2011年10月1期三国志・戦国劉備は本当に人を魅力があったの? TOP カテ一覧 スレ一覧 削除依頼
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曹操「ユーアーマイ曹☆操☆い〜つ〜も」
宮廷権力闘争なりきり
(⌒▽⌒)
外川椎奈


劉備は本当に人を魅力があったの?


1 :11/11/08 〜 最終レス :11/12/16
何かをひきつけるものが

2 :
>>1
また日本語が不自由な曹操患者が糞スレ立てたのか

3 :
魅力が無かったらあの超絶劣勢というか比べるのもおこがましいような状態から
一州を支配して魏とほぼ同じだけ続く帝国を築けるわけがない。
そもそも彼の魅力は関張や麋兄弟、諸葛亮らの強固な忠義が示しているし
曹操、劉表、陶謙、陳登、孔融などなど多数の人物に一目おかれたり好意を持たれたりしている事実もある。
麋芳裏切っただろとか孔融カスだろとかいって難癖つけるやつは
めんどくさいからそいつら間引いてくださいな。
群盗まがいのことしてきたし、梟雄だし、不義もさんざんしてきたし
劉備を嫌う人間も山ほどいたのは間違いないが
そういう側面を持ちつつも人を惹きつける面も持っていたということ。
聖者とか仁君とかそんなんだったとは言わない。
魅力ないくせに反曹操の旗掲げただけで大きくなったというのなら
もっと第二第三の劉備が出てきたはず。
結果的に大きな業績を残していて、後世はその事実から評価するしかないわけだから
少なくとも何らかの魅力があったことは認めざるを得ない。
はいこれで十分でしょ。
曹操患者も、誰でも彼でもすぐに曹操患者と認定する馬鹿も
どっちも無視するんだぞ
劉備の魅力は本質的に曹操と独立してるものだからな。

4 :
とりあえず>>1は日本語を勉強しなさい

5 :
無理して難しい日本語を使おうとするから>>1みたいなことになるw

6 :
>>3
糜芳裏切っ……おい間引くな
糜芳が忠臣というのは異議ありだ、認めん

7 :
糜子方は劉玄徳の義兄として、ずっと忠実に行動した。
長髭野郎が無能無策だっただけだ。

8 :
糜芳の美貌

9 :
>>6
3だが、麋芳が忠臣じゃないという考え方もわかる。
だからその場合は麋芳をカウントしないでくれということだ。
彼を数えなくても関張と麋竺、諸葛亮らには忠誠を尽くされているわけだから
十分に大勢を惹き付けている事実に変わりはないと言いたいんだ。

10 :
麋竺は膨大な家財一切と自分の妹まで差し出して奉仕したんだから人間的魅力はあったに違いないだろうね
当時の劉備とか訳分からん存在な上に領土も没収されたのにそれでも皆ついていったんだもんな

11 :
そのエピなんか裏がありそうなんだが・・・

12 :
三顧の礼って本当なのかな
日本なら一般人の家に皇太子が来て死ぬ時に
自分の子に器がなければお前が天皇になってくれとか言うのか

13 :
ぼくと契約して漢中王になってよ!

14 :
>>12
三顧の礼は普通にあったでしょ
先主伝に「劉備が諸葛亮を三度訪問したのち会った」って書いてあるし
諸葛亮伝の中でも諸葛亮の「先帝が私の家を三度訪ねて下さった」って上奏文があるしさ
陳寿が司馬炎に上奏した諸葛氏集の中にも「劉備は諸葛亮の器量を認めて彼を三度も訪問しました」とある
こればっかりは疑う余地がないんじゃね

15 :
このスレ荒らしに潰されてるな

16 :
三顧の礼って本当なのかな
日本なら一般人の家に皇太子が来て死ぬ時に
自分の子に器がなければお前が天皇になってくれとか言うのか

17 :
>>1
家庭面では一切の魅力なし

18 :
巨人、大リーグ初打席満弾男のハーミダ獲得へ調査
ttp://hochi.yomiuri.co.jp/giants/news/20111110-OHT1T00085.htm
巨人 27歳の史上最“強運”外野手獲得へ!
ttp://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/11/10/kiji/K20111110001995400.html
巨人獲得目指すハーミダ「福留よりもスイングスピードが速いだろう」
ttp://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/11/10/kiji/K20111110002000390.html
巨人新助っ人候補 あの名GMにも評価された高い出塁率
ttp://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/11/10/kiji/K20111110002000380.html

19 :
>>17
曹操は些細な理由で妾を殴りしてる上に、
跡継ぎを曹丕にするか曹植にするかで臨終の間際までブレまくってる
孫権も後継者問題でひどい騒動を引き起こしてる
家庭面(というか国政に直接関わってくる分こっちのがタチが悪い)ではこいつらの方がひどいんだけど

20 :
>>14
先主伝も諸葛亮集も出典は出師の表じゃないかな。
劉備が孔明に礼を尽くして迎え入れたのは確かだろうけど、荊州での立場を強化する意味合いが強かったと思う。
孔明の姉の夫は名士ホウ徳公の息子だし、義父の黄承彦は蔡ボウの義兄だ。

21 :
三顧の礼は普通にあったでしょ
先主伝に「劉備が諸葛亮を三度訪問したのち会った」って書いてあるし
諸葛亮伝の中でも諸葛亮の「先帝が私の家を三度訪ねて下さった」って上奏文があるしさ
陳寿が司馬炎に上奏した諸葛氏集の中にも「劉備は諸葛亮の器量を認めて彼を三度も訪問しました」とある
こればっかりは疑う余地がないんじゃね

22 :
三顧の礼は普通にあったでしょ
先主伝に「劉備が諸葛亮を三度訪問したのち会った」って書いてあるし
諸葛亮伝の中でも諸葛亮の「先帝が私の家を三度訪ねて下さった」って上奏文があるしさ
陳寿が司馬炎に上奏した諸葛氏集の中にも「劉備は諸葛亮の器量を認めて彼を三度も訪問しました」とある
こればっかりは疑う余地がないんじゃね

23 :
まあ、現代風にしたら2度電話したけど本人が出なかったんで帰ってきたら呼んでって家人に伝えて置いて
3度目に今帰ってるからどうぞって連絡が来たから会いに行った
ってな程度の話なんだろうけどな
通信手段が未発達だから2度無駄足運ぶことになったっていうだけの話
そこで孔明に会うのを投げ出さなかったのは事実だけど

24 :
>>19
だが親父としての魅力がないから劉禅がグレたのは事実だし
曹操と孫権は夫人も多けりゃ子供も多い
曹昂丁夫人からすりゃ最低な曹操だが、曹丕曹植からすりゃいい親父だと思うし

25 :
>>24
劉禅がグレたってどういうこと?
劉備と仲悪かったりしたの?

26 :
>>24
>曹丕曹植からすりゃいい親父だと思うし
そうか?
曹操は曹冲が死んだ時、曹丕達に向かって「曹冲の死はわしにとっては不幸だがお前達にとっては幸いだろう」という
親としての神経を疑いたくなるような発言をしてるんだが。
どこがいい親父?

27 :
>>19
ブレてない
曹丕を後継者にして副丞相にした後は全くブレない
さらには漢中戦の間に曹植の後ろ盾として存在してた楊脩をぶっしてかっちりカタを付けてる
弘農楊氏の次世代を担う俊才の誉れ高い人間を粛清することの重みを甘く見すぎだ

28 :
>>25
あの暗君っぷりはグレたとしか…
劉禅「どーでもいいや、こんな国・・・」

29 :
劉禅が暗君になったのって
劉備が死んでから何十年もずーっと後の事じゃないか
阿斗だけに

30 :
いや自分で何かするだけの突出した能力はないものの
出来る人間に仕事を任せて自分は場をかき回したりしなかったわけで
平時なら名君、乱世の凡君だが、暗君とは全く呼べない存在
晩年もな

31 :
諸葛亮がいなかったら劉禅程度じゃ話にならんし

32 :
というか益州を40年大過なく統治してきた劉禅を暗君とは言いたくないな。
末期には黄皓を重用し国が乱れたとあるが、度合いもはっきりしないし滅亡直前の王朝は大抵悪し様に書かれるもんだ。どこまで信用できたもんだか。

33 :
劉禅は降伏したんだから悪く書く理由ないんじゃないか
姜維は書かれる理由あるけど

34 :
蒋エン亡き後は自ら政治を行ったというし、周囲の補佐があっただろうとは言え、その間失政らしき失政もないしな>劉禅

35 :
>>30
いや平時でも凡君だと思う

36 :
>>27
曹操が楊修したのって漢中戦の間じゃなくて終戦後じゃなかったっけ?

37 :
>>36
あ、漢中戦での処刑は演義だったわ
正史だと後だね

38 :
よく言われる事だが「ここは楽しく蜀など思い出しません」という台詞に劉禅の非凡さを見る。
凡庸な者なら「ええ、まあ、たまには…」などと答えて謀叛の気ありと処断されていただろう。
劉禅がお気楽で利己的な人物などではない事は、孔明を誹謗した李バクを処刑したり、自らの命を削って忠義を示す張嶷に涙したり、
降伏の際同行したゲキ正をもっと重く取り立てるば良かったと気にかけたりした事でも明らか。

39 :
もうそれ聞き飽きたけど、それが本当だとしても
保身に走って蜀を貶めただけの事がなにが「非凡さを見る」なんだか
劉禅を諌めたゲキ正は処断なんかされてないだろ

40 :
>>39
劉禅が疑われるという事は益州人士が丸ごと疑われるという事でな。
お前さんが考えるほど単純な話じゃないんだよ。

41 :
劉禅が保身に走る=蜀の人間全体の保身につながることだからなあ
やっぱり意図的に道化を演じてたと考えるのが自然だろうな

42 :
じゃあなんでゲキ正は劉禅を諌めたんだ?おかしいじゃないか

43 :
名分的は明らかな堕落だから諌めなければ益州人の名が廃るし
かと言って恋しいなんて言えば益州で復古の志ありと見て何時されてもおかしくない
劉禅は道化に、ゲキ正は狂狷になるのが正解じゃねーの?

44 :
>>42
道化を演じようって劉禅の思惑に気づかなかったからじゃね。単純な話。
結果的に劉禅一人がバカの汚名を着てその場が丸く治まったんだから万々歳じゃん。

45 :
ゲキ正も、その場の元蜀臣も、司馬昭も、賈充も、
当時の国をあずかる人たちが誰も気付かなくて
現代の一般人には劉禅の心理の真相が分かるって?
違和感感じないか?

46 :
まあ、このスレは劉備に魅力があったかのスレなんで
劉禅が有能か無能か、保身的発言が適切だったか否かは本題じゃないからその辺で矛先を収めようや
根拠地も何にもない劉備について北の果てから西の果てまでついて行った人間が何人も居る以上
それが皇帝や中華を統一する程の器だったかはともかく、損得抜きに手助けしてやりたいと思わせる何かは持ってたんだろうな
語るべき事は
劉備の魅力(?)の本質が何に由来するのか(血統だけならもっと良い劉氏はいっぱい居ただろうし)と
劉備の魅力(?)の程度が実際に実現した蜀での独立ができ過ぎレベルだったのか、妥当な線か、もっと凄いのか
この点じゃないだろうか?

47 :
ただ女がいない

48 :
>>19
つーか、ソーマン伝なんて信用する価値ほぼゼロですよ

49 :
>>46
残念ながら、そんなことは語りようがない
魅力という実体のないものの本質なんて実際に会わなければ見極められないし
蜀での独立が妥当かどうかなんて、魅力の絶対評価がなされてなければ議論のしようがないし
そもそも魅力は蜀独立の間接的な要素でしかないから、より難しい
それこそ、劉禅は名君か暗愚かの方が、歴史的手掛かりがあって語りやすいくらい
俺らができることは、史書の行間も読みつつ
可能な限り彼の心理なり行動なりを炙り出して
つじつまの合った全体像を作り上げることくらいだ

50 :
魅力と言えば、劉虞がどうにも好きになれない。
敵対する異民族には貢ぎ物まで送るのに、一応の味方である公孫サンはあからさまに敵視して袁術を信用するなという忠告も無視。
公孫サンと袁紹が対立した時も仲裁するでも諫めるでもなく嫌がらせのように補給を滞らせ、困った公孫サンが異民族への貢ぎ物を略奪すると逆ギレ。
勿論、公孫サンとて聖人君子ではないから一方的に擁護するつもりはないんだけど、劉虞が仁徳の人みたいに言われるのは、ちょっとなあ。
挙げ句の果てに「大軍を見せつけるだけで公孫サンは降伏しますよ?」と犠牲を出さずに済む進言をした筈の程緒を処刑。
なのにいざ戦うとなったら民は犠牲にするなとチグハグな命令を下して敗北して公孫サンに処刑される。なんか変だろ、この人。
妻妾が贅沢な格好をしていたというのがどこまで本当なのかは解らないが、さもありなんと思う。
隣国との友好を訴えながら自衛隊や米軍は目の敵にする市民団体や、ボランティアを呼びかけながら豪邸に住む某アグネスを思い出すんだよなあ。

51 :
>>50
市民団体やアグネスを思い出すのならお前がおかしい

52 :
劉備に仕えた人材って、主だったメンバーってどの辺で劉備について死又は蜀まで付き合ったんだろう?

53 :
黄布賊の乱の前:関羽、張飛
平原の相に就任時:関羽、張飛、カンヨウ
孔融救援後:関羽、張飛、カンヨウ、孫乾
徐州の客将時代:張飛、カンヨウ、孫乾、麋竺、麋芳
曹操の客将時代:関羽、張飛、カンヨウ、孫乾、麋竺、麋芳
徐州時代:関羽、張飛、カンヨウ、孫乾、麋竺、麋芳、陳登、陳群(献策を却下されるとすぐに曹操へ)
袁紹の客将時代:張飛、カンヨウ、孫乾、麋竺、麋芳
劉表の客将時代:関羽、張飛、カンヨウ、孫乾、麋竺、麋芳、趙雲、徐庶(曹操に投降)、諸葛亮、陳到?
赤壁の戦い後の荊州南部占領:関羽、張飛、カンヨウ、孫乾、麋竺、麋芳、趙雲、諸葛亮、、陳到、ホウトウ、魏延?、黄忠?、カクシュン、カクヨク

54 :
>>53
簡雍や孫乾あたりは、劉備の私設秘書に近い感じだったのかな?

55 :
>>48
都合悪いからってゼロはないわー

56 :
魅力とゆーか性格とゆーか何か分からんが、
とにかく、個人として人を惹き付ける何かを持ってた人だったと思う
でなけりゃ、gdgd放浪時代に仲間や兵士が離散して、時代に埋没してたはず

57 :11/12/16
ていうか、魅力でもなけりゃ
あそこまで敗戦に次ぐ敗戦、壊走に次ぐ壊走についてくる人間なんておらんわ
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曹操「ユーアーマイ曹☆操☆い〜つ〜も」
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