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2011年10月1期三国志・戦国中国の城ってどんな感じ?
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llllllllllllllllll蒼天航路アニメ化決定lllllllllllllllll
中国の城ってどんな感じ?
- 1 :09/02/28 〜 最終レス :11/07/19
- 日本の城、西洋の城とはまた違うんでしょ?
名城とかあるの?
- 2 :
- 城塞都市、砦、水塞、関とかがあるよ。
- 3 :
- 中国の名城といえば月山富田城
- 4 :
- 中国における城とは、本来城壁のことを意味し、都市や村など居住地全周を囲む防御施設を指すことが多い。
そのため中国語では都市のことを城市といい、欧州や日本に見られるような城は城堡という。
ちなみに城壁のことは城牆(じょうしょう)という。
大規模なものは、宮殿など支配者の住む場所を囲む内城と、都市全域を囲む外城に分かれており、
内城は城、外城は郭と呼ばれ、併せて城郭といわれる。
辺境では北方騎馬民族の侵入への備えとして万里の長城を発達させた。
また、城とは呼ばれないが長大堅固な城壁を持つ要塞として、交通の要所におく「関(かん)」が重要である。
ウィキペディアから
- 5 :
- >>4
最後の一文がなければ危うく尊敬してしまうところだった。
- 6 :
- 時代によって違いはあるけど、いつの頃をさすんだよ?
- 7 :
- 商〜周初期かな
- 8 :
- 日本の城と比べると、とにかく大きく広い。ただし、高くは無い。
- 9 :
- 鄭の城壁ってめっちゃ高いんじゃなかったか?
- 10 :
- 日本で言えばいわゆる○○京スタイルだよね
- 11 :
- い ギ ひ そ
っ ャ ょ れ
て グ っ は
る で と
の し
か て
!?
- 12 :
- ageちまったうえにズレた。
ちょっと死んでくる
- 13 :
- 生きてるくせに
- 14 :
- 「それもギャグでして」てか?
- 15 :
- 中国の城って、城壁の前に堀を作らないイメージがある。
- 16 :
- まったくそういう事もない訳ではないだろうが、
城壁の規模がでかすぎて堀まで作ってられないのが実際の所なんだろうな
- 17 :
- >>15
普通にあるよ
城壁を囲むように渠が
- 18 :
- 城壁の基礎を作る土台の土は
堀を掘ってその土を使えば
遠くから持ってこなくて楽のはずだが
- 19 :
- あの城壁はただ土砂を盛っただけではなく、
砂利や葦などを混ぜた粘土を突き固めたものだからな。
- 20 :
- d
- 21 :
- 城壁の幅が100bあるって本気ですか?
- 22 :
- しゃれだろ
- 23 :
- 中国の城といえば萩城
- 24 :
- いいえ、金城。
- 25 :
-
- 26 :
- あんなかんじ
- 27 :
- おまーら西安に行ったことないの?
立派な城壁(一周15km)があるよ、チャリ借りて一周すると楽しい
もちろん周りには立派なお堀がある
- 28 :
- まずもって西安という都市名が気に入らない。
言うなれば大阪を西阪と呼ぶようなものではないか。
中国人はもっと歴史に敬意を払うべきである。
- 29 :
- そうだ咸陽に戻すべきだ
- 30 :
- 今の咸陽市は昔の咸陽とはちがうんか?
- 31 :
- >>29
かんようと長安は違う都市だぞ
>>30
中国の都市は時代によって微妙に位置を変えてる
場所はずれてるかもね
- 32 :
- >>28
大阪も昔は大坂といっただろう
- 33 :
- >>28
それを言うなら京都を西都、だろJK
- 34 :
- 京都を西東京都とか言われたら泣くぞ?
- 35 :
- サイキョー流
- 36 :
- 東の都を東京、西の都を西京でいいだろう
- 37 :
- 北京
東京(開封)
南京
西京(長安)
中京(洛陽)
- 38 :
- 北京(札幌)
東京(東京)
南京(大阪)
西京(京都)
中京(名古屋)
- 39 :
- 北京(熊谷)
東京(春日部)
南京(川口)
西京(川越)
中京(大宮)
- 40 :
- >>39
東京(大津)
北京(京都)
西京(難波)
南京(飛鳥)
中京(奈良)
- 41 :
- 東京(釧路)
北京(旭川)
西京(室蘭)
南京(函館)
中京(札幌)
- 42 :
- 東京(寿春)
北京(ギョウ)
西京(長安)
南京(襄陽)
中京(洛陽)
- 43 :
- >>42
阿呆w やるなら、
東京(ショウ)
北京(ギョウ)
西京(長安)
南京(許昌)
中京(洛陽)
だ
- 44 :
- 東京(ベルリン)
北京(ロンドン)
西京(マドリード)
南京(ローマ)
中京(パリ)
- 45 :
- あずま京都ごときに首都ヅラされたくない
京は一つだ
- 46 :
- >>45
- 47 :
- 大阪人は嫌いです
- 48 :
- と、芋が申しております
- 49 :
- u
- 50 :
- E=許、開封
S=宛
W=長安
N=邯鄲、鄴
C=洛陽
- 51 :
- E=モスクワ
S=ローマ
W=ロンドン
N=サンクトペテルブルク
C=ウィーン
- 52 :
- 街だよね
- 53 :
- 弱いんだよね。
日本の城だと盛り土の城で、外面補強に石垣が使われるが(石垣を使わない場合も多い)
中国の城は脆いレンガがそのまま構造材になっている。基底部を抜かれると崩壊する。
中国の城では無いが朝鮮の同じ構造の城を朝鮮征伐の日本軍がその方法で落としている。
- 54 :
- E=ウィーン
S=ローマ
W=ロンドン
N=ベルリン
C=パリ
- 55 :
- E=南京
S=香港
W=西安
N=北京
C=鄭州
- 56 :
- ふうむ
- 57 :
- E=東京
S=ミラノ
W=ニューヨーク
N=ロンドン
C=パリ
- 58 :
- どー
- 59 :
- 三戦板の中国の城スレだから三国志の時代の城の話じゃないの?
- 60 :
- 北京城の城壁
高さ20m
厚み 上部20m 基部30m
長さ 40km
- 61 :
- >>53
そうだね。ただ土盛の厚みが半端ないんだ。塀のように作るんでなくて、やたらと底辺が
広い台形上に盛って、もう一方を切り落として作ってる。あと、目の細かい黄土を版築で固めて
作るから、土自体が土とは思えんほど滅茶苦茶硬くて(発掘調査でツルハシの歯が立たない)。
土そのものが城壁の強さを担保している。
まあ、日本の石垣の方が頑丈だろうけど。
オランダ製大砲を投入してきた女真(清の前身)の攻撃を再三再四跳ね返し続けた山海関なんかは
立派な名城と言えるのでは?
女真は結局、守将呉三桂が裏切って城門を開けてくれるまで、自力では山海関を越えられなかった。
後は、結局は降伏するけど、モンゴルの包囲を5年に渡って耐え続けてモンゴル軍の南下を阻んだ襄陽とか
- 62 :
- >基底部を抜かれると崩壊する。
もちろんその弱点はとてももろい
けれど問題はいつもその弱点をつくことができたかということ
守備兵もカカシじゃないんだから城壁の下で胡乱なことをしているヤツをスルーしてくれるわけも無く
それを試みた攻城兵の多くは失敗して屍を重ねたわけで
基底部を抜いて落としたというのは
むしろそれを実行できたヤツが飛びぬけて手際が優れていたか
あるいは守備兵がサボったか
あるいはとても運がよかったから
その時はうまくいったということだ
もちろん基底部が弱点なことには違いないけれど
なお基底部を抜かなくても
穴攻などで城壁を崩すという攻城法は何も珍しいことでもない
ただ多くの場合は奪取した城を今度は攻め落とした側の拠点として運用することになるわけで
すると城壁を崩してしまうという攻城法では次に自分たちが守る側になった時にとても面倒くさいことになるから
時間制限がとても厳しいとか他の攻め方では見込みが無いとか城の破却自体が目的とか
そういった何らかの事情が無ければ多用された方法じゃなかっただろう
- 63 :
- 厚さ数m〜数十mでつるはしもたたない硬さなら、基底部抜くのって、城壁をまるまる破壊する工事とあまり大差ないような。
小規模な城壁なら可能だろうね。
- 64 :
- 中国の城は領地全体を囲ってるのに、
なんで日本の城は領地囲ってないんだろう
- 65 :
- ひとつには城の成り立ちと役割が違うから
外敵の侵入事態をふさぐことを目的としたか
陣地がだんだん発達して恒久的な防御施設になったかの違い
さらにもうひとつには資材と予算の都合もある
古代中国は世界的に見ても農耕文明の発祥地のひとつだが
その誕生時から常に外敵のと血みどろの抗争がついてまわった
常に外敵の脅威にさらされていたので
外敵の進入そのものを拒むために自然に邑ごとに防壁を必要とした
邑の規模が小さければ防壁は柵の程度の規模にならざるをえないが
大きな邑というか都市にもなれば襲われた時に失うものもデカイし襲撃者もそれなりに強大となる
大規模な城壁で都市を囲うだけのニーズがあり
それを可能にするだけの労働力と資材や経済力もあった
中国の城は「外敵に進入そのものを拒む」という発想から発生している
「城市」という言葉があるくらい街と城壁は一体のものだ
日本では守備側にそこまでの経済力がない場合が多かった
100人規模の村を守るのにいちいち城壁を築いていられない
くわえてムラや都市を襲撃する外敵も大陸のそれと比べてそれほどの規模ではなかった
何千何万の血に飢えた異人がガッチリ武装して襲ってくるのと
せいぜい100人かそこらの山賊規模の敵しか襲ってこないのとでは
防備に対する真剣度が違うのも当然
例えば平城京や平安京も洛陽や長安に倣って周囲を塀で囲うよう計画されたが
コストや工期そしてニーズのなさによりその計画は維持されなかった
堺のような町や後北条氏の小田原城や秀吉が復興した今日に築いた太閤塀は日本史でも例外
しかし普通はそもそも村そのものへの外敵の侵入を防ぐという発想があまり無い
というか必要と感じられなかった
守るだけの都市も無いし守るだけの脅威も無いというわけだ
特に鎌倉時代までは恒久的で大規模な防御施設が必要とされることはほとんど無かった
九州の大野城の水城は古代日本でもきわめて稀な例外
奈良〜平安時代の東北地方の軍事拠点の多くは「柵」と名前が付けられた
戦国時代に入って成立した山城も
例外はあるが特に初期においてはその多くは日常の住居ではなく合戦の際になって入るようなところだった
コレは日本の城の成り立ちが
あくまで陣地が発達して恒久的な施設に成ったものだということを示している
そこには村や都市に外敵が侵入するのを防ぐという発想が無い
その点で堺や小田原にみられた「都市ごと守る」という発想は日本の城砦史においてひとつのパラダイムシフトだった
- 66 :
- また資材面では
大陸では頑丈な石材も入手しやすく(それだけ露出した岩が多い)
また降雨が少なければ土を築いて硬く乾かすハンチク工法も成立する
もちろんそれには膨大な労働力を要するが
一方日本は雨量が多い
よって森林が発達するため石材の調達が難しい
粘土をつき固めるとか干しレンガを積むのもままならない
戦国末期になると領民を支配する体制も固まり数少ない石の産地から石材を集めるだけの実力も大名に備わってくる
また合戦の頻度と激しさが増すことでニーズも高まる
「日本の城」というがその代表的なものの殆どは戦国時代のそれも中期以降から江戸初期にかけての
日本史の中でみればごく限られた短期間で爆発的に発達したもの
そのごく短期間にしか見られなかったものが「代表」とされている
しかしこうした日本の城のほとんどはどれほど大規模でもあくまで恒久的な防御陣地でありのちに権威の象徴となった
つまり「都市への外敵の侵入」を拒むものではなかった
もし戦国時代がさらに長く続いていれば小田原タイプの城郭が各地で発達したかもしれない
しかし秀吉の統一と徳川幕藩体制が戦乱を終わらせたことで
都市を囲う城郭がそれ以上に築かれることは無かった
とはいえ河川などを城壁のように運用する縄張りの技術は後世にも生かされたが
- 67 :
- そうなんだすごい
- 68 :
- ハンチクの場合、水攻めにされてると
土が湿ってもろくなって自然崩壊する。なんてことないのかな。
- 69 :
- 日本でも法隆寺の築地塀は版築だ
また現代日本にも版築建築はある
ttp://www.inax.co.jp/clayworks/
もそうだし、家屋などでも注文する人がいる
出来上がってしまえば雨程度ではたぶん崩れないんだろう
そうでないとINA○は大変なことになる
多少は防水対策もするだろうし
だが洪水となるとさすがに厳しいみたいだ
ttp://homepage3.nifty.com/otakeya/ouu/kousuijisiba.htm
このリンクの古代日本の版築による城郭の志波城の項を参照
しかしある程度は壁の規模と質にもよるんじゃないかとおもう
例えば三国志演義等でも水攻めの描写はあるけれど版築の壁が崩壊して・・・というシーンはたぶん無い
水攻めに版築が致命的に弱ければ、そういうシーンの描写がどっかにあってもいいんじゃないかなと
壁自体が大質量でかつ丁寧に突き固められていれば多少水に漬かったくらいでぼろぼろ崩れたりはしないかも
大相撲の土俵にホースでしばらく水をかけたところでそう簡単に土俵が崩れるような気もしないし
長時間大量の水に漬かれば崩れるだろうけどそんな状態なら壁か崩れる以前に城の中もえらいことになっているだろうし
- 70 :
- >>64
世界的に見れば城郭都市の方が一般的。ヨーロッパから中東からアフリカまで、
都市は城壁で囲まれてるのが当たり前。日本だけが例外中の例外。
これは日本が島国で、ほとんど外敵に襲われることがなかったためだと思う。
有史以来、外敵の本格的侵攻を受けたのが元寇の2回だけ、というのは世界史的に
奇跡の国家。
- 71 :
- 白村江をお忘れか
- 72 :
- 隣国が朝鮮だけだから、天然の防壁、対馬で防ぎきれる
- 73 :
- あれは朝鮮に攻めに行ってるんじゃね?
- 74 :
- あれは?
武田信広が活躍した乱
アイヌとの戦いははいらないんか
- 75 :
- アイヌは攻城兵器とか所持して無さそうだから。
- 76 :
- 補足
柵作って遠距離から射撃すれば倒せる
- 77 :
- 田村麿は外国との戦いとは言わないか
- 78 :
- >>71
それをいうならむしろ道長の頃の「刀伊の入寇」のほうが適切じゃね?
大宰府長官の藤原隆家が九州の武士団を急遽編成して海を渡ってきた女真を撃退した件ね。
藤原貴族が軟弱者ばかりではなかったという結構アツい事件。
まあ道長も弓争いの話とか聞いてると結構武闘派なんだが。
いずれにしろ本格的な「城」を有効活用した戦いが日本史で見られるのは
だいぶ時代が下って楠木正成以降じゃないかと。
あと思いつくのは足利義満の頃に大内氏が堺で挙兵したときに
堺の堀と防壁で討伐に赴いた将軍側が攻めあぐねたこととか。
>>76
日本での外敵は柵で防げる程度のものだったけれど、
大陸では西洋も東洋も柵程度ではどうにもならなかった。
だから日本より早い時期から大掛かりな城郭が必要になったんだろうな。
- 79 :
- 刀伊は女真のことだったのか。
刀伊の弓は強力で武士の置盾を貫通させたとか、なのに鏑矢の音に怖れて退却
したとか、不思議な人々。戦いの経過を見てると、外国の軍隊の侵掠というより、
規模の大きな盗賊どもが国境外からやってきた、というイメージ。
実際、朝鮮半島では年中行事だったらしいし、遊牧民と境を接してる国々は
あえて記録されるほどのこともない程度の事件かもしれない。
日本にとっては歴史的大事件。
- 80 :
- 日本にとっては海が巨大な海堀みたいなものか
- 81 :
- イギリスもそれでナポレオンやヒトラーの侵攻を防いでいる
- 82 :
- 鳥取城マンセー
- 83 :
- 中国地方の城か
- 84 :
-
/ ̄ ̄\ また火病の発作がはじまったか・・・
/ _ノ \
| u ( ●)(●) ____ そ、そ、そ曹操患者の何がいけないんだお!
. | (__人__) /::::::::: u\
| ` ⌒´ノ/ノ└ \,三_ノ\ ,∩__
. | /::::::⌒( ●)三(●)\ fつuu
. ヽ |:::::::::::::::::⌒(__人__)⌒ | | |
ヽ \:::::::::: ` ⌒´ ,/ _ | |
/  ̄\ /⌒ .ヽ i 丿
| ヽ、 \/ /(⌒) ξ) ̄ ̄´
\ ./ / / |
曹操患者
- 85 :
- こんなスレまで認定厨に荒らされてるage
- 86 :
- モン・サン・ミシェル最高
- 87 :
- 美しさがない
- 88 :
- 日本で都市を城壁や堀で囲んだ城っていうと小田原城や有岡城が出てくるけど、
実際はそれよりずっと早い時期から、山科に本拠を置いていた本願寺がやってた事だよね。
山科を追い出された本願寺がたどり着いたのが大阪の地で、
そこに山科の規模を凌駕する難攻不落の石山本願寺を築き上げたと。
- 89 :
- 中国は城だけだからな
日本やヨーロッパは要塞も兼た城だから格好いい
- 90 :
- >中国の城ってどんな感じ?
いい感じ
- 91 :
- ワシの糞でできておる
- 92 :
- 四角く囲った土か石の壁だよね、中国の城。
- 93 :
- 大坂城に凱旋門などのコピー
- 94 :
- ノイシュバンシュタイン城が最強。
- 95 :
- 律令時代の城柵って中国式だけど
中国の城みたいに壁の上を歩けるようにはなってなくて
等間隔にある櫓からしか反撃できないから微妙だよね
- 96 :
- http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E5%92%8C%E5%9B%A3%E3%81%AE%E4%B9%B1
- 97 :
- とにかく広い
- 98 :
- お城巡りしたい!
中国のってなんか神秘的。
- 99 :
- ∧_∧ ∧_∧ ∧,,∧
ミ,,・┏┓・ミ ミ,・ω・ ミ ミ,,・∀・ミ 255ゲット
.c(,_uuノ し〜U〜 ミ_u,,uミ〜 ですう〜
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