても、合格水準には、一、二点足りな
いようである。でも、一すじの「もしかしたら合格するかも」という期待をもっ
て、当日会場の立教大学に向かった。
試験後も、全く自信無し。一、二点足りずに不合格と信じていたところ、合格。
とにかくあわてた。なにせ、刑訴に商法がほとんど白紙。約一月、その二科目を
「やり狂った」という次第である。私という人間は、試験を前にするとファイト
が出てくるようで、読む片端から頭に入るという感じで読めた(講義を少しサボ
るのは残念だったが)。
- 8 :
- それでも、商法・刑訴は不安のままに、論文の試験に入る。今年落ちても、来
年があるサ。マア、様子でも見てヤレ、という気持ちで試験場にのりこむ。かな
りひどい答案を書いてしまった。商法はやはりダメ。刑訴も、第二問は、頭をひ
ねりまわして、珍理論をこしらえあげてきた。これで、もう不合格を確信。試験
後は、来年にそなえて、民法等を読みはじめていた次第。去年よりは、進歩して
いるはずというのが唯一の救いであった。
八月三一日。合格発表を、「不合格を確認」するために見に行く。ところが、
意外にも自分の名を合格者の中に見つけた。驚いたのと、うれしかったのとは、
もう言葉にたとえようもない。夢中で、友人のところへ電話をかけていた。
この日飲んだビールの味のうまかったこと!
論文も意外に合格してしまったので、またまた、あわてた。とにかく、手薄な
ところを読むばかりのことをやって、試験をむかえたのである。とても不安であ
った。全く自信がなかった。また、今年落ちても来年の口述があるということだ
けをたよりに、試験に入って、一八日から二七日の午後の最後まで、なんとかが
んばりきれた。試験官の先生方もあまり難しいところを聞いてこられなかったし、
運がよかったのである。そして、あの九月三〇日を迎えたのである。
- 9 :
- 以上でおわかりのように、私は、予想外の合格をくりかえし、かなりの「泥縄」
でここまで来てしまったのである。正に運がよかったのだし、まぐれ当たりとも
言えよう。ほんとうに、無我夢中のうちに合格したという感じなのである。あま
り学説も知らないし、判例も知らない、私のような者でも、司法試験に合格する
ことは可能なのである。私は、人生経験もない若年ゆえに、これ以上のことを述
べる資格をもたないものと思う。
この「体験記」を読まれた方が、自信をつけられる足しにもなればと思い、私
を見守っていてくれた、まわりの人々に、この日のあることを感謝しつつ、ペン
を置くこととしたい。
(住所 東京都目黒区○○町○−○−○)
- 10 :
- 丸ごとコピーしてるだけだから著作権に引っかかるよね。
- 11 :
- 在学中の旧試現役合格者って商訴は択一終わるまで手つけてなかったってパターン多いけど、たった2ヶ月足らずで論文書けるまでマスターできるもんなのか?
やはり天才ということか
- 12 :
- 条文と問題集をむさぼるようにやった
これかな。試験勉強に徹するってこと。
- 13 :
- 山口あげてくれてサンクス
- 14 :
- しかし全く参考にならんな
- 15 :
- まとめ
・基本書は分からなくていい
・答練はやるな
・商法、刑訴はゼロから一月で間に合う
・試験前の駆け込み学習が大事
- 16 :
- ・学説判例は知らなくてもよい
- 17 :
- ※ただし天才に限る
- 18 :
- 平野先生と弥永先生の、明治で終わりたくないから司法試験受験した云々、の合格体験記お願いします。
- 19 :
- 図書館行け。
- 20 :
- 何に掲載されているか教えてよ
- 21 :
- 私の受験時代 田山輝明
一 司法試験への動機
大学に入学したのは、1962年であるから、世に言う「60年安保」の少し後である。
高校生の時代に東京にいて「革命的」とさえ言われた状況をそれなりに直接に経験
したから、そういう若者が大勢いる大学へいきたいと何となく考えていた。
また、自由に生きようと思えば、世の中との軋轢も多くなるだろうということは、
子供なりに予想していた。当時のささやかな知識によれば、弁護士という職業は
自由業の典型であり、当時の自分の考えに最も適していると考え、大学は法学部
だけを受験した。実は中学と高校の前半までは真面目に勉強するタイプではなかった
ので、受験科目の少ない私立大学しか受験できず、私大の法学部を受験した。
早稲田大学を選んだのは、右の2つの要素からして必然的なものであった。
しかし、当時の早稲田大学は、司法試験の合格者は決して多くはなかった。
東京大学と中央大学の全盛期であった。私が入学した年の前年の同試験の合格者は、
記憶に間違いがなければ、18人であり、5年度生が最も若い合格者であった。それでも、
大学は新入生にいろいろと試験に関する情報を与えてくれたし、関連の学生サークル
の先輩達も親切であった。
大学に進学するときに、親から在学期間は4年間という条件を付されていたから
(主として経済的理由)、経済的な心配をしないで勉強できる期間はこの4年間
しかないという意識が非常に強く働いたためであろうか、以前の自分と異なり、
きわめて真面目な学生になってしまっていた。勉強することの面白さが分かってきた
時期と重なったせいかもしれないが、授業の合間には図書館で法律書を読むことが
多くなった(早稲田では民法総則と親族法が1年生科目であった)。
- 22 :
- 二 司法試験の勉強
授業を含む大学生活がようやく分かってきて、司法試験に4年生で合格することは
極めて難しいいことだけれども、不可能な程ではないことも分かってきた。とにかく
サークルの先輩の助言にしたがって受験勉強を始めてみようと考えて、1年生の
学年末試験の終了時から受験生活に入ることを決意した。それからは民法に半年
かけたが、憲法と刑法にはそれぞれ3ヶ月程度しか割くことができなかったが、
2年生の秋に中央大学の真法会の入会試験を受けた。受験予備校もない時代で、
早稲田大学の法職課程もごく少数の先輩のご協力で行われていたが、後の法職過程
教室とは比べ物にならないほどに規模の小さいものであった。だから自分の勉強の
成果は他流試合で試す以外にないと考えて、最も難しいと言われていた中央大学
真法会の入会試験を受けたのである。前年に口述試験に落ちた人でも合格できない
ことがあるほどに、他大学からの受験は特に難しかった。それだけに入会を許された
ときは、感激したことを今でも覚えている。
中央大学新法会といっても、指導者を含めて他大学の者が大勢いたから、肩身の
狭い思いをしたようなことはなかった。同会の日程表のとおりに勉強した。私は
本を読むのが早いからそれができたのではないかと思う。そうは言っても、選択
科目(破産法など)、特に教養選択科目(心理学)の勉強時間は少なかった。
- 23 :
- 三 法律解釈学の勉強の方法
これにはいろいろありうるが、受験勉強をかねてやるとしたら、良い本を徹底
して理解することを勧めたい。私は本を読むのが特別に早いから、何度も繰り返して
読む方法をとったが、これが唯一良い方法だとは思わない。向き不向きがあるから
である。ともあれ、我妻民法学、宮沢・清宮憲法学、団藤刑法学、鈴木商法学、
兼子民事法学を徹底的に頭にたたき込んだ。憲法、民法、刑法については
基本書を20回読んだと言うと、短期間にそれだけ読むことは不可能ではないかと
言われるが、読むのが早いからできたのである。集中して読みながら考えて、考えて
また読むということを繰り返したのである。分からないことは友人と議論したし、
それでも分からないときは、先輩の助言を得たが、皆親切であった。
単純に早く読んでいたわけではなく、教科書の余白をうまく使って、論点を
書き込んでおいたのが、論文試験のときに役立った。先輩たちと競って受験する
のであるから、『受験新報』誌に掲載される「予想問題」は、最後の段階で全部
つぶした。決してヤマを張ったわけではない。教科書に書いてない論点で、適当な
解説も見つからないものについて、自分が読んでいる教科書の著者であればどう
解答するであろうか、という観点に立って、自分で考えるように努力した。これを
しておかないと、何年も勉強している先輩と勝負させてもらえないと考えたからである。
- 24 :
- 四 3年生で受験
なんとなく自信がついてきたように感じたのと、4年生での1回勝負では心もとない
ので、3年生で受けることにした。担当式試験は自信があったが、予想通り合格
した。論文試験は受けるまでは駄目だろうと思っていたが、終わってみたら、
ひょっとするかも知れないと思った。そして実際に「ひょっと」してしまった。
さすが、口述試験では、実力がばれてしまって「破産法」ではこっぴどくやられて
しまったが、致命傷にはならなかったようである。
五 その後
試験日程は今より若干早かったように思う。10月の初めには最終合格の発表があり、
翌日の新聞には、私が最年少合格者であると書いてあった。その新聞を私は図書館
の閲覧室で見ていた。というのは、合格の翌日から次の勉強を開始していたから
である。卒業までの1年半を経済学とドイツ語の勉強に使うこと、これが私の夢
だったのであり、その夢を果たすべき第1日だったのである。当時の世相であるから、
経済学とは当然にマルクス経済学であった。私は我妻民法講義を読んだように、
資本論の全巻読破に向けてスタートしていたのである。同時に「賃労働と資本」
(当時は大学教材としてドイツ語のテキストを売っていた)をドイツ語で読み始めた
(後に資本論をドイツ語で読んでいたという噂になる)。
そんな私を哀れんでくださったのか、篠塚昭次教授(2年生のゼミの指導教授)が
大学院で勉強してみてはどうか、と声をかけて下さったのである。そして研究者
の道を進んで今日に至っている。
- 25 :
- >>21->>24
どうもありがとう
- 26 :
-
http://mimizun.com/log/2ch/shihou/1172811779/
- 27 :
- 神がいるね、ありがとう
- 28 :
- こういうのを見るといかに従来型の司法試験が素晴らしいかよくわかる
- 29 :
- 「基本書一冊の徹底的読み込み」 平野裕之(明治大学在学)
一 司法試験に合格するためにほ、難解な法律論をする能力、特殊な知識、そして
、分けの分からない受験技術などが必要とされていないことは、それらとは全く縁の
ない私が合格したことで実証されたといえる。それでは何が必要かといえば、具体的
方法は別として一般論としては、次のことが言えると思う。
(一)まず、法律家としての教養を見る試験である以上、法律家特有の法的思考能力
が試されているはずで、その能力が身に付いていること、およびそのような法的思考
能力を身に付けるに適した勉強方法を採ること。
(二)次に、試験科目が限定されている以上それだけでは不十分で、ある得度の知識
があること。ただし、知識は司法試験の中核たる法的思考能力の前提ないしは、それ
を活かすものにすぎない。
(三)最後に、気力が結局はものを言うことは、昨年の猛暑の最中の論文式試験を例
に出すまでもなく、明らかであろう。
- 30 :
- 二 各試験について
(一)まず短答式試験でよく言われるのが、@過去問題、A条文、B基本書精読の三
つである。合格著が口を揃えて言うもので、経験は最高の師であり異論はない。ただ
し、私は過去問題は一回通して解した後、チェックしておいた理解していなかった部
分、およびそこへの書き込みを繰り返し読んだ以外は、基本書の精読のみで、条文は
その際中に確認しただけだった。
二)次に論文式試験だが、そのための勉強は、自分の考えを文章に表わす力をつけ
る方法が必要となる。実際に書いて見ることが一番と言えるが、答練等を経験してな
い私は、基本書を分析しながら読むこと以外のことは行わなかった。けだし、答案に
自分が理解していることを示さねばならない以上、書く本人が、基本書を読みこんで
実際に理解している必要があるし、また、法律書の文章を分析することで、その構成
のコツがつかめるからである。
本番では、このおかげで構成は楽に行え、後は、不必要なことおよび自分がよく理
解していないことを書かないように心掛け、極力簡潔かつ流れがあり、しかも迫力の
ある答案を書くことに努めた。けれども、試験中に読み返して見て、全く難しいこと
は書いてないし、文章も平易で軽く読み流しされてしまいそうなものであり、何度も
手を加えようかと迷ったが、結局そのまま提出したため、勝手に不合格と決めつけて
しまっていた。結果は合格。つくづく、司法試験は難しいことを要求しているのでな
く、要所を押えてさえいればよいことを身をもって感じた。
(三)最後に口述試験だが、私はここでも基本書中心で、前に気力が最後はものを言
うといったが、後掲の基本書全部をわずか二週間で二回読んだ。口述試験は、司法試
験が法的思考能力を中心に見るものである以上、論文式試験で、これを欠く者が誤っ
て受かっていないかを判断するものと言える。事実、口述試験では、その場で答えね
ばならないし、また、従来論じられてないような問題ばかりが出されている。したが
って、これに対処するには、日頃から、基本書を考えながら読むことにより、応用力
を身につけることが必要となる。
- 31 :
- 三 最後に基本書だが、自分の考えが中心であり、基本書はその資料を得るための
ものである以上、どれでなければならないということはない。ただし、基本書が定ま
らないような状態では、体系的な理解および自説の形成ができないはずで、論点中心
主義の悪弊だと思う。基本書一冊を徹底的に読みこなすことが短期合格には必要であ
る。参考までに、私の基本書を掲げるが、基本書一本に絞れるように厚いものが多い。
憲法−清宮・憲法T (法律学全集、有斐閥)、小林・憲法講義(上)(東大出版会)。
民法−我妻・民法講義TVWX(岩波書店)、舟橋・物権法、来栖・契約法、松坂・
事務管理不当利得、我妻・親族法、中川・相続法 (以上、法律学全集、有斐閣)。
幾代・不法行為(筑摩書房)。
刑法−団藤・刑法綱要総論・各論(創文社)。
商法−大隅・商法総則、西原・商行為法、鈴木・手形小切手法(以上、法律学全集、
有斐閣)、田中誠二・会社法詳論上下(_草書房)。
民事法−新堂・民事法(筑摩書房)。
国際公法−国際法TUV(法律学全集、有斐閣)。
政治学−高畠・政治学への道案内(三一書房)。
http://mimizun.com/log/2ch/shihou/1053706143/
- 32 :
- 「六法より愛をこめて」
林 俊夫(慶應義塾大学)
一、はじめに
ぼくは、五六年度版の模範六法である。ぼくの所有権者である彼は、大学院を卒業してから
五年間かかってやっと司法試験に合格し、今その合格体験記を執筆しているが、すでに原稿用
紙を一〇〇枚も使っているのにはじめの一年分ぐらいしか済んでいない。さらに、偉そうに基
本書の解読法などを書くつもりでいる。これでは何時になっても完成しないので、ぼくが筆を
とることにした。その方がより客観的で赤裸々なものになるし、ユニークな合格体験記として
かえって読者の参考になると考えたからである。
二、真法会一年生
ぼくがはじめて彼に会ったのは、五年前の秋である。彼は本屋でかなり悩んだあげく、やっ
とぼくを買った。なんでも受験勉強を本格的に始めるので、真法会という権威ある答練へ行く
ために六法を買ったらしい。ぼくは、司法試験ならこの最新版の判例付六法にまかせなさい、
と胸をはって彼の部屋に行ったのだが、少し驚いてしまった。論文集や専門雑誌が多く、受験
生らしい本が少なかったからである。基本書も現代的なものが多く、さすが大学院卒だと思っ
たが、少なくとも短答式で苦労するだろうと直感した。
案の定、何とか真法会の入会試験にはパスしたものの、当時の答練では短答式による足切り
があったため、かつての長島選手のプロ野球のデビューよろしく、はじめの四回は短答式で空
振りだった。彼にとってこれは大変なショックだったらしく、一点差がほとんどだったが、一点
の重みを痛感したようだった。
そして、大反省して基礎からやり直しをするために、基本書も大幅に変更した。憲法は佐藤功
『憲法概説』、刑法は大塚『概説』、民法は我妻『ダットサン』とした。基本書を読むときは
、まず項目を書き出し、次に僕をジロジロ見て考え込みながら該当条文をそれに書き入れてか
ら内容を読んだ。それから過去の短答式問題をやり、それを基本書でチェックしていった。さら
に、毎日のようにそれまで済んだところの項目、条文、ポイントを確認していた。
- 33 :
- この頃の彼は、電車の中などいたるところでぼくを広げてくれて、ぼくも大満足だった。こ
のようなやり方をすると、体系的理解が可能となるばかりでなく、条文にも強くなり、問題も
生き生きとしたものとなり、何よりも法的思考力がつくようになって、目の前の法律の世界が
広がるような雰囲気で、彼の目も輝いてきた。基本書は入門的なものが多かったが、それがかえ
って基礎力を養うのに最適だったようである。特にダットサンについては、彼は「この本には法
的センスをつける何かがある」などといって、ぼくと一緒にはなさなかった。
この結果、自然と真法会の鬼のような短答式にも通るようになり、成績も何とか良好者の末
席をけがすことができた。これに気をよくした彼は、以後最終合格まで、方法論的にはこの基本
姿勢は変えなかった。こうして、真法会の一年目は彼なりに充実していたため、本番の短答式試
験にはふられたが、すみやかに勉強を続けた。ぼくも、来年は大丈夫だろうと思った。
三、真法会二年生
夏は、某予備校の論文ブリッジに出て、秋からは真法会と平行して択一ブリッジに通った。こ
の年の彼はかなり燃えているのが、ぼくにもわかった。一日一二時間以上勉強し、ぼくも真っ黒
にされたからである。
基本書は全科目、基礎的なものから標準的なものへ大転換した。憲法は、その年に出たばかり
の佐藤幸治『憲法』と芦部『演習』を併読した。以前から二先生の崇拝者であった彼は、この二
冊をルとしてしまった。民法は、ダットサンをより詳しくしたような松坂『提要』とし
、刑法は大塚『概説』は変えなかったものの、大塚『基本問題』を追加した。商法は、理論的に
しっかりしている鈴木先生のもの、民訴は、燃える三ケ月先生のものとし、国際私法は、沢木
入門から江川先生のもの、心理学は要論とした。ぼくも一瞬危機を感じたが、何故かぼくだけは
変えなかった。ともかく、この年で全基本書が決まり、彼はそれを何十回と読んだ。
- 34 :
- 予備校の択一ブリッジは、毎回一五問のテストがあり、彼は、基本書と合わせ短答式問題を
消化していったが、半年で一万題近くやったようである。その解き方をマスターしたほか、テ
ストの直前三〇分前は、ぼくをにらむように読むという形式もこの頃できあがった。このテスト
は、五〇回以上あり、新傾向を取り入れたかなりの難問が多かったが、彼は前回受けて平均
一三・五点という驚異の成績を上げ、自信をつけた。この素晴らしいテスト形式がその年を最
後に予備校では廃止されているのは残念だが、最上位の彼が落ちたのが原因かも知れない。真法
会でもグーンと成績アップして、良好者の上位となった。少なくとも短答式に関しては、今か
らみても最高の実力であった。また、ものすごい努力もしており、一切の無駄を省いた生活をし
ていたので、ぼくも合格を信じていた。
そして短答式の本番だが、恐ろしいことが起こった。彼は完璧な準備を終え出発したが、な
んと電車がとまったのである。カバンの中にいたぼくも彼同様この時のことを思い出すのは嫌
だが、付近のタクシーは満車で、一般の人に頼んで車に乗せてもらうのに四〇分以上かかった
。それで合格すれば楽しい思い出にもなりそうだが、とてもそんな雰囲気ではなく、まさに地
獄を見た感じだった。やっとの思いで会場に駆け込んだときは、試験開始五分前。彼は真っ青で
、始めの二〇分ぐらいは、エンピツを持つのがやっとだった。終了した時、彼は、しばらく立
てなかった。
このときの彼の精神的動揺はものすごく、しばらく後に、あまり体調が悪いので医者に行く
と、何とその時でも血圧が一八〇にもなっていた。それまでの疲労も一気に出たらしく、元来
健康優良児の彼の病院通いが続き、病院のベッドで点滴を受けている姿を見ると少しかわいそ
うだった。彼は、あまり不合格の言い訳はしなかったが、「運」というものを強く感じたよう
だった。
- 35 :
- 四、真法会三年生
それでも健康が回復すると、彼は予備校の前期論文講座に出た。短答式はさすがに勉強した
くなかったらしく、しばらくは論文中心となった。基本書は大きな変更はなく、その理解度の
充実に努めていた。ただ、伊藤正己『憲法』や、前田『手形入門』は感心したように読んでいた
。そして、主要三科目以外の科目にも重点を置き、論文の問題集も多くやったので、論文講座で
もかなりの成績をおさめ、真法会でも何とか努力賞となった。
短答式は、直前はかなりの量の勉強をしたが、ほとんど前年の力で楽に通った。年が明けて
からの論文は異常な勢いがあり、得意科目では冗談で予告ホームランをすると、ほんとうに一
番をとったのでぼくも驚いた。真法会でもラストの憲法などはそれだった。そんな訳で、初めて
の論文も、比較的好調だったが、三日目の民訴だけは、今でもよくわからない難問で、お手上
げだったらしく、その結果不合格となった。ただ、成績は民訴がEであとほとんどAだったので
、彼は、次回はこれ以下はありえない、と信じこみ翌年の合格へ向けダッシュした。
五、真法会四年生
この年は、彼は法務省の成績を謙虚に受けとめ、民訴に重点を置いた。もともと民訴ゼミの出
身なので、真法会でも簡単に一番をとったり、受験新報に最高得点答案として載ったりした。ぼ
くからみて彼がおそろしいのはやれば必ず成績がアップすることである。真法会でも努力賞の上
の方となった。
ただ、困ったもんで、彼は極限状態までがんばるので、今年は合格するんだとばかり、一月
からかなりの追い込みに入ったが、あまり勉強をやりすぎたため、短答式直前に眼の病気とな
ってしまい、またしても短答式に失敗してしまった。ぼくは、張り詰めた弦では良い音色は出
ない、という宮本武蔵の小説を思い出した。
- 36 :
- 六、真法会五年生
彼は、気分転換するかのように、夏はタイへ旅行に行った。ぼくも初めて彼と一週間会わなか
ったが、彼は真っ黒になって帰って来た。また、秋からは、基本書のマンネリ化を防止するた
めに、全科目についていろいろな本を補充した。中でも、福田『刑法総論』、四宮『民法総則』
、平井『債権総論』、新堂『民事法』、山田『国際私法』、『心理学の展開』などは、と
ても気に入ったようだった。
さらに、一月からは予備校の自習室を勉強場所に選んだ。彼は、今年ダメなら海外留学等の方
向転換を真剣に考えていたようである。朝六時に起き、七時まで高田馬場へ行って良い席を確保
した。朝一時間ぐらい戸外で待たされる間に、ぼくを読んでくれた。この自習室では、かなり勉
強がはかどり、彼の受験勉強の集大成が可能となった。
このような結果、予備校の論文講座では総合で二位となったし、真法会でも優秀賞となり、
短答式も全国模試などで成績優秀者となった。いろいろなところで彼の名前が出たので、友人達
からは賞金稼ぎとか、予備校荒らしなどと言われたりした。
短答式では、当日、アタッシュケースの取手がとれるというハプニングが例によってあった
が、今までのことから見れば大したこともなく、終了三〇分前には全問題が解き終わっていた。
あまりに易しすぎたので、彼はかえって不気味がっていたが、合格した。
論文式試験は、大きな失敗もなく普段通りできたので、彼は、最後の科目を書き終えると、
合格したという顔をしていた。帰宅する途中、本屋に立ち寄ったので、ぼくは何か雑誌でも買う
のかなと思ったら、買ったのは平野『刑事法』で、受験生の悲しい性を感じた。でも、彼
は、この本に感動したらしく、一晩で一気に読み、翌日は松尾『刑事法』を買ってきたの
には驚いた。
- 37 :
- 夏はバイトに明け暮れ、ヨロン島へ遊びに行ったりしたが、九月に入ると合格を確信してい
たらしく過去五年分の口述問題集を全部やっていた。そして、予想通り論文に合格した。口述試
験は大変という人もいるが、彼はかなり楽しんだようだった。この体験記は別に受験新報に掲載
される予定なので、ここでは省略する。口述試験が終わった日は、やはり、菅野『労働法』を
買って帰った。すでに法律が趣味になっており、困ったもんだと思った。
最終の合格発表の当日は、さすがに彼も喜んだが、驚くほどの感激はしなかったらしい。ぼ
くも少し長すぎたという感じがした。
七、終わりに
司法試験では、短答式が八〇パーセントの重要性をもつ、と故向江先生が言ったことがある
が、彼のこの五年間の受験生活は、まさにその言葉が当てはまる。彼は、論文に関して悩んだこ
とはなかったが、短答式には精神的に苦労した。それを乗り越えることができたのは、真法会で
鍛えた精神力と、予備校で養われた実力のお蔭である。ぼくも、あの真法会の答練の厳格な雰囲
気が大好きである。特に、日野先生の精神訓話は、分かっていても、やはりためになった。彼も
、バイトの関係で講義は聴かなかったが、日野先生の話だけは努めて聞いていた。この体験記の
項目も、彼が五年間お世話になった真法会を中心に立てている。
ところで、彼は、週の、二、三日は、塾のバイトをしていた。中学から高校のほぼ全科目を生
徒に教えていたので、まわりからは、もう一度医学部でも受験した方が良いのでは、などと言
われたりした。また、おこがましくも、塾の講師の研修係をやり、そのビデオ講座などを作っ
たりしていた。したがって、前に述べた受験生活は、概して週の後半の四、五日のものである。
なお、彼の合格は家族等周辺の人々の協力なしには不可能であり、彼も一生頭が上がらない
だろう。
- 38 :
- 標題は、彼の好きな映画の題名からとったが、今まで述べたように、彼は六法より基本書を
精読しつづけたので、ぼくからの若干の嫉妬の意味もこめられている。でも、受験用六法を解け
ば、この五年間ずっとぼくを愛用してくれた感謝の気持ちからである。彼の書き込み、手垢で、
ぼくは真っ黒になり、もうぼろぼろに近いが、六法としての使命は全うしたと思う。本棚の奥で
でも眠らせてもらう。こんな拙いぼくの文章を最後まで読んでくれた、やさしい読者の方々の
一日も早い合格を祈りつつ……。(了)
- 39 :
- 山口厚ってたしか司法試験1発合格でそれも2番で合格だよな。
天才の真似してもなあ・・・
凡人と脳みそのキャパが違いすぎ。
- 40 :
- 渥美先生の方がずっと天才
藤木英雄は最上級
山口はそれに比較すると天才とは呼べないな
- 41 :
- 一番の天才は我妻。これはガチ。
- 42 :
- 研究者として、ね。
受験生としてなら、藤木>渥美>>我妻
だね。
- 43 :
- 思うんだが
昭和40年前後の司法試験問題って最近の新旧の問題にくらべて簡単じゃね?
判例の数だってたかが知れてる。
- 44 :
- そりゃそうだよ。
対策が進むから、難易度も上げていく、の繰り返しなんだからさ。
実質的な難易度はどの時代でも変わらない。
昔はネットもないし、受験生向けに書かれた基本書もない。
判例も最高のサイトなんてないし
- 45 :
- 第一法務省が過去問を公表したり、雑感を出すこと自体が近年だけ
過去問もなかったんだぜ
- 46 :
- >>43
勉強量でいったら昭和の時代の倍は軽くあると思う。
今は判例の勉強が大変だからね。
試験は判例からヒントを得て出題してくるからね。
昔の問題→権利能力とは何か説明しなさい。
これじゃどんな基本書を読んでも分かるレベルの問題。
- 47 :
- 今の試験のが簡単だし、勉強量も少ない。
その証拠にお前ら1日10時間勉強してないだろ
- 48 :
- >>46
今の大学教授に司法試験合格が少ないのはそのためか?
- 49 :
- >>46
ゴミ感想文は他でやれよ。
スレを汚すなよ馬鹿
- 50 :
- >>48
それはあるかもしれんね。
だが山口とか研究者としての能力はすごいんじゃね?
司法試験合格体験記とかはどうでもいいと俺も思う。
- 51 :
- >>46
誤想過剰防衛について論ぜよ。
って問題があったけど、当時は学説もはっきりしていなかったよ。
受験生はみんな基本書組だから、どうまとめ上げるか、事例も自分で作り上げないといけない。
そのうえで他の受験生よりもよい答案を書かないと落ちるわけだから。
誤想過剰防衛について論ぜよ。
誰でも論点は熟知していると思うけど、いま一時間弱でA答案書ける?
- 52 :
- >>50
ゴミ感想文は他でやれよ。
スレを汚すなよ馬鹿
スレタイも読めない猿
- 53 :
- このスレもこのあたりで終わりだなw
- 54 :
- ◆昭和52年度司法試験合格者体験記
●喜びと戦跡を語る
幸運な私の在学中合格の記録
中央大学 伊藤万里子
はじめに
一〇月八日法務省の庭に五一九・伊藤万里子という名前を見つけ、沸きたつような喜びを感じる
とともに、あまりにも順調すぎるということに何か恐ろしさを覚えずにはいられませんでした。私
の受験生活は、両親とそして真法会研究室が与えてくれた最高の条件に支えられ全く恵まれすぎた
ものでした。今こうして合格したことに有頂天にならずに新たな第一歩を踏み出すために、ここに
私の受験生活を振り返ってみたいと思います。
一 中央大学入学まで
私が司法試験を受けようと思ったのは、高校二年の頃であった。幼稚園から中学校まで日本女子
大学の附属の優等生としてヌクヌクとして育って来た私は、それこそ通学時間を短縮して自由な時
間がほしいという単純な動機から、教育大の附属高校を受験した。そしてそこで私は何人かの個性
豊かな女友達を得た。私達は「女性は如何に社会に生きるべきか」について語り合った。そしてそ
の中で私は法律家になろうと思うようになっていった。「○○駅のロッカーから嬰児の死体発見」な
どというニュースに触れるにつけても、法律の世界にも女性の目、女性の発言が必要であるように
思えてならなかったのである。
そして当然のようにして東大受験。この時初めて私は挫折というものを味わった。解答欄の取り
違え!諦めようにも諦めきれぬ気持ちで夜中にベッドの上に起き上がり悶悶とする日が続いた。そ
れでも浪人生活を送る気持ちにもなれず、私は中央大学に入学した。
- 55 :
- 二 真法会入室まで
こうして入学した中央大学での生活は何か物足りない味気のないものだった。私の気持ちのどこ
かに「解答欄の取り違えさえなければ」というおもい上がりがあったことは否定できない。一方で
休学して再受験しようかと考えながら、趣味でやっていたバレエやチェロのレッスンに逃避して毎
日を無為に過ごしているうちに、夏休みが近づいていた。
その頃中大の中庭では数々の研究室の新入室員募集が始まっていた。それ迄私は中大に研究室とい
うものがあることすら知らなかった。もちろん真法会の名も……。数ある研究室の中で私は何とな
く「真法」という名前が気に入って、入室試験を受けてみる気になった。それまでの怠惰な生活と
早く訣別したかった。そして夏休みに真法会の論文試験に備えて初めて法律書を開いた。憲法TU
である。憲法Tの「憲法の意味」の部分でつっかえて、そこばかり一〇回程も読んだものである。
そして一〇月に私は真法会研究室への入室を許可された。口述試験で向江先生に「解答欄の取り
違えも実力の内である」と叱られたことで、やっと私の思い上がりはたたきつぶされていた。
三 入室後の一年間
真法会研究室に入室した後も私の無気力はすぐには直らなかった。冬に毛布にくるまりながら勉
強をしている先輩の姿は何とも異様なものに思え、どうしても研究室に馴染むことができなかった。
春には休室届を出して、バレエの発表会の準備に明け暮れる毎日が続いた。この間の法律の勉強と
いえば、憲法少々、刑法総論を全く解らぬまま二回読んだこと、民法総則を一回読んだこと位である。
- 56 :
- >>51
すごいすごいw
- 57 :
- そんな私に一つの転機が訪れたのは、大学二年の夏期休暇前、語学の中間試験を終えて久方振り
に研究室に顔を出した日のことであった。全く突然にI先輩が刑法総論のゼミをやって下さるとい
うのである。I先輩の好意に甘え、八月の暑い最中マンツーマン指導でゼミは進んだ。とにかく最
低限刑法綱要だけはガッチリ読み込んでゆき、疑問点は絶対に残さないように質問をした。そして
ゼミが終わるころ、私は何か刑法が解ったような気持ちになっていた。この時のゼミの経験が以後
の私の勉強方法の基本となったように思う。「自分で教科書をガッチリ読み込み、ある程度理解した
上で初めてゼミを行う。ゼミでは、他人の別個の物の考え方に触れる中で理解を深め整理をしてゆく。
整理の課程でノートを作成する。そして一回ある科目についてゼミをやったらそれでその科目は理
解しきってしまうのだという意気込みでゼミには取り組む」ということである。
この夏のゼミを契機に私は勉強をおもしろいと思うようになっていた。続いてA先輩の刑法各論
のゼミに入れていただき、一気に勉強をすすめていった。
四 研究室委員
そんな私を待っていたのは研究室委員という仕事であった。真法会研究室では入室二年目の室員
が研究室委員として室内の整備、雑務にあたるのである。委員になったから勉強ができなかったと
いう言訳だけはしたくなかった。しかし、委員の仕事もできる限りのことをしたかった。結局委員
をしながらの勉強は思うようには捗らなかった。委員席で本を開いても、誰かが呼びに来て勉強が
中断した。そこで私は一つの勉強方針を立てた。委員の間は理解しようという気持ちで本を読むこ
とは諦め、今迄白紙に近い状態の民法にとにかく一通り目を通すことにした。そして本を読むに当
たっては、勉強が中断したらそこに印をつけておき、次に読むときはその印の先を読み進めるとい
- 58 :
- う方法をとることにした。前に読んだ部分を思い出すために後戻りしていると、ページがあまりに
進まないためにとった苦肉の策であった。ところがこの方法は私に思わぬ成果をもたらしてくれた。
大きな脈絡の中のどこの部分を読んでいるのかを常に意識して本を読むという術をいつしか私は身
につけていたのである。委員の人気を終わる大学三年の六月末には、民法に一通り目を通したとい
う安心感とともに、本の読み方を体得することができていたように思う。
しかし委員時代のもっとも大きな成果は、研究室の受験生活を見つめる中で、将来社会のダイナ
ミズムの中で法を運用してゆくということと、年々困難となってゆく司法試験を前にともすれば社
会のダイナミズムに背を向けた机上の法律学に陥らざるを得ないという矛盾を、自分自身どのよう
に消化すべきかを真剣に考えたことであったように思える。
五 答案練習会まで
委員の任期が終わるとすぐ私は一人で旅に出た。奈良の仏像を見て回りながら、これから始まる
受験生活の設計をした。自分は何故司法試験を受けるのかということまで突き詰めて考えたことに
より、それからの一年間迷うことなく勉強を続けることができたように思える。そしてその旅で得
た受験設計は、翌年六月末までの一年間を一区切りに一種の必要悪として、自分の生活を司法試験
のみに限定するというものであった。生活の「無駄」=「ゆとり」は一切捨象し、楽しむというこ
とには背を向けることにした。
旅行から戻ると、毎朝八時半に登室し、夜の九時まで大学に授業を受けに行く以外は机にしがみ
つく生活が始まった。夏が終わるころには民法はどうやら全体的に把握できたように思われた。商
法については夏の終わりに集中的に会社、有価証券とゼミを行い、基本的な点については理解しえ
たように思われる。刑事法は大学の渥美ゼミでの春からの勉強により、ようやく刑事法の
考え方が分かりかけてきていた。全く渥美ゼミでの勉強は司法試験に自分を縛りつけた私にとって
オアシスのようなものであった。社会における法の何たるか、法解釈のあり方等々、随分いろんな
ことを考えることができた。
- 59 :
- また、この夏の収穫としてあげねばならないのは、小諸学生村における研究室の夏合宿で行った
論文ゼミである。毎日一通答案を書き検討しあうという作業を一〇日余続けるうちに、答案構成の
仕方、論理の運び方が、何となく分かって来たように思えた。
こうして題四三回答案練習会が始まるころには法律選択まではとにかく何か書ける状態にしてお
くという私の第一目標はどうやら達成されたのである。
六 答案練習期間中
一一月に答案練習会が始まった。大学の授業もある私にとって一週間一科目のペースはかなり苦
しいものであった。答練のペースについて行くためには、ゆっくりと休養をとることもできず身体
的にも疲労が蓄積してゆくのがわかった。思うように択一の合格点がとれず、次点が続いたりする
と疲労は倍増した。確かに苦しい勉強だった。しかしこれだけがんばっているのだ、今年落ちても
う一年勉強するよりは今もう少し勉強しようと思うとまた勉強時間を五分でも十分でも増やす気に
なった。勉強時間を増やして、つらくなればなるほど自分は今年落ちたら来年二度とこんなに集中
することはできない。糸の切れた風せんのようにどこかへ飛んでいってしまうのではないかと思わ
れた。そんな恐怖感に追い立てられるように私の勉強時間はますます延びていった。そしてこの時
期に私がこのようにやってこられたのは、全く助手の方々の暖かいアドバイスのおかげであったと心
より感謝しなければならない。
- 60 :
-
たしかに昔の合格体験記を読んで何の意味があるんだか・・・
ただのバカだろ。
- 61 :
- さて、答案期間中の私の勉強は、何とか論文試験の答案の書き方を習得することに集中した。す
なわち、@決して基本書の読み残しはしないこと。いわゆる論点といわれない部分も飛ばし読みし
ないこと。Aいわゆる論点については、基本書、参考書を読んだ上で自分なりの考え方をまとめる
こと。まとめるに当たっては、結論ではなく、問題への切り込み方に特に注意を払った。それ故に、
私は何説を採るのかと質問された時即座に答えることができない。私はこういう方向からこの問題
を考えるという整理しかしていないからである。Bノートは参考書のまとめにならぬよう、自分の
言葉で自分のものになったと思われる点を書きつけるという形で作っていった。C論点相互の関係
を見失わぬように、必ず基本書に戻るように気をつけた。
答練会場に臨んでは、@毎回四五分前に会場に着き定席を確保した。A択一もさることながら論
文を書くことに全力を尽くした。論文を書く時はいつも最高得点答案を書くのだという意気込みと、
問題に対する自分のアプローチの方向を明確にしつつ矛盾なく論理を展開することに注意した。そ
して、答練最終回の憲法で初めて最高得点答案と評価された時は本当に嬉しかった。
そうこうして半年にわたる答案練習会が終わる時、私は思いもかけず優秀賞をいただくことがで
きた。この優秀賞は論文試験に対する密やかな自信と、何としてもまず択一試験を通らねばという
意気込みとを私に与えてくれた。
七 択一試験に向けて
答練期間の私の勉強は徹頭徹尾論文中心のものであった。答練を通じて論文の答案を書く力は着
実に伸びていったように思う。しかし択一に関してはからっきしダメであった。
三月一日から私は研究室でH先輩の択一ゼミにいれていただき、択一試験に向けて勉強を開始した。
択一試験に臨むには何かコツがあるに違いないと思った。三月から五月までの二ヶ月間それを把む
ことに専心した。助手の方々からのアドバイスは悉く実行に移した。@基本書は最低二回読む。A
過去一六カ年の本番の試験問題は三回、近年五ヵ年分は五回まわして問題を覚えてしまう位にする。
- 62 :
- B問題を解き肢を検討した点は、すべて六法に書き込む。C民法については条文をくり返しくり返
し読む。かれこれ五・六回も読んだだろうか。最初はつまらなく、ただ条文の字面のみをながめて
いたものであるが、最後には、条文の一つ一つから様々な問題点が浮かび上がり条文読みの苦痛も
感じなくなっていた。この方法により私は民法の択一にはかなりの自信を持つことができた。
このような、無味乾燥なトレーニングの中から、問題は細心の注意を払って読み、決断は大胆に
行うという術を私は身につけた。
択一試験に臨んで私はかなり大胆に決断をすることができた。問題を解き終わったのは試験終
了四・五分前。十分に答えの確認もすることができた。そして試験が終了した時は頭は芯からマヒ
したようであり、解答用紙を数える試験官の姿を見て、後はコンピューターが、私のこの一年を評
価するのかと思うと、何か恐ろしく震えが止まらなかったものである。
八 論文試験
択一試験が終わった翌日一日休養をとると私は直ちに論文試験に向けて勉強を開始した。研究室
には、お互いに問題を再現し択一の答え合わせをする室員の姿があった。しかし私はそうした光景
から逃げるようにして、勉強部屋にこもり、苦手の会社法を手始めに論文の勉強を始めたのである。
もちろん択一の結果は気になった。しかし死んだ子の年を数えても始まらない、そんな思いで、勉
強を進めた。おかげで、択一試験の合格発表までに、会社法、刑事法、刑事政策、社会政策を
一回読むという計画は余裕をもって達成できた。その上、二、三日の余裕ができたので、メチャク
チャなスピードで、芦部先生の論文集「現代人権論」「憲法の理論」「民主主義と議会政」を読
んだ。憲法は好きな科目の一つだったので、良質の答案を書くために、前からいくつかの論文は読
んでいたのであるがこの二、三日間の勉強が私に何か憲法感覚を与えてくれたように思う。こうし
て択一合格発表前の落ち着かぬ数日間も、論文をむさぼり読むことにより充実して過ごすことがで
きた。そして択一の合格発表。小さな数字の中に五八〇一番を苦労の末見つけた時は、先輩に飛び
ついて喜んだものである。
- 63 :
- >>60
短答論文が同じ日程だからね。その分短答が簡単になってしまったが。
- 64 :
- 合格発表後は発表前の勉強が効を奏し、かなり余裕をもって論文試験の準備をすすめることがで
きた。苦手の会社法と、渥美ゼミでの勉強を十分生かした答案を書きたいと思った刑事法は、
論文試験前に二回まわすことさえできたのである。
六月二二日から論文試験が始まった。とにかく今までやってきたありったけを出し切って書いて
こようという感じであった。初日の憲法では論文を読んでいたおかげで二問とも満足のゆく答案を
書くことができ、好調にスタートをきることができた。ところが二日目の商法の問題を見た時は目
の前が真暗になった。貨物引換証の条文など見たこともなかった。悲しいかな、大学の商行為法の
授業は答練に追われて出ていない。逃げ出したいような思いにかられながら、とにかく条文を見つ
けた。大きく深呼吸をする。バッグの中にお守り代わりにしのばせてきた優秀賞の賞金袋を思う。
「私は真法会で優秀賞をとったのだ。自分の実力をぶつけてゆけばどんな問題でも書けないはずがない。」
「私の前には条文があるではないか。学者も最初は条文から学説を展開しているのだ。」
ほんの一分間の間に自分でも驚くほど落ち付いてきた。あとは有価証券の基本をきっちりと押えミスを
恐れず書いた。書かずに落ちるよりも書いて落ちたかった。商法の試験が終わった時はもう脱力状
態であった。昼休みに顔をジャブジャブ洗いどうにか午後の刑法の試験に臨んだ。難問を前に、時
々フッと論文を書く気力がなえそうになったものである。この地獄のような二日目を除いては、か
なり思い切った答案を書くことができた。五通ほど自分なりに満足のゆく答案もあった。私の今の
実力ではどの答案も最大限のものであったと思う。
九 夏
論文試験が終わった後数日間私は十和田湖へ一人で旅に出た。奥入瀬渓流を歩きながら、自分の
この一年間を総点検した。十和田湖から戻り再び勉強を始めたがどうにも集中することができない。
そこで、自分に新たな問題意識を提起するためにもと思い、過去八ヵ年分の受験新報の口述問題集
をコピーし、各科目問題類型別に、分類する作業を行った。そして、その資料を傍らに、刑事法、
商法について今まで気付かなかった問題点を考えてみたりもした。
- 65 :
- 夏期休暇中は研究室の合宿において、数名の後輩を相手に刑法各論のゼミを行った。人に説明す
る立場に立ち、自分のしゃべる言葉の不正確さに気付き、正確な言葉の大切さを痛感したものである。
そうこうしているうちに九月八日の論文試験の合格発表。自分の一年間の生活に対する評価が下
されるのかと思うと無性に恐ろしかった。足が震え口の中がカラカラになるようであった。それだ
けに合格を知ったときはもう気が狂いそうに嬉しく、涙があふれ出してどうにも止まらなかったも
のである。
十 口述試験
論文試験の発表から口述試験までは、アッという間であった。夏に作成した分類別口述問題集を
片手に基本の復習という形で勉強をすすめた。また二日に一回の割合で、研究室のNさんの好意に
甘え、過去五ヵ年分の口述体験記で口述の練習もすることができた。その上研究室ではわずか数名
の合格者のために講師を招いての口述模試まで行われた。夏季合宿のゼミでの経験以来言葉の正確
さには気を付けていたので、しゃべることはかなりスムーズになっていた。
いよいよ九月二七日より口述試験が始まった。初日は控え室の異様な緊張と三時間近い待時間に
疲れ果て、主席と話がかみ合わぬままに試験が終了した時は、こんなことが一〇日も続くのかと
暗澹たる気持になったものである。しかし翌日からは控室に話し相手もでき試験も順調に進んだ。
口述試験は総じて楽しい試験であったように思う。
こうして私は全く幸運にも一〇月八日に最終合格を果たすことができたのである。
おわりに
私の受験生活は全く幸運なものでした。周囲の好意に甘えっぱなしで、思い通りに勉強し、思い
通りに合格できたのです。全く感謝せねばならない人々に囲まれてきたように思います。まだまだ
勉強不足であると痛感しつつ、この合格におぼれることなく、これからはじっくりと「法」を学ん
でゆきたいと思っております。
- 66 :
- 一人の人間が丸ごと引用しただけだと著作権法に違反するよ。
- 67 :
- 体験記中に出てくる伊藤万里子さんとはおそらく現東京地裁の
綿引万里子官のこと。
この方の体験記は凄すぎる。
あの弥永先生が感銘を受けたというだけのことはある。
貨物引換証が本番で出て目の前が真っ暗になったが
「私の前には条文があるではないか」と開き直り論文を乗り切った、
という伊藤さんのエピソードを弥永先生はいまだにあちこちで
引用なさってます。
自身が論文を執筆するときも行き詰まったら常に「私の前には
条文があるではないか」と思うようにしているそうな。
- 68 :
- てかさっそく削除依頼出てるし・・・
これヤバイでしょ。
- 69 :
- http://mimizun.com/log/2ch/shihou/1172811779/
私の受験時代
小島武司(中央大学)
私が司法試験のための準備を始めたのは、昭和三二年の秋頃である。その直接の
契機は、中央大学の中にあった学研連のひとつである「真法会」に入会を許されたこ
とである。その前年に法学部に入ったものの、当時一部でさかんに論じられていた法
律学の科学性という問題につきあたって、川島武宜教授の著作を始めとして経済学
や哲学関係の書物を数多く乱読し、マルクスやヘーゲルの書物までも手を伸ばして
難行苦行をしているうちに、一年半に近い月日が過ぎようとしていた。難解な書物の
樹海はなお暗く、泥沼のなかに足をとられもがき苦しんでいたとき、新聞の投書欄で、
法学部で学んだ知識をもって取り組めば、目の前にある個々人の問題は確実に解決
することができるのに、経済学部では経済システムを学ぶだけで、個人としては何も
できないという経済学部の学生の嘆きの投稿を眼にして、こういう見方もあるかと思った。
秋風とともに、ともかく前進しなければという思いに駆られて、私は、司法試験の受
験勉強を始める気持ちになった。しかし、すでに始まっていた憲法や民法総則などの
授業すら単に聴講しているだけという状況にあって、二年生でありながら、一般論文
(あるいは法学であったかもしれない)と英語を選び、どうにか真法会入室試験に合格した。
- 70 :
- 本格的に受験勉強を始めた私は、大学の授業は原則としてすべて出席して、期末
試験は担当の先生の書物を完読して受けること、司法試験の基本書は理解できると
否とにかかわらず、速い速度で全科目を読破すること(全体的アプローチ)、および、
短答式試験の準備は、基本書の通読にあたって教科書の欄外に必要事項を整理し
ておくこと程度にとどめ、それ以外の特別の勉強はしないこと(当時は必須の全科目
について択一があり出題は簡明であった)、記憶力に自信がないことから、議論は徹
底的にやり、論理ないし因果の連鎖で事項を固定することなどの方針を立てた。この
ようにして一二カ月が過ぎ、3年の秋になると、答案練習会が始まった。年内の択一
は全敗し、室員の特権で採点を受ける機会があった論文でもよい点はとれなかった。
ところが一月の期末試験が終わったころから、急に短答式に合格し始め、まもなく択
一には落ちることはないという自信が突如全科目について生まれ、論文も合格水準
の答案が現れ始めた。答案練習が終わった頃には、最優秀者の一人となっていた。
司法試験合格の手応えを感じたのは、短答式試験が近づいた、この頃であった。
五月の短答式試験に合格したが、その後が、心理的には一番つらい時期であった。
基本書は通読したものの、周りの諸先輩と比べて知識量が格段に少なかったし、択一
に合格したことで試験に対する姿勢が守りに入ってしまい、得たものを失うことの怖さが
先に立って、焦るばかりで勉強は空転し続けているような気がしていた。こんな中で、
いわば、権利保護請求権説ではなく、本案請求権説に立つことが、気分の一新に役
立った。つまり、法律家としての実力が自分にあれば合格させてほしい、実力がない
のなら落としてほしい、こう覚悟を決めて地道に勉強を進める心構えが整ったのである。
このようにして、秋には、合格者のリストに名前を見いだすことができた。成績順位も
よく、不安を抱くような状況には客観的には全くなかったのだ、と知った。よくできる受験
生の方がむしろ不安感が大きいのではないかというのは、一つの教訓である。
- 71 :
- 誰だか知らないが、長文乙
- 72 :
- 上手く行ったひとのは参考にならない。苦節10年のベテランでなければダメ。
- 73 :
- スタートラインに立って
弥永真生(東京大学)
一 昭和五九年一〇月三一日、私の名前を法務省の掲示板に見つけることがで
きた。後輩二人と合格発表を見に行ったので、喜びもひとしおであった。ただ、
この日も夜にアルバイトが入っていたので、すぐに法務省を立ち去らなくては
ならなかったのは残念だった。
司法試験を受けようと決心したのは大学一年の秋だった。私は小さい頃から
理系の科目が好きで、将来は、科学者か医者になりたいと思っていた。ところ
が、高校時代あまりに楽しかったため、学校の勉強以外はほとんどしなかった。
そのため、自治医大に二次であっさりふられてしまった。自治医大に入って、
地域医療にたずさわり人の役に立ちたいと思っていたから非常に残念だった。
明治大学政経学部に入学してからも未練断ちがたく、Z会を続けていた。と
ころが、アルバイトや大学が忙しく、また楽しかったので、もう明治大学を卒
業しようと心に決めた。そこで、思い出したのが受験新報五二年一一月号であ
った。この号は「受験」が司法試験受験を意味するとは知らずに買ったもので
あった。そこに伊藤万里子さんという方の在学中合格の体験記がのっていたの
である。そこで、これをコピーして、持ち歩いて何度も読んでみた。ここから
私の司法試験受験勉強の方向付けを得ることができた。
合格体験記に出てきた真法会の答練がどういうものかを見ようと思い、通信
の部を申し込んだ。すると幸運にも、くじに当たり、ここに司法試験のための
勉強を開始したのである。もちろん何も知らないから、一週間基本書を読んで
も短答式で基準に達しないことが多かった。しかし、まずは勉強の動機づけ、
ペースメーカーとして考えていたから、毎週せいいっぱい答案を作成した。
- 74 :
- 五六年の一月、司法一次を受験し、合格した。短答式を受けようと思ったが、
あまりに力がないので、この年は受験しなかった。司法一次で用いたテキスト
は次のとおりである。
山川出版社の高校教科書(世界史・日本史)、高校時代の古文・漢文の教科書、
物理T、化学T、地学T、生物Tの教科書、千種義人著「経済学」(同文舘)、
原仙作三部作シリーズ、高校の英作文の教科書、受験新報掲載の過去問。
大学二年になる直前に明治大学駿台法科研究室に入室を許され、米川指導員、
鎌田指導員、松本指導員をはじめとして、多くの先輩方に教えていただいた。
今では何を教えていただいたかを正確に思い出すことはできない。しかし、独
学の弊害は防ぐことができ、能率的に勉強できたように思う。
二 さて具体的な受験勉強の方針等に話を移すことにしよう。
まず勉強の方針は、量より質をモットーとした。すなわち目標は何時間では
なく、何をするかという点においた。大学二年の秋から三年の短答式までは、
基本書の読み込み、過去問の検討を目標とした。現実にも過去問を一〇回以上、
基本書を一〇回以上読むことができた。第二にまんべんなく読むことを心がけ
た。いわゆる論点といわれる部分以外もとばさないで読んだ。第三に、結論に
至るプロセス、アプローチに気をつけた。会社法などで何説をとっているかと
聞かれても答えられない(と書いてみたいと前述体験記を読みながら思ってい
た。しかし私の場合は乱読したためどの先生がどのような主張をしているかを
見極められなかったにすぎないのかもしれない)。
- 75 :
- 短答式のための勉強としては条文読み、基本書の精読、模範六法の判例つぶ
しなどをした。大学三年の時の貯金が効いて、合格の年は二月から始めたが間
に合った。短答式は八割程度できているように思えたので、さっそく手薄だっ
た手形・小切手法・国際私法・刑事法にとりかかった。マークミスがなけ
れば論文式は受けられると思っていたので、勉強もはかどり、発表まで二回目
を通すことができた。発表は大学の友人と見に行き、発表の夜は勉強しないで
ゆっくりと寝た。そして次の日から、某予備校の答練を受け、一年以上のブラ
ンクをうめるように努力した。しかし、アルバイトが週四日あり、時間をひね
り出すのは一苦労だった。
論文式の勉強としては某予備校の答練、基本書の精読にしぼりこんだ。基本
書として用いたのは次のテキストである。
憲法=清宮・憲法T、宮沢・憲法U、佐藤幸治・憲法
民法=我妻=有泉・民法T・U・V
刑法=大塚・刑法概説(総論)、大塚・刑法概説(各論)、大塚=福田・刑法総論T
商法=鈴木・会社法(弘文堂)、前田・手形・小切手法入門、手形小切手法(有斐閣双書)
刑事法=渥美・刑事法、松尾・刑事法上・下1
国際私法=山田・国際私法、池原・国際私法(総論)、折茂・国際私法(各論)
経済原論=ミクロ徹底解説、マクロ徹底解説(東京アカウンティングセンター)
参考書としては次のものを用いた。
憲法=芦部・演習憲法、伊藤・憲法
民法=司法試験シリーズ民法、四宮・民法総則、民法(2)〜(8)(有斐閣双書)
刑法=大塚・犯罪論の基本問題、平野
商法=商法(@)〜(C)(東京アカウンティングセンター)、鈴木・手形小切手法、
商法総則商行為法(大原簿記学校)、木内・特別講義手形小切手法(法学書院)
刑事法=平野・刑事法、田宮・刑事法講義案、サブノート刑事法
国際私法=答練国際私法
- 76 :
- 三 私は大学一年の時から、週平均二〇〜三〇時間のアルバイトをしている。
そこで、アルバイトと受験勉強について考えてみたい。アルバイトを始めた動
機は大学へ行く学費・生活費を得ることであった。一〇種類ぐらいのアルバイ
トをしたが、中でも長い間やったアルバイトは、荻窪にある病院の夜間受付と
お茶の水にある某予備校の講師である。アルバイトがもたらしてくれた最大の
メリットは精神的刺激であった。回りに勉強する人がおり、多くの方が励まし
て下さった。また、大学の勉強を最優先とすることを支えて下さった。第二の
メリットは経済的に楽になったため、受験予備校へ通ったり、本を十分に買う
ことができるようになったことである。第三に時間の使い方が上手になり、効
率的に勉強することができるようになったことである。ありあまった時間があ
るとつい無為に過ごしがちだが、いつも忙しいと、わずかな時間も貴重に思え
るようになり、集中力が増す。
ただアルバイトにはいくつかのデメリットもある。まず、試験の時休むのが
心苦しいことがある。そして、へたをすると十分休養がとれず、本番を失敗す
ることもあろう。第二に、友人とのつきあいが減るおそれがある。第三にアル
バイト先での出来事が心に残るおそれがある。私は忘れるのが早く、回りの方
が親切な方ばかりだったので、この点のデメリットはなかったが、アルバイト
の選択を誤ると恐ろしいことになる。
- 77 :
- 四 次に、精神面だが、これは試験で非常に大切だと思う。私は幼いころから
のクリスチャンで、神の存在を信じている。そこで「万事は益となる」ことを
信じて努力をつづけることができた。私の長所を強いてあげれば、粘り強く、
あきらめない点だと思うが、その背景には、このような考え方があると思う。
五九年も神様のおかげで合格できたと私は思うが、神の存在を信じない立場か
らも「万事は益となる」と考える姿勢は評価できると思う。その点で私は聖書
を読み、お祈りすることは良いと思う。
また、私は元気がでるような本を読むようにしていた。D・カーネギー『道
は開ける』、R・シューラー『あなたは思いどおりの人になれる』などは良く読
んだ。さらに、勉強に疲れたときは伊藤さんの合格体験記(前述)をながめて
これほどの人がこれだけやったのだから、まして私はもっと勉強しなければ、
と気力を奮いおこした。
五 さて、次に大学と受験勉強の関係だが、私はもともと政経学部で、ほとん
どの大学の授業は受験勉強と無関係だった。しかし、欠かさず出席したことは、
受験勉強の素地を作るのに役に立ったように思う。五八年の春、東京大学に学
士入学させていただいたので、今は授業を聴くことができるようになった。も
っと早く良い講義を聞いていれば、もっと勉強が楽だったのだがと思うこのご
ろである。司法試験のためには米倉先生の民法第二部、樋口先生の憲法第一部
が特に役に立った。法学部で勉強することはやはり合格への近道のようである。
勉強の要領は、某予備校での勉強を通して得られたように思う。試験のレベ
ルを知り、試験の傾向を分析する。自分の実力を把握し、弱点をなくす。そし
て、知識をいかにしてアウトプットするかを学んだような気がする。これは人
から口で教えてもらうものではなく、練習を通して会得するもののように思える。
- 78 :
- Z会の小論文をみていてわかったことだが最近はみな文章を書くことに慣れ
ていないようだ。また、読みにくい字を書く者もかなり多い。かくいう私も、
小学校時代は日記に書くことがないと悩み、中学時代は悪筆ナンバーワンを競
っていた。しかし、大学に入学してから文通をするようになり、文を書くこと
が好きになり、読める字を書けるようになった。手紙をくれたアメリカで勉強
中の高校時代の友人たち、Iさん、Oさんには心から感謝をささげたい。
六 私が合格するためには、多くの精神的な支えを与えてくれた人々があるこ
とを忘れることができない。今まで支えてくれた両親、家族、おじ、おばに感
謝したいと思います。また、明大・東大の先生方、教務の方々、図書館の方々
に心からお礼を申しあげます。
今、私はほんのスタートラインに立ったばかりで、今後も多くの方々のお世
話になります。しかし、この湧きたつような喜びを忘れず、今後とも努力し、
人のお役に立てる人間となりたいとおもっています。
- 79 :
- 弥永は医学部受験に失敗してるのか。
- 80 :
- ただ勉強だけして受かっただけの東大生と違って、バイトとかさてそれなりに苦労してるところが好感持てるな
実務家だったら、大成しそうなタイプだな
- 81 :
- 弥永の勉強をここまで動機づけた伊藤万里子さんっていうのも気になるな
- 82 :
- >>54
- 83 :
- >>79
勉強してないのだから落ちるだろ。明治大学政経学部にはなんとか潜り込めたけど。
なのに一般入試よりも遙に難関の学士入学するところが弥永らしいが。
- 84 :
- 平 野 裕 之
「普通の人間では終わりたくない」
孤高の野心家
司法試験、それは日本で最も難しい試験である。昨年の合格者の平均年齢は二十八歳弱であり、
その難しさを端的に物語るにふさわしい。この司法試験に現役合格を果たすのは
東大や京大のほんの一握りの学生だけである。にもかかわらず、本学で見事現役合格を果たした奴がいる。
その名は平野裕之である。
我々法学会特別取材班は早速、彼にインタビューを申込み、それに成功した。
今回ほこの模様の再現である。彼がどういう考え方のもとに大学四年間を過ごして
きたか、また司法試験受験生のために彼がどういう勉強をしてきたかを紹介してみたい。
−現在の感想と、この難関をどのように突破していったのか教えて下さい。
平野 感想ですか、別にないですけど、まあ夢みたいだったですかね。僕は三年の時、
択一に落ちたのですが、学者になりたくてがんばりました。司法試験は二年の初めから目ざし、
その年の夏までに七科目すべての基本書を一通り読んだんです。初めはわからなかったのですが、
だんだんと法解釈のおもろしさに魅了されたのです。
僕はいつも心の中で、
「明治」で終りたくない、
普通の人間で終りたくない
と思っていて、これが僕の心を支えていたのです。
いわば、このままで終りたくないという危機感ですね。
ですから、スランプもなかったし、息ぬきもしませんでした。
受かるまで「人権はない」と考えました。
- 85 :
- −どんな勉強方法をとったのですか。
平野 基本書が中心で、十回ぐらいは読まなければいけませんね。
徹底的に。それから、私が合格した唯一の原因は基本書の中にあり、次のようなものなのです。
それは蛍光ペンで色、形で記号を分類し、基本書の著者の結論を赤の星印、理由を赤丸、
その反対説の結論を緑の星印、理由を緑の丸、そして、錯綜する学説を第三者的立場から説明する部分で
著者の結論と一致するものに紫の星印、理由で一致するものに紫の印をつけ、
その他、立法趣旨には青の星印、解釈の指針にはオレンジの星印、概念は赤の四角、
解釈上の争点は二重丸でそれぞれチェックし、棒線も色分けし、判例は黄色、条文の文言
そのままは青、条文を解釈レベルまでいかない程度に砕いて説明した文はオレンジ、そして解釈上の争点が
生じる原因にはピンクをそれぞれ引いた。
この方法によれば、論文対策は必要でなく、基本書を読むことで、答案構成ができるし、速続も
できるのです。この方法で、一日十時間ぐらいで、二時間ずつほどで七科目やりました。
−大学の授業はどうしましたか。
平野 二年までずっと出ていたのですが、三年になって会社法・小切手法・労働法・担物法は出ませんでした。
労働法はおもしろいが司法試験向きでなく、他は教科書的説明だけで、法解釈のおもしろさを教えてくれなかった。
本当に役立ったのは、僕には納谷先生と川端先生の講義だけでした。
−最後に後輩達へ何か一言どうぞ。
平野 まあ、一つの道を選んで、がんばることですね。遊んで暮すのもいいけど、ほとんど遊んでしまうのが
明治ですからね。しかし、
明治だからといってあきらめてはいけない。
同じ明大生が互いに足をひっぱりあっている今の現状は大嫌いだ。
ですから、僕はあまり大学に愛校心もないし、むしろ落胆しました。
校歌を歌ったこともほとんどないですね。
友達もいませんでした。野望をもった人間はいなかった
ですからね。まあ、これから大学院に進むのですが、これからもずっと孤独でしょうね、僕は。
- 86 :
- 以上が主な質問とそれに対する平野君のコメントであった。その他に我々は、次のような質問もしたので、
それについての簡単なコメントもつけて紹介してみる。
☆尊敬する人−野口英世。野心家故に。
☆趣味−特になし。猫と遊ぶことぐらい。
☆恋愛−勉強のため彼女をつくる暇なし。
☆好きなタレント−特にいません。
☆貴方の父が官であるという噂があるが−でたらめである。父はサラリーマン。
☆大学での成績は−恥ずかしいのですが、三〇個ないのですよ優が。二年の試験の時、
熱を出してしまって。でも、専門はほとんど優ですけど。
☆演習は何を選択したのですか−演習Aは納谷先生で、Bの方は立石先生です。
以上で、「時の人」平野裕之君へのインタビューを終える。
このインタビューを通じて、読者諸兄にも彼の人柄ならびにその勉強の方法も理解していただけたのではなかろうか。
彼の精神を支えるもの、すなわち、それほこのまま普通の人間で終りたくないという、せっぱつまった
感情である。そして彼は入学後、明治大学に深い失望をいだいている。そういう彼に対する心理的作用が彼をして
司法試験現役合格を成し遂げさせたのであろう。我々は彼の合格を称賛し、しかも彼を尊敬をもする。
しかし、彼の喜び方はあまりに孤独だ。大学生活において、彼は自分自身に勝ったであろうが、友を得ることが
できなかったのである。我々はそんな彼を「孤高の野心家」と呼ぶにふさわしいと思う。
最後に彼は重要な事を指摘してくれた。明大生(法学部生)は変な劣等感を持っていて、明治の
学生なのだから、裏を返せば、東大や早稲田でないから、ある一定以上の事はできないというような見えない壁を
造っているという。この指摘は大学内のトイレのらく書を見た人なら、十分うなずけるものであろう。
我々にとって劣等感は必要なものである。けれど、それだけではいけない。劣等感をバネにして飛躍
しなければ意味がないのである。さらに、彼の指摘は大学の授業のあり方にも言及している。この指摘ほまさに
そのとおりであり、大学側も十分考慮すべきではなかろうか
- 87 :
- ※平野君の使用した基本書
憲法
「清宮・憲法I」択一にはよいが、司法のところは他で補充すべし。
「宮沢・憲法U」 各論が薄く、最近の論点がないため短答式から、「小林・憲法講義(上)」を使用した。
民法
「我妻・民法講義TUVWX」「舟橋・物権法」
「来栖・契約法」「松坂・事務管理不当利得」
「幾代・不法行為」・「我妻・親族法」
「中川・相続法」
−いずれも司法試験には不要なことがかなり多いが、
基本書には書き込みがあるので、そこだけを読めばよいようになっていた。
刑法
「団藤・刑法綱要総論各論」徹底的に理解できればこれだけで十分で、応用がかなりきく。
商法
「大隅・商法総則」「西原・商行為法」
「田中誠二・会社法詳論(上下)」「鈴木・手形小切手法」
総則と商行為法は二年の期末テストのため読んでから、論文の前まで全く読んでいなかった。
会社法はこれをすべて理解すればなんでもこいという安心がえられる、文字通り詳しい本である。
民訴
「新堂」、これについては参考書を全く見ないで、基本書を読んだだけ。
国際公法
「田畑・国際I」「横田・同U」「田岡・同V」
これだけやれば不安はない。
政治学
「高畠・政治学への道案内
- 88 :
- 平野をはじめとする優秀な合格者は
@体系書の1文1文について、何について書いてあるのか、いかなる
法的議論として書かれているのか、を逐一考えること、
A事案への応用の仕方が分っていること、つまり事案が変わると規範を
修正する必要性が生じるも修正できる許容性の範囲内であるかどうかが
分っていること
などが伝わってくる。
- 89 :
- 刑法
「団藤・刑法綱要総論各論」徹底的に理解できればこれだけで十分で、応用がかなりきく。
-------------------------------------------
過去の司法試験論文問題をすべて団藤説で書いて、事案の処理ができるってことだが、
それは団藤説を事案に応じて修正するってことだと思うが、簡単じゃないぞ。
- 90 :
- 私の司法試験現役合格作戦 1994年版
中島基至 受験1回(23歳) 東京大学
基本書を初めから読む人がいるが全くのムダ。過去問をバラバラ見て、疑
問を発見して解決するために読め!
★学生企業を経営していた私が受験を決意した理由
東京大学法学部政治学科に在籍。もっとも法学部といえども本学科で法
律を学ぶ者(司法試験を目指すもの)は皆無であり、私も憲法を履修したの
みで後はもっぱら経営学、経済学、財政学を学んでいました。
大学外では学生企業を経営していた面もあり、司法試験を受けるなど周
りの友人は思いもしなかったことでしょう。
偶然、福田弁護士(東大経済学部出身)と友人となり、彼の一言で私の法
律に対するイメージが変わりました。
「司法試験は過去問のみで受かる。残りは推測すればすむ。1000時間で受かる」
右の一言で私の頭には左の命題が光となりました。
「様々な知識。現象の中には必ず抽象化しうるものがあり、そこに隠された
一般的・普遍的公式が発見しうるはずである」
この光は非常に強いものであり、2,3日血がさわいだことを覚えています(
5月1日)。
- 91 :
- 私の勉強方法(理数学的アプローチ)
8月23日に高田馬場へ引っ越し本格的に勉強を初めることにしました。し
かしながら法律に関するイメージが細かく、技術的・暗記的なものであったこ
ともあり、まず大きく戦略を立てようと思い合格体験記等を読みまくりました
(10月まで)。
1カ月のうちに数千人の体験記をもとに左の戦略を立てました。
戦略1の解説
戦略1は大きい枠組みですが、多くの人が作成している論点ブロックノート
を一切作成せず、極力考える作業を優先する方針です。
すなわち、人間の理解の深さは、概念の比較、視点の量に比例し暗記ではな
いと考えます。よって講義の質.量がそのまま知識とならず、真の知識となるの
は、ナルホドと思った数に比例するということです。一言でいうと学力の向上は
発見の数に比例するということです。
▼STEP1 過去問の勉強(疑問の発見)
右発想から演繹される学習方法(STEP1)は、過去問
をまず勉強し、それを頼りに様々な内容を推測し、疑問を発見しそれを基本
書等で解決することです。私は2月頃から過去問をパラパラ見て、疑問を発
見しそれを解決するために様々な本を読んだり、友人に質問したりしました。
これに対し、学習を始める人々の中には基本書を初めから読む人がいます
が全くのムダです。意識し、疑問を感じない部分は全く頭に入らないと思い
ます。
例えば、自分の用いている時計の絵を正確に書けといわれて描ける人はい
ないと思います。すなわち針の位置の関係のみに人の意識は関心をもつため、
他の細かいデザインは視界には入っても記憶のレベルまで入らないからです。
私の受験時代、幸運であったことは、同じゼミの仲間である北陽一郎氏と
、彼と個人的なゼミを二月から四月まで行ったことにより私の疑問が
すべて解決し、彼のポテンシャルの高さとの相乗効果によりレベルが上がっ
たことです。今から思うと法とは、憲法とは、と細かいレベルに立ち入らな
い非常に高いレベルのゼミであっと思います。
- 92 :
- ▼STEP2 知識の抽象化(ひらめき) 次に抽象化レベル(STEP2)の段落は、
これはひらめきです。私は机の上でうとうとしていた時に光がきました。必
ず抽象化しうるものがあります。おそらく私の創造の源は油絵を描くことに
あり、潜在意識がそこに結びつけたのだろうと思います。詳しくは紙面の都
合上ここでは述べられませんが、「Trees of law」という本を出版予定で
す(早稲田経営出版)。私の方法論を知りたい方は参照して下さい。
▼STEP3 細かい知識を流し込む 最後にSTEP3ですが、法律論文を書くに
は、やはりかい判例の言い回し、定義等は正確に覚える必要があります。そ
こで択一合格後は抽象化した公式・イメージに知識を流し込みました(500時
間。いらない本はすてる)。
直前の右作業は非常に大切であり、論文前の60日あまりは思いきり勉強しま
した。左眼が途中見えなく、かすみきってしまったのには驚きました。もっと
も、発想のレベルが重要なSTEP2までは、机にすわった時間はほとんどなくよ
く寝て、よく食べ、よく遊んでました(脳の合理的活用方法)。
私の勉強法の具体例
右説明では非常にわかりにくいため、具体的にいかなることをやったかを説明します。
〈8〜11月〉合格体験記等、直接合格者と話したことも含めて数千人分の方法論
をインプットしました。しかし、驚いたことに非常に画一的であり大半の受験生
が効率の悪いブロックカードの作成、答練等同じことをしていることには疑問を感じました。
- 93 :
- 〈11〜1月〉実際に択一過去問、論文過去問を解いてみました。択一過去問60
問は20点から30点どれ、国語の問題が多いと感じました。また時間は一時間ほ
ど余ったため、スピードは十分であり後は知識を補充する方針をとりました。
論文過去間は早稲田司法試験セミナー(以下Wセミナーと略す)の「論文ブリッ
ジ講座(羽広政男先生)」をWセミナーで受講しましたが、非常にすばらしい授業
でした。私は羽広政男先生によく質問しに行きましたが、いやな顔をせず、わ
かりやすく法の大枠を説明して下さったことは、私の知識の抽象化のために最
も役に立ちました。
またこの授業で友人となった優秀な石原君との議論も、非常にレベルが高く楽
しかったです。またWセミナー論文答練会も申し込みましたが、結局理解してい
れば何でも書けることが2〜3回受けてわかりましたので、ほとんど受けません
でした。しかし、ペンに慣れるために同じペンで暇さえあれば落書きをしていました。
〈2〜4月〉私の疑問はとどまるところを知らず、前述北氏とのゼミで次々に解決
していきました。
このゼミでは口述過去問・基本書の通読等を通じて疑問点をそのまさ言いあう
という形式でしたが、百選等もこの時期につぶしたことも判例に慣れるという意
味で良かったと思います。
択一対策としては東大の友人である宮本君、松井さん、中大の荻野君等と一問
一答ゼミを組み択一受験六法をつぷしました。
4月には、ほとんど暗記している状況でした。
- 94 :
- ● まとめ 私は、どの基本書、参考書を用いたかと言われると非常に困ります。
つまり、受験生が用いる大半の本には目を通したからです。しかし、通常の受験
生と異なるところは、自分が疑問に思うところ以外は読まなかったことです。す
なわち、知識は理解を伴って初めて身につくという前述発想からです。
つまり本を読むという作業は、知識をそこから得ようとするのではなく、ナル
ホドという確認作業に用いたということです。
もっとも判例百選は必修です。私も最後にいきついたところは判例百選・重版
であり、事案を離れた法律論は意味がないと思います。
しかし、私が百選を本当に理解しえたのは3月以降だと思います。初学者であ
れば、深みにはまりますので、ある程度、メリハリがついて読めるようになって
からが良いと思います。そして、百選が楽しいと思えるレベルが合格者の大半の
レベルだと思われて結構です。
戦略2の解説
論文対策 論文で評価される部分は知識(ブロック)のレベルではありません。
よくブロックを集めれば受かると錯覚しノート作成に時間を費やす人がいま
すが、本末転倒です。インビジュアルの面、答案からにじみ出るイメージが
添削されるのです。
よく予備校の答練の成績は良いが、本試験では良くないとか、十分書いた
つもりが評価されない等、様々な不思議なことが言われていますが、ここは
表には直接出てこない、つまりコンピュータでは添削できず、人間の感覚を
用いないと添削できないということです。
私の絵の先生は、絵を見れば、その人の性格、人柄がわかると言います。
試験委員の先生も、答案の裏にある人格、すなわち平衡感覚、謙虚さ、若さ
(インビジュアルの側面)を添削するとおっしゃいます。私の今年の口述試験で
実感しました。そこで、私の知識の抽象化というのはインビジュアルの面を
ビジュアル化するということでしたが、みなさんも、意識を右の点に注意し
て答案を書いてみて下さい(前述の「Trees of 1aw」参照)。
もっとも定義等の知識も必要ですので、図Aの知識レベルの勉強時期は直
前にズラして下さい。暗記レベルの勉強はそれ以外の時期ではムダです(暗記
は忘れるものだから)。
- 95 :
- 択一対策(図B) 知識は私は「択一受験六法」で十分だと思います。他の受験
生を見ていると、様々なものに手を出していますが、一冊の本に集約した方が
必ず身につくと思います。
問題は、実践感覚です。択一試験を受けようとする人は大半知識は十分あ
る人達です。かつ一度合格する人は次の年も合格しやすいので、最初に受験す
る人は残り1000人弱の枠に入るしかなく、案外大変な試験だと思います。
そこで私は左プランを提案します。すなわち、択一問題は本試験開始の午
後1時半から解かなければ意味がなく、模試を直前1日前まで受けつづけることです。
右方法の効果として、1日のうち、集中できる時間のピークが1時半から
になり、最も頭の働く時に受けられるというメリットがあります。
例えば、石原君(前述)は私と同様夜型ですが、朝と夜では点数が10点以上違
うと言っていました。また、他の効果として感覚がみがかれるということです(こ
れは凧のように20数回連続で答練を受けたことがない人にはわからないかもしれない)。
例えば、150キロのスピードボールも毎日見続ければスローボールに見えるよ
うに、人間の感覚は相対的であり客観的に速いボールはない(カーブの後のストレ
ートは速く見える)。
これを択一に応用すれば、20数回頭に圧力をかけていれば、必ず問題は易し
くなるし時間も早くなる。私の経験上では、右のように択一問題を1500問以上
解いた時に感覚がわかり、当初30点前後から50点以上に伸び、時間も一時間
少々楽に余るようになりました。
- 96 :
- 戦略3の解説
イメージ・感性・相対的理解の効能は、大脳生理学との関係でまだ解明されて
いない部分があります。しかしながら、私の経験則上、最大限効率を上げるに
は右3要素は不可欠であると思います。詳しくは、別紙に譲るとして図の説明
だけすると、土壌が砂であれば、雨のしずくは土に吸収され、残るは点の跡の
みになります。.量を増やしても同様であり、点の数は量に正比例します。しか
しながら、土壌の上に水というTOOLを用意すれば、かっ静かな環境(静かな
心)があれば一滴のしずくがむげんだいに波動となり、水面全体に行き届きます
。いかがでしょうか。
戦略4の解説
常識(感性)からのアプローチです。上(α)から攻めると常識がかくれてしまう。
受験生の答案を今読んでみると右パターンが多い。もう一つの下(β)からのアプ
ローチをとると、非常に常識から見た問題文の不都合性が見えてくる。すなわ
ちαβ両視点を必ずもって下さい(βは素人の方がよくわかる)。さらにいうと法
律は解決の最終手段であり、社会の大半が常識(道徳)で動いているということで
す。受験生に法律相談をすればまず法律を出すでしょうが、実務家は「そんな
の法律の問題ではありません。常識で解決して下さい」という人が多いでしょう。
- 97 :
- ▼総括 問題を僭越ながら出させていただきます。'
「りんごの味を述べなさい」
知識・暗記型の人はりんごを数多く食べるでしょう。しかしながら、本書をここ
まで読んでいただいた方はお解かりになるでしょう。私の発想はりんごは食べな
い(もっとも最後に一口食べますが)。いちご、キウイ、パイナップルを食べます。
そして、そこからりんごの味を比較して論文を書くでしょう。すなわち、客観的
なりんごの味という存在はないのです。すべての人間は相対理解で決まるのです
。レモンの後に食べれぱあまく、ももの後に食べればすっぱいでしょう。
以上、法律にもあてはまります。同じ法律でも存在という意味で共通しますが、
評価の面ではすべての人が各自の価値感に基づき異なる評価をしえます。
答案は作品です。芸術品です。自らの個性を生かし、そのキャンパスに
おもいきり自分の世界を描いて下さい(唯心論的アプローチ)。
今、受験界ではブロックカードを作成し、量をこなし、穴を埋める方法
が流行しています。そのため答案が画一化し、没個性的なものが増えてい
るそうです。そこで、いかに個性的な答案を書くかも短期合格秘訣です(某
司試委員談)。
私の方法論を参考にし、方向性を最初に見極め、最短距離で合格する方
が多く出ることを期待します。最後まで読んでいただきありがとうございました。
- 98 :
- 一条法樹は抽象論が多すぎるな。
これで読者に伝わるとでも思っているのだろうか。
- 99 :
- もっとも判例百選は必修です。私も最後にいきついたところは判例百選・重版
であり、事案を離れた法律論は意味がないと思います。
----------------------------------------------
ここは非常に大切な個所だな。
事案に応じて法律論に変更を加えていくことはいいわけだが、
問題提起・規範定立・あてはめという論述順序を遵守するなら、
事案に応じて法律論を展開することは、書き方が難しい。
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