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2011年10月1期世界史ドーチェのローマ帝国復興は可能だったのか? TOP カテ一覧 スレ一覧 削除依頼

ドーチェのローマ帝国復興は可能だったのか?


1 :11/03/08 〜 最終レス :11/10/04
ローマ帝国の復活を目指して各地に侵攻したムッソリーニだが、果たして可能だったのだろうか?

2 :
まず、ローマ帝国旧領はムッソリーニ政権獲得の1922年段階で
トルコ/ブルガリア/ルーマニア/ギリシア/ユーゴスラビア/ハンガリー/アルバニア/ハンガリー/イタリア/教皇庁/サンマリノ/スイス/モナコ/ドイツ/ルクセンブルク/オランダ/ベルギー/フランス/アンドラ/イギリス/スペイン/ポルトガル/エジプト/ヨルダン
の24カ国に分かれていた。
このうち本国のイタリアと実質属国のサンマリノは置いておいて、あと22カ国からどう旧領を奪回するかとなるな。

3 :
エチオピアってローマ旧領関係ないやん

4 :
>3
いいところに気づきましたねえ。
エチオピアで役人軍団に返り討ちにあうくらいなら地続きでユーゴやハンガリーを攻め取ったほうが良かったのです。

5 :
「ファシズム」という言葉の乱用されっぷりは酷ぇな。
ちょっとは意味考えて使えよって感じ。横文字造語の宿命か(笑)。

6 :
>>5
ヨーロッパでもアメリカでも、程度の低く声だけはデカい人が乱用しまくっていて
その手の人とつるんでる日本の同類さん達も、無批判に使ってるだけ。横文字云々のレベルじゃない

7 :
あるサイトで読んだのだが、
5・15事件がファシストの犯行と報道されたことに
ムッソリーニは激怒して「イタリアはファシズムを輸出しない」と言ったらしいね

8 :
>>2
ローマ帝国領のアルバニアは制圧できたが、
フランス・ギリシア・エジプト侵略はドイツを頼らざるを得なかったな

9 :
要は4亀のコレだろ
ttp://www.4gamer.net/weekly/hoi2/006/hoi2_006.shtml

10 :
簡単に倒せそう サンマリノ ブルガリア ルーマニア ハンガリー アルバニア ルクセンブルク アンドラ ポルトガル
意外と手こずる ギリシア ベルギー オランダ スペイン ユーゴ
イタリア単独では無理そう ドイツ フランス イギリス 教皇庁 スイス トルコ
当該国の軍は楽勝だが外国軍がいるので厄介 モナコ エジプト ヨルダン
こんな感じか。22カ国倒すのって時間かかりそうだな。

11 :
1922年なら周辺国も第一次大戦の後遺症でへたばっているはず。
まずは軍事侵攻でユーゴスラビアあたりから征服だな。
イタリアンが住んでいるダルマチア返せと言ってこっそりマケドニアまで併合。

12 :
ユーゴスラビアよりイタリアの方が後遺症でへたばってるだろ…
むしろヴェネツィア取られちまうって。

13 :
どう見ても伍長閣下の帝国に入れてもらって、
「神聖ローマ帝国ですね」と媚を売って
伍長閣下をローマ王に任命してもらって
自分は二代目か三代目のローマ王にしてもらうほうが
現実的ではないかと思うのだが

14 :
東部戦線で赤軍にどつきまわされるイタリア軍にフン族にけちらされるローマ軍の面影を見た。

15 :
ロコふるーちぇ

16 :
無理に決まってるだろ。

17 :
ローマ帝国うんぬんは無理だとしても、イタリアが第2次大戦で「連合国への好意的中立」の立場をとっていれば、ドーチェは大戦後もフランコみたいなポジションにいられたんじゃね
イギリスはイタリアに対して「お願いだから参戦しないでくれ」と懇願していたわけだし、参戦しなければ大きな恩を売れたかと

18 :
>>17
ベニート・ムッソリーニ Interview
http://cruel.org/books/mussolini.html
 「今回の一連の会話のなかで、純粋な人種などというものはないと宣言したはずです! そんなものがあるという信念は、ただの幻想、感情にすぎません。しかしだからといって人種がないことにはならない」
このドゥーチェのインタビュー見る限り、すげえ冷静な人物なんだよな。
何でWW2なんかに参加しちゃったんだろう。
1945年のベルリンのフューラーにも「イタリアは参戦しなければ良かった。100%足手まとい。」って激怒されてるし。
中立保ってたら、確実にフランコ以上のポジションだよ。
内戦もなく、国内経済も安定しているし、荒廃後のヨーロッパの光じゃん。

19 :
ドゥーチェが言うには「講和の席で勝ち組に座るために1000人くらい犠牲になってね」って話なので
フランス降伏でイギリスも講和するだろうから戦争が終わると読んでたんじゃないか。

20 :
>>19
そういう甘い見通しで軽々しく参戦したのが、おかしい。
ド級戦艦を多数保有してたし、自国の国力を想像以上に大評価していたのかね・・・

21 :
>20
リビアの反乱鎮圧に20年以上かかった時点で気づくべき。

22 :
世界恐慌を乗り切って、想像以上に安定した政権運営ができていたから、世界大戦も乗り切れると勘違いしたのかも。
何にもまして、勝ち組の席に座りたいという野心に負けてしまったのだろうか?
当時のイタリア世論は開戦に賛成だったの?

23 :
そもそもローマ帝国復興にはドイツ倒す必要があるのにムッソリーニは分かっていたのだろうか?
>22
エチオピア戦争で疲弊してそれどころじゃない、という世論だったがムッソリーニは無視。

24 :
ムッソリーニは戦争でイタリア人の根性叩き直したいとかそんなノリだったとか聞いた覚えが。

25 :
ムッソリーニにとってイタリア王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世は
主君というより同盟相手的な存在だったんだろうな

26 :
>>24
まずはカリギュラのように勝ち負けのわからんうちから凱旋パレードだなw

27 :
1:第二次大戦を中立で乗り切る
2:戦後、アメリカのマーシャル・プランに便乗して少額でも西欧各国に支援して恩を売る
3:米英と共にNATOの設立を主導
4:EUの設立を主導
5:EU初代大統領に就任
6:EUをローマ帝国に改名

28 :
>>25
同盟相手というよりむしろ共犯から競争相手、そして対立者かも
軍の忠誠が国王へ向いていることはムソリーニを終始苛立たせたし、
国王が帝国復活にまるで無関心だったことも両者の間の溝であり続けた
これは「帝国」「皇帝」の復活によって「イタリアの王」であることが埋没してしまう
(プロイセン王位がドイツ皇帝位との一体化によって埋没してしまったように)ことへの
危機感からだったが、皮肉にもそれ程に執着した「イタリアの王」たる点を
戦後に国民から否定されてしまうのだけれどw

29 :
軍事的に無理ならハプスブルグ式に婚姻政策で併合だな。

30 :
ブルガリアのボリス3世に王女が嫁いでたから、まずはブルガリアからか

31 :
白人はどう言う民族だったか知っているのか。文明を興した事もない。
エジプト文明、インダス文明、ギリシャ文明、そしてローマ帝国。
これらは全て褐色人種の興したもの。
白人は今から500年前まで原始人だった。農耕も知らない。便所もない。風呂も知らない。
文字が無い。食器が無い。服もない。毛皮で生活だ。しかも決まった食料も無い。
手ずかみで物を食らう。

それが白人の世界だった。

勿論國なんかない。文字もない。それが白人の社會だ。
世界では何人が支配したか。イスラムの民と同じ褐色人が支配したんだ。
世界の4大発明は支那大陸発祥。文字。紙。火藥。印刷。
白人はガリレオの時代ですら地球が丸い事を知らなかった。
もうそんな事は4大文明では全て分かっていた。
日本でももう5世紀には中華文明に接している

32 :
ドゥーチェは何でヒトラーと組んだんだ?
ナチはゲルマンマンセーがテーゼなんだからローマ帝国のドゥーチェとは犬猿だろ。
ローマ帝国的には英仏辺りの方がまだ属州で仲間になりえそうな感じだが。
あとイメージ的にはソ連=フン族だな
個人的にはドゥーチェが連合国(というか旧ローマ領連合)を率いて野蛮なゲルマンやフン族と闘うところを見てみたいが「信長の野望」みたいにゲーム化はないかなw

33 :
>>28
サヴォイア家は元がフランスとの結びつきが強かった
ピエモンテの王様だからな。ローマ帝国なんて意識は薄いだろう。
そんな意識を持ちそうなのって、教皇庁かヴェネツィアか
両シチリアぐらいじゃないか。

34 :
マッツィーニのローマ共和国がフランスに負けてなかったら帝国復興!がずっとイタリアの国是だったかもな

35 :
>>32
>ドゥーチェが連合国(というか旧ローマ領連合)を率いて野蛮なゲルマンやフン族と闘うところ
ドイツ軍や赤軍にフルボッコにされてる姿しか想像できんw

36 :
で、米英仏が「今度はイタリア抜きでやろうぜ」と

37 :
ドーチェがドージェに見えてヴェネツィアスレかと思った

38 :
イタリア軍総合スレッド part5
956:(州)空軍のアホさパネェ! 04/03(日) 19:22 ??? [イタリア]
1930年代、世界各国が航空技術核心にしのぎを削っている最中、
世界に先駆けて空軍を独立して保有していたイタリアであったが
実働兵力は寒々としたものであった。
書類上の部隊が実は存在しておらず、
検閲の際にだけ他部隊から機体を調達してきたり、
ヴァッレ空軍次官が航空機整備の資金を横領していたりと乱脈を極めていた。
また、1940年には世界空軍史上最大の汚点である、
空軍大臣兼リビア総督のイタロ・バルボ大将が
SM-79で前線視察に訪れたトリポリで
海軍の防空巡「サン・ジョルジオ」の砲撃によって
墜落死するという事件まで発生している。

39 :
親方って今でこそヒトラーのおまけのハゲで定着しているが
戦争にボロ負けするまでは、糞イタリアを大躍進させた新世代の偉大な天才指導者として
世界中から尊敬と注目を浴びていたんだな

40 :
ドゥーチェってヒトラーと組んでたから凄い悪人みたいに思われてるけど、実際のイタリア統治で自国民した数なんて
スターリンやヒトラーや毛沢東はもちろん金正日やフセインやカダフィにも及ばなそうだ。

41 :
ジョージ・オーウェルは1944年に「 "ファシズム" という語は、ほとんど全く意味が無い。
ほとんどのイギリス人は "ファシスト" という語を "ビリー" (一般的な人名)の同義語として受け入れている」と書いた

42 :
なお、政権期を通じて私腹を肥やすことに興味を持たなかったムッソリーニは、
死後に殆ど資産を残さなかったために、戦後遺族は年金以外の収入はなかったと言われている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%A0%E3%83
%83%E3%82%BD%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%8B#.E7.94.9F.E6.B6.AF
政治家なんだから収入はそれなりにあっただろうに
貯金もなかったというのは美徳だろうか

43 :
>>38
ある日、ドゥーチェは、
いままで何べんか行ったことのあるテルミニルロの冬季スポーツ場に赴いたついでに、
ある航空基地を不意に訪れたのです。
そこには参謀本部によって作成された作戦計画表によれば、
通常、中隊編成の戦闘機が、飛行場に常駐していなければならないはずでした。
ところが、ムッソリーニが驚いたことに、実情はまったく違っていたのです。
一機の飛行機も見当たらなかったのです。
彼は航空機の数だけを教えられていました。
まったくの誤魔化しですが、その数字を取り繕って、飛行機の機数を維持するために、
ある将軍が、ムッソリーニの査察のたびに、基地から基地へと、
飛行中隊を移動させるというアイデアを思いついたのでした。
非常に幸運なことに、ムッソリーニはたまたま、この現実を認識させられたのです。
私は、この事実に腹を立てすぎ、
おかげで数日間病気になってしまったのを思い出します。
【ラケーレ・ムッソリーニ『素顔の独裁者・わが夫ムッソリーニ』角川書店刊より】

44 :
イタリア軍 VS ルーマニア軍・ハンガリー軍
いい勝負になるなw

45 :
イタリア軍 VS 国民革命軍
これぐらいにしないと釣り合わない

46 :
装備も兵員も十分じゃないのに参戦したのが悪い。
十分に準備してればイタリアの工業力的にフランスの半分程度は強かったはず。

47 :
何故ギリシャに負けたのか

48 :
イギリス軍が居たからだろ。
流石にギリシア単独ならパスタ空軍にフルボッコにされる。

49 :
Battle of Pindus
http://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Pindus
Battle of Elaia-Kalamas
http://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Elaia-Kalamas
Battle of Saranda
http://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Saranda
Battle of Morava-Ivan
http://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Morava-Ivan
Battle of Klisura Pass
http://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Klisura_Pass
Battle of Trebeshina
http://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Trebeshina
Italian Spring Offensive
http://en.wikipedia.org/wiki/Italian_Spring_Offensive
せめて一勝ぐらいしろよ…

50 :
空軍でもイタリア軍は60機ぐらい撃墜されて
ギリシャ軍は30機ぐらい堕ちた

51 :
>>10
おいブルガリアも強そうだぞ
Battle of Doiran (1916)
http://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Doiran_(1916)
Battle of Malka Nidzhe
http://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Malka_Nidzhe
Battle of Doiran (1917)
http://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Doiran_(1917)
Battle of Monastir (1917)
http://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_the_Red_Wall
Battle of Doiran
http://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Doiran

52 :
>>46
準備が終わるのは1946年まで待たなくてはいけない

53 :
ドゥーチェはイルミナティのスパイだろ。
あほくさ。

54 :
イタリア王国とルーマニア王国
これらの王国は平民兵の士気が非常に低かったが
国王に忠誠を誓った貴族兵は非常に勇猛だった。
特に貴族が多い騎兵や山岳兵などは屈強で知られる。

55 :
イタリア騎兵の強さはポーランド騎兵を上回る。

56 :
赤軍相手にサーベル突撃とかやってたんだっけ>イタリア騎兵

57 :
1942年8月24日東部戦線。
ベットーニ大佐率いるサヴォイア竜騎兵連隊600名はウクライナのイスブシェンスキ平原において
ソ連軍2000名と交戦、敵部隊の背後に回りこんだ後、サーベル突撃を敢行してこれを撃破。
ソ連兵600名を捕虜とし、野砲4門、迫撃砲10門、機関銃50丁を鹵獲。
サヴォイア竜騎兵連隊の損害は32名であった。これは欧州戦史上最後の大規模な騎兵突撃の成功例とされる。

58 :
ヨーロッパ人ってさ、自分らをローマ帝国の末裔とか文化的後継者みたいな顔してるけど
トイトブルクの戦いのアルミニウスみたいなゲルマン人の英雄のことはあまり自分らの手柄だと主張しないよね。ほんとは蛮族だったくせに

59 :
アルミニウスは人気あるだろードイツとかで。

60 :
ブーディカもイギリスではジャンヌ・ダルクみたいな扱いじゃねーの。

61 :
ローマ帝国の継承者って、今のギリシアかトルコじゃないの?

62 :
ギリシャが許されるなら、自称ローマの後継者なんてわんさか居るんだが

63 :
中世のギリシャはアラブ人やルス人からも普通にルム(ローマ人)と呼ばれたから
自称ではない。
ただここも滅びたから後継といえるものはない。

64 :
>>ヨーロッパ人ってさ、自分らをローマ帝国の末裔とか文化的後継者みたいな顔してるけど
いや、実際そうだろ。

65 :
ヨーロッパがローマの文化的後継者じゃないとしたら
現在の日本人も大和朝廷や鎌倉幕府の文化的後継者じゃない事になるぞ

66 :
教皇庁はローマ帝国時代から連続性を保ちつつ残ってるぜ!

67 :
でもさ、実際は文明を”奪っただけ”だよね。自分らは明らかに奴隷だったし蛮族で、その文明を昇華させたり担うような役目もしてない。ただ奪っただけ
その証拠にローマの指導者の像とかって、よく見てみるとみんな顔にヒゲも生やしてなく髪型も清楚な短髪が多いのに対して
ゲルマン人の王や中世のカール大帝など当時のヨーロッパ人の指導者像は、すべてヒゲ生やしまくりの長髪とかばっか。
これは暗にゲルマン的特徴が野蛮で当時ローマでは蔑まされていた証拠でもあるとおもう。ローマ人に比べて気性が激しく、体格も大柄だったという。
ここまで違うと別人種と見るべき。丁度いまの欧米人たちがアジア人を見て野蛮だとかダサいって見なして相容れない別人種と見なしてるのと似ている。
それぐらいローマとゲルマンは掛け離れている

68 :
>>67
おい、カール大帝とほぼ同時代のビザンツ皇帝のコイン見たら
皇帝たちお前の言うゲルマン的特徴な「ヒゲ生やしまくりの長髪」じゃねーか
ビザンツはローマじゃねえ、とか寝ぼけたこと言うつもりなのかもしれんが
ゲルマン的特徴が野蛮でローマでは蔑まれていたと言うんなら、せめて史料引き合いに出せよ

69 :
>ヨーロッパ人ってさ、自分らをローマ帝国の末裔とか文化的後継者みたいな顔してるけど
ハンガリーはフン族の後継者でアッティラ王をハンガリーの開祖としているというが。
アッティラ王を極悪な野蛮人と貶すヨーロッパ史観とは相容れない。

70 :
>>67
ひげが嫌悪されたのは共和国時代まで
帝国時代のローマでは普通だった
>>ローマとゲルマンは掛け離れている
これは同意する。ゲルマン人のビールはワインよりも劣ったものだと
言われていた。
>>68
そもそもビザンツて分裂した後の東ローマ帝国を
古代ローマから続く国だと認めようとしない西欧の歴史家が
作りだした侮蔑語だし。

71 :
ドイツ人やポーランド人は
自国がローマに征服されなかった事を誇りに思ってるよ

72 :
フン族の中核集団を占めていたブルガール人の国であるブルガリアは
アッティラから続く国だという事だが
これもヨーロッパとは相いれない

73 :
>>67
ヨーロッパてのがあいまいで大雑把なんだよ
ちゃんとドイツ人とかデンマーク人とか書いてくれよ
ヨーロッパだったらローマの後継であるイタリアやフランスも入っちゃうし
直接的にはローマじゃないドイツも入っちゃう

74 :
ロシア「ローマの後継者といえばウチだろ」

75 :
リューリク朝の時代に絶えたやん

76 :
ドイツあたりから東は
ローマの後継ではないが
ローマの影響を強く受けた国々だな

77 :
素面だと「ルーシはローマの正統な後継者。キリッ」
酒が入ると「俺はスキタイの子孫だ!」とうなり出すロシア・ウクライナ人

78 :
どうせならギリシャだけじゃなくてトルコにも宣戦してりゃ
コンスタンティノープルは奪還できるわ
ソ連の変わりにペルシャ湾にドイツ軍の旗がはためくわなのに。
最後はデリーでロンメルと牟田口が握手な

79 :
>>78
なんでパドリオと山下の握手じゃないんだよw
その前にトルコにフルボッコにされるだろうけど。

80 :
ヨーロッパの国はどこもローマの後継者だと言っても
いいと思うけどね。ローマの影響を受けているんだし

81 :
さすがにリトアニア、ポーランド、ハンガリー、ブルガリア、北欧3国は
除外しても良いような

82 :
>>81
北欧「俺ら、コンスタンティノープルで皇帝の側でローマ軍に勤務してたから、
スラブやトルコなんかよりローマ市民の後継者っぽいだろ」

83 :
そういえば、ハンガリーには
もう少しでローマ皇帝になるところだったベーラ4世がいたか

84 :
モヒの戦いを指揮した人か

85 :
俳優のアントニオバンデラス、彼が古代ラテン人の容姿に近いのだろう
あれを小柄にして浅黒くしたのが当時のローマ人
>>80
”属州”だろ。所詮は。
今から1000年後にハワイ人が、おれらマイクロソフトや飛行機を発明した偉大なアメリカ合衆国文明の末裔なんだ!とか言ってるようなもん。
そんなもんが何の自慢に?

86 :
>>85
そう言っちゃえるところが、ローマが本当の帝国である由縁なんとちがう?
属州民からだって山ほど皇帝が出てる。理念を体現できる男であること、が要件だった。
一つの帝国で、血族どころか民族をも超えて首長を据える、というのは珍しい。
とはいえ、さすがにライン=ドナウ線の東側は、後継者というより参照者ってとこだ。

87 :
>さすがにライン=ドナウ線の東側
そもそもブルガールやアヴァール、マジャールはフン帝国の後継者を自任していたが、
ローマ帝国を継承するという発想は無かったようだ。

88 :
>そう言っちゃえるところが、ローマが本当の帝国である由縁なんとちがう?
属州民からだって山ほど皇帝が出てる。理念を体現できる男であること、が要件だった
でも、白人(ゲルマン)とキリスト教受け入れてたら滅びたよね

89 :
属州ゲルマニア(スペリオル+インフェリオル)は、帝政開始以後はゲルマン系ローマ市民だらけ。
ただし、ローマってもんを民族主義的に我田引水する連中については、そもそも間違ってる。
そんなのは、エジプト人やチュニジア人が俺たちはローマの後継者と言った場合と、何ら変わらない。

90 :
エジプト人は「ローマはわしが育てた」って自慢して良いと思うよ。

91 :
>>90
それ正解ww あと、チュニジア(旧カルタゴ)も穀倉地帯だったから同じだね。
両者には、少なくとも「ローマはわしが食わせてやった」って言う権利はあるよ。

92 :
そしてシチリアも……

93 :
ケルト人(今のアイルランド人?)はかわいそうだよね
ほんとは今ヨーロッパで裕福なフランスもスイスもオーストリアも北イタリアもブリテン島もすべて彼らが住んでた土地なんだよな

94 :
トライアヌス帝により故郷から追放させられたダキア人に比べれば、
まだマシじゃない?現代に文化痕跡を残せないで終わってカワイソス・・・

95 :
元はといえばネアンデルタール人の土地だし

96 :
フン族に蹂躙されるローマ帝国→赤軍にどつきまわされるヘタリア軍

97 :
まず世界恐慌後にポルトガルを併合し、サラザール博士を副統領に据える。
これで経済成長させる。
次にスペイン内戦後にスペインを併合してフランコを総司令官に。
これで軍事も万全+モロッコも領有。
後はWWIIに参戦せず、どっちかが勝ったところを見計らって北アフリカ/パレスチナ/シリア/バルカン半島とドイツかフランス(もちろん負けたほう)を制圧。
で、黙っていても経済支援してくれと戦勝陣営が言ってくるので支援して経済植民地化。

98 :
ちょwww 出張にご足労頂き、恐れ入りますw
で、ドーチェの座を簒奪されるお手はずは・・・・?

99 :
>>70
ローマは伝統的に短髪剃毛スカートが文明の証って立場で
クラウディウス朝期じゃギリシャカブレのネロですらモミアゲ止まり
この変化が見られ始めたのは2世紀前半ハドリアンの頃からだね
帝政に移行してから150年、日本の歴史のifにたとえれば幕末維新から数えて
現代になってようやく公務での格好がチョンマゲからザンギリ頭に変化したほどの期間
まぁハドリが前例作ったから後の皇帝もそれに倣っただけのこと
民衆がスカートからガリア式のズボンに変化し始めたのは3世紀4世紀ってあたりか
>>85
血統的には日本人でも縄文っぽいって言うかバタ臭い顔の奴がいるだろ?
個人的にはそのイメージのほうが強い
低身長で巻き毛黒髪黒瞳のギョロ目、猪首で穀物食だから胴長短手足が当時のラテン
>>94
そんなの当時なら負けた民族の殲滅か奴隷化が当たり前だった欧州の中じゃマシなほう

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