2011年10月1期世界史【北京政府】中華民国軍閥史【北洋軍閥】 TOP カテ一覧 スレ一覧 削除依頼

【北京政府】中華民国軍閥史【北洋軍閥】


1 :11/08/09 〜 最終レス :11/10/18
国民党によって統一されるまでの軍閥が割拠する
大陸内乱時代の中華民国の軍閥について語るスレ
軍閥一覧
安徽派(皖系)、直隷派(直隷軍閥)、奉天派(東北軍閥)、山西派(晋系)
西北派(国民軍)、雲南派(滇系)、旧広西派(旧桂系)、新広西派(新桂系)
国民党系軍閥
広東派(粤軍)、四川派(四川軍・川軍)、馬家軍
北京政府、北京兵変、第二革命、中華帝国、護国戦争、北洋軍閥、府院の争い、満蒙独立運動、張勲復辟
護法運動、五四運動、安直戦争、粤桂戦争、聯省自治、廃督裁兵、湘鄂戦争、ケ鏗暗、六・一六事変
奉直戦争、長沙事件、奉ソ協定、江浙戦争、北京政変、広州商団、国共合作、五・三〇事件、沙基事件
反奉戦争、南口大戦、中独合作、中山艦事件、北伐、漢口事件、上海クーデター、寧漢分裂、寧漢戦争
南昌起義、山東出兵、済南事件、張作霖爆事件、易幟、中ソ紛争、蒋桂戦争、中原大戦などなど

2 :
昔このテーマに詳しい「びばく」っていう良コテがいたんだけどね・・・

3 :
未だに、関東軍が張作霖をした理由がよく分からない。
奉天軍閥は、戦いに敗れたとは言え健在だったし、本人も中原への野望は果てたわけだ。
それなら、適度に奉天軍閥に援助しつつ、中原の争いから切り離して傀儡にしていおいた方が、
どう考えても得。というか、楽。
親父をしたら、息子が唯々諾々と従うと思うとか、アホかと馬鹿かと。
もし張作霖をすなら、息子もして南満州全土の直接の制圧を日本政府と打ち合わせして、日本政府はソ連と、
「満州分割条約」(勿論秘密条約で)かなんかで手打ちをする。
これなら分かる。
案の定、張学良はソ連を適当に刺激しただけで、蒋介石が来たらあっさり易幟。
満州事変で、調子に乗って満州を単独支配したら、対ソ連での国境は長くなって守りにくくなるわ、
張学良はやっぱり蒋介石に西安事変を起こして対日戦争を決意させるわ(当たり前だ)、
馬鹿丸出し。
で、体裁を整えるために「満州国」をつくったら、国籍法がつくれない。
ま、当時の日本は兵役を経ないと国籍離脱できないが。
朝鮮人は「日本人」として現地の中国人と衝突するわ、わざわざリットン調査団を呼び込んで付け入る隙を与えるわ、
武藤章が調子に乗って工作を北支に仕掛けるわ、東條は負けるわ、
・・・日本人の「分割して統治せよ」の下手さは異常。
中華民国期の中国人のナショナリズムは、反日より反英の方が強かったのに、
わざわざ中国人を団結させる日本の下手さ。
中華民国を統一させたのは日本人と言っても過言じゃない。
・・・つーか、たとえば日本側が用意した布告文が「日本風漢文」で、中国人が誰も読めなかったとか、
今もそうだが、当時の日本人の振る舞いを知ると泣けてくる。

4 :
関東軍陰謀説、八路軍陰謀説、ソ連陰謀説とか色々ありますなぁ

5 :
つーかね。
わざわざ孫文を支援して(孫文は容共だった)、日本の言うことを聞く北京政府を潰そうとする日本w
(無論、当時孫文が統一するだけの勢力を張るなんて事は夢想状態なのは確かだが)
どう考えても、袁世凱とかの方が物分りが良かった。
対支二十一条要求も、何を考えていたんだろ。
山東半島は戦後の講和条約で、顧問云々はそれこそ孫文側に飲ませて、取りあえず租借権の延長だけを要求するとか、
考えようがあるだろうに。
北京政府を潰すなら、それこそ孫文だけでなく、張作霖や雲南の唐継堯を本格的に支援するとか。
あの時期の日本の対中華民国政策はカオス。

6 :
西原亀三
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%8E%9F%E4%BA%80%E4%B8%89
日露戦争終了後に朝鮮半島へ渡り、共益社を設立して綿製品の貿易事業を営む。
初代朝鮮総督の寺内正毅に接近して、その側近となる。
1916年(大正5年)に帰朝。次いで中国へ渡り、寺内内閣による北京政府(段祺瑞)援助政策に参画した。
1918年(大正7年)、朝鮮銀行総裁・大蔵大臣の勝田主計と計り、興業銀行、朝鮮銀行、
台湾銀行からそれぞれ資金を調達し、総額1億4500万円という莫大な借款(西原借款)を提供する。
この借款は主に段祺瑞政権の政治資金として使われ、成果を得るどころか、
結局は回収できなかったため、帝国議会の轟々たる非難を浴びた。
その後も政界の黒幕として東亜研究会を設立し、田中義一や宇垣一成の擁立を目指した。
宇垣が朝鮮総督として朝鮮半島に赴任すると、1932年(昭和7年)、1934年(昭和9年)、
1936年(昭和11年)と立て続けに渡鮮し、内地にあっては政友会や民政党の幹部の間を周旋した。
1937年(昭和12年)に宇垣に組閣の大命が降下するが、陸軍内の意見を纏めきれず、
宇垣は大命を拝辞するに至った。
林銑十郎内閣の成立に絶望した西原は、日記に「ああファッショか、立憲政治か。堤防は決潰せり。
国家の前途果して如何。」と記している。

7 :
西原借款
http://ww1.m78.com/topix-2/nishihara.html

8 :
シーベイ秋刀魚

9 :
抜群軍閥

10 :
軍閥抜群

11 :
中国・軍閥の抗争
http://www.geocities.jp/baronhiro2000/rekisi/gunbatu/gunbatu.htm

12 :
時代背景
http://www.geocities.jp/baronhiro2000/rekisi/gunbatu/jidaihaikei.htm

13 :
辛亥革命と袁世凱の独裁
http://www.geocities.jp/baronhiro2000/rekisi/gunbatu/singai.htm

14 :
北洋軍閥の抗争・安直戦争
http://www.geocities.jp/baronhiro2000/rekisi/gunbatu/ancyoku.htm

15 :
北洋軍閥の抗争・奉直戦争
http://www.geocities.jp/baronhiro2000/rekisi/gunbatu/houcyoku.htm

16 :
張作霖の台頭
http://www.geocities.jp/baronhiro2000/rekisi/gunbatu/chou.htm

17 :
北伐と軍閥の滅亡
http://www.geocities.jp/baronhiro2000/rekisi/gunbatu/hokubatu.htm

18 :
軍閥別人物辞典
http://www.geocities.jp/baronhiro2000/rekisi/gunbatu/newpage1.htm

19 :
軍閥勢力図
http://mimoronoteikoku.tudura.com/horizon/compose/frag_fig/china_gunbatu.png

20 :
《軍閥割拠(1916-1928)》
1921年、中国共産党の結成、第一回中国共産党全国大会。
モスクワは共産党を強力な武装ソビエト組織に仕立て上げるため、最初は国民党と接触し、孫文を操ろうとしたらしい。
孫文は各地軍閥を征伐するための北伐を決心したが、北伐反対派の陳烔明と対立
(陳烔明は孫文の追い出しに成功したものの、 1923年頃までには広東から追い出された)。
1922年、中華民国にて「孫文・ヨッフェ共同宣言」。
この時より中華民国は国民党・中国共産党ともにソビエト革命を完遂するように、ソ連より指導される。
1923年に孫文は、更なるソ連の指示を仰ぐため、蒋介石グループをソ連に派遣。
1924年には、モスクワから50万ルーブル(全額200万ルーブルのうちの一部)が援助され、
ウラジオストク-広東ルートでソ連の武器弾薬が運搬された。
1924年、華北の軍閥の勢力図が変わる。
奉天派 vs 直隷派の戦争で、「クリスチャン将軍」馮玉祥が奉天派に寝返ったため、直隷派リーダー呉佩孚が敗北。
曹錕大統領は馮玉祥の指図を受けて、呉佩孚を左遷。
その結果、北京政府の威信は張作霖・馮玉祥・段祺瑞の3人が独占したが、張作霖が最強であった。
馮玉祥は張作霖をつぶすべくソ連から武器弾薬援助を受けたが動きが鈍く、張作霖に生き延びるスキを与えた。
・ (満州地域)奉天派軍閥=張作霖(北洋派)…日本から援助
・ (北京政府)直隷派軍閥=馮国璋将軍(クリスチャン北洋派)
――後に名目上の首領・曹錕将軍、事実上の首領・呉佩孚…米英から援助
・ (浙江地域)安徽派軍閥=段祺瑞将軍(北洋派)…日本から援助
・ (華南連合)中華民国=国民党主席=孫文…浙江財閥&洪幇から援助、ソ連の指導および援助

21 :
坂西利八郎と坂西機関

22 :
中国はまた分裂して、そこに日本が進出してきて
引くに引けなくなって破滅。

23 :
普通は、分裂している勢力を噛み合わせて、文字通り「分割して統治せよ」を地で行けたのに。
この点はイギリスの方が上手い。
第一次大戦後には、インド(イギリス本国ではなくて)に旧ドイツ領東アフリカを統治させようとした位。
奉天、山西、上海、広西、雲南、湖北。
こんだけ分かれていたら普通は楽に傀儡勢力を広げられる。
わざわざ中央政府に顧問登用をごり押ししたり(しかも、袁が折れた後に、それより緩和な案を最後通牒で突きつけるという、
地球上でもっとも愚かな行為をしている)、
張作霖の爆、石原の口だけで対ソ連戦をあまり考えていない満州国建国(結局、敗戦の時に満州国内に防衛線を築けなくて、ほとんど南端を防衛ラインにしていた)、
天津封鎖、長江流域の租界の制圧。
やらなくていいことをしまくって、相手が次々手を組みまくって、「何で上手くいかないんだろう?」と悩む日本人。アホそのもの。
まともな頭が日本人にあれば、泥沼になることはなかった。
汪兆銘なんか、漢奸呼ばわり覚悟で日本側についたのに、日本側は汪らに対して「中国の売国奴」扱いとして軽蔑を隠さなかったとか。
つーか、日本人は中国を勢力下に置きたかったのか、中国人と殲滅戦をしたかったのか、意味不明な行動をしてる。
今も大して変わらないが、袁世凱から蒋介石までの間の日本の行動は本気で愚劣過ぎ。池沼以下。

24 :
半永久的に分裂したまま争わせて武器輸出で製造業が儲かりまくり

25 :
軍閥利権メシウマ

26 :
>>24
分裂して争わせたままにもしてない。
逆に団結させてる。
挙句、蒋介石の軍事顧問は日本じゃなくてドイツ国防軍。アホかと馬鹿かと。

27 :
張作霖にしたってソ連から多少支援受けてるからな

28 :
結局多くの日本人自身が本気で「大東亜共栄圏」「五族協和」を
実現しようと思ってしまったからでは。
プロパガンダは相手に信じこませ、コントロールするために使うもので、
自分が思い込んで突き進んでしまったら道を誤るだけ。

29 :
http://d.hatena.ne.jp/kick/20061227/

30 :
中国近代軍閥全部女性化ゲーム「中華萌国伝」
http://blog.livedoor.jp/kashikou/archives/51829678.html

31 :
>>28
日本人は異民族を奴隷にした経験が無いからね
国際社会では女学生のように振舞うw

32 :
>>30
これは酷い

33 :11/10/18
嗚、今日も日本の汚物で世界が汚染されてゆく…

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