2011年10月1期世界史偉人同士の意外な繋がり
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偉人同士の意外な繋がり
- 1 :11/11/11 〜 最終レス :11/11/23
- マルサスの父はヒュームの思想上の同志で、ヒュームを招いて息子の生誕を祝ったとか、
カントは規則正しい生活を送っていたが、あるときルソーの本に夢中になって日課を忘れた、という類のエピソードを希望。
- 2 :
- エディソンと大フォードが、あるレストランで会談をする、という話を聞きつけたある記者が
隣席を確保してその内容を聞き取った。
しかし、内容はどうってことない世間話の連続で、高額の予約料金と食事代を無駄にした、と後悔した。
- 3 :
- マウリヤ朝のチャンドラグプタが少年時代にアレクサンドロス大王を目撃
- 4 :
- 二葉亭四迷とピウスツキ家
- 5 :
- 森鴎外が、ナウマンの日本蔑視発言の場にいて、堂々と反論したこと。
- 6 :
- ドフトエフスキーとツィオルコフスキー(宇宙ロケット構想の始祖)が同じ人に師事していたこと。
ニコライ・フョードロフだったかな?
- 7 :
- レーニンとムッソリーニは、スイス亡命中に親交があった。
(1900年代のスイスは政治亡命者のメッカのような場所だった・・・)
- 8 :
- ドゴール(フランス大統領)とトゥハチェフスキー(ソ連陸軍元帥)は
若い頃ドイツの同じ捕虜収容所に入れられてそこで友人になったという話
- 9 :
- マルコポーロは元の首都である大都で二月騒動により日本から亡命してきた
六波羅探題南方の北条時輔に会い、東方見聞録にて黄金の国ジパングの着想を得た。
- 10 :
- >>9
赤マフラー乙!
- 11 :
- ちなみに時輔を伴ってジェノバに帰国したマルコは時輔の赤マフラーからヒント得て自国の兵の目印に採用したという。
これが後にジェノバ特産の赤色ネクタイとして発展したのはあまり知られていないお話。
- 12 :
- フランスの画家、マネとモネがお互いにお前の名前何とか汁!とか聞いたことあるな。
- 13 :
- >>9 NHK史観
- 14 :
- ヒトラーとビイトゲンシュタインは同じ小学校で
子供の頃に一緒に写真に写っている。
東条英機を絞首刑にしたのは、キング牧師のお父さん。
- 15 :
- >>14
リンツ実科学校だろう。
ヴィトゲンシュタインの家はウィーン
- 16 :
- ヒトラーがウィーン美術アカデミーを受験した時、
エゴン・シーレは年下だったが既に在校生だった。
1944年7月20日、ヒトラー暗計画ワルキューレを実行した、
シュタウフェンベルク伯爵はウィーン大学で
シュテファン・ゲオルゲに文学を学んだ。
第一次大戦中、ルドルフ・ヘスが
入隊した部隊の師団長がハウスホーファーであり、
戦後ミュンヘン大学の教授となったので、
退役したヘスも入学して教え子となった。
- 17 :
- >>16
> ヒトラーがウィーン美術アカデミーを受験した時、
> エゴン・シーレは年下だったが既に在校生だった。
これ(と言うか、シーレという人物についても)某ゲームで初めて知ったw
- 18 :
- ダーウィンの外祖父が、陶器製造会社ウェッジウッド社の創業者。
- 19 :
- 劉禅の皇后の張氏の母(つまり張飛の妻)は、夏侯淵の息子で後に蜀漢に亡命
して来た夏侯覇の従姉妹。
後に亡命して来た夏侯覇に、劉禅は夏侯淵の死を恨まず、自分の子が夏侯氏の
血を引いていることを覚えておいて欲しいと述べている。
この板なら今更でしょうが。
一応、張飛による夏侯氏の娘誘拐自体を疑う現代の史家も存在します。
- 20 :
- 天草四朗は豊臣秀吉の孫。
大坂夏の陣の際、豊臣秀頼は密かに大坂城を脱出して乞食の扮装をして薩摩に落ちのび
そこで島津家に匿われて生き長らえた。
その時に地元の娘との間に出来た子が秀綱で、名を隠して益田四朗と名乗り、
後に農民反乱のカリスマとなった天草四朗時貞である。
- 21 :
- Mス・ハンは源義経だったらしい
- 22 :
- >>20-21 あほくさ
- 23 :
- プラトンに論を弄ぶソフィストとしてこき下ろされたゴルギアス、プロタゴラスは
それぞれエンペドクレス、デモクリトスの弟子
- 24 :
- 桃太郎は満州へ渡りジンギスカンになったと聞いた。
- 25 :11/11/23
- 哲学者のデューイは胡適がコロンビア大学に留学していたときの教授。
ちなみにデューイは欧洲大戦が終わった1919年〜1921年にかけて日本と中国を訪れている。
胡適の方も晩年に中国共産党が政権を掌握するとアメリカに亡命した。
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