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2011年10月1期世界史世界の現王室・旧王室の人々39
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世界の現王室・旧王室の人々39
- 1 :11/11/02 〜 最終レス :11/11/30
- ↓日本の皇室の話はこちらにもあります
皇室・王侯貴族板
http://dubai.2ch.net/emperor/
日本史
http://kamome.2ch.net/history/
>>980過ぎたら次スレ立ててください
◆参考サイト
欧州の王室などの家系について
ttp://nekhet.ddo.jp/
欧州の王室人の現在の消息(英語)
ttp://www.hellomagazine.com/royalty/
欧州以外の王室(英語)
ttp://www.4dw.net/royalark/
◆前スレ
世界の現王室・旧王室の人々38
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1314066386/l50
- 2 :
- >金正日…なんであろうが共和国の元首、即位した事実は無くここで語るのは禁止
日本の西洋史学界は、とある欧州の巨大共和国を「帝国」と訳し、
その元首を「皇帝」と訳しているので、上記の「禁止」は無効♪
- 3 :
- 20世紀初頭の段階で君主が「皇帝」だったのは以下の国々。
ヨーロッパ 4
ロシア帝国、ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー二重君主国、
グレートブリテン連合王国(英国王がインド皇帝兼任)
アジア(中東含む) 5
大日本帝国、大韓帝国、大清帝国、カージャール朝ペルシャ帝国、
オスマン帝国
(英領インド帝国は君主が英国王なのでヨーロッパにカウント)
アフリカ 1
エチオピア帝国
- 4 :
- 20世紀における皇帝消滅の歴史
1910 大韓帝国皇帝・純宗(日本による併合)
1912 大清帝国皇帝・宣統帝(辛亥革命、1917年に復辟するも、すぐ取り消し)
1916 中華帝国皇帝・洪憲帝(袁世凱)(国内の反対で3ヶ月で取り消し)
1917 ロシア帝国皇帝・ニコライ2世(ロシア革命=3月革命)
1918 ドイツ帝国皇帝・ヴィルヘルム2世(WW1敗戦による革命)
1918 オーストリア帝国皇帝・カール1世(WW1敗戦による革命)
1922 オスマン帝国スルタン・メフメト6世(トルコ革命によるスルタン制廃止)
1924 オスマン帝国カリフ・アブデュルメジト2世(同上によるカリフ制廃止)
1924 モンゴル国ハーン・ジェプツンダンバ・ホトクト8世(ボグド・ハーン)(死去後、共産政権により廃止)
1943 東アフリカ帝国皇帝・ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世(1941年に領土喪失後、退位)
1945 満州帝国皇帝・康徳帝(清の宣統帝)(日本敗戦による国家消滅)
1945 越南帝国皇帝・保大帝(バオダイ)(日本敗戦による8月革命)
1947 大日本帝国皇帝・昭和帝(裕仁天皇)(日本国憲法施行による帝政廃止)
1947 インド帝国皇帝・ジョージ6世(インド独立による皇帝号廃止)
1974 エチオピア帝国皇帝・ハイレ=セラシエ1世(革命による帝政廃止)
1979 イラン帝国皇帝・パフラヴィー2世(モハンマド・レザー・シャー)(イラン革命)
1979 中央アフリカ帝国皇帝・ボカサ1世(クーデタによる帝政廃止)
長い人類の歴史における最後の皇帝がボカサなのか。胸熱だなあ。
- 5 :
- 人類史上、最後の帝国と皇帝は中央アフリカ帝国皇帝ボカサ1世
ヨーロッパ最後の皇帝 インド帝国皇帝(兼連合王国国王)ジョージ6世
アジア最後の皇帝 イラン帝国皇帝パフラヴィー2世(モハンマド・レザー・シャー、パーレビ国王)
- 6 :
- ボカサ1世が最後ではない(日本の天皇は一応除く)
ミクロネーションの皇帝なら今も健在
- 7 :
- ボカサ大帝みたいに正式に君主制に移行して即位した人物がネタキャラにされて、
単なる「皇帝を自称した大統領(独裁者)」の扱いで、
正式に君主制移行も即位もしてない金ちゃんファミリーが王朝呼ばわりされるって、
なんかおかしいよね?
ウィキのこれ、やっぱり悪意あるよね。
>ジャン=ベデル・ボカサ(Jean-Bédel Bokassa, 1921年2月22日 - 1996年11月3日)は、
>中央アフリカ共和国の大統領(在任:1966年 - 1976年)。
>中央アフリカ帝国の皇帝ボカサ1世(在位:1977年 - 1979年)とも名乗った。
「とも名乗った」って・・・
- 8 :
- 日本の天皇を皇帝として認めない理由として「国政に関する権能を持っておらず、君主ではないからいないから」とするのはおかしい
実質的に国政に関する権能を持っていなかったという点では武家政権時代の歴代天皇も同様である
- 9 :
- >>8
前スレでも言ったけど、スウェーデン王が君主なら天皇も君主でしかあり得ない。
- 10 :
- >>8
だから、室町前期に義満に祭祀権も洛中の権も全て接収されて以降の天皇は、
もはや幕府に寄生する儀典職以外の何者でもなくなった。
戦国期に一時フリーハンドを取り戻したものの、江戸幕府のもとで完全に権力を失い、
幕末の文久期に将軍との力関係が逆転するまで、ただの儀典職にすぎなくなった。
室町前期から文久期までの天皇というのは、前時代の王朝の末裔という旧家の当主として、
「なんかよくわからんけど、家柄だけはいい、神主みたいなことやってる京都のオッサン」
というにすぎない。
- 11 :
- 綱吉 常憲院→憲王
家宣 文昭院→文王
家継 有章院→章王
吉宗 有徳院→徳王
家重 惇信院→惇王
家治 浚明院→浚王
憲王・文王・章王は儒者太宰春台の著書「三王外記」の中での、
5〜7代将軍に対する呼称。
春台は、将軍は日本国王(日本の主権者、帝王)であるというスタンスだから。
徳王・惇王・浚王は、「続三王外記」の中での8〜10代将軍の呼称。
著者の石井レイは老中松平武元の右筆で、春台のスタンスを受け継いでいる。
個人の著書の中で、将軍の院号(霊廟の廟号)をもじってつけた呼称なので、
幕府による公式の「おくりな」ではない。
「正続三王外記」の著者にとり、天皇は周の天子のような「虚名」であり、
江戸の公方様=徳川将軍こそが、実力で日本を支配している主権者であって、
いわば戦国の七雄のような列国の王にあたるという認識だと思われる。
- 12 :
- 別に立憲民主政下の君主を君主と認める立場からすれば君主に実権があったかは
2次的問題なので縷々自説を披瀝されても「へー」でしかないなあw
残念ながら江戸時代の徳川大君も「国主としての天皇から任命される征夷大将軍」という
名目を一切崩していない。このスレが問題にしているのは名目の部分なので、
金日成が除外されるのと同じ理由で歴代天皇は全く問題ないんだよ。
- 13 :
- >>11
これは面白い。久々にためになる知識だわ。
幕末の外国人は将軍を皇帝視してたな。
皇室は世襲教皇みたいな位置づけか?
- 14 :
- 徳川将軍の権力はあくまでもる天皇によって委任されたものであって、
唯一絶対的な専制君主ではなかったのを知らなかったから。
交渉を重ねるにつれて将軍が独自に裁可出来ないの事に気づき
真の主権力者ではないと悟った
- 15 :
- でも幕末の外交権でもめたように一応力あったからなぁ
- 16 :
- >>14
江戸時代の大半を通しての対朝鮮外交も、家光時代の鎖国の断行も、
全部朝廷関係なしにやってるぞ。
幕末の外交に朝廷の介入を許してしまったのは、江戸後期の国学の流行で、
松平定信あたりから、幕府も尊王思想の影響を受けていたというのもあるが、
それ以上に外交責任を単独で背負い込むのを回避するためというのが大きい。
基本的に、幕末の開国期になるまで、外交権は幕府の専権事項であって、
京都の家柄がいいだけが取り柄のオッサンには、その権限はなかった。
江戸初期の家康、秀忠、家光を見ればわかるように、大御所または将軍が、
日本国王ないしは皇帝と海外からは認識されていたし、それが現実だった。
- 17 :
- しかし将軍の権力では条約等の裁可が独断で出来無いという事実
結局、外国勢も誤認識だったという結論
- 18 :
- >>5
ボカサは、好むと好まざると、現時点(2011年現在)では、人類史上最後の皇帝だろう。
そして、彼の中央アフリカ帝国は人類史上における最後の帝政国家としての帝国。
ショボいとかインチキくさいとかいう個人の感想はあるかもしれんが。
ただ、ショボくても、何か漢(オトコ)としての魅力はあるね。
男の子の持つ、空想的な夢とロマンを現実世界で叶えたという意味で。
ホルティの統治したハンガリーが聖イシュトバーンの王冠の下のハンガリー王国だったのは事実。
「王なき王国」が嫌いな人もいるかもしれないが、ハンガリーにおいてはハプスブルクの生身の君主
(困ったちゃんのやんちゃ坊主)などより、伝統ある王冠の方が優先だったわけで、
聖なる王冠の下、共産主義者から祖国を護ったホルティ摂政は疑似君主として興味深い存在だ。
- 19 :
- >>17
それは、幕末の開国期限定の話だね。
朝鮮との己酉約条は大君(徳川将軍)が、朝廷関係なしに結んでいるね。
通信使も大君向けの使節(大君の即位=就任を祝賀するためのもの)であって、
京都の家柄いいことだけが取り柄のオッサンはスルーだし。
- 20 :
- >>18
主権国家の皇帝とその帝国に限れば、だな
- 21 :
- 外国でも歴史的に将軍が皇帝とされてる時期はない
- 22 :
- 日本皇室厨はいいかげん消えてくれないかな?
- 23 :
- >>21
家康とか秀忠は西洋人から皇帝呼ばわりされてるぞ。
- 24 :
- いや、どーでもいい
んなことより外国王室の話をしようや
- 25 :
- だからそれも誤認識故
- 26 :
- 幕末の尊皇思想は反幕府のルサンチマンを反映しただけだし、
戦前は洗脳教育の賜。
- 27 :
- 結局、ペリー来航以降、幕府が朝廷に報告したり、諸大名に意見を求めたりして、
墓穴を掘ったんだよなあ。
尊王思想の知識層への浸透で、朝廷をガン無視できなくなったってのはあるんだろうけど、
やっぱり公方様や幕府にとっては自行為だわ。
家康が朝鮮と復交したり、家光が鎖国したときは幕府の独断でやってるんだから。
- 28 :
- >>24
じゃあ、キム王朝の話でもするか。
- 29 :
- スレを立てたやつからしてキチガイ金豚厨だから
キチガイ日本史厨だのが集まってくるのか
まあ類は友を、っていうしな
- 30 :
- 将軍は常に主権者ではなかった
事実上の皇帝のようなものであっても、真の皇帝であった事は無い
将軍職はさらに上位の者から委任されたもの
- 31 :
- それもこれも水戸が悪い。
- 32 :
- ティムールだって、上位にMス統のハーンを担いでいたけど、帝王扱いだぞ。
- 33 :
- 日本の国体及び将軍は違う
権勢を誇った時代もその権力は常に朝廷からの委任
- 34 :
- ホルティ摂政(ハンガリー)
「王なき王国」における、聖イシュトバーン王冠の守護者。
WW1直後の混乱期に祖国を共産主義者から守った救国の英雄。
マクマオン大統領(フランス)
ブルボン・オルレアン両派の合同でほとんど実現寸前だった王政復古を、
王位継承者シャンボール伯のワガママ(三色旗拒否)で失敗させる。
ヒンデンブルク大統領(ドイツ)
帝政復古を念願しつつも、自らは何もせず、ヒトラー政権樹立を容認。
ウィルヘルム2世への忠誠心のため、カイザー本人の復位にこだわり、
ブリューニング首相らの皇孫擁立計画に同意せず。
フランコ統領(スペイン)
ソ連の手先の共産主義者から祖国を解放した英雄。
WW2直後にスペインを「王国」と規定するも、死ぬまで国家元首に在任。
現在のカルロス国王を王位継承者に指名し、王政復古を可能とした。
- 35 :
- アジア圏で君主制復古を果たしたのは
カンボジアと、強いていえば中国くらいか
- 36 :
- 要するに
◎
×
×
○
- 37 :
- 日本も、占領終結後に鳩山一郎とか岸信介らが狙ってた復古的な憲法改正で、
天皇の元首化を実現してれば、アジア圏での帝政復古の一例になったのにな。
- 38 :
- >>37
もうお前出てくんなよ
- 39 :
- >>34
実績面ではフランコ最強
- 40 :
- スペインの現王は「カルロス王」ではなく
「フアン・カルロス王」だと何回言ったら。。。
- 41 :
- >>37
天皇元首化、再軍備を主眼とする鳩山一郎らの戦前回帰の憲法改正が実現してたら、
ネトウヨ大喜びになるどころか、徴兵制復活で軍事的にはいまの韓国みたいになってたかもよ。
- 42 :
- 生命力の逞しさには定評のあるブルボン朝
- 43 :
- >>31
そうでもない。
天明の大飢饉を奇貨として幕府への勧告権を確立した上に、外交問題の報告まで行わせた光格天皇と鷹司輔平の叔父甥コンビの功績。
スレチご容赦。
- 44 :
- ブルボン朝つーかカペー家のかな。
ブルボン系に限れば本流はブルボン公シャルル3世で一回絶えて、
傍系のブルボン=ヴァンドーム家が本流となってこれがアンリ4世以下
フランス王を輩出することになり、この家系はの本流もシャンボール伯アンリで絶え、
その後は傍系で本流争いと。
多くの傍系家系があって、本流が絶えても予備がなんぼでもあると言う点では
生命力が強い。
- 45 :
- >>44
側室無しでユーグ・カペーの男系が今に続いてるんだものな。
- 46 :
- wikiのシーランド公国のページ見てみたけど凄ぇな
記事の量や内容といい、他言語版の多さといい、
尋常じゃないほどの充実ぶりだ
流石は世界一有名なミクロネーション国家のことだけはあるな
- 47 :
- ハプスブルク家においてわがままな君主候補などいなかったと思うが。
カール1世は自身の復位に前向きだったし、廃位前に暫定即位したヨーゼフ大公も、外圧で退位を余儀なくされただけ。
何れもホルティが実権の有無に関わらず元首として戴いていれば、現代まで存続可能だったろ。
要するにホルティは無能。王なき王国(笑)
- 48 :
- 江戸期についてはよく分からんが、現代における天皇は皇帝格元首だろ。憲法が強力に統制されはいるが、解釈次第ではかなりわがまま効くぞ。
>>7
ボカサが色物扱いなのは、在位期間の短さと承認されたのはなんかよく分からんからでは。
まあ少なくとも、「最後の皇帝」ってのはありえないな。「最後の絶対君主たる皇帝」ではあるだろうが。
同じウィキペで金を見れば分かるが、君主だなんて全く扱ってないぞ。
- 49 :
- ボカサ皇帝の在位期間は数年程度だったが
彼が皇帝であったことは厳然たる事実
- 50 :
- シーランドは腐女子に人気だから。
- 51 :
- ボカサがemperorなのは確かだが、それ以上に現代の天皇がemperorなのも確か。
ボカサが最後のemperorで現代日本にてemperorが消滅したという主張を繰り返す限り、残念ながらボカサがイロモノ扱いされても仕方ないよ。
- 52 :
-
ロシア革命は、革命家も王室も日本人
http://2nd.geocities.jp/jmpx759/0202/2/118_3.html
結局、ロシア革命は、壮大な「やらせ」劇場だった。
最後のロシア帝国皇帝ニコライ2世は、日本の歴史に合わせて皇帝を退位した。
- 53 :
- >>50
シーランドはキモオタに人気の間違い
- 54 :
- >>2
日本の東洋史学界は、とある東アジアの共和国を「帝国」と訳し、
その元首を「皇帝」と訳していることなんて「全く無い」わけで、「禁止」は有効♪
- 55 :
- 最後の皇帝って今の所とりあえず今上天皇でしょ
何勝手に消滅させてんの?
- 56 :
- 天皇は皇帝ではない。
皇帝は神の代理だが、
天皇は天、つまり神そのもの。あのオッサン神だったのか。
- 57 :
- まぁ多神教の国だし。
そもそも我が国の神様は絶対的なものではなく人間に近い存在だから。
- 58 :
- >>54
共和制国家の元首が後世君主として認められるのは、その地位の継承者が本物の君主になった場合に限られるのではないかな。
ローマ皇帝の地位を継承した神聖ローマ皇帝やロシア皇帝は疑いも無く君主。
これはフィレンツェやオランダにも適用出来る。メディチ家やオラニエ家の当主が後世本物の君主になってるからね。
北朝鮮が将来本物の君主制に移行したら、金日成や金正日も君主と見なして議論するよ。
- 59 :
- >皇帝は神の代理
なにそれ
- 60 :
- 国際的認知が君主の条件ということになると、例えば中国でクーデターが起きて首謀者が皇帝に即位しても、周辺国に侵攻を始めるなどしてその政権がどこの国からも承認されなかったら、君主ではないということになってしまうのではないか
そういえばアフガニスタン・イスラム首長国は3ヶ国から承認されていたが領土全域を支配することはなかった、この場合はどうなんだろう
- 61 :
- 皇帝は神の代理だろ
王権神授説を知らんのか
- 62 :
- >54
ここは東洋史板ではなく世界史板だから。
君の禁止は無効♪
残念だったね。
- 63 :
- ww1以降、新規の王朝を開いた(開こうとした)者
戦前
レザー・シャー(イラン・パフラヴィー朝初代皇帝)→2代で滅亡
ゾグー1世(アルバニア大統領から国王に)→1代で滅亡
戦後
ボカサ1世(中央アフリカ帝国皇帝)→1代で滅亡
21世紀
カダフィ(アフリカ諸王の王)→アフリカの部族王や文化王から推戴
WW2を境に新規の王朝を開くのは困難になったな。
レザー・シャーのとこも2代で終わったけど、ボカサみたいな笑いモノにはなってない。
笑いモノというより、マジモノの悪役として追い出されてしまったが。
カダフィは一応、部族王や文化王から「アフリカ諸王の王」に推戴されていたし、
リビア国内でも皇帝か国王に即位する君主制移行計画があったことが発覚しているが、
最後は群衆に集団リンチされてしまったな。
- 64 :
- そして、肝心のボカサ大帝についてだが、結局、視点の問題だよな。
権力者としては、大統領としての在任期間が長く、皇帝だったのは2年間だけだから、
あくまで大統領がメインで、最後に「皇帝」と名乗ったという解釈もアリだろう。
しかし、たった2年とはいえ、正式に皇帝に即位していたのは厳然たる事実なのだから、
大統領から皇帝に即位した「アフリカのナポレオン」と解釈するのも間違いではない。
やっぱり、ジャイアン的なキャラが笑い物になってるんだろうな。
それにしても、「アフリカのナポレオン」って、確かに厳然たる事実ではあるんだが、
なんかいいちこ並みの重さしか感じないフレーズだな。
- 65 :
- ボグド・ハーン
- 66 :
- ボグド・ハーンは共産政権が転生を認めず、その死をもって打ち止めにしたからなあ。
- 67 :
- ボグドさんのようなラマ教の教主も神格だから
ある種天皇と同じ種類だな。
- 68 :
- ボグドさん、第9世が健在なんだけど。
- 69 :
- >>47
>カール1世は自身の復位に前向きだったし
ハンガリーの人たちにとっては、そのときの言動こそが、
「困ったちゃんのやんちゃ坊主」すぎて、迷惑千万だったんだが。
- 70 :
- モンゴルの仕組みは教主と皇帝を兼務という形だったんだろうか。
旧日本もこの解釈にすればよかったのに。
- 71 :
- >>61
そんなことは分かってる
なんで欧州のローカルルールを日本に当てはめてるんだ?
- 72 :
- 位階を表す全ての言葉は何かに当てはめた訳語だよ。
欧州では漢字で”皇帝”なんて言葉はねえんだよ。
日本が勝手に欧州の存在に合わして統治制度を定義したの。
だから同じ。
- 73 :
- 上の方で徳川皇帝扱いを一生懸命否定してるのは、
徳川より上の天皇陛下バンザイを言いたくて頑張ってるネトウヨなのね。
徳川の外交権が不完全なのは封建制だから。
大名=王
徳川=皇帝
ミカド=神格
天皇の方が皇帝よりランクが上だからなのに。
やっぱバカだなネトウヨ。
- 74 :
- このスレのどこが「世界の現王室・旧王室の人々」なんだろうね
制度論や称号論やりたいなら別のスレ立ててそこでやれよ
- 75 :
- カダフィが王か大佐かとかいう難問を語るからだろ
- 76 :
- 「アフリカ諸王の王」とは何だったのか?
- 77 :
- カダフィは死んで神になった
- 78 :
- >>14>>16 俺は以下のように理解しているのだが
今ならば条約は国会の議決で批准となるところを、江戸時代には天皇の裁可によって批准となる制度だった。
んで、江戸幕府が決めたことはそれまでは天皇は不裁可とすることがなかったのを、
通商条約でその慣例を破って裁可しようとしないので大騒ぎとなった。
- 79 :
- 数有るアフリカの独裁者でも、マジで王様になろうとしたのは、
あとにも先にもボカサとカダフィの二人だけだな。
あの暴君アミンでさえ、ジョークにしかしなかった最後の一線を、
やすやすと乗り越えた、この二人にはマジで感動する。
- 80 :
- >>78
ペリー来航で阿部老中が朝廷にお伺い立てるまで、
基本的に朝廷は外交にノータッチだよ。
江戸初期からペリー以前は、外交は幕府の専権事項。
朝廷とか天皇の許可も承認も一切不要。
江戸初期の外交、江戸期全般を通じての対朝鮮外交、
これらすべて朝廷は一切関与してない。
- 81 :
- 国会との対比は現在に代入した天皇解釈で、
そんなモンいちいち幕府政策を京まで運んで確認しとるわけなかろう。
禁中並びに公家諸法度ですよ。公家ミカドのルールは徳川が決めた。
有名無実にすら該当しません。
通商条約云々は幕末の反幕勢力が歴史を発掘してミカド権威を掘り起こしただけで、
そんなもの仮に豊臣の末裔でも残っていたらそれでもなんでも良かった。
- 82 :
- 結局、阿部ちゃんが八方美人的に、朝廷にも諸大名にも開国の是非を問うような、
自ら幕府独裁を否定するような愚行をやっちゃったのに、つけこまれた感じだな。
- 83 :
- 阿倍晋太郎だな。困ったやつだ
- 84 :
- >>62
史学界の承認が条件のようだから、その条件を満たしていない北朝鮮話の禁止は変わりません♪
ローマは史学界が認めた例外中の例外で他に当てはまらない
- 85 :
- >>69
カール1世が嫌なら、元の通りヨーゼフ・アウグスト大公を復位させれば良かったわな。一つ飛ばしでオットー皇太子でも良かった。
フランコ総統は、フアン王子を飛ばして、息子のフアン・カルロス1世を国王位につけた。同じことが出来なかったのは結局、ホルティの無策ぶりの表れってわけだ。
元より復位させる気が無いなら、王冠がどうのっつってもお笑い草だわな。そもそも王室ではないのでここで語る価値が無いということに。
- 86 :
- 皇太子huang-taiziといえば
ヌルハチの息子ホンタイジを語ろうではないか
- 87 :
- 前スレでドイツ厨だなんだと言ってた人がいたが、
大名アンチ・天皇アンチって単なる徳川厨なんじゃねえの
- 88 :
- 前に中国人同士がチャールズのゴシップが1面の載った新聞を手に話しているのを
聞いていたら、しきりと「ふぁんたーず」と言っている。
明らかに「王太子」ではなく「皇太子」と呼んでいるようで、
やっぱり中国語でも「女王」の「皇太子」らしいw
まあ中国でも日本と同様「皇太子」はいたが「王太子」は一般的ではなかったものと思科。
韓国じゃ「王世子」つってるけど、そりゃあんたんとこの王様が属国の候王に過ぎなかったことの証拠だよwww
イギリスはどこの属国でもないので「太子」が正しいw
- 89 :
- >>85
ハンガリーは、もともとハプスブルクの家領じゃないからな。
ネーデルラント同様、婚姻政策の結果、家領になっただけだから、
状況次第で反ハプスブルクになっても全然おかしくない。
マリア・テレジアや皇妃エリザベートの場合は、個人的な人気にすぎず、
1848年の3月革命のときみたいにハプスブルクの危機はあった。
結局、ハンガリーにとっては生身の王様などはどうでもよかった。
大切なのは、国家の歴史と統一の象徴である聖イシュトバーンの王冠であり、
よそ者の王家、しかもトラブルメーカーになりそうなヤンチャ坊主など、
全く必要なかったのだ。
クン・ベーラの共産政権から国を救った英雄ホルティこそ、カールやオットーより、
聖なる王冠の守護者としてふさわしかったのだ。
- 90 :
- ローマ皇帝が皇帝・帝政とされる所以は、同系統で何代も世襲したからのように言われるが、実際はそうでない場合も多い。
にも関わらず「皇帝」「帝政」とされるのは、その地位保障の特殊さや、複数領土の支配者であるという側面も大きい。
何より、2000年以上から、最新でも500年以上前に存在した国家で、数百年にわたって続いていたことが判明している。
その中で、妥当性があるかどうかはともかく、はるか後年の我々の中の一部がその時期の地位を総括して「皇帝」と呼んでいるに過ぎない。
即ち、今現在2代60年続いた「だけ」に過ぎない北朝鮮の親子独裁を君主制と呼ぶにはあまりにも時期尚早であるということ。
そもそも、現代の北朝鮮を例えるのに、2000年前の国家を持ち出すのはおかしい。近代に類似例はたくさんある。
近代の例でみれば、親子でイギリスを支配したクロムウェル時代は「共和制」であり、自ら君主を名乗ったパフラヴィー朝などは「君主制」とされる。
即ち、他の条件がどうなっているかは知る由もないが、少なくとも「自ら君主であるとした」ことは近代以降の君主制においては最低条件だったのではないか?
そうでなければ、わざわざ大統領として独裁者の地位にあったものが、わざわざ君主として即位し直す必要などないからだ。
「歴史学」的関連で見れば北朝鮮が後年君主制とされる可能性が無いわけではないが、それは数百年後においてのみの話。
だいたいの話、たかだか2代(2代目の息子が跡を継ぐ可能性なんざまだ分からん)親子で権力が続いた例なんて腐るほどあらぁな。
結論:北朝鮮をこのスレで語りたければ、コールドスリープ技術でも開発して200年ROMってから来い
補足:北朝鮮が君主即位を公式に宣言した場合は話は別だ
- 91 :
- 選挙王政の君主や教皇と、「王なき王国」の摂政って、
世襲の王ではない君主国の元首という点で、実質的に大差ないよな。
実は、WW1直後のフィンランドもドイツ系の君主を迎えられなくなって、
旧帝政ロシアの軍人で貴族のマンネルヘイムが一時的に摂政になっている。
ただし、こちらは、すぐに共和制になってしまったが。
(マンネルヘイム自身はWW2末期に大統領として再度、元首になっている)
- 92 :
- 王様の定義は冠をかぶることだな。
キムキムはまだかぶってないから王様ではないよ。
- 93 :
- 李 文哲論文
『作られる「金日成朝鮮」』
http://mitizane.ll.chiba-u.jp/metadb/up/BA31027730/2011no.219_120_133.pdf
>北朝鮮が労働党の規約改正を通じて「金日成朝鮮」と規定したのは、自らの国家を人民
>共和国ではなく、王政と宣言したことに他ならない。
主体金氏がどこまでつっぱしるのか楽しみ。カダフィ王亡き後(推定)、「やって」くれそうな最有力候補だ。
- 94 :
- どうかな。
いまでも中国が天安門に毛主席の肖像画をデカデカと掲げて、
故人である毛主席を「永世名誉皇帝」扱いしてるようなもんだろ。
だから、中国ではその後の指導者は一代限りのテクノクラートにすぎない。
- 95 :
- >>91
いや全然。王冠を公式に被らなかった時点で選挙王政の君主や教皇とは既に比較対象にならぬ格下。小物。
摂政は元首ではない。自ら即位しなかった時点でゾグーの足下にも及ばないし、
とっとと共和制に移行しなかった時点でケマル・パシャとは比べ物にならぬほど往生際が悪い。
- 96 :
- 共産主義では個人崇拝がルールだからな。
それはしょうがない。
- 97 :
- つーか、よく考えたら世襲は必ずしも「君主」の絶対条件でもなんでもないよな。
名目だろうがなんだろうが推戴や選挙が即位の条件になっている君主は多い。
フランス共和国大統領に自動的にオマケで付いてくるアンドラ大公位をきちんと抱合した上で
明らかに君主ではない独裁者を除外する客観的定義づけは不可能で、
やっぱり自称と周辺の承認(国内、国外)によるしかないだろうな。
- 98 :
- >>97
国外の承認は必要か?
- 99 :
- 自称でいいなら葦原天皇とか
合衆国初代皇帝ノートン1世とか
いろいろいるだろ。
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