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2011年10月1期世界史なぜ東欧は西欧になれなかったのか
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なぜ東欧は西欧になれなかったのか
- 1 :11/09/27 〜 最終レス :11/11/30
- なぜ東欧は西欧になれなかったのか
- 2 :
- ポールシフトが起きて東が西になれば西欧になるんじゃね?
- 3 :
- 東欧はあまりにアジア(トルコ)に近すぎた・・
- 4 :
- フランスの都市はローマ由来がほとんど。
ローマ帝国の主人であるイタリア人たちは古代に
イタリアの北に位置する西ヨーロッパに文明の種をまいていた。
もしローマ帝国がブイブイ言わしてた時に、
ギリシア側に首都があったら東ヨーロッパはもっと発展してる。
- 5 :
- 古代ギリシアっていうけど
学問の中心はアレキサンドリアだぞ
- 6 :
- またお前か
いい加減荒らすのはよせ
- 7 :
- >>4
ワレスがトイトブルグの戦いでアルミニウス率いるゲルマン人に敗れなかったらロシアや東欧はもっと文明化して発展してたって言ってたな。
- 8 :
- 東ローマ帝国が先進文明国じゃなかったからだな
フランク王国万歳だ
- 9 :
- アングロのようなゴリラになりたくなかった
- 10 :
- コンスタンティノポリスを中心に文化が繁栄しきれなかったからなのかな。
オスマンに完全に奪われるまで外敵に囲まれてばっかりでルネサンス的な流れができなかったんだろうか。
あとリトアニア・ポーランドあたりの頑張りが足りなかったからだと思う。
- 11 :
- >>8
いや、時代にもよるけどフランク王国の時代だったらビザンツ(東ローマ)帝国のほうが、
フランク王国を始めとする西欧諸国よりも先進的だったでしょ。むしろ、ビザンツ帝国の、
影響を受けたからこそバルカン半島辺りのスラヴ人たちはそれなりに発達したんだしね。
首都であるコンスタンティノープルは中世においてはかなりの大都市だったみたいだし。
>>10
ビザンツ帝国においてもマケドニア朝やパレオロゴス朝の頃にルネサンスが起きてるよ。
まぁ、外敵に囲まれた7世紀頃は確かに文化が発達しきれてなかったかも知れないけど、
同じく外敵であるオスマン帝国に押されてたパレオロゴス朝時代でも文化は発達してたし。
そもそも、西欧のルネサンスはイスラム圏から古代ギリシャの古典などを輸入したことで、
始まったと言われてるけどイスラム圏だけでなくビザンツ帝国から輸入したものも多いよ。
井上浩一氏は、イスラム圏が科学的分野において西欧のルネサンスに貢献したのに対し、
ビザンツ帝国は文学的分野において西欧のルネサンスに貢献したみたいなことを言ってる。
ビザンツ帝国では古代ギリシャ時代などの古典文学作品の保存にかなり力を入れてたし。
- 12 :
- 異教徒や遊牧民に奴隷にされると即座に民族性が堕落する
とはいえスターリンに占領されなかったら
バルト三国、ポーランド、ハンガリー、チェコ
クロアチアあたりは西欧と全く同じだっただろうな
- 13 :
- 西欧のような聖俗の分離がなかったから
- 14 :
- >>1
現在進行形で西欧になりつつあるんじゃね?
冷戦後モスクワのくびきから放たれた中・東欧諸国がどんどんEUに加盟してるし
- 15 :
- ユスティニアヌスも西ヨーロッパ征服なんか考えずに、
自分をカエサルになぞらえて
北方を征服すれば良かったのに。
- 16 :
- とりあえずトルコのせい
ついでロシアのせい
- 17 :
- >>08>>11
オツガイさんのおっしゃる通り、東ローマ帝国は高度な文化を誇っていたが、
野蛮なスラブ系が南下したせいで文明が劣化したのです。東欧はヘレネスやローマ人ではなくスラブ人なのですよ。
つーか東欧のほとんど東ローマの支配下に一回も入った事ねえし、正教圏はバルカンとロシアだけだし。
後は全部カトリックだし。スラブ人の後進性にビザンツ関係ねえだろ。元々西欧より海から遠くて寒い田舎だからだろ。
ハザールとベネチアに奴隷にされても、文句はハザールのユダ公に言ってくれや。
後から来た後進民族の癖にマジ迷惑。スラブ人は「遅れていた奴隷クマの我々に文明を与えて頂き、ヘレネス様ローマ人様ありがとうございます」と言うべき。
- 18 :
- お前何人?
- 19 :
- ここではポーランドは西ヨーロッパ扱いでいいの?
- 20 :
- >>15
アレクサンドロス
- 21 :
- 南欧、西欧、北欧の順で発展してるから、次は東欧が発展する番だろ。
- 22 :
- キュリー夫人はポーランドだろ。
ニコラ・テスラはセルビアだし、
アタナソフはブルガリアだし、
ハンガリー人も多くの傑出人を出してるけど、
みんなアメリカへ行ってしまった。
優秀な人材はみんなアメリカへいってしまう。
- 23 :
- ロシア革命でかなり優秀な人が流出したよな。
- 24 :
- >>18
日本人である。
日本はアジアで唯一、ギリシャ→ローマ→ビザンツ→イスラム→ベネチア
→イギリス→ドイツ→アメリカの文明遺伝子・アカデミズムを受け継ぐ文明国である。
他のアジア諸国のような表面的な近代化・西洋化ではなく、アカデミズムも受け継いだのが日本なのである。
極論を言えばアジアで日本以外は蛮族であるとも言える。ただ日本のみが蛮族支配を免れている。
欧米でもこのような国はたった一つも存在しない。
そして、ここが文明の終着点となったが故に、中華を自称する中韓の嫉妬を買うことになったのだ。
彼らは華夷秩序の下に日本も蛮族にしたいのに出来ない。日本人は事実、文明人であって蛮族ではないからだ。
「中国をなんとかして欲しい」という声は世界中にある。日本は東アジアの伝統的な華夷秩序を破壊した。
- 25 :
- >>17
確かに現在東欧と一般的に言われてる国のほとんどはビザンツ帝国の支配に、
入ったことないからね。ビザンツ帝国に支配されてたのはバルカン半島だけだし。
スラヴ人は確かに初期こそヨーロッパの中では後進的なほうだったけど中世や、
近世以降はそれなりの大国も出てるけどね。大抵はキリスト教を受け入れてから、
発展した国ばかりだけど
- 26 :
- >>25の続き(途中で抜けてしまったorz)
大抵はキリスト教を受け入れてから発展した国ばかりだけど
リトアニアだけはキリスト教を受け入れる前から東欧ではそれなりの大国だったね。
- 27 :
- おい、アレクサンドロス。
既に文明化されていたオリエントなんか征服して楽しいのか?
- 28 :
- そりゃお前、何もない未開の地より豊かな文明国を征服したほうが楽しいだろ
女も文明国民の方が美人だろうし
- 29 :
- でもメソポタミアやペルシアより、バルカンやさらに北の方が
ギリシア色に染めやすいだろう。
ギリシア人の移住も容易だろうし。
その場合、西ヨーロッパがどうなってたか気になる。
- 30 :
- イタリアや南フランスや黒海沿岸にも、点々とギリシャ人の都市はあった
まあ仮に北へアレクサンドロスが攻め込んでも、焦土作戦でダレイオスの二の舞になったかもしれんが
- 31 :
- 東欧は赤化した事によって発展が大幅に遅れた
- 32 :
- まあ。オスマンのせいだな
あれで文明が大停滞したのが痛い
しかし中欧のおまけのオーストリアに連戦連敗するような国に何で支配されたんだろ
- 33 :
- オスマン以前にバルカンやロシアって西欧並みに栄えてたっけ?
- 34 :
- >>32
オスマン帝国がオーストリア相手に連戦連敗するようになったのは17世紀末以降で、
その頃には、バルカン半島の国の多くはオスマン帝国の強固な支配下に入ってたし。
オスマン帝国がバルカン半島諸国を征服し始めた段階ではまだオーストリアに比べ、
特別劣勢だったという訳でもないからね。オスマン帝国の影響は確かにあるだろうね。
- 35 :
- 結構発展してた。
モンゴルの侵略にもやられたけど、ポーランドなんかは有名な学者も輩出してるしな。
ビザンツもすごかったがなー
- 36 :
- >>35
まあ、弱小ですな。
オーストリアなんか西欧のおまけじゃね?
有名な科学者ででいえばポーランド以下と思う。
それ以下のオスマンに強固に支配される時点で
- 37 :
- >>4
ルーマニアの国名の由来について知らない人発見。
- 38 :
- >>35
ポーランドって、コペルニクスとかキュリー夫人とか小学生でも、
名前を聞いたことあるぐらいの有名な科学者が結構いるからね。
>>36
だから比べる時期が違うでしょ。オスマン帝国がバルカン半島の支配に、
乗り出した頃はまだオーストリア>オスマン帝国とはとても言えないしね。
- 39 :
- >>38
イスラム厨はオスマンスレへ帰れ
- 40 :
- この場合、東奥とはスラブ人の地域か
それともギリシア正教圏か。
- 41 :
- >>40
スラブ人地域といった場合はバルト3国やハンガリーやルーマニアは入らないし、
ギリシャ正教圏と言った場合はポーランド辺りも入らなくなってくるね。かつては、
共産圏=東欧っていう感じで分けてたけど今は冷戦が終わってるから微妙だし。
- 42 :
- >>40
<図2>の宗教圏で分けるべき
http://www.teikokushoin.co.jp/journals/geography/pdf/200706/geography200706-08-10.pdf
- 43 :
- 聖書をスラヴ語訳したのがまずかったんじゃね?
- 44 :
- オーストリア世紀末の科学者の成果は異常。相対性理論だってマッハがほぼ確立したと言われる。
- 45 :
- >>37
今ウィキペディアで「ルーマニアの都市」で調べたけど、
どこもみんなローマ都市じゃないな。
「フランスの都市」はみんなローマ都市だったのに。
確かにローマから移民は移住したのかもしれないけど、
ローマ文明の遺産が生き延びたとは言い難いんじゃないか?
フランスではローマ文化の芽はしおれたりしながらも枯れることなく生き延びたと。
- 46 :
- >>4
「愛の種」っていう歌思い出した。
- 47 :
- ローマの支配は属州ダキアの東南部に限られていたからな
- 48 :
- >>11
文化の浸透範囲が問題だと思う。ビザンツ文化は宮廷や修道院、教会から出なかった
ように思う。せっかく保存していた古典文化も生かせなかった。無論西欧も
中世中期までは同じようなものだったが、西欧末期実用的で現在まで残る
大学が発達し、都市が多数作られ、文化は修道院から都市に移った。
東欧、特にポーランドの貴族連中は、自国を穀物地帯としてしまったことも大きい。
オランダ人がせっせと働くのを見ても、当時のポーランド貴族達は、「農奴を働かせ
ばいいのに、何故あんなに働くんだ」と思っていたらしい。
まあ、ポーランドとかウクライナは、地形的に穀物地帯だから、
そういうことになってしまったのも無理は無いと思うが、そういう意識だから、
ピョートルがオランダ始め西欧に行って、自国の西欧化を推進する意識を
持ったのは評価できると思う。まあでもロシア人貴族は「農奴にやらしとけば」
から脱皮できなかったので結局後進的なままで終わるわけだけど。
- 49 :
- >>48
ウォーラーステイン流に言えば、東欧は西欧の周辺になってしまったわけだな。
で、今でも南欧と東欧はEUの周辺であると。現在の西欧はもともと
ローマ帝国の周辺だったわけだが、数百年かけて中心化した。大したもんだ。
オスマン帝国に脅かされていたハプスブルクを、どうしてオランダみたいな
地の利も良くなく一気に攻められそうなところが独立を維持できたのか、
どうしてスウェーデンみたいな人口小国がポーランド、ロシア、ドイツと
タメ張って戦うことができたのか疑問だったんだが、オランダの場合は、
独立を守る為に結果的に、スウェーデンの場合は政策的に
国民皆兵に近い体制をとったからなんだな(スイスもだけど)。
オスマンとかロシアとか蒙古とか、東欧にしてみればいろいろ言い分は
あるのだろうけど、西欧の勃興は、何百年もかかって社会全体が
継続的な努力をしたように思うよ。
- 50 :
- ガリアはローマ領になり、クローヴィスがカトリックに改宗したことからわかるように
フランスまではかなり早くローマ文化が浸透してたようだけど、
それより東へはカロリング朝でもローマ文化が伝わってないんだな。
強力な力を持つ国家が無くなったからか(メロヴィング朝では力不足か)?
- 51 :
- >>48
>ビザンツ文化は宮廷や修道院、教会から出なかった
ヘレニズム諸王朝と同じだな
- 52 :
- >>48
>「農奴を働かせばいいのに、何故あんなに働くんだ」と思っていたらしい。
スペイン、ポルトガル、ラテンアメリカと同じだな
労働は卑しいことだという中世的な考え方から脱却できなかった
- 53 :
- >>50
カール大帝とその宮廷がカロリング・ルネサンスを生み出したが、
カール大帝の没後帝国は三分裂し、ヴァイキングの劫掠、地中海側からは
サラセンの攻撃、東からはマジャール人の侵入と、いわば蛮族のニューウェーブが
暗黒時代を再び生み出すことになった
そのことも影響しているんじゃね?
- 54 :
- 正教圏には十二世紀ルネサンスがなかった
- 55 :
- 東欧は小規模な民族や国家群に分かれ過ぎだと思う
英独仏は曲がりなりにも世界平均より大きい国家単位を形成している
旧ユーゴやオーストリア帝国辺りを復活させれば余裕で西欧に匹敵すると思う
現に成功例のロシアがある
- 56 :
- マジャール人て、もとはアジア人だけど有名な科学者を何十人と輩出している優秀な民族なんだよな
我々アジアの人々にとっての誇り
- 57 :
- 印欧語族はアジアが起源
- 58 :
- >>55
暴論だわな。
ロシアの復活は資源に依存しているところが大きい。国が大きく人口が必要な
だけなら、なぜウクライナはいつまでも低空飛行なのだろう。また、ロシアは
底辺労働をコーカサスや中央アジアの旧ソ連諸国からの出稼ぎ依存。
ユーゴについても、スロヴェニアはオーストリアの支配が長かったから、
分かれて良かったと思っている筈。クロアチアもヴェネツィア領土だった時期が
長く、観光資源も多いから、ユーゴ崩壊は歓迎だろう。一方これといった
産業の無いセルヴィア、モンテネグロ、マケドニア、ボスニアは分裂で割りを
食った方だろう。
オーストリア帝国が復活の話だが、末期オーストリアが、他民族統治コストに
どれだけコストがかかっていたかを考慮していないと思う。帝国消滅はオーストリア
人のプライドを傷つけ自信を奪ったかも知れないが、今では良かったと思っている
のではないだろうか。クロアチアやスロヴェニアからの労働者が低賃金労働
やってくれるし。
更に国のサイズ云々だが、イングランドとプロイセンはそれ程大きくは無かった。
でも近代化に成功した。17世紀、ポーランドは、面積については
ロシアに次ぐ欧州第二の大国だったが、あっさり分割された。
ハンガリーも今のドイツくらいの大きさがあった。
経済力の低い小国が独立すると経済上マイナスになる点はその通りだが、
同時に低経済地域の切捨てで、経済力が高まる小国もある(チェコも独立で
得をした方)。ポーランドも、今ではベラルーシとウクライナ西部という
お荷物の切り捨てができてよかったと思ってるのではなかろうか。
集約的な労働力を必要とする産業を国家で保護して育成するパターンだと、
>>55の言うことも一理あるが、そうではないパターンで飛躍した西欧諸国は
過去にも(オランダ、イングランド、スイス、ベルギー、スウェーデン等)、
現在でも(フィンランド、アイルランド等)沢山ある。
- 59 :
- 「ブルガリアの歴史」余話
ttp://79909040.at.webry.info/201105/article_1.html
19世紀のブル経済の復興は、中欧、西欧との貿易が活発になったからではなく、
むしろ、オスマン帝国領、特に欧州部トルコ、アナトリア半島部との交易関係の
拡大に支えられたものだった。
オスマン時代末期、折角発展した手工業的なブル工業は、独立後の1878年以来の
中・西欧からの(「欧州」からの)工業製品の「競争」に晒され、既存の手工業、
伝統産業部門が壊滅した。
実は、ほぼこれと全く同じことが、今回の1989年以降に生じた。技術水準の
低かったCOMECON基準の重化学工業は、大部分が倒産するしかなかったのだ。
(注:COMECON時代の巨大企業<クレミーコフツィ製鉄所、フォークリフト工場、
IZOTコンピュータ工場・・・全てソフィア市に所在>の何れもが、自由化後には
あっという間に倒産した。)
- 60 :
- メロヴィング時代にもゲルマニアはなんの進歩も無しかな?
- 61 :
- エジプトから始まった文明化か。
- 62 :
- なぜドイツは英仏と同じになれなかったのか
- 63 :
- メロヴィング朝って全然触れられないな。
クローヴィスの次がいきなり三百年とぶ。
ただの停滞の時代でしかなかったのか。
- 64 :
- クロヴィス死後は分裂しまくってて統一されるほうが珍しかったし
後半はカロリング家の宮宰が実権を握ってたからな
- 65 :
- 海に面してる西ヨーロッパの方が経済発展には有利
- 66 :
- まあ、朝鮮が日本より近代化が遅れたのと同じ理由だ。
- 67 :
- メロヴィング朝の史料とか遺跡って何があるんだろう。
西ゴートに関しても日本語情報は少ないけど、「西ゴート王国の遺産」という
新書で、ローマ文化がどのように変容していったか、若干情報があるけど、
メロヴィング朝って手軽に入手できる日本語の、史料や遺跡を紹介している
本ってあるんだろうか。
- 68 :
- 失礼。別スレの番号使ってしまった。
- 69 :
- バルカン諸国がキリスト共同体としてトルコイスラームに抵抗できていれば
東ローマも弱体化せずに存続してたんじゃなかろうか。あの辺は完全にイスラームとの戦いで
西欧に遅れをとったんだと思う。とはいえ、オスマントルコに東欧がボコボコにやられてる間に
イスラームを完全に追い出したスペインが新大陸へ進出し始めたり鉄砲を持ったりしてるから、
潜在的な東西の差は結構前から広がってたんだろうね。
ただ、西欧が西欧になったのは東欧がイスラームやソ連からの防波堤になったという考え方もできる。
- 70 :
- キリスト共同体なんて現代人の発想でしょう。
当時の世界観を鑑みると、オスマントルコ含むイスラム世界でも
互いに背教者認定して征服戦争の繰り返しですよ。
より共通の価値観というふうに見がちですが、キリスト教世界でも
ローマ教会よりの西欧諸国と東方教会との間には埋めがたいミゾがあり、
さらにアルバニアのように当時は無論、現代でも南北に部族が分かれている国もあり、
思惑だらけですよ。 とてもじゃないが、共同で敵を云々というような雰囲気ではなかった
ですよ。
- 71 :
- ルーマニアは自国のことを「ラテン系」で「中欧」だと思っている
そして他のバルカン諸国のことを見下している
- 72 :
- その割にはフランスと対象的に
ローマ都市が全く継承されていないという不思議。
退化がひどい。
- 73 :
- >>71>>72 ルーマニア人=瓜ロマネス半島人
>>69
>バルカン諸国がキリスト共同体としてトルコイスラームに抵抗できていれば
>東ローマも弱体化せずに存続してたんじゃなかろうか。
バルカンの民族にそれを求めるのですか?ザカフカスからバルカンまでの民族は外見こそ西欧人と同じ金髪碧眼ですが、
中身はアフガニスタンや白人にそそのかされて部族抗争をしたインディアンやアフリカ黒人なのですよ。
少なくともある時期までは。自分の民族しか見えない奴にキリスト教共同体の必要性を説かれても、
それは朝鮮人や中国人に東アジア共同体の為に反日を捨て、同じ仏教徒である日本人と手を組めというようなものです。
日本人と朝鮮人と中国人が「同じ仏教徒」として手を組めるでしょうか?
19〜20世紀を見る限りではバルカン諸国が団結してオスマン帝国と対抗するのはムリに見えます。
イスラム支配下に入ったバルカンに限らず東欧は西欧に比べて民族主義が強すぎ、国際主義が弱すぎた。
東欧は国際化よりまず隣の民族との生存競争だった。各民族の境目が決まったのは20世紀になってからだ。
- 74 :
- >>70
フランスはハプスブルクに対抗するためにオスマンと組んだぐらいだからな
- 75 :
- 東ローマはローマ帝国領を全く越えていないのか。
- 76 :
- >>73
>ザカフカスからバルカンまでの民族は外見こそ西欧人と同じ金髪碧眼ですが、
>中身はアフガニスタンや白人にそそのかされて部族抗争をしたインディアンや
>アフリカ黒人なのですよ。
アルバニアに至ってはいまだに氏族社会だからな
- 77 :
- このスレで扱う「東欧」って旧ソ連衛星国でおk?
東欧の定義って結構あいまいだからどこからどこまでか定義したほうがよくないか?
- 78 :
- >>77
冷戦時代に東側だった地域+ギリシャでどうよ?
- 79 :
- ・アルバニア
・チェコ
・スロバキア
・ハンガリー
・ブルガリア
・ポーランド
・ユーゴスラビア
・ルーマニア
これにギリシャ?
- 80 :
- ポーランドを語る上でリトアニアとウクライナが入ってないのは落ち着かない
- 81 :
- モルドヴァも入れよう
- 82 :
- しかし、ポーランドとリトアニアはローマカトリックで、
他はギリシア正教だからな。
文明化の仕方が違う。
- 83 :
- チェコスロバキアハンガリーはカソリック圏じゃないけ?
- 84 :
- チェコというかボヘミアは間違いなくカソリック
ハンガリーはカソリックとプロテスタント半々だけど基本カソリック
スロバキアもカソリック
- 85 :
- ウクライナ、南ロシアの辺りに、強大な文明国家が続いても良かったと思うんだが。
土地も肥えてるし水も豊かだし。
- 86 :
- >>85
ウクライナやロシアの南部は歴史的には遊牧民のテリトリーだった時期が長いね。
遊牧国家を文明国家と言えるかどうかは微妙だけどそれなりに強大ではあったよ。
- 87 :
- ・アルバニア:イスラム
・チェコ:カトリック
・スロバキア:カトリック
・ハンガリー:カトリック
・ブルガリア:正教
・ポーランド:カトリック
・ユーゴスラビア:
・ルーマニア:正教
・ギリシャ:正教
・リトアニア:カトリック
・ウクライナ:正教
- 88 :
- ルーマニアをラテン系というなら、フィリピンもラテン系といっていいんじゃね?
フィリピン人にはスペイン人の血が混じっているわけだし
- 89 :
- ラトビアとエストニアがないぞ
- 90 :
- リトアニア以外の2国もいれちゃう?
そしたらベラルーシあたりも入れないといけなくなるな
- 91 :
- エルベ川以東が東欧
- 92 :
- フィリッポスとアレクサンドロス二代で膨張し崩壊したマケドニア(東ヨーロッパ)と
ゆっくり着実に拡大したローマ(西ヨーロッパ)の違いだな。
- 93 :
- ウクライナは凄いよ。
日本で凄さがあまり知られていないだけ。
20世紀中頃には世界的な音楽家はウクライナ人だらけだった。
- 94 :
- こうして見ると北欧の位置付けって微妙だよな
あそこは東西で分けるとしたら?
- 95 :
- 西じゃないの?
正教でもないし。
- 96 :
- 長らくスウェーデン領だった点を重視すれば西欧。言語面を重視すればエストニア、
ハンガリーと同系との説が強いから東欧。
本人達はヨーロッパの地の果てと思っているらしい。
- 97 :
- スウェーデンとドイツによるルーシ(ノヴゴロド共和国)、フィンランドの一部
(ラップランド、カレリア)の正教会地域に対する遠征は「北方十字軍」の
一部と考えられている
- 98 :
- ビザンツがオスマンの属国になって生き延びたらどうなっていただろう
- 99 :
- バシレイオス2世以後の駄目皇帝がすべての原因
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