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2011年10月1期プロレス1972〜77年の新日本プロレス
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1980年の新日本プロレス Part2
SWって何で片膝立ててボケッと待ってるの?
1972〜77年の新日本プロレス
- 1 :11/09/03 〜 最終レス :11/11/27
- 旗揚げから77年までの新日本プロレスを語ろう
- 2 :
- 第一回目の放送をリアルタイムで見てた方 いらっしゃいますか?
- 3 :
- 糸冬
- 4 :
- 豊登復活
- 5 :
- ワールド大リーグ戦
- 6 :
-
- 7 :
- レッド・ピンパネール
- 8 :
- 新春バッファローシリーズ
- 9 :
- ゴールデンファイトシリーズ
- 10 :
- 8の字固め
- 11 :
- 猪木柴田組
- 12 :
- カール・ゴッチ杯
- 13 :
- まだ新間が表には出てこなかった時代だな
- 14 :
- 大塚リングアナ
- 15 :
- 猪木 坂口
- 16 :
- 舟橋慶一
- 17 :
- ドナルド・タケシ
- 18 :
- テレ東に猪木vsゴッチ残ってないのかな?
- 19 :
- 小松フォークリフト
- 20 :
- がまかつ
- 21 :
- クリンビュー
アサヒペン
- 22 :
- チルチルミチル
- 23 :
- 初めて見たのが77年の新春シリーズだったな
それも猪木対ハンセン
- 24 :
- >>23
シンと上田も初合体でフルスロットルした滅茶苦茶なシリーズだったね。
- 25 :
- 坂口・小林とシン・上田の抗争は面白かった
ターバンで首絞められ、急所打ちで悶絶する坂口・小林
- 26 :
- ペドロ・モラレス
- 27 :
- 星野勘太郎入団
- 28 :
- レッドシューズ・ドゥーガン
- 29 :
- ハリウッドブロンドス(ブロンドボンバーズ)の老獪なタッチワークに
四苦八苦のあげく、北米タッグを獲られたバカ正直ファイトの坂口&小林
- 30 :
- >>29
坂口と猪木だぞw
- 31 :
- 第一試合
小林邦昭VS佐山サトル
- 32 :
- >>23-24
その初期ハンセンは見てないんだよねえ。
79年の第二回MSGのときは既に後の「ハンセン」という形はできてた
けど、この時はどんな感じでした。
後にハンセンは「ジェットシンの暴れっぷりには影響を受けた」って
語ってたけど、このシリーズでのことだろうね。
- 33 :
- 金髪にした森嶋が吉江のようなファイトスタイルで戦って、ただし技はタックル、
エルボー、ボディスラム、ラリアートだけ、という感じと言ったら酷過ぎるかな。
ああ、カナディアンバックブリーカーも使っていたか。
猪木にはバックドロップ一発であっさりフォールされている。
- 34 :
- >>33
森嶋と吉江ってww
若き日とはいえハンセンの形容にはキツいっすよw
- 35 :
- 前座を見てて、「もしかすると、このカードが将来ビッグマッチのメーンを
張るかもな」と思うことがあったな。佐山×小林邦には思わなかったけどw
まあ実際メーンは張ってない。
漏れが一番感じたのはG高野×前田に少しそれを感じたが、前田はスターに
なったがジョージは微妙だったw
若手時代ではないが、宇宙孤狼の武藤とジュニア時代の高田のカードが
複数ビッグマッチのなかで組まれて回避されたことがある。このとき
新日本内で「将来、両国のメーンを張れるであろう二人を、ここで刺身のつま
として扱うのはどうか?」みたいな意見が出てた。
・・・・・両国どころかドームを超満員にしてメーンを張るとはねw
- 36 :
- 武藤が凱旋帰国した時、高田や前田とタッグであたったが、高田は相当武藤の
ことを意識してたね。
- 37 :
- 当時は冬の時代と言われてたけど
前田、高田ー武藤、越中の連戦を見てて
新日の将来は安泰だと確信してたw
つくづく団体の分裂って罪作りだな
- 38 :
- >>36
同じ歳だしね。武藤のある種の猪木→UWF路線とはぜんっぜん違う才能という
のは脅威だったんだろうと思う。ガチもそれなりには強いし。
高田は山崎とライバル扱いされるのは不服そうだったねw
ちなみに>>35のビッグマッチって第二回IWGPタッグ戦の大阪城大会で、
当初は 猪木&藤原×前田&木戸(公式戦)、ブロディ×アンドレ、高田×武藤が
組まれてたんじゃなかったっけ? でブロディとアンドレが来日せず、
高田×武藤も中止だったと思う・・・・当初のカードのボリュームからは相当な
レベルダウンだな
前田には、こういう存在が居なかったな。いつも猪木とか長州とか藤波とか
上をターゲットにしてて。同世代で競い合う相手が居なかった。
谷津とかマシンとかジョージじゃねえw
- 39 :
- >>38
そう、その大阪城大会で予定されてた。
しかし高田が指の骨折で欠場で中止に。(前日までは出場してた)
- 40 :
- http://www.youtube.com/watch?NR=1&v=pITLAmDfWkY
これは80年代?
- 41 :
- P.パターソンや
C.マルコフ B.ループあたりが
「エース」として来日してたけど、
シリーズは”持った”のかな??
- 42 :
- 第二回ワールドリーグ戦でストロング小林対大木金太郎戦があったようなのですが、詳細わかる人いますか?
記録だけみると小林が勝ったらしいけど
- 43 :
- ゴールドマンやゴリアスがエースの時よりは
「もった」のではw
>>41
- 44 :
- アイアンシーク&スーパーデストロイヤーでもたせたこともあるので問題なし。
- 45 :
- ↑ あのシリーズはホント不思議だったよねぇ。
アイアン・シークを「エース」として立てようと言う
ストーリーもなく、毎回”凶器シューズ”で
反則負けだったり。
で、これ以上引っ張れない第4週目位に
津山で猪木とやらせ アッと言う間に卍でギブアップ。
S.デストロイヤーも 全然強さをアピール
出来なかったし。
実はBNアレンが結果的にはエースだったんじゃないか?
- 46 :
- >>42
なぜか記憶にないので当時の雑誌を見直そうと思ったが棚の前がふさがれていて取り出せない。
期待しないでお待ちください。リングアウト勝ちじゃなかったかな…
- 47 :
- >>46
お願いします。
- 48 :
- このスレは間違いなく40半ば以上の人ばっかだな(#^.^#)
- 49 :
- オレは40になったばかりですw
- 50 :
- 19xx年の全日本プロレス、ってスレは何故無いのだろうか
- 51 :
- でも各年ごとの新日スレで普通に全日や全日系外人の話題出てるから必要ないようなw
- 52 :
- 新日の方がファンの数多いからか?
それともプロレスに熱い想いがあったのが新日ファンの方だからか
- 53 :
- 馬場ヲタも60年代の馬場とか、作れば。馬場個人のスレが、なぜないの?
- 54 :
- 全日ファン=馬場ファンってのがもう大きな勘違いだな
新日の場合は=猪木ファンっていうのはこのスレタイの年代ではまず言い過ぎじゃないくらいだったけど
- 55 :
- >>53
ターザンの影響を受けまくった馬場さんヲタはいるが
昭和40年代前半の全盛期を知ってる馬場ファンが絶滅してるからだろう
たぶん彼らは必ずしも全日ファンという訳でもないだろうし
- 56 :
- そもそもター山=馬場派って言うのが平成の認識
昭和の全日ファンにとってター山は「猪木新聞」の記者
実際昭和全日について全然知らないしね
- 57 :
- 過去に何度か立ったことあるけど
どれもすぐ落ちてたからね
- 58 :
- 新日本は創設期から88年8月8日(実質の猪木引退試合)まではほぼ
猪木とそのファンの世界だったと言える。もちろん猪木は嫌いだけど
藤波が好きとかシンが好きとかいう人も居ただろうが、それも猪木の世界には
違いない。
ところが全日本は時代によってファン層がガラリと入れ替わっている。
私は一貫して猪木ファンだったが、その目から見ても魅力的だった全日本は
間違いなく「外人天国時代」だな。あの豪華な外人レスラー同士が繰り広げる
本場っぽいファイトは新日本には無いものだけに、まぶしくみていた。
なので決して当時の馬場や鶴田にひかれたワケではない。これはたぶん私だけ
でなく当時の主流の感覚ではないだろうか?
この時代が終わって、長州軍団が乗り込み、天龍革命が起こって全日本は
変わっていった。この時代もそれなりに面白かったが、ある意味の新日本化
だっただけに、両団体の際だった差は無くなっていったな。
で、天龍離脱で短い「ジャンボにチャレンジ時代」があって、四天王時代に
なっていくわけだが、この辺になるともう全日本じゃない、という感覚が
あったな。週プロなんかが必死にブックつくって誌面で絶賛というマッチポンプ
やってたけどw で、いま「全日本ファン」を名乗ってあっちこっちで
鶴田を絶賛したり、昔の新日本のネガキャンしている連中ってほとんどが
この「ジャンボにチャレンジ時代」〜「四天王時代」のファンだと思うんだよね。
そうじゃないと言動に整合性がとれない。
で、こういう人たちに言いたいのは、「君が好きな全日本は本来の全日本とは
似ても似つかないものだよ」と。
- 59 :
- >>58
昔の新日本の事を知ってるのは旧全日ファンだろw
平成全日ファンの特徴は全日はクリーンでフェアなプロレスだと思ってて、アングルの多い新日を邪道と貶す
凶器・乱入・レフェリー失神のオンパレードな昭和の全日を知っていれば間違ってもクリーンなんて言えないのにw
旧全日ファンはプロレス=大道芸認識で、新日ファンのストロングスタイルとかプロレス市民権とかを鵜呑みにする
マーク丸出しの要素をバカにする
- 60 :
- 猪木を頂点としたヒエラルキーが保守的なファン心理をグッとつかんだのは
間違いない。さらに格闘技戦、ハイセル事業、世界統一(IWGP)・・次々と
ビジョンを打ち立て邁進していく姿に、親日ファンは日本社会独特のリーダー
かくあるべきの幻想をそこに見い出していた。ストロングスタイルもそこから
生まれたひとつの「倫理観」といっていい。佐山タイガーや前田(UWF)も
その系譜を受け継いでさらなるファン開拓に勤しんでいったわけだ
- 61 :
- ストロング小林は、必ず、十字固めからワンクッション置いた後、逆十字固めを行うが、
そのアイボリー系の白いと赤いブーツの印象は、体臭のキツい、青生臭さも兼ね備えた臭い
なのだろうか?その継承は山本小鉄、ジャンボ鶴田と伝承された(笑)
- 62 :
- 良くも悪くも昭和・新日本は猪木のカラーに染め抜かれていた。
これに対して、全日本が馬場のカラーかといえばそうでもなかった。
「プロレスの本場はアメリカ。身体の大きなレスラーが好き」とかいう馬場の
好みは反映されていただろうが、リング上のスタイルというか風景を作って
いたのはファンクスやブッチャーだったからな。
- 63 :
- 昭和全日ファンは試合内容より超一流外人がリング上で放つオーラを楽しんでた
胡散臭さやグダグダもプロレスの一部として受け入れてた分「熱く」ない
わざわざスレッド立てて当時のことを論議する気もないし
猪木信者や四天王ヲタの狂言は冷ややかに見守ってます
- 64 :
- >>63
そう。昭和・全日本のファンは楽しんでいるけど「熱狂」はしていない感じ。
余裕を持って声援したりリアクションしている感じが、良くも悪くも客が
熱い新日本とは違ってた。
だからこそ、超世代軍〜四天王時代の全日本が、(昭和・新日本ファンの自分
から見ても)実に気持ち悪いw 新日本ファンが憎んだり羨んだりした
全日本は、あくまでも外人天国の全日本で、アレじゃないよなあ
- 65 :
- >>64
>超世代軍〜四天王時代の全日本が、(昭和・新日本ファンの自分
から見ても)実に気持ち悪いw
それは近親憎悪だろw
他団体やアメプロの蔑視、プロレス史に対する関心の薄さなどが昭和新日ファンと
平成全日・ノアファンの共通点だからな
- 66 :
- >>65
そうかなあw 私は昭和・新日本ファンだけど、「外人天国」の昭和・全日本が
羨ましかった、と言ってますよ。
おっしゃるような「アメプロ蔑視、プロレス史への無関心」って輩が
昭和・新日本ファンに多かったのは確かでしょうが、そうじゃないタイプも
一杯いましたよ。だからこそ新日本の外人が80年辺りから豪華になっていった
のも嬉しかったし、MSGシリーズやMSGタッグに喜んでたじゃないですか。
あと猪木支持の多くが、「日プロを不当に追い出された」という判官贔屓的な
感覚が残ってたし、全員が「歴史に無頓着」ってこともないと思う。
- 67 :
- >>66
そういう人は新日ファンではなく「新日が一番好きなプロレスファン」だよ
- 68 :
- >>67
じゃあ、私は仰る通り「昭和・新日本が一番好きなプロレスファン」ですねw
でも、当時はどこそこのファンだけど他団体も気にして見てません
でした? アンチにしても。
「俺はこの団体しか見ない」みたいなファンが出てきた
のは平成になってからでは?
- 69 :
- >>68
当時はプロレスの敷居が低かった
何しろ地上派、それもゴールデンタイムでやってたんだから
しかしその敷居の低さは新日だけで、全日は中継が深夜や夕方だったり地方によっては
放映すらされた無かったりした
だから新日しか見てない新日ファンってのは多かった訳よ
月プロ・デラプロやゴング・別ゴンを買うような層は自然と他団体や海外にも詳しくなるけど
新日ブーム時に新創刊された「ビっグレスラー」あたりで初めてそういう新日オンリーファン
の無知が晒された感じかな
- 70 :
- >月プロ・デラプロやゴング・別ゴンを買うような層は自然と
>他団体や海外にも詳しくなるけど
↑私、完全にこういうファンでしたよw
なるほど、同じものを見てても色んな階層のファンが居る、って
点を見失ってました。実は他団体も海外も、プロレスってものが
好きだったんでしょうな。順位はあれど。
今はあんな感覚が持てないなあ・・・
- 71 :
- そういう意味でいうと、
全く「猪木の残影」すらない今の新日本プロレスは新日本プロレスなのか?
それが悪いんじゃないが、そこまで猪木臭(藤波、長州、前田&U、三銃士含む)
を排除したいんなら、名前を変えた方がいいと思う。
ユークスプロレスとかに
- 72 :
- >>71
いまや新日本も全日本も全く違うものになっちゃったね。
名前の響きに郷愁さえおぼえる。
- 73 :
- 全日の社長が武藤というのが俺にはビックリw
- 74 :
- >>42
やっと少し情報が集まってきたので非常に遅まきですが。
新日本第二回ワールド大リーグ戦の大木金太郎−ストロング小林戦が
あったのは、75年5月、坂口のお膝元の福岡国際体育センターでした。
この日地元の坂口はマサ斉藤と対戦、アトミックドロップと見せかけた
高角度バックドロップ、スリーパーに捕えてネックブリーカードロップ風に
落とすなどの荒業で完勝しています。
さて問題の試合ですが、記憶がないので手元の資料だけを頼りにしますと。
小林がアトミックドロップを連発して勝負に出たものの、大木は頭突きを
連発(一説では10連発)して小林を流血させ、4の字固め。ロープに逃れた
小林がブレイク際にペアハッグに捕えて反撃すると大木も再び頭突きを乱発、
弱った小林に「ネックブリーカーを仕掛けたところ、小林がトップロープを
つかんだために大木が自爆して後頭部を打ち、そのまま小林が3カウントを
奪った」と記録されています。
- 75 :
- この「ネックブリーカー」というやつ、私はロビンソンがやるような、
相手をフロントヘッドロックに取ってから体を返して同体で倒れこむ
ものかと思っていたのです。これなら相手がロープをつかんでしまったら
自分だけが一人バックドロップになりますから。
しかし数日後の東スポによると、大木がボディスラムの体勢に小林を
担ぎ上げて、トップロープに喉を打ちつけるという、昔のスティーブ・
オースチンのスタンガンみたいな技だったそうで、これで小林の喉を
痛めつけ、さらにもう一回と持ち上げた時に小林がトップロープを掴んで
身体をゆさぶって大木の体勢を崩し、そのまま身体を浴びせてアバランシュ
ホールド風に押しつぶしたところを田中米太郎が高速で3カウントを入れて
しまった、ということのようです。
もっとも記憶を捏造する桜井さんによる華麗な創作かもしれないので、
こちらの方が正しいかどうかは保証の限りではありません。
- 76 :
- 新日の第1回放送は見た。
前週、日本プロレス最後の放送の終わりに、
次週からは新日本プロレスの中継を行います、
と言って映像が少しだけ流された。
(プロレスを40数年見続けているオールドファンです)
- 77 :
- これがこのリーグ戦では大木の初黒星となり、開幕戦で猪木を頭突き連発で
リングアウトに屠ってトップを快走していた大木がストップをかけられた
格好になっています。
で、私は「なんでこの時点でよりによって小林が大木に勝つんだろう?」と
思っていたものなのですが、十日後に答えが出ました。シリーズ終了後の
23日に、大木の地元・韓国獎忠体育館で大木と小林のインターナショナル
選手権が開催されると発表されたのです。
大木いわく「もう一度やりたい、このままでは俺のメンツが立たない」という
ことだそうで、大木は前年に同所で猪木相手にインターの防衛線を行って
引き分けているのですが、その続編を小林で行いたかったようなのですね。
猪木は同じ時期にモントリオールでシンの防衛線の相手を勤めなければ
ならなかったので、新日の苦肉の策だったようです。
かくて当初はヤマハブラザースを中心に回すはずだった韓国シリーズが、
急遽、小林を「外人」として進められることになり、リーグ戦はそのための
因縁作りに利用されたようなのですが…
- 78 :
- ところがいざ23日がやってくると、大木の対戦相手はポスターにまで
印刷され大々的に宣伝されていた小林ではなく、ワールドリーグ戦から
そのままスライド参戦したスーパー・デストロイヤーになっていました。
なんだかポカーンな展開です。
それは当時の報道も同じだったようで、東スポが匂わせていた原因は
こんな風に読みとれます。
・17日の前哨戦で小林が仕掛けたアトミックドロップで大木は尾骶骨を
痛めてコンディションが悪くなり、小林を避けた
・小林は韓国入りの頃から「猪木だ」「猪木の弟だ」と言われていて、
前哨戦で大暴れして反則負けを喫した時にも観客が「また猪木が悪の限りを
尽くしている」「猪木をせ!」と観客が暴動寸前になったそうで、
観客のヒートを心配して急遽おとなしいカードにしたかった
・小林は現地の生ピーナッツを食べて体重が五キロも落ちるほどの下痢に
見舞われ、シングルを戦えるコンディションではなかった
・普通ならタッグを組むヤマハはなぜか別れ、星野は韓国人のレスラーと
タッグを組み、山本小鉄・小林の凸凹コンビに勝っている。ひょっとして
星野・韓国組に対抗する日本人コンビが必要で小林をタイトル戦の相手から
外したのでは?
当時の報道を見ていればおよその推測はついたのでしょうが、リアルタイムで
見ていない人間としては真相は闇の中です。
>>76さんなどの体験談がお聞かせいただけるとありがたいのですが。
中身の無い長文失礼しました。
- 79 :
- >>76
貴重な生き証人ですな
- 80 :
- >>76
俺も観た筈なんだが全く記憶に無い。
放映当初は猪木・坂口の黄金タッグを中々実現させず
随分と焦らされた記憶がある。
- 81 :
- つべに坂口と大木の喧嘩試合のダイジェスト?が上がってるな・・
全部見たい。
- 82 :
- 馬場、猪木、坂口、大木、上田の5人は日プロ崩壊に絡む因縁が深くて、
実現するとどの顔合わせでもケンカっぽい試合になって面白い。
馬場×猪木(日プロ以後)、馬場×坂口以外は実現したな。
- 83 :
- >>74様
本当にありがとうございました。
ほんの一瞬だけ小林と大木が新日本で同居し対戦していた。
対猪木で考えていくと小林の方が格上に思えますが、大木の方が勢いがあったみたいですね。
大木はリングアウトとはいえ、猪木に勝ったのは先輩だからですかね。
猪木、坂口、小林、大木と揃ったこのリーグ戦は混沌として楽しかったんでしょうね。
- 84 :
- この年の
猪木ー坂口の大阪でのリーグ戦が見たいんだけど
去年出たDVDにも無いのかなあ
- 85 :
- 青森での猪木×坂口の映像があるなら、アンドレ×ローデスもあるはずなんだが…
- 86 :
- >74
75年はまだ国際センターはないのでおそらく天神にあった
福岡スポーツセンターのことでしょう。
それにしてもこれは面白そうなリーグ戦ですねえ。
>アトミックドロップと見せかけた
高角度バックドロップ、スリーパーに捕えてネックブリーカードロップ風に
落とすなどの荒業で完勝
こんな坂口みたことありません。激強そう!
- 87 :
- >>85
こういうウルトラドリームマッチをなぜ放送しないのか?
当時から疑問だった。
第三回MSGはドリームマッチ連発だったけど、
アンドレ×ローデス(青森)、ハンセン×バックランド(愛知)は
放送されなかったよねえ。
- 88 :
- 大阪の猪木vs小林も放送なかった
高松(生)のローデスvsチャボは放送開始前に終了してたのが残念
あとMSGタッグ大田区体育館のアンドレvsシンはノーテレビだけど生撮影物がyoutubeにあった
- 89 :
- でも本音の部分で親日のマットで外人対決ってアンドレとハンセン(ホーガン)以外は
どうも全日色にすり寄ったような印象もぬぐえなかったぞ。
ワフー対ブッチャーとかさあ、まんま並行輸入じゃん・・。
確かに外人も豪華になったけど、因縁も何もないところからいきなり外人対決ってのは
やっぱ煮え切らないつうのか(事実、そんな結果ばっかだったし)・・。
- 90 :
- ローデスvシン@大阪府立
アンドレvsハンセン@田コロ・蔵前
は 良かったけどね
- 91 :
- やっぱシン絡みは見たかったなあ。
☓ハンセン(愛知)
☓ホーガン(岐阜)?
☓アンドレ(大田)
今みたいにカメラが入ってる時代だったらなあ。
MSGシリーズやタッグだと殆どの公式戦や特別試合がドリームカード。
この時代は雑誌にも全公式戦が撮されなかったから残念。
地方の公式戦なんかは雑誌にも掲載されないことが頻繁にあった。
80年MSGタッグと最強タッグの全公式戦を写した白黒写真集を持ってる。
これは当時としては画期的な発想だったと思うよなあ。
でもこの年だけなのが残念で、もっと何年も続けて欲しかった。
- 92 :
- >>91
>☓ホーガン(岐阜)?
正解
- 93 :
- >>85
遅レスだけど同年の夏休みに高田馬場でやったプロレスFC主催の
8ミリ上映会でアンドレ×ローデス見たよ
ゲストに新間が来てMSGタッグにハンセン、ホーガン組とシン、上田組の参加を発表したら大歓声が起きた
- 94 :
- 当時の新日は とにかく猪木第一だったからなあ。
第1回のMSGタッグだったか?
メインが 猪木vsベイカーだったのには
ずっこけた。
- 95 :
- >>94
ありゃ不甲斐ない外人へのお仕置きだろうね。猪木×ベーカー戦
しかしGアントニオ戦しかり、ワフー戦しかり、Jベンチュラ戦とかも
しょぼかったし、つかわざわざ?塩レスラー呼んでなんでああいう試合を
メインに持ってくるんだろうか。意図が判らん・・w
- 96 :
- >>95
ちょ、猪木戦はイマイチだったけど、ワフーは塩レスラーじゃないでしょ。
超一流ですよ。
- 97 :
- >>96
ブッチャー戦を放映しなかったテレ朝こそ塩
- 98 :
- >>97
同意、
物持ちのいいテレ朝のこと、中継のあった大会なんだからVは残ってるはず。
- 99 :
- ワフーとの戦いは会場が蒲郡と言う地方都市
扱いは軽かったね
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