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2011年11月1期12: YDNAで追う銅剣・銅鏡文化による古日本建国史 (561) TOP カテ一覧 スレ一覧

YDNAで追う銅剣・銅鏡文化による古日本建国史


1 :10/09/11 〜 最終レス :11/11/11
ユーラシアと日本列島を結ぶ古代史。

2 :
内バイカル、外バイカル、モンゴル東部、中国内モンゴルにはカラスク・夏家店上層文化に併行して
石板墓文化というのがあった。
「埋葬遺跡は伝統的文化においてあの世への旅立ちに関係する場所だけでなく、そこは再生の場所
(大地のへそ)であり、毎年儀式を行う場所でもあり(正月から始まる生活サイクルの一切の儀式、つまり、
共同体全員の誕生日、婚礼、共同葬儀と法要などが含まれ)、それらが方形あるいは矩形の形をとることは、
「石板墓」を残した民族が大地崇拝儀式を行うものの、天の崇拝は行っていなかったと思われる。
この関係で、「戎」とは「野において贄の供養を行う」民族であるとされてきたことが想起される。
これは石板墓文化人による先住民の鹿石(鹿ステラ)の頭頂部に籠められた聖なる太陽/火の属性破壊を
象徴するように、鹿石(鹿ステラ)を上部からさかさまに地中に埋めることによって、鹿石(鹿ステラ)を再利用
するということにも現れている。アルタイ語族が生まれる地域におおいてはこのように西部と東部に文化慣習
が分かれてゆくことは 突厥可汗諸国においても見られる。」
モンゴル語族文化慣習の類型 T.D.Skrynnikova (Ulan-Ude, IMBiT)より

3 :
>「石板墓」を残した民族が大地崇拝儀式を行うものの、天の崇拝は行っていなかったと思われる。
>この関係で、「戎」とは「野において贄の供養を行う」民族であるとされてきたことが想起される。
日本においては出雲族が地祇とされるが、石板墓文化人は大地崇拝すなわち、地祇であるとされる。
また、戎であるということから山戎と同じと考えてよい。
一方、鹿石文化人は太陽崇拝とされており、石板墓文化人と対立している。しかし、ケレクスル(旭日
型神籬)もその円形が太陽崇拝とされる。更に又、カラスク文化人の刀子の柄頭には日輪があり、
太陽崇拝習慣があることになる。
逆に、石板墓文化であっても内バイカルは四隅突出型墳丘墓であり、円形と方形を統合した形に
なっている。外バイカルは前方後方墳、方形石板石籬墓地であり、これは漢残な大地崇拝。

4 :
>逆に、石板墓文化であっても内バイカルは四隅突出型墳丘墓であり、円形と方形を統合した形に
>なっている。外バイカルは前方後方墳、方形石板石籬墓地であり、これは漢残な大地崇拝。
逆に、石板墓文化であっても内バイカルは四隅突出型墳丘墓であり、円形と方形を統合した形に
なっている。外バイカルは前方後方墳、方形石板石籬墓地であり、これは完全に大地崇拝。

5 :
>これは石板墓文化人による先住民の鹿石(鹿ステラ)の頭頂部に籠められた聖なる太陽/火の属性破壊を
>象徴するように、鹿石(鹿ステラ)を上部からさかさまに地中に埋めることによって、鹿石(鹿ステラ)を再利用
>するということにも現れている。
日本での例は
@男鹿半島伝承で、石段建設を請け負い、最後の1段の石を隠された鬼が怒り、木を抜きさかさまに立てる。
A神籬。
B国譲りの談判の際に圏をさかさまに立てる。
等に事例がある、百襲姫が崩御の際、陵の上にさかさまに立てた剣に尻を突いて崩御したといいうのは
「死して後その御陵に剣を逆さに立てた」と言うことでなくては意味をなさない。これは被葬者が大地の主権者
であることを知らす葬礼と見られる。国譲りの場合は国土を譲渡する意思表示-無条件降伏か。

6 :
>アルタイ語族が生まれる地域におおいてはこのように西部と東部に文化慣習
>が分かれてゆくことは 突厥可汗諸国においても見られる。
日本の場合↓こうなっており、
http://www.max.hi-ho.ne.jp/m-kat/gisi/sannseikikofunn.gif
西方が前方後円墳(太陽神の象徴である銅鏡を伴う)、東方が尾張地方の前方後方墳となる。

7 :
>>5
山戎は女陰、手形を崇拝するというのは、事実日本の山岳、海浜では女陰を表す岩石を弁財天として
敬って御賽銭を備えたり、また天狗の扇とか、団扇とかも崇拝する。弁天様には女陰が描かれていたり、
岩の割れ目に硬貨を差し込む風習がある。皆、山が金を生むという願いからであろう。しかし、
大神神社に祀られるホトタタラ、ヒメタタラ斎依り姫というのは違う。ホト=フツ=剣霊(軍神)、タタラ>
タタリ>霊、ヒメ=日輪(玉、鏡)と解釈しないとはなはだおかしい。

8 :
同様に、神武がうちてしやまむという軍神の権化であったり、旭日旗が戦争のためにあると考えるのも
おかしい。五円玉の先祖が刀銭であり、その柄頭部分は太陽を意味するが、この場合は通貨の
普遍的流通性を象徴する意味であろう。

9 :
http://homepage.kokushikan.ac.jp/kaonuma/tokuteiryouiki/news/newsletter03/image/5-2.jpg
http://homepage.kokushikan.ac.jp/kaonuma/tokuteiryouiki/news/newsletter03/image/5-3.jpg
鹿石 頭頂部に日輪(フルの御霊)が彫られている。石神(いそのかみ)とは鹿石のことだろう。
http://homepage.kokushikan.ac.jp/kaonuma/tokuteiryouiki/news/newsletter03/news03_05.html
http://en.wikipedia.org/wiki/Glazkov_culture
そしてフツの御霊というのは
http://history.novosibdom.ru/files/u7/sibir_58.jpg
このカラスク刀子のような剣霊のこもる刀剣を指すのであろう。

10 :
石板墓文化に先行してグラスコフ文化があり、併行して
→夏家店下層 もある
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%8F%E5%AE%B6%E5%BA%97%E4%B8%8B%E5%B1%A4%E6%96%87%E5%8C%96
ここに三足土器が登場する。三足土器は石板墓文化にも登場する。
黒衣灰陶長胴鬲(夏家店下層文化系、BC2500〜1000)
http://www.daito.ac.jp/~oukodou/gallery/gallery-573.html
http://abc0120.net/m/words01/abc2008121001.php
http://www.aa.alles.or.jp/~tora/07kaisetu-china.html
日本人どこから来たんだ?18
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1284044793/menu128
でも述べたが、ヤクートは内バイカル、すなわちグラスコフ地方、出自であるが、その木彫り
容器Choronには三足土器と同時に突帯文の特徴がある。突帯文と言うよりも環形装飾と呼んだ
方がいいかも。こうした概念は特殊器台にも見られる。しかし、併行する夏家店下層の三足土器には
こうした環形装飾は見られない。つまり、これは同時に突帯文が盛行するスキタイ、カザフスタン
地方からバイカルに伝わり、遼河方面にはさほど強くは現れていないと考えるべきであろうか。

11 :
承前
しかし、遼河地方も石板墓時代には夏家店上層文化となる。その頃には三足土器も変化し、
ひょっとしてヤクート人が木彫りチョロンに残すようなものが存在していたのかもしれない。
しかし、時代は匈奴の時代に入るようだ。

12 :
袞衣
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A2%9E%E8%A1%A3
天皇の袞衣に登場する図柄は、実際、全て中国のパクリである。
これを悪用して(妄想をはたらかして)、日本人の源流は中国南部、と起源を主張しようと思えば
簡単にできるのだ。
しかし、それは乱暴というものだ。

13 :
倭の五王と南朝
西暦 中国王朝 中国元号 倭王
413年 東晋 義熙9 讃
421年 宋 永初2 讃
425年 宋 元嘉2 讃
430年 宋 元嘉7 讃?
438年 宋 元嘉15 珍


443年 宋 元嘉20 済
451年 宋 元嘉28 済


460年 宋 大明4 済?
462年 宋 大明6 興
477年 宋 昇明1 興(武)

478年 宋 昇明2 武
479年 南斉 建元1 武
502年 梁 天監1 武

14 :
>5
@男鹿半島伝承で、石段建設を請け負い、最後の1段の石を隠された鬼が怒り、木を抜きさかさまに立てる。

(逆木伝説)
 五社堂の境内に杉の古木が柵の中に横たわっており、これを逆木の神木として保存している。昔、本山に
渡って来た漢の武帝が、五匹の鬼に里に自由に出ることを条件に、門前から五社堂までの坂道に、翌朝
一番鶏が鳴くまでに千の石段を積みあげることを命じた。九九九段積みあげ、あと一段という時に一番鶏が
鳴いてしまったので、あまりの悔しさに、五匹の鬼は杉の大木を根こそぎ引き抜き、逆さにその大木を差し
込んだ。怒った鬼たちは男鹿の村の鶏を全部食いすと言ったので、仕返しを恐れた村人は、それから鶏
を飼わないことにしたという。また、本山の鬼たちが、村人の食べ物や女たちを略奪するなど荒らしまわった
ので、村人が千の石段を積みあげることを約束させ、一番鶏の鳴き真似をして、鬼たちを追い払ったのだ
とも言われている。
五角形住居
http://www2.city.moriyama.shiga.jp/iseiseki/ise8.htm
五社堂伝説
http://www.akita-c.ed.jp/e-furusato/densetu/gosya.html
前漢の武帝(孝武帝、劉徹、在位紀元前141年 - 紀元前87年)
http://www3.ocn.ne.jp/~kmitoh/gensou/gosyado1.html
---------------------------------------------------
(姿見の井戸)  五社堂の下に姿見の井戸と呼ばれた古井戸が残っている。お山がけ詣りの人達が必ず
自分の身を写して試したと言われる。はっきり写ればその年の生命が保証され、はっきりしない者は災難
不幸に遭う。全く写らない者はその年のうちに死ぬこともある。などと信じられていたと言う。
これは伽耶伝説にあるが↓神武のイヒカとか、真奈井として全国にある
正見母主 天空神 いひか まない
--------------------------------------------------------------
五元之神 風、火、金、水、土
http://www.geocities.jp/sizen_junnosuke/gogenokamiogamu_norito.html
五行思想
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E8%A1%8C%E6%80%9D%E6%83%B3
思想との関係が深いと見られるのは
五角形住居
http://www2.city.moriyama.shiga.jp/iseiseki/ise8.htm
------------------------------------------------------------------
↓男鹿半島伝説と同じ内容の石積・石板墓文化人渡来伝説と見られるものとしては
求菩提山
http://yamaoba.web.infoseek.co.jp/kubote/kubote.htm
西都原鬼のいわや
http://www.pmiyazaki.com/saitobaru_on/
等あるが、なまはげ(男鹿半島)、トシドン(甑島)等もこの時代に入った風習と見られる。

15 :
かながわ考古学財団廃止絶対反対!反対!

16 :
EUホームページHaplogroup I (Y-DNA)
I(アイ)は欧州最古のハプログループで、欧州原産としては唯一のものであろう(他のハプログループの深い
下部クレードを持つものとは別である)。約3.5万年前にハプログループIJとして中東から入って来て、
約2.5万年前にIに進化した。つまり、クロマニオン人と言うものはおそらく(完全にかもしれないが)IJ 又は Iに
属していたはずなのである。現在欧州全域でのIの比率は10-45%。4つの下部クレードに分かれている。
前5000-1200年の欧州巨石文化を築いたのはI民族である。

17 :
ユダヤ人と言うのは特定遺伝子に固定されるものではなく宗教的概念に過ぎないというのが現代の常識です。
ですから、Iはユダヤ人の中でも非常に多いということですね。

18 :
話は変わるが小河墓遺跡のミイラはクロマニヨン系でした。おそらくIでしょう。そうすると黄淮・遼寧・錦江
の支石墓は時代的に小河墓遺跡のI族が欧州から持ち込んだ可能性が強くなる。

19 :
I族が残したと考えられる新疆ウルムチ・カンチャシメンチ岩絵の生殖祭典は後にアジア諸国に歌垣として
拡散したものと考えられます。

20 :
東夷・東明族ホライゾン(北夫与→高句麗→百済→倭)、東蒙古・石板墓文化→高句麗・積石墓文化→
百済・前方後円墳→倭・四隅突出型墳丘墓・・・こうしたことを背景に・・・
モンゴリア青銅器・鉄器民族配置図と遺伝子の関連付け案:
@西蒙古、アルタイ山地、南シベリア、朝鮮日本(弥生)  O2b 倭 水辺漁労を含む生業
A内蒙古、中国西北華北除東北                N1 C3 山戎・貊 高地性集落
Bアルタイ(アファナセヴォ文化)、北カザフスタン(烏孫文化)、南シベリア(ミヌシンスク文化)                                                 R I Q  塞 滑 羯
C東蒙古石板墓文化、トゥーヴァ中央部カラスク文化   O3-M122 箱式石棺墓
D内バイカル(石板墓文化、ミヌシンスク(オクネフ文化)、西蒙古(埋葬物のない墳墓文化)                                                    N1c 四隅突出型墳丘墓

21 :
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1284044793/menu823-824
「更に之をその内容より觀察するに、堯典には帝が羲・和二氏に命じて天文を觀測せしめ民に暦を頒ちしを
いひ、羲仲を嵎夷に居らしめ、星鳥の中するを以て春分を定め、羲叔を南交にやりて星火の中するを以て夏至
を定め、和仲を昧谷におきて星虚の中するを以て秋分とし、和叔を朔方にをらしめて星昴の中するを以て冬至
を定めしめしとあり。この觀測につきては夙に西人が種々の科學的研究あり、又近く橋本〔増吉〕文學士の研究
もあれど、卑見を以てするに、嵎夷、暘谷は東方日出の個所を指し、南交は南方、昧谷は西方日沒の處、
朔方は北方を意味し、何れもある格段なる地理的地點を指したるものなりとは認むる能はざる也。」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000603/files/4729_17130.html
烏孫のあったタジキスタンにおいては「ひげクルガン」という天文観測遺跡が発見されている。
http://2003.vernadsky.info/works/e1/03156.html
http://nisan-bekbasar.narod2.ru/opisanie_kurganov_s_usami/atasu_2/
http://www.detectorland.ru/page_7.html
http://www.rusklad.ru/klad/kurgan/001.php
ホホデミと言うのはこの施設における観測者を言い、吉備の盾築墳丘墓はこうした天文観測集団によって
造営されたものと見られる。

22 :
>YDNAで追う・・・
なら古代史よりも弥生時代史
弥生時代史よりも縄文時代史
だろうよ。
>>16 >>17
クロマニヨン人はR1bだろうというのが
ヨーロッパ人の見方だがな。
あとユダヤ人に多いといわれてるのはIじゃなくてJ
Iは北欧とかクロアチア・セルビアとかサルディニア島とかに多い。

23 :
嵎夷、暘谷は東方日出の個所を指し、南交は南方、昧谷は西方日沒の處、
朔方は北方を意味し、何れもある格段なる地理的地點を指したるものなりとは認むる能はざる也
-----------------------------------------------------------------------------------
発掘された天文観測遺跡の研究から考えられることは、日月星辰、恒星惑星の時間季節的変化を
観測、記録し、分析、予測を行うためには観測される天体ごとに専門職を配置する必要が生じたで
あろうと言うこと。日官、月官といったものが存在したことが考えられる。

24 :
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1284044793/menu994-996
N.V. Leontyev オークニェフ文化美術遺跡における「世界山像」
掲題の研究を可能としたのは、既に1980に、Ya.A.Sher がこの時代の石像が3部構造であることを十分な
説得性をもって立証したことによる。
彼の考えは、石像の三部分が宇宙の三部分に相当するものとする、L.R.Kyzlasov、M.L.Podolskiy、
I.L.Kyzlasovの著作によって継承され、発展された。

25 :
曼荼羅とは↓
Any of various ritualistic geometric designs symbolic of the universe,
used in Hinduism and Buddhism as an aid to meditation.
ヒンドゥー教、仏教で瞑想の具とされる、宇宙を表象するなんらかの儀式的幾何学模様。
即ち、三足烏が熊野三山・宇宙三構造を表象する曼荼羅。

26 :
http://www.iria-art.com/images/Literatura/Okunevskaya/Antologiya/11.jpg
このオークネフ文化(BC1800-1500年ミヌシンスク盆地)石柱(ステラ)頭頂部の羊がタケツヌミ、ケツミコ
であり、太陽神を表象するもの。

27 :
わぉ〜わぉ〜、専用スレ失礼いたします(^-^)/
>>26
>Part18の986で
>地蔵菩薩信仰はオクネフ文化において誕生した
のはわかりましたが
>石積・石板墓文化として日本に南下した古墳文化人は地蔵菩薩信仰を持っていたものの
ヴェーダ信仰はさほど徹底しておらず
とすれば、誰が日本列島に太陽信仰を含む熊野三山・天地人三才を持ち込んだことになるのでしょう??
この石積・石板墓文化人ではないということでつよね!!
太陽信仰はオクネフ密教のゾロアスター化(インド・イラン化)によってもたらされたんじゃないかな〜(^-^)/

28 :
わぉ〜わぉ〜わぉ〜
>>26
ミヌシンスク盆地のあるハカス共和国の国旗には、地蔵信仰の四隅突出型墳丘墓が載っているが
日章は見あたらないんだお〜(^-^)/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%AB%E3%82%B9%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD

29 :
はいはい ハカス ハカス
http://www.youtube.com/watch?v=NS_WSpWraDc
ロバ
http://www.youtube.com/watch?v=pZK4NQ2C50w
オウンク?
http://v.youku.com/v_show/id_XNTExNjUzODA=.html

30 :
>>27
>太陽信仰を含む熊野三山・天地人三才
アルタイ・内バイカル・夏家店  四隅突出型墳丘墓 青銅器埋納 地蔵・山岳信仰*
>石積・石板墓文化人
外バイカル 石積・前方後方墳 白山信仰
---------------------------------------------------
オクネフ文化→鹿石/ヘレクスル 太陽信仰 (インド・イラン化)*
----------------------------------------------------
*このインドイラン化はスキタイ時代の開始を反映しているのでしょう。

31 :
>28 >>26
ミヌシンスク盆地のあるハカス共和国の国旗には、地蔵信仰の四隅突出型墳丘墓が載っているが
日章は見あたらないんだお〜(^-^)/
--------------------------------------
日章旗の白地は太陽の恵み、天の恵みである白雪で、それが水となる。白山信仰、伊勢瀬織津姫信仰の
原理でしょう。川原に関係する石積・石板墓文化に特徴的なもの。これと地蔵は違う。地蔵は青銅器の破片
を元の金に還元し、山の頂上から生み直してくれる大地の力、山の力に対する信仰で、金山の意味を持つ
アルタイから夏家店、遼寧へと広がり、遼寧銅剣文化、日本銅剣銅矛銅鐸文化となるのでしょう。

32 :
山幸vs海幸=天孫vs地祇= O-M122 vs O2b= 遼河文明vs山東龍山文化 こうした深い民族・文化対立が
あるんでしょうね。

33 :
まあ、羊と貝でしょ今の何とか国の基地外ぶりもw

34 :
「『高夷』
 貊、貉ともに高句麗の呼称だと判明したが、高句麗を高夷の後裔だとする説がある。
『逸周書』王會弟五十九成周之會
(省略)北方臺正東,高夷兼羊,兼羊者,羊而四角。獨鹿チョンチョン,チョンチョン善走者也。
孤竹距虚。不令支玄豹。不屠何青熊。東胡黄羆。山戎戎菽,其西般吾白虎K文。
 これは西周初年(紀元前1046年頃)、周の成王が洛邑(洛陽)を創建後、諸侯を招いて大会を催したときの
記事の抜粋だが、ここに高夷の名が見える。 高夷は周の諸侯
 孔潁達(唐代の学者、隋書を編纂)は、王會篇の注釈に次のように記している。
「逸周書に記された会議に参加した北方台地の東の高夷とは、高句麗族の源流である」
 高夷氏は山東省に登場する最古の部族。大地に鵠(おおはくちょう)のトーテムを祀り、東夷族が中原に進入
するのに従い、商代には河南省北部に進入。やがて中原から東北地方に移住し、後に高句麗と名乗ったと
考察(あるいは調査の結果)したようだ。」
高夷兼羊,兼羊者,羊而四角。獨鹿チョンチョン,チョンチョン善走者也。
高夷兼羊=高夷兼陽、羊而四角=四本の角の生えた陽=四隅突出型墳丘墓平面図

35 :
わぉ〜わぉ〜わぉ〜
>>31
この説では、天孫族の出自が四隅突出型墳丘墓文化の出雲族であるという
記紀の記述から見ても大いに矛盾した説になってしまいます〜
>Part18の836
>九鬼氏は白鳥族、出雲も白鳥族。しかし、熊野は山戎の聖地。
>尾張が支配していた伊勢瀬織津姫信仰を崩す
これはL群・白鳥族すなわち石積・石板墓文化人が伊勢瀬織津姫信仰と
対立している関係を表しています。この説とも矛盾する話になります〜
すなわち地蔵文化とも石積・石板墓文化とも違う伊勢瀬織津姫信仰の
第三の天孫文化があったということでしょう!!

36 :
わぉ〜わぉ〜わぉ〜
>>30
>オクネフ文化→鹿石/ヘレクスル 太陽信仰(インド・イラン化)
>Part18の986
>地蔵菩薩信仰(=閻魔=牛頭天王=素盞嗚命)
>他方、石積・石板墓文化として日本に南下した古墳文化人は地蔵菩薩信仰を持っていたものの
ヴェーダ信仰はさほど徹底しておらず
すなわち太陽信仰や瀬織津姫信仰(インド・イラン化)から最も遠い石積・石板墓文化人が
なんで日章旗を掲げる必要があるのでしょう!?

37 :
わぉ〜わぉ〜わぉ〜
記紀の記述との矛盾について
>Part18の316
>日本書紀の神代の最大のエベントは九州への出雲族の到着と、その馬を解体し、
毛皮をとる慣習の否定と出雲族の山陰への封じ込めである。
>それは四隅突出型墳丘墓、前方後方墳の祖形を含む石板墓文化だ。
>Part18の317
>九州へは細型銅剣→銅鏡→広型武器の順序で入る。これは出雲・地祇(石板墓)(細型銅剣)が
天孫(銅鏡(楽浪)/広型(燕))によって駆逐され、出雲に追放される姿を示す。

38 :
>>35 記紀は出雲を天孫族ではない、地祇としています。天孫はオシホミミ系統、ニニギ・神武はオシホミミ
降臨に割り込んできた第二天孫。インドアーリア系サラスヴァーティーはどちらかと言えば第二天孫に近い
遊牧民。第二天孫の淵源は黒海北岸オーカー土壙墳にあます。これは伽耶から来るものでしょう。白鳥族は
山東省の高夷であり、おそらくは石積文化と同じ系統でしょう。
>>36 石積・石板墓文化人は河伯・竜宮信仰を持つ海人族系統。日章旗を掲げる必要は全くありませんね。
しかし、熊野那智にもある太陽と水は共に扱われます。遊牧民系は犬を雪、シリウスに結びつけるようです。

39 :
わぉ〜わぉ〜わぉ〜わぉ〜
四隅突出型墳丘墓文化人について
>Part18の786
>「石板墓文化に最も特徴的なことは、それには大地のシンボル乃至しるしである矩形或いは方形が特徴的であるが、
これとは違い、鹿柱、ケレクスル(御霊の輿)文化には太陽を内有するものという基本的意味があるといえる。」
>この対立構造が日本古墳時代の四隅突出型墳丘墓文化圏と前方後円墳文化圏の対立構造となり神話上国譲りとなった。
>四隅突出型墳丘墓を出雲に持ち込んだのはO2bであったと見られる。
◎ここでは四隅突出型墳丘墓文化人はカラスク文化に対立する地祇O2bであったと記されています。


40 :
>>39
モンゴリアにおいては◎ケレクスル=コーカソイドvs■石板墓=モンゴロイド こういう対立構造。
日本では◎前方後円墳=天孫、■四隅突出型墳丘墓・前方後方墳=地祇

41 :
四隅突出型墳丘墓曼荼羅の起源は玉jか?「玉jは良渚文化で製作されてから大文口文化に持ち込まれ、
その後、大文口文化の人々によって自分たちの文化を象徴する符号として彫られたのであろう。」
http://www.minpo.jp/pub/former/special/sisen/sisen09.html

42 :
わぉ〜わぉ〜
>>40
>Part18の794
日本では◎前方後円墳=天孫と■四隅突出型墳丘墓・前方後方墳=地祇の対立は
◎南方モンゴロイドと■北方モンゴロイドとの対立関係〜(^-^)/

43 :
わぉ〜わぉ〜わぉ〜
>>40
>Part18の787
天孫族である鴨のペンダントを垂らしてるカラスク文化人と>>40の太陽信仰のコーカソイドとは
どこで接点が生まれたのだろう?
そこが太陽信仰を持つ天孫族の出自の正体でつね!!

44 :
>>42
下戸遺伝子地図は渡来人地域を表していますが、これと
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000176_discussion_001.gif
三世紀古墳時代鼎立関係地図を照合した場合の「前方後円墳が卓越する範囲」が天孫地域で
http://www.max.hi-ho.ne.jp/m-kat/gisi/sannseikikofunn.gif
「四隅突出型墳丘墓の主分布域」が地祇地域で、この対立はO-M122 vs O2bだと思います。

45 :
わぉ〜わぉ〜わぉ〜
>>43
◎天孫族・カラスク文化人
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%AF%E6%96%87%E5%8C%96
>中国北部、バイカル湖方面からウラル山脈、黒海方面まで活発に交易し、文化的一体性を保っていた。
黒海方面が瀬織津姫すなわちインドアーリア系サラスヴァーティーの故地ですね〜(^-^)/

46 :
>>43
その通りです。接点は http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/0c/Andronovo_culture.png
ピンクの部分、Sintashtaであろうと思われます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AD%E3%83%8E%E3%83%B4%E3%82%A9%E6%96%87%E5%8C%96

47 :
>>45
同上

48 :
わぉ〜わぉ〜わぉ〜わぉ〜
>>46
なるほどこの解説でいくと、A群の鴨族・山王族すなわち天孫族の故地は
インド・イラン語族の発祥の地と大巾に重なるわけですね〜(^-^)/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AD%E3%83%8E%E3%83%B4%E3%82%A9%E6%96%87%E5%8C%96
>アンドロノヴォ文化の分布地域はインド・イラン語派の発祥地と目される地域に重なり

49 :
>>43 天孫遺伝子は仰韶・遼河系O-M122
三才思想は発祥の地はシュメール・アッシリア
「もしこの臆説を眞とせば、次に考ふべきはこの思想は支那本來のものなりや、はた外來のものなりやの
問題なり。思ふに陰陽及び天地人三才の思想はカルデアにもアッシリアにも存し、イラン民族に起りしゾロア
スターの教は、陰神陽神を設けてその世界觀を説きたり。印度にては三才の思想は梨倶吠陀(リグヴェーダ)
に存し、佛教の眞如と無明とは陰陽思想の變形なり。この思想はアリアン及びセミチック種に著きが如し。
而して二十八宿は印度にては二十七宿( 初めは二十八宿なりし也、ナクシヤトラといふ )にして、アラビアに
ては二十八宿なり。この類似は三者偶發的とするよりも、同一起源に基けるものと考ふるを至當とす。
その起源に就きては、從來之れが研究に從へる西人の間に考説の區々なるありと雖、とまれセミチック族に
起りしものならん。支那より西方に移り行きしものとは考ふる能はず。而してラッセンによれば二十八宿の印度
に入りしは、西紀前一一五〇年頃ならんと。その眞僞は明ならざれども、支那に入れるもその前後なるべきか。
白鳥庫吉 明治四十五年二月二十二日、漢學研究會の講演 」
ニニギの「朱」の起源はピットグレーヴのオーカーですが。

50 :
http://en.wikipedia.org/wiki/Pit_Grave_culture
ピットグレーヴ文化
ドラキュラのように土壙底面に赤いオーカーを散布します。

51 :
天孫の正統宗教「修験道」
「金峯山寺および大峯山寺の本尊であり、中心的な信仰対象となっているのは、蔵王権現という、仏教の仏と
も神道の神ともつかない、独特の尊格である。金峯山寺の本尊は3体の蔵王権現で、その像容は、火焔を
背負い、頭髪は逆立ち、目を吊り上げ、口を大きく開いて忿怒の相を表わし、片足を高く上げて虚空を踏むもの
である。インドや中国起源ではない」・・・オークネフ蔵王
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%B3%AF%E5%B1%B1%E5%AF%BA

52 :
http://www.sakai.zaq.ne.jp/piicats/jyuou.htm
地祇は本来河伯信仰・水天宮・竜宮信仰のようなものであったが、天孫の影響を受け、最終的には十王
信仰になったものと見られる。

53 :
わぉ〜わぉ〜わぉ〜
>>49
天地人三才思想の発祥の地はシュメール・アッシリアなんですね〜(^-^)/
天孫族=セミチック族(セム族)という説から日ユ同祖論が出てくるわけですか〜

54 :
>>53
オークネフ文化は拝火教的要素があるようです。しかし、全体として見るとシュメール世界から
北方草原文化に拡散した地底世界神話の影響を強く受けているようで、やはり、白鳥説の通りだと
思われます。日ユ同祖論は秦氏に関して言えることでしょう。これは時代と地域が全く違います。

55 :
ニニギ・神武等は伽耶から吉備に入る中円双方墳丘墓文化及び犬戎と関係するのではないかと思います。

56 :
秦氏が活動していたであろう範囲 BMAC 黄土色
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b8/Indo-Iranian_origins.png
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%82%A2%E3%83%8A%E8%A4%87%E5%90%88

57 :
>>55
九州における天孫降臨の地は、記紀の高千穂はさりながら、やはり英彦山で、そこが倭面土国の
聖域だったんでしょう。

58 :
わぉ〜わぉ〜わぉ〜
>>51
天孫の正統宗教は「修験道」ですね!!
金峯山寺の3体の蔵王権現は天地人3才を表しているんでしょうか!?
白鳥説からするとシュメール→オクネフ→吉野・熊野の流れですね〜(^-^)/

59 :
>>58
まさに、その通りです。

60 :
承前
シュメールは民族的にセム系ですから、その知識を基に修験道(オークネフ蔵王)を創造したのは
モンゴロイドであったはず。それはカラスク人とは別の「夏」王朝とか、グラスコフ文化人(エヴェンキ)
とかであった筈。しかし、、O-M122は雲南とか、中国南部にも多く、華北人にも多い。やはり、O-M122
としておくべきでしょうか。

61 :
承前
夏と併行する二里頭文化は陰山山脈の南、オルドス朱開溝文化まで伸びています。その次の殷・
カラスク時代にもシベリア・カラスクとオルドス文化には交流があり、遡って夏の時代にも朱開溝-
オークネフ間に関係があったと見てもおかしsくはない。

62 :
参考
「而してラッセンによれば二十八宿の印度に入りしは、西紀前一一五〇年頃ならんと。その眞僞は明ならざれ
ども、支那に入れるもその前後なるべきか。」・・・カラスク時代

63 :
承前
周克殷の起こった陝西省からオルドスにかけて、カラスク時代のオークネフ石柱文化は鹿石文化に変貌する。
この鹿石文化と共にオークネフ文化の遺産も西周に流れ、同時に西方から西戎・秦氏等の持ち込む文化とも
ども中原に入るのではないだろうか。

64 :
承前
陝西省の鹿石文化は河北・白浮・西遼河にも広がるが、周克殷のころ遼東・北満へのシフトが起こる。
これが箕子朝鮮の動きと連動するものであろう。高句麗における高夷の台頭もこの際の動きであろう。

65 :
修験道はインドに輸出され、真言密教と名を変え再輸入される。しかし、その原像はオークネフ文化↓
Zoom in 400%
http://petroglif.narod.ru/images/Petroglif-12.JPG
通常、石像前面は三才を表す三層に分かれる。側面稜線上には太陽円運動を表す太陽シンボルが配置され
ている。 「太陽運動が頂点に達する」頭頂部に上部世界の太陽神が置かれる。石像中央部には人間世界・
現世を表す神像が置かれる。下部には地底世界、冥界、下界の獣の姿をする存在が置かれる。新形態の
経済・牧畜を生業とする、BP4000年頃ハカス・ステップに到来した民族の信仰が旧来の形象に新規要素が
出現する原因となった。ウサギの耳のように大きな牛の角、「観自在」の三つ目、オークネフ石柱のその他の
表象は到来した民族の世界観を表している。

66 :
承前
那智の夏至の火祭、これこそ「太陽運動が頂点に達する」頭頂部に上部世界の太陽神祭祀以外の
何物でもなく、オークネフ修験道そのもの。

67 :
わぉ〜わぉ〜
>>65
室町時代に描かれた『吉野大曼荼羅』の蔵王権現は三つ目だったんですよ〜
http://www.nyoirinji.com/image/mandara185_245.jpg
吉野・金峯山寺の蔵王権現も再建前は天地人の三つ目だったかもしれませんね〜(^-^)/

68 :
わぉ〜わぉ〜わぉ〜
>>65
三つ目神像といえばやはりコレ!!四川・三星堆遺跡の神像です〜(^-^)/
http://www.ne.jp/asahi/overland/japan/P4110049_1.jpg
そして、こちらが三星堆遺跡から出土の銅鐸だお〜
隼人紋(流水紋?)らしきものもありますね!!
http://1.bp.blogspot.com/_eADIlkTl05g/TFlhBQ781TI/AAAAAAAABM8/ITAlvoVJHHY/s1600/sanseitai01.jpg

これに非常に似ている鹿児島県出土の銅鐸は隼人紋バリバリです!!
http://4.bp.blogspot.com/_eADIlkTl05g/TFlg6r76hiI/AAAAAAAABM0/Tb99fpA_PrE/s1600/hayato.jpg

69 :
わぉ〜わぉ〜わぉ〜
>>58
というわけで、A群の鴨族・山王族の列島帰還ルートのおさらい
(列島発)→仰韶文化人として大陸進出→セム人のシュメール文明にカラスク人(オクネフ密教)を媒介として接触
→殷(西周)→オルドス→箕子朝鮮→伽耶→九州(倭面国土)→大和・紀伊→吉野・熊野

70 :
>>68
日本の銅鐸は朝鮮小銅鐸の後、オルドス型↓
121-鐸、青銅、中国、赤峰市付近収集、前九−七世紀(西周-春秋時代)、長さ一・八cm、
文学部考古学研究室列品室
122-鐸、青銅、中国、赤峰市付近収集、前九−七世紀(西周-春秋時代)、長さ二・〇cm、
文学部考古学研究室列品室
赤峰市付近を中心として内蒙古東部に分布する夏家店上層文化の鐸である。夏家店上層文化は、
初期遊牧民文化のなかでも早い時期の文化で、スキトーシベリア動物意匠も既に見出される。(高浜)
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/1997Expedition/02/img/02photo42.jpg
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/1997Expedition/02/020400.html
その後に「ひれ」のついた、三星堆(西周巴蜀)
http://1.bp.blogspot.com/_eADIlkTl05g/TFlhBQ781TI/AAAAAAAABM8/ITAlvoVJHHY/s1600/sanseitai01.jpg
へと変化します。三星堆型は徐福、隼人↓
http://1.bp.blogspot.com/_eADIlkTl05g/TFlhBQ781TI/AAAAAAAABM8/ITAlvoVJHHY/s1600/sanseitai01.jpg
これは銅鐸文化圏から隼人が技術導入したものか、特注したものでしょうかね。

71 :
わぉ〜わぉ〜わぉ〜
>>69
しかしこのルートでは三輪王朝・邪馬台国に魏志倭人伝で記された東冶会稽の匂いがぜんぜんしないです〜
>Part18の820
>三輪王朝・・・本格的江南起源高熱窯業文化のはしりが、鏡作りとして到来
>応神王朝・・・本格的江南高熱窯業須恵器集団と隼人系火把節慣習民族が渡来
>しかし、記紀編集当局は隼人系を三輪王朝以前に渡来と認識している。
とすると
セム人のシュメール文明を接収したカラスク人(オクネフ密教)→インダス上流部に南下し天地人曼荼羅文化を醸成
→四川・三星堆文明→雲南→東冶会稽で呉越難民と合流→伽耶→南九州→吉備→大和・紀伊→吉野・熊野
という流れで>>68の第二天孫族が列島に降臨というのはどうかな〜(^-^)/

72 :
わぉ〜わぉ〜
>LUNAMASK:2010/03/24(水) 10:53:47 ID:1tHWGidB
http://yamatai.cside.com/katudou/image/267-4.gif
九州の古代邪馬台国に侵入してきたスサノオ、細型利器族、左、の当初勢力範囲。
右は勝利した天孫族の最終布陣。スサノオは四隅突出型墳丘墓として出雲に
神やらいされ、天孫は吉備へと進む。
銅緑山(直線L) □細型銅剣
大井子(領域A)カラスク・鴨・尾張(=オークネフ=山戎=銅鐸文化人)
         ●琵琶型銅剣
         ▲支石墓 中広銅剣

73 :
>>69
●列島人が仰韶人として北上と言うのは、多少の真実があるにせよ、あまりにも飛躍しすぎですね。
興隆窪文化が中国南部出自であるということすら実証されていない。推測です。
●シュメール文明の北辺BMACにおいて草原民族による文明破壊があり、シュメール文明は滅び、アッカド・
アッシリア時代に入る。その混乱時代にメソポタミア・ナイルと草原民族の間にユダヤ人のような隊商が行き来
する。秦氏等もその一例。
●オークネフ文化はコーカソイド・アファナシエヴォ文化とモンゴロイド・グラスコフ文化の融合したもの。
●アファナシエヴォ文化の次のコーカソイド文化はアンドローノヴォ文化で、殷に併行。この時代のオークネフ
文化地域はカラスク文化で、イラン系と華北系の連合。
●白鳥説から考えるとカラスク時代にヴェーダ思想を持つアーリア人とオークネフ宗教を持つアジア人が
インドに南下する。
●周克殷の時代にオークネフ文化は鹿石を伴って夏家店に移動。山戎・燕文化を形成。
●秦・匈奴・漢の時代に山戎・燕文化と積石・石板墓文化は半島経由列島に移動、夫々、山陽、山陰を東進。
邪馬台国時代に統一される。
こういうことでしょう。

74 :
わぉ〜わぉ〜わぉ〜
>>70
おいらには三星堆遺跡から出土した銅鐸にある隼人紋の「ひれ」が
国立民族学博物館に展示してあった熊野・那智の火祭りの「削り」にそっくりに見えるよ〜(^-^)/
http://1.bp.blogspot.com/_eADIlkTl05g/TFlhBQ781TI/AAAAAAAABM8/ITAlvoVJHHY/s1600/sanseitai01.jpg
http://ameblo.jp/baycityblue/entry-10460590908.html#main
>扇みこしは滝を形どったものと伝えられ、十二支にちなんで12基作られる。
>そこには水しぶきを連想させる削りかけの縁松が取り付けられる。
>扇形の打ち松も滝の水を象徴した削りかけである。

75 :
>>71-72 呉太白末裔とはO3a4-LINE1 3.1% 甕棺族でないでしょうか。第二天孫族とはハイラル方面にいた
犬戎・原突厥でしょう。半島と違い漢帝国領土内は簡単に民族移動できる時代ではなかったと思うんですが。

76 :
>>74
http://stat001.ameba.jp/user_images/20100216/20/baycityblue/9c/bd/j/o0800106710417085897.jpg
ここで歳徳御大神・出雲と書かれたものこそオークネフ石像と同じ構想。

77 :
わぉ〜わぉ〜わぉ〜
>>75
とするとやはり徐福使節団のような作為が働いたのでしょうか!?
紀伊・熊野は徐福伝説であふれていますね!!
>呉太白末裔とはO3a4-LINE1 3.1% 甕棺族
だとすると第二天孫族も古墳期よりもかなり早い時期に渡来していることになりますね〜(^-^)/

78 :
>>77
来たとすれば天孫移民の一部で、天孫が英彦山・遠賀川、徐福系統は豊前・宇佐方面。
甕棺族は天孫ではなく、何らかの海人族でしょう。第二天孫と言うのはN1犬戎・原突厥・隼人
を含み、最後の銅鐸文化人に最後の隼人銅鐸を作らせたのじゃないかと。

79 :
>>77
>徐福使節団のような作為が働いた
影の力が、潜在的な力が、作用した・・・ってことですね。

80 :
>>78
宗像三女神
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E5%83%8F%E4%B8%89%E5%A5%B3%E7%A5%9E
これはオークネフ三才思想を展開したもの。
宗像海人族が天孫海軍ということになり、安曇海人族は出雲系となる。

81 :
承前
陸軍の海兵隊と言うこともあるわけで、九鬼水軍を安曇海人族と決めつけることもできない。

82 :
わぉ〜わぉ〜わぉ〜
>>80
宗像三女神=弁財天=サラスヴァティ=瀬織津姫ですね〜!!
日本三大弁才天が祭られている江ノ島を階段で登頂すると、
辺津宮・中津宮・奥津宮の天地人三才の曼荼羅を実体験できます〜(^-^)/
三輪山の3つの芽の輪も天地人三才を表してるのでしょうか?
LUNAMASK:2010/06/10(木) 15:50:29 ID:onRraa+B
>ヘレクスルと言うのは三輪山、ミモロ山というか、三重丸の石積塚で、おそらく
>息津、中津、辺津という三つの宇宙の結界を示すものです。
ただ高鴨神社の御由緒に崇神朝に滅ぼされたとあるように
崇神はオオタタネコに命じて天孫独裁を排除し、地祇優先に切り替えたんでしたっけ!?
http://www5.kcn.ne.jp/~takakamo/yuisho.html

83 :
わぉ〜わぉ〜わぉ〜
>>82
そして地祇優先に傾いた崇神王朝を歴代最強の卑弥呼・息長垂らし族の神功皇后が転向させて
その後の応神朝・継体朝による天孫の時代へと復興したわけですね〜(^-^)/

84 :
>>82-83
神武 第二天孫/第一天孫
綏靖 越 出雲
孝霊 第二天孫
崇神 出雲
応神 第一天孫
こんな形かなー。

85 :
承前
第一天孫 周防・玄海灘北岸諸国
第二天孫 播磨灘北岸諸国

86 :
>>76
オークネフ宗教の一般的特徴としては明らかに星辰宗教であり、ズルワーン教に近く、至高神を時を具現するMagna Materとするもの(女神の姿をした歳徳大御神)であった。
V.E.Larichev "Magna Mater i Vremya"
Institut arheologii i etnografii SO RAN, g. Novosibirsk
つまり、修験道の最高神は歳徳大御神であったということになる。そして、修験道は拝火教と共通する
部分があることになる。

87 :
http://4.bp.blogspot.com/_eADIlkTl05g/TFlg6r76hiI/AAAAAAAABM0/Tb99fpA_PrE/s1600/hayato.jpg
↑隼人銅鐸は最上位に炎を置く。これは拝火教に近く、修験道とは異なる。つまり、隼人族の祖は修験道
よりも南方、イランに近い方面にいたことになる。つまり、西戎・秦氏と非常に近かったことになる。
隼人の太陽を表すS字スパイラルはポーランドのCorded Ware文化で指輪に使われている。

88 :
>>86 Magna Mater の淵源は↓キュべレー
http://www.vroma.org/images/raia_images/cybele3a.jpg 狛犬を連れている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%99%E3%83%AC%E3%83%BC

89 :
おそらく小アジアのMagna Materをオークネフ文化に運んだのはアファナシエヴォ文化↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%8A%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%B4%E3%82%A9%E6%96%87%E5%8C%96
ウルムチカンチャシメンチ岩絵はククテニ・トリポリエ文化との共通点があるとされる。
つまり、小アジア→バルカン→ボルガ河→イェニセイ河の経路を辿ってのであろう。
しかし、歳徳大御神という修験道の神が生まれるのはオークネフ文化であろう。

90 :
秦氏・大避神社神宝は小河墓ミイラの蘭陵王型のお面だが、これは秦氏もアファナシエヴォ文化と
関係を持っていた証拠であろう。

91 :
ズルワーン (Zurv?n) は、後期ゾロアスター教 の一派ズルワーン教に於ける創造神。その名は時間を意味
する。中世ゾロアスター教文献の神話 によれば、世界の始まりの時にはズルワーンのみが存在していた。
彼は長い時間をかけて、全善なる存在を生み出して世界を治めさせようとしたが、ある時それが可能なのかと
疑念を抱いた。この心の迷いによって、ズルワーンの子は善なる存在と悪しき存在とに分裂してしまった。
それが全善の神オフルマズド(アフラ・マズダー )と全悪の神アフリマン(アンラ・マンユ )である。かくして
世界はこの双子の神々によって創造され、善と悪とが戦う戦場となったという。
http://ameblo.jp/renshi/entry-10383861442.html
フルマズド(アフラ・マズダー )>ホムタ(モンゴル語Khormusta) 応神天皇、善光寺ホンダはこれに由来する
と見られる。

92 :
極北人の国、夏至の太陽は天空に輪を描くが、冬、その輪は地平線に沈み、春分に復活を始める。
太陽は獣を従えて黄道帯・獣帯を回る。帯はタラシと呼ばれ、太陽は帯を垂らす、天垂らす存在。
http://toxa.cocolog-nifty.com/phonetika/2007/05/zoidiakos_defd.html
卑弥呼に神獣鏡が、婦好に神獣をあしらった青銅器が捧げられるのはここから来る。
アマテラスは当初、歳徳大御神であったが、伊勢においてはタラシの属性を五十鈴川に残して太陽神となり、
瀬織津姫は単体として東北にも祀られることになる。

93 :
神武の203号地、天香具山が左右に小山を従える太陽神の神であったと言うことは、神武以前から
天香具山信仰が存在しており、神武はその神の霊力を得たことになる。

94 :
>>91
善の神オフルマズド(アフラ・マズダー )と全悪の神アフリマン(アンラ・マンユ )の戦いは赤神・黒神
伝説として今に残る。
赤神・黒神
http://home.netyou.jp/cc/hua/red_black_god.html
沖縄のアカマタ・クロマタもこの類。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%83%9E%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%82%BF

95 :
>>82
弁財天には女陰が金運に結びつくと言う金山関係の信仰が残りますが、山戎は女陰、手形を崇拝する
という漢籍からして、山戎との関係が窺えますし、中国の山戎文化のサイトでは山戎文化に鳥居が
描かれているようです。

96 :
>>83
オキ 天 ナカ 地 をめぐる姫、オキナガタラシヒメ と言うのは銅鐸の構造そのものですね。
上の握り部分が黄道で、下は地蔵界です。銅鐸文明は復活したんでしょう。

97 :
To Amaterasu - Magna Mater
http://www.youtube.com/watch?v=DBqQOOaT4io

98 :
日本人はどこから来たかの問いに対し、弥生・古墳時代の日本人はここから来たという場所を明示すると:
銅鐸等青銅器埋納文化の原郷・山戎/燕 ●琵琶型銅剣 □細形銅剣(楽毅)▲支石墓
ハカス共和国を中心とするアルタイ山地の青銅破片埋納慣習が起源と見られる。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/b/b9/Bipabronze1.jpg
バイカル湖を琵琶湖とした場合、和邇川・比叡山の方にアンガラ川・イルクーツク(グラスコフ)
があり、そこが出雲・玉造・四隅突出型墳丘墓の原郷で、右下の2つの山塊が(鮮卑・烏桓等東胡)・
石積石板墓文化
http://jupiters.narod.ru/expedit5/b-0.jpg

99 :
>>98
>銅鐸等青銅器埋納文化の原郷・山戎/燕 ●琵琶型銅剣 □細形銅剣(楽毅)▲支石墓
>ハカス共和国を中心とするアルタイ山地の青銅破片埋納慣習が起源と見られる。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/b/b9/Bipabronze1.jpg
□細形銅剣(楽毅)・・・楽器が斉から強奪した殷の青銅器をリサイクルしたのではないかとされるが
この細形銅剣文化が、「右下の2つの山塊が(鮮卑・烏桓等東胡)・ 石積石板墓文化」・・・出雲族と同系統。
http://jupiters.narod.ru/expedit5/b-0.jpg

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