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2011年10月1期三国志・戦国諸葛亮って劉備に仕える前どんな勉強してたんだろうな
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諸葛亮って劉備に仕える前どんな勉強してたんだろうな
- 1 :09/09/30 〜 最終レス :11/12/16
- 興味がある
- 2 :
- 正史では学問の精密さでは無く大要をつかもうとしたとか
管仲楽毅になぞらえていたとかか
- 3 :
- 要は書物の一字一字の分析にこだわって役にも立たないミクロな研究をしようとせず
内容の本質の追究を試みていたんだろう
- 4 :
- 本読み漁ってただけだろ
- 5 :
- >>4
識字率が低かった当時、本が読めるだけでも全人口についての知的ヒエラルキーの最上層だぞ
孔明は無論単なる読書以上の事はしていただろうが、読書をする事を「だけ」と表現するのはおかしい
- 6 :
- 三戦住民が当時に生まれたら、みんな最上層の知識階級だっただろうか。
- 7 :
- >>6
まず白文が読めるかだな
あと印刷技術がないから本を手に入れるのも困難
- 8 :
- 全てがそうではないが、煽りに血道をあげる輩や上っ面に囚われた輩は
低俗と見做されるだろう
- 9 :
- 昔の本って気に書いてあるあれだろ?
高そうだよな。
- 10 :
- 確かに。
しかも手書きだしな。
- 11 :
- >>1のように私も気になってました
どうやって書物を手に入れたのか。名士だから家にあったのかもしれないけど
隆中に辿り着いた時も所持していたのか?荷物運びの供がいたのか?
黄承彦が貸してくれたのか?
妄想が止まらない
- 12 :
- 陳舜臣の諸葛孔明では諸葛家に仕える話好きの家臣がいて情報網になっていたから、
その家臣、それに近い人物がいれば書簡を入手することは不可能ではないはず。
知識人同士の貸し借りも当然あるだろうし。
でも本一冊分読むのにアホほど書簡が必要だったろうな。
- 13 :
- >>9
後漢代にはすでに紙は発明されてたけど、貴重品だから竹簡の方が出回ってただろうね
推測の域は越えないが、当時は著作権がなかったから
借りるなりすれば写して自分のものを手に入れることができた
孔明もそうやって手に入れたのかもね
- 14 :
- でも、そんなに書物なんてなかったろうな。
1つ1つも、そんなに大長編ってことじゃないだろうし。
数少ない書物を暗唱できるくらいに読みこむ感じで。
- 15 :
- 当時のインテリが生涯で触れた文字数なんて、今の朝刊1日分よりも
少なかったろうね。現代人とは総知識量も全然少ないだろうし。
- 16 :
- ただし漢字の複雑さだけは、現代より抜きん出ている。
>>7
白文以前に、漢字の意味すらわからないと思う。
辞書があってさえ、難しい……
- 17 :
- >>14-16
うん
とりあえず士大夫の必須とされた経典だけでも図書館で見てきて分量を実感すればいいんじゃないかな
ちなみにそれは教養の最低条件だからね
生涯の完成ではないからね
ちなみにその経典には多くの注釈書が付随するし、
儒教以外を士大夫が読み知らなかったと思ってるならそれは誤りだから
さらに手を広げて考えてみればいいよ
- 18 :
- ジャイアニズムならそんなもの覚えて読んでる暇があったら
体を鍛えろとか言い出すんだろうな
- 19 :
- 国立大卒=エリート
大卒=名士
高卒=関羽
中卒以下=一般人
みたいなもん?
- 20 :
- >>19
それどころじゃない
教育が受けられるのは特権階級だけ
- 21 :
- 農業の勉強だろ。
- 22 :
- 史記は読んでたかもな
- 23 :
- >>13
>借りるなりすれば写して自分のものを手に入れることができた
>孔明もそうやって手に入れたのかもね
この仮説に近いものがあれば、当時の人間は必死こいて覚えただろうな。
まぁ、書物自体パンピーには当然手に入らないシロモノだが、
書き写すとなれば記憶するには一番良い方法だと思う。
孔明は農民もどきしながらこれをやるのだから、生粋の文化人ではあるな。
軍師には向いていないと個人的には思うが、私欲に駆られぬよい政治家ではあったと思う
- 24 :
- 木は鳥を選び、鳥は木を選ぶ
- 25 :
- 四書五経
史記
兵法書
天文
気象
農業
ありえるとしたらこんな所か
他にもあると思うけど
- 26 :
- 春秋左氏伝
- 27 :
- >>25
付け加えるなら左伝のような注釈書や、老子・荘子
意外だけど、儒教の知識人も老荘は読んでいた
- 28 :
- 諸葛亮の自筆のものって残ってる?
信長の手紙みたいな感じで。
見たことないんだけど。達筆なのかな
- 29 :
- >>3
そうだろうな
本質を重要視していたんだろうな
- 30 :
- >>28
孔明は意外と文を書いてなくて、確かなのは出師の表と後出師の表ぐらい?
ただ、1800年も経てば現物は散逸しない方が奇跡だよ
ましてや滅んだ国の文筆だし
- 31 :
- 出師の表と後出師の表は陳寿の描きうつし?
現物があればさぞや価値があるだろうな
- 32 :
- 前はともかく後出師の表ってたしかなのか?
- 33 :
- >>30
『魏氏春秋』によれば孔明は「八務」「七戒」「六恐」「五懼」を著しています
全て箇条書きで、臣下を教育するためのものだったそうです
でも確かに孔明は詩文は書きませんでした
- 34 :
- 優れた政治家・軍人がみんな優秀な文人詩人とは限らんさ。司馬懿の例もあるしね。
- 35 :
- そのぐらいでいいですよね
中国では長らく知識階級の唯一の就職口が官吏でした
時代が下るにつれて「よき詩人こそ、よき官僚・よき政治家たり得る」という認識が強まりました
詩人、文人、こぞって官吏を目指しました
科挙の受験競争は熾烈を極めました
でも 現実はその理想と相反していました
唐の詩人、孟郊は「悪き詩はみな官を得、好き詩は空しく山を抱く」と言っています
- 36 :
- 張飛のあざなも益徳じゃなかったらしいよね。
益にょう(辺はしんにょう、起はそうにょう)になんかくっつけた漢字だったらしい。
- 37 :
- 昔は書物が高価だったので、基本は書写。写しながら考えたり覚えたりしたらしい。基本書は丸暗記。世界中どこでも一緒だって。大学の政治思想史の先生が言ってた。
- 38 :
- 耕作しながら梁父吟を吟じ、書写しながら学ぶか
- 39 :
- 諸葛亮って劉禅に送った書物が届かずに盗まれてるよな。
- 40 :
- >>39
そんな事あったっけ?
何に書いてあった?
- 41 :
- 春秋左氏伝と礼記の明治書院版を持ってるが、これだけでも現代人からみれば
凄まじい量
当時の士大夫の必修経典でかつ基本的には暗記できているとくると、
たしかにたいしたもんだと思わせられる
俺はとても暗記なんぞできないが、ひと通り読んだおかげでか史料を
とりわけ上奏文なんかを噛み締めながら読める恩恵にはあずかれた
- 42 :
- >>上奏文なんかを噛み締めながら読める恩恵にはあずかれた
おれなんか、その上奏文の言い回しが解読できなくて
自分の知恵のなさを噛み締めるぜ……orz
- 43 :
- 孔明て法政とほう統が生き残ってたら評価はもっと低かったよな
- 44 :
- リトル蕭何くらいかな。
- 45 :
- 大卒クラス=孔明
専卒クラス=関羽
高卒クラス=劉備
中卒クラス=超級
- 46 :
- 小卒クラス=王平
- 47 :
- 「不為良相、便為良医(良き宰相とならずんば、良き医者たれ)」
by亮君
- 48 :
- >>41
昔の文章は暗唱できるように韻を踏んだりリズムをとったりと、今とは違う作法があった。
何世代も受け継がれる内に朗読の仕方が分かれて流派のようになったりもする。日本だと源氏物語とか太平記とか。論語の素読もそうかな。
ちなみに、コピーは次第に劣化するから原本や世代の若い写本が物凄い貴重品になる。
- 49 :
- 中卒高卒どころじゃない。
当時教育受けれるのは基本的に富裕層だけ。
現代と比べるなら
現代の三流大卒=並みの農民レベル
くらいだろうか。
まあ今は下手な大卒より、学歴無くても手に職の有る方が生きやすいかもしれんが。
- 50 :
- 色々発展してる現代だと頭の良さや学力と学歴は必ずしもイコールでは無いというのもあるな。
当時だと学力に関しては書物を手に入れるのが難しいし、勉強出来る状況じゃないと学力的なものを上げにくい。
- 51 :
- 当時でも頭の良い一般人もいただろうけど、高度な勉強をする環境にいるのは難しいかもな。
- 52 :
- 野良仕事でそんな暇あるわけねーだろ
- 53 :
- 商人とか職人になったりするんじゃないか?
- 54 :
- >>52
つ董遇三余
- 55 :
- 冬や雨ふりが暇でも一般人は高価な書物をそうそう手に入れる、観覧できるとは考えにくい。
- 56 :
- ただ頭が良いだけでもダメだしな。
徳が無いと。
俺には実感としてよくわからんが
- 57 :
- 徳。
- 58 :
- 孔明にネット与えたら、勉強なんてしやしないだろうな。
エロサイト見たり、2ちゃんみたいな掲示板で漢擁護の右翼的活動しまくりで。
- 59 :
- あの時代に劉備が3回も押しかけないと腰を上げない奴だぜ。
ちょっとじゃそっとじゃ動かないだろうし、
なまじ頭が良いだけにこの世の中や将来に絶望して引きこもりだろう。
- 60 :
- 訂正:ちょっとやそっとじゃ
消したつもりが消えてなかった。すまん
- 61 :
- 孔明は囲碁もしていたかもな。
蜀の人材でも囲碁してる人少なくないし。
- 62 :
- 孔明の連れのサイシュウヘイも劉備につかえてなかったっけ?
- 63 :
- 曹操を批判しつつも誤解には物凄い勢いで弁護しそうなやつだな
- 64 :
- ネトゲ廃人になってそう
- 65 :
- パRも兵法で連チャン勝ちしてそう
- 66 :
- ははは、パチプロとかなってそうだ。
でも公務員のイメージかな、孔明や劉備は
- 67 :
- 引用してある部分以外は諸葛亮集って残ってないんだっけ。
もしそうなら、諸葛亮集が残ってたらもっと詳しく分かっただろうな。
- 68 :
- 諸葛村(笑)
- 69 :
- 学問
- 70 :
- 奇門遁甲
- 71 :
- >>55
書物を書き写すバイトで書物の内容を憶える
- 72 :
- >>1
良スレの予感!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
- 73 :
- おお
- 74 :
- 性教育
- 75 :
- 結局資料が少なすぎて、あまり議論が発展しないんだよな。
- 76 :
- 孔明が現代にいたら、東大法学部を平凡な成績で卒業して、株トレーダーニートになって、趣味は家庭菜園
20代後半で金融系企業が三顧の礼で向かい入れる
- 77 :
- そして最後には過労死か
- 78 :
- 派閥争いに負けて中途退職だろ
- 79 :
- 管仲、楽毅を知っていた
ということは春秋、史記、管子、戦国策あたりは読んでるだろう
- 80 :
- >>11
黄承彦は荊州でも屈指の名士な上に、豪族として権勢を振るっていた蔡氏とも縁続き
それに名家出身で叔父は劉表とも親交があったことから考えて、
黄氏との婚姻は恐らく劉表もある程度関わっていると推測される
ぶっちゃけ超お坊ちゃま
劉備に出会うまでやってた農業は趣味とか筋トレの類としかいいようがない
- 81 :
- 放浪して後ろ盾も死んだのに
なんでそんな縁組に成功するんだろ
- 82 :
- >>81
三国志本文を鵜呑みにするなら諸葛玄は襄陽でしばらく生きていたからその間に、という可能性がある
- 83 :
- >>82
財産も残ってそうだな
- 84 :
- 晴耕雨読
- 85 :
- 水鏡先生は?
- 86 :
- 孔明って東大出たけどニートみたいな扱いだろ
- 87 :
- >>80
だから悠々自適に自分が仕える主君を待っていられたわけだ
苦労人に変わりはないけども
- 88 :
- 農業してるのに何処がニートなんだ?
- 89 :
- >>86
中卒だけど能力は東大主席かそれ以上って感じ
- 90 :
- 確かにそんな所かもな。
- 91 :
- 九州大学法学部を主席で卒業して、20代後半で金融系企業が三顧の礼で向かい入れ、会社を急激に大きくして、社長になるが50代で過労死
趣味は家庭菜園
- 92 :
- 三国志演義を鵜呑みにしすぎじゃね? 資料が無いからしょうがないけど。
でも、冷静に考える頭はあったことは確か。
- 93 :
- 考えるところ女風呂を除いたり、他人の柿ぱくったり勉強してたろう
- 94 :
- 子供をいっぱい作ったらしい。
- 95 :
- >>92
何について演義を鵜呑みにしてるって言うんだい?
- 96 :
- >>86
高等遊民ってところじゃない?
フィクションの人物だけど、初期作品の明智小五郎みたいな。
- 97 :
- 身長八尺の長身で農作業で筋トレ。
前線の兵士としても申し分ない体格。
- 98 :
- まさに金城武
- 99 :
- ひょーりみの母親は婦であった。
500円渡せば誰にでも股を開いたので、付いたあだ名はワンコイン女。
しかし醜い容姿のため、その破格の低価格をもってしても抱く男はほとんどおらず、
しかたないので専ら公園や河原で寝起きする浮浪者相手に春を売っていた。
そのような生活を送る中で彼女は妊娠したが、中絶費用が無かったために不本意ながら出産した。
そうして産まれてきたのがひょーりみである。
つまりひょーりみの父親は名前も知らない浮浪者であり、ひょーりみは母親からも望まれない子であった。
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