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神聖ローマ帝国 第二帝国


1 :11/01/19 〜 最終レス :11/11/28
962年から1806年まで中欧に存在した政体について。
1300年ごろの版図→ http://www.euratlas.net/history/europe/1300/index.html
前スレ
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/whis/1110257427/

2 :
神聖ローマ帝国第二帝国って何ですか?

3 :
>>2
普通、第二帝国って言ったら「ドイツ帝国(1871年〜1918年)」のことを指して、
「神聖ローマ帝国」は第一帝国、「ナチス・ドイツ」を第三帝国というふうに呼ぶけど。
まぁ、ナチスの勝手な呼称だし、神聖ローマ帝国は第一帝国だし。良く分からないや。

4 :
「神聖ローマ帝国について語るスレpart2」
という意味のタイトルに過ぎません。。ハイ・・・。

5 :
2スレ目だからなんじゃない?
>第二帝国

6 :
>>5
ああ、そういうことか。変に深読みしすぎてたorz

7 :
センスなさすぎ>スレタイ

8 :
神聖でもなく、ローマでもなく、帝国でもない。
その上「第二」でさえない。

9 :
けどEU統合で最近は再評価されてる
群小諸侯が連携してフランスを食い止めたり

10 :
第二帝国といえば陸軍は邦国単位だが海軍は帝国直轄
すると将兵たちはやはりドイツ全土から集めてたのか?
海軍への徴兵システムはどんな風になってたんだろう?

11 :
>>8
ワロタ
第二くらいは認めてやれw

12 :
>>陸軍は邦国単位
16世紀になるとマクシミリアン一世の帝国改造で
帝国は10個ぐらいのクライス(県みたいなもの)に分けて
群小諸侯が多い地域では諸侯は資金を出してクライス軍を形成してる
外敵に対して諸侯が金を出して皇帝を援助するケースもあるね
海軍はさっぱりわからんな

13 :
三十年戦争でヴァレンシュタインが海軍がなくて臍を噛んでるから
なかったか、あっても微少なものだったんじゃないか?
ハプスブルクにとってバルト海は戦略対象外だったし
地中海も、そこまで出れた頃には、スペインが主導していたし

14 :
>>4-5
「古代ローマ帝国を継ぐ、”第二の帝国”」だと俺は思ったw。

15 :
ハンザ同盟諸都市の海賊船が主力かな?

16 :
気分が落ち込んでいて元気を出したいあなたへ
http://www.youtube.com/watch?v=pEdoLKknCi0&feature=related
気分が高揚しすぎてこころを落ち着かせたいあなたへ
http://www.youtube.com/watch?v=Q3mXYLj-FGc

17 :
スレスト

18 :
age

19 :
教皇と宗教的な権威について争ってた頃は神聖と言えるかもしれない

20 :
西洋人のパチモンローマ帝国の歴史は長い。

21 :
>>19
叙任権闘争のことか?
あれも結局は教会財産の分捕り合いみたいなもののような気もしないではないが…

22 :
>>3
過去 (Das Erste)
現在 (Das Zweite)
未来 (Das Dritte)

23 :
本当は1300年頃は、神聖ローマとかイングランドとかフランスなんて存在しない
ローマ諸国連邦の一部

24 :
リチャード教のデキータ宗をなめんじゃねぇ〜ヽ(^o^)丿
リチャァ〜ド\(^o^)/
初代リチャードさまはな、偉大なやつなんだぞ!!
わかってんのか?あん?
リチャードだよ?リ・チ・ャ・−・ド!!!!

25 :
>>20
夢想(東ローマ系などは除く)
古代ローマ帝国−カロリング帝国−神聖ローマ帝国−フランス帝国…中央アフリカ帝国

26 :
エチオピア帝国もキリスト教が国教。

27 :
東フランク王国

28 :
滅亡の仕方がぶざまだった。
「国家滅亡はぶざまにきまっている!」と言われるかもしれないが、
それでもやはり、ぶざまな滅亡だと言わざるを得ない。
最後の皇帝が、
「封建領主どもは、どいつもこいつも好き勝手なことばかりしやがって。
皇帝をなんだと思ってるんだ。もう、俺なんかいなくたっていいだろ。
やーめた!」
と言って、退位してしまったのだ。
側近がつっこむ。
「あんたもその封建領主の一人でしょ」
「あ、そういやそうだったな。うわぁはっはっはっはっ」
こうして神聖ローマ帝国は滅亡しました。

29 :
あるいは、
「え?俺って神聖ローマ皇帝だったの?オーストリア国王だってことは知ってたけど、そんな位についていたっけ?ところで神聖ローマ帝国って何?めんどうくさいからもうやめようよ」
こうして滅亡した。

30 :
>>28-29
いちいち的確な感じでワロタwww

31 :
東ローマ帝国の滅亡では、皇帝みずから陣頭に立ち、
首都を包囲する敵の軍勢に斬り込んで、壮烈な戦死を遂げた。
同じ「ローマ帝国」だというのに、滅亡の仕方や皇帝の態度は、まったく
雲泥の違いだね。

32 :
政治体制が全然違うから比較する意味がない

33 :
西帝国も気がついたら皇帝がいなくなっていた。

34 :
まあ確かに東ローマ帝国の最期といったら世界史でも有数の壮烈さだからなぁ
神聖ローマ帝国のあっさりさとは比べるべくもない
コンスタンティノス=ドラガセス=パレオロゴスさんマジ漢すぎるだろ

35 :
ドイツよ、全てに冠たる、
世界に冠たる我がドイツよ!
マース川からメーメル川、
エッシュ川からベルト海峡まで
護りの為めに いつも
兄弟の如く団結せば
ドイツよ、汝は全てに冠たる、
世界に冠たる我がドイツなり!
Deutschland, Deutschland über alles,
Über alles in der Welt,
Wenn es stets zu Schutz und Trutze
Brüderlich zusammenhält,
Von der Maas bis an die Memel,
Von der Etsch bis an den Belt
Deutschland, Deutschland über alles,
Über alles in der Welt.

36 :
ナポレオンには「自分は西ローマ皇帝」とは思ってなかったのかな。カール大帝の故事に因んだ戴冠をしたり、息子をローマ王にしたり、意識はしていたような気がするけど。

37 :
>>36
欧米の指導者は常にローマ帝国を意識しているよ
あのブッシュ元大統領(子供のほう)
は911のテロの後にアメリカもローマみたいに潰れてしまうのでは
と考えて、ローマ帝国についての勉強会をしたそうだし、

38 :
>>37
アメリカ合衆国の大統領って、強大な軍の統帥権と行政上の強い権限を持っています。
元老院に推戴されて帝位についた初期のローマ皇帝とかさなる部分があります。

39 :
軍の総司令官インペラートルと法律執行の拒否権たる護民官特権か。
州知事の力も強いしなぁ。多民族国家だし。確かに似てる
でもまぁ沿革上は19世紀の立憲主義の下の君主大権が、何故か21世紀に生き残っている
不思議な民主主義ってことなんだろうが。

40 :
アンヴァリッドのナポレオンの墓にはローマ皇帝と刻まれてたのを見た

41 :
アメリカは露骨に古典ローマを気取っているところがあるけど、
EUは完全に神聖ローマ帝国化しているだろう
最初にEUを構想したEU官僚たちはまだ生き残っているだろう?
一度どういった形のローマ帝国を夢想していたのか
聞いてみたいものだな
ちなみに通貨統一が夢物語だった時代の統一通貨モドキの
記念貨幣にはカール大帝が刻まれていたけど
カール大帝は古典ローマ的ローマ帝国を夢想していたのかな?
ビザンツのパクリでいいと思っていたのかな?
まさか神聖ローマ帝国みたいな形の封建諸侯分立を夢想指定のかな?

42 :
>>41
カール大帝とビザンツ女帝のエイレネの婚姻による東西ローマ帝国の統一が
企てられたと聞いています(出典は忘れてしまいました<(_ _)>企画したの
は当時の教皇庁のようです)。
ただ、エレイネがその後に廃位されて流刑になった為、この企ては消えて
しまいました。
当時の教皇庁が古典ローマ的ローマ帝国(コンスタンティヌス大帝の時代の再来)
を夢想していたのかもしれません。

43 :
神聖ローマ帝国の全盛期は何時なんだろうな
版図だけで言うとカール5世の時なんだろうけど
いまいち神聖ローマ帝国としてカウントする気になれない不思議

44 :
ハプスブルク帝国を省くならザクセン朝の頃じゃないかなぁ
ハインリヒ二世とか?

45 :
「辺境伯」とか「選帝侯」は名前がかっこいいな。

46 :
>>40
やっぱり。

47 :
名前を初めとして中二病くさい連邦
選帝侯が名前だけの帝国官職もってたり
ちなみにビザンツは過去の栄光に固執する老害帝国

48 :
日本の江戸時代でいえば薩摩や長州みたいな反幕府の諸侯がうじゃうじゃいたという感じだからな
それに加えてケルンみたいな聖界諸侯もいたし
日本にも比叡山や本願寺教団があったが信長家康が勢力を弱めたので神聖ローマ帝国ような聖界諸侯
化することはなかった

49 :
日本の坊主は本願寺とか一向衆以外ショボいでしょ。
一神教でかつ、冠を授ける天皇みたいな力があった
キリスト教とはかなり違うなぁ。

50 :
宮中伯ってのは、日本だと内大臣みたいなもんかな?

51 :
>>50
初期には文字どおり宮中に伺候して職務を行う皇帝の側近としての役目も負っていたので内大臣というより政府の大臣に近いかな?
後には地方での諸侯の監視も役目になるけど

52 :
じゃあ江戸幕府の大目付みたいなもんかなあ。

53 :
>>49
一向一揆以外にも比叡山の僧兵や法華一揆などがいた
和歌山の新義真言宗の根来衆も相当実力をもっていた
>>50 >>52
江戸幕府における旗本みたいなもんじゃないの?

54 :
皇帝の一覧見てたら、
ロタールとルートヴィヒは
前者は2世が、後者は3世が欠番で
いきなりズップリンゲンベルク家のロタール3世、
ヴィッテルスバハ家のルートヴィヒ4世が
ポッと現れるのですが、欠番になる理由は
何かあったのですかね?
あわせて、ルートヴィヒは2世も
ロタール1世の子なのはわかるのですが
20年も在位しながら、治績やエピソードが
分かる資料が見当たりません。
何した人だったのでしょう

55 :
ロタール1世の子、ロタール2世は帝位に就かずロタリンギアの王だったがどうもカウントするみたいだ
ただ、カウントせずにロタール3世を2世とする場合もあるみたい
盲目帝ルードヴィヒ3世の方は901-905年に在位してる
ルードヴィヒ2世のエピはググれば英語版やドイツ語版wikiあたりで簡単に読めると思うが……
文献ということであればピエール・リシェの Die Karolinger. Eine Familie formt Europa とか?

56 :
>>44
ザクセン朝の頃はそれこそ「神聖」でも無いし「ローマ帝国」とも名乗って無いからな
まあ皇帝って言えば当時の誰が聞いてもローマ皇帝だからそれは良いとしても、神聖ではないし
「神聖ローマ帝国」としてはカール5世が最盛期としか言い様がないんじゃね?
広大な版図はむしろ最もローマ帝国的と思うが、イタリアを含まないのが画竜点睛を欠くな

57 :
盲目帝ルートヴィヒ3世ってそんなのがおったんですね
アルヌルフ帝の息子、ルートヴィヒ小児王とは別人ですよね?
カロリング朝の皇帝はアルヌルフ・フォン・ケルンテンが最後で
以降オットー大帝まで皇帝はいなかったかのように
書いてある本もあるんですが、
じゃあその本はスカタンですね。

58 :
>>56
カール5世は両シチリア王も兼ねてるしイタリア北部諸都市も緩い支配下に置いてる
全土を完全に、ではないけどイタリア含んでるよ

59 :
>>56
カール五世をいれないって前提設定は俺じゃなくて>>43なんでそっちに言ってくれよ

60 :
>>59
「カール5世を含まない」じゃなくて「イタリアが領土に含まれない」ってところを>>58で指摘してるんだが

61 :
>>59
長靴のつま先まであまねく支配した上、神聖とか言い出して以降でないとダメだってんなら、それは>>43に言ってよ
カール五世がダメだって言い出したのは俺じゃないんだから
それにザクセン朝の頃だって北イタリアの占領とローマでの戴冠はやってるんだし

62 :
自己レスしちゃったよw
>>60なw

63 :
>>61
落ち着け
認める認めないの話してるんじゃなくて
>>56の「イタリアを含まないのが画竜点睛」というのに対して
カール5世の支配領域にはイタリアのかなりの部分も含まれてるって話だ

64 :
>>63
あぁ、そこの部分を言ってるのか
俺が勘違いだったスマン

65 :
神聖童帝帝国

66 :
朕は神聖童帝である!

67 :
婚姻は他家に任せておけ。幸いな神聖ローマよ、汝は戦争せよ。

68 :
ハインリヒ6世の世襲帝国化計画が成功していたら
ドイツの歴史は変わっていたのだろうか?
だとしたら、帝国議会で大反対したケルン大司教アドルフは
別の意味でドイツの歴史を変えた男になると思ふ

69 :
固定化したドイツ王家なりドイツ皇帝家なりが成立したとしても
割と早々に男子断絶、血統消滅してなかったことになりそう

70 :
親父のバルバロッサがハインリヒ獅子公を討伐するときに
授封強制の前例作っちゃったから、ドイツ内での皇帝権力拡大は
難しかったろうな

71 :
選帝侯とか辺境伯とかは名前がかっこいいのな。

72 :
ドイツ語にするとさらに心地よく中二魂を刺激してくれる
帝国書記官長→ライヒスカンツラー
公→ヘルツォーク

73 :
ドイツの子供たちは神聖ローマ帝国期のダラダラとした長い1000年の歴史をやっぱり学ぶの?

74 :
カール大帝の頃から神聖ローマ帝国として学ぶらしいな

75 :
>>47
目、鼻、耳、手、ナニの内でどれがいい?
削がれる部位は。

76 :
ドイツの教科書も興味深いが、オランダやベルギーも知りたいところだな
日本ではマイナーな帝国諸侯のホラント伯やブラバント公の歴史も学ぶのかね

77 :
フェデリコ2世は神聖かつガチで格好良い

78 :
Reichは帝国じゃねーよっと

79 :
神聖ローマ王国

80 :
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ヽ,.-、, '  ________  さ い た ま 銘 菓    .┃
┃‐(.゚∀゚)‐<風が語り掛けます   _|_  ┬─ ┬─     . ┃
┃ , '`,、',、  二二二二二二二二   .|  .ノフ  ノ口      ┃
┃∩( ゚∀゚),<うまい、うますぎる     食曼  豆頁       ┃
┃ Y  イ   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄      (株)十万石ふくさや ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛

81 :
>>77
中央公論からカントーロヴィチの「皇帝フリードリヒ二世」やっと出たね。
厚い本を買ってきたばかり。

82 :
>>81
http://www.chuko.co.jp/tanko/2011/09/004257.html
これですか。
ボリューム満点ですな。

83 :
流れ切りでスマンが、いつ頃から「ドイツ」って言う地名が使われ出したんだろう?
それ以前は「ゲルマニア」って呼んでたのかな?

84 :
>>83
wikipediaにはこうある。
『Deutsch (ドイチュ)の原義は「民衆、大衆」で、フランク王国時代にラテン系言語ではなく、ゲルマン系の
語を用いるゲルマン人系一般大衆をこう呼んだことに由来する。』
『それまで国名にドイツが冠されていなかったが、15世紀からは「ドイツ国民の神聖ローマ帝国(Heiliges Rö
misches Reich Deutscher Nation」と称し』
『1667年にザミュエル・フォン・プーフェンドルフ (de:Samuel von Pufendorf) が著した書ドイツ帝国憲法
について (Über die Verfassung des deutschen Reiches) において初めて、ドイツ帝国という呼称が
確定できる。』
ローマ時代はゲルマニア。(の一部かな?)
フランク王国時代にザクセンとかバイエルンとか平定されて行った。その後フランク王国が分割されて東フラ
ンク王国になる。(ドイツ人という意識やまとまりはまだ無い)
力を伸ばした東フランク王オットー1世が西欧の盟主となってローマ皇帝として戴冠。(神聖ローマ帝国)

85 :
>>83
ハインツ トーマスの「中世の「ドイツ」―カール大帝からルターまで」はまさにその
問題を扱っている。今のドイツの地域を「ドイツ」と呼び出したのは、グレゴリウス7世
くらいの頃のイタリア側らしい。それ以前のドイツは84にもあるように、「民族の」と
いうような意味で、地域名ではなかった。それ以前は、アレマンとか
シュヴァーベンとかザクセンとかバイエルンとかフランコニアとか、部族起源の地域名を
用いていたようです。ザリエル朝の途中から国王はイタリア王とは別に
ローマ王を称するようになり、事実上ドイツ国王=ローマ王となったわけだが、
そのうちローマ王が皇太子の称号になったそうです。

86 :
>>84-85
サンクス。
そうすると、「ドイツ」が使われ始めたのは11世紀のイタリア。
本場のドイツ人が確実に「ドイツ」を自称とするのは15世紀以前ってところかな。
「ローマ王」の自称以前は、「東フランク王」としか呼んでなかったのかな?

87 :
>>86
西フランク王の国号は、わかりませんが、東フランク王の自称は「フランク王」
だそうです(「中世の「ドイツ」」によれば)。東とか西とかは、東ローマと西ローマと同様、
後世の学者がつけたものだと思います。。
 こちらWikiに、842年の東フランク王カールと西フランク王ルイの間での盟約
シュトラスブールの誓いのラテン語原文と英訳があります。
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Oaths_of_Strasbourg
 これによると、ロマンス語とドイツ語(teudisca lingua、romana lingua)
という表現は登場していますが、国王の称号は記載が無いのが残念です。
 同書に、1270年頃成立したとされる「大フランス年代記」に、「roi de France
(フランス国王)」「nation de France(フランス人)」とあるとのことなので、
東西両国王とも、9,10世紀あたりは、「フランク王」を自称し続けたのかも知れません。

88 :
>>86,87
東フランク王国という言葉は国号としても称号としても実際に使われているよ。
"rex in orientali Francia" 東フランクの王
"Regnum francorum orientalium" 東フランク王国
参考
ttp://de.wikipedia.org/wiki/Ostfrankenreich
Grimald von Weißenburg(800-872)というルートヴィッヒの宮廷に仕えた人が
残した史料で使ってるらしい。
参考
ttp://de.wikipedia.org/wiki/Grimald_von_Wei%C3%9Fenburg
ただし他には見られないようなので、"regnum Francorum"が一般的だったのかも知れない
(こちらは多くの史料に登場する)。

89 :
失礼しました。東フランクという用語は使われていたのですね。
グリマルドという人は索引を見たら「中世の「ドイツ」」にも
載っていました。それによると、833年にルートヴィッヒドイツ人王の宮廷
司祭長になったときに、称号の変更が行われた、とあります。
更に、833年は、ルイ一世(在814-840年)の治世中なので、皇帝の領土の下位の
地域の称号だった、とあります。
一方、同書には、オトフリート・フォン・ヴァイセンブルグ(800頃-870年頃)という
同時代の修道士の著作「福音詩」では、ルートヴィッヒ王を「Frankono kuning(フランク人の国王)」、
「Frankono lant(フランク人の国)」と記載しているとのことです。
更にザンクト・ガレン修道院の修道士ノートカー・テウトニクス(950年頃-1022年)は、
オットー朝諸王を「Saxones reges(ザクセン人の国王たち)」と呼んでいたそうです。

90 :
追記
10、11世紀のフランス国王の正式称号も同書にありました。
教皇庁でも承認されていたその称号は「rex Franconum(フランス国王)」
「regnum Frankonum(フランス王国)」だそうです。

91 :
ドイツ史の本に「神聖ローマ帝国は、ドイツ王国、イタリア王国、ブルグンド王国から成る」みたいなことが書いてあったけど、
今までのレスから、この時代の「ドイツ王国」というのは後世の後付けの呼び名ってことか。

92 :
そういうこと。第二帝国からナチスドイツ時代のドイツ歴史学では、ドイツの
成立をできるだけ早期に求める風潮があった。その頃の研究書では、初期王朝時代
のドイツが「ドイツ王国」となっていても不思議ではない。このあたりは、
近代ドイツの歴史研究史についての文献を読むとよいかも知れない(どれどれ
とあげることはできないが)。現在でも民族主義色彩の強い研究者は早期に
求める傾向があるらしい。
このあたりは、史料に登場するDeutschという言葉の元になった単語を
どのように解釈するかで変わってくる(言語を指しているのか、民族名を
さしているのか、「民衆」という一般用語なのか、名詞なのか、形容詞なのか、
誰がその用語を用いているのか。イタリア人なのか、ドイツ人自身なのか、
ドイツ民衆なのか、皇帝なのか、教皇なのか)。

93 :
移動できない農民は「ドイツ」なんて意識しようがないけど、
ハンザ商人とか、バルトの騎士団なんかは大雑把な形で「ドイツ」を意識し始めてなかったのかな?
アイデンティティの形成は、やっぱ外部との接触がきっかけになると思うし。

94 :
ハンザ商人の時代は「ドイツ」を意識し始めていたかも知れないけど、
アイデンティティとしては、ザクセン人、シュヴァーベン人、バイエルン人の
方が一般的だったのではないかと思う。例えば一般に「ドイツ人の東方殖民」
とされる話は、史料や、より詳しい歴史書では、「ザクセン人」とかに
なっている。史料ではないけど、15世紀初のポーランドの歴史映画を見ていたら、
「シュヴァーベン人」という言い方が出てきた。
デーン人とか、ノルウェー、スウェーデンあたりは、国が分かれたからそれぞれを
呼ぶようになっているが、カルマル同盟みたいなのが発展して統一国家に
なったとしても、デーン、ノルド、スウェディシュの呼び方の方が定着し、
「ノルド人」みたいな全体名称は定着しなかったかも知れない。
同様のことは英国にも感じていて、Englandが語源のイギリスという言葉を
使うのには抵抗がある。ウェールズ人、スコットランド人、北アイルランド人に
反発されそうな感じがしてしまって。英語では、基本UK、たまにブリタニア
とか使うけど、絶対に地域名・民族名についてEnglandやEnglishは使わない
ようにしている(言語を指す時だけEnglishを使うが)。

95 :
71 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2011/09/08(木) 22:01:29.77 0
選帝侯とか辺境伯とかは名前がかっこいいのな。
       
            ↑
           あるある

96 :
神聖ローマ帝国っていったい何が神聖なの?この場合の神聖ってどういう意味?

97 :
教皇権、宗教界という意味。ローマ皇帝は、宗教界と俗界両方を統治するから、「神聖」と
「帝国」がついた。

98 :
だが神聖ローマ帝国の校庭はローマの皇帝でもなければ宗教界を統治してもいない訳だが。

99 :
まぁ校庭が皇帝ではないという点については肯定せざるを得ないなw

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