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2011年11月1期38: 日蓮ってver.20 (684)
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日蓮ってver.20
- 1 :11/06/26 〜 最終レス :11/11/12
- 日蓮ってver.19
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1284827762/
「日蓮って」過去ログ
http://hyakkimaru.nukenin.jp/
創価学会の教義と日蓮仏法について、真面目に語るスレッドです
創価学会員側の論客大歓迎です
他スレで教義について議論になったら当スレへ誘導してください
コテハン推奨。sage推奨。「荒らし」は無視で
スレが荒れる原因になりますので、野次、暴言、挑発、嘲笑、語尾のwwwはNGです
スレ違いの話題もほどほどに
初心者の方も教義についての質問があればお気軽に書きこんでください
↓以下、まったりよろしくね
- 2 :
- テンプレいじっちゃってごめんなさい
気に入らなかったらまた次スレで直してください
- 3 :
- sageで保守
>>2
個人的には、このほうがすっきりしてて良いと思いますよ。
スレ立てて下さってありがとうございました。m(__)m
- 4 :
- スレ立てありがとうございました。
- 5 :
- >>4
また、有意義な議論が始まると良いですね。
大乗非仏説さんの書き込みを、楽しみにしています。
- 6 :
- 春田の蛙さんほどの知識がないのですが・・・~~;
日蓮について、「日蓮本仏」論を唱える富士門流とよばれる団体もあるの
ですが、日蓮宗の伝統としては、見延を中心として「日蓮」=上行菩薩論
を主張していますね。
日蓮の著作をみるかぎり(とっても一部しか見ていないのですが)法華経
の行者であるという自負は強いものの、自らが「末法の仏」なんて言葉は
ないように思うのですが、日蓮本仏論の根拠は何でしょう?
- 7 :
- 血脈抄とか本因妙抄とか百六箇抄とか・・・
しかしまた豪快な議題を出されましたね(笑
2chのスレで議論するには少々持て余すかもしれません。
お2人の書き込みを楽しみにしています。
- 8 :
- ぬぼぉ〜っと、顔を出してしまいました。
また勉強させてください。
- 9 :
- >>7 山椒島さんへ
>しかしまた豪快な議題を出されましたね(笑
ちょっと風呂敷が大きすぎましたか^^;
ただ、どうも日蓮本仏論は、まゆつばもんだと思っています。
日蓮作の書は後世の偽書がおおいですからね。
(まあ、それで言えば仏教のほとんどの経典は偽書・・)
>血脈抄とか本因妙抄とか百六箇抄とか
これらは、現在の文献学上で言えば、日蓮真筆とはみとめられて
いないようですね。
- 10 :
- test
- 11 :
- 学会に不信感を持つ内部です。 冷静な目で皆様の意見を拝聴したいと思います。
- 12 :
- >>6
「法華経の肝心 諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字 末法の始に一閻浮提にひろませ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり」 (種種御振舞御書)
おそらく、これではないでしょうか。 「先駆ける人こそ仏である」と、創価で教えているようですし。
- 13 :
- >>12
ご教示ありがとうございました。でも「さきがけた」から「本仏」というのはいかにも飛躍した言い方ですよね。
この種種御振舞御書についても、この文の前に
仏記して云く「我が滅後正像二千年すぎて末法の始に此の法華経の肝心題目の五字計りを弘めんもの
出来すべし、其の時悪王悪比丘等大地微塵より多くして或は大乗或は小乗等をもつてきそはんほどに、
此の題目の行者にせめられて在家の檀那等をかたらひて或はのり或はうち或はろうに入れ或は所領を召
し或は流罪或は頚をはぬべし、などいふとも退転なくひろむるほどならばあだをなすものは国主はどし打
ちをはじめ餓鬼のごとく身をくらひ後には他国よりせめらるべし、これひとへに梵天帝釈日月四天等の法華
経の敵なる国を他国より責めさせ給うなるべし」ととかれて候ぞ、
と書かれていますが、妙法蓮華経は釈尊没後500年ぐらいたってから成立したものですから、「仏記して
云々の部分そのものが架空の話ですよね。このあたり学会にしても宗門にしてもどのように解釈している
のでしょう?
- 14 :
- >>9 大乗非仏説 さん
まぁ、そうでしょうね。理論も書物も、まず後世のものでしょう。要は日蓮本仏論とは、
(1)日蓮以来の伝承(根拠無し or 極めて薄弱)を受けたと自称する教団指導者の言と
(2)日蓮のものと称する(ことごとく原本や時代写本を残さない)相承書・相伝書に従って
(3)確実に日蓮のものとされる書物をも読み変え、日蓮の言とは真逆のことを主張する
・・・ということですからね。「六巻抄」などは非常によく書かれているとは思いますが。
- 15 :
- >>11 さん
そうですか。もし良かったら参加もされてみて下さい。
今いる人達は、法論や(ディベートという意味での)議論が目的ではないでしょうから。
>>12 さん
うーん・・・近年の創価学会ではそのようなことを言っているのですか。
法華経の記述に忠実に沿うなら、「末法の始に一閻浮提にひろませ給う」のは地涌千界の
上首である上行菩薩ですし、日蓮はその先駆け、つまり眷属ということになりますね。
日蓮本仏論ではこの矛盾を「凡夫日蓮≒釈尊≒上行」という本地垂迹説で片付けるのですが、
これは言い換えるなら日蓮の壮大な自作自演劇となり、法華経の記述からしてブチ壊しです。
やはり「地涌千界は教主釈尊の初発心の弟子也」(観心本尊抄)が大前提なんですよね。
- 16 :
- >>13
>妙法蓮華経は釈尊没後500年ぐらいたってから成立したものですから、
>「仏記して 云々の部分そのものが架空の話ですよね。
>このあたり学会にしても宗門にしてもどのように解釈している のでしょう?
読み始めたばかりで私自身は詳しくありませんが、
(池田大作著・私の仏教観)に法華経の成立に関して、順次、割と詳しく記載されています。
一貫して、大乗非仏説はとって居ないようです。
『法華経』や他の大乗経典に盛り込まれたような内容の教えを、やはり釈尊自身、
すでに説いていたものとみるのが妥当でしょう。(池田大作全集P354・一部抜粋)
と書かれています。
- 17 :
- >>16
丁重なレスありがとうございます。
「私の仏教観」の目次はこうなっているようですね、
仏典の結集…第一結集の背景/仏説を合涌した弟子たち/偉大な宗教者の教え
上座部と大衆部…第二結集の背景/部派分裂の原因/原点に帰る運動
アショーカ王…最も偉大な帝王/絶対平和主義の政治/政治と宗教の関係
ミリンダ王の問い…ギリシア世界の哲人王/ナーガセーナの知恵/賢者の輪と王者の輪
東西文化の交流…東と西の転換期/仏教とキリスト教/世界宗教の条件
大乗仏教の興起…大乗興起の要因/大乗と小乗の違い/仏教のルネサンス
維摩詰と在家菩薩…維摩経について/仏国土の建設/菩薩の利他の実践/不思議の法門
法華経の成立…霊鷲山の説法/声聞弟子と大乗菩薩/滅後の弘教と展開
法華経の精神…法華経の実践者/大乗教徒の精神/法華経の仏身観
龍樹と世親…大乗仏典を求めて/中道と空の論理/無著と世親の歩み/倶舎論と唯識論
目次を見る限りでは、そんなに違和感を感じないのですが、これまで
創価学会が主張してきたことと全く異なりますね・・
- 18 :
- また復活ですか…
- 19 :
- その様です…
- 20 :
- 書籍「お釈迦さまの脳科学」読むといまの日本仏教がわかるよ
- 21 :
- 創価学会の仏教についての考え方ですが、もともとは伝統的な五時八教という
考え方を踏んでいました。すなわち現存する膨大な教典を全て釈尊が直接説いた、
その中で最も大事な経典が法華経だというものです。
実際にこれまで、創価学会は五時八教でもって浄土真宗や真言宗等の仏教の諸派
を痛烈に批判してきました。
しかしこの目次から見て想像できる限りは、最初に小乗経典が成立し、それから
もっと時間が経過してから大乗経典が成立したといっていますね。おそらく、経
典が成立したのは遅いが、釈尊は生前からこのような説法をしており、釈尊の真
意はこちらにあるのだということでしょう。(もし読まれた方がいらっしゃった
ら随時ご指摘、ご教示ください)
でも、この主張はあきらかにおかしいです。なぜなら宗祖日蓮が大乗経典は後世
に成立したなどということは言っていません。あくまで釈尊が直接法華経を説いた
ということを前提としています。
- 22 :
- レグルス文庫の「私の仏教観」は1984年に初版。その前に「私の釈尊観」は1975年初版。
- 23 :
- >>21
だから、釈迦が直接書き残した経典はひとつもないと、
何度言ったら…
- 24 :
- >>22
言葉の使い方がまずかったですね。
おっしゃるとおり、全ての経典は釈尊没後に制作された者です。
しかし創価学会は、法華経は釈尊の金口だって言っていたんですよ。
それを今になって何をいってるんだか・・ということです。
- 25 :
- >>22
ご教示ありがとうございました。
- 26 :
- 「私の仏教観」周辺の書籍は1970年代初頭に刊行されている。
何をいまさら、ではなくてもう40年前に書籍の中で創価学会は仏典成立の過程を公言していたことになる。
経典は釈尊が直接説いたものではないが、大乗なども含め、その精神的なバックボーンは釈尊にある、というスタンス。
- 27 :
- >>26
しかし折伏教典では
『釈尊一代の説法を華厳、阿含、方等、般若、法華涅槃の5時にわかち、
その中の法華経をもって仏の出世の本懐としている。」とありますが?
- 28 :
- つまり二枚舌ということですね。
- 29 :
- おそらく1970年頃に仏教の歴史についての認識を転換したのでしょうね。
- 30 :
- 閻魔様って仏教なのでしょうか?
- 31 :
- >>24
>しかし創価学会は、法華経は釈尊の金口だって言っていたんですよ。
ご自分で読まれるのが一番、納得できると思いますが、「私の仏教観」にも、その通りの事が書いてあります。
『法華経をはじめとする釈尊の大乗の教えは、主に在家信者の間に脈々と伝えられてきたと推測して、
ほぼ間違いないものといえる』他、多数記述あり
つまり、法華経は釈尊の金口だと主張して居ります。
>>27
>その中の法華経をもって仏の出世の本懐としている
『すべての衆生が釈尊とまったく同じ仏になることができるのでという原理は
『法華経』によって初めて明らかにされたのです。
したがって、もし法華経が説かれなかったとするならば、釈尊は自らの説法の目的
この世に出現した目的を果たさないで終わってしまったといわざるをえない。』
『法華経以外の経典も、釈尊の悟りの一部分観を説いたものであるから、そこに真実が含まれて
いないわけではない。
いわば円教の一部分が個別に説かれているということです。』
『法華経を大乗仏教の代表ということにとどまらず、釈尊によって創始されたインド仏教の精髄
であるとともに、集大成でもあったわけです』他、多数記述あり
「私の仏教観」においても、釈尊一代の説法の中の法華経をもって仏の出世の本懐と主張して居ます。
- 32 :
- >26
>経典は釈尊が直接説いたものではないが、大乗なども含め、その精神的なバックボーンは釈尊にある、というスタンス。
今でも創価は、法華経には釈尊の直説が含まれていると主張していると思いますが。
つまり、法華経は釈尊が直接、説いたものだと言っていますよね。
- 33 :
- 法華経の内容だと
久遠に仏は法華経を説いていた事になっていたような気がしたのですが。
それが私、日蓮って事だったのでは?
- 34 :
- >>31
「主に在家信者の間に脈々と伝えられてきたと推測して」とあるとおり、法華経を含めた仏典は、釈尊の言葉をそのまま書きとめたものではないという前提を認めたうえで、いかに自分らの信仰に都合よく解釈するかに腐心しているわけです。
- 35 :
- >>32
ですから、二枚舌といったわけです。
「私の仏教観」の対談者の一人である松本氏は略歴によると創価学会の外郭団体である東洋哲学研究所理事を経ているようだが、
東洋哲学研究所の設立は1965年。
おそらく法華経が釈尊の直説でないという認識は随分前から持っていただろう。
それを知った上で、半世紀にわたり、現場では釈尊の直説であるといい、方や直説ではないことを認める書籍を刊行していたことになる。
- 36 :
- 釈迦、釈尊、仏陀はそれほど偉くない。
日蓮大聖人が五百塵点劫の当初(そのかみ)に教導したのだから。
嗚嗚、観心 文底秘沈
- 37 :
- >>36
「法華経は日蓮が説いた!」と解釈されているのですか?
常不軽品での
威音王仏の何代前が日蓮になるのか疑問に思われます。
それと、釈迦一代五時八教の法華涅槃時の説時を定めるのが困難になりそうですが。
- 38 :
- >>35
>おそらく法華経が釈尊の直説でないという認識は随分前から持っていただろう。
「私の仏教観」の対談にあたり、対話者は、主にインド学、仏教書を60冊以上も渉猟した上で参照しています。
当然、法華経が釈尊の直説ではないという意見も含め、他さまざまな意見も取り入れた上での対談となっています。
その上で、創価の見解としては>>31に提示した事などが書かれています。
一読すれば納得いくと思うのですが。
>それを知った上で、半世紀にわたり、現場では釈尊の直説であるといい、方や直説ではないことを認める書籍を刊行していたことになる。
何十年も前から、一貫して法華経は釈迦の直説が含まれていると言っていませんか?
池田大作著で、直説ではないことを認める書籍が発行された話を聞いた事がないのですが、あったら教えてください。
- 39 :
- >>38
私は池田氏の著作などほとんど読みませんが(読みたくもありませんが)、
「私の仏教観」を読めば、以下のようなことを語っています。
池田 もちろん、八万法蔵の膨大な経典群が、釈尊の教説をすべてそのまま筆録したもの
ではないことは、当然ですね。釈尊滅後、第一回の仏典結集以来、ほぼ二、三百年間は、
暗誦による口唱によって伝承されてきた、とされている。それが現存する経典のような形
式に文字化されたのは、ほぼ西暦前一世紀ごろのことと推定されているね。したがって、
そうした意味からすれば、大乗経典が仏説でないとするなら小乗の阿含部もまた仏説では
ないということになってしまう。(P163-164)
- 40 :
- 引用の続き
われわれが問題にしたいのは、そうした文献学上の問題ではない。大乗・小乗の経典を
含めて、仏典が広く仏説として読まれ、東洋の諸民族によって生きた思想として伝えられ
てきたという事実です。まさに宗教の本質は、ここにあるのであって、あくまでも仏典は、
釈尊五十年の説法を、弟子たちが後世に令法久住の一念をもって伝えようとした所産であ
ると考えるのが、正しいと思う。ともすれば、文献学的、原典批判的な行き方が陥りがち
な、人間不在の落とし穴に、現代人は気をつけなければならないということです。(P163-164)
- 41 :
- つまりあなたが引用した部分は、池田氏の言うところの「宗教の本質」を彼自身の信仰上の立脚点から語っているに過ぎません。
信仰者が信仰者のリーダーとして語るのですから、当然そうなります。
しかし「文献学的、原典批判的」に見れば、それは釈尊の直説とはいえないということを認めています。
そうでなければ、このような苦しい答弁をする必要がありませんよね?
その上で、信仰上の立場から、どう自分に優位に解釈するかを、延々と語っているわけです。
まあ、苦しい言い訳になるわけですが。
- 42 :
- 学問と信仰は別だからね。
まあ、学会員は釈迦なんて大聖人登場までの
前座の仏なんで、どうでも良いと思ってます。
- 43 :
- >>41
>しかし「文献学的、原典批判的」に見れば、それは釈尊の直説とはいえないということを認めています。
『大乗経典が仏説でないとするなら小乗の阿含部もまた仏説ではないということになってしまう』
と、言っていますね。
要するに、文献学的、原典批判的だけでは判断できないと。
小乗も大乗も暗誦による口唱によって伝承されてきた以上、学者も、
大乗は釈迦の直説ではないとも断定できないようです。
創価は、日蓮仏法だから、それで良いのでしょう
どちらにせよ、法華経が一切皆成仏を説いている優れた経典である事に間違いない訳です。
- 44 :
- 釈尊滅後500年も経ってから成立した大乗仏教経典
よりも、それ以前に成立した経典の方が、古いだけ
釈尊の直説に近いと思います。
したがって小乗経、そして更に古い原始仏教経典の方
が、仏教の本質に近いでしょう。
- 45 :
- >>43
> >>41
> 小乗も大乗も暗誦による口唱によって伝承されてきた以上、学者も、
> 大乗は釈迦の直説ではないとも断定できないようです。
正確には
「小乗」=釈尊の直説ではないというのが学者の一般的見解です。
ただ、「小乗」の中でも最古の層に賊する者については釈尊の直説
を反映しているのではないか、というのが一般的な見解でしょう。
ただ、「小乗」という言葉は大乗の人たちが部派仏教を軽蔑した言い
方ですのであまりふさわしい言葉ではないですね。
あと、お聞きしますが、法華経に書かれたことというのは歴史的事実
とお考えですか?
- 46 :
- 法華経は描かれている時代背景が釈迦在世とは異なる。
一切皆成仏どころか、女人は男子に変性しないと成仏できない。
日蓮が五百塵点劫に教導したのなら、明確に経典に日蓮の名が無いのは、
誰でも本仏を名乗れる事になる。
しかも、日蓮は末法とやらに出現するはずが像法時代に出現しているので、
今、私が本仏だと名乗った場合には、日蓮は法華経に則って無いので対抗できない。
などの矛盾点が多く存在する。
ゆえに、以上から、日蓮が正しいとか法華経が正しいとかは言えない。
(創価系は、正しくないとは言えないと解釈するが、これは反面、正しいとも言えないと言える。)
- 47 :
- >>43 さん
> 創価は、日蓮仏法だから、それで良いのでしょう
当の日蓮が法華経を釈尊の直説と受け止めている以上、その理屈は成り立たないと思います。
日蓮によれば、"如是我聞"を踏まえてもなお、教主釈尊の金言であり一字一句皆仏なのですから。
日蓮を本仏とする団体なら尚更です。
- 48 :
- >>45
>ただ、「小乗」という言葉は大乗の人たちが部派仏教を軽蔑した言い 方ですのであまりふさわしい言葉ではないですね。
これは、失礼しました。
上座部仏教と言うべきでしたね。
>法華経に書かれたことというのは歴史的事実 とお考えですか?
いいえ。仏の己心の悟りの世界をあらわしたものだと考えています。
虚空会の儀式など、宝塔の大きさといい、集まった人数といい、現実にはあり得ません。
>>47
>当の日蓮が法華経を釈尊の直説と受け止めている以上、その理屈は成り立たないと思います。
文献学的裏付けがなされてなくても創価的にはOK、という趣旨だったのですが表現の仕方が悪かったようです。
創価は、何十年も前から一貫して、法華経には釈尊の直説が含まれていると主張しています。
現在も、この主張は変わらないと思います。
>>31を参照してください。
- 49 :
- 法華経を書いた人は仏の己心の悟りの世界を悟っていたと思う?
- 50 :
- “如是我聞”
とりあえず、阿難が聞いた事にしないと話が成り立ないのでわ?
- 51 :
- >何十年も前から、一貫して法華経は釈迦の直説が含まれていると言っていませんか?
さあ、含まれている、などという弱い言い方をしてきていましたかね。
私の知っている創価学会は、釈迦の直説であると断定するところからすべて始まっていたと思いますが。
天台の五時のとおりに説かれたと鼻息も荒く力説しておりましたよ。
最近は多少は軟化したのでしょうか。
- 52 :
- >>43
>『大乗経典が仏説でないとするなら小乗の阿含部もまた仏説ではないということになってしまう』
と、言っていますね。
要するに、文献学的、原典批判的だけでは判断できないと。
本音のところは「文献学的、原典批判的だけでは判断できない」というよりは、そういったことを度外視して、信仰の面だけで語りたい、ということなのでしょうね。
そのあたりを巧妙に摩り替える語りであると、本書を読んで感じるのですが、いかがでしょうか。
>創価は、日蓮仏法だから、それで良いのでしょう
現代において、宗教はそのようにして生き延びるしかないように思います。
- 53 :
- >>48 さん
あ、はい。私の>>47は創価学会や日蓮正宗(の主張)に向けたものですので、>>48さんご自身では
ありません。私の方こそ失礼しました。>>31の旨も存じております。元会員(=信徒)でしたので。
しかしながら、それでもなお日蓮の主張とは異なるわけですよね。
日蓮の法華経受容は、天台の五時教判が必ずしも時系列通りではないという所にとどまっており、
内容は一字一句間違いなく釈尊のもの、羅什の訳も完璧という理解で一貫しているわけです。
当然ながら、>>46さんが指摘されている事項についても一切言及していません。
私達からすれば「それはそうだろう」で済む話ですが、日蓮が本仏だと話は違ってきますね。
- 54 :
- ここの放送すごい面白いよ
http://com.nicovideo.jp/community/co171597
- 55 :
- イエスでたとえると
アーガマ=四福音書
大乗仏典=水瓶座福音書、聖イッサ伝、ACIMなど
- 56 :
- 法華経も大乗経典だということは、素人向けに易しく書かれたものに違いない。
サンスクリットや漢語で難しく感じるので、法華経は難しいなんて理解している人がいるが、
実際は、無知な在家向けの経典。
- 57 :
- イッサ伝を、ざっと読んでみましたが、なかなか面白い話ですね。
アーガマを四福音書に、大乗仏典をこれらに喩えられているのはぴったりです。
- 58 :
- >>56
おそらく原語はもっとわかりやすく書いてあったと思うのですよ。
前スレでも書いたのですが
有名な龍女成仏の話でも
妙法蓮華経では「忽然之間 変成男子」ですが、
サンスクリット語原典では「彼女の性器が消えて男子の性器が
生じ」ですからね。わかりやすい。(^_^;
それに「広宣流布」という言葉も、もともともは薬王菩薩本事品の
「広宣流布於閻浮堤防無令断絶」からとりだしている言葉ですが
この部分のサンスクリット原典では
ところが
漢訳した際に、漢語のでは
意味がついてしまうし、もともとは特にたいした意味の
意味のなかった
- 59 :
- すみません、オペミスで途中のまま送信してしまいました。
>>56
おそらく原語はもっとわかりやすく書いてあったと思うのですよ。
前スレでも書いたのですが
有名な龍女成仏の話でも
妙法蓮華経では「忽然之間 変成男子」ですが、
サンスクリット語原典では「彼女の性器が消えて男子の性器が
生じ」ですからね。わかりやすい。(^_^;
それに「広宣流布」という言葉も、もともともは薬王菩薩本事品の
「広宣流布於閻浮堤防無令断絶」からとりだしている言葉ですが
この部分のサンスクリット原典では
「このジャンプドゥヴィ−パに行われて消滅しないように」
ですからね。
- 60 :
- >>51
>含まれている、などという弱い言い方をしてきていましたかね。
創価は、法華経が釈尊五十年の説法の肝要であり、出世の本懐であるという表現が多かったです。
現場は、直説かどうかに関しては、どうでもいい感じで言及されていないと思います。
書籍で大乗非仏説の話題においては、“含まれている”という表現が見受けられますね。
>>52
>本音のところは「文献学的、原典批判的だけでは判断できない」というよりは、そういったことを度外視して、信仰の面だけで語りたい、ということなのでしょうね。
釈尊が説いたから法華経が偉大なのではなく、法華経を説いたから釈尊は仏なのだという考え方のようです。
初めて、一切皆成仏の原理、生命の尊厳が説かれたのが法華経ですよね。
だれが説こうと、その教えが優れていれば、説いた人は仏であるとも考えらませんか。
- 61 :
- >>53
>しかしながら、それでもなお日蓮の主張とは異なるわけですよね。
そうですね。
地涌の菩薩の上首「上行菩薩」として読むと、法華経は全て釈尊の説法でないと成立しないと思います。
>当然ながら、>>46さんが指摘されている事項についても一切言及していません。
46さん、ご指摘の >一切皆成仏どころか、女人は男子に変性しないと成仏できない
この部分、創価では、即身成仏したと教えていると思います。
法華経で初めて、二乗作仏・悪人成仏・女人成仏が説かれ、一念三千が確立した。
これらの成仏により、一切皆成仏の原理(一念三千の即身成仏)が示されたとの旨、御書にもあると思います。
>内容は一字一句間違いなく釈尊のもの
例えば、四条金吾殿御返事に
「法華経を一字一句も唱え又人にも語り申さんものは教主釈尊の御使なり」
とあるので一応、文上で読むと、そうですよね。
ここでも、法華経は釈尊の説法でなければマズイ事になると思われます。
ですが↓
- 62 :
- 61の続きです。
>日蓮が本仏だと話は違ってきますね。
おっしゃる通りです。
創価は日蓮本仏論に立脚しており、日蓮大聖人の御内証を、久遠元初の御本仏と拝しています。
なので、御書は「上行菩薩」としてではなく「久遠元初の御本仏」の立場で
文底読み(文の底に沈められている真意を読み解く)をしていますね。
このように久遠元初の御本仏という大前提ありきの演繹的見方が基本になっています。
末法の御本仏(←クレームきそうだな・汗)である日蓮大聖人の出世の本懐は、
日蓮大聖人の悟りである三大秘法の南無妙法蓮華経の建立にありましたよね。
実際、日蓮本仏論で捉えると
法華経も、三大秘法の南無妙法蓮華経(事の一念三千)の説明書になるそうです。
だからと言って創価が、法華経は釈尊の出世の本懐ではないと主張している訳ではありませんが。
- 63 :
- >>60
創価学会は、というよりも日蓮は、すべての仏典が釈尊の直説であり、おおよそは天台の五時の順番に説かれただろうということを前提に、自分たちの信奉する教えの正当性を主張してきたのです。
それゆえに他宗を激しく攻撃してきたのです。「現場は、直説かどうかに関しては、どうでもいい感じで言及されていない」というのは、おそらくかなり軟化してきたのでしょう。
直説であり、五時のとおりに説かれたから、四十余年未顕真実をたてに取り他宗を激しく攻め立てたのですよ。
そういった事実認識が「どうでもいい」のであればあれほど他宗を激しく攻撃する必要はないのですから。
創価学会はそういった過去を謙虚に反省すべきなのです。いまさら法華経が優れていれば事実はどうでもいいということは、それこそ許されないことですよ。
- 64 :
- >書籍で大乗非仏説の話題においては、“含まれている”という表現が見受けられますね。
そのとおりなのですよ。だから二枚舌だというのです。その程度の認識なら、どの経典にも言えることであって、法華経の正当性の主張などできるわけがないのです。
せいぜい出来て法華経の優位性の主張までです。なぜそれが他宗攻撃になるのか。それは天台五時を事実として認識し主張してきたからです。
>だれが説こうと、その教えが優れていれば、説いた人は仏であるとも考えらませんか。
だとすれば、法然も親鸞も道元も、みんな敬えばいいのです。しかし日蓮は法華一乗の元、他宗を激しく排撃してきたのです。創価学会の過去もまた同じです。
- 65 :
- 法華経全編を読みました。「観世音菩薩普門品第二十五」に、
観世音菩薩を拝むと、ものすごい功徳があると、力説してい
ます。この観世音菩薩普門品は、作者が他の品より数段、
情熱を込めて書いているように思います。
法華経絶対主義であれば、観世音菩薩像を拝むのが当然と思
われるほどです。
- 66 :
- >>61-62 さん
あ、いえ。私が「一切言及していない」としたのは、創価学会ではなく日蓮です。
ざっくばらんに言うと、もし本当に日蓮が本仏であったのなら、法華経は文献学や科学、
その他一切の批判に十二分に耐えうるものでなければならない、ということです。
日本の人口は20億ないし40億人超でなければなりませんし、地下深くには様々な地獄が
現存していなければいけません。西方極楽浄土も厳然と存在していないといけないのです。
日蓮はそのように書き残しています。そして、日蓮は徹底して"文上"主義者です。
唯一の例外が「題目の七字」ですが、当然ながら"文上"を否定するものではありません。
「信仰と学問は違う」だなんて、日蓮本仏論者が言っちゃいけないんですよね。本当は。
- 67 :
- 鳩摩羅什訳の薬草喩品は原典から見て足りないところがあると
30年以上前に岩波文庫の法華経で原典のサンスクリット語を訳した
岩本博士が指摘しているのに、創価学会はずっと無視し続けているね。
文庫のページ数にして13ページ分ほど原典から訳してない。
他の大乗仏典から見て、法華経も確かに大乗仏典のひとつなんだと合点が行くのは
薬草喩品と常軽菩薩品の内容だと思う。他の部分はほぼ自賛ばかりで中身がない。
方便品と寿量品を重視するのはトンJン。
一体誰が大事だと言い始めたんだか。
- 68 :
- ○ 常不軽菩薩品
- 69 :
- >>65
観世音菩薩普門品第二十五については、おっしゃるとおり、ひたすら
観音のありがたさを述べていますね。また鳩摩羅什の名訳もあり、
漢文のリズムとしてもいいですね。
法華経は最初から現在の形で書かれたのではなく、最初は簡単な
経典があって、それが次第に増補されて現在にいたっていると思わ
れます。おそらく観音経ももともとは別の経典だったものをこの過程
の中で法華経にとりこまれたのでしょう。
法華部の中に、「薩曇分陀利經」という短い経典があります。
釈尊の説法の途中に塔があらわれるという、見宝塔品のミニチュア
のようなものです。
おそらく、名前から見てこのような経が原典だったのでしょう。
観音経に話は戻りますが、「正法の時代」には法華経がちゃんと
効果があったそうですから、崖から転落しても、強盗に襲われても、
海で大嵐にあっても観音を念じれば助かったのでしょうね。
- 70 :
- >>59
大乗非仏説さん、はじめまして。
ブログ、「創価学会の信仰に功徳はあるか」の管理人、米山士郎といいます。
>それに「広宣流布」という言葉も、もともともは薬王菩薩本事品の
>「広宣流布於閻浮堤防無令断絶」からとりだしている言葉ですが
>この部分のサンスクリット原典では
>「このジャンプドゥヴィ−パに行われて消滅しないように」
岩波文庫、法華経(下) ('76年12月9刷ならP209あたり)を見てみました。>>67
ジャンプ=ドゥヴィ−パは「閻浮堤(えんぶだい)」とお考えですか?
ジャンプ=ドゥヴィ−パが何を指しているのか今ひとつ意味がわかりません。
ちなみに漢文の単語としての閻浮堤の意味は人間が住む世界のことですね。
(閻浮堤を知らない人はwikiなどを読んでみてください。)
他にご存じの方が入ればコメントをお願いします。
>>67さん
>方便品と寿量品を重視するのはトンJン。
私も同感です。中国だけ法華の宗教教団にとって神秘性、独自性、
または難易度が高く権威的に利用できたからでは?
元々、経典に書かれている仏様(ブッダ)の教え(言葉)が大事なのでは?
思考停止しがちな単純な「法華経受持でしあわせぇぇぇ〜」ってお目出度いですね
- 71 :
- 見てみました。の後の>2つと67は誤記です。
ごめん。
- 72 :
- >>70 米山士郎様
はじめまして、レスありがとうございます。
米山さんの文章は以前から拝見しています。
さて、ジャンプドゥヴィ−パというのは、おっしゃるとおり人間世界のことです。
古代インドの世界観では世界の中心にシュメール山(があり、その東西南北に
それぞれジャンプドゥヴィ−パがあります。
このシュメール山は、ヒマラヤ山脈の反映でしょう。ですのでインド国土は
南のジャンプドゥヴィ−パ、漢訳すれば南閻浮堤です。南閻浮堤が日本など
というのはとんでもない間違いです。
- 73 :
- >>70 米山士郎さん
>ジャンプ=ドゥヴィ−パは「えんぶだい)」とお考えですか?
>ジャンプ=ドゥヴィ−パが何を指しているのか今ひとつ意味がわかりません。
レス>72で大乗非仏説氏も説明されていますように、閻浮堤という事で問題ないのだと思いますよ。
参考までに、岩波文庫の法華経(下)ではなく、やはりサンスクリット原典を中心に使って
日本語に訳された、中央公論社(今は新社ですね。)の“大乗仏典 5 法華経U”
(松濤誠廉氏・丹治昭義氏・桂紹隆氏による著作)から、少し長いのですが、該当部分を
引用しておきます。
(本当は、著作権の問題があるのですけれどね。)
“だから、宿王華よ、のちの時代、のちの時節、のちの五百年に、このジャンプー州において
(本章が)ひろまり、消失しないように、また、魔王のパーピーヤスがすきにつけこむことが
できないように、魔王に属するものたち、神々、龍、ヤクシャ、ガンダルヴァ、クンバーンダ
たちがすきにつけこむことができないように、私は、この『一切衆生喜見菩薩大士(すなわち
薬王)の過去の因縁』の章を、(お前に)委嘱するのである。”
- 74 :
- >>70
ブログ、「創価学会の信仰に功徳はあるか」を一部拝見させていただきました。
うーん、内容が濃いですね。いや〜、いろいろ勉強になります。
是非、学会員の方にも見て頂きたいですね。ありがとうございました。
- 75 :
- (レス>73の続き、と言うべきかな?)
なお、“ジャンプー州”という用語(訳語)は、引用部分のすぐ後にも出てきます。
ところで本題とは関係ありませんけれど、少し気になったのですが、引用させていただいた
訳では“私は、この『一切衆生喜見菩薩大士(すなわち薬王)の過去の因縁』の章を、
(お前に)委嘱するのである。”となっています。
この部分の意味が漢訳の妙法蓮華経とでは、微妙に違うのではないかと、私には思えます。
掲載した訳の内の“このジャンプー州において(本章が)ひろまり”における“(本章が)”の
部分も同様に関係すると思うのですが、皆さんはどのようにお考えになりますか?
- 76 :
- >>72
大乗非仏説さん。コメントありがとうございます。
>このシュメール山は、ヒマラヤ山脈の反映でしょう。ですのでインド国土は
>南のジャンプドゥヴィ−パ、漢訳すれば南閻浮堤です。南閻浮堤が日本など
>というのはとんでもない間違いです。
原始仏教では娑婆世界な「この世」では成仏できませんからね。(笑)
いくら慈悲や思いやりのためとはいっても大乗仏教自体、拡大解釈しすぎですよね。
法律オタさん
どうも。(^^)/ご無沙汰しています。
>ジャンプ=ドゥヴィ−パ
>のちの五百年に、このジャンプー州において
ドゥヴィ−パが(おそらく)州や島、世界、領域を指す言葉なんですね。
ありがとうございます。助かります。
>70
訂正。
×
中国だけ法華
△?◯?
中国仏教以後で成立した漢文法華経
- 77 :
- <<素人でも分かる日蓮宗-ネガティブ目線版>>
主に法華経を仏典とする宗教集団。
開祖日蓮は漁師の出身であるが、
「”他宗教の坊主”の首を切り落とせ」と人教唆してしまったため
時の政権から全国指名手配されてしまう。
その過激な教義から内部での闘争が絶えず、度々分裂を起こす。
大規模から小規模まで日蓮宗の寺が多いのは、日蓮宗特有の教義による喧嘩別れの習性による影響が大きい。
ちなみに、”他宗教の坊主”とは他の仏教・及びその他宗教集団(国内外問わず)の
坊主(仏教の住職や、その他宗教の聖職者)のことを指す。
※洗脳されると血のつながった者に対しても危害を加えかねない。
最近では、その過激な教義とは逆に融和政策を取る寺もあるとはいえ、
やはり危険な目で見られることが多々ある。
日蓮宗以外の宗教は全て間違っていると主張しているが、
法華経自体、中国で偽造された仏典であるため
何が間違っていて何が正しいのかはよくわからないところである。
- 78 :
- 総じて、
日蓮系統の宗教団体は、何かとトラブルが多いことでも良く知られている。
「日蓮系の」と表現されれば
「イスラム過激派の」と名乗っているのと同レベルに取られる場合もあるかもしれない。
なぜなら、イスラム過激派も他宗教の信仰者を害することを已む無しとしているからである。
そして、彼ら自身も自分たちの人教義が正しいと思っているのである。
- 79 :
- そして、全てのカルト宗教について言えることだが
洗脳されると、周りの人間が善意で忠告を加えても全く聴き止めようとしないので
余計に被害が拡大したりする。
また、洗脳信者は気を付けないと他仏教(他宗教含む)の身内さえも害しかねないのである。
- 80 :
- >>77
いくつかレスさせていただきます。
>その過激な教義から内部での闘争が絶えず、度々分裂を起こす。
>大規模から小規模まで日蓮宗の寺が多いのは、日蓮宗特有の教義による喧嘩別れの習性による影響が大きい。
教団の分裂は日蓮宗に限った話ではありませんし、またその結果としての日蓮宗の寺が
多いわけではありません。おそらく最も多い寺院は浄土真宗でしょう。
>法華経自体、中国で偽造された仏典であるため
>何が間違っていて何が正しいのかはよくわからないところである。
妙法蓮華経は明らかにインドで作成された仏典です。五時八教だの一念三千という教義は
中国で作成(捏造?)された教学です。法華三部経の無量義経は、ほぼ偽経にまちがいな
いでしょうが、妙法蓮華経は、サンスクリット原典もありますし、チベット語、朝鮮語訳など
多くの訳が存在します。
>イスラム過激派も他宗教の信仰者を害することを已む無しとしているからである。
イスラム原理主義者も必ずしも他宗教信者の害をやむなしといっているわけではありま
せん。一律にはいえません。
>洗脳されると、周りの人間が善意で忠告を加えても全く聴き止めようとしない
このあたりはたしかにそうですね。忠告を与えても、自らの人生を否定されたような反応を
示す方が多いですね。ただ「身内害」というのは考えられませんが。
- 81 :
- >>80
あくまでネガティブ版ですので気になさらずに。
- 82 :
- 中華捏造経典が流行ってるが
そういう妄想抱くのもたのしいだろうな
- 83 :
- 結局、大乗経典って誰が作成したものなのですか?
紀元前後か1世紀のあたりに成立したそうですが、
それまでは、経典って無かったのでしょうか?
南伝仏教って、どんな経典?を使っているんですか?
釈尊が法華経のエッセンスを説いたのなら、当然南方にも伝わっているはずですが。
質問ばかりですみません。
- 84 :
- >>76 米山士郎さん
こちらこそ、御無沙汰しております。
もっとも、昔のハンドルネームの時は別として、そのお名前では初めてレスをさせて
いただいたのではないでしたかね?
まだやらなければならない事は残っていますが、用事で出たり入ったりしていたもので、
今までレスが出来なくて申しわけありませんでした。
まずは、引用のミスに気がつきましたので、訂正させていただきます。
「ジャン‘プ’ー州」ではなくて、正しくは“ジャン‘ブ’ー州”でした。
済みません。
さて、「ジャンプドゥヴィ−パ」ですが、'おそらくは'そこで米山さんがお書きになって
いるような内容であろうと思って先のレスをしたわけですけれど、これが
「ジャンプ=ドゥヴィ−パ」と二分割できる用語なのかどうかすら、実は私は、
本当のことを知らないのです。
ただ、引用させていただいた中央公論社の“大乗仏典 5 法華経U”には巻末に
“訳注”がありまして、そこに「ジャンブー州」に関連する注が記されています。
〔なお、その訳注自体は、私が引用した箇所における「ジャンブー州」の訳注ではなく、
それ以前の箇所で書かれているものの訳注なのですが、その訳注自体ではなく
該当本文には「ジャンブー州(閻浮堤)」と書かれておりますので、ジャンブー州が
閻浮堤を意味すること自体は問題ないのでしょう。〕
参考になると思いますので、その訳注の全文を引用させていただくこととします。
- 85 :
- (レス>84の続き)
“(5) 古代インド人の世界観では、世界の中心であるスメール山の四方に
四大州があり、「ジャンブー州」Jambudvipaとは、そのうちの南の大州で、
インドに多く見られるジャンブー樹(テンニン科の熱帯樹)が繁茂している
ところからその名がある。これはもともとインド大陸を意味し、釈尊などの
諸仏が出現されるところとされている。しかし、ここではわれわれの住む
この世界を指す。”
〔法律ヲタ注。 上記引用の訳注にある“「ジャンブー州」Jambudvipa”ですけれど、
このうちのアルファベット“i”は、正確には、上が点(・)ではなく、横棒(-)になっている
ように見えますが、このパソコンを使ってそれをどのように表記すれば良いのかが
分からないので普通の“i”で代用しました。 なお、他の訳注に、“i”以外で頭部に
横棒(-)付でアルファベット表記されたものがありますので、一応この場合の“i”も
注意する必要があるかと思いました。)
なお、この訳注の“「ジャンブー州」Jambudvipaとは、そのうちの南の大州で”という部分
からも推測できるかと思いますが、四大州すべてが「ジャンブー州」ではないはずです。
一応その点を、所有する他の書籍(講談社現代新書の“須弥山と極楽 仏教の宇宙観”
だったはずだと思います。)で確認しようと思ったのですが、目的の書籍が見当たらず、
諦めました。
記憶では図なども使って視覚的な説明もなされていたはずで、なかなか良い本だと
思いますので、よろしければ読んでみてください。
- 86 :
- >>83
>結局、大乗経典って誰が作成したものなのですか?
明確に特定されておりませんし、はたしてその問題について「大乗経典」と一括りに
する事ができるのかは、そもそも疑問です。
>紀元前後か1世紀のあたりに成立したそうですが、
>それまでは、経典って無かったのでしょうか?
第一回結集が行われて以来“口伝”で伝わっていたのであって、文字化・文書化された
形での「経典」は存在しなかったとされています。
>南伝仏教って、どんな経典?を使っているんですか?
それほど困難な事ではないと思いますので、具体的には、御自分で調べてみてください。
なお、法華経を始めとして、いわゆる典型的な"大乗"の経典は南伝仏教の経典に
存在しませんけれど、南伝仏教の経典に相当するもの(の多く)は、大乗の側の
経典の中に存在します。
- 87 :
- (レス>86の続き)
>釈尊が法華経のエッセンスを説いたのなら、当然南方にも伝わっているはずですが。
そのはずですよね。
何しろ“如是我聞”なのですから…。
しかし、「エッセンス」云々はともかくとして、南伝の経典には、具体的なお話としては
影も形も法華経その他の典型的な大乗経典は存在しないのですよ。
“如是我聞”であるにもかかわらず、第一回結集などでは何故出てこなかったのか?
その時点では存在しなかったと考えられているわけですが、「エッセンス」どころか
そのもの(の少なくとも一部)が存在しなければヘンですよね。
だから大乗非仏説が成立しうるのであって、南伝仏教の側からもそのような主張が
為されているそうです。
- 88 :
- 大乗経典って、どうしてあんなに足のつく作り話をするんでしょうか。
最初っから大日如来に説法させたり密かに説かれた教えということにすればいいのに、
あんなに堂々と、大々的に説いたことになっている。
だからアーガマといっしょに伝わって無いのはなんでだよ、という話になる。
釈迦を別世界にワープさせて、人間以外に説かせる方法もあった。
部派で伝承されてないこととマッチさせる手段(手法)はいくらでもあった。
大乗経典の作り手が賢いのかアホなのかわからなくなってきます。
- 89 :
- 台・真言宗も法華経を用い、最澄は空海から灌頂を受け日蓮は天台宗の
弟子だったから、日蓮宗より天台真言の方が上ではないのか?大乗仏教経典が
釈迦滅後数百年経て創作されたから五時八教等は誤りではないのか?釈迦説経典は
法句経で類似仏法も現存の小乗仏教や禅宗。法華経は非仏説だから念仏無限地獄など
4つの格言は論拠が崩れるのではないのか?日蓮本仏論及び唯授一人の血脈等は
証拠が無く多くが偽書で日蓮宗の方が正しいのではないのか?像法時代の日蓮を
釈迦を差し置き本仏と仰ぐことは邪義ではないのか?日蓮は諸天善神として神道を
誹謗してないから敬遠するのは後世の邪儀ではないのか?蒙古襲来の予言は当時
大陸の大半を征服したモンゴルが日本を攻めうることは当たり前で、ただ人心を
惑わしただけではないのか?龍の口の法難は後世の創作で実際は幕府が恩赦を
出しただけではないのか?念仏法然享年80歳、律宗叡尊90歳、禅宗栄西75歳に対し
日蓮享年61歳で病死。日蓮宗では教義を軟化し他教団と融和政策を
とったがこの方が正しかったのではないのか?日蓮宗は社会貢献を
行っておりその立派な信仰姿勢に対し、日蓮正宗は本山の大石寺を
城砦の如く立派に建てており、門徒のお布施で豪華な寺社を
建てるのは邪道ではないのか?日蓮直筆曼荼羅の大多数を
保有している日蓮宗が最も正当な日蓮教団ではないのか?
(日蓮正宗本山の大石寺の板本尊ですら日蓮製では無い)
日蓮仏法が多くの矛盾を抱え、日蓮曼荼羅自体が覚醒作用や
魅了性を持ち人心を惑わし多くの偽本尊が生まれ、金儲けの道具と
なってきたことを考慮すると日蓮曼荼羅は封印するのが
得策ではないのか?日蓮宗では釈迦を本仏とし日蓮像等を拝み
心健やかに日々を生きる活力を見出す題目として勤行をしており
他宗派や他教団と対立せず一番正しい信仰に見える。
以上の事を踏まえ議論してみましょう。
- 90 :
- 大変に申し訳ないが、 “仏” って、そもそもなんなんだろうか?
初歩的な質問なのだが、なんかこれが一番難しいんです。
- 91 :
- >>87法律ヲタさん
法華経の説法内容の中に、「書写していきなさい」と釈迦のお言葉があるに関わ
らず、“如是我聞”とは誰が聞いていたのでしょう。
どう考えてもこの物語には矛盾が感じられます。
“洲”にしても川を隔てた事なのか、海を境にした島の事なのかが明確には解らないでいますよね。
スッタニパータだったと思ったのですが、“洲”は川を渡るに拠り所としての島と解釈されていると思った
のですが。
ただ、この“ジャンブー”とは、ジャータカ物語の中で「我等はかの故郷」と解釈されています。
そうしますと、閻浮堤を特定した場所として考えてしまえば“彼岸”の事ではないでしょうか。
要するに、迷いの此岸から悟りの向こう岸と考えてしまいます。
- 92 :
- >>89
日蓮宗をもちあげていますね。確かに、日蓮宗は穏やかだと思い
ますが、5.15事件や2.25事件など、日蓮宗の信徒が関係していた
昭和テロ事件があります。国柱会の田中智学・日蓮会の江川忠治・
血盟団事件の井上日召など。彼らの思想が、太平洋戦争をあおっ
た側面もあります。
このように、日蓮宗自体は穏やかだと思いますが、日蓮遺文に忠実
な信徒が出ると、とんでもないことになるようです。
日蓮遺文には、非常に過激な部分があり、日蓮系教団が、御書から
、これらの部分を削除しない限り、将来も、日蓮に誠実な信徒が、
事件を起こしそうな気がします。
- 93 :
- >>59大乗非仏説さん
>妙法蓮華経では「忽然之間 変成男子」ですが、
>サンスクリット語原典では「彼女の性器が消えて男子の性器が
>生じ」
法華経提婆達多品では、
『爾の時に舎利弗、龍女に語って言わく、
汝久しからずして無上道を得たりと謂える。是の事信じ難し。
所以は何ん、女身は垢穢にして是れ法器に非ず、云何ぞ能く無上菩提を得ん。
仏道は懸曠なり。無量劫を経て勤苦して行を積み具さに諸度を修し、然して後に乃ち成ず。
又女人の身には猶お五障あり、一には梵天王となることを得ず、二には帝釈、三には魔王、
四には転輪聖王、五には仏身なり。云何ぞ女身速かに成仏することを得ん。』
と、女性の性分が語られてますので、ここでは法器のようですね。
- 94 :
- >>85
法律オタさん
定方さんの書籍は一度読んで私もブログで紹介したのですが、忘れていました。(^^ゞ
Jambu-dvipa(州)でいいみたいですね。
ありがとうございます。
今見たら記事書こうと思って付箋とかメモがあった。まぁ、いっか。ヽ(^o^;)ノ
- 95 :
- 日蓮自体が潜聖増上慢な気がするんだが?
潜聖増上慢的なモノって法華経自体にも記述があるのだろうか?
あるとしたら日蓮のこと言ってるのではないのだろうか・・・?
ほんでもって俗衆増上慢の代表が創価ではないんだろうかと?
日蓮系以外の宗派の方で法華経にも明るい方、このへんについて
どう思うか教えていただくとありがたい。
- 96 :
- >>64
>そのとおりなのですよ。だから二枚舌だというのです。
しかしながら同書で「法華経は単に大乗仏教の代表ということにとどまらず、釈尊によって創始されたインド仏教の精髄 」
とも言っています。
こういう場合、二枚舌にならないのでは?
法華経は釈尊によって創始されたインド仏教の精髄(私の仏教観)=法華経は釈尊の出世の本懐(現場)←同じ趣旨です。
創価を擁護したくて言っているのではありませんが、事実は事実なので。
きっと大乗非仏説さんは、一例をあげて、創価はダブルスタンダードだと仰りたいのですよね。
>せいぜい出来て法華経の優位性の主張までです。
文献学など、裏づけがない事に対する常識的なお考えだと思います。
- 97 :
- >>66
>私が「一切言及していない」としたのは、創価学会ではなく日蓮です。
日蓮も御書で、竜女の成仏=即身成仏と定義していますね。
>ざっくばらんに言うと、もし本当に日蓮が本仏であったのなら、法華経は文献学や科学、
>その他一切の批判に十二分に耐えうるものでなければならない、ということです。
はい。非常に常識的なお考えだと思います。
>日本の人口は20億ないし40億人超でなければなりませんし、地下深くには様々な地獄が
>現存していなければいけません。西方極楽浄土も厳然と存在していないといけないのです。
十界論の地獄界の境涯を示した御書だと、山椒島さんなら御存知のはずですが・・。
真筆のみで判断すると、そうなるのでしょうか。
よろしければ、こう解釈した根拠を教えて頂けると幸いです。
- 98 :
- >>66
97の >日本の人口は20億ないし40億人超でなければなりませんし、
は余計な部分でした。
削除して読んでください。
すいません。
- 99 :
- >>98
>>66
あ!>西方極楽浄土も厳然と存在していないといけないのです。
も余分でした。
脳内削除してくださいませ。
重ね重ね、すいません。
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