2011年11月1期45: 豪族について (38)
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豪族について
- 1 :11/04/05 〜 最終レス :11/11/11
- なんで今まで無かったのスレ
- 2 :
- どんな当たり前の事でも第一号ってあるんだよ
- 3 :
- 相模豪族についてのスレだったら去年の9月?まであった
- 4 :
- 常陸の豪族だったら語れまっせ
- 5 :
- 大蔵氏とか藤原利仁とか?亘理経清とか緒方惟義とか?
- 6 :
- >>4
虎塚古墳に葬られた豪族ってどなた?
- 7 :
- ほ
- 8 :
- はいはい
- 9 :
- 昔の日本は豪族によって成り立っていたのだ
- 10 :
- 葛城や蘇我など
秘密がいっぱい夢いっぱい
- 11 :
- >>4
語って
- 12 :
- 日曜
- 13 :
- 縄文系の豪族てあるのかな
- 14 :
- >>10
豪族には、9天皇家や中臣などの藤原氏系が大半だよね。
- 15 :
- >>10
葛城氏は、9天皇家の一つで
筒井氏とかもそうだし‥
天皇家と密接だったのが、秦氏や波多氏
- 16 :
- >>13
安倍氏とか?
- 17 :
- ビックリ
- 18 :
- >>13
物部氏
- 19 :
- 豪の者
- 20 :
- 20
- 21 :
- おーん
- 22 :
- いお
- 23 :
- 鴨あげ
- 24 :
- 土師氏について興味があるのですが・・・
どなたか詳しい方いらしたら教えて下さい。
- 25 :
- 菅原氏
- 26 :
- 皇族について
- 27 :
- 和邇氏は軍事氏族なのか否か?
- 28 :
- 彦国葺と武振熊か
- 29 :
- 全然詳しくないけど、続日本紀以降に出てくる土師氏一族
土師宿禰根麻呂(元土師連:生没年不詳)
土師宿禰(684)→直広四(689時点:従五位下相当)→判事(689)→直広参
(689:正五位下相当:699同)
土師宿禰馬手(元土師連:?〜711)
屯田司舎人(672時点)→小山以上?(672:七位相当以上?)→土師宿禰(684)
直広参(689時点:正五位下相当:699同)→正五位下(703時点)→正五位上(707時点)→
従四位下(709)
この二人の親族関係、年齢関係、官位の上下関係はよくわからない。
二人とも八嶋・身に連なる土師氏嫡流の出で、根麻呂と馬手を兄弟としている系図もあるようだが
実際のところはよくわからない?
あるいは根麻呂が本来の嫡流で、馬手は壬申の乱の功績による特進かも?
馬手は唯一正史で確認できる土師氏の従四位下官人である為か、系図等のみに名が見える菅原宿禰古人や
秋篠朝臣安人の父とされる宇遅・宇庭と同一視されることもあるようだが、年代的にどうだろう?
752年ないし754年生れの安人の父はまず無理、古人の方は785年頃没のようで馬手最晩年の子としてなら
あり得なくはないが。ただそれだと古人の清公(770年生れ)が生まれた時古人は若くても60歳程度となり、
少し不自然か。
なお馬手以後当分の間、土師氏に四位官人どころか正五位下以上は出ていない。
- 30 :
- 土師宿禰甥(元土師連:生没年不詳)
土師宿禰(684)→大唐学生(684時点)→勤広参(700時点:従六位上相当)→正六位上
(709時点)→従五位下(709)
土師宿禰豊麻呂(元土師連?:生没年不詳)
従六位下(715時点)→従五位下(715:4階昇進)→従五位上(723)→遣新羅大使(724)
土師宿禰呂(元土師連:生没年不詳)
土師宿禰(684)→務広四(697時点:従七位下相当)→正六位上(716時点)→従五位下(716)
→従五位上(724)
以上3人の親族・年齢関係も不明。一応五位昇進の順に並べてみた。
根麻呂・甥が道真に連なる先祖らしいが真偽不明?豊麻呂は馬手の子で甥の従兄弟とも?
これ以後当分の間、土師氏に内五位の官人はでなくなる。
土師宿禰百村(元土師連?:生没年不詳)
正七位上(721時点:この時退出後皇太子に侍る)、肥前介(極官?:系図による)
五位になったことは正史に見えない。六位以下で死亡か?
大宰少監土師百村(730時点)は同一人物だろう?
土師宿禰千村(生没年不詳)
正六位上(731時点)→外従五位下(731)→諸陵頭(731)→備前守(732)、大学頭(極官?)
系図では百村の子、秋篠朝臣安人の父とも?
名前からみて百村の近親ではありそうだが、親子にしては千村の官位がやや高すぎているような。あるいは兄弟か?
土師宿禰五百村(生没年不詳):正六位上(735時点)→外従五位下(735)
名前からみて百村・千村の近親か?官位昇進の状況から千村の弟あたり?
- 31 :
- 土師宿禰祖麻呂(生没年不詳)
正六位上(736時点)→外従五位下(736)、周防介(極官?:系図による)
系図では桓武天皇生母高野朝臣新笠の母真妹の兄弟で、後の大江朝臣氏に繋がる毛受腹の総領のようだが?
土師宿禰御目(生没年不詳):正六位上(737時点)→外従五位下(737)→諸陵頭(737)
親族関係など不明。
土師宿禰牛勝(生没年不詳)
上総介(738時点)→右大史(745時点)→正六位上(746時点)→外従五位下(746)→諸陵頭
(746)→従五位下(751)→従五位上(754)
系図では甥の子で、古人の伯叔父にあたるようだが?
土師宿禰氏久々の内五位官人だが、正五位の壁は破れなかった。
なお正史で諸陵頭就任が確認できるのは牛勝が最後、以後は助が二人ほどいる。
子とされる真仲は、一度菅原宿禰となってから大枝朝臣を賜姓されている。
土師宿禰弟勝(生没年不詳):正六位上(757時点)→外従五位下(757)
名前から見て牛勝の弟あたりかも?
土師宿禰犬養(生没年不詳:762までは生存)
従七位下一切写経司主典(741時点)→正六位上(757時点)→外従五位下(757)
掃部助(極官:系図による)
系図によると、祖麻呂の子で毛受腹嫡流?
790年に大枝朝臣を賜姓される菅麻呂の父だとすると、それまでには死亡していたのだろう。
土師宿禰樽(生没年不詳):正六位上(764時点)→外従五位下(764)
仲麻呂の乱での昇進。
- 32 :
- 土師宿禰冠(生没年不詳):正六位上(765時点)→外従五位下(765)
土師宿禰位(生没年不詳)
正六位上(767時点)→外従五位下(767)→諸陵助(768)→肥前守(771)
これら官歴以外はあまりよくわからない。
土師宿禰真嗣(生没年不詳):正六位上(767時点)→外従五位下(767)
土師宿禰真月(生没年不詳):正六位上(768時点)→外従五位下(768)
ともに名前から、後に菅原宿禰、大枝朝臣と改姓される真仲の近親だろうか?
土師宿禰智毛智(元土師連、千持:生没年不詳)
大初位下西史生(738時点)→外従五位下(769時点)→土師宿禰(769)
連姓であり一族だとしてもかなり傍流だったようだ。隷属していた一族の末裔かも?
土師宿禰和麻呂(生没年不詳)
正六位上(770時点)→外従五位下(770)→諸陵助(771)→大和介(774:極官?)
系図の官は大和介で、774年からほどなく没か?
祖麻呂の子?で真妹の甥?大江朝臣音人の曾祖父?
691〜777、87歳との説もあるようだが、84歳で大和介になったことになり不審?
上述のように777年没は妥当なようだが、享年が10歳くらいは違うのでは?
845年没の大枝朝臣本主の祖父、811〜877の音人の曾祖父としても691年生れは少し年長すぎないだろうか?
絶対に不可能ではないが。
- 33 :
- 菅原宿禰古人(元土師宿禰:生没年不詳)
正六位上(779時点)→外従五位下(779)→遠江介(781)→従五位下(781)→菅原宿禰(781)
785年故従五位下遠江介と続紀に有り、その年までには死亡。
菅原朝臣清公(770〜842、73歳)の父、同是善の祖父、同道真の曾祖父。
絶対に間違いなくたどれる菅原朝臣氏の祖。
菅原宿禰賜姓時の中心人物で、当時の土師宿禰氏の氏上だろう。
おそらく土師宿禰氏の嫡流に近い人物だとは思うが、案外智毛智の近親で成り上りかも?
系図で819年70歳で没(750年生れとなる)ともあるが、上述の通り785年以前死亡は確実。
享年の70歳がなにか根拠ありとすれば、716年以前の生れということもあり得る?
逆に750年生れが正しく、享年70歳と誤って伝えられた為819年没となった可能性も?
清公(四男)の父としては、716年でも750年(少し若すぎる?)でもあり得なくはない。
但し750年生れだと昇進が早すぎるようだし、逆に716年だと遅すぎるかも?
常識的にはその中間くらいだと思われるが?
なお古人が、弘仁10年正月10日70歳没、秋篠朝臣安人が弘仁12年正月(2月とも)10日70歳没とも有り、
このへんで混同があったという方が妥当か?
というわけで色々書いては見たけど生年は不詳としか言いようがない?
一応父とされる阿波守宇庭は、補任で秋篠朝臣安人の父とされる従四位下土師宿禰宇遅と同一人物か?
正史には見えず謎の人物。
官歴から見た世代的には、御目あたりが父か祖父、弟勝あたりが父でも合わなくはない。
土師宿禰虫麻呂(生没年不詳)
正七位上治部少録(752時点)→正六位上(779時点)→外従五位下(779)
菅原朝臣道長(元土師宿禰→菅原宿禰:生没年不詳)
正七位上摂津少属(761時点)→正六位上(781年)→外従五位下(781)→菅原宿禰(781)→
菅原朝臣(790)→従五位下(791)
古人の子という説もあるようだが、菅原宿禰賜姓時に古人ともに名前が上がっており、子供ではなく
弟又は従兄弟程度ではないだろうか?
751年時点の越中史生土師道良は同一人物か?姓が不詳。
790年の菅原朝臣改姓時には代表者であり、当時の菅原宿禰の氏上と思われる。この時は土師宿禰からは
独立していたのだろうが、土師氏全体としても最上位者だろう。
- 34 :
- >>27
和邇氏は原始的な水軍とか、河川交易をやっていたのではなかったか?
- 35 :
- 亘理権守経清
- 36 :
- 初期ヤマト王権は、複数の豪族の連合政権だったんですよね?
- 37 :
- >>36
尾張氏、葛城氏、鴨氏、紀氏、物部氏、でOk!?かなぁ。
- 38 :11/11/11
- >>18
俺も物部は縄文ではないかと疑ってる
正確には少数先行してやってきた弥生系との混血
登美彦=ナガスネヒコは純粋な縄文系
んで中臣も、鎌足以前は縄文系ではなかろうか
北家藤原は縄文
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