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2011年10月1期世界史17世紀に日本が満州族みたいに大陸を制圧したら
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17世紀に日本が満州族みたいに大陸を制圧したら
- 1 :11/01/20 〜 最終レス :11/11/01
- どうなる?
- 2 :
- 日本に中国人が大量に移住してくる
- 3 :
- 日本の公用語が中国語になる
- 4 :
- 日本人が中華民族になって、空いた日本列島にニダーがなだれ込んでそいつらが日本人になる。
- 5 :
- 中国人が日本食を食べ、j-popを聴きながら、日本製の漫画やアニメを見るようになる。
……なんだ、今と同じゃねーかw
- 6 :
- 日本人の支配する中華帝国の国号は「和」としよう。
東シナ海航路が国家の大動脈になるわけだから、
造船技術・航海技術は史実より発展するはず。
航海技術が発展したら、史実のように東亜に閉じこもらず、
世界中の海に進出して、東亜大航海時代が始まるだろう。
和帝国は各地に貿易拠点を築き、やがて欧州諸帝国と衝突することになる。
- 7 :
- なんとなくだが、少なくとも清の末路と同じにはならん気がする。
つか、多民族藩国維持型封建中華帝国と考えると、妙なロマンを感じる。
戦国日本の報賞制度の流れから、集権化が不完全に終わることで、藩国同士の競争が起こる柔軟性が残れば、
>>6の指摘する海洋国家化と相俟って、とんでもなく発展しそうだ。
産業革命は寒冷化の影響の少ない地域だから無理かもだが、少なくとも現実のように十馬身差をつけられることはあるまい。
- 8 :
- >>6
こんなの酷使様とラノベ厨のハイブリッド化したアホだろ
妄想小説は創作系の板でやれよ。
- 9 :
- うんにゃ、元々歴史的に日本には海洋的な文化が薄い。
多分変わらず鎖国してただろう
- 10 :
- 文明レベルの低い日本が中国化するだけだな
- 11 :
- インドのように中国大陸に藩国が乱立するようになるだろう。
- 12 :
- 官僚の半分を日本人で占めると規定した和漢偶数官制が敷かれて
丁髷と和服が漢人に強要されるんだろ。
- 13 :
- そして、公用語は中国語になり。
日本人の名前は中国名見たいになる。
- 14 :
- ちなみに織田信長も、統一した暁には明を攻めようとしてたらしいけど。
そうしたとしても寿命のあるうちに大陸を制覇することは出来なかっただろうな
次代の信忠が戦うことになっていただろう
- 15 :
- 三法師織田信秀は総帥としての実績がわからない。
秦のように三代で滅んだであろう。
- 16 :
- 日本全土が関白直轄領になって豊臣政権が安定する。
大陸に封じられた諸侯はそのうち勝手に争いだして日本とは疎遠になり完全に中国化する。
そして中国統一した大名が日本に攻めてくる。
- 17 :
- とりあえず中華民族のひとつに日本人も加えられていただろう
- 18 :
- 陸続きじゃないからすぐに崩壊だなあ
- 19 :
- >>10
自惚れの強い典型的なシナ人だな。
- 20 :
- 漢民族が「倭人」を自称していた後期倭寇は、
日中帝国のミニチュア版と言える。
仮に日中帝国が成立したとしたら、その文化や社会構造は、
後期倭寇の巨大版みたいな感じになるんだろう。
- 21 :
- >>19
日本が海洋への道を踏み出したのは明治になってからだぞ
それまでは長い航海ができる船もなかったし
大型船もすくない。
海とのかかわりが深くなったのは近代に入ってから
- 22 :
- 今でも一般人のほとんどが海とかかわりのない生活をしている日本は
海洋国家と言えるんでしょうか
- 23 :
- 今でも一般人のほとんどが海とかかわりのない生活をしている日本は
海洋国家と言えるんでしょうか
- 24 :
- フィリピンとかインドネシアも海洋国家かな
- 25 :
- >>20
後期倭寇の国家≠ヘ実在したんだよ。
鄭成功政権が、そういう意味の倭寇(つまり大半が中国人)の政権。
鄭成功自身も半分は日本人だったし、
軍勢には日本兵(鉄人と呼ばれた)も多かったのに、
鄭成功が台湾に作った国は漢民族社会になり、日本の影響は全然無い。
鄭成功軍に居た日本兵達も漢民族に溶け込んでしまったようだ。
「後期倭寇の巨大版みたいな感じ」
の社会とは、つまり日本人が漢民族に吸収された社会ということw
- 26 :
- なるほど
- 27 :
- >>21
敢えてシナ化しようなんていう奇特な民族は
朝鮮人を除いて世界には存在しません。
- 28 :
- >>21
それ、幕府がわざと大型船作るの禁止したから。
江戸初期は割と大型船作って東南アジアと交易してた。
もし大陸といっぱい物資のやり取りする必要が出るなら、いっぱい船作ったよ。
- 29 :
- 平清盛の頃から宋の造船や羅針盤導入がされ、遠洋航海が可能になった。
南北朝の天竜寺船の頃には、日本でも自前の船を建造して運営できるようになっていた。
江戸幕府の御朱印船貿易の中止の影響はでかいかもね。
- 30 :
- 歴代の支配民族みたいに服装や一部の人名を除いて漢化するだけでしょう。
そして19世紀頃には日本語が完全に文語・死語化して、現代では紫禁城の額などに
ひらがなの名残を辛うじて残しているに留まる。
- 31 :
- 水軍の存在を完全に無視しとるな。
- 32 :
- >>30
中国人の1億に対して日本人は2000万と割と人口が多いので日本列島は漢化されないと思うよ。
- 33 :
- 江戸時代って政治的意図的にテクノロジー水準を下げた時代だからな。
戦国時代に鉄砲の戦争をしていた武士が刀の闘いに逆戻りしたのが江戸時代。
時代劇に描かれた江戸時代で昔の日本を想像すると、
戦国時代については相当勘違いしたイメージが出来てしまうはずw
- 34 :
- 最初の100年はそれで政治的に安定して大成功だったんだけどな。
でもいくら安定してても国内だけの開発なんて速攻行き詰って
後半100年は大停滞。
- 35 :
- いまこそ 平清盛の業績をみなおそう!
福原に遷都を!
神戸港を物流のハブ港に!
- 36 :
- 金銀銅がとれたからそりゃ発展するだろ。
- 37 :
- >>35 福原は民家が建てこんでいて遷都などする土地はない。
内裏跡地は小学校敷地になっているしな。
- 38 :
- 2012年大河ドラマ、予定通り『平清盛』を放送してくれ。
平安末期には、海運国になっていたことを視聴者はみなおしてくれるだろう。
- 39 :
- もし日本が中原を奪い取り、大陸を制圧していたら、日本人が漢民族(中華民族)と化していたかもしれない。
漢民族
漢民族という言葉の下敷きとなった漢朝(前漢・後漢)では最盛期には人口が6000万人を数えたが、
黄巾の乱など後漢末からの社会的混乱や天候不順のため、中原の戸籍に登録されている500万人
を切った。この後は、次段落にあるように北族の時代を迎え、岡田英弘はこの時点でオリジナルな
漢民族は滅亡したと考察している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E6%B0%91%E6%97%8F
3章 漢民族滅びる
そして多数の異民族の侵入と征服、定住や移動という、ヨーロッパ大陸と類似した歴史を持つ
支那大陸において、漢民族という単一民族が存在するというのは、むしろ考えにくい。中国人の
作家柏楊氏は「醜い中国人」(カッパブックス)で中国では、外部から侵入した民族は定住すると
中国の漬物甕文化に溶かされて腐食して異物に変質同化していく、と批判した。
これは倒錯した仮説である。この説によれば中国には古来、漬物甕のような不変のものが
元々存在したということになる。つまり文明なり、文化が時間の経過とともに進歩しないで元の姿に
戻るということだからだ。昔から不変の文明を持つ漢民族なるものがいて、異民族を同化するという
ことだからだ。はヨーロッパの歴史からわかるように、このようなことはあり得ない。
<続く>
- 40 :
- >>39 <続き>
3.9 漢民族滅びる
杉山徹宗氏は次のように書くI。
時代は下がるが、特に三国時代 (三世紀)の末期、蒙彊の諸民族やチベット族が大挙して漢民族
居住地に侵入し、いわゆる五胡十六国時代(四世紀から五世紀ごろ)を現出させるが、これによって、
それまでの漢民族という人種をほぼ絶滅させ、異民族との混血による新たな漢民族を出現させた
ことは特筆すべきことであった。したがって隋(五八一〜六一九年)から始まる現在の中国人は、
新種とも言うべき漢民族なのである。
これは五胡十六国時代の説明である。18国あったうちのわずか3国が漢族であり、残りは
漢民族以外の異民族だと言うのだ。その上、これら諸国を異民族の後魏という国が平定して、
江北を統一したということなのである。ここにも漢民族の国家が滅びたことが書かれている。通論は
杉山氏の著書と異なり定説をのせた教科書的なものである。通論には滅んだ漢民族国家の民は
どうしたかと言えば、大量に南下して漢文化の南方への移植を果たしたとある。元来、揚子江流域は
開発は進まず、土地は肥沃であったが農耕生産も少なかった、とある。
農耕生産がすくなければ、当然人口は希薄であったに違いない。そして漢文化が南下したという
ことは、当時の揚子江流域には漢文化はなかった、すなわち漢民族はいなかったということである。
地図を見るに揚子江は河口付近が平地であるだけで、すぐ上流と揚子江南部は山地であり黄河周辺
とは地形が異なり人口が少なかったと想像される。
そして別項で述べるように、このころ南下したのは最初の「客家」と呼ばれる人たちである。そして
客家は移住先に混じることなく、独自の文化を維持していたというのは定説である。つまり南部に
新たに漢民族国家を形成することはなかった。つまり杉山徹宗氏の言う、漢民族も漢民族国家も
絶滅したというのは正しいといえよう。漢民族は隋帝国以前に絶滅したということは、歴史を考える
上で重大な事実である。漢字と古代中国文明を発明したあの漢民族は単に消えてしまったのか。
その答えは次章にある。
<続く>
- 41 :
- >>40 <続き>
中原にいた本来の漢民族は五胡十六国の時代を経て、彼らの言う夷狄により滅ぼされて言語も文化
も異なる北方系の新しい王朝、隋唐の時代となる。正確に言えば秦自体の出自も地理的に言えば、
春秋戦国時代にかつての周の西の外れにあったから、夷狄というべき西戎出身といわれる。いずれに
しても殷周の時代あるいは秦漢の時代に中原を支配した民族を漢民族とすれば、その後漢民族は絶滅
して新しい文化に置き換わった。かろうじて残ったのは漢字だけである。この経緯はギリシアローマが
滅びて、彼らの文字の発展形であるアルファベットだけが残って西欧近代世界となった経緯とも類似点
がある。現在のイタリア人もギリシア人も古代ギリシアローマの末裔ではない。
ちなみに古代ローマの末裔を主張しているのは文字通り現在のルーマニア、すなわちローメニアンで
ある。宋の時代とて支那大陸に外から定住した非漢民族が前王朝を倒したに過ぎない。大事な点は、
これらの非漢民族は支那で漢民族の言語風習を受け入れて漢化したのではないということである。
漢民族は滅びて言語も風俗も絶えたのであるから。これらの民族は自らの言語風俗を維持したのは
当然のことである。
四書五経の読み方は、作成された当時の漢民族の読み方から切韻というアルタイ語系の読み方に
変わっている。これは英語の文章を勝手にドイツ語読みしたりフランス語読みするのに等しい暴挙である。
風俗風習も同様で、隋唐以後は非漢民族の各種の民族が入れ替わり立ち代り支配するたびに、彼ら
自身の風俗風習を維持し定住していった。
彼らは決して秦漢当時の言語風習を取り入れて漢化するなどということはなかったのである。こうして
中国には各種の民族分布が出来上がっていく。モンゴルに支配された支那大陸はモンゴルが故地に
帰ると、支那大陸に定住していたどれかの民族が有力となって、支那大陸を支配する。これが明王朝
である。これを異民族を漢民族が追放したなどというのは間違いである。モンゴルにとって替わったのが
滅びた漢民族でありうるはずがない。それは秦漢の時代に北狄、南蛮、西戎、東夷と呼ばれた民族が
漢民族を滅ぼして中原と大陸を支配して定住したなれの果てである。
http://www.ac.cyberhome.ne.jp/~k-serizawa/sub2-3.html
- 42 :
- チベットビルマ系民族は、文化がアルタイ系(チュルク、モンゴル、ツングース)と似ていても
使っている言語はアルタイ語系ではない。
岡田英弘氏、杉山正明氏は、五胡十六国時代を、アルタイ語系慕容部が支配をしたように
誇張しているが、実際は言語不明系の拓跋・禿髪やチベットビルマ系の氐・羌が
多かったのに、簡単に「アルタイ語化」などと言ってしまう。
- 43 :
- それ研究者の言った者勝ちな状態だけど、素人からみると北朝の多くは戸籍統計どうだったの?民族別にきちんとした統計あるの?
漢人が当時の社会情勢から胡人に仮冒したパターンもすくなくないし多かったあるいは少なかってのは根拠あるのかね。
- 44 :
- >>39
中国の人口
まず中国の人口ですが、明の永楽帝(在位1402〜1424)の時の人口は六千六百万人を
数えていました。
日本はこの時、足利義満の時代ですが、人口は千五百万人と推定されます。つまり中国の
人口は五倍程度であって、現在のような十倍以上という開きはないのです。そして中国の人口は
これから減少に向かい、清の初めの順治帝(在位1643〜61)には二千百万人まで落ちています。
これは多分に内乱と外敵によるところが大きいと思います。一方、日本はこの間に二千七百万人
まで増加しました。つまり江戸初期、徳川家光の時代には、日本の人口は中国を上回っていました。
徳川家光はキリスト教徒またはその教義に脅威を感じましたが、建国間もない清国に脅威を
感じたふしはありません。そして、清中期になると中国の人口は爆発しました。すなわち、
康熙帝 (在位1661〜1722) 二千四百万人
乾隆帝 (在位1735〜1795) 一億七千七百万人
道光帝 (在位1820〜1850) 四億千三百万人
と急増し、江戸末期では日本の人口が三千万人と推定されますから、約十倍という現在の比率の
原型に近づきます。
http://ww1.m78.com/discussion/chinese%20population.html
日本民族は、織豊政権の頃、なんとしても明征服を成し遂げるべきだった。
そして、中国大陸の民を南方へ押しやるべきだった。
そうすれば、中国北部は日本領土、日本の首都は北京、皇居は紫禁城として今日に至り、
中国が得た人口大国への歴史は、取って代わった日本民族激増の歴史と化し、
今現在も日本の人口は、その後、日本支配から脱して中国大陸南部を領土とした中国より
多い状態となっていたに違いない。
日本人が「中国人」と呼ばれることになったかもしれない。
満州事変などの近代史も、史実とは大きく違ったものになっていただろう。
- 45 :
- 日本語なくなってたかもね。
- 46 :
- ペリーはどこにやってきますか?
- 47 :
- は?浦賀だろ。 つうか質問意味不明
- 48 :
- 結局、今までの征服王朝のように、漢民族化して、消えて言っただけだと思う<日本政権
- 49 :
- 十二ぐらいに国を分けて周王朝みたいな体制にするのが一番いいよ
- 50 :
- 普通に考えて日本が清みたいに中華人民共和國の東の島になって言葉もシナ語になって
今の台湾とか満州みたいに成ってんだろ
- 51 :
- 普通にって言っても数百年間属国だった朝鮮が独自性を保ってるんだぜ?
- 52 :
- >>41
孔子が人肉を食べていたという説があるように、中国人は伝統的に人肉を食材扱いしており、
カニバリズムの風習は近代まで続き、いったんは消滅したものの、文化大革命で一気に
噴出した。しかし、そのカニバリズムは、古代中国人からの伝統ではなく、北方遊牧民が
「中国人」に置き換わったことによってもたらされたものではないか?
西尾幹二が『国民の歴史』で書いているが、中国の「天」の思想は「Ten」という発音も含めて
もともと北方遊牧民の思想であると。
- 53 :
- 食人の本場といえば、広東広西という華南沿海部でそ
- 54 :
- http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%8B%E3%83%90%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0
>近代では、文化大革命時にも粛清という名目で人肉食が広西等で白昼堂々と行われていたという報告[20]がある。
>20.^ 後年の鄭義らによる調査とその報告。鄭義ほか著 黄文雄訳『食人宴席 抹された中国現代史』、
>1993年、光文社、ISBN 978-4334005436。
>立花隆は、『ぼくはこんな本を読んできた』(1995年、ISBN 978-4163510804)の中で本書を紹介している。
- 55 :
- 2007年の話ですよw
かい‐とう【械闘】
革命前の中国で、水利や地境などの争いなどを原因として起きた
や労働者集団間の武力闘争。清代には華中・華南に多かった。
広東省農民「オラの村が隣の村と戦争をはじめるらしいんだが…」
http://blog.goo.ne.jp/dongyingwenren/e/dbd9f05454ebcc6ef12699aaaeaba4e8
- 56 :
- >>52
孔子は子路が遺体を塩漬にされて晒し者にされる刑になったから、
塩漬け肉を食べなくなっただけだよ。その肉が人肉だなんて記録は
どこにもない。
- 57 :
- 孔子「塩漬けはまずい! ソース出せや!」
- 58 :
- よく日本では、敵をバッタバッタと斬り倒すことの形容として、
なますが切りやすいことから、「なます切りにする」と言ったりしたわけだけど、
そこから「日本は人肉食の国」ということになるのかね。
あれはそれくらいおかしな論理だけれども。
醢の場合、へんの酉部は発酵に関わるもののことで、つくりが塩から来ているから、単純に塩漬けを示すものだと解りそうなものだが。
敵意をもって読み解くからそうなるのよな。
例えば外国のトンデモ本で、前述の成句から「日本人は人肉食の習慣があった」と書かれても構わないのかねぇ。
構わないと叫んでまわってるようなものだけど。
広めた黄文雄あたりからしたら、本当に日本がそうみられても構わないんだろうな。
彼は台湾の独立のために日本の太鼓持ちやってるだけだから。
日本と中国の激突の中に活路を見出だそうとしているわけで。
- 59 :
- >>56
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Club/5916/jinniku.html
人肉食の基礎知識(1998年)
.
中国文学科 三年(当時) 池田 雅典
- 60 :
- >>59
そこにも書いてあるよね。醢(塩漬け肉)を捨てさせたが、この捨てた醢が
何肉かは興味深いところであると。つまり、何の塩漬け肉かはわからないって意味だが。
それに、そこに書いてある↓の文章が見えないか?
刑罰向きで手間のかかる人肉醢を大好物として大量保存してたと思うか?
そんなことやってたら、たぶん猟奇的な異常食人者扱いで史書に残ってるぞ。
特に脯と醢とは、刑罰として用いられることが多く、「脯醢」と一熟語に扱われるほどである。
思うに、脯と醢との刑罰向きな所は、他の二点に比べ手間と時間が多くかかる点であろう。
刺し身や鍋ではその場限りで終わりだが、保存の効く脯醢ならば、長い期間にわたって
食べるたびに恨みを晴らし、それだけ相手の霊を苦しめることになるのである。まあ臠や羹でも、
食べきれなかった分は脯醢にして保存するのだろうが。
この子路の件を以って孔子が人肉醢が大好きだったと主張してる黄文雄も孔子が捨てさせた
醢を何の根拠も出典もなく人肉だったと決め付けてるだけ。
- 61 :
- 現代の価値観に毒されすぎ。 昔は両脚羊にみられるように清代でも別段厭われる食べ物ではなかったんだがね。
猟奇的という発想自体が後世の価値観であって孔子がたべていないという証拠にはならない。
- 62 :
- >>60
この疑問に答えよ。
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5465360.html
- 63 :
- 弟子が塩漬け肉にされたというトラウマで塩漬け肉一般がイヤになった
というなどというセンスは哂うべきガキの感覚でありそんなものが歴史に刻まれる
はずは無い、という主張のようだが…はたしてそうかな?
>>62にとってはそうかもしれないが、歴史上の大半の人間が実は>>62から
見れば薄っぺらなガキという可能性もありうる
- 64 :
- トラウマは結構大きいぞ。
薄っぺらなガキというが、食べる度に愛しい弟子の記憶がフラッシュバックしては
楽しむどころの話しでないだろうが。
- 65 :
- 『渇すれども盗泉の水を飲まず』も同一のニュアンスだね。
知らないバカは居ないと思うけど、盗泉というのは地名。
孔子はそんな名前がついているだけで嫌だと言ってるわけ。
いくらガキくさいと言おうが、儒者という存在が、基本そういう形而上の事柄で云々する理論倒れのメンタリティなんだからどうしようもない。
この言葉を盗んだ泉の水というニュアンスで使うのは晋の陸機から。
- 66 :
- >>61
どっちにしろ、孔子が捨てさせた醢=人肉を説として
ぶち上げるにはあまりに根拠薄弱。
>>59のa-1にもあるだろ。やばい連中として記録されてる
食人者達についての記述が。
つうか両脚羊が広く普及した厭われぬ料理で、宋代から
清代まで連綿と続いてたって記録はあるの?
薬扱いが野蛮だったというなら、江戸時代に死刑執行を
行ってた山田浅右衛門家が死体を原料に薬を作って売ったり、
死体の全部や一部を売却してたのも同じことだな。
- 67 :
- ★古今東西の食人の歴史★
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1285703425/
中国人のカニバリズムの実態、資料はこのスレにたくさんある。
- 68 :
- だが共食いを全面肯定する生物があったとしたらその生物は
構成物質とエネルギーをどんどん失って消滅する筈である
しかし中国人は最も多い
つまり共食いは圧迫される少数派であり、たくさんの資料は
少数派をかき集めたものではなかろうか
- 69 :
- 人食いをずっとやっているとクルーニー病がはやるんじゃなかったけ。
動物などでもプリオンタンパク質の正体は共食いを嫌う因子の突然変異体と
を食らった人間が脳スカスカになるとか言う話だけど、そういう風土病が支那にあるとは
あまりきかんな。
- 70 :
- >>27
中国を征服した民族は大方”シナ化”しただろ
モンゴル人なんかはまだ独自の民族性を残したほうかもしれないが
- 71 :
- ハルハ族はうらんばーとるに帰りましたから(キリ
- 72 :
- 「帰」ってねーよ。今の独立モンゴルに居るのは最初から関内に移住しなかった連中の子孫。
- 73 :
- あれ?
北元なんかは中国から逃げた連中の政権じゃなかったっけ
- 74 :
- 喀爾喀蒙古は逃げ帰りましたよ
- 75 :
- ヤコブ病の症例が確認されたのはごく最近の話だからな。
仕組みもまだよく分からないことが多いし、人肉食=クルーニー病、ヤコブ病と
=で結ばれるのかもよく分からない。
因果関係の解明はまだこれからの段階で予断を許さない状況。
- 76 :
- 仮に大陸支配に成功したら、大和民族は中華社会の上位カーストになり、
生活文化は駄目な意味で貴族的になってしまっただろうと思う。
ヤンバン化と言えばイメージしやすいかな。
職人技を尊敬する文化は生まれず、近代化にも失敗するはず。
日本の近代化という事象が消えると世界史の流れも根本的に変わる。
有色人種と白人との文明格差は縮まらないままになり、
その時間線の21世紀は、かつての南アフリカの巨大版みたいな世界だろう。
- 77 :
- 満州族みたいに漢族に同化されていくだけだろ
- 78 :
- どっちかっていうと女真じゃなくて蒙古と同じようなルートを辿ると思う
- 79 :
- 大戦後に大陸・半島から日本人がほぼ駆逐されたところを考えると、過去の中原進出した諸民族の中でも
大和民族ぐらい盛大に失敗した民族ねえんじゃねえの
- 80 :
- 日本は対外戦争は経験無いからど下手くそだよね
- 81 :
- 中原にまで進出する意思は無かったのに、撃たれたら撃ち返すのが当然だ、
友軍の危機に援軍を送るのは当たり前だ、敵が敗走してるのに追撃しないでどうする、ってやってたら
ああなった。
- 82 :
- 物凄い場当たり的だな我が国は。
今の政府を見ているとまだ相変わらず治ってないみたいだが。
- 83 :
- ほんの65年前ぐらいまで絶頂期だったのにねーいまや世界経済からも退場しつづある日本。
どーしてこんだけ落ちぶれた?
世界史に日本が関わった時代って1870-せいぜい2010年代ぐらいまでで、後はポルドガルやトルコなみの存在感になりそう。
いやそれも見込みあまいかなあ・・・・・。
- 84 :
- 1945年の日本が絶頂期だと?
- 85 :
- 通商破壊戦やられて干上がる寸前だったなw
うーんそうすると戦前の大陸へイケイケドンドンの頃の絶頂期っていつごろになるんだろうか?
石油禁輸措置を食らう直前ぐらい?
- 86 :
- 大正時代のバブルにわいてた頃じゃね、といい加減なことを言ってみる
- 87 :
- 暗いだろうとお札に火をつけていた頃の成金か バブル時代の日本人と相通じるものあるなwwwwwwwwww
- 88 :
- >>77
日本語が満語のように死語になるようなもんですかね?
- 89 :
- 平仮名とか片仮名とか「日本文字」とか称されて
学術研究以外には使われない言語になってるだろうな。
- 90 :
- 終戦直後はローマ字表記案も真剣に議論されたからねぇ
- 91 :
- 史実なら間引かれてた余剰人口が中国に移民して和族になると思うが
中国から日本列島に何千万人も大挙移民するとは思えないので同化はしない。
- 92 :
- 民主党は一千万人中国人を日本に送り込むみたいだけど、どうなるのかなあ?
- 93 :
- >>91
蝦夷とか人口密度の低い地域には相当流入するかもしれんのう
- 94 :
- 満州に漢人が本格的に流入したのが百年とちょっと前ぐらいからなのに
海を隔てた土地に住み着くとは思えないんだけど
- 95 :
- もっと新しい時代で、仮に大東亜共栄圏が実現していたとしても、
共栄圏人口の過半数は中国語が母語なわけで、
漢民族が日本化する以上に大和民族が漢化してしまい、
結局、大東亜共栄圏は中華文明圏になってしまったはず。
漢民族は、日本に対する短期的勝利のせいで、
そういう長期的チャンスを逃してしまったのだ。
……というのが、趙無眠〈もし、日本が中国に勝っていたら〉の主張w
- 96 :
- >>95 いや大東亜共栄圏なら日本・朝鮮・満州・モンゴル・東トルキスタンというアルタイ系語族が日本語を使うようになって日本語が共通語になっただろう。
現に今でも日本語を使うシナ人は多いがシナ語を操れる日本人はその10%もいない。
チベット・ビルマ語族やヒンディー・ドラビダ語族、マレーポリネシア語族もシナ語より日本語を選ぶだろう。
- 97 :
- 支那人が辮髪ではなくちょんまげを結うようになったかも知れぬ。
- 98 :
- 日本は東夷にあたるので尊皇攘夷な朱子学は認められるかどうかわからないね。
日本風にアレンジした水戸学が生まれるかどうか?
名目であれ天皇を中心にした新政権をスムーズに樹立して西洋に対抗できるようになれるかな。
19世紀に滅倭興漢や扶日滅洋など色々めんどくさいことになって
日本中国あわせて欧米の植民地になってるかも。
アメリカとロシアが日本や満州で戦争したりしてたかもね
- 99 :
- 日本に来ないって言ってるやついるけど、中国の人口が増加したのはトウモロコシの輸入による
開拓地の急激な増加だぜ?当然食い詰めた貧農が百年ぐらいかけてドンドン来るに決まってんだろ
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