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2011年10月1期世界史中世〜近世ヨーロッパ、庶民の暮らし TOP カテ一覧 スレ一覧 削除依頼

中世〜近世ヨーロッパ、庶民の暮らし


1 :11/04/08 〜 最終レス :11/10/04
服装とか食事とか文化とか
語れたらいいんじゃないかな

2 :
この前初めて欧州(バイエルン州)行ったけど
そんな巨漢だらけじゃなかったな
近世ではチビも相当多かったんじゃないか?

3 :
じゃがいもはなかった
ーは禁止だった

4 :
西洋人って近代に入るまでは基本的に手掴みで飯食ってたよね

5 :
ポーランドが最強だった

6 :
>>2
南部の方が小さく、北部の方が大きいと聞いたのですが、どうなのでしょう。
>>4
北ドイツの田舎では、1950年代までテーブル中央の大鍋・大皿から杓子
で銘々の皿にとり、手づかみでとって食べる習俗が残っていたそうです。
テーブル中央から、たれた汁が線となるのがお決まりの光景であったとか。
基本的に、オーストリアに近いほど各自の皿に最初から取分けておくことと
フォークの使用率が高かった。
当時の民俗学会で明らかにされた際、まだまだ文化の尊卑に敏感な時代であ
ったので、地元出身の学者は「未開」扱いされて怒ったりもしたそうです。
しかし、ドイツや北欧では主食(という概念が共通するとして)といえばパ
ンよりジャガイモだそうですが、これより前はどうであったのでしょうか。

7 :
手づかみといえば、かならず、引き合いに出されるのがルイ14世。
他の例を見てみたい。

8 :
ウンベルト・エーコの小説「バウドリーノ」で
コンスタンティノープルを攻撃する十字軍兵士が
「ギリシャ人に向かって親指を人差し指と中指の間から出したり、
右手で左腕を叩いたり卑猥な仕草をしてみせた」
という描写があったんですが、前者は現代日本でもあるから
意味が分かるんですけど、後者はどの辺が卑猥なんですか?

9 :
日本なんか、現代でも、お寿司やおにぎりを手づかみで食べる
わけだけど。外国人から見たら、手づかみで食べる習俗が
いつまでも残っていると思われているんだろうね。

10 :
欧米だってパンやドーナツを手づかみで食べるだろ

11 :
ヨーロッパの宮廷の貴族は、塩入れなんか拘っていたけど。
東洋はどうなんだろ。

12 :
>>8
検索してったらコレ
http://en.wikipedia.org/wiki/Bras_d'honneur
みたいだが、「何が卑猥なのか」は判らん

13 :
日本の場合醤油差しとかありましたがな。

14 :
庶民の衣生活には興味津々
財産目録ってまじ面白いと思う

15 :
中世ヨーロッパって文明の後退地域だけど庶民の着ている服
ってなんだったんだろう、麻かしら?

16 :
これはwww
ttp://twitpic.com/4wykn6

17 :
>>15
肌着は麻だな。ちょびっと裕福なら、亜麻。
で、毛織物の上着を着る。

18 :
>>17
回答ありがとう。
麻かー、現代日本だと夏向けの素材という印象だな、後はロープ。

19 :
中世ヨーロッパの農村の料理には塩って使われてたんだろうか。
砂糖はムリと思うんだが、塩くらいなら買える金額で流通してた?

20 :
海沿いの国なら海塩で内陸国だと岩塩かな

21 :
>>20
海沿いでも岩塩じゃない? 海塩ってとんでもなく燃料必要だもの。

22 :
>>21
んなわきゃない
北ヨーロッパでもノルマンディーからデーンにいたるまでローマ式の塩田で塩を生産していた
ビスケー湾の塩は特に有名で広く普及していたが、微量のゴミにより色が悪く低質とみなされていた
岩塩の乏しい北ドイツなどでは、塩分濃度が海水と同じか薄いくらいの塩泉からも塩を生産していた
煮詰める前に吊り下げたいばらや麦わらの束に塩水をたらすなどして水分を揮発させている

23 :
ヨーロッパじゃないが、中国では各種岩塩・塩泉・塩湖などがあったにもかかわらず
1935年の時点で塩生産の8割が海塩だったという

24 :
ほうほう、主として海塩が生産されていたと。
その次段階、沿岸地から都市だけじゃなく農村まで流通してたのかな?
中世西欧で専売制はないと思うが、塩商人の販売網は成立していたか・・・

25 :
古代ローマ帝国の時代には兵士への給料として塩を配っていた
というのは高校の時世界史の先生から聞いたな。

26 :
イタリア・シエナにボンシニョーリ家という銀行屋がおってな。
13世紀初頭、トスカーナ・グロッセート産の塩の専売業から家業が始まっておる。

27 :
>>24
いやないから海水より薄い塩泉からも塩を作ってたわけで…
もっとも、それ以上に単純に製塩業が儲かる産業だったという理由のほうが大きいようにも思える

28 :
塩そのものが生命に必要ってだけでなく保存料としても
使われていたしな>塩
んで、食料保存のために塩漬け肉や魚の臭い消しと風味づけ
のために香辛料が高値で取引される時代になってってなる。

29 :
タイムスリップして中世の欧州、東欧世界に行ったとしたら
SBの赤缶カレー粉なんてのは香辛料のミックスだから高値
で買い取ってくれる貿易商人なんているかもしれん。
ダイショーとかSBやハチ食品の味塩コショウの大瓶や袋
なんかも商品価値がありそうだ。

30 :
>>29
うまくやれば、Youがロスチャイルド家になれるYo!

31 :
>>28
ニシンの塩漬けってのは、重要な食料だったみたいだね。
北海沿岸の国々にとって、食えない時代の貴重なタンパク源だったとか。
そういう意味では、塩が大事なのは調味料というより保存料としてだな。

32 :
塩漬けニシンの主産地であったスカンジナビアではほとんど製塩がされてなかったようだ
良い鉱床がなく、海水から作るには高すぎる緯度が障害にもなったなどの理由もあるだろうが
それ以前にそのニシンを買い付けに来るハンザ商人が質の良く安い塩を供給してくれたのだから
製塩の必要がなかったのだろう

33 :
>>32
ニシンを売って出る利益が塩の価格を軽く上回るから
出来ていたんだろうな。

34 :
>>31
そういう意味も何も、古代から塩は保存の為に使われていた。
食料だけでなく、遺体などにもね。
塩漬けの食料に飽きたので、多少腐ってても誤魔化せる香辛料を求める旅が始まったし、
またフランス宮廷料理でも今日見られるような腐敗を誤魔化せる多様なソースが発達した。

35 :
「中世」も「ヨーロッパ」も色々だからねぇ・・・

36 :
そいつをいっちゃあおしめえよ

37 :
ヨーロッパと言っても広いし、中世〜近世だと長すぎる。
5世紀のロカ岬と18世紀のクリミアでは同じ扱いはできない。

38 :
干タラの匂いをおかずにじゃがいもを食う貧民
落語の話みたいだよな
童話日高山伏で梅干の匂いをおかずにする話あったが

39 :
エアーおかずが干タラかよ・・・・
じゃがいもとイマイチあわないし、胃酸がでてこねーなぁ。

40 :
塩にしてもそうだけど、生活品とかの当時の物価が詳しくわかると、面白いんだけどなあ。なんかそういう史料ッてないのだろうか

41 :
>>37
だから、例えを言う時は
時と場所を明確にして書きこんでねって話だわな

42 :
>>40
史料がなんでバキみたいになってんだ

43 :
「中世ヨーロッパの農村の暮らし」買った。
1300年くらいの英の農村ッでの話が中心
牛は1ガロンにつき2分の1ペニーだったそうな。
牛一頭からは年に120〜150ガロン搾り取れたらしく
農民にとってはバカにならない資金源だった。

44 :
だからなんでバキなんだよw

45 :
>>43
はて、その時代では流通網と鮮度の問題で牛そのものを売ったり都市民が飲んだりするのは難しかったと聞いたが…
(確か16世紀ごろから都市でも牛が飲めるようになった)
都市近郊の話か、それとも修道院などの加工元へ売り払ったりしたのかな?

46 :
チーズにするんじゃないの?

47 :
決してケチをつけるわけではないから誤解なきよう
一種類の本だけでそれが正しいと思わない方がよろしい
偏向した知識が必要となる専門書・専門分野は特に
一応、北欧やノルマンディーではラードよりバターが好まれるようになり
食習慣の変化で14,5世紀から牛の飼育が拡大した。
豚の飼育に必要な森が少しずつ減少したのも理由の一つだろうね。
イギリスではどうだったろう?
この頃は、ブリテンの島だけで言えばスコットランドとイギリスの二つで長期安定していた時期だね。
>>45の言うように、原料としての牛を卸してたのかな?

48 :
>>46
牛からで英と言えばチェダーや青カビになると思うけれど
それはもっと後、17,8世紀じゃなかったかな?記憶あいまいだが。
この頃の基本チーズは山羊・羊やヤクだと思うよ。
中国チベットインドモンゴルの方が盛んだった、ろうね。たぶん。

49 :
昨日テレビ見ていて知ったのだけれどモッツアレラチーズって水牛の
から作ったものが正式なモッツアレラチーズだと言っていたな。
ただ、モッツアレラチーズも18世紀ごろからの物らしいんで、中世には
無いよね・・・。
英国だとチェダーチーズは12世紀ごろにはあったから生としてより
加工品として扱われていたんじゃないの。
後はバターとしての使い方が多かった気もする。
元々バターは貧乏人の食べ物と扱われていた時代もあったようだし。
バターは塩さえあれば作れるしね・・・・。
>>48
ロマーノチーズはローマ時代からあってそれも山羊のを材料にしていた
はずだから「チベットインドモンゴルの方が盛ん」というのは必ずしも
正しいとは言い切れない気がするよ。
ペコリーノ・ロマーノなんかは塩味が効いているので保存性には優れている
し元々ローマ帝国時代に広まった物でもあるから英国にも伝わっていそうなんだが
英国は辺境の1つだったしなぁ。

50 :
発生と普及はまた別だしな。
ローマを伝いガリアでは(ということは一世紀とかくらい)農耕が強化されつつある頃、
未開のゲルマン民族はまだ「集落」の概念も乏しかった、とされる。
一説では、ゲルマン人の消費カロリーの三分の二近くをチーズやバターの畜産品や肉で消費していた。
そしてフランク人がガリアに定着し始めた五世紀末〜十世紀にかけて
畜産と農業が混じり合い、
中世ヨーロッパ(どこからどこまで指すんだかわからんが)の農業スタイルが確立した。
メロヴィング期(5末‐8半)のフランドルのブルビエールの発掘では
豚が39%、牛22、羊17、山羊4、馬6という割合で動物の骨が出土したらしい。
ほぼ全てが「家畜」ってとこがポイントなのかな。
豚を潰すのは一般的(それでも1家族が年に一頭とか)だが、牛の使い所について細かい史料が少ない。
ついでにイギリス自体の史料も、7王国(八世紀半ばくらいまで)以前のものは少な目。
なんにせよ、農民庶民の暮らしの史料ってのは、上流階級に比べて
圧倒的に少ないから、色んな所から掻き集めて統合して考えるしか無いんだよねぇ。

51 :
ふと今思ったが、ケルトは口伝を好んだってことも史料が少ない要因なのかもね。
特にブリテン島のケルトは、所謂特殊ケルトだから。
神話の方から民衆の考え方や文化を探っていくやり方が
他の地域や年代よりも有効かもしれない。

52 :
>>50
>チーズやバターの畜産品や肉で消費していた。
チーズやバター作る為にカロリー消費してたのか?畜産品や肉で賄ってた、だろ。

53 :
推敲してない。文章下手。意訳超訳推奨よろしく。
>>43からの流れでイギリスの金銭価値。
近世メインの本だが、イギリス文化史入門から。
16世紀に都市の参政権を得る条件が年40シリング以上の税金。
事実上ジェントリが唯一の為政者階級、と言われるお値段。
1719年国王令状による陸軍将校任命書では
騎兵連隊の大佐で9kポンド、中尉でも1,2k。
歩兵隊大佐で6k、中尉で300ポンド。
買官制という、要は将校の地位は原則的に金で買う時代、のお値段。
1832年に製陶工が朝5,6時〜夜6,7,8時まで働いて、週1シリング。
工業化初期の劣悪な環境でのお給料。

54 :
ジャガイモなかったら、まともな食いものないだろ、あのへん。
人なんてほとんどいなかったんじゃないの。

55 :
あの辺ってどこの話だよ

56 :
佐藤んちの隣のガススタの向かいだよ

57 :
佐藤んち=仏蘭西、ガススタ=英蘭、あの辺り=独逸ってことでしょ、たぶん

58 :
ガススタ=ロイヤルダッチシェル→阿蘭陀
ガススタ=北海ガス田→英蘭
微妙だよね、英蘭じゃなくて阿蘭陀に修正ね

59 :
>>45
牛入れた革袋をロバの背に吊るして村から都市へ
すると、あら不思議
牛だったものがバターに大変身ッ
ロバが歩くたびに革袋に入った牛が揺さぶられ、脂肪と水分が分離
浮き上がった脂肪をすくいあげたのがバターなんだよね
それが暑い日だったら発酵してチーズになる

60 :
だからw なんでバキなんだよッッ

61 :
ほんと、なんでバキになるんだ?
バキ辞書でも入れてんのか

62 :
>>59
全然違う
バターはを攪拌して脂肪分を固めたものだがチーズは酸や胃の酵素で固めたもの
作る際にを発酵させたら発酵バターになるだけだ
それで、確認しておきたいんだが>>43の本にも、そのような方法でバターに加工して
売り払った結果の額として書かれていたということか?
輸送の際に水分はかさばるしバターミルクは無駄になる、ずいぶんと不自然なやり方に思えるが…

63 :
真実は一つじゃないし真実なんてわからない。
それは前提として捉えるのが、「事実を知りたい」人間の姿勢なんじゃね。

64 :
何いってんだコイツ

65 :
バターとチーズの製法に関して主流となる物はどのみちそう多くはないはずだから
>>63の言い方は真実味の薄いただのはぐらかしだろう。

66 :
おおっとw
いい感じに荒れてきましたね

67 :
チーズにはレンネットが必要だな

68 :
43だよ。
イギリスの村中心っていったけど、
モノの値段はエルトンって村の帳簿を元にしてる
ネーネ川の沿岸にあった村らしい。ていうか今もあるのかな
チーズがどうとかって記述は特にない。
ていうかなんでこんな濃厚なチーズスレになッてんだ?

69 :
だからなんでお前はバキなんだよ
まずそこを説明しろよ

70 :
庶民の性生活が知りたいです

71 :
>>68
>>69
このやりとりがだんだんおもろくなってきたで

72 :
>>70
実は近親相姦が多かったとか

73 :
>>70
ベッドは「裸で雑魚寝」が多かったので間違いも多かったし
また、「秘密の営み」が難しかったので、夫婦はアオカンが普通だったとか
特に麦畑は格好のまぐわい場所だったそうな
それを念頭に置いて「麦畑」の「誰かさんと誰かさんが麦畑♪」の歌詞を見ると、また違った印象が

74 :
>>70
デカメロン読め

75 :
性生活といえば、>>16 の方法はどれくらい普及していたのだろうか。

76 :
英国では食事はパンと紅茶という質素なものだった。
しかし、大事なときにはその前の食事にベーコンエッグが加えられた。
卵黄とベーコンは中世から貴重品であり、マトンのような臭みがないベーコンは豚肉が原材料とするが、牛肉、鯨肉も使われることがあった。

77 :
紅茶は近世になるまでかなりの貴重品だぞ?

78 :
 
likejav.com

79 :
そもそも紅茶が生まれたのが18世紀後半、もろ近代
それ以前ヨーロッパで飲まれていたのは緑茶か烏龍茶

80 :
 中世ヨーロッパの下層民(農奴、小作農や徒弟)が出家して僧侶になる事って出来たんでしょうか?
 出来るとしたらどんな待遇だったんでしょうか?
 あと彼等のドクオ(相手が居なかったり経済的な理由で結婚出来ず子孫を残せない人間)
の割合はどのくらいだったんでしょうか?
 詳しい人教えてください。

81 :
出家って修道士になることって理解でいいのかな?
当然、熊谷直実や武田信玄みたいに剃髪することじゃないよね?
カタリ派とかワルド派って司祭を送り込んで布教してたし、自由説教だったよね
実際に修道士になるためにはどうしてたんだろ?
修道士って比叡山なんかみたいに一般に学があるような気もする
俺も知りたいので詳しい人に聞きたい

82 :
多分一生召使レベルの僧侶
四つん這いになれば役職をいただけるかもw

83 :
 ヨーロッパの都市って糞だらけだったってよく聞くけど
江戸時代の農民みたく肥料にしたりはしなかったの?
 

84 :
>>83
下肥はほどよく醗酵させないと植物が負けるので、
気温の低い欧州では普及しなかったのでは。

85 :
畑は水田ほどに肥料を必要としないでしょ確か

86 :
 水田は窒素やリンが水に溶けて流れてしまい土地が痩せやすいという欠点が
ある。その代り連作障害や塩害が無いって言う利点もある。ヨーロッパでも南欧
のスペインやイタリアでは米作が行われてたんだから下肥農法でイタリアやスペイン
の人口が史実より増加してたら世界史ももう少し変わってたかもしれんとは思う。

87 :
>>83
自分の家の家畜の糞があるのでわざわざ集めるのは無駄
ちなみに人糞も一部では利用。日本みたいなメインの肥料ではないだけ

88 :
イタリアはともかくスペインはカルロス1世時代にそれが出来てたら
黄金世紀も長く続いたかもね

89 :
>>86
水がないんでないかい?
>>88
黄金水で黄金時代か

90 :
ゲルマン民族の大移動が、現代経済の概念を造ったって
話を聞いてけど、だれか詳しく解説してください

91 :
それはよくわからん
貨幣なんて紀元前7〜5世紀のリディア王国の時代から存在してる
つーことは貨幣経済はその時から存在していたし、
貨幣なくても、物々交換や金とか塩とか貝の交換で経済成り立っていただろう

92 :
現代の経済と言うなら、アダム・スミスあたりじゃないのかと思う
とりあえずゲルマン民族が現代経済の概念を作ったと言うのは理解出来ない
ヴァイキングはイギリスやイタリア、北アフリカだけでなく、
ドニエプル川やヴォルガ川を南下してアラビアまで行って押売りしてたけどw

93 :
なんでも、民族が移動をして交易が云々って

94 :
どういう話だったのか詳しく説明出来ないなら寝言扱いで終わり。

95 :
んじゃ、おわりだ

96 :
>>93
異民族間の交易なら別に民族移動が伴わなくても出来てた
ゲルマン人がローマに持ち込んだ最大の特産品は傭兵だし

97 :
まぁ喧嘩しないで仲良くやろう
とりあえず、現代経済には影響ないとは思う
経済とはずれるけどゲルマン系なら、岩波あたりからでてるタキトゥスのゲルマニア読むと面白いよ
神様への表現が直接的過ぎて笑えるからw

98 :
>>97
具体的にさわりを

99 :
>>86
これだから答えはこれ!ってわけじゃないけどさ、一応俺も一例。
中世欧州というと、ざっくりとだけど、
文化的にも生活基盤的にもアルプス以北以南で二分出来るんだよね。
現代でこそ平野が増えたが、以北では10世紀を過ぎても森が多く文化レベルは低い。
以南はローマ以前より開発が盛んで土地が痩せていることと、
ローマ文化としてパンとワインを中心とする食文化がある。
現在との気候変化の違いはちょっと長くなるから省略する。
これもざっくりとだと、以北は湿潤、以南は乾燥って土地柄。
乾燥に強い食物栽培をしていたこととパンとワインの繋がりは理解して頂けると思う。
でもまー、色んな要素が混じり合い、農業形態も目まぐるしく変化していたから
詳しく語るのは無理なんだけどさ。

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