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2011年10月1期政治思想【国体論】日本思想【皇国史観】 TOP カテ一覧 スレ一覧 削除依頼

【国体論】日本思想【皇国史観】


1 :08/11/15 〜 最終レス :11/06/30
 日本主義、日本思想の構成要素は
 皇統を核とする国体(=国柄、国家構造)、そしてこれと不可分の
  神道、
  武士道、
  国学(=古学、日本学)
であろう。それらを全て包含するのが日本国民となる。そしてその最も大きな特質は、神代(=古代)から
連綿として続く、”連続性”ではないかと思う。「日本文化の核心は神代からの連続性である」と極言しても
良いのでは無いだろうか。神代から連続して時代が下るに従い、巨大な堆積がその伝統、歴史、慣習の中
に蓄えられ、日本文化、日本文明を成すに至り、今に続き、そして未来へと続き、更なる発展を遂げていく
のであろう。

2 :
福沢諭吉 帝室論
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5120245
http://jp.youtube.com/watch?v=fBPZpWK10QQ
福沢諭吉 尊王論
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5129355
http://jp.youtube.com/watch?v=Lnhp9MrCF_o
賀茂真淵 国意考
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5000813
http://jp.youtube.com/watch?v=dhN8VyZgeu4
本居宣長 玉くしげ
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5058142
http://jp.youtube.com/watch?v=EEilEy-xeFw
本居宣長 直毘霊
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5015829
http://jp.youtube.com/watch?v=O-YnQY-mxlI

3 :
>>1
まったくその通り、
支那・チョン・台湾などなどとは一回も上手く言った事はないし、
米國とは大概上手く行く。
米國と同盟して支那・チョン・台湾を徹底的に叩くことこそ日本の國ということだ。
東京は神事であるからこれを悪く言うチョンは取り締まられてしかるべき。

4 :
むかしはげそうろうのおきなありけり
なにごとのゆえならねども世をはかなみて行くへも思ひさだめぬまま来たれり
ける終電車にうちのりいつしかにうまひしけるににはかにも終点なりとく起き
たまへなどいふ声していずくとも知らぬままひと筋町のいづれも灯をおとして
あやめもわかぬやみをたどればしをりどとざしいはくありげのやしきのはつか
に灯影打ちもれたるにひとよのやどかさせたまへとよばふにいやしからざるふ
ぜいの五十とせばかりのをとこいできてなにゆえこのよふけにといへばともか
くいたづきみつれければなどいへばやむなしとやおもひけむふすまかづきさせ
てその夜明けにければとーすとにこーひーあてがひ

5 :
明治天皇 教育勅語
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5037463
http://jp.youtube.com/watch?v=fCYo-vWyQBY
明治天皇 五箇条の御誓文
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5037980
http://jp.youtube.com/watch?v=7y3VK-q5I9o
明治天皇 国威宣布の宸翰
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5038549
http://jp.youtube.com/watch?v=sRL5iAsF66o
明治天皇 軍人勅諭
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5046534
http://jp.youtube.com/watch?v=eL638Wf_634

6 :
日本主義・日本思想の系譜(中途半端ながら一覧を試みる)
 ≒伝統主義、保守主義
  美術、芸能、建築、伝承なども勿論重要な要素だが、調べきれないので省略
記紀
 『古事記』、『日本書紀』
 聖徳太子
 『源氏物語』、『万葉集』
 『今昔物語』
軍記物
 『将門記』、『陸奥話記』、『保元物語』、『平治物語』、『平家物語』
 『義経記』、『承久記』、『太平記』
北畠親房
 『神皇正統記』
  ※能の奥義書『風姿花伝』なども重要であるが、芸能関連は冒頭の通り省略
 『甲陽軍鑑』
太田牛一 『信長公記』『太閤さま軍記のうち』
  ※士道とは異なるが、忍術書も挙げる:『萬川集海』、『正忍記』、『忍秘伝』
新井白石『折たく柴の木』(国体論に基づいた外交に言及しているらしい)

7 :
日本主義・日本思想の系譜(中途半端ながら一覧を試みる)
 ≒伝統主義、保守主義
  美術、芸能、建築、伝承なども勿論重要な要素だが、調べきれないので省略
記紀
 『古事記』、『日本書紀』
 聖徳太子
 『源氏物語』、『万葉集』
 『今昔物語』
軍記物
 『将門記』、『陸奥話記』、『保元物語』、『平治物語』、『平家物語』
 『義経記』、『承久記』、『太平記』
北畠親房
 『神皇正統記』
  ※能の奥義書『風姿花伝』なども重要であるが、芸能関連は冒頭の通り省略
 『甲陽軍鑑』
太田牛一 『信長公記』『太閤さま軍記のうち』
  ※士道とは異なるが、忍術書も挙げる:『萬川集海』、『正忍記』、『忍秘伝』
新井白石『折たく柴の木』(国体論に基づいた外交に言及しているらしい)

8 :
>>7
正しい歴史書である「古事記」と
その内容を否定するいわば日教組史観・共産主義の「日本書紀」を並列する時点ですでに反日だ。
中山大臣も言っていたように日教組は日本の子供の敵だ。

9 :
爆撃ポインツ発見。
何処の国や地方にでも古来から受け継がれた信仰や生活様式も武術も国学も連綿と紡がれて来てるたあ思うんだがあ。

10 :
水戸学
 水戸光圀 『大日本史』
 藤田東湖 『弘道館述義』(”国体”)
崎門学(闇斎学)
 山崎闇斎 (人間の心「心神」=「天神」)★湯武放伐を否定(→万世一系の皇統の価値)
   『文会筆録』、『倭鑑』、『伊勢神宮儀式序』、『闢異』、『垂加文集』
   『神代巻風葉集』、『中臣祓風水草』
  門人(崎門学派)
   佐藤直方、浅見絅斎(主著『靖献遺言』)
   三宅尚斎、植田艮背、遊佐木斎
   渋川春海(保井算哲:天文学”八十八夜、二百十日”、理学)
   谷秦山『保建大記打聞』
   正親町公通、出雲路敬直
   ※崎門学派は数多いが、橋本左内、横井小楠らもその門下である。

11 :
儒学から武士道へ
 山鹿素行 『聖教要録』、『中朝事実』(日本は中国より優れた国として、日本を中朝とした)
        『配所残筆』、『武教本論』
        『武教全書』(武家の知るべき事を網羅し、武士道の百科全書というべき書)
         (平泉澄『先哲を仰ぐ』武教小學講話において、第一章「夙起夜寝」が最重要、と)
        『武家事紀』
        『山鹿語類』(「士道」利を去って義につく精神を説く。
         日用の学は形而上を避け、プラグマティズムに通じる実践の道徳の學)
        『謫居童問』
        ※山鹿流の系譜として吉田松陰、乃木大将らが知られる。
上杉鷹山(伝国の辞)
松尾芭蕉 『奥の細道』
 ※『葉隠』(鍋島)は武士道の書とされるが、朱子学過ぎるだろうか。

12 :
>>9
チョンにはない。

13 :
>>10-11 水戸藩崩れの俺が言うのも何だが、やっぱ日本には中華思想とか合わんわ、無理。
>>12 出鱈目に模倣して起源を喚き散らすのが彼処の文化なんぢゃね?

14 :
国学
 国学の四大人(しうし)
  平田篤胤 (復古神道)『古史成文』、『古史徴』、『霊能真柱』、『古史伝』
    『仙境異聞』、『勝五郎再生記聞』
  荷田春満 『万葉集僻案抄』、『春葉集』、『創学校啓』
  賀茂真淵 『歌意考』、『万葉考』、『国意考』、『祝詞考』、『にひまなび』
    『文意考』、『五意考』、『冠辞考』、『神楽考』、『源氏物語新釈』
     塙保己一 『群書類従』
  本居宣長 (もののあはれ)『古事記伝』(∋『直毘霊』) 、『源氏物語玉の小櫛』、 『玉勝間』
    『玉くしげ』
和算 関孝和 (『関孝和の数学』、『日本の数学』)

15 :
幕末から明治維新
 吉田松陰 『講孟余話』、『将及私言』、『幽囚録』、『回顧録』、『野山獄文稿』
   『丙辰幽室文稿』、『戌午幽室文稿』、『留魂録』
   『士規七則』(武士道の大綱)
 緒方洪庵:蘭学塾「適々斎塾(適塾)」
  日本最初の病理学書『病学通論』
  福澤諭吉(慶應義塾大学を創設)
  大鳥圭介、大村益次郎、長与専斎、佐野常民、高松凌雲
  橋本左内(景岳)幕末において、長い射程を持つ日本の外交、戦略論を展開。『啓発録』
 眞木和泉守 『紫灘遺稿』、『楠子論』
  (長州藩;幕末に没したが、明治新政府の政策の多大な影響)
 西郷隆盛 『西郷隆盛「南洲翁遺訓」』(現代語訳)=(『西郷南洲遺訓』)
 大久保利通
 勝海舟
 勤王の志士多数(本人の著書より寧ろ、後世に書かれた生き様などがよすがか)
  坂本竜馬(亀山社中→海援隊、船中八策)
  木戸孝允(桂小五郎)
  小松帯刀、伊藤博文、大村益次郎、山県有朋、梅田雲浜、後藤象二郎
  高杉晋作(奇兵隊)、吉田稔麿、久坂玄瑞(松下村塾の三秀)
  中岡慎太郎(陸援隊)
  来島又兵衛(遊撃隊)

16 :
明治
 明治天皇 『教育勅語』、『五ヶ条の御誓文』、『国威宣布の宸翰』、『軍人勅諭』
 福沢諭吉 『福翁自伝』、『学問のすゝめ』、『帝室論・尊王論』、(”脱亜入欧”)
 乃木希典 『中朝事実(山鹿素行)』
 東郷平八郎
 ※新渡戸稲造の『武士道』は海外へ紹介する為のものであるので、いささか日本主義
  とは異なるように思う。だが、重要な書ではある。
 ※岡倉天心の『茶の本』、『東洋の理想』も同様に感じる。

17 :
 乃木希典 『中朝事実(山鹿素行)』
乃木さんは、数学も英語もドイツ語も中途半端だった。
専門知識に欠けたため旅順では多数の兵を犬死させた。
薄っぺらい『中朝事実(山鹿素行)』 がかれの教養でありすべてであった。
切腹してすべてを補った。 東條とは正反対の人であった。

18 :
大東亜戦争前後:国体論、皇国史観
 文部省 『国体の本義』、『臣民の道』
 旧軍 『軍人勅諭』、『五省』
 平泉澄 『中世に於ける精神生活』、『我が歴史観』、『中世に於ける社寺と社会の関係』
   『日本歴史物語』、『国史学の骨髄』、『武士道の復活』、『建武中興の本義』
   『忠と義』、『万物流転』、『伝統』、『菊池勤王史』、『天兵に敵なし』、『芭蕉の俤』
   『名和世家』、『白山社の栞』、『山河あり(正・続・続々)』、『解説近世日本国民史』
   『父祖の足跡(正・続・続々・再続・三続)』、『寒林年譜(正・続)』、『寒林史筆』
   『革命と伝統』、『解説佳人之奇遇』、『明治の源流』
   『少年日本史』=『物語日本史』;英訳版『THE STORY OF JAPAN』
   『先哲を仰ぐ』、『楠公 - その忠烈と余香 - 』、『山彦』、『慕楠記』
   『日本の悲劇と理想』、『明治の光輝』、『悲劇縦走』、『家内の思い出』
   『首丘の人 大西郷』、『平泉博士史論抄』
 内閣総力戦研究所(残念ながら直接の資料は手に入らない)
  『日本人はなぜ戦争をしたか―昭和16年夏の敗戦』(猪瀬直樹)
  ※日本史上の人物やその文学、軍記物、それに基づく思想を”情”とすれば、
   総力戦研究所の特に昭和16年の開戦シミュレーションは、「日本必敗」とソ連参戦
   をも予見しており、”理”と呼べる部分だろう。
   日本思想、日本主義が単なる情緒過多な精神主義に陥らない為にも、こうした合理
   主義、科学的な部分、或いはアメリカの実用主義(プラグマティズム)に学ぶべき点が
   あるように思う。プラグマティズムは、日本なら山鹿素行の唱える日用の学がずっと以
   前から存在するので、素行から持ってきても良いかも知れない。

19 :
山鹿素行 『中朝事実』 皇統(上) 皇統章
(前略)故に皇統が一度(ひとたび)定まって億萬世之れに襲(よ)って変ぜず、天下皆正朔を受けて其の時
を二つにせず、萬國王命を稟(う)けて其の俗を異にせず、三綱終に沈淪せず、徳化は塗炭に陥らず、外国
の到底企て望み得ることではない。夫(そ)の支那では天子姓を易ふることを殆ど三十で、戎狄が入って王
となった者が数世ある。春秋の二百四十余年に臣子が其の國君を弑した者二十又五もある。其の先後の乱
臣賊子に至っては枚挙することは出来ない。朝鮮では箕子(きし)が天命を受けて王となって以後、姓を易ふ
ること四氏、其の國を滅して或いは郡縣となり、或いは高氏は滅絶することが凡そ二世、彼の李氏は二十八
年の間に王を弑する者四度あった。況んや其の先後の乱逆は禽獣の損ない合うと異ならない。唯我が中國
(なかつくに)は開闢からこのかた人皇に至るまで二百万歳にも近く、人皇から今日まで二千三百歳を過ぎて
ゐる。而も天神(あまつかみ)の皇統は違(たが)ふことなく、其の間に弑逆の乱は指を屈して数ふる程もない。
其の上外国の賊は吾が辺藩をも窺ふことも出来なかった。後白河帝の後に武家が権力を執って既に五百余
年にもなる。其の間に利嘴長距が場を壇にしたり、冠猴封豕が火を秋の蓬に縦つ類のないこともないが、それ
でも猶ほ王室を貴び君臣の儀を存してゐる。是れは 天神 人皇の知徳が顕象著名であって世を歿するまで
忘れられないからである。其の過化の功、綱紀の分がこの様に悠久で、このやうに無窮であるといふことは皆
至誠から流れ出たからである。三綱が既に立つときはその条目は治政の極致として著はれる。凡そ八紘の大
なるも、外国の汎きも中州に如くはない。皇綱の化文武の功、其の至徳、何と大きいことではないか。
 →中国や朝鮮では易姓革命が度々起こり、乱臣による弑逆も度々起こった。
  一方、日本の皇統は神代以来一度も変わることなく萬世一系である、ということを示す。
  萬世一系の皇統を以て日本が中国(なかつくに)であることを示している。

20 :
その通り 田母神閣下は神になられた
この神聖な皇国から売国奴どもを駆逐せねばなるまいて

21 :
此の文化は個人個人は出鱈目な模倣の連続性で文化として成り立って居る事に気付かない所が味噌。

22 :
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♪福本博士が池田ニセ博士を断罪♪
講談社から話題の新書
創価学会・公明党「カネと品位」著者:福本じゅんいち
東大生信者約400名のリーダー福本博士が創価公明の変貌の実態を書き下ろし
http://www.amazon.co.jp/dp/4062150352/
♪福本博士が池田ニセ博士を断罪♪
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23 :
まああれだ、こいつらに取って模倣する対象が仏教だろうが日本だろうが何でも良い訳でw

24 :
関孝和? アイザック・ニュートンとほぼ同時期に微積分学の端緒を開いた。
さっすが、世界一のIQを誇る日本人だ。
それに引き替え支那チョソは・・・

25 :
山鹿素行の思想
https://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4831511846.html
朱子学を批判した『聖教要録』により、赤穂への流刑を余儀なくされた反骨の思想家。
武士道論の提唱者、日本主義者、復古主義者、と様々に呼ばれてきた山鹿素行の思想の本質を明らかにする。
 山鹿素行(元和八〜貞享二年、1622〜1685)は、江戸時代初期の儒者、兵学者で、武士道論、復古の学、
日本主義のそれぞれに於いて先駆的主張を成したことで知られている。
 奥州会津生まれ、六歳の時、父に従って江戸に出る。二十歳頃までの修学期に、儒学を林羅山に、兵学を小幡
景憲と北条氏長に学ぶ。他に神道、和学なども広く修め、二十一歳の時に兵学者として独立する。山鹿流兵学を
創始し、諸大名をはじめとする多くの門人を抱えた。
 素行が生まれたのは大坂夏の陣の七年後で、彼の生きた時代は当に泰平の確立期であった。そのような時代に、
武士の存在根拠を新たに儒教道徳に求め、そこから武士のあるべき姿を「士道」として提唱したのが素行の武士道
論である。
 また復古的主張を、伊藤仁斎とほぼ同時に、それぞれ独立して主張した。素行は若い頃より朱子学を信奉してい
たが、朱子学が説く形而上的工夫には、日用現実から遊離しているという違和感を持っていた。寛文二年(1662)
四十一歳の時、『近思録』にある周濂渓の「無極にして太極」の文に改めて根本的な疑問を抱き、遂に形而上的工夫
を否定し、日用現実についての工夫のみを行う学を「聖学」とする立場を確立する。彼はその立場から、特に朱子学
の形而上的工夫を批判し、孔子の古に復すべき事を説いた。ただし素行は、朱子学を全面否定したわけではなく、
朱子学が他方で説く日用現実についての工夫は高く評価し、その説を踏襲している。

26 :
山鹿素行の思想
https://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4831511846.html
 素行の主著は『山鹿語類』で、彼の武士道論はその「士道篇」において、また復古的主張はその「聖学篇」
で詳しく展開されている。
 素行は、朱子学を批判し孔子への復古を唱える立場を世に問うため、『山鹿語類』「聖学篇」を要約した『聖
教要録』を、寛文五年(1665)四十四歳の時に刊行する。門人たちは、朱子学を批判する書の刊行を危惧し
たが、素行は、聖人の道は私(わたくし)すべきでないとし、その反対を押し切って刊行した。しかし、この書の
刊行は幕府の怒りに触れ、彼は翌年赤穂に配流される。その原因は、将軍家綱の補佐役で朱子学の信奉者
であった保科正之が、この書の刊行を憤ったためだと考えられている。
 赤穂流謫中の寛文九年(1669)四十八歳の時、素行は、『中朝事実』を著し、世の学者の外国(主として漢
土)崇拝を批判し、皇統の一貫を根拠に、日本こそ万国に卓越した中華・中国と呼ぶに相応しい国であるとの
日本主義を主張した。王朝の度々変わった漢土に対し、日本は天子の地位を侵すような不義不道の者がいな
かったため皇統が一貫していると、その卓越性を強調している。
 しかし素行は、外国に対してはそのように朝廷の存在を以て日本の卓越性を説く一方、国内については武家
が朝廷に代わって政治を担当することの必然性を説いている。彼は、皇統の歴史を論じた『中朝事実』と対の
形で、武家の歴史を述べた『武家事紀』を四年後に著している。その立場は、朝廷が政治を怠り統治能力を失
ったため武家が政治を担当するようになったとするものである。彼は終生、幕府に出仕することを念願していた。
近代に入り、素行が他方で武家政治の必然性を説いた点は無視され、『中朝事実』だけが尊皇愛国の書として
持て囃された。

27 :
>>26
「皇統の一貫」という看板を掲げながら、本体は「朝廷は統治能力を失った」とかおきまりの御皇室罵倒。
さらには毛沢東と同じ孔子崇拝の共産主義宣伝。
こんな酷い本を賞揚するのは中核派とかそういうチョンだろう。くだらん落書きはいいかげんにせーよ。

28 :
山鹿素行の思想
https://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4831511846.html
 赤穂に流されて足かけ十年目の正月を迎えた素行は、配所で生涯を終えることを覚悟し、公にするつもり
のない遺言状として自叙伝の『配所残筆』を著した。内容は、幼い頃より儒学、兵学、神道、和学を広く学び、
兵学者としては既に青年期に一家を成していたこと。『聖教要録』の刊行が幕府の怒りに触れ赤穂への配流
が兵学の師でもあった北条氏長から申し渡された際、予め死罪も覚悟し堂々と振る舞ったこと。以前は自分
も外国崇拝に陥っていたが、日本こそ万国に卓越した国だと気づき『中朝事実』を著したこと。朱子学など後
世の学が日用現実から遊離していることに不満を持っていたが、ある時それら諸学を排し孔子に立ち戻れば
よいと気づき復古的主張をなすに至ったことなどが書かれている。『配所残筆』の成った半年後、彼は急に許
されて江戸に帰ることとなった。
 江戸時代に素行は、兵学者としてのみ有名で、学派の形成もその分野に限られていた。しかし、近代に入
り、井上哲次郎の『日本古学派之哲学』(明治35年、1902)によって、伊藤仁斎、荻生徂徠とともに古学派
の代表者として広く紹介され、また日清日露の戦勝後の雰囲気の中で、武士道および日本主義の唱道者と
してその名が喧伝されるようになった。
 本書では、素行の思想の内、特に彼が朱子学とどのように対決しながらその復古的主張を展開したか、ま
たその主張の背景には彼自身の武士としてのどのような心構えが絡んでいたかについて検討する。

29 :
賀茂真淵 (賀茂百樹 増訂『増訂 賀茂真淵全集』巻10 吉川弘文館 1930.10.10)
※ 句読点・濁点を適宜施した。見出しを付けた。〔原注〕、(*入力者注記)
原文
http://www2s.biglobe.ne.jp/~Taiju/1765_kokuikou.htm
1 儒教で治世は成らず
或人の
「我は哥やうのちいさき(*ママ)事を心とはし侍らず。世の中を治めんとするから國(*唐国)の道をこそ。」
といふを、おのれたゞ笑てこたへず。
後に又その人にあひぬるに、
「万の事をばことわるめるに、たゞわらひに笑ておはせしはゆゑありや。」
などいふに、おのれいはく、
「そこの唐國の儒とやらんの事か。そは天地の心をしひていとちいさく人の作れるわざにこそあれ。」
といふに、いとはら立て、
「いかで此大道をちいさしといふにや。」
といふ。
おのれいはく、
「さらば、そのから國の儒にて世の中の治りつるやいなや、承りぬべし。」
といへば、堯舜夏殷周などをもてこたふ。
おのれいふ、
「そのゝちにはなきや。」
こたふなし。

30 :
>>29
儒教は犯罪道徳・共産主義
大昔からわかりきっていたということだな。

31 :
でさあ、何時に成ったら此処のスレ主は名乗り出るんだろうな?今更無理か?(笑

32 :
>>31
たぶんエドマンド・バークがどうやらこうやらって言ってたブサヨな超線人だろう。
本の名前と書評みたいなの並べる「禿げ的」な書き方に特徴がある。

33 :
【まとめサイト】 http://hata.s7.xrea.com/sake.htm

34 :
>>32 だあよおなあ
『主義・思想の構成要素は連綿として続く、”連続性”ではないかと思う。』
と述べて居る訳だから、是は本人の言葉は無くパクる事の『”連続性”』でも成り立てる訳だ、此のスレの大半に有る
本の名前と書評みたいなのを並べる『主義・思想』は何処かの土人が『連綿と』中華思想を並べ立て喚き散らして居た
行為の標的を日本に変えただけで『”連続性”』自体は何も損なわれて居ないw

35 :
ふざけた奴って中国人だったのか!?

36 :
>>1
弐次元が入ってないじゃないか
妹萌えは神話の時代からあったぞ
>>35
青木さんは朝鮮猿だろJK

37 :
賀茂真淵 『国意考』
http://www2s.biglobe.ne.jp/~Taiju/1765_kokuikou.htm
2 儒家の説く聖賢の世はそらごと (付・老子のこと)
又問、
「凡から國の傳れる世はいくそばくぞや。」
(*此人こたふ、)
「○ 堯より今まで幾ちゞ。」云々。
又問、
「さらば、なぞやかの堯より周までのさまなるそのゝちにあらざりけんや。たゞ百よゝのいとむかしに
のみかたよりてさるよき事の有しぞ。そはたゞむかし物がたりにこそ有りけれ。みよ/\、世の中の
事はさることわりめきたる事のみにてはたゝぬ物と見ゆるを。」
といへば、此人いよゝはらだちて、
「そのむかしの世々の事しか/〃\。」
ととく。
おのれいはく、
「なづめり、/\。かの堯舜のいやしげなるにゆづれりしとか、天が下のためなることはよきやうなれど、
こはすめらみ國にてはよしきらひ物といふ物にて、よきに過たる也。さるからに、ゆづらぬいやしげなる
ものゝ出て世をうばひ君をころしまつる樣になれり。是はあしきらひ物也。かくよきに過れば、わろきに
過たる事の出くるぞかし。
又孟子とかいひけん人は、『堯舜の民は家をならべて封ずべし。』といへり。是をおもふに、舜の父は
めくらものとかいふは、子のよきをみしらぬ故にや。こは堯の頃、舜の父なれど、こはいかで封ずべき
人ならん。舜の後を禹とかいふ。此父がわろ人にて、遠き國にながしつるとか。こは舜の民にて禹の父
なるに、また封じがたき人ならずや。然らば、孟子も今の代にいふ勸化(*くゎんげ:説法)の口さきら
(*口の端)のみ也けり。

38 :
賀茂真淵 『国意考』
http://www2s.biglobe.ne.jp/~Taiju/1765_kokuikou.htm
2 儒家の説く聖賢の世はそらごと (付・老子のこと)
又殷の世はいくらつゞきしにや。その始はよき人とて禹の世をゆづりつるといへり。さらば、そのつぎ/〃\
などやよき人に傳へざりけん。末に天が下にたぐひなきちう(*紂)とやらんいふわろ人の出つとか。さらば、
よきにゆづりしはたゞ上つ代に一代、二代にや。それもとほらぬわざ也けり。さて周の文王とやらんは、一か
たをたもちたるに、ようせずは身のわざはひとなるべけれ。ちう王のわろきよりて中/\にかまへて人をなつ
けなどせしはさる事也。武王の時にちうをうちしを義コトワリある軍とやらんいへど、伯夷・叔齊がいさめしとか
いふを、孔子てふ人もよき人とのたまひしとか。さらば、武王をいかにいはん。まことに義ならば、紂の後をも
たてつべきを、それが末をば韓などへはふらし(*放らし)やりて、みづからの子うまごにゆづりてさかえしめん
とて、後に周公政をとりて殷の諸?(*■(危の垂/矢:こう:「侯」の本字:大漢和23937))を四十餘りほろぼし
けんを(*が)、孟子てふふみにみゆ。此四十餘りの?皆わろ人にあらんかは、周にあたなふ(*仇なふ:敵対
する。害をなす。)まゝに強てほろぼせし事知べし。かくするが義といふものにや。

39 :
賀茂真淵 『国意考』
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2 儒家の説く聖賢の世はそらごと (付・老子のこと)
且そのさかえは八もゝとせとかいへど、はじめ二代にて四そとせ(*四十年)ばかりは治れりといはゞい
はんか。やがていと亂れて、よろ/\(*「よう/\」か。)おとろへにけり。その四十とせばかりの間にも、
周公とかいふよき人はまし〔ママ〕おとうとによこしませられて外へまかりつるとか。世の中の亂れは世の
中のわざともいふべきを、兄弟しもよこせる(*横す:讒言する)はわれどち(*我どち:仲間内、身内)の
内の亂れ□□(*ママ)甚しきものなり。さらば、四十年の間もをさまれるには侍らざりけり。
それより後はいよ/\みだれて、漢の世に文帝とかいひし時、老子てふ人のいへる心をおもひてしばらく
治りにけんかし。さていやしげなる人どもいでて、君をころしてみづからみかどゝいへば、世の人みなかう
べをたれてしたがひつかへ、それのみならずよもの國をばえびすなどいひていやしめつるが、そのえびす
(*原文「ゑひす」)てふ國よりたちてから國のみかどゝなれる時は、又皆ぬかづきてしたがへり。さらばえ
びすとていやしめたるもいたづらごとならずや。はた世こぞりていへる語にはあらざるべし。
かくよゝに亂れて治れる事もなきに、儒てふ道ありとて天が下のことわりをときぬ。げに打きゝたるにはいふ
べきこともなく、さるべう覺ゆれど、いとちいさく理りたるものなれば、人のとく聞得る處にてぞ侍る。先物の
もはらとするは、世の治り人の代々つたふるをこそ貴め、さる理り有とて、生てある天が下の人々、同じき
に似てことなる心なれば、うはべはきゝし樣にて心にきかぬ事しるべし。しかるを、此御國に來つたへては
から國にては此理りにて治りし樣にとくよ。みなそらごと也。猶なづめる人をから國へやりてみせばや。
うら島の子が古里へかへりし如くなるべし。」

40 :
賀茂真淵 『国意考』
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3 儒教文化は仏教よりも国を乱す
「こゝの國は天地の心のまゝに治め給ひて、さるちひさき(*原文「ちいさき」)理りめきたる事のなきまゝに、
俄にげにと覺ゆることどもの渡りつれば、まこと也とおもふ。むかし人のなほきよりつたへひろめて侍るに、
いにしへよりあまたのみよ/\やゝさかえまし給ふを、此儒の事凡國に渡りつるほどとなりて、天武の御時
大きなる亂れ出來て、それよりならのみやの間も宮殿・衣冠・調度などからめきてよろづうはべのみみやび
かになりつゝ、うちのあらそひ・よこしまの心ども多くなりぬ。
凡儒は人の心のさかしくなるものにて、よろづの民もさかしく成ゆけば、君をばあがむるやうにてたふときに
過さしめて、天が下は臣の心になりつ。夫より後終にかたじけなくもすめらきを島にはふらしめ奉ることゝな
りぬ。是みなかのからの事のわたりてよりなす事也。
或人は佛の事をわろしといへど、人の心のおろかになる道なれば、君は天が下の人のおろかにならねばさ
かえ給はぬものにて侍り。さらば佛の事は大きなるわざはひに侍らぬ也。
凡世の中はあら山あらのらの有が人の住よりおのづから道の出來るが如く、こゝもおのづから神代のみち
のひろごりておのづからくにゝつけたる道のさもらはゞ、すめらみかどいよ/\さかえまさん物を、かへす/〃\
も儒の事こそその國をみだすのみならず、こゝをさへかくなし侍り。然るを、よく物の心をもしらず、おもてにつ
きてたゞかの道を貴み、天が下をさまる(*原文「おさまる」)わざ也とおもふよ。まだしき事也けり。」

41 :
賀茂真淵 『国意考』
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4 詩歌の効用、風俗はその国振りがよし(「同姓娶らず」の論)
「さて哥は人の心をいふものにて、いはでもありぬべく、世の爲にもなきに似たれど、これをよく知ときは
かの世の中の心をもしり、心を知ときは治り亂れんよしをもおのづからしるべき也。孔子てふ人も詩をす
てずして卷のかみに出せしとか。さすがにさる心なるべし。凡物は理りにきとかゝる事はいはゞ死たるが
如し。天地とともにおこなはるゝおのづからの事こそ生てはたらく物なれ。よろづのことをも一わたり知を
あしとにはあらねど、やゝもすればそれにかたよるは人の心のくせなり。知て捨たるこそよけれ。たゞ哥は
□(*2字分の空白)ひ意よこしまなるねぎ心をいへば、中々ま心みだれぬものにて、やはらびて万にわ
たる物也。
天が下の人をまつりごつに、からの事しりしとて時にのぞみ□□□(*ママ)/\人のよくことわらるゝ物
にあらず。さるかたにかしこうげにと覺ゆることいひいづる人のおのづから出來るぞかし。たとへば、くすし
のからの文よくしりたるがやまひをいやす事は大かた少きものにて、此國におのづから傳りて何のよし・
何のことわりともなき藥こそかならずやまひはいやし侍れ。たゞみづからその事に心をつくして得たるもの
こそよけれ。物になづまぬより也。一たびわがよしとおもへる事に引よらせまほしくて、儒學生が中/\政
ごち得ぬは、から國にもさるものにゆだねて治らざりし世こそ多かりけれ。

42 :
賀茂真淵 『国意考』
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4 詩歌の効用、風俗はその国振りがよし(「同姓娶らず」の論)
或人のいへるは、『むかし此國にはやから・うからをめ(*妻)として鳥けものとおなじかりしを、からの
道わたりてさる事も心し侍るがごとく、よろづ儒によりてよくなりぬ。』と。おのれ是をきゝて大きにわらへ
るを、かたへの人、『いかに。』とゝふに、いはく、『からには「同じ姓をめとらず。」てふ定は有つるを、お
のがはゝを?(*■(女/女+干:かん:〈=奸〉:大漢和6218))せしことも侍りし。からはたゞさる定めの有
しのみにて、かしこにはいかばかりのわろことか有けん。さることをばみぬにや。「同姓めとらずはよか
らん。」といひしのみぞ聞ゆるを、世こぞりて「しかありし。」と思ふはいかにおろかなる心にや。又、さる
ことをば隱していふにや。
すめらみ國の古しへのさだめは、母の同じき筋をまことの兄弟とし侍り。母しかはればきらはぬ也。物
は所につけたるさだめこそよけれ。さるよには□□(*ママ。先の記述から「皇き」等が入るか。)年々に
榮え給ふを、儒のわたりて世の漸にみだれゆきて、終にかくなれる事、上にいふがごとし。いかに『同姓
めとらず。』など樣のこまかなる事よしとて、代々に位を人にうばゝれ、かのいやしめる四方の國にとらる
ゝ樣の事は、いかに天が下はこまかなる理にて治らぬ事をいまだ思ひしらぬおろかなる心に『聞を崇ら
む。』てふ耳を心とせしよ。いふにもたらぬ事也。」

43 :
賀茂真淵 『国意考』
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5 人は万物のわろきもの
「人を鳥獸に同じといふは、人のかたにてわれぼめにいひて外をあなどるものにて、またから人のくせ也。
四方の國をえびす(*原文「ゑひす」)といやしめて、その語の通らぬが如し。凡天地の間に生としいける
ものは、皆虫ならずや。それが中に、人のみいかで貴く、人のみいか成ことあるにや。から人は「人は万
物の靈」とかいひて、いと人を貴めるを、おのれが思ふに、人は万物の惡きものとぞいふべき。いかにとな
れば、天地日月のかはらぬまゝに、鳥も獸も魚虫(*ママ)も草も木も、いにしへのごとくならぬはなきを、
人ばかり形はもとの人にて、心のいにしへとことになれるはなし(*原文「な」の横に圏点を施す)。人はな
まじひに智てふ物ありて、おのがじゝ用ひ侍るより、たがひの間にさま/〃\の惡き心の出來て、終に世
もみだれ治れるといへどかたみに巧・あざむきをなすぞかし。若天が下に一人二人物知ことあらん時は、
よき事も有ぬべきを、人みな智あれば、いかなる事もあひうちと成て、終に用なき事也。今鳥獸の目よりは
人こそわろけれ。「かれに似ることなかれ。」と教へぬべきもの也。されば、人のもとをいはゞ兄弟(*鳥獣
虫魚、草木を広く指す。)より別れけん。然るを別に定めをするは、天地にそむける物也。みよ/\、さる事
は終に行れざりし也。』」

44 :
賀茂真淵 『国意考』
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6 過剰な漢字(天竺・オランダ・北国の文字と対比)
○又云、
「然れども、此國に文字なし。からの文字を用るからは、よろづそれにて知べし。」
と。
こたふ、
「先から國のわづらはしくあしきは、世の治らぬはいはんも更也。こまかなる事をいはゞ、のたまふごとく
の文字也けり。今按に丹生てふ人の用有字のみを擧といへるをみれば、三万八千とやらん侍り。たとへ
ば花の一つにも開散蘂樹莖その外十まりの字なくてはたらず。又こゝの國所の名・何の草木の名などい
ひて、別に一ツの字有て外に用ひぬも有。かく多の字をそれをつとむる人すら皆覺ゆるかは。或は誤り
或は代々に轉々して、その論のかゝれるも益なく、わづらはし。然るを、天竺には五十字もて五千餘卷の
佛の語を書傳ふるに、たゞ五十の字をもてせり。此五十をすらしれば、古しへ今と限りなき詞もしられ傳へ
られ侍るをや。字のみかは。五十のこゑは天地のこゑにて侍れば、その内にはらまるゝものゝおのづか
らの事にて侍り。その如くすめら御國にもいか成字樣かは有つらんを、かのからの字をふとつたへてより
誤りてかれにおほはれて、今はむかしの詞のみのこり、その詞は又天竺の五十音に同じからねど、よろ
づのことをいふ樣、五十音の通ふ事などは又同じことわりにて、右にいふ花をばさく・ちる・つぼむ・うつろ
ふ・しべ・くきなどいへば、字をもからで、よきもあしきもやすくいはれてわづらひなし。をらんだには二十五
字とか。北國には五十字か。大かた字の樣も四方の國おなじきを、たゞからのみわづらはしき事を作て世
も治らず、事も不便也。こをおもひわかで、字はたときものとおもふは、いふにもたらず。」
或人猶いふ、
「えびすはさる類ひなるを、からぞ風雅なればしかる。」
と。

45 :
賀茂真淵 『国意考』
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6 過剰な漢字(天竺・オランダ・北国の文字と対比)
おのれ天をあふぎて笑ふ。
「その風雅てふは、世をおさむることのもと也。人にわが位をうばゝれ、身をころさるゝに、風雅あらんや。
風雅は世の中の事物の理につのればみだるゝを、上にて理りにかゝはらず天地のよろづのものに文をな
すが如く、おのづから人の心を治めなぐさましむる物ぞかし。且かしこにも古しへは繩をむすびしとか。
そのゝちは草木鳥けものなど、よろづのかたを字とせしならずや。天竺の五十字も本はものゝかたちか。
何にもせよ、字はやくそくにて、人の知もの也。さる物の形を多く書しとて、風雅なる事有べきや。その上
後にまろき字も四方に書なしなどせしを、それにつけてまた筆法有などいふよ。笑ふにたへぬわざ也。
いかで此字の皆うせなば、おのづから字を天より得て、國も治り民もあらそひやみぬべし。」
「○〔頭書〕さて、からの字は用ひたる樣なれど、いにしへはたゞ字の音のみをかりてこゝの詞のめじるしに
用ひしのみ也。その暫後には字の音をも少しまじへて用ひたれど、猶訓をのみ專用ひて、意にはかゝはら
ざりし也。かく語を主とし字をやつことしたれば、心にまかせて字をばつかひしを、後には語の主はふれうせ
て字の奴のゐかはれるがごとし。是又かのから國の奴がみかどゝなれるわろくせうつりたるなれば、いまは
し/\。」

46 :
そこでわこはあしをひろげそこをみせしめたまえばおのこたちまらまら
とおもひてうちあげうちあげせまりたり
ひとり はげなるものありてしつっこくあそこをなめまくらんとしてせまりきたれり
ひとびとあくみょうなるくそまらとてはげのまらをいしうすをもちひてひらたくし
やきてもちにせりとか

47 :
一つ聞きたいのだが、
国粋主義者でマルクス主義者って論理的に有りうるのか?
なんか、オレの友人が、天皇陛下万歳とか言っていながら、マルクス読まねえ奴はカスだと言い、いずれ社会主義革命が起こるという。
オレは詳しくないから良く分からないけど、右翼と左翼って兼業できるのか?w

48 :
若い頃よりの憂国の想いは、歳を重ねる毎に強くなり,また逆に絶望感も強めています。
この国がかって堂々と日本人である事に誇りを持ち、胸を張って海外に雄飛していた
時代は、夢のような遠い昔話になりました.勝てば官軍、負ければ賊軍…とは、申し
ますが…物言わず朽ち果てていく旧軍の関連品を見る度に…そして太平洋の様々な海
を潜る度に…海底に眠る艦船や航空機、浜辺に残骸をさらす輸送船や戦車、未だに上
陸地点を見つめて錆つく姿を晒す朽ち果てた野砲…。我々の祖父達が血族・先人諸氏
が南方やシベリアで亡くなっています…これらの振り返られる事も無くなった物言わ
ぬ遺物達を出来れば国立の軍事博物館を作り篤く保護したいものと考えております。
貴重な収集品をお譲りいただければ幸いです。宜しく御願い致します。
http://cb1100f.web.infoseek.co.jp/
cb1198f@yahoo.co.jp

49 :
賀茂真淵 『国意考』
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7 古言を知り、往古の直き有様を知ること
「○これらは、古への哥の心詞をあげつろふまゝに、人はたゞ哥の事とのみ思ふらんや。そのいへる
ごとく、いにしへの哥はいにしへの心詞也。いにしへの哥もていにしへの心詞をしり、それをおして古
への世の有さまを知べし。いにしへの人の世の有さまを知てより、おしさかのぼらしめて神代のことを
も思ふべし。さるを下れる代に神代の卷の事をいふ人多きが、そを聞ばよろづかまへて心ふかく神代
の事を目の前にみるがごとくいひて、且つばらに人の心のおきて(*意向、意図)なるさまにとりなせり。
いでや、しかいひとくなる人はいかにしてさは甚きや。さもこそふりにし事よくしるとおもひて、それがか
ける物などをみ聞ものするに、いにしへの事は一つも知侍らざる也。然るを、いにしへの人の世をだに
しらで、いとのきて(*とりわけ)神つ代の事をばしるべき物かは。こはかのから國ぶみども少し見て、
それが下れる代に宋といふ世ありていとゞせまき儒〔孔子〕の道を又々せばく理りもていひつのれる有を
うらやみて、ひそかにこゝの神代の事にうつしたるもの也けり。さる故にふつにふみみぬ人はさもこそと
思ふを、少しもやまとの文しれる人はおもひそへたる事を知て笑ふぞかし。

50 :
賀茂真淵 『国意考』
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7 古言を知り、往古の直き有様を知ること
そも/\かしこにもいと上つ代には何のことかはありし。そのゝちに人の作りしことどもなれば、こゝにも作り
侍るべき事とおもふにや。人の心もて作れるものは、たがふ事多きぞかし。かしこに物しれる人の作れりしと
いふをみるに、天地の心にはかなはねば、その道用ひ侍る世はなかりし也。よりて老子といふ人の天地のま
に/\いはれし事こそ、天が下の道にはかなひ侍りけれ。そをみるに、かしこもたゞいにしへはなほかりけり。
こゝもたゞなほかる事は、右にいふ哥のごとし。古へはたゞ詞もなく事も少し。こと少く心なほき時には、何の
むつかしき教かあらん。用なき事也。教へねどなほければことゆく也。それが中に、人のこゝろはさま/〃\
なれば、わろきも有を、わろきわざもなほき心よりすればかくれず。かくれねば大きなることにいたらず。たゞそ
の一日のみだれにてやむのみ。よりていにしへとても、よき人の教へなきにはあらねど、かろく少しのことにて
たりぬ。たゞから國は心わろき國なれば、ふかく教へてしもおもてはよき樣にて、終に大なるわろことして世をみ
だせり。此御國はもとより人のなほき國にて、少しの教をもよく守り侍るに、はた天地のまに/\行こと故に、
教へずしてよろしき也。さるをから國の道來りて人の心わろくなりたれば、から國に似たるほどの教をいふとい
へど、さる教は朝に聞て夕はわすれ行もの也。わが國のむかしの樣はしからず。たゞ天地の心にしたがひて、
すめらきは日月也、臣はほし也、おみのたみほしとして日月を守れば今もみることほしのごとく、此すめら日月
もおみの星もむかしより傳へてかはらず、世の中平らかに治れり。さるを、やつこの出てすめらきとなるから國
のふみを學ぶより、おのづからうつりて(*時の経過とともに)すめらきのおとろへ給ふまに/\つたへこしおみ
もおとろへり。此こゝろをおして、神代の卷をいふべし。そをおさんには、いにしへの哥もていにしへの心詞をしる
がうへにはやくあげたるふみどもをよく見よかし。」

51 :
>>47
その友人とやらがカス

52 :
右翼ってのはたいがいチョンか台湾か共産党だろう。
日本の常識だ。

53 :
賀茂真淵 『国意考』
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8 古道は丸く平らかに漸なること
「○或人、『この國のいにしへに仁義禮智てふことなければ、さる和語もなし。』とて、いやしき事とせるも
いとまだしかりけり。先から國に此五つのことを立て、それに違ふをわろしとしあへりけん。凡天が下に此
五つの物はおのづからあること四ツの時をなせるがごとし。天が下のいづこにかさる意なからんや。され
ども、その四時を行ふに、春も漸にしてのどけき春となり、夏も漸にしてあつき夏となれるが如く、天地の
行はまろく漸にしていたるを、唐人のいふ如くならば、春立は即暖に、夏立は急にあつかるべし。是からの
教は天地にそむきて、事の心急速に、佶屈なり。よりて人の打聞ば方角けたに(*四角四面で)分量タバ
カリありて(*ルビママ)聞やすくことわりやすけれど、さは行はれざる物なり(*原文「り」の横に圏点を施
す)。天地のなす春夏秋冬の漸なるにそむけばなり。天地の中の虫なる人、天地の意よりせまりていふ教
を行ふことを得んや。此天が下のものにはかの四時のわかちあるがいつくしみもゐや(*礼儀、礼譲)もい
かりもことわりもさとりもおのづからあること、四時の有かぎりはたえじ。それを人とし別に仁義禮など名づ
くる故に、さることせまき樣には成ぞかし。只さる名もなくて天地の意のまゝなるこそよけれ。さる故に、此國
は久しく治るをしらずや。めの前におのが見なれたる事をのみおもひせまれるをこ人のことはいふにもたら
ねど、思ひわかたぬわらはべのために猶いはん。

54 :
賀茂真淵 『国意考』
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8 古道は丸く平らかに漸なること
○から國の學びはその初め人の心もて作れる物なれば、けたに(*方に:四角四面に)手はかりありて
心得やすし。わがすめら御國の古への道はあめつちのまに/\まろく平らかにて、人のことばにいひつ
くしがたければ、後の人知得がたし。『さらば、古への道はみなたえたるにや。』といふべけれども、天地
のたえぬかぎりはたゆる事あらじ。しばらくからの道によりてかくなれるばかりぞや〔□□はそのはかりや
すき〕(*「しばらくからの道に」の傍注)。天地の長きよりおもへば、五百とせ・ちとせはまたゝきの數にも
たらぬ事也。ことせばく人のいひしことをあふぐてふ類ひには侍らぬ□(*ママ)。凡天地のまに/\日月
をはじめておのづからある物は、よろづ皆まろし。是を草の上の露にたとふその露くまある葉に置時は、隨
ひてその形となれど、又平らかなる上にかへしておけば丸きにかへるが如く、必もとのまろきにかへるべし。
されば、世を治め給ふも此まろきを本としてこそ治るべき也。けたにことわりがましきは治らぬこと、からの
世にて知べし。かくてもとにかへすは天つちの心なれば、天地さるべき時にはかへし給ふべし。いやしくせ
ばき人の心もていそぐこそかへりてみだれとなれゝ。

55 :
賀茂真淵 『国意考』
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8 古道は丸く平らかに漸なること
○天地は方也、角なりなどいふは、人の心はけたなるがはかりよければ、しばらくおのが心にしたがへて
ことをたてたるものにて、いふにもたらず。たゞまろくこそあれ。いかにぞなれば、日も月もほしも、いきとし
いける物の形も、草木の上の露のまろきをもて、もとよりおのづから出來たる天地をはじめておのづからな
る物の皆まろきを知べし。生としいけるものもかしらしを(*未詳)をはじめておほかたまろき也。しかるに、
から人のかのけたなるを好める心より世の中のことわりも何もけたにいひなすより、打聞人の心に『心得や
すくて理りあり。』と思へり。『さらば、その理りの如くて世の治るにや。』とみるに、治れる世なきはうべ也けり。
天地の丸きにたがひて、人の心みぢかく作れることわりなれば也。すべてかのけたるがめやすくおもはるゝ
につけて、他人のうへをばけたなるぞ理り有と見、さらぬをばにくむなり。『さらば、おのれよくしかするにや。』
といふに、おほよそ物は堪るかぎり・心のつくるほど有て、さる事みづからは久しく堪やらぬ物なり。さるを、み
づからのたへぬはしらで、人は堪べき物と思へり。たとへば、『わが身をつみていたきをしれ。』と。猶人の身
のいたきはさのみもなき故也。然れば、たとひいかによろづよき人の出るとも、此天が下の人多きにくれべて
は數ふるにたらず。その一人の語をほどこせば、人もおのづからそれにならふといへども、から國にひじりと
やらん出來て、今にその文とてとなふれど、人の心にえならひ得ば(*ママ)さる事は堪ぬ事知べし。たゞ上
も下も天地のおのづからにまかせて有し皇らいにしへこそ世は治にけれ。そのおのづからにまかすれば、よ
ろづの事少し。こと少ければ、人の好み少し。このみ少ければ、何の亂れかあらん。物しりなどいふ、益なき
事也。一人物しれば、世みなしる。知がほなるは、よこしまのはし(*端緒)也。天の下はたゞおろかなるこそ
よけれ(*「おろかなる」に疎略・簡素の意を残すか)。」

56 :
賀茂真淵 『国意考』
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9 ますらをの道(簡勁朴実にして天意に則ること)
「○から人は威をしめし貴をしめすといへど、威をしめすは□(*ママ)おろそげなる(*疎気なり:おろそ
かだ)をしめすはよし、貴きをしめすは亂るゝはし也。その威をしめす、ものゝふの道の外なし。是をわす
れずして行ふべし。ことにわがすべら御國は此道もて立たるをみよ。又おろそげなるを示すのよきは、人
は上のおろそげなるを見てはかたじけなき思ひをおこし、おのがじゝもそれにしたがひてかど少になりぬ。
事の少ければ、好み少し。好み少ければ、心やすし。心やすければ、平らか也。貴を示すのわろき事は、
先殿・衣服をはじめて宮女花をかざり、官人あやをまとひするを見て、まことに貴として心よりあがむる人
は貴きをしめさずとも事もあらじ。それが中に天地に心いたれるをますらをとしてはかくてあらんこそ本い
なれど、『百とせいくる命か。天にまかせて行はん。』など思ふものたま/\ありて、うばはむ謀をなすめり。
又さのみいきほひ及ばぬまゝに、おもひしのびてあるものも、心のねたみいかばかりならんや。『いでや、
われこそあれ。いかなる所よりかみだれよかし。ついでにのりて、さるべく謀らん。』と思ふ心は、少しもよろ
しきものはみな侍るべし。たゞ其國の天地のなしのまに/\いにしへよりなし來るが如く、板のやね・つちの
かき・ゆふのあさのころも・K葛・まき(*真木)のたち樣にして、すべらき御みづから弓矢をたづさへてかり
し給ふさま(*質朴な様子)ならば、などかかくうつりゆかん。人のこゝろはうつくしきにつき高ぶるをこのむ
物なるに、から人のさまをうらやみてせしころより、たゞ宮殿・衣服などの宜く成て、上のみいと貴きに過て、
心はおろかに女のごとくなり給ひ、下かしこきに餘りて上の位をしのぎ、まつりごと臣にとられ給へれば、上
は御身のみ貴くて御心はいと下れり。臣ぞいにしへの上の如くなりて、から人のごとく名をおかし上をしひす
る事はせねど、上は有とも無が如くなりぬ。さらば臣はそれにてとほるにやとみるに、その古き臣も後の臣
になみせられ行て、その系の傳るのみ也。これこゝの道をわすれてひとの國にならひたるあやまちよりなれ
る事也。」

57 :
賀茂真淵 『国意考』
http://www2s.biglobe.ne.jp/~Taiju/1765_kokuikou.htm
或人問、
「さらば、いにしへは皆あしき人なきか。世はみだれざるか。」
と。
こたふ、
「この問はまたよくなほきてふ意をしらぬ故也。凡心のなほければ、よろづ物少し。物少ければ、心に
ふかくかまふ事なし。さてなほきにつきて、たま/\わろき事をなし、世をうばゝんと思ふ人もまゝあれ
ど、なほき心より思ふ事なれば、かくれなし。かくれなければ、たちまちにとりひしがる。よりて大なる亂
なし。なほき時には〔(*次節に終わりの鈎あり。)いさゝかのわろき事は常にあれど、譬へば村里のを
この者の力をあらそふが如くて行ひしづめ安き也。

58 :
賀茂真淵 『国意考』
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5000813
http://jp.youtube.com/watch?v=dhN8VyZgeu4
○世の中の生るものを、人のみ貴しとおもふはおろかなる事也。天地の父母のめよりは人も獸も鳥も虫
も同じ事なるべし。それが中に人ばかりさときはなし。其さときがよきかとおもへば、天が下に一人二人さ
とくばよき事も有べきを、人みなさとければ、かたみに其さときをかまふるにつきて、より/\によこしまの
おこれるなり。それもおのづからこと少き世には、おもひ四方にはせ、たゞまのあたりのみにして事をなす
故に、さときも少し。よりて小き事はあれど、大なる事なし。たとへば、犬の其里に多くて、他の里の犬の
來る時は是をふせぎ、其友の中にてはくひもの・女の道につきてはあらそへども、たゞ一わたりの怒にし
てふかくかまふる事なきが如し。唐にては、事を人にしらせず。『上なる者のみしりて行ふぞよき。』とて、萬
の事をくらくす。たとへば、堯舜を佛家の阿彌陀・釋迦の如くたてゝ、其次の夏殷周を證據とする也。堯舜も
夏殷周も、いひ傳る如くはあらで、いとわろき事の多かりけんを、『さてはをしへにならず。』としてかくして、
本をくらくして人をまどはしむる也。是をつたへて、此くにゝも後/\はさる事をいひおもへど、今おもふに、
扨は天が下の〕人よく心得ず。上つ代の事をも何も、みな少しもいつはらずいひひらきて、天が下に物なき
事をしらせてのちにしかはあれ。とかく後の世となりては、『ともあるべし。かくすべし。』と、よきほどに教へ
をたてつべきもの也。さて少しも物まなびたる人は、人を教國ををさむる(*原文「おさむる」)けいざいとや
らんをいふよ。かれらが本とする孔子の教すら用ひたる世々かしこにもなきを、こゝにもて來ていかで何の
益にかたゝん。人は教へにしたがふものとおもへるは、天地のこゝろをよくさとらぬ故也。教へねど、犬も鳥
もその心はかつ/〃\有は、必四時の行はるゝが如し。

59 :
賀茂真淵 『国意考』
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5000813
http://jp.youtube.com/watch?v=dhN8VyZgeu4
○『同姓をめとらず。』といふをよしとのみ思ひて、『此國には兄弟相通じたり。』といひて『とりけものに同
じ。』といへり。天の心にいつか人を鳥けものにことなりといへるや。生としいけるものは皆同じ事也。しば
らく制を立るは人なれど、その制も國により地によりてことなるべき事は、草木鳥けものことなるが如し。
然れば、その國のよろしきにしたがひて出來る制、天地の父母の教也。此國のいにしへは、はらからを兄
弟として異母をば兄弟とせず。よりて古へ人の情なほければ、はらから通ぜしことはなくて、異母兄弟の
通ぜしは多し。たま/\はらからの通ぜしをば、おもきつみとせしものゝ本をいへば、兄弟姉妹相逢て人
は出來べきもの也。しかれども、人のよと也て、おのづからはらからの制はありしぞかし。そのけものにわ
かたんとして、『同姓をめとらず。』といふ。國のいにしへには、母ををかしたる事さへみゆる、たま/\ふみ
に出たるを思へば、かくしてはいかなる事かせしならん。ふと一度制をたつる、必天が下の人の後の世ま
で守るものとおもふは愚なるわざ也。その同姓をかさぬをもし守るほどならば、君をしひせんかは。君をし
ひし父をころす制はやぶれて、同姓めとらぬをてがらとおもへるは、いかなる愚昧にや。〔凡天が下は、ち
ひさき事はとてもかくても、世々〕すべらきの傳り給ふこそよけれ。上傳り給へば、下も傳れり。から人のい
ふ如くちりもうごかず、治れる代の百とせあらんよりは、少しのとがは有とも千年治れるこそよけれ。此天地
の久しきにむかへては、千年も万年も一またぎにあらねば、とかくよきほどに、よきもあしきもまろくてこそよ
けれ。方なる理りは益なし。」

60 :
賀茂真淵 『国意考』
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5000813
http://jp.youtube.com/watch?v=dhN8VyZgeu4
10 因果応報の仏説は狐狸の仕業に同じ迷妄
「○佛の道てふ事のわたりてより、こゝの人をわろくせし事の甚しさはいふにもたらず。そのまことの
佛の心は、さは有べからねど、それを行ふものゝおのが欲にひかれて、佛をかりてかぎりもなきそら
ごともいふぞかし。それもたゞ人にのみつみ有事にいへり。生とし生るものは同じ物なるを、いかなる
佛か鳥けものに教へたるや。さてむくひなどいふ事をいふを、人多くさる事とおもへり。その事、古き
世よりの證どもはいはんもわづらはし。人の耳にも猶うたがひぬべし。
たゞ今の御世にてたとへんに、先つみ・むくひは人をころせしより大きなるはなかるべし。然るに、いま
より先世大きにみだれて、年月みないくさして人をころせり。その時、人を一人もころさで有しは、今の
なほ人ども也。人を少しころせしは、今のはたもと・さむらひといへり。今少し多くころせしは大名となり
ぬ。又その上におほくころせしは、一くにのぬしとなりぬ。さてそをすべて限りもなくころせしは、公方と
申して代々榮え給へり。是に何かむくひの有にや。人をもむしをころすも同じ事なるを知べし。

61 :
賀茂真淵 『国意考』
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5000813
http://jp.youtube.com/watch?v=dhN8VyZgeu4
10 因果応報の仏説は狐狸の仕業に同じ迷妄
すべてむくひといひ、あやしき事といふなどは、狐狸のなす事也。凡天が下のものにおのがじゝ得たる
事あれど皆見えたる事なるを、たゞきつね・たぬきのみ人をしもたぶらかすわざを得たる也。もし今『その
かみに人多くころしたれば、うまごにむくひやせん。』と思ふ人あらば、たぬきやがて知て、そのむくひの
いろをあらはしてなぐさみとすべし。たゞ『人多くころせしは、先祖より我にいたるまでのほまれぞかし。
もし此後もさるよにあらば、我猶多くころしてとみをまし、名をあげん。』と思ひ、世の中の人もむかしの事
をかたらひつゝ、『かれはいづこにて万人を谷より落し千人を川に流せしぞ。』など、いといさぎよくよき事
におもひいふより、たぬきもえよりがたし。然るに、かく治りてはさることもなければ、はひ(*蠅)・蚊をころ
すすら『いらぬ事よ。』といふ樣になりて、たま/\その所にやむことを得ぬぬす人などあるを、『ひそかに
ころしたる人、いかゞあらんや。』などうたがひおそるゝ事常に多きを、狸やがてしりてあやしき事をなせば、
『佛に願はん。』とて僧にかたるに、その僧、『よき事出來たり。』とて、さま/〃\の事をしてやめんとするう
ちに、多くの物をとれり。さて後終にやむかは。そのものゝ命終れり。これ『僧のむくひ有。』といはずは、い
かでよき。人に(*人であるのに、の意か。)たぬきにまかせんや。治れる世にもわろきぬす人心有て人ころ
すもの、それはやがてとらはれぬ。なもなくて一里にもてあつかひたるをころすは、さるべき人々いひはかり
思ひはかりてころせども、かの僧のことにてかゝることにあふぞかし。

62 :
賀茂真淵 『国意考』
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5000813
http://jp.youtube.com/watch?v=dhN8VyZgeu4
10 因果応報の仏説は狐狸の仕業に同じ迷妄
又凡の人、よきもあしきも、むかしよりの事ならねど、その先のしれず。幸なきに久しかるものはそれ
にゆだねてぞある。さて人にはち筋の有也。そのむかしよろしき筋のしられたるものは、やゝもすれ心
てに(*未詳)おもへるがうまれ、又かしこき筋にはたま/\かしこきがうまるゝ也。そのごとく、おやな
どにうとき筋のものあり。それはとかくに世々おやにうとし。わが若かりしをり見しに、二人あり。老たる
おやいとあしうしたるが、老て又子にあしうせられしなり。これを『あしうせしむくひ』とおもひしを、しかは
あらず。たゞその筋なり。」

63 :
山崎闇斎の伊勢神宮儀式序ってどこでよめるんだろうか?

64 :
【偽医療】AKA 関節運動学的アプローチ【インチキ医療】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/body/1211885077/
千城台クリニックのAKA療法による不正請求返金
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/healing/1207056268/
【肩こり腰痛】日本関節運動学的アプローチ(AKA)医学会
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/hosp/1229493132/

65 :
★★★★ 検索⇒ 【国益を考える講演会】 ★★★★★★★★★★★
「3月22日・・・真実を知ってほしい」
平成21年3月22日(日)1600名入場無料全席指定
【特別講演】
菅沼光弘氏 (元公安調査庁・調査部第2部長)
志方俊之氏 (元陸上自衛官陸将・北部方面総監)
青山繁晴氏 (独立総合研究所 代表取締役社長・兼・首席研究員)
【特別ゲスト】 田母神俊雄氏 (前航空幕僚長)
市民の協力でボランティア開催が実現!
★★★★ コピペ推薦 ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

66 :
八木 秀次(やぎ ひでつぐ、1962年3月9日 - )は、広島県出身の日本の評論家・学者。高崎経済大学地域政策学部教授。
来歴・人物
広島県尾道市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、同大学大学院政治学研究科で小林昭三に師事し、
新田均・竹花光範は兄弟子にあたる。
同大学院博士課程中退後、文筆活動を開始する。
2002年、第2回「正論新風賞」受賞。
保守派の立場からマルクス主義思想と社会契約主義思想を基軸とした日本国憲法のあり方を徹頭徹尾批判する発言で有名。
またジェンダーフリーや夫婦別姓も厳しく批判し、教育分野においても積極的に提言する。
皇位継承問題に際しては遺伝学に言及して、“万世一系の皇室に男系による継承が重要なのは、男系男子だけが神武天皇の
Y染色体を継承するため”という、いわゆる「Y染色体説」などを早くから提唱。
遺伝学的確かさとは無関係な疑似科学的主張で現在では男系継承維持論を代表する理論家の1人となっている。
もちろん、遺伝学の専門家からは「Y染色体説」に対する批判が多い。
2006年2月28日、「新しい歴史教科書をつくる会」の内紛および中国への無断渡航の責任を取らされ、会長を解任されたが、
地方組織の尽力で3月11日副会長に留まることになった。
同年4月30日、藤岡信勝の日本共産党員歴の怪文書事件の責任を取らされ、副会長のみならず、理事を解任され、つくる会
からも脱退した。
現在、「日本教育再生機構」(6月結成)代表。 伊藤哲夫、西岡力、島田洋一、中西輝政と共に安倍晋三のブレーンの一人と報道された。
著書
『国民の思想』(扶桑社、2005年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%9C%A8%E7%A7%80%E6%AC%A1_(%E6%B3%95%E5%AD%A6%E8%80%85)

67 :
「未来をひらく福澤諭吉展」始まる 福澤174回目の誕生日 2009.1.10
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/090110/acd0901101058007-n1.htm
 幕末、明治期の啓蒙(けいもう)家で、慶応義塾の創立者、福沢諭吉(1835−1901)の思想と
活動を振り返り、その現代的意義を探る「未来をひらく福澤諭吉展」(主催・東京国立博物館、慶應
義塾、フジサンケイグループ)が10日、東京・上野公園の東京国立博物館表慶(ひょうけい)館と
本館で始まった。
 この日は福沢の174回目の誕生日。午前9時半の開場とともに、歴史愛好家や慶応義塾の学生
・生徒、卒業生らが次々に訪れ、福沢の遺墨、書簡、自筆草稿や著書に加え、「釈迦金棺出現図」
(国宝。松永安左エ門旧蔵、京都国立博物館蔵。今月25日まで展示)などの美術品を含む346点
(うち、国宝3点、重要文化財19点、重要美術品7点)をじっくりと見て回った。東京都港区に住む主
婦(68)は「開幕と同時に行こうと娘と一緒に駆けつけた。慶応だけでなく、福沢先生のさまざまな
活動を見たい」と話していた。
 同展は慶応義塾が昨年、日本の近代総合学塾として初めて創立150年を迎えたのを機に開かれ、
会期は3月8日まで。福岡市美術館(5月2日〜6月14日)、大阪市立美術館(8月4日〜9月6日)
でも開催する。

68 :
■売国行為■ 韓日首脳会談:亀尾など4カ所に日本企業誘致へ
李大統領は共同記者会見で、「わたしと麻生首相は、部品素材産業の分野で日本企業の韓国進出が拡大できるよう、共に努力することとした。
今年4月には日本の投資調達使節団が来韓する予定で、中小企業CEO(最高経営責任者)フォーラムの開催など、両国の中小企業間の交流や協力も強化していくこととした」と発表、
さらに「亀尾、浦項、釜山・鎮海、益山の計4カ所を部品素材専用工業団地に指定し、日本企業がスムーズに韓国へ進出できるよう積極的に支援する」と語った。
http://www.chosunonline.com/article/20090113000007
韓国が喉から手が出るほど欲しがっているのが日本の素材産業の技術。それ売り渡したら、日本の産業は終わりだぞ。
韓国のネライはミエミエじゃねえか!
てめえは売国奴か!>麻生!

69 :
>>1
皇室への敬意を中心とした、日本の伝統的な国柄と、近代西洋からやってきた、
「民主主義」思想は、最も本質的なところで互いに相容れないものであると
思います。民主主義がその部分として持つ大衆主義は、権力を絶対悪とし、
民衆を絶対正義とする考えに傾く性質が見られます。ですから、外来の
「民主主義」という思想そのものを相対化して考える必要があると思います。
http://homepage3.nifty.com/togo-yoichi/index.html

70 :
で、日本思想とは具体的にどういうものなの?
思想って言っても抽象的すぎるんだよね。
具体的にこの国をどうしようってのがわからない。
民主主義とは相容れない、って具体的にどういう政治体制にするの?
経済政策は?

71 :
>70
選挙制度を廃止すべきだと考えます。その結果として、合議制の複合体
としての政治体制となります。端的に言って、江戸時代の政治構造のまま、
現代的な国際競争力の獲得を目指します。あるいは、明治初期のように、
極めて限定的に民意を参考にする程度の選挙制度にします。つまり、大衆主義
ではない社会主義であり、思想としては2・26事件の企図した天皇親政
を名目としつつ、政治の実務は合議による相互評価で質を確保します。
民主主義的観点からなされる批判として、選挙によらなければ権力者による
独占と搾取が発生する、という基本的な考え方がありますが、その考えは
近代の大衆心理の展開の中で形作られたものであって、実際には確固とした
根拠を持たないものであることを、私は発見し、体系的に理論化しました。
左翼は、敗戦によって日本が民主化したと言いますが、その「民主化」に
よって、現代日本人は戦前日本人にくらべてどれだけ美しく優秀になったで
しょうか。江戸時代でも、民間の人材を機動的に抜擢することは行われて
いました。封建時代が暗黒時代であるというのは、西洋近代主義が作った
フィクションです。また、私にはそう主張する根拠もあります。
http://homepage3.nifty.com/togo-yoichi/index.html

72 :
16 名前: 名無しさん@京都板じゃないよ 投稿日: 2009/01/18(日) 10:41:43
>>12は私だ。青蓮院門跡さまとは「関係」はない。別の尼門跡さんの関係者だ。
しじょうこう如来は天台密教では究極の仏。真言密教での一字金輪仏頂尊にあたる。
しじょうこう如来の修法は代々青蓮院門跡にのみ伝えられる秘法。しかも勅命があった時のみ行われていた。
現在は門跡の裁量で行われている。昨年行われた時には前原誠司らが呼ばれ、両陛下の玉体・貴体安穏と(東宮一家はもちろんすっ飛ばして)秋篠宮両殿下のご健勝、そして何よりも悠仁親王殿下の無魔生育が祈念された。
高野山奥の院で弘法大師さんを守護している友人に聞いたが、今年の宮内庁からの新年ゴマ祈祷の依頼でも、この順番で祈祷が命じられたという。
皇室としての姿勢はもう固まっているのかな?

73 :
皇室の憲法&国家からの分離を論じるスレ
http://dubai.2ch.net/test/read.cgi/emperor/1232435808/l50

74 :
http://changi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1231828990/l50
毎日騒動以来の祭りが準備中!
28日13時 皆様の携帯を5分だけお貸しください!!

75 :
第二次世界大戦の真実
http://jp.youtube.com/watch?v=aTQBv6oVS3I&feature=related

76 :
>>75
1939 第二次世界大戦 勃発
1945 大東亜戦争 勃発

77 :
>>76
どうゆう意味?

78 :
@ 【第二次世界大戦(だいにじせかいたいせん)】
1939年から1945年にかけて連合国と枢軸国の二つの陣営で行われた人類史上二度目の世界大戦。
主な戦場はヨーロッパ戦線とアジア・太平洋戦線の二つ。
両陣営合わせて、数千万人の死者を出す人類史上最大の戦争となった。
戦争は連合国の勝利で終わった。
第二次大戦ともいい、今日の日本では単に「戦後」といった場合、第二次世界大戦(太平洋戦争・大東亜戦争)より後を指すことが多い。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6
A 【大東亜戦争(だいとうあせんそう、Greater East Asia War)】
太平洋戦争の呼称の一つ。大日本帝国時代の日本政府によって定められた。
概要
1941年12月8日のマレー作戦及び真珠湾攻撃後、1941年12月12日の閣議決定により、「大東亜戦争」の名称と定義が定められた。
日本政府の宣戦布告は当初米英2国に対して行われたが、閣議決定では、「情勢ノ推移ニ伴ヒ生起スルコトアルヘキ戦争」を
「支那事変ヲモ含メ大東亜戦争ト呼称」するとなっているので、対中国、対オランダ、対ソ連戦も「大東亜戦争」に含まれる。
なお、「大東亜」とは「東南アジアを含む東アジア」を指す地理区分である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9D%B1%E4%BA%9C%E6%88%A6%E4%BA%89
B 【太平洋戦争(たいへいようせんそう、英:Pacific War)】
第二次世界大戦の局面の一つで、日本と、連合国(主にアメリカ、イギリス、オランダ、オーストラリアなど)との戦争。
「太平洋戦争」という呼称は、被占領期に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の占領政策における検閲
(「大東亜戦争」の語を「太平洋戦争」へ強制的に書き換えさせた)によって定着した名称であり、当時の日本側の公式な呼称
は「大東亜戦争」である。
現在の日本政府は「太平洋戦争」と「日中戦争」(支那事変)と区別し呼んでいる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%88%A6%E4%BA%89

79 :
財団法人 日本学協会 『日本』平成21年2月号
http://members.jcom.home.ne.jp/nihongakukyokai/nihon/nihon21-2.htm
田母神論文が提起した国家観と侵略戦争論議 永江太郎 軍事史学会監事
■はじめに
 今年も、間もなく「建国記念の日」を迎える。しかし、多くの日本人は、「建国記念の日」は
知っていても、国家建設を成し遂げた人物は誰なのか。神武天皇が掲げられた建国の理想は
何か。今年が二千六百六十九年と算定される根拠は何か。これらの質問に明確に答えられる
人はほとんどいないであろう。何故なら、学校教育で全く教えられていないからである。
私が教える短期大学の学生は勿論、交流のある自衛隊の幹部ですら知らない人の方が多い。
 田母神論文が提起した問題の一つは、一旦緩急の際に自分の命も家族への思いも断ち切って
国を守る覚悟が求められている自衛官が、部隊全員一丸となって国家に殉じる覚悟をどうして
育てるかという深刻な悩みである。

80 :
あっ田母神だ!
http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Destroyer_Lee_Myung_Bak.jpg

81 :
武士の家訓
http://www.amazon.co.jp/%E6%AD%A6%E5%A3%AB%E3%81%AE%E5%AE%B6%E8%A8%93-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E5%AD%A6%E8%A1%93%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%A1%91%E7%94%B0-%E5%BF%A0%E8%A6%AA/dp/4061596306/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1233676243&sr=1-1

82 :
財団法人 日本学協会 『日本』平成21年2月号
http://members.jcom.home.ne.jp/nihongakukyokai/nihon/nihon21-2.htm
田母神論文が提起した国家観と侵略戦争論議 永江太郎 軍事史学会監事
■はじめに(2/2)
 では、自衛官が命を捧げても悔いが残らない日本国家とは何か。少なくとも制度としての
民主主義や社会主義或いは憲法といった時代によって変わるものでなく、その底流にあって
長い歴史と伝統をもつ生命体としての国家そのものの筈である。例えば、かって戦後の我が
国を風靡した社会主義も、ソ連邦の建国からわずか八十年で自壊したことで、その誤りが露
呈された。しかし、社会主義国家の建設から崩壊までの間に散った何千万という人々の犠牲
は一体何だったのか。同じ過ちを自衛官に繰り返させてはならない。
 一方、我々の父祖が命懸けで護ってきた日本という国家は、防人の時代も元寇の時代も日
清・日露戦争や大東亜戦争の時代も、そして今日も全く同じ日本国である。我々の父祖が後
に続く我々に期待しているものは、このように建国から今日まで連綿と続く国家であること
に思いを致した時、はじめて使命観・死生観が芽生えて、国家に殉ずる覚悟が生まれてくる
ものである。これはかって自衛隊に勤務した私自身の実感である。

83 :
財団法人 日本学協会 『日本』平成21年2月号
http://members.jcom.home.ne.jp/nihongakukyokai/nihon/nihon21-2.htm
田母神論文が提起した国家観と侵略戦争論議 永江太郎 軍事史学会監事
■如何にして国家観・歴史観を学ぶか(1/2)
 最近、野球並の人気を博している日本サッカーのシンボルマークは八咫烏(やたがらす)
であるが、八咫烏が神武天皇の御東征を先導して勝利を齎もたらした縁起の良い鳥である
ことは知らない。ましてや神武天皇が橿原で宣言された建国の理想が「八紘一宇、民の利益
になることであればどんなことでも行なって、国の隅々までを一つの家族のように治める」
ことであったことは教えられていない。これらの建国神話や伝説は、それが史実であるか
どうかよりも、国史を編纂した当時の我々の祖先が、そう信じていたという事実が重要な
のである。
 古代日本における海外進出として有名な神功皇后の朝鮮出兵についても、神功皇后が軍
令の遵守のほかに「略奪や婦女暴行を厳しく戒め、さらに降伏してきた捕虜はすな」と命
令されたことは知られていない。このような掠奪暴行を禁じた軍令が出された四世紀後半
期は、ヨーロッパではローマ帝国が東西に分裂した時代、アジアでは支那の王朝が最も目
まぐるしく入れ代わった五胡十六国時代という戦争の全てが略奪戦争だった時代であった。
建国に続く国土統一事業や海外進出といった古代日本の勇壮なロマンと当時の人々の心情
は、『日本書紀』や『万葉集』という原典を繙(ひもと)かなければ到底理解出来ないが、
我国の道徳心の高さは、このように古代から世界に卓絶していたのである。

84 :
先ず顔が酋長面、先の戦争が正しかったかって日中・日米が戦争して喜んだなあ単に朝鮮人。
そして今度あ武力進行て名の人道支援で生活保護とインフラ整備と戦後復興金をおねだりする乞食民族。

85 :
なにをしゃべってるの?

86 :
意味不明

87 :
財団法人 日本学協会 『日本』平成21年2月号
http://members.jcom.home.ne.jp/nihongakukyokai/nihon/nihon21-2.htm
田母神論文が提起した国家観と侵略戦争論議 永江太郎 軍事史学会監事
■如何にして国家観・歴史観を学ぶか(2/2)
 近世になってからも、イギリスやオランダが東インド会社を設立して本格的な植民地経営に
乗り出した頃、朝鮮に出兵した豊臣秀吉は、その軍令で「放火や乱暴狼藉を厳しく戒め」さらに
「飢餓に苦しむ者の救援や捕らえた者は在所に返す」よう命じている。これらは一例に過ぎない。
我が国が歴史的に「道義国家」であると自負する所以である。
 少なくとも、幹部自衛官を育てる防衛大学校や自衛隊の部内教育で教えるべきことは、戦後
教育の中で育ってきた自衛官に、我々の父祖が大事に守ってきたものは何か。それは古典から
直接学ぶ方法であろう。雑多な情報が氾濫し価値観が動揺している時代の自衛官は、自ら原典
に接して国家観や歴史観を学ぶしかない。

88 :
>>84
ちょっと!? あなた怖いんですけど

89 :
財団法人 日本学協会 『日本』平成21年2月号
http://members.jcom.home.ne.jp/nihongakukyokai/nihon/nihon21-2.htm
田母神論文が提起した国家観と侵略戦争論議 永江太郎 軍事史学会監事
■田母神論文が提起した侵略戦争論議(1/3)
 田母神氏の論文は、マスコミには悪評であるが、支持する人も多く講演依頼が到
しているとの事である。私も田母神論文に対する意見を、本誌十二月号に投稿したが、
論旨は大筋では間違っていないと述べただけで、肝心の村山談話の当否は論ぜず、
政府見解に過ぎない歴史観を自衛官に強要しようとする防衛省の過剰な反応の批判に
留めた。
 そこで、本稿では「日本の戦争は侵略戦争だったのか」という本質的な問題を論じて
置きたい。戦後の政治を侵略戦争論議の視点で大観すると、我が国の戦争に対する見
方が中曽根内閣を境に大きく変わったことが分かる。その原因は、中曽根内閣までの
戦後前半期の政治家や官僚は、そのほとんどが戦争に直接参加していたので、これら
の戦争経験者は、自分達が戦った戦争が侵略戦争であったかどうかを自分の体験によ
って肌で理解していた。大平首相が語った「侵略戦争か否かの判断は後世の歴史家の
判断に委ねる」という発言には、侵略戦争ではないという確信が秘められていたのであ
る。

90 :
 【軍師風情の飯島氏、戦略失敗か?】
小泉純一郎氏は、かつて芸者との情交中、興奮のあまり、絞したと報じられている。精神は確かなものなのか?
飯島元首相秘書官は、サポートを失敗したのではないか?

91 :
>>84
> 先ず顔が酋長面、先の戦争が正しかったかって日中・日米が戦争して喜んだなあ単に朝鮮人。

> そして今度あ武力進行て名の人道支援で生活保護とインフラ整備と戦後復興金をおねだりする乞食民族。
これが日本語かよ?

92 :
>>91
半島のお猿語で、日本人にはわかりましぇん。
なお、チョソの上流婦人は「日本と支那が戦争を始めたさうです。我々も協力しませう」と自ら金属類の拠出を
始めたさふでつ。
反日でファビョっているのはチョソの下層民で、富裕層は親日的だったのだそうな。中には日韓併合で喜んで
いたヤシも結構いたらすい。なんせ、当時人間並みに扱われた有色人種は日本人だけで、日本のパスポート/ビザ
があれば外国旅行もでけたからだと
(ナベショウセンセの著作より)

93 :
半島のハゲ猿語は、日本人にはわかりましぇん。 ハゲ阪京 ニシカワカリマシェン

94 :

はよまっとうな仕事探してこい、このN野郎!

95 :
今日本屋で見たら「自らの身は顧みず」が8刷だった^^ベストセラ−だが新聞は何故か黙。
これがマスコミ、社会の木鐸だというから大笑いw

96 :
「朝生」で2/3が田母神支持だったというからなぁ。マスゴミで田母神支持なのはフジサンケイ
グループだけだろな。最新号の「正論誌」では田母神のフォロゥばかりだった。
よみうりの「たかじんの・・・」でさえも勝屋、宮崎、ハゲ三宅のふだん右三羽ガラスでさえも
口を窮めて田母神を罵倒てやんの。おりは非常にふだんのヤシらの口調からしたら違和感を感じたね。
ウヨ転向だと思ったら実は靖国参拝に批判的だというナベツネに、おのれの身可愛さで遠慮
しやがってのことかと思ったら、こいつらのどこが言論人だ、ましてやハゲは自称民族派だから
と開いた口が塞がらなんだわ。ハゲは顔面岩石女のブサヨ田嶋と同調して田母神批判してやんの。
口、あ〜んぐりダター
しかし、その後、実際に同番組に田母神氏が出演して自説を吐露してるのを見たら、硬骨漢との先入観
はもろくも崩れ去った。ギャグ連発のおもろいおっさんでねーか。例えば、
 「みなさん総スカンのようにおっしゃいますがボクは人気あるんですよ。人気ないのは女房にだけ」
スタジヲは爆笑の連続だった。
アホの自民党はジマッダーとたたら踏んでるんじゃねーのけ。最近ナニしても墓穴掘ってるからな。
ナンチャラいう防衛大臣こそ罷免せ〜や。

97 :
田母神=日米同盟肯定=ポチ
反米=反田母神=社民党=反ポチ

98 :
>>97
>田母神=日米同盟肯定=ポチ

>反米=反田母神=社民党=反ポチ
相も変わらず頭が悪いな。自衛隊、防衛省関係者にゃ田母神論文で日米関係に亀裂が入ると杞憂しているヤシも
多いわ。
陰謀のローズベルトだからなw

99 :
財団法人 日本学協会 『日本』平成21年2月号
http://members.jcom.home.ne.jp/nihongakukyokai/nihon/nihon21-2.htm
田母神論文が提起した国家観と侵略戦争論議 永江太郎 軍事史学会監事
■田母神論文が提起した侵略戦争論議(2/3)
 しかし、戦後後半期の政治家や官僚は戦争の実態だけでなく軍事的知識そのものが欠落
している。そのため、国家の何を守るのか、どうすれば守れるのか、ということに思いを
めぐらせることが出来ない。その実害は、近隣諸国条項、慰安婦問題、化学兵器処理、
村山談話という四大失政となって現れた。失政と断定するのは、それが史実を無視、若し
くは歪めているからである。
 例えば慰安婦問題については、強制連行でなかったことは戦争経験者には周知の事実であ
る。この問題の最高責任者であった内閣官房副長官石原敏雄氏や直接の担当者平林外政審議
室長が「強制連行を裏付ける資料は証言を含めても全くなかった」と証言したのは当然である。
そのため「第一次案では強制連行を認めていなかったが、韓国政府が猛烈に反発・抗議したの
で、朝鮮人慰安婦の証言を裏付け調査をせずに採用し、強制連行を認める河野談話を発表し
た」のである。(石原証言)
 遺棄と称する化学兵器も、現在処理作業中のハルパ嶺の化学兵器は、終戦時の武装解除で
ソ連軍に引き渡したものであることは軍事的常識である。埋めたのが中共軍自身であること
も判明している。それにも拘わらず遺棄を認めて、その処理に膨大な国費を浪費している。
 「近隣諸国条項」と「村山談話」が、ともに認めている「侵略戦争」についても、言葉だけが先
行して、その根拠は全く示されていない。

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