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2011年11月1期18: 新撰組/白虎隊/京都見廻組/彰義隊 (795) TOP カテ一覧 スレ一覧

新撰組/白虎隊/京都見廻組/彰義隊


1 :10/09/30 〜 最終レス :11/11/11
佐幕系

2 :


3 :
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00185307.html
会津で震度4wwwwww
ざまああwwww


4 :
震度4位では大被害はないよ。
それよりも、嘘をつかなくなるよう、地域性の変化があることを望む。

5 :
>>4
【地理】福島は東北地方の太平洋側にある大きな島です。島全体でひとつの県「福島県」
を構成しています。
県庁所在地は会津市。県庁は旧・さざえ堂を改築して造られた建築史的にも大変ユニーク
な建物となっております。
【歴史】福島県の前身である会津藩は幕末にペリー提督率いるアメリカ海軍と戦いました。
これが「会津戦争」です。
その際白人に変装してアメリカ海軍の黒船に侵入、猛虎のような活躍をした忍者部隊は
のちに「白虎隊」と呼ばれることになります。(後略)
  「うつくしま・ふくしま」福島県庁観光課HPより

6 :
新撰組
野蛮な浪人集団。1人を集団で襲う戦法。
会津藩や一橋と並んで、京の町で嫌われてた。
近藤派と芹沢派の内ゲバは会津藩が受理。
白虎隊
元服を終えた青年部隊。会津戦争では
約300人中、ほぼ全体が篭城していた。
戦死者は約20名。飯盛山の自刃は
老人1名の証言しかなく、確証はない。
飯盛山で自刃してる所を発見した者の証言はない。
遺体を埋葬しようとして咎められた庄屋の証言と
新政府から金銭を頂戴して、遺体を埋葬した
会津藩士・伴百悦の手記に食い違いがある。
見廻組
会津観光史学で新撰組がフューチャーされ過ぎて影が薄い。
彰義隊
徳川幕府が降伏したのに、追随せず大暴れ。
無駄な戦闘を開始させた。

7 :
おいおい見廻り組をこんな雑魚共と一緒くたにするなよ

8 :
佐幕派諸隊を扱うなら新徴組・新整組が抜けて
るのはおかしいだろよ。

9 :
>>5
幕末、外国の艦隊と攘夷戦争をしたことがある薩長がよっぽどうらやましいんだなw

10 :
新撰組てえらい人気だけど、正直この人達って凄いのか?

11 :
凄いの基準は何なんだ?
例:剣の腕が凄いのは千葉周作で、凄くないのは西郷隆盛。
  政治が上手いのは大久保利通で、凄くないのは西郷隆盛。
  では、西郷隆盛は愚人なのかといえば、そうじゃないだろう。

12 :
うーん…何て言うか。えらいメディアとかでちやほやされてるから、それにかなう実績とかあるのかなって

13 :
作家が創作で格好よく描いただけだよ。
壬生狼って本当は悪口だからね。
京で本当に人気があったのは長州藩。
徳川幕府や一橋、会津・新撰組は嫌われていたんだよ。
それをアンチ長州の会津系作家や司馬が
長州=過激と位置付けて、悪い奴みたいに描いたのさ。
司馬は人気作家だし、会津系作家は異常なまでに出版するし
わざわざ会まで作って活動してる。
幕末史に長けた人なら、長州を悪くは言わない。
会津を持ち上げ、長州を下げる人は、小説・ドラマ・作家の主観本を
史料だと鵜呑みしてるニワカだよ。

14 :
>>1
>政治が上手いのは大久保利通
?????
木戸と西郷が参議内閣から引っ込んだら、残るは大久保しかいないんだから、
政治が上手いとか言えない。
幕末の朝廷工作でも、
薩摩(最大の雄藩)と近衛家(公家筆頭)の後ろ盾がありながら、
上手く持っていけず、結局、薩長同盟なんだしさ。

15 :
>>13
だよね。激しく同意。
いくら小説と言っても、実在の人物使って、あんな名誉毀損的な歴史改竄は、
国賊指定された上、刑罰を科されるべきだと思う。

16 :
何が「凄い」のか何が「実績」なのか。テレビ・雑誌
などの知識をメインにする一般人と、専門的学術書・
論文の知識をメインにする学者・学生では大きく認識
が違うように、結局は取り上げられる環境次第でどう
とでも変わってくるし。
ま、メディアは「江戸を中心とした東日本の浪士・草
奔層に立身出世・政治参与の貴重な機会を提供し、そ
の活動を活性化させた画期的な有志結合組織」なんて
切り口でピックアップするより、「かっこいい若い兄
ちゃんの群像劇」みたいな切り口で一般大衆に売りこ
んだほうが金になるから、後者を重点的に喧伝するわ
な。
んで、そういうメディアに踊らされて新撰組を「時代
に殉じた英雄」か「時代遅れの人斬り集団」かで対立
してるような世間の議論は、正直的外れもいいところ
ってのが学問としての歴史に通じた人々の評価。学問
的にはもっと注目すべきところはあるだろうってこと
だろう。ただ、それが一般大衆の暇つぶしになるよう
な内容かといえば必ずしもそうではない。

17 :
>>14
だから比較する基準は何なんだよって言っているのw
>木戸と西郷が参議内閣から引っ込んだら、残るは大久保しかいないんだから政治が上手いとか言えない。
なんで木戸と西クが内閣から退くと大久保しか残らないのかわからんw。
板垣退助とかもいる。板垣の方が大久保より政治が上手かったのか?。
板垣でなくてもいいよw。判断基準示してくれw。
俺が求めているのは”判断する基準”たとえばこんな事も言える。
池にいるミジンコは、同種生物とは争わない。
大久保利通は、同種の人間である政敵達と政治的に争い、蹴落として実権を握った。
だから大久保とミジンコを比べた場合、ミジンコの方が優れているw。
とかなw。これは基準をミジンコにした無茶苦茶な一例だが、こういう基準を示さないと比べられないだろうw。
それと、君は一つ勘違いしている。俺は一例として「西クを基準に大久保を評価した」訳だが、この場合の比較対象はこの二人だけ。
政権から西クが退いたら大久保しか残らなかったと君は言うが、全然関係無い。
幕末の討幕運動における朝廷工作、王政復古、明治政府建設と西クと大久保の二人を比べた場合、
西クはカリスマであり決断力もあったが、政治的な調整、工作はダントツで大久保だろw。
この比較には、西クと大久保の二人の政治力のみを論じており、その他の要素は一切関係無いよw。

18 :
>>17
じゃ、
西郷隆盛=小沢一郎
大久保利通=藤井裕久
みたいだと言ってるわけだねw
民主党に取り入った自由党の手練手管は凄かったよ、ホント
民有合併時だけでさえ3億円だまし取ってるからね
そこからつい最近まで汚沢ファシズムの世界だったからね
゚(゚^▽^゚)゜。 ブヒャヒャヒャヒャヒャ

19 :
>>18
お前バカだろ
比較基準を言えと言っているの
俺がいつ「西郷隆盛=小沢一郎 」とか「大久保利通=藤井裕久」と言ったんだよw
君がそう思っている厨房バカなら、それはそれでいいけどなw

20 :
>>10
もともと野蛮な連中だが、池田屋事件からまさに幕府の犬で百害あって一利なし。
ただ新選組だろうが薩長だろうが、志は高かったというのも忘れてはいかん。
現代人が見習うべきことがたくさんある。

21 :
新撰組の志って何?

22 :
勤王派は馬鹿の一つ覚えで「攘夷」と言いながら、
自分達が政権獲ったら手の平返して「開国」に早変わりして諸外国のご機嫌伺い。
社会党が「日米安保反対」「自衛隊反対」「消費税廃止」と馬鹿の一つ覚えを
言いながら、政権獲ったら全て自民党政治の踏襲したのとそっくり。
口先だけの卑怯な勤王派や社会党より、現実を見つめていた新撰組や自民党の方が
はるかに正しかったね。

23 :
>>22
薩長はもともと開国派。
日本の昭和戦後の歴史学者とNHKが低脳と歴史改竄キ●ガイばっかりなだけ。
薩摩橋まず斉彬の頃から露骨に開国派だし、長州は1853年から吉田松陰・桂小五郎・高杉晋作・井上馨・伊藤博文・・・と露骨に開国派。
薩長は、つまり、尊王攘夷開国派なわけ。
対する幕府は、屈服開港鎖国派なわけ(諸藩には鎖国の禁を科したまま)。

24 :
新撰組は嫌いじゃないけど・・・
現実を見つめていた新撰組ってのが何を指しているのかがわからん。
官軍の銃砲火を前に白刃だけで突撃を繰り返す姿って、飛んで火に入る夏の●じゃないか。
目先の現実しか認識できなかったって点では納得だがなw

25 :
>24
好きなほうがおかしいと思う。
「志」というよりは出世欲と快楽人衝動だろ
剣術をかじる
→オラたちでも武士やれるんじゃね?人を斬ってりゃいいんだろ?
→ペリー来航で江戸幕府の旗本・御家人の慌てぶり・臆病者ぶりを観察してますます自信をもつ
→浪士組→壬生浪士組→新撰組→旗本・御家人
・・・・人を斬れば斬るほど出世できるぜ!
と思ったらやっぱり長くはなかったぜ!
どうしてオラたちが出世できるのか内心おかしいと思ってたんだ。で終わり。(たぶん、揃って地獄きp)

26 :
>>25
残念ながら君は勉強不足だよ。

27 :
清川八郎が暗されなかったら新撰組も180度違う立場だったのにね
新撰組で評価できるのは、土方歳三だけ
致命的なのは、教養がなく、国家的なビジョンを描けるのなんか一握り
一部のものは、長州藩や土佐浪士と仲良くなり行動した
このスレで清川八郎について知っている人いる?

28 :
>>25
たしかに新撰組の連中は「志」というよりは、「夢」といった方がしっくりくる。
その辺りが現代人にもわかりやすく、人気にもつながっていると思う。
もちろん、実物がどんな連中だったかなんてのは、知るだけ興醒めするだけだが。
>>27
清川が生きてても立場は変わらんと思うが。。
本人たちが離脱して京都に残ったじゃん。
山南さんを消しちゃうような奴らだから、国家ビジョンなんて描けるはずがないw

29 :
>>27
知ってる。
水戸学の尊王攘夷をそのまま口にしてただけの夜郎自大な自信過剰男。

30 :
>>28
司馬遼太郎の小説に毒され杉p

31 :
>>30
勘違いしてほしくないんだが、俺は新撰組ファンじゃないw

32 :
中学のときに司馬の小説にハマったが、半分はフィクションですね
色々な小説、史実の本を読むべきだと思った
司馬は、人たらしですなw
祖父とか嫌っている
親父の世代とかは好きなのが多い

33 :
半分はフィクションですね。それ以上かも。
新撰組なんてほとんどがフィクションじゃないかね。
史料がほとんど残ってないから逆に小説にしやすいんだろうけど。
ま、それはそれと割り切って読めればいいんでね?って思う。

34 :
馬鹿!!
99.99%創作だよ
土方のロマンスなんか笑うしかないからね(笑)

35 :
朝一から元気いいなw
ほとんどがフィクションと言っているのだが、まあいいや。
司馬の上手いところは、まるで史実のようにフィクションを書くところだな。
新聞記者やってたらしいから、こんなのお手のもんだろうな。

36 :
>>28
山南よりも伊東だろう。
新選組にとっては最後の切り札だったんだよ。
御陵衛士の残党の証言で斬首なんて罰が当たったとしか思えない。

37 :
>>36
あっそれは元陸援隊の谷の私恨だから
なにがなんでも断首にしたかったらしい
よっほど坂本を尊敬してたらしく、今井の自分がやっという証言に
「お前なんかに坂本さんを斬れるものか」と一喝してるし

38 :
>>37
ええぇ〜?
龍馬・慎太郎をやったのは、やっぱり新選組だろう?
見廻組の連中の証言は、各々食い違う上に、被害者の慎太郎の証言とも大きく食い違う。
京都守護職の会津藩が、新選組にやらして、新選組の評判が悪いもんだから、
表向きは見廻組の犯行ってことでお茶を濁そうとしたんだよ。
で、見廻組のほうも、別の暗事件をやっちゃってて、それをまぜこぜに話してるんだろ。

39 :
そりゃあこういう大掛かりな事ほど当事者らの記憶があやふやになりがちだし
まして時の経過とともに記憶が薄れていくし
人間の記憶力ってそんなによくないのよ
現に受験勉強であれだけ詰め込んでも、一年も経てばほとんど忘れてしまってるだろ

40 :
>>37
いや、残党が大久保=近藤だと証言して斬首に繋がったと言いたかったんだ。
誤解させてしまったようで申し訳ない。

41 :
>>39
事実を根本的に歪曲したくなるようなやましい事情のある人物ならいざ知らず、
ふつうは、大掛かりな事ほどそのまましっかり記憶に刻んでるよ。
人間の記憶力を舐めちゃいけない。。
詰め込みの受験勉強のような表面的知識だけの記憶とは、そもそも、記憶の質が違う。
あの当時、暗指令を下せるのは第一に新選組。
しかし、会津藩お抱えだった新選組が龍馬・慎太郎をした、ってことが公けになったら、
会津藩の立場が更に決定的に悪くなるだけだから、
新選組にも見廻組にもあらかじめ言い含めておいて、
内々に、龍馬・慎太郎をったのは元々旗本・気家人集団の見廻組!ということにしておこうとしたんだろ。
それ以外、辻褄が合わんのよ。

42 :
>>41
そういういかにも小説家好みの何の根拠もない珍説をほざく奴が他人に事実を歪曲とかよく言えるな

43 :
ID:fcDDgc8f0みたいなキチガイは放置しておけ

44 :
新撰組は、現在でいえば暴力団
低学歴sラ集団

45 :
新撰組と会津は、作家が美化してるだけ。
白虎隊なんか論外。崇める理由が解らない。

46 :
なんで新撰組ってした不逞浪士より
粛清でした身内の数のが多いのん?

47 :
>>46
そうよん
しかも一旦入隊したら抜けられないのよん
幹部以外は地獄なのよん

48 :
>>47
現在の暴走族、みたいじゃないですか?
入隊したら辞められないのは知らなかった。
>>46
京都で、や悪さばっかしたから
新撰組の規則守らなかったり、他者に迷惑かけたからだよ。
手のつけられない不良ばかり

49 :
(笑)

50 :
近藤や土方も似たような事やってるんだけどね…

51 :
規律は幹部も適用される。
所謂「局中法度」のような内容は海援隊や奇兵隊の規律にも見られる。
勿論内部抗争も。独自の規律を設け、違背者は厳罰に処すというのは、
あの時代に湧いて出た有志結合組織の特徴。現代組織・暴走族に
直結させるより、そうした当時の事情に即した知識を踏まえて考察する
のが妥当。
さらに、違背者が増加するのは元治元年後半以降。これが意味するとこ
ろは尊王攘夷路線から幕従・洋式軍備強化路線への変化で生じた組織矛
盾の顕在化。素行不良の隊士が増えた云々は勿論ある。だが、規律を犯
してでも組織を抜けなければいけないまでに追いつめられた、隊内尊攘
派の存在も大きい。
江戸新徴組では早期に幕府・庄内藩による清河一派捕、尊攘激派の水
戸天狗党大量移籍などで、そうした思想的対立問題が解消された。新撰
組は暫く多様な政治思想の持ち主に門戸を開き、またそうせざるを得な
いとかった事情から、それが少し遅れた。組織の方向性・周辺環境の変
化に注目しなければ事の本質には迫れない。
また、事情によっては条件付きで中途離脱は認められていた。助勤以下
になると平和裏に隊を去ったという事例も多い。慶応三年五月の茨城司
以下による脱局騒動でも、首謀者は切腹(自害説・新撰組暗説あり)し
たが、それに従った約10人は放逐されている。

52 :
>>45
白虎隊が実は少年部隊じゃないって話のソースはどれだっけ

53 :
白虎隊は、会津の家老が大反対したのだけどね。
なぜ美化されるのだろう
会津の家老はさすが優秀だったと思うよ。将軍は無能だけど。

54 :
>>53
会津なんかクソしかいねえだろうがww
会津観光史学、調子にのってんじゃねえ

55 :
最近の成りすまし君は会津観光史学という言葉を覚えたんだな

56 :
>>52ソースもなにも、侍は15で元服するんだから、17歳の白虎隊は成年だろ。
元服は今でいう成人式なんだから。

57 :
>>55なりすまし自体が、会津観光史学洗脳者だからな(笑)

58 :

ところで、「三品仲治」は山崎烝の隊内での変名だろ?
それ以外、辻褄が合わん。

59 :
>>58
元治元年(1864)11月作成の「行軍録」に、
三品忠司(仲治)の名が松原忠司率いる七番
大砲組に見えるが、山崎烝の名も小荷駄雑
具(平時の勘定方)に確認できる。
完全に別人でしょう。
因みに同じ三品姓の三品一郎という隊士が
いるが(おそらく同一人物)、これも「英名
録」などの諸史料で山崎とは別人として確
認できるね。
よく知らんが、そんな噂とかあったっけ?
by『新選組組長列伝』新人物往来社・2002年

60 :
>>58>>59
密偵山崎烝に隊内での変名がないほうがおかしいし、
脱走した者からもバレないようにということで
色々別人であるかのような偽装工作が為されたんではないか?
むしろ、それが山崎のような密偵に対する当然の配慮なのではないか?
ということで、
山崎烝=三品仲司=三品仲治=三品忠司=三品一郎
が正解なんじゃね? とふと思った。

61 :
>>60
山崎は密偵としての活躍でしられるが、むしろ公事の担当者として活躍してる。

62 :
>>60
そう。問題はそこから。
第1の問題は、山崎烝の隊内での変名に相当するものが「三品仲司」(および、それに類似する名前)しか見当たらないこと。
第2の問題は、その「三品仲司」が池田屋事変の功労者であるにもかかわらず不思議な行方不明者になっていること。
第3の問題は、「三品仲司」の行方不明と相前後するように山崎丞が新撰組の山崎丞として公に行動を始めていること。
これら三重の、余りにも見事すぎる符号の一致。
明らかに、山崎は、いつまでも薬屋に扮して京の旅宿に入り浸ってばかりいると
京の人たちから密偵ではないかと怪しまれるだろうとさすがに察して密偵をやめたと考えられる。
密偵のほうは新顔に交替すればいいだけの話だし。
そして、少なくとも近藤勇だけは「山崎丞」=「三品仲司」を知っていて
山崎が密偵をやっている間はそれがバレないように近藤勇が名前を使い分けていたんじゃないかと考えられる。

63 :
>>61
公事って何? 何やってたの?
>>62
あらためてWikipediaをみてみて
池田屋事件や山崎烝に関する今の推定記事は、
スパイもの・サスペンスものを一冊も読んだことがない低脳が書いてるなとおもた
おまけに島田魁日記と完全に矛盾させてしまってるし

64 :
>>59です。
>>62さん、
第1に、山崎烝の変名は史料上「山崎大二郎」しか確認できてないよ。
第2に、三品仲治(忠司)の名前は「行軍録」で消えるけど、直後の「山崎烝取
調日記」に五番隊平士として突如三品一郎の名前が出てくる。この名簿で平士以
下は序列を入局順で書かれている。三品は伊木八郎・宿院良蔵の間つまり池田屋
事件以来の古参者という扱い。「英名録」「幕臣取立者名簿」等の異なる人物・
時間に作成された何れの名簿でも扱いは同じ。つまり三品仲治と一郎は同一人物
と考えるのが妥当で彼は行方不明者ではない。勿論、山崎烝は何れの史料でも三
品姓の隊士と全くの別人として名が載る。
また、山崎の存在が確認できるのは池田屋事件直前だが、史料上、密偵としての
活躍が確認できるのはこの時と、慶応元年11月から翌年7月にかけての広島・
長州での「周防方」としての探索活動くらい。むしろ、隊士として存在が表向き
抹消されていたのでは?と思えるのは、浅野薫(藤太郎)かな。彼は慶応2年後
半までは確かに在隊していた筈なのに、その間の名簿に殆ど名前を遺していない
し謎多き存在。
山崎はむしろ優秀な事務・外交官僚タイプとして目立った存在。例えば、「禁門の
変」直後に小荷駄方(勘定方)として河合耆三郎と長州軍の遺した武器類を回収
し、その事務処理を担当。慶応三年四月の近江八幡仙台藩領内における事件に
も派遣され、代官を蔑ろにして独断で調停を処理してしまったという同時代の
記録がある。他にも西本願寺屯所移転の交渉役とか、公卿中山忠能邸への効用とか
の活躍が挙げられる。経歴の詳細は『新撰組全隊士録』に掲載されているし、近代
史家の宮地正人氏が『新選組の論じ方』で恐らく従来の「新選組研究者」たちより
も正確に山崎の存在を考察している。
長々と失礼しました。

65 :
http://www.bakusin.com/kanbu2.html#hayashi1
山崎烝の本姓は「林」だから「山崎烝」が実は変名w

66 :
>>65
>>64御指摘感謝です。確かに山崎丞自体変名ですね。詳しく調べると父方が林姓、母方が山崎姓とのこと。
大二郎という通称は少なくとも結婚して壬生村に住み始めたあたりから新撰組入隊直後まで使用し、その後で丞と名乗っている。
因みに林信太郎が従兄弟云々はデマで、実際に新撰組で従兄弟・義弟だったのは山崎新五郎(新次郎)という隊士なそうな。

67 :
賛否両論の新選組だが、仮に戦争があったら日本のために勇敢に戦ってくれるのは間違いない。近藤や土方は生まれてくるのが早すぎたのかもしれない。

68 :
元々外国と戦争したくてしょうがない攘夷浪士だしな。
で、攘夷できないのは長州が邪魔するせいだと考えて長
州と戦争した。長州も攘夷できないのは幕府のせいだと
して幕府に戦争しかけた。
結局、幕府が負けて、新政府はその遺産を活用しながら
日清・日露・第一次世界大戦と十年置きに「攘夷」戦争
に邁進し、何時しか守る側であったのが、かつて自身が
打ち払おうとした攻める側になっていたことにも気づか
ず始めたのが大東亜戦争。
めちゃくちゃ簡単にいえば日本の近代史こんな流れだろ
。幕藩体制や徳川主導の国家がそのまま続いたところで
、対外戦争の道は突き進んでいたべな。実際、最幕末期
に慶喜は朝鮮進出を計画してたくらいだし(大学時代に
その手が専門の教授から聞いた話で、出典がなんだった
かは忘れたが)。

69 :
会津wや新撰組wごときが中心になってもどこの国にも勝てやしねえよこのバカ
会津観光史学だまれ

70 :
>>68何が言いたいか不明。長文は否定しないが、駄文を並べてるだけ。しかも主観。
オマエの主観なんざどうでもいい。あとな、226以降は、東北系が主体だよ、日本は。

71 :
>>69
まあオマエみたいな引きこもりよりは役に立つだろ

72 :
>>70
単純にいえば、幕府が倒れても倒れなくても、日本の軍事的な海外進出路線は変わらなかっただろうなぁ。
という、ただそれだけの意見を伝えたかった。最近、幕末期の海外進出論とかに興味を持っててね。
細かい事情は抜きに、空き時間でバタバタ書いた乱文でして。批判とはいえ反応があるだけ有り難い。
日本が維新から大東亜戦争へ突き進んだ原動力・メカニズムみたいなものを、
幕府から薩長、薩長から東北というような単純な政権の異動論だけでなく、そういうレベルを超えた、
広範な時代把握で全国民的な動きから考えてみたい。が、仕事もあるから論文・史料探しが進まず、意見も纏まらず、
結局、たまたま覗いたスレに無駄に駄文をさらしてしまった。申し訳けないね。

73 :
薩長の凄いところは自己変革力。それも強烈な自己犠牲を伴いながらね。
会津や佐幕諸藩にマネできないのは、ここ尽きると思う。
明治維新は薩長の侍が中心となって成したが、自らの立ち位置であり存在意義である武士階級すらも否定し、速やかに実行に移した。
鹿児島や山口で今更にして武士道云々を言わないのは、そうした自己否定してきた葛藤と痛みの歴史を理解しているからだ。
会津は今更ながらに武士道的なものへの回帰というか、再評価を考察しているという点で進歩がないどころか、後退している。
明治維新を否定するなら、それに代わる「会津ならこうできた!」というビジョンをはっきり示すべきだろう。
できなければ、ただの駄々っ子と変わらない。

74 :
結局さ、会津だろうが薩長だろうが、この手のスレでどっちか一方が「凄い」「凄くない」ってな調子で議論してる連中って、
贔屓してる存在を小難しく理由つけて、どれだけ自慢できるかしか頭にないんだな。

75 :
と、会津観光史学w

76 :
>>74脳内変換乙。オマエはキチガイだろ。

77 :
会津に自慢できることって何があるんだ?
負の遺産しかないだろう
女、本来戦わなくてよい青年まで巻き込んで
最後の将軍は、なかなかやるなという場面や人格もあったけど

78 :
>>71
働かない無能より働く無能の方が遥かに質が悪い

79 :
と、日本のお荷物の言い訳w

80 :
新撰組関連スレッドはすべて監視下におかないとな
こいつら間違いなく観光史学洗脳者だわw

81 :
新撰組を肯定することは、暴力団を賛美することと同じだな
土方だけは敵ながらアッパレ
あと、新撰組の熱狂的ヲタは、低学歴が多い

82 :
新撰組を登用した会津藩公用方手代木傳右衛門と、坂本龍馬を暗した見回り組の佐々木只三郎は兄弟でござる

83 :
土方は別にあっぱれじゃないだろ。
榎本や会津と一緒に、北海道を襲い
戦局を拡大させた1人じゃん。

84 :
うーん、土方も無能だとすると新撰組でまともな隊員はいたのか?
新撰組に嫌気がさして、長州に仲間入りした隊員がいたと聞いたが。
榎本は、新政府軍に仲間入りして、新政府軍の方が正しいと方向転換した
から評価できる。
会津のお殿様が阿呆過ぎるw

85 :
ここも会津叩きのレスばかり。。。
普通に新撰組の話でできるとこないの?

86 :
>>84
土方ヲタうぜーよ

87 :
新撰組をマンセーする奴なんてにわかと腐女子と似非武士道が大好きな連中ぐらいだろ
語る価値無し

88 :
>>85会津が叩かれるのは観光史学や恨文化が原因だろ。
普通に新撰組の話?普通って何?一般的に新撰組の話をするヤツは
ドラマや小説といった、作られた新撰組なんじゃないの?
君は史実で新撰組の話出来る?フィクションと史実の間でファビョーンしないか?
会津観光史学洗脳者みたいに。

89 :
>>88
そうやって「なんでも会津観光史学に関連づけるのはやめろ」ということでしょ。
気軽に語りたい人にとって、型にはめたがる人間ほどうざったい。
新撰組の名前を出せば「会津観光史学うぜー」「オタうぜー」「監視せねば」「語る価値無し」と鳴くが、
その時点で思考が停止してんだから、同じ穴の狢。
そもそも「作られた新撰組」ってなんだろう?それを語ることがなんで問題なんだろう?「観光史学」「恨文化」がなぜ需要をもったのだろう?
時代が新撰組を生み出し求めた背景は?総合的に勘案して何が学びとれるの?その知識をどのように活用していくべき?等々、学問としての「歴史」はそういう視点で語るべきだと思う。
事実関係を把握することは、誰でもできる基本手的な「材料集め」の作業。そのとっかかりをこういう場で行うこと自体も問題ではない。
ならば「君は史実で新撰組の話出来る?」「フィクションと史実の間でファビョーンしないか?」という問いかけに何の意味があろう。
曖昧な「会津観光史学洗脳者」という存在をほのめかして終わるより、自らが信をおく参考文献なり情報を提供するくらいしたほうがよっぽど有意義じゃないか。
この手のスレのあるべき姿は本来そういうものだと思うけど。
無知は恥ずかしくない。無知を隠して無知を辱めることのほうがよっぽど恥ずかしい。

90 :
>>89
ここをどこだと思っている
ここは”学術板”だぞ
”学術的ではない”妄想や小説、漫画を元ネタに自由に書き込みできる場所では、本来ない。
1+1=2
なぜ2になるのか?
などという幼稚な質問をすべきではない。
まず、自分で勉強しなさい。
勉強した後、「コレコレを調べてみたが、ここの部分が解らない。教えてくれ」と言いなさい。
なお、「幼稚な質問をすれば、幼稚だとバカにされる」のは当然ですよ。

91 :

なんだかんだ言っても新撰組は現在の京都観光のコンテンツとして利用されてる
京都人が子孫に語るほど嫌っていたとは思えない
小説やドラマ、映画の影響であったとしても、ロマンの香りを持っているんだよ
判官贔屓も無視できない
好悪とか善悪とかの問題を超えたところに存在価値があるんだと思う

92 :
新撰組ってカッペが調子こいてたら引っ込みが付かなくなった
ってイメージしかないわ
政治的な理念があったわけでもないし

93 :
>>91
現代人の感覚なんざ、往時を推測する上では参考にもならないよ。
戊辰戦争のとき、会津松平が滅亡の危地に立ってもガン無視してた上にヤーヤー一揆まで起こした会津民の子孫が、
今では何故か会津松平贔屓じゃん。
判官贔屓はその通りだと思う。

94 :
>>90
時代劇板の新撰組スレにも会津観光学がどうだこうだと粘着してる奴がいるのだが。。
そこもスレ住人が悪いの?
会津を叩く人間が正しいの?

95 :
彰義隊が最も厄介な存在だったと思うね。
制圧した敵地首都のど真ん中に公然と武装勢力が集結してるんだから
上野戦争を強行するかどうかが鳥羽伏見以降の1つの分かれ目だったよ

96 :
伊東甲子太郎の大開国大強国は当時どういう評価だったんだろう?

97 :
薩長土芸・・・・・・新撰組の誰かが、どこかで聞いたようなことを言っているが
           近藤とか言う馬鹿の建白書同様、羅卒がいっぱしの人間になったつもりらしい
近藤・土方・・・・・・裏切り者には死を

98 :
当時の知識人なら、いたって普通じゃないの?
もっとも倒幕勢力は狂信的攘夷派、保守派、近代国家樹立派の連合だったから、
前2者からは仇敵視されたかも知れないが

99 :
>>98
個人的には崇高な思想だと思うんだけど、やっぱり理想論に過ぎないということなのかな
結局旧幕府は武力で沈めなければならなかったし
あくまでも朝廷中心と言ってた伊東に実はどれだけの野心があったのかも気になる

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