2011年10月1期三国志・戦国三国時代の文学スレッド
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三国時代の文学スレッド
- 1 :11/12/12 〜 最終レス :11/12/18
- | 機
|*Д`)ハァハァ
雲 ノ )
゚ー゚) ∧ ∧ ∧ ∧ .∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧
( ヘヘ (´ω` ) . (´ー` ) (゚∀゚ *) (´<_,` ) (´∀` ) (・∀・ ) (‘∀‘ )
 ̄ //王\ / 徐 \ / 劉 \/ 孔 .\/ 応 \/ 陳 \/ 阮 \
.\) .粲ノ/\) 幹 ノ/\) 驕@ノ \)融 )/\) 瑒ノ/\)琳 ノ/\)瑀 .ノ/
./ ◆< ./..◆ < ./..◆< ./ ◆< /..◆< ../..◆< ./ ◆<
/ '´ ヽ).../ '´ ヽ...)../ '´ .ヽ. .((操)))/ '´ヽ..) ./ '´ヽ..)/ '´ヽ )
∠/ ノノ∠/ ∧ ∧/ . ノノ (・∀・)っ ∧ ∧ .ノノ .ノノ
(; ゚Д゚) 。・゚・⌒) (つ /. . (゚∀゚,, )
/ 丕 o━ヽニニフ )) | (⌒) 〔~植∪ ̄〕=
しー-J 彡 _ し⌒^ ◎――◎=
後漢末期の建安年間とその前後には、唐代以前の詩聖・曹植や
曹操・曹丕・曹叡など曹家の偉大な詩人たち、建安の七子などが
たくさんの優れた文学作品を残し、中国文学を著しく発展させました。
三国志の戦いや武将、社会情勢などが、
それらの漢文の重要な題材や背景となっています。
また、後世の中国・日本の文芸の題材にも、
三国志の英雄たちは多く取りあげられています。
文学的な側面からも、歴史・人物的な側面からも、
真面目に語るも気ままにだべるも良し。マターリ楽しみましょう。
三曹でも西晋でも蘇東坡でも土井晩翠でもなんでもおkかとミ ・∀・ ミ
まとめサイト
http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/
- 2 :
- 関連スレ
鄄城文学サロン
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1204710457/
- 3 :
- 最近、岩波の曹植の詩集を読み返してます。
帰宅途中や部屋の窓から外を見てると、冬は東京でも月や星が綺麗だなーなんて思うんですが
「明月澄清景 列宿正参差」
の詩句を思い出してしまいます。
曹植はもっと綺麗な夜空を見てたんでしょうけどね。
でも、冷たい澄んだ空に浮かぶ月や星って本当に綺麗ですよね。
それで、また読んでみるかって感じで。
やっぱり良いなと思って、語る場を作ってみました。
解説などはできませんが、気ままに紹介していこうと思います。
- 4 :
- 懐かしいスレタイが復活してるな
- 5 :
- >>4
実は私は、昔あった文学スレにはリアルタイムでは参加できなかったんです。
まとめサイトを読んでると、勉強にもなるし、良い気分転換にもなるし、
参加できなかったのが残念です。
中国文学もほとんど知らないし、いくつか詩を流し読みして「いいなあ」と思うぐらいだったので、
ここではもっと深く味わって楽しみながら勉強もできたらいいなと思ってます。
ちょっとこれから書いてみます。
- 6 :
- 時代は違いますが、たしか大正天皇が諸葛亮の詩を詠まれてますよね。
- 7 :
- 「明月澄清景 列宿正参差」
曹植の公讌詩の一節です。
公讌詩
http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/so_chi/koen.html
最初に読んだときから、詩内の他の句や、他の詩を差し置いて一番印象に残っている部分なんです。
曹植の文と聞いたらまずここが浮かびます。
もしかしたら、詳しい人に言わせたら「ここはそんなに重要じゃないよ」となってしまうかもしれませんが、
なぜだか惹かれるんです。
きっと、冷たく澄んだ空に浮かぶ月や星が好きで、この詩のこの一節がそういうのを連想させるからだと思います。
詩で詠まれてるのが初秋のことだっていうのはわかります。
でも、どうしたってこれで連想するのは冬の月星です。
どうしてか、考えてみました。
曹植の公讌詩は、宴の日の流動的な光景を見事に文字で描ききっています。
静止した風景じゃなく、動画を描く感じです。
それなのに煩雑じゃなくて、すっきりした言葉で描いています。
同じ場面で詠まれたらしい、曹丕の「芙蓉池作」の宇宙の描写が印象派で、
光の美しさを創作を交えて描いているのに比べると、かなり写実的に描いています。
写実的で、すっきりとしている。
その端正さが、冬の夜空を連想させたのかな、と思います。
曹植はどんな気持ちでこの詩を作ったんでしょう。
この詩、軽く読み流すとあっという間に終わってしまいます。そして、簡潔だなあと感じてしまいます。
上に書いたように、流動的な光景をすっきり表現してるからです。
(でも、詩句から情景を想像すると、あっという間に軽疾な馬車が並んで飛ばしてるのが浮かぶからさすがですね。)
これって、感情を迸らせて書いたらこういう詩にはならないと思います。
かなり冷静に、計算して書いてると思います。
曹植は、もちろん曹丕と兄弟仲良かっただろうし(詩を兄弟で唱和してるのなんかも、いいですよね)、
宴を楽しんでいたと思うけど、この詩を作るときには、醒めた頭で、宴の熱気に流されず、
孤独な局外者、観察者になっていたんじゃないでしょうか。
現実の宴の場は、沢山の人で賑わっていた。
でもこの詩は、楽しい賑わいと、孤独な曹植の世界の、二重世界になっているように見えます。
そして、後者として世界を浮かべたとき、私は、その光景を前者の何百倍も美しいと感じてしまいます。
- 8 :
- 私は、秋の夜空よりも冬の夜空の方が好きです。
冬の夜は、音が全部夜の闇に吸い込まれてしまったように、背筋がぞっとする程静かですよね。
張り詰めた空気は清澄で。
その中にいて、ひんやりした白い月光や綺麗な星を見ていると、
宇宙と自分の間に何も隔てるものがなくて、心の中を直に照らされてるような気持ちになります。
秋の月は、それに比べると弱いなと思ってしまうんです。
東京でなければ、もっと綺麗なのかもしれません。
それとも、私の感性の問題かもしれませんが。
月や星を楽しむにも色々なやり方があります。
みんなで集まって楽しむこともできるし、孤独に楽しむこともできます。
個人的には、宇宙を心が吸い込まれそうな程美しいと感じるのは、一人でいるときです。
公讌詩の情景を、孤独な曹植の世界として見ると、月や星だけじゃなくて、馬車が並んで駆ける様子も、
林立する鮮やかな蓋いも、坂を覆う蘭も、池に浮かぶ蓮の朱も、魚の立てる波も、澄んだ夜に響く鳥の声も、
車に絡んで足を速める風も、どれも背筋がぞっとするような、非現実的な美しさを帯びると感じるんです。
ほのぼのとした幸せな美しさではなく、心を抉るほど強烈な美です。
虚構の美だから、冬の月星の下に、秋の花が咲き誇ることができます。
それも、冬の月星と同じ性格を持って。
でも、そういうことができるから言葉の世界っておもしろいと思います。
確かに、公讌詩は宴会の盛大さ・楽しさや、主催者の威徳を褒めるためのものです。
でも、曹植の使った詩句は、その枠に収まらない情景を想像させてくれます。
「飄颻放志意 千秋長若斯」
(私はゆらゆらと天にものぼる心地がし、心の馳せ行くがままに任せる。
ああいついつまでも、このようでありたいものだ。)
これを素直に解釈すれば、「兄上の宴は本当に楽しい。良い日に、景色も綺麗で、気の合った仲間達と、楽しいことをして、
こんなに幸せなことはない。このまま時間が止まって、いつまでもこの日が続けばいいのに」
です。
でも、私が感じたように読むと、現実よりも美しい言葉の世界を創り上げた曹植が、
自分の言葉の世界の中で自由に解き放たれ、歓喜の叫びを上げている姿が浮かんできます。
- 9 :
- >>7-8は、建安文学や漢文学に詳しい人が見たら、つっこみ所がありすぎると思います。
詩句を見て抱いた素直な印象で、推し量っているだけだし、
あまりに自分の好みに引き付けて詩を読んでいるのは自覚しています。
つっこみはお待ちしてます。
でも、詩の読み方って一つじゃないと思うんです。
たとえ、それが古代中国人が彼らの文化の中で詠んだ詩であれ、
現代人がそれを読んで、彼らの考えもしなかった解釈をして美しいと思ってもいいと思うんです。
- 10 :
- 孔融 六言詩
漢家中葉道微 漢家中葉にして道微(くら)し
董卓作亂乘衰 董卓衰えに乗じ乱を作る
僭上虐下專威 上を僭(なぞ)らい下を虐げ威専らとす
萬官惶布莫違 万官違い莫く布を惶れ
百姓慘慘心悲 百姓惨惨心悲し
漢王朝も代を重ねるとその繁栄に陰りが差して来た
董卓はその衰えに乗じて乱を起した
皇帝陛下に対しては僭越な行いをし下々の者を虐げて権力を欲しいままにする
朝廷の人間で呂布を恐れないものはなく
天下万民が無惨な有様となり心に悲しみを感じないものはいない
漢王朝は衰えた!なんていう言葉の入った詩を
献帝の前で堂々と発表しちゃうのだから孔融は凄い
- 11 :
- >>6
ええ!
これですよね。
出師表(大正天皇御製詩集より)
http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/others/emperor_taisyo.html
今日、まとめサイトを読んでてちょうど読んでた詩です。
大正天皇は、日本史で好きな人物の一人です。
好きになったきっかけは、下のFLASHです。
たくさんの人に見てほしいと思います。
絶対に、人口に膾炙したイメージが変わると思います。
http://www.geocities.jp/flash_okiba3/flash/taishou.html
孔明の七言絶句、まとめサイトによると大正五年の作だそうなので、
第一次世界大戦の最中ですよね。
それも題材に関係してるのかな。
二音、二音、三音の音のまとまりも、「謀・表」「劉・秋」の押韻も、綺麗です。
内容も、日本人の孔明好みのツボがよくまとまってますよね。
ただ、それだけにこの詩からは天皇の人柄はあまり見えてこないかな、と感じました。
例えばこの詩を、他の日本人の有名な漢詩人の詩だと言われても納得してしまうと思うんです。
ちょっと他の大正天皇の詩をぐぐって見てみたんですけど、
他のの方が、優しくて繊細な性格が伝わってきました。
- 12 :
- >>10
漢王朝は衰えた、と言ってしまうのもすごいけど、「董卓」「布」と実名を明らかに書いてるのもすごいですね。
孔融がこれを朗唱した時、献帝とか重臣とか、恐ろしい董卓や呂布の名前にビクッとしたりしなかったのかな。
惨い事をした人物の実名が呼ばれるって、そういうことだと思うんです。
名前が出ただけで、事跡も蘇る。
まして実際に体験した人はなおさらでしょう。
この詩が優れてる理由には、それもあると思います。
(そういえば、悪人の名前を呼ぶか呼ばないかって、洋の東西で真逆だったりします。
東洋では本名を遠慮なく書く、呼ぶ。西洋では、決して呼ばないようにする。)
孔融の人柄は、この詩からよくわかります。
本当に剛直で大胆不敵。
時事問題を過去の歴史上の出来事に仮託するのは漢詩でよくありますけど、
孔融ははっきり今の時代を詩に詠んでる。
建安文学を気骨、慷慨の文学というなら、この孔融の詩はまさにだと思います。
それに、詩に詠まれるべきは政事なんだっていう信念も見えますね。
彼の世代は、まさに乱世のまっただ中で、魏の母体ができあがってから詠まれた詩とは雰囲気が全然違う。
六言っていうのも特徴的。
漢字の音として、四音が一番安定するらしいです。
五言詩、七言詩は、わざとそのバランスを崩してテンポを良くしたんですよね。
でもこの内容だと、偶数音の方が合ってると思います。
- 13 :
- 同じ気骨、慷慨の詩でも、
三曹や若い世代の七子の意識には新しい魏があって、孔融の意識には滅んでいく漢があった。
だから両者の作風には隔たりがあるし、漢が魏に滅ぼされたように、孔融は曹操に駆逐されてしまったんでしょうか。
外科医の摘出手術みたいです。
曹操の集団の中で、孔融は異物と見なされてしまったと。
でも、魏のエネルギーの最盛期が王朝成立前っていうのが皮肉ですよね。
帝国になった魏は、頽廃が進んで文学も違った色を帯びてきます。
- 14 :
- ちょっと、孔融がこの詩を発表したときの場面を想像してみました。
確かに>>10の通り、初句で万座に衝撃が走りそう。漢室の衰えは誰もが感じていたと思います。
でも、誰もが思ってるだけで口にしないことを、口に出すのってすごいことですよね。
その後に続けて「董卓」「呂布」の実名。
献帝も朝臣も、董卓に蔑ろにされてた頃を思い出して苦い過去を噛み締める。
そして極めつけに「天下の万民は……」
孔融は、この詩で檄を飛ばしたんですね。みんなが現実を直視して世の中の平定に力を尽くすように。
間違っても、蒼天航路みたいににんまり得意げにポーズを決めて読んではいない。
漢が滅びそうだからこそ、孔融の詩は人の心に響いたんだろうし、
漢が滅びそうだからこそ、孔融自身も死ななきゃいけなかったんだろうなあ。
- 15 :
- 七子に選ばれてない呉質ってかわいそう
- 16 :
- こんばんは。
>>15
呉質、私も気に入ってる人物なんです。
初めて名前を知ったのは、まだ三国時代の文学に興味が無かった頃。
曹真の事を調べていて、呉質に体型をからかわれたのを見つけたときでした。
えー、曹真って太ってたんだー、かっこいいのに意外だ!と思う一方で、
この呉質っていうのもつまらないことするなあって思ったことがあります。
呉質が好きになったのは、文学に興味を持つようになって
曹丕の「魏文帝与朝歌令呉質書」「魏文帝与呉質書」を読んだときなんです。
曹丕は呉質には自分の弱いところも見せられるんだなあって。
本当に親友だったんでしょうね。
昔は、人とコンタクトを取るのが今よりずっと大変だったと思うんです。
今だったらメールで一瞬だけど、曹丕は遠く離れた場所にいる呉質に、人の手で手紙を書いて送った。
「会いたい、会えない」っていうのも、現代よりずっと強かったでしょう。
建安含め魏晋南北朝の詩で「この楽しみは得がたいものだ」って言葉がよく出てきますけど、
本当にそうだったんでしょう。
だから書く手紙にも特別な思いを込めるんでしょうね。
ところで、曹丕の手紙以外で意外なところで呉質の名前を見て、笑っちゃったことがあるんです。
不意を打たれたというか。
ちょっと、紹介してみます。
- 17 :
- 李賀 李憑箜篌引
呉糸蜀桐張高秋
空白凝雲頽不流
江娥啼竹素女愁
李憑中国弾箜篌
崑山玉碎鳳凰叫
芙蓉露泣香蘭笑
十二門前融冷光
二十三糸動紫皇
女媧錬石補天処
石破天驚逗秋雨
夢入神山教神嫗
老魚跳波痩蛟舞
呉質不眠倚桂樹
露脚斜飛湿寒兎
書き下し文
呉糸蜀桐 高秋に張り
空は白く 雲を凝らし 頽(くず)れて流れず
江娥 竹に啼き 素女 愁う
李憑 中国に 箜篌を弾ず
崑山 玉砕けて 鳳凰叫び
芙蓉 露泣いて 香蘭笑う
十二門前 冷光を融かし
二十三糸 紫皇を動かす
女媧 石を錬って 天を補う処
石は破れ 天は驚き 秋雨を逗(も)らす
夢に神山に入って 神嫗に教うれば
老魚 波に跳(おど)り 痩蛟 舞えり
呉質眠らずして 桂樹に倚(よ)り
露脚 斜めに飛び 寒兎を湿(うる)おす
- 18 :
- 中唐の詩人、李賀の詩に呉質の名前が見えます。
どうやら「呉剛」の間違いらしいのですが。
呉剛は、唐代の説話集「西陽雑俎」に、次のような話が残っています。
「月には高さ五百丈ものもくせいの木があり、一人のひとがいて、常にそれを切っているが、
すぐにその切り口がふさがってしまう。
その人の性は呉、名は剛。仙人の修行の途中で過ちを犯し、月に追放されて木を切り続ける罰を受けたのだ。」
でも、呉剛の間違いだったとしても、他の呉じゃなくて呉質に間違えられたのって
運命じゃないの?とか思ってました。
この詩に出てくる李憑は、玄宗皇帝お抱えの立て琴の名人らしいです。
ちょっと、現代語訳を書いてみます。
呉の絹糸と、蜀の桐とからなる素晴らしい立て琴。たけなわの秋、その弦が張られれば、
空は灰色。雲が息を凝らし、くずれかけたまま動かない。
湘江の女神たちは竹の上に涙を流し、琴の名手・素女は烈しく感動する。
李憑が世界の中央で、立て琴をひき始めたのだ。
崑崙山に玉が砕け、鳳凰が叫んだのか、蓮の花がこぼれ、香り高い蘭の花がほほえんだのか──と思わせて立て琴は響き、
首都・長安の十二の城門のあたりで冷たい日差しを和らげ、二十三本の弦は天帝の心を揺り動かす。
人類創造の女神が五色の煉瓦を作って天を修繕するところへ、立て琴が鳴れば煉瓦は割れ天が驚き、秋の雨をこぼす。
かれが夢の中で神々の住む山に入り、老いたる神女に立て琴を教えたとき、年を経た魚が波間に踊り、
骨張った竜は舞った。
月の世界の呉質までが音色に聞き惚れて眠りもせず、もくせいの木によりかかり、夜露が斜めに飛び散って、
寒々とした月光を濡らしている。
- 19 :
- すさまじい詩ですよね。
李憑の演奏が、天地や、宇宙や、神々の世界まで揺り動かす。
地が揺れ動くのがどんなことか、日本人は、阪神大震災や今度の震災を目の当たりにして
知っています。
この詩の情景は、それよりもすさまじい鳴動です。
この詩の世界は、どんな映像でも再現できないと思います。
現実に、これほどの力を持った音楽はないと思います。
これは、言葉の世界だからこそできることです。
李賀の詩には、パワーがあります。
二十七歳で死んだ、痩せこけて白髪が混じった頭の男の中には
計り知れない鬱屈と爆発する力があったんだと思います。
幻想的、非現実的な、すさまじい言葉の世界を創り出すことで、李賀以上の漢詩人は見たことがありません。
>>7-8で書いたようなことを、李賀は素でやっていたと思います。
で、この詩の最後から数えて二句目に呉質がいるわけですけど。
呉剛だというなら、他の神話世界の言葉と並んでスケールの大きさを感じるだけなんですけど、
呉質が一人ぽっと混じってるとなると、おもしろさを感じますよね。
神話に呉質が混じってるんですよ。
「これは間違いだ」と言っちゃうのは簡単ですけど、建安文学好きには垂涎もののシチュエーションじゃないでしょうか。
呉質さん、何してるんだろう。
生前あくどいことをやった罪で、木を切り続ける罰を与えられたのかな。
それとも、女神・嫦娥のために月で詩を作っているのかな。
ちょっと気取って、腕なんか組みながらもくせいの木に寄りかかって、目を閉じて演奏に酔いしれてる
呉質の姿が目に浮かんで、なんだか良いです。
- 20 :
- 文学など糞!
文章は傾向の怠業というのを知らんか?
- 21 :
- 孔融 六言詩
郭李分爭為非 郭李は爭い分かち非(あ)しきを為し
遷都長安思歸 都を長安に遷して帰ることを思う
瞻望關東可哀 関東を瞻望すれば哀しくなるばかり
夢想曹公歸來 夢に想う曹公は帰来し
從洛到許巍巍 洛に従い巍巍(ぎぎ)たる許に至る
郭と李カクは権力を巡って決別してお互いに悪事を働いている
長安に遷都した後も(洛陽に)帰りたくてしょうがない
関東(の諸侯)を見れば(私利私欲の輩ばかりで)悲しくなるだけで
夢にまで見ていた曹操がやって来て
洛水の流れに沿って行くと大いなる都許昌に辿り着くことができた
曹公憂國無私 曹公は無私にして国を憂い
減去廚膳甘肥 廚膳より甘肥を減去す
群僚率從祁祁 率従する群僚は祁祁(きき)なりて
雖得俸祿常飢 俸禄を得ると雖も常に飢える
念我苦寒心悲 我が苦寒を念えば心悲し
曹操は無私で国を憂いており
自分の食事は甘いものや贅沢なものを全てなくして倹約していた
(そんな曹操だから)付き従う人も多いのだが
俸禄が出たとしても(曹操が倹約しても足りず)常に飢えるようなことになってしまっている
私に甲斐性がないばかりに悔しくて悲しくなって来た
>>10の続き
実は孔融の読んだ六言詩の主観視点は献帝だったのである
ヤバイ、皇帝を主人公にした歌とかマジ不遜
そして曹操のヒーローっぷりがハンパない
何でこれで孔融処刑しちまうんだ?ってくらい美化してる
そしてオチが酷い、時代劇のおとっつぁんになってる
- 22 :
- こんばんは。
>>21
すごい、>>10の詩には続きがあったんだ!
勉強になって嬉しい。スレ立ててよかったです。
ありがとうございます。
ちょっと思ったんですけど、献帝、「朕の気持ちがお前にわかるのか?」って内心面白くなかったんじゃないかな。
本当は許に行きたくなかっただろうし。曹操には憤懣やるかた無かっただろうし。
最後の「念我苦寒心悲」だけが別の意味で正しくて。
もちろんそんな事公言できないから、褒めるんだろうけど、それだと余計ストレスが溜まるだろうなあ。
こういう、ナチュラルに人の神経を逆撫でするような所が、曹操に処刑された原因だったりして。
孔融って、曹操に難癖つけてるだけだと思ってたんですよ。それもメチャクチャ上手な文章で。
だけど、こうやって一方では持ち上げ、一方では難癖つけてだと、曹操も「どっちなんだよ!」って
余計心証を悪くしちゃったりして……。
それからもう一つ感じたことは、孔融の詩って感情表現が直球ストレートですよね。
「悲」「哀」「苦寒」って、感情を表す言葉を直接使ってます。
曹植が吁嗟篇でこれでもかと比喩を使って悲しみを伝えてるのとは、
対照的に見えます。
- 23 :
- 「漢王朝は衰微した!」とか、悪人の名前を直接書いたりとか、皇帝になりかわって詩を書くとか、
詩中の感情表現だとか、それぞれの特徴を見ると孔融ってどこまでも素直な人だったんだなって感じます。
まとめサイトに載ってた文章と、それについての書き込みも見ましたが、
なんか思ってた以上に、とてつもなく面白い人に思えてきました。
- 24 :
- 後漢書と三国志では同じ正史でも孔融の扱いが大分違う
前者の孔融は後漢末の忠臣であり、王朝を護持しようと曹操に抗い、そして死ぬ孔家の英雄扱いだし
後者の孔融は魏初において虚名のみを恃みに、受命の君である曹操を邪魔する孔家の恥さらし扱い
>>1氏の史観はどうも三国志の魏側の視点ばかりから孔融を見ているように思えるのだが
ちょっと発言や詩作はロックだけども、彼は後漢朝廷と皇帝からは結構好かれてるからね
献帝なんかは相談事を持ちかけたりしてて不仲と考える根拠の方が薄弱かと思う
- 25 :
- 王粲 七哀詩 其二
荊蠻非我郷 何為久滯 荊蛮は我が郷に非ず 何為れぞ久しく滞す
方舟溯大江 日暮愁我心 舟を方べ大江を溯れば 日暮れて我が心愁う
山崗有餘暎 巖阿搶d陰 山岡に餘暎有りて 巌阿に陰の重なりを増す
狐狸馳赴穴 飛鳥翔故林 狐狸は馳しり穴に赴き 飛鳥は故の林に翔ける
流波激清響 猴猿臨岸吟 流波は激しく清響し 猴猿は岸に臨みて吟ず
迅風拂裳袂 白露霑衣衿 迅風は裳袂を払い 白露は衣襟を霑す
獨夜不能寐 攝衣起撫琴 独り夜に寐ること能わず 衣を摂りて起き琴を撫でる
絲桐感人情 為我發悲音 絲桐は人情を感じ 我が為に悲音を発す
羈旅無終極 憂思壯難任 覊旅に終極無く 壮んなる憂思に任り難し
荊州と言う田舎は私の故郷ではない(中原生まれ長安育ち)
それなのに何故こんなところで無駄に時間を過ごしてしまっているのか……orz
船を並べて大きな江(襄陽辺りなので恐らく漢水か)を遡れば
自分が老いていくだけで(日暮途遠:年老いるが道半ば 史記)憂鬱になる
山々にあるのは太陽の残光があるだけで(私の人生の光もこんなものだ)
川岸や崖も陰が濃くなっていく(私の人生もこんな陰ばかりだ)
(もう遅い時間なので)狐や狸ですら穴倉に走って帰るし
飛ぶ鳥も巣のある林へと急いで帰ってる(にも関わらず私は帰れない)
激流の音は綺麗だなぁ(現実逃避)、猿達が岸に向かって鳴き声上げてるのも聞こえるわぁ(田舎過ぎだろ!)
吹き荒ぶ風が服の袂を揺らし、夜露によって服はびっちょり(旅とかマジ辛い)
夜は(寂しくて)一人で寝るに寝られず、寝巻きから着替えて琴をかき鳴らす
琴は私の心が分かってるから、私の為に悲しみの音で慰めてくれるのだ
この旅は(戦乱からの逃避なので戦乱が終わらない限り)終わりがないのに
(旅のストレスによる)強い憂いにもう耐えられない(帰りたい)
相変わらずの豆腐メンタル王粲さん
当時の琴は親しい人にしか音を聞かせない楽器で自分の心情が伝わる楽器とされていました
「琴の音を知る仲」というのは義兄弟に匹敵する間柄なのです
なので某けいおんの平沢なんちゃらさんがギー太に感情移入してるかの如く
琴に惚れ込んでる、とかそういうわけではないです、そこだけは大事
- 26 :
- >>24
>>22-23はテンション上がりすぎでした。孔融を貶したかったわけじゃないんです。
新しい驚きだけで書いてしまって、献帝と孔融の関係も知らなくて。
でも、確かにずっと長い間、孔融への認識は魏の視点の通りでした。
まとめサイトと>>10と>>21を読んで初めてそうではない人物像に触れたんです。
でも、そうですね。曹操が孔融を処刑してるんだから、魏としては孔融をされて当たり前の人間に
仕立てないといけなかったでしょうから……。
献帝が孔融にした相談も気になるので、後漢書をあたってみます。
- 27 :
- >発言や詩作はロックだけども
確かに。私はむしろロックな部分を知って孔融を面白いと思ったし、興味を持ちました。
ただの旧態依然とした儒教的常識人だと思ってたんです。蒼天はやりすぎだとは思ってたけど、
それに近いと思っていました。
旧態依然なんてとんでもない、面白い、と。
詳しく知りたいので、もっと勉強します。
- 28 :
- >>25
長く哀しい余韻を残す王粲の七哀詩を、ありがとうございます。
「方舟遡大江 日暮愁我心」
「方」の字には、「(舟を)並べる」、という意味があるんですね。
王粲は誰かと一緒だったんでしょうか。
大江に舟が浮かんでいるって、漂白の身の上とか、どこへ行くのか途方に暮れている様子が
浮かんでしまいます。
舟の小ささと空間の広漠さ。
広漠な空間は、そのまま寂寥感や虚無感の大きさに見えます。
しかもそれが黄昏時だったら、行く手は暗がり、見えなくなるんですから。
(ここ、史記が出典だったんですね)
でも、一人ぽっち、ぽつんと広漠な大江に浮かんでいるわけではないから
完全な孤独ではないんですね。
それからここ、ピンときました!
「獨夜不能寐 攝衣起撫琴」
阮籍の詠懐詩の冒頭と似た表現ですよね。
詠懐詩
夜中不能寐 夜中 寐ぬる能はず
起坐弾鳴琴 起坐して鳴琴を弾ず
薄帷鑒明月 薄帷に明月鑒り
清風吹我襟 清風 我が襟を吹く
孤鴻號外野 孤鴻 外野に號び
朔鳥鳴北林 朔鳥 北林に鳴く
徘徊将何見 徘徊して 将に何をか見る
憂思独傷心 憂思して独り心を傷ましむ
琴は自分の心情が伝わる楽器だと知って合点がいきました。
演奏するのが他の楽器じゃなくて琴なのは、孤独な感情を表現したかったからでしょうか。
其二は、悲しみは悲しみでも、其一の悲惨で救いようのない光景とは違うと感じました。
- 29 :
- 文章は傾国の怠業というし、孔融は糞賊の代名詞
- 30 :
- この詩のために、家のベランダから撮ってみました。
クレーンが邪魔ですね。
http://kie.nu/2IQ
曹丕 芙蓉池作一首
乗輦夜行遊 逍遙歩西園 輦に乗りて夜行きて遊び 逍遙して西園を歩めり
雙渠相漑灌 嘉木繞通川 雙渠 相漑灌し 嘉木 通川を繞(めぐ)る
卑枝拂羽蓋 脩条摩蒼天 卑(ひく)き枝は羽蓋を拂(はら)ひ 脩(なが)き条(えだ)は蒼天を摩す
驚風扶輪轂 飛鳥翔我前 驚風 輪轂を扶け 飛鳥 我が前を翔る
丹霞夾明月 華星出雲間 丹霞 明月を夾み 華星 雲間より出づ
上天垂光采 五色一何鮮 上天 光采を垂れ 五色 一に何ぞ鮮やかなる
寿命非松喬 誰能得神仙 寿命 松喬に非ず 誰か能く神仙たるを得ん
遨游快心意 保己終百年 遨游して心意を快くし 己を保ちて百年を終へん
今まで載せたのは、訳を本からお借りしていましたが、
今回は自分で訳に挑戦してみたいと思います。
現代語訳
車を引かせて、夕方に遊びに出た。気の進むに任せて、西園の中を歩き回った。
並んで走る小川はともに芙蓉池に流れ注ぎ、その周りをめぐるように、見事な木々が立っている。
(夫婦のように対になっている小川といい、木々の見事さといい、言うことなしだ)
その木々の低い枝は、羽飾りをつけた車のおおいをかすめ、高く伸びた枝は、天まで届くよう。
速い風が、車輪が回るのを助け、飛んでいる鳥が、私の目の前を羽ばたいてゆく。
(風と一つになったようで、気持ちいい)
夕焼けに染まった霞が明るい月を取り巻き、輝く星が雲の切れ目から顔を出した。
頭上空は、地上に美しい色合いを見せる。その色合いは、千変万化して、何と鮮やかなことだろうか。
赤松子や王子喬のような永い寿命を持っていないのに、誰が神仙になることができるだろう。
今のこの時を心地よく楽しみ、自分を保って百年の寿命を終えたいものだ。
- 31 :
- 写真の夕方の空、実物はもっとずっと綺麗だったんです。
冬の夜空も好きですが、夕方も好きです。夕方は一日の中で一番空の変化が激しい時間です。
沈んでいく夕日を取り巻く雲は、薔薇色とも紫色ともいえない、微妙な色に染まります。
空は、太陽に近い所はピンクに近い色、遠い所は青や藍に近い色になって、
同じ色をしている所がありません。
夕日が山の向こうに消えると、一瞬、山の端から明るい光が漏れて、
その後、すぐに空全体が青に染まり、暗くなります。
この変化は、一瞬ごとに違いがわかるほど早く進んでいきます。
だから、見られるのはすごくラッキーなことで。
時間がある時には、ずっとベランダに立って日が沈むまで眺め続けています。
「丹霞夾明月 華星出雲間
上天垂光采 五色一何鮮」
この部分って、その時間を全部切り取って描いたものですよね。
刻々と変化する空をひと続きで切り取って表現しています。
丁寧に想像すると、二十文字の中に好きな光景がぎゅっと凝縮されているのが広がって、
なんだか良いです。
それに、見方によっては広がるのはすごく幻想的な風景だったりします。
空には月と星が輝いているのに、それを取り巻く雲霞は夕焼けに染まった薔薇色。
空の色は夕焼けの頃から夜に近い紫色の頃まで、グラデーションになってる。
印象派の絵画みたいです。
空の綺麗な時間の中から良い所を集めた、理想の最高の瞬間です。
曹植の公讌詩の印象は>>7-8ですけど、これは対照的な、ふんわり甘美な雰囲気です。
- 32 :
- 最後四句だけは、どうしてこういう締め方にしたんだろうって思うんです。
ここまでずっと楽しんで色んなものに目を向けてるのに、心を解き放ってるのに、
ふと現実に戻って心を自分の内心に戻しちゃってる、そう見えます。
個人的に、ですが、曹植の公讌詩に比べて心を抉るようなショックを受けない。
空の描写も、曹植のようにぐっと心をわし掴みにされる感じじゃなく、
あー、綺麗だなあ… ってこっちから眺めていく感じです。
大好きですけどね。
- 33 :
- 曹ミ・曹鑠を見てるから死にたくねぇなぁってことでしょ
- 34 :
- >>33
そうか、そうですよね。
忘れてたけど、曹丕も曹植も戦場を知ってるし、曹丕は特に宛城から脱出してるんでしたっけ。
よく出てくる「良い日は得難い」って表現と根底の気持ちは同じなのかも。
定命だからこそ、いつでも楽しめるわけじゃないからこそ、今を楽しもう、か。
- 35 :
- 戦場を知らぬ文弱の糞賊どもが何をほざくか!
- 36 :
- 洛神賦いい
洛神賦図いい
- 37 :
- 三曹は後世多大なる影響力があるしね。
- 38 :
- こんにちは。
>>36
洛神賦と洛神賦図巻、これですね。
動く洛神賦図巻
http://www.geocities.jp/qsshc/cpaint/luoshenfumarquee.html
洛神賦図巻と洛神賦
http://www.geocities.jp/qsshc/cpaint/luoshenfu.html
私もこの作品がとても好きです。
でも、この機会にもう一度じっくり読んでみたいと思いました。
下のリンクの、1〜21までの番号に沿って感想を書いていきたいと思います。
すぐには終わらないと思うので、その間に他の話題とか出しちゃっても大丈夫です。
- 39 :
- わたしはどちらかというと
洛人賦は修飾が過剰すぎて、読むの疲れる派だなあw
- 40 :
- 1.
この賦に感情移入できるのって、やっぱり「曹植の体験」として書かれてるからだと思います。
具体的な年号とか、地名を入れて真実味を出していますよね。
これがないと、普通のお伽噺みたいになると思います。
楚辞はそういう感じだったと思います。
儒教のイメージが強い中国ですけど、幻想的な文学はそれこそ古代からたくさんありますよね。
曹植も影響を受けてるだろうし、幻想文学は魏晋南北朝時代に志怪小説として大いに花開くようになります。
母体はきっと楚辞です。
この部分に出てくる「宋玉」は屈原の弟子で、楚辞関係の人だし。
その中で、人と神や仙女は恋愛的な接触をします。
「九歌」の「湘君」とか「湘夫人」とかで、シャーマンが神の降臨を求めるけど降りてきてくれない、なんていうのは
気まぐれな女性に振り回されてる恋する男の姿そのものです。
(ちなみに恋愛的発想は、儒学的文学にも取り入れられて、その場合は臣下が主君を思う描写に使われます)
恋愛的接触の形態は、時代によって異なってきます。
ざっくり言うと、時代が古いほど結ばれず、時代が新しいほど一度結ばれることが多くなります。
古い時代の作品に出てくる神女は、人間の男とくっつきません。
姿を現さなかったり、求愛に応じる振りをして気づくと姿を消してしまっていたり、
そういうのばっかりです。
人と神の住む世界は違う、と考えられていたからかもしれません。
新しい時代になると、道教が興隆します。
人外の世界へのシンパシーがぐっと強まり、仙人へのあこがれが生まれます。
そこで、仙郷に迷い込んで、桃を食べて仙人の力を得るとか、
仙人に出会って修行をして自分も仙人になるだとか、
仙女に出会ってして夢のような時間を過ごすとか、そういう作品が山ほど出てきます。
ただ、ずっと仙境で暮らしました、とはならないことが多いです。
一度帰って、もう一度戻ろうとしてもできなかった、という結末が多いです。
浦島太郎の物語もこの話形です。
曹植の洛神賦で、登場するのは神女ですよね。
そして、曹植は自ら結ばれない結末を選びます。
結ばれなかった甄皇后のことが頭にあったという説は、私もそうだと思います。
- 41 :
- >>39
修飾過剰、わかりますw
事実、私も>>38で「もう一度じっくり読んでみたいと思いました。」って書いたとき、
「よし、やるぞ!」って気合いを入れました。
丁寧に、気長に、気を配って読もうと思いました。
なんか、さらっと読むような作品じゃないですよね。
大好きなんですけど、忙しい時には……という感じではありますよね。
- 42 :
- そうなんですよー。曹植好きがこうじて図書館で
洛神賦の邦文を読んだんだけど、文章長すぎてウボァーとなりましたw
- 43 :
- 洛神=甄皇后説はなんというか、曹植独身でもないのに未練たらしいなーと思ったりする。
甄后が結婚したのが204年で死んだのが221年。曹丕と結婚する前に曹植が親父に甄皇后くれー
といったハナシ(信ぴょう性ははてな)を聞いたことがあるけど、それにしても横恋慕期間が長いような。
- 44 :
- その人が死ぬと気持ちが溢れ出すってのはあるかもしらんね
- 45 :
- >>43
それ俺も思った!
でも、妻子がいても初恋?の女性が忘れられないのが三国時代の男なのかな
- 46 :
- 曹操 ←初恋とか何だとか気にしなさそうな人w
- 47 :
- 曹植の初恋w
wiki調べ(wによると生年が192だから12歳のころかw青いのうww
- 48 :
- 曹叡の父親は曹丕袁煕でもなく、じつは曹操だったりしてwと無茶苦茶言ってみるw
あのエロおやじなら、十分やりかねない。もちろん甄夫人には口封じをするw
- 49 :11/12/18
- ただでさえ自分が袁氏の子なんじゃないかって悩んだだろうに
そんな説まで加えたら曹叡が可哀相だろ…
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