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2011年10月1期ワールドカップ88欧州選手権
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☆新勢力☆ヨルダン、レバノン、シリアが強い件
■今のランキングに基づくワールドッカップの出場枠
本田と香川のコンビって歴代最強だろ2
【誰か】タジキスタン代表【監督】
88欧州選手権
- 1 :11/09/01 〜 最終レス :11/12/08
- オランダ代表が躍動し、欧州王者を戴冠した大会について語り合いましょう
- 2 :
- 88ユーロといえば、ファンバステンの超絶ボレー
- 3 :
- うん、ボレーだな。
- 4 :
- デンマークが予選突破したのが不思議なくらいの出来だったな
スペインは相変わらずしょっぱかったし、珍グランドも酷かった
- 5 :
- 西ドイツも低調だったな
オラフ・トーン中心で攻撃したけど、トーンはコネコネするだけ
大会終了後はトーンは見切られてマテウス中心のチームになった
- 6 :
- スレ立てサンクスです。
沢山思いでありますが、まずはアズーリの光沢の有るユニに憧れ、それがディアドラだと知って憧れ、ビアリ、マンチーニ、ジャンニーニ、マルディニ、ゼンガなどのイケメンぶりに憧れた15の夜でした。
- 7 :
- あのころのイタリア代表はユニにメーカーのロゴ入れてなかったよね
サプライヤーはディアドラだったのか
名前忘れたけど、確か熱狂的サカヲタのデザイナーがデザインしてたんだよな
シンプルだけど、すごくカッコ良かった
日本代表がサッカーのサの字も知らないオバハンデザイナーに依頼して、不動明王の炎マーク入れられてたのと対照的だ
- 8 :
- オランダとソ連と西ドイツだけ
あとはクオリティ低かったな
- 9 :
- 西ドイツよりはイタリアの方がいいチームだったような。
イタリアのユニはアルマーニかな?シンプルでかっこ良かった。
オランダは金魚のウロコみたいな柄で正直言って気持ち悪かった。
- 10 :
- イタリアはヴィアリ、マンチーニの2トップが素晴らしかった
蛇の鱗ユニは西ドイツもセカンドユニで着てた
- 11 :
- ソ連は創造性はないけど、凄くオートマチックな動きしてていいチームだったな
後のアメリカ代表のようだった
- 12 :
-
>>9 オランダのうろこユニフォーム好きだけどなぁ
西ドイツは、うろこサブユニフォームを着てる試合は、苦戦してるイメージがある
1986ウルグアイ戦、決勝、 1990イングランド戦は着てる試合だ
- 13 :
- 86W杯は鱗ユニにはなってないな
ちなみに86年決勝のアルゼンチン戦もセカンドユニだった
- 14 :
-
失礼、緑ユニフォームの間違いね
決勝って、1986の事だからね
オランダは、ビンターは、 控えながら1988から2000まで代表だっけ
しぶとかったな
さんまが、ストライカーの連載で、 フリットはメディアで騒がれる程、大した事ないやん、と失望してたけど
改めて振り返ると、グーリットはすごい選手だったよね
- 15 :
- おっと失礼
86決勝も書いてあったね
オランダは初戦のソ連戦は前線でアヤックスのボスマンとファントシップ使ってたね
猛攻浴びせたけど、ソ連のカウンター一発にやられて負けた
途中交代でファンバステン入れたら攻撃が機能しだしたから、イングランド戦はボスマン、ファントシップを下げてファンバステン投入した
ソ連戦に勝ってたら、ファンバステンがユーロでスターになることもなかったかもしれない
- 16 :
- 自慢するつもりはないが俺はオランダ優勝&ファンバステン得点王を予想してたぜ。
1年前にダイヤモンドサッカー見てただ者じゃないのは判ってたからな。
カップウィナーズカップ決勝でファインゴール決めてた。
ライカールトがただ者じゃないのも判ってた。
さらに前年バロンドールのフリット、チャンピオンズカップ優勝のクーマン。
やっぱ凄いメンバーだったな。
- 17 :
- イングランド戦でクーマンの低弾道FKがホップしてシルトンが真正面なのにびびって弾いてた。
ベテランのミューレンもいい味出してたな。
- 18 :
- 当時ダサエフが世界最高のGKってかなり騒がれてた
スーパーセーブ連発してたけど、決勝はフリットにあっさりヘディング決められてた
90W杯のルーマニア戦でも正面に来たラカトシュのシュートをセーブできなかったし、安定感がないGKだったな
- 19 :
- ダサエフは安定感あっただろ。
高さはあるし反応はいいしキャッOは確かだし。
やられた場面ばかりピックアップすりゃそりゃ安定感無いように見えるだろうよ。
あのフリットのヘッドは至近距離からの強烈な一撃で止めればスーパーセーブってなもんだろ。
フリットは全くのフリーでシュートコース読めなかったし。
- 20 :
- フリットはドフリーだったからね
バステンのはしょうがいないしあの試合だけダサエフを評価するのは可哀そう
(90年大会はソ連選手全員がコンディション悪そうだったし)
キーパーといえばファン・ブロイケレン
マテウスのPKをあともう少しで止められず目茶悔しがったり
決勝のソ連PKは止めて思いっきりドヤ顔
上手いというより喜怒パフォが印象的
- 21 :
-
ブッフバルトは、1986も代表候補だったけどケガで登録できなかった
>>15 第一戦の敗因は、 ファネンブルクを下げて放り込みに終始した
と、ミケルスは非難されていた
>>18 ダサエフは1990では、2戦目からスタメンを外されていて
松本育夫が、ソ連の関係者に、どうしたの?と聞いたら
病気なんだ、という答えが返ってきた、と試合中な話してた
>>20 ブロイケレンも、元々、不安定なGKという評価だったからね
1990アイルランド戦は、 処理を誤ってこぼれたボールを取られて失点して、試合後に謝ってたな
- 22 :
- 80年代のソ連代表の集大成でしたね。88ユーロソ連代表は
- 23 :
- >>20
ベラノフはど真ん中狙うワンパターンのPKだったからね
あれは止められても仕方がない
- 24 :
- ソ連はほとんどがディナモ・キエフの選手だったな。
単一クラブを母体としていたため戦術面における完成度が高かった。
74年のオランダに相通じるものがある。
ミケルス率いるオランダに敗れたのは因縁めいているな。
縦方向への展開にスピードと迫力があった。
故ロバノフスキーの最高傑作でラテン系とは対極のサッカーだったな。
- 25 :
- 無得点に終わってPK外して戦犯扱いだけど、オランダ戦のベラノフはいいプレーしてた
アジリティと加速がもの凄くて、ちょっと気を許すと股抜きされてGKとの1vs1にもってっちゃう
突破をケアしてると、視野が広いからパス通されちゃう
マーカーのファン・ティヘレンが捕まえるのにメチャクチャ苦労してた
ソ連は確か、レギュラー選手はダサエフとアレイニコフ以外全員キエフの選手だったんじゃない?
- 26 :
- プロタソフはモスクワの選手だったと思う。
サバロフ、ミハイリチェンコ、リトフチェンコなど攻撃的ポジションにいい選手がいたな。
- 27 :
- ミハイリチェンコ見たさに、国立へ一人見に行った15歳の秋…、代表で名取のプレーを見て衝撃受けた俺は勝ち組でっか?
冗談はさておき、ソ連のサッカーは強いんだけど面白みを感じれなかったのと、ユーベが落ち込み出したのも、ミランに対抗してソ連の助っ人に頼り始めたころの記憶が…。
スレ違いスマソ。
バステンはダイヤモンドサッカーで1試合しか、日本では放映されて無かったけど、切り返しの深さに下を巻いたね、イングランド戦のハットトリックはどれもスーパーでしたな。
- 28 :
- そう言えば、ソ連の五輪代表が来たな
韓国代表対策だったのかな?
- 29 :
- アルゼンチンも来てなかったかな カニーヒアがいたような
>ソ連の助っ人に頼り始めた
ユーベがザバロフとアレイニコフ、ミハイリチェンコはサンプだったね
あと中盤のもう一人のリトフチェンコも上手かった。
イタリア戦で左足のシュートをバレージにブロックされるも
こぼれ球を間髪いれず右足でュしてゴール
ザバロフは左サイドを突破して左足でクロスすると見せかけて
その手前の右足アウトでプロタソフの追加点をアシスト
ソ連サッカーは教条的で教科書のようだとか言われるけど、
体力一点張りの西ドイツの比べると、個人個人がスキルがあって面白いと思うけどな
- 30 :
-
ソ連は、シュート練習の中で、切り返しの練習をさせてたのかな? と勝手な想像をしてしまった
1986〜1990の様々な試合で、 ソ連の選手はGKと一対一になった時
切り返しやキックモーションをしている事が多かったような気がするから
この場面で、 それぞれの個人の判断・技術にまかす、 ままだと、下手な人は下手なままだから
練習で体系化させた、か?
それと、ポジションチェンジも面白かった、 3〜4人が様々な動き方をして
スペースメークをして敵陣を崩していた
その事も、 ソ連はボールをこねるテクニックのある国とは
対局のサッカーを志向しているなぁ、と当時、感心した
- 31 :
- ソ連が絶賛されてるなw
派手なテクニックはないが、よく組織されてて玄人好みなチームだった
地味だけど左ウイングバックのラッツは運動量多いし、強烈なミドル持ってていい選手だった
- 32 :
-
>>5 オラフトーンはデンマーク戦で、セットプレーでヘディングで得点してたけど
身長の割に、 ヘディングが好きみたいですね
1980年代のシャルケ時代、 ドイツ国内のカップ戦の決勝バイエルン戦で
セットプレーのヘディングだけで2点決めてたからびっくりした
ジャンニーニもFKを蹴る方だけじゃなく、ヘディングで合わせるのも得意なようで
ソ連戦でも、惜しいシュートがあったし、
イタリアワールドカップでも、 何度か自分の頭で狙った事があった
- 33 :
- カニージャ来てたっけ?
トログリオじゃなかった?
同時彗星のごとく現れたロン毛のパワフルな2人組が来るのん期待してたけど、来日せずに肩すかし喰らった記憶が…。
振っといてなんだが、80年代を語るスレになってしもうたw
- 34 :
- それとライカールトも衝撃的でした。
ストッパーなのに、ボール捌いてはランニングして呼び込むオフザボールの動きは秀逸でしたね。
- 35 :
-
>>33 まぁいいんじゃないですか、 少し幅を持たせても
この大会だけでレスは膨らみにくいような気がするし
ファブリは、来日してませんでした?
>>34 ライカールトは未来のディフェンダーである、という記事が気になってしょうがなかったなぁ
1988ユーロ当時は、衛星放送での中継はないし
まさか将来、ようつべでネットから自由自在に昔の試合を見られるとは夢にも思えなかった時代だから
放映されない試合は永久に見れないものだと思って、歯ぎしりしたもんだった
すでにチェックされている方がいらっしゃるような気がしますが、 ようつべで
1986WC予選、オランダーベルギー戦 オランダードイツ戦の映像ありますよ
すでにフリットが試合に出てます
通な有志が多いから嬉しいスレですね、 レスがつくと反応も早いしw
スレ立てしてくれた方ありがとさんです
- 36 :
-
>>31 ラッツは1986フランス戦で、すごいロングシュート決めてましたね
あの試合、引き分けだったけど、ソ連はフランスを押していた
>>33 ソウルオリンピックでは、ソ連が優勝しましたもんね
ブラジルの選手が何人か悔し泣き(ロマーリオすらも泣いてたような気がする)していたのが印象的だった
- 37 :
- >>36
86年フランス戦のラッツのシュートは凄かったね
軽くドライブしてた
オランダ戦の決勝点もラッツの強烈グラウンダーミドルだった
ソウルオリンピックは地味に後のスター選手が出てる
西ドイツはクリンスマン、へスラー、リードレ
ブラジルはタファレル、ジョルジーニョ、マジーニョ、ロマーリオ、バウド、ベベト
イタリアはリッツィテリが出てたな
- 38 :
- リィツィテリって、後にバイエルンに移籍しましたよね
おそらく活躍はしなかったんだろうな、記憶にないし
イタリアって、 ビルディスでしたっけ? ミランの白髪のCFもソウル五輪に出てましたっけ?
この人、フル代表になった事は、ないですよね? ミランでは活躍してたのにな・・・
- 39 :
- トーンは引退したマガトの後を引き継いで10番を期待されてたんだけど
いまいちでしたな
恒例のシュスター復帰論が駄目になってやむなくスポットが当てられた感が
あったけど、荷が重すぎたか
- 40 :
-
リトバルスキの自伝では、 人間関係や派閥争いで締め出されたりして、代表に合わない選手はいる
と書いてあった アロフスと、他に2人の例をあげていたけど、今ちょっと忘れてしまった
シェスター、も良かったですよね 鋭さとシャープさのあるバルデラマという感じ
ボールタッチや、切り返しは、ふにゃっと柔らかいけど、 広くプレーもできてロングパスやロングシュートも得意で
是非ともユーロやワールドカップで見たい選手だった サッカーの歴史は間違いなく変わっていた筈
- 41 :
- そういえば、アロフスは欧州選手権前はレギュラーだったのにいつの間にか呼ばれなくなったな
マルセイユで同僚だったフェルスターも同じくらいに代表引退してたが何か関係あるのかね?
フェルスターは86年の後は怪我だか病気だかの理由でずっと代表に呼ばれてなかったけど、別の理由があったのかな?
- 42 :
-
リトバルスキの自伝は、今度、本を引っ張り出して読み返しますわ
バインは、 マテウスとエフェンベルグにハブられた、
とサッカーダイジェストの海外ニュース(100%信ぴょう性があるか不明)に書いてあった
1990ワールドカップ後、 レバークーセンにて、ブンデスリーガで一番のキラーパサーと言われていたのに
1992ユーロの頃は、不調かケガだったのかも知れないが、登録されてなかったよね
中田のように、強くて早いパスを出してたな
- 43 :
- クラウス・アロフスは確か大会前に怪我したんじゃなかったかな
直前のベルリン・トーナメント(ソ連やアルゼンチンが参加した)には
出てたはずだから
当時ジャンルカ富樫が西ドイツは嫌いだがシュスターが入れば
完璧なチームになれるとか言ってた。
ただシュスターって波ありそうだから、
シュスター中心に作ると良い時はいいけど悪いときはほんとチーム全体
に影響及ぼすからリスキーでもあるんだけど
- 44 :
- 西ドイツは欧州選手権惨敗後は大改革してるね
キャラが濃い中心選手は外されてないけど、控えは総とっかえに近い
インメル、ヘルゲット、ボロウカ、ブトケ、エックシュタイン、ドルフナー、ロルフとかが外されてる
ドルトムントのミルが途中交代で出てきて、不格好だけどゴン中山みたいなプレーして頑張ってたな
- 45 :
- リトバルスキは、ロルフだけが親友と言ってた
1986フランス戦では、プラティニを抑えてた(プラティニ自身の不調もあったけど)
シューマッハーには利用された、と憤慨してた
- 46 :
- 西ドイツとイタリアの開幕戦は、今だったら審判買収って、叩かれまくりだろうな。
- 47 :
- >>35
ファブリ!!!
居ましたね、リベロでしたっけ。
ヨウツベで過去の試合見れるんですか、仕事終わり次第チェックしてみますわ。
ドイツ代表っていつの時代も、一癖も二癖もある選手が居るんだね、それが主力同士だから問題なんだろうね。
- 48 :
- イングランドは結果は出なかったけど、中盤でグレン・ホドルがゲームメイクして1人で頑張ってた
随所に良いプレーして前線にいいパス何本も送ったけど、リネカーがことごとく外してたな
グレン・ホドルが出てきたのは、ブライアン・ロブソンが例のごとく大会途中でスペったからだっけ?
イングランドはロブソンの頃から、ランパード・ジェラードタイプの選手を中盤に据えるのが好きだよね
だから勝てないんだろうけど
- 49 :
- >>37
イタリアはーラ、デアゴスティーニ、カルネヴァーレ、タソッティ、エバニ、パリュウカも出てますね
ほとんどA代表みたいなメンツです
>>38
ヴィルディスも五輪に出てますね
オッサン得点王としてはヒュブナーの先輩です
- 50 :
- >>46 ブレーメのFKはコースもスピードもびっくりするようなモノでもない気がするけど
ドイツ戦、1986フランス戦、1990イングランド戦、 と相手の不安を現実化させるかの如く
嫌な時に決まる印象がありますね
>>47 南米に時々いる英才教育肌のタイプで、プロになるには才能がないとダメですよ
(当たり前ではあるけど、鼻につく言い方をしていた) シレッと言ってのけていたけど
1990カメルーン戦で、大緊張に陥って、敗因を作ってしまって、ビラルドに
「お前のワールドカップはもう終わった」とムゴい切られ方をされてしまって失速してしまった
同じ試合に出てた、センシーニとは対照的になってしまったな
- 51 :
-
>>>>48 悪くはないと思うけど、 ロブソンはマンUで無双だったしねぇ
イングランドでは、 中盤の底の選手が上がってゴールを狙うイメージがあるのかな?
同時期にいたリバプールのスティーブ・マクマホンも、 守備に重きを置いてはいるけど、
上がって行って、 ワンツーして崩してからのゴールが多かった
>>49 ヴィルディス、若白髪だと思ってたけど、年齢は高かったのね
- 52 :
- >46
イギリス紙の論評「わが国のハケット主審は開幕戦で地元が負けるのを恐れた」
ベッケンバウアー監督「確かに主審の不可解な判定(ゼンガのファイブステップ)もあったが、それはUEFAが処理すべき問題だ」
イタリア紙の論評
「まさにサッカーの両極端。残忍なまでに力まかせの西ドイツとテクニックのイタリア」
- 53 :
- >>50 ドイツ戦→1988イタリア戦
- 54 :
- マンチーニが90年でレギュラーから外されたのってどうしてだっけ?
ビチーニと仲悪かったから?
- 55 :
- >残忍なまでに力まかせの西ドイツとテクニックのイタリア
まさに言い得て妙
http://www.youtube.com/watch?v=wc_Cz2KRK5k
イタリアの先制点ってマテウスの軽率なパスをカットしたのが起点になってるね
ドナドーニ巧すぎや
- 56 :
- >>55
関連動画でゴール集見つけたので貼っておきます
http://www.youtube.com/watch?v=ktDdC05FC8A&feature=related
- 57 :
- >>26
プロタソフはドニエプルの選手
欧州選手権の前か後かわからないけど、88年にキエフに移籍してるね
- 58 :
- 此処まで、デンマークとスペインの話題が無しだね。
メキシコW杯では、それなりに活躍したんだけどね。
- 59 :
- 電マはいいところがなかったねえ
劣化しまくりのモアテン・オルセンが痛々しかった
唯一の成果はポウルセンがデビューしてゴール奪ったことかな?
- 60 :
- 現中国代表監督のカマーチョって
ブトラゲーニョやミッチェルと一緒にプレーしてた人?
あとベギルスタインも
- 61 :
- >>60
カマーチョは出てたな
レアルのマルティン・バスケスが好調で中距離のパスで見せ場作ってた
その後スペインのエースになるかと思ったけど、消えてっちゃった
ブトラゲーニョといい、昔のスペインはキャリア途中で失速する若手が多かった
- 62 :
-
>>61 マルティン・バスケスは1990ワールドカップではキレキレだったよ
ミッチェルもハットトリックを決めてたな
彼らとブトラゲーニョ、サンチースと合わせて、 レアルの4羽のブイトレ(ハゲワシ)と言われていた
けど、長持ちしたのは、 サンチースだけだったな
けど、今でもスペインって、 ポテンシャルが高いのに大ブレイクに至らない選手、多くない?
ビセンテ、名前ド忘れしたけどベティスでは無双だったドリブラー、レジェス、ディエゴ・トリスタンなどなど
まあ、それを言いだせばアルゼンチン、ブラジルですら、キャリアを通して並の無い選手は多くないけど
- 63 :
- イタリアはW杯に向けての強化の一環って感じだったね。
アンチェロっティ、デ・ナポリ、ジャンニーニとか
中盤に良い若手が揃った。
しかしジャンニーニは、伸び悩んだような気がする。
- 64 :
- ジャンニーニはバッジョに食われちゃったな。
- 65 :
- ジャンニーニはテクニックはあるけど、特徴が乏しかったような
1990では、スルーパスにひねりが無くて(タイミングや、裏をかく工夫が無い為)、ことごとくブロックされ失敗しまくっていたw
当たりに弱く、スピードも無いと言われていた
1990オーストリア戦 ビアリが相手に背を向けて、ダイレクトヒール
→ジャンニーニーも同じプレー→再びビアリが同じプレーをしようとして倒される
1990アメリカ戦 パスワーク中にこぼれて転がって来たボールを
ドナドーニが背を向けた体勢で、股の間をスルーさせて
それをジャンニーニがスイッチして、左足アウトでダイレクトシュートして得点
など局面では、 ブラジル人のような遊び があったのは好きだった
- 66 :
- それでもジャンニーニはパス出し地蔵ではなく、運動量は多かったな
トッティの前のローマの王子様だ
- 67 :
- ジャンニーニは好きだから、 ようつべで特集している動画を見ようと思ったら
ほとんど無かった・・・・ 熱狂的な地元のロマニスタ、作れよなぁ!
トッティは、再分化される程たくさん動画があるっていうのに
(ダイレクトパス集や、カッサーノとのコンビネーション集まで)
- 68 :
- マンチーニだかが言ってたと思うけど、
ビチーニは代表がミランやユーベの北部クラブの選手に偏らないよう
南部のローマやナポリからも万遍なく選考して、
ビアリのパートナーにはカルネバーレ(ナポリ)、スキラッチ(サルジニア島出身)を選んで
特にローマで試合する上ではジャンニーニは絶対外せなかったそうだ。
結果的にそういう政治的判断を代表選考に加えるのは間違いで、
特にビアリとはサンプで一緒にやってる自分が組むべきだったとか言ってた。
- 69 :
- マンチーニは、 当時のサッカーダイジェストのインタビューで
1990イタリア大会後、何で自分が出場できないんだ、ってビチーニに一対一で聞いたけど
納得できる答え(詳細は載ってなかった)はもらえなかった、とあるけど
>>68 こういう内容だったのかもね マロッキも一試合も出ていなかった
控えにすらならなかったので、 スラックスにワイシャツにベストを着た姿で
カメラがベンチを映しても、 いつも暗い顔をしていて気の毒だった
対照的にーラは、いつもニコニコしてカメラに手を振っていた
- 70 :
- この年の欧州選手権って、東京12chが深夜に放映してたような記憶が
同じような時期に行われた、コパアメリカも日曜の夕方放映してたね。
この当時は、アイルランドって何?って感じで、知っている選手は、ユーベに居たことがある、R ・ブレディぐらいだった。
- 71 :
-
>>66 ジャンニーニは飛び出しも良かった
ボールを受けるのもうまくて、GKと一対一のチャンスを作ったり
味方のワンツーを横取りして、 リターンを割って入って受けてシュートをしたり
ボールの扱いだけではなく、 動きでも、意外性を作れた
- 72 :
- >>70
テレ東が全試合放送したんじゃなかったかな?
決勝は深夜2時半だか3時から生中継で、他の試合は録画かな?
当時厨房だったが、決勝は生で見た
銀座ジュワイヨクチュールマキとかがスポンサーだったと思う
- 73 :
- >>72
数ヶ月かけて全試合放送してくれたのに自分も厨房だったが、偉く感謝した記憶有るよ。
決勝は久保田アナが現地で、釜本さんとアナウンスして修学旅行前だったのに臨場感抜群だったのと良い実況だった記憶が。。。
録画はダイヤモンドサッカーコンビで、行っちゃ悪いがうんざりした記憶も ^^;
>>56 スーパー感激、マジ思い出すわ〜
見て思い出したけど、アルファベット順で当時のアズーリは背番号決めてたとはいえ、イタリアのデアゴスティーニ程10番の似合わない選手は居ないよな〜w
- 74 :
- でもGLは正味30分弱ぐらいのダイジェストじゃなかったかな
うちの地域だけかな
あでも準決勝だけは90分近くやってたわ
ソ連のフォアチェックに次ぐフォアチェック、あのスタミナにはたまげた
- 75 :
- >>70
リアム・ブレディは左足一本のゲームメーカーで、左足で缶詰も開けられるってくらいの触れこみだったな
ユーロで見れるの楽しみにしてたんだけど、確か直前に暴力事件起こして長期の出場停止くらってメンバーから外れたと記憶してる
- 76 :
- >>70
20代くらいのニワカはアイルランドを大昔から欧州中堅みたいに扱ってるからな
この時のアイルランドは下馬評は完全アウトサイダーで勝ち点1上げられるかどうかだったよね
- 77 :
- この当時の状況と言うと、ベルリンの壁が崩れる前で、西欧、東欧だった。ユーゴ、ソ連、チェコが分裂してない。イングランドのクラブは、欧州カップ戦から閉め出しを食っていた。
ボスマン判決の前で、外国人枠があった。イングランドのクラブに移籍する外国人は、物好きと言われた。
- 78 :
- >>77
その頃の日本サッカーを取り囲む環境は、ひどかったしね。
西が丘の芝生なんて、今の若い連中みたらびっくりすんだろうね。
追い付け、追い越せで頑張り続けてる、関係者には頭上がんねーし、微力ながらJリーグ見に行き一生サポートするよ。
コーヒーうまー。
- 79 :
- >>77
締め出し食らってたころのイングランドリーグに移籍した目ぼしい外人と言えば、ミランジーニャだね
あのころのブラジル人はセリエにしか移籍しなくて、ただでさえセリエ以外の移籍は珍しかった
Jにも来たし、やっぱり変わり者だったんだろうな
>>78
あの頃の日本リーグに元セレソン主将のオスカーがきてくれたのには驚いたね
まだ若いロペスを連れてきてくれたし
ジーコの影に隠れてしまったが、日本サッカーへの功績はもっと称えられてもいいと思う
- 80 :
- 同じ頃、読売クラブには、ミルトン・クリスが来ていた。
- 81 :
- 88欧州選手権予選を記憶で辿ると
先ずスペインのグループ
ルーマニア=ステアウア・ブカレスト
がスペインと1勝1敗と粘るが
最終戦アウェイのオーストリア戦を
引き分けて万事休す。
- 82 :
- この時のルーマニア代表のリベロが
元サンフレッチェ、現レッズ監督のペロディディッチ
- 83 :
- イタリアのグループ
ポルトガルは、主力選手と協会が、試合報酬を巡って揉め
主力選手が代表に呼ばれない事態に
イタリアは、ホームで行われたスウェーデン戦で、ビアリが逆転ゴールを決め出場を決めた。
のをダイアモンドサッカーで見た。
- 84 :
- イングランドのグループ
ユーゴとのアウェイ戦の前に、リーグ戦が組まれ
ボビーロブソン監督が激怒。日程を変更してもらい、アウェイのユーゴ戦は、4-1で大勝。ユーゴはストイコビッチが孤軍奮闘って感じだった。
あとトルコは弱小国で引き分けたりすると、ニュースになった。
- 85 :
- 欧州選手権は今は本大会16カ国参加
今後はもっと規模拡大して24カ国になるらしいけど、広げすぎじゃないかね?
加盟国が53カ国だから約1/2が本大会出場することになる
加盟国が増えたってのはあるけど、小国に分裂したり単なる小地域がナショナルチームの資格与えられただけだし
昔はW杯よりもレベル高いって言われてたけど、中身が薄い大会になってしまうな
- 86 :
- プラティニの衰えとともに落ち目のフランスはホームでソ連に完敗。
その試合での活躍もあってベラノフがバロンドールに。
大会前、イタリアはビアリの成長が著しい時期、イングランドはリネカーが好調、スペインはブトラゲーニョ、デンマークはエルケーア、西ドイツはーとストライカーは各国揃ってた。
アイルランドのオルドリッジはリバプールでラッシュの後釜として大活躍。
得点王候補筆頭はリネカー、次点でビアリ、ブトラゲーニョ、ーって感じだったかな?
そんな中ミランでシーズンの大半を怪我で棒にふったファンバステンの前評判はあまり高くなかったように思う。
- 87 :
- ソ連のグループは上記の通り
デンマークのグループ
チェコとデンマークの一騎打ち、両者の直接対決は2分け。チェコはクビクとか良い選手がいたが、アウェイでフィンランドに負け脱落。デンマークもメキシコW杯の強さは無かった。
- 88 :
- アイルランドのグループ
メキシコW杯で活躍したベルギーが本命だったが、調子が今一つでブルガリアが出場かと思いきや
アイルランドが逆転で出場。ジャッキー・チャールトンの強気の采配が評価された。
- 89 :
- オランダのグループが抜けてた。
オランダはキプロス相手に大勝してたが、キプロスのキーパーに発煙筒が投げつけられると言う事件で、危うく負けの裁定が出そうだったが、無観客での再試合と言うことで、事なきを得た。
ここはギリシャが食い下がった。古豪のハンガリー、ポーランドの凋落が目立った。あとオランダは、イングランドと共にフーリガンの巣窟と言われた。
- 90 :
- ハンガリーは86年メキシコでソ連に6-0で食らってから、25年間まったく見せ場がないよね
予選では欧州最速で突破決めてそれなりにやると思われてたのにね
- 91 :
- >>88 アイルランドは、ブレディが出られなかったけど、 中盤には小粒ながら
左利きのシーディ、 リバプールのウィーランとホートンのコンビ、 チェルシーのタウンゼント
当時マンUにいた、後に選手が選ぶリーグMVPに選ばれたマグラー、 などなど層が薄い訳ではなかった
>>89 ヨニー・ボスマンが大量得点して、オランダ代表での一試合得点記録を作ったという出来事もあったりした
彼は、本大会で11番だった 1990では直前で大会登録選手から外されて
何故なのか、私にはわからない、 と憤慨していた
>>90 ハンガリーは、データーリってどんな選手か期待したんだけどね
1998のプレーオフでもユーゴスラビアにボロ負けしてなかったっけ?
- 92 :
- >>79
日本サッカーが感謝すべき優先順位はガチで
オスカー>ジーコ
だと俺はオスカーに伝えたい
- 93 :
- オランダと言えば、金髪のFWでキーフトって居なかった?
メキシコW杯予選プレーオフのベルギー戦で、得点してるんだが
- 94 :
- >>93
ヴィム・キーフト。アヤックスでゴールデンシューズ
イタリアに渡りピーサとトリノでプレーしてPSV
ユーロ92まで代表
ファン・バステン、キーフト、ヨン・ボスマンがCFだったね
90年代始めは広島にいたファンルーンがさらにこの控え
ガンバにいたヒルハウスはガンバ時代はCFだったが、代表ではサイド中心だったかな
- 95 :
- 今の人達って、マラドーナがバルサに居て、ゴイコチュアに脚を折られたりしたとか、リネカーがバルサにいたとか、チェルシーが2部に落ちるチームだったとか知ってるにかな
と年寄りの独り言
- 96 :
- アーセナルの立ち位置については完全に勘違いしてるだろな
- 97 :
- 82W杯以降90W杯ぐらいまでは完全にセリエAの時代だったな。
各国の主力クラスがセリエAに移籍し才能に磨きをかけていた。
堅守のセリエAで揉まれて勝負強さを身につけた選手が代表に栄光をもたらすというパターンが続いたね。
プラティニ、マラドーナ、フリット、ファンバステン、マテウス、ブレーメ。
なかなかいい時代だった。
- 98 :
-
>>94 個人的には良い選手と思うけど、キーフトは
1994の予選の頃、 オランダ特有の合議制によりw
彼は我儘で、一緒にプレーするとチームのバランスが悪くなって迷惑だ
と選手一同が監督に進言して、代表から外された
1990エジプト戦でも、 センタリングをライカールトがまたいでスルーして
それをキーフトが半身の体勢でアウトで合わせてゴールした
- 99 :
- キーフトはポストプレーが抜群に上手かったな
あと、かなりのイケメンだった
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