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2011年11月1期21: 【攘夷】久坂玄瑞・高杉晋作・大楽源太郎 (269) TOP カテ一覧 スレ一覧

【攘夷】久坂玄瑞・高杉晋作・大楽源太郎


1 :10/11/29 〜 最終レス :11/11/11
大楽源太郎isナンバーワン

2 :
勝による評価は大楽が一番。

3 :
高杉がいなけりゃ明治はない。
新政府で何もできない勝の評価など問題外

4 :
高杉、久坂の評価低すぎ

5 :
来島又兵衛

6 :
保守

7 :
保守

8 :
保守

9 :
保守

10 :
保守

11 :
保守

12 :
保守

13 :
保守

14 :
保守

15 :
桂小五郎みたいなへっぴり腰より10倍マシな人物ばかりだのー

16 :
捕手

17 :
保守

18 :
保守

19 :
保守

20 :
保守

21 :
大楽源太郎
山口県人でないと読めない、書風は良い

22 :
どうも大神源太を思い出してしまう

23 :
大楽ごときを高杉と並べるな

24 :
高杉ごときを大楽先生と並べるな

25 :
きも

26 :
もき

27 :
きもき

28 :
保守

29 :
勝海舟によれば、長州出身者でまともに話ができそうなのは
大楽源太郎と広沢真臣だけだったらしい。
高杉についてはゴミという評価。

30 :
大楽は門下生が大村暗に加わったことで、司馬遼太郎に毛嫌いされたのが全て。
ほんと司馬作品って罪が深い。
久坂>>>>高杉 (未知数)大楽 が順当な評価

31 :
なんで勝海舟ごときの評価を金科玉条にして崇めるの?
自分におもねらない奴には辛く当たるし的外れな評価少なくじゃないじゃん

32 :
勝海舟の評価は別にしても、
久坂、桂が能力では一段抜けており、高杉はワンランク下と言うのが事実だと思われる。
大楽に関しては明らかに不当評価。広沢がまともに話が出来たと言うのは首肯できる。
広沢は長州戦争、戊辰戦争でもきちんと戦争終結の方向できめ細やかな指示を与えている。

33 :
>>30
同意。
あとはその上に、長井雅楽や周布政之助が来るだろうね。
桂小五郎(木戸)は論外で、これも勝海舟の言葉だが「西郷などと比べるととても話にならないくらい臆病で人物が小さい」とのこと。
やはり長州にとって広沢真臣の死は痛かったね。

34 :
長井と周布・桂は悪くなかったのに、村塾系とくに久坂はやたら長井を敵視するなあ
木戸評は、勝の西郷びいきを考えないとダメだと思うけどw

35 :
久坂「それはキミ。航海遠略策なぞと云う愚策を出し、藩論世論を混乱させ公武合体に導いた。長州と尊攘を絶滅に追い込もうとした奸物だから仕方ない。」

36 :
実際長州を破滅させそうになったのは自分だけどなw

37 :
長州の傑物は禁門の変でほぼ消滅したといえる。
【幕末から学ぶ現在(いま)】
(112)国司信濃、眉目秀麗の勇者
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110505/art11050509280002-n1.htm

38 :
大楽はただの暗扇動者だろ。
自分じゃ汚れ仕事を嫌って人をそそのかし、
自分は安全な所にいる。
危なくなると今の福岡まで逃げて、持て余されて
そこで自分が暗された。

39 :
そんなこと言ったら高杉も久坂も長井以下の暗煽動者であり粛清実行者だが?
大楽は門下生から3人、大村暗犯が出ただけだが、高杉久坂の村塾系はもっと凄まじい

40 :
>>39
そうだったね。松下村塾の人達はもっと過激な連中が揃っていたね。
その事を忘れていたよ。
でも、高杉も久坂も暗を計画したり焼き討ちをしても、自分の身が
危なくなったからと言って遠くまで逃げる事はしなかった。
むしろ、幕軍相手に死ぬ気で戦った人達だよね。
その辺が大楽との違いで、後世にまで評価が分かれてしまった所だと思う。

41 :
久坂と高杉の一番違うのは
久坂はこまめに他藩の人と人的交流するけど
高杉は交流した形跡が無いよね。

42 :
いや、高杉は逃亡しまくってるよ。九州逃亡って意外と知られてないんだね
死ぬまで戦った度で言えば
久坂>大楽>>>>>高杉
それに、久坂・高杉と大楽では立場が違う
久坂=自分自身が京へ進発した諸隊の目付。
高杉=拘束を恐れて九州に逃亡した後、挙兵の説得に失敗して帰藩。
  だが、奇兵隊にも挙兵を拒否され破れかぶれ決起
大楽=久坂・高杉とつねに行動をともにしたが、門下生から暗犯が出る
  蟄居中に門人が脱隊騒動を起こしたため処刑が濃厚になり初めて九州逃亡

43 :
つまり久坂・高杉は藩内の派閥的にも、人に加担した経歴的にも負けたら処刑必至だったんだが、
大楽はべつに自分自身で大村に手を下したわけじゃないし、
大村暗犯を出したことを理由として処刑されたわけでもない
大村暗、広沢暗、諸隊騒動が重なって初めて久留米藩士が惨したわけで
当時、大村と敵対していた人間なんて山ほどいるから

44 :
>>42
その破れかぶれの決起に忠憤隊で呼応したのが大楽じゃないか。

45 :
あと冷泉為恭をったのは大楽じゃないのか。

46 :
大楽って松下村塾よりも過激で暴力的鬱屈感を持っていた西山塾の連中と
付き合いがなかったけ?
暗者かどうか不明だがその長州の私塾・西山塾の剣客の神代直人なんか
とも面識があったような・・・
大村益次郎は軍事面で西洋化を目指していた為、バリバリ攘夷思想の神代
に絡まれていたと本にあったが。

47 :
高杉の決起に最終的に呼応したのは伊藤も、山県の奇兵隊もそうだから、
べつに大楽が「変な人」だと言う証明にはならない
冷泉為恭害に関しては、久坂・高杉も長井雅楽暗計画をはじめ、
久坂は加徳丸事件で自藩の藩士に詰め腹を切らせたりしているし、
高杉も英国公使館焼き討ち以降、元治内戦で俗論党や奇兵隊の同志の処刑粛清に加担しており、
べつに大楽だけが「テロリスト」であったわけではない
また、神代直人に関する記述はまさか司馬遼じゃないだろうな?
司馬は大村マンセーだからアテにならないよ

48 :
木戸・高杉>久坂>大久保・中岡>龍馬>>>西郷>>>>>>>>>>>>勝
これが正解。

49 :
龍馬とか…w

50 :
と言うか長州の正義派政権の要人って、ほとんど人or放火の経験があるんだな
犯罪を犯してないのは、桂くらいか?いくら幕末でもちょっと異常だな

51 :
>>48
木戸の評価高すぎw
西郷と勝の評価低すぎ

52 :
■長州藩序列
国司信濃>長井雅楽=周布政之助>久坂玄端=広沢真臣=大楽源太郎>>|ゴミの壁|>>高杉晋作>桂小五郎(木戸孝允)
高杉珍作と桂小五郎はただの創作小説のヒーローでしかない。

53 :
>>50
山県も放火や暗はやって無いんじゃないかな?
汚職はあるけど

54 :
>>47
司馬遼太郎の小説って大村を描いた「花押」のこと?
そんなんじゃなくて、西山塾の塾頭を書いた書籍が
あったんだ。書名は失念してしまった。
その中に塾頭の傍にいつもいる神代がかなり過激な攘夷論者で
あたり構わず議論を吹っ掛けたり絡んだりしていたそうだ。
その中に有名になる前の大村も絡まれたとあったんだ。

55 :
>>47
大楽だけがテロリストであったとは思わないが
逆に大楽のどこがそれほど凄いのかわからないだけだよ。

56 :
>>52
長井>周布=久坂>桂=国司>広沢=赤根>>>高杉 (不明)大楽
こんな感じじゃないの?高杉って特に調整能力とか高くないし
桂のほうが常識人だけど、切れ者度では久坂のほうが上
ただ長井のほうがもっと上
>>53
山県は虚偽公文書作成or証拠隠滅をやってるだろ。奇兵隊日記の改ざん
明らかに赤根との確執だろ

57 :
長州スレはなんか面白いな。
正義党の藩内政敵、長井雅楽が一番だって書き込みが
正義党の人の名前を冠したスレに合っても、全く荒れないんだから。
長州の人は、松陰派の人は若干理屈屋気味だけど、
基本的にプラグマティズムの人が多いから、
関心持つ人も原理主義的な人は少ないのかねえ。

58 :
久坂はどう評価したものか。策謀家の匂いがしてあんま好きになれないんだよな。

59 :
久坂は正論正義タイプだろ
中岡や江藤見たいなタイプに見えるね

60 :
>>56
( ゚Д゚)ハァ?
長井雅楽って、ヘタレだからこそ命を散らす羽目になったっていうのに何言ってんの?

61 :
人物評はわかるが何故やたらと順位や序列をつけたがるのかわからん。

62 :
でも長井、周布、久坂あたりは順当な評価だよ

63 :
そうか?
どう評価しようとその人の勝手なんだが
自分は順位で評価できるほど人物評というのは単純ではないと思うだけのことで。

64 :
タイプが違うことを理由にしたらそもそも評価が出来なくなるよ
長井は頭脳明晰、論理秀逸しかも藩論を統一した国論に結び付けた傑物。
久坂は剛腕・策謀家ではあるが、政治活動は精力的で、極めて戦略的。
長井・久坂・周布の時代は、ほかの人物は彼らを超えることはできなかった。

65 :
まあ、長州が公論をリードした長井と久坂は、実績的にも妥当じゃない?
プラス内戦以前は周布、元治内戦以降の桂か。周布と桂では、長州単独では天下を引っ張れないけど、
共同戦線なら張れる実力はあるしね
広沢以下になると、まず他藩との折衝が難しい上に、単独で藩を率いる能力がない

66 :
政治面を基準にしての評価と、例えば軍事面での評価ではまた変わってくるとは思うけどね

67 :
ここでは政治面での評価って暗黙のルールがあったならごめん

68 :
諸隊の政治的な影響力は
軍事的な期待に支えられていたので
切り離して考えられない。

69 :
軍事・軍略面で言うなら例えば大村と比較しても長井、久坂、周布の方が上だったってこと?

70 :
対幕府はともかく、対外国は結局長井の提案通りに進んだわけでしょ?
無謀な下関戦争で、即今攘夷は無謀なことがはっきりして。

71 :
対外国の話は、長井も松陰−村塾系もそんなに変わんないだろ
それを国内的にどう運んでいくかってとこで、長井の策は日和見だと非難された

72 :
さすがに焼き討ちしたり、攘夷親征のため禁門の変起こす人たちと、
対外政策が同じというのは無理があるかと。

73 :
あれは外国への攻撃というより幕府への攻撃だし

74 :
焼き討ちは攘夷と無関係、
大阪等への攘夷親征も口だけでやる気なしだと主張なさるつもりか?

75 :
>>66
軍事面でも、大村、山県以下の諸隊幹部が入ってくるだけで、
そこまで違わない

76 :
誰か長州ザ・ベストテンと長井雅楽スレ作ってやれ。

77 :
久坂と桂とどっちが上だったの?

78 :
結果からいえば、久坂は諸藩の持つ力を軽視しすぎた
つまずいてもつまずいても雄藩の協力を諦めなかった桂の流れが維新を達成した
優劣をつけようと思ったらそういった結果からはかるしかない
正直、優劣をつける意味はないと自分は思ってるが

79 :
そもそも長井案でやったら幕府は通商で栄え諸藩は滅ぶし、明治維新も起きなかった
久坂が反対するのは至極当然
薩摩が倒幕に踏み切ったのも幕府が西国諸藩を潰す危険を感じ取ったから
諸藩との繋がり重視したのは久坂も同じだろう
藩も公卿も諸侯も最期は当てになら無いから既成組織でなく諸藩の同志同士が結ぶべきと手紙に書いてるくらいだ
まあ剛直さや身を捨てれる点で久坂が桂より上だな
桂は常に逃げ腰だから明治後までも生き残れたが、そういう面が弱いから西郷や大久保の様に主導者になれなかった
久坂なら生きていれば西郷や大久保とも互角にやり合えただろう

80 :
桂が逃げ腰って…イメージだけで語ってるね
そういう言葉つかわずに桂の姿勢や方針を語ることできないの?
それって無意味な順位付けを無理やりしているとしか思えんわ
もうちょっと同じ土俵で比べられるような表現しなよ
そうじゃなきゃ久坂が上だっていう説得力だってないだろうが

81 :
どの時期での順位なのか、何基準にした順位なのかによって変わってくるな。
大袈裟に言えば文久時代の政治面トップ10と戊辰で一軍を指揮させたらトップ10では全く違う。
漠然とした順位はあまり意味も説得力もないな。
単なる個人の好き嫌いの延長上にすら感じられる。
だったら長州人人気トップ10でいいと思うし。
てか自分は順位をつけること自体意味を感じないのだがね。
やりたい人は>>76が言ってるように長州人番付スレを作ってやればいいとは思うが。

82 :
攘夷なんて糞喰らえだ!ただこの国を一つに纏められるなら
何でも良かった!

83 :
>>82
これ何か違う気がしたんだけど、当時の久坂の思想ってどんな感じ?

84 :
攘夷をなす為には幕府を倒し天皇を中心とした統一国家にしなければじゃないか
久坂は松蔭の草莽崛起論の影響を受けてるし、民兵や民力に目を向けてる
ずっと早い時期から革命的な思想持ってたんじゃないか

85 :
久坂は諸藩を軽視してないよ。
攘夷は藩を動かさないと無理って考えだし。
最後は孤立して死んだけどな。

86 :
いや久坂は諸藩の反発を軽視していたのは事実じゃね?
久坂くわしくないんで誤解だったらスマソ
諸藩の志士に目が向いているのは分かるけどその上にはどうだったの?

87 :
藩内では長井の航海策に対抗し尊攘策の理論を作り上げ藩論を覆し尊攘化
奇兵隊の前進となる光明寺党などを結成
藩外では他藩士の志士らと周旋提携し薩長土による三藩入京を実現し
朝廷工作で三条や綾小路を擁し公武合体論を退け朝廷を尊攘化

88 :
藩論覆したのは桂じゃないの
あと三藩入京に成功したのが逆に薩摩土佐内の保守派の不安をあおり
さらに朝廷の一部の有力公家を尊攘派にして押しまくったために孝明帝や保守公家の反発を受け
諸藩&朝廷でどーんと反動が起きたわけでしょ
まあこれも結果論だけどな

89 :
久坂が禁門の変を生き延びたら薩長連合は絶対になかったね。
あそこで死ぬべき人だったんだ。

90 :
久坂さんは真面目すぎて早く死んじゃったよね。

91 :
三藩入京しなきゃ朝廷は単なる観念的な権威の象徴で終わり明治維新も起きない
それまでの水戸学理論である観念的尊王主義=公武合体を、倒幕を含めた実質的な京都政権樹立に持ってったのは三藩入京
三藩入京による武力の裏打ちによって、それまでの天皇を敬う観念的尊王から勤める勤王に持って行ったから朝廷の実質的権威も確立できた
長井の公武合体理論武装に対し久坂の尊攘理論武装が長州の藩論として採用され、その後の天下の志士の理論になり明治維新の理論になる
久坂が生きてれば薩長同盟が無いと言うのもないだろう
久坂は土佐の武市や薩摩の樺山と提携してたし、思想的にもかなり先覚的で土佐の吉村や龍馬なんかの脱藩行動にも影響を与えてる
大義の為なら長州藩も土佐藩も滅んでも構わないという先覚的革命思想の持ち主
西郷や武市なんかもかなり久坂を買ってた

92 :
久坂が過小評価されてるのは司馬のせいだよね
司馬は久坂の事を知らなかったくさい匂いがある
あまりにも早く死んだ為どの程度の人物か分からないとか
松蔭が期待したほど働きがなかったとか
西郷が久坂先生が生きてれば参議など大きな顔が出来ないはお世辞とか超適当すぎ

93 :
まあ久坂がドロドロの明治政府を生き抜けたとも思えないが…

94 :
■長州藩序列
国司信濃>長井雅楽=周布政之助>久坂玄端=広沢真臣=大楽源太郎>>高杉晋作>桂小五郎(木戸孝允)

95 :
順番決めないと気が済まないのかw

96 :
桂らが松陰の恨みで長井に切腹させることに血道を挙げなければ、
長井、周布らがもっと維新で力を発揮しただろうね。
松陰をしたことによる負の連鎖だね。
井伊たちのやったことなのに、長井は逆恨みされちゃって。

97 :
久坂は生まれる時代を間違えた

98 :
>>96
長井を逆恨みしたのは久坂ら村塾生
桂は連中に「長井のせいってのは誤解だ」と最初から言ってる
適当にまぜないようにw

99 :
長井は藩官僚 桂は藩官僚であり志士でもある 久坂は基本志士 大楽は完全志士
そういうことも考慮に入れないと それぞれの思想や行動は一面的には評価できない

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