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2011年11月1期20: 日本神話総合スレ参 (371)
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日本神話総合スレ参
- 1 :11/05/24 〜 最終レス :11/11/11
- 日本の神話に関する総合スレです
前スレ
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/min/1285931762/l50
- 2 :
- 壱乙
- 3 :
- >>1
乙
- 4 :
- >>1
天乙別命
- 5 :
- 風木津別之忍男神
お前らは↑をどう訓む?
- 6 :
- >>1
苦しうない。誉めてつかわす
- 7 :
- >>5
フキツワケノオシオノカミ
清めの塩みたいな訓でスマソ
- 8 :
- なんか人って精神的に不安定になると宗教に縋りたいと思うのかね?
俺はかつて無宗教を意識してきたが、女系天皇問題で皇室に興味を持ち、
皇室→日本神話→神道って感じで自分の信仰宗教は「神道」って意識してるけど
- 9 :
- 別に神道は信仰したからって心安らぐものでもないし
ただの行動様式だから非常時にすがってるやつは少ないんでは
- 10 :
- >>7
誰が教えてくれなんて頼んだ?
お前は諮問されてるんだろうが
人様に物を教える立場か
思い上がるのも大概にしろ
- 11 :
- マジキチ
- 12 :
- マジキチってより、やたら偉そうな爺さんみたい
- 13 :
- 思兼神って銅鐸のことなんじゃないだろうか?
「思兼神に思わしめる」っていうのは、巫覡が銅鐸を鳴らしてトランス状態になり神託を下す、という意味なのでは
そうなると殷代周代あたりの古い祭祀儀礼とも繋がりが出て来そうだ
- 14 :
- つまり思兼=重い金ということか
- 15 :
- >>10ってマジキチ?
- 16 :
- >>13
それは面白いね。そうだと思う
>>15
相手にしない方がいいと思うよ。
- 17 :
- 三種の神器の勾玉は本来は潮盈珠・潮干珠だったのではないか、という電波を受信した
もしそうなら、三種の神器と三貴子はものの見事に対応するではないか!
アマテラス=鏡、スサノオ=剣、ツクヨミ=勾玉
- 18 :
- 残念ながら、勾玉はもっぱらアマテラスの付属だという
- 19 :
- 3とか8って数は何度も出てくるから単なる偶然
- 20 :
- >>17
電波で良いなら、神器の勾玉(八尺勾玉となってるが)は
記紀に見る、大国主命が常世に持って行ったはずの六尺勾玉(伝国の爾)だと思うがねw
出雲国風土記には国譲りがない点を根拠に、大国主命=出雲が併呑されるにしても大和には渡したくなかったんだろな
然し、大和は統合の証として欲しかったんだろなとw
- 21 :
- 八尺瓊勾玉はアマテラスが噛み切ってしまいました。
- 22 :
- >>17-18
でもって熱田神宮では、草薙の剣に寄らせられる神様は天照大御神だと言ってる。
>>21
天照大御神がかみ砕いたのは、須佐之男命の剣、
八尺瓊勾玉をかみ砕いたのは須佐之男命。
- 23 :
- >>22
須佐之男が噛み砕いたのは五百箇の玉を緒に貫いた玉飾。
アマテラスが噛み切ったのは八尺瓊勾玉。
- 24 :
- すなわち、お互いの性器を口で愛撫し合ったという隠喩
- 25 :
- 神が男女の性別を超えて子供を産む事が出来るのは、南米大陸の神話にもみられる事だが、
古い神話になれば、別に珍しい事ではない。
隠喩ではないと思う。
- 26 :
- 日本神話って海外ではどの程度知名度あるの?
イザナギ・イザナミ・アマテラス・ツクヨミ・スサノオぐらいは神話に興味の無い外人もわかるレベル?
- 27 :
- >>26
日本人でも神話に興味がないならそれ全部知らないはず
ましてや海外で知名度なんかあるわけない
- 28 :
- 外国人は、大晦日の除夜の鐘→元旦の初詣が別の宗教神事を通しで行っていると知ると驚き、
されにどちらの神事にも国民的に参加している事を聞くとさらに驚く。
日本人の節操のなさは、海外では考えられない事なのだろう。
- 29 :
- 全ては現物神であるTV様が託宣された「ゆく年、くる年」の中に記されているのじゃ
- 30 :
- >>28
古代ローマでは伝統的な神の他にイシスだのセラピスだのミトラだの信仰してても普通だったんだがな
単にキリスト教が頭固いだけ
- 31 :
- >>23
お互いの持ち物を交換して五男三女神を生んだんだよ。
須佐之男命は勾玉を持ってない。
>>26
一般の人は外国の神話なんか知らないだろ。
ギリシャ神話は例外中の例外。
- 32 :
- >>31
日本書紀本文
交換有り
アマテラス大神
スサノオ尊より、十握剣をもらいうける
スサノオ尊
アマテラス大神より角髪、鬘、五百箇の玉を緒に貫いた長い玉飾りをもらいうける
同、別伝(一書の一)
交換なし
アマテラス大神
自分の腰に帯びた十握剣を噛んで、三柱の姫を生む
スサノオ尊
自分の首にかけた、五百箇の玉を緒に貫いた玉飾りを噛んで五柱の男神を生む
同、別伝(一書の二)
交換有り
アマテラス大神
スサノオ尊から八尺瓊勾玉をもらいうけ、勾玉を噛み切って吹き出し三柱の姫を生む
スサノオ尊
アマテラス大神の腰に帯びた剣をもらいうけ、剣を噛み切って五柱の男神を生む
- 33 :
- >>32
成程そう書いてあるね。じゃあ持ってないって発言は撤回。
でも古事記含めた4つの伝承のうち、
天照大御神が勾玉をかみ砕いたのは一書の二だけだね。
誤伝ではないかな。
- 34 :
- 横レスだけど
一書だけだから誤伝扱いとかって姿勢は感心しないな
誤伝の可能性もあるだろうし、それが作為的ではないとしても「より原型に近い一書(遊びの作文リレーを連想してごらんよ)」可能性もある。
民話や童謡など民間伝承やら風土記や神社の由来とかを探して照らし合わせながら
持論を固めて行く前に最初から可能性の段階で否定したりすんのは大人気ないよ
- 35 :
- >>31
なんでギリシア神話だけこんなに有名なの?
- 36 :
- >>34
複数ある伝承の中で一つだけ異質だったら、まずその成立を他より新しいと見るのが普通。
新約のヨハネ福音書の研究みたいにね。
この一書の二は、天穂日命が長男になってる等、内容自体もかなり異質。
このように異質なものを原型に近いとは、通常は見ない。
- 37 :
- >>35
白人が世界を支配してるからに決まってる
聖書の神(つうか悪魔)も世界的に有名だが日本はキリスト教化してないからイマイチだな
- 38 :
- 臆面も無くよく言えたものだ
- 39 :
- >>36
お説を丸ごと受けても、なんらかの作為的改編ではあっても誤伝とは言わないじゃん
- 40 :
- つーか、日本書紀も読まずに知ったかぶってレスしてるのがいるんだな。
- 41 :
- >>36
宗像に関連するところから出て来た一書って感じられるのは
その一書の原型に近いんでしょなw
その他の一書もまた然りで、どれか一書を以て誤伝扱い正統扱いするのではなく
それぞれの一書が「そうある理由」や「それぞれの差異から読み取れること」などを考えるべきものであって
同一の書に敢えて載せてある一つを誤伝として切って捨てる姿勢はやはり感心しない。
- 42 :
- 何で日本神話研究は古事記ばっかりが重んじられて日本書紀が蔑ろにされているんだろうか
日本書紀から入った俺としては悲しい
- 43 :
- 宣長以前は日本書紀がメインだったんだけどな。
宣長は日本書紀の文体が漢ごころに犯されたものとして排斥しただろ。
あれから古事記も読まれるようになった。
日本書紀は漢文体で書かれていてとっつきにくい感じだが、
どうせ口語訳で読むんだから関係ないよな。
古事記より説話や史実の素材は豊富だから、面白いと思うけどな。
- 44 :
- 天孫に国譲りさせたのに
天照ではなく大国主が
現国御魂なのは何故ですか?
- 45 :
- 日本書紀は漢文体で書かれてるんじゃなくて
普通に古典中国語で書かれてるだろ。
古事記もブロークンな古典中国語で書かれてて、別に日本語ってわけじゃないし。
- 46 :
- 古事記偽書説についてどう思いますか?
- 47 :
- >>44
アメとクニは別物だからだろ
アマテラスが高天原ほっぽりだして国魂になれるわけがないと思うが
だいたい日の神が常に地上に宿られたら暑いし眩しいし迷惑だわ
- 48 :
- 個人的には>>44の自論も展開して欲しいな。
記紀や風土記や民間伝承とか遺跡・遺構とか根拠も示しながらなら
根拠がよほど電波でない限りは自分と違う視点というのも好きですし
場合によっては自分なりに味付けしてパクリますしw
- 49 :
- >>48
持論なんかなくてただの教えて君じゃねーの。
- 50 :
- >>49
そっかぁ…興味がある=持論というほど煮詰まってなくても自分なりの考えがあるからのレスかと思ったり
何もなきゃ開きもしない板かとも思ったんだけどね(^∀^)
- 51 :
- 多分わざとではないのだろうけど、その言い方嫌みったらしいからやめといたほうがいいよ
- 52 :
- 俺は>>48の持論を聞きたい
目の覚めるような鮮やかな考察を頼む
- 53 :
- >>51
すいません。個人的には数年前に民神板に居着いてた「とことこ」とかいうオカルトかぶれの腐れトンチキな気違いタイプ以外の方とは
意見の相違があっても互いの意見を尊重したいだけなんですが、丁寧すぎて鼻に付くなら改めます。
>>52
>目の覚めるような鮮やかな考察を頼む
そんな香ばしいのは書けないw けど、常識を1つ
「書紀の中の一書は前後のどの一書と繋がるのか分かっていない」
つまり「一書」を読み切り単発の「段落ごとの異説紹介」と誤認してる人がたまにいらっしゃるな…という話
目新しい話としてはスサノオのスレに熊の名前の由来の1つを書いてるんで、面白がってもらえるとありがたい。
持論は他スレで最近やらかしたばかりだから「マルチ乙」とか言われないように控えてるとこです
- 54 :
- >>53
悪いけど、もうちょっと具体的に書いてくれないか?
結局、相手の批判だけ書いて、君の持論が展開されてないんだよ。
- 55 :
- >>54
他スレで2ヶくらい書いてるけど粘着につきまとわれるのは御免こうむりますw
こんなやり取りはスレ汚しでしょ
- 56 :
- >>55
いいから>>44に答えてやれよ
そうすりゃスレ汚しにもならんだろ
- 57 :
- >>56
そんなに言うなら書くがな…
>>44の言ってる個所に今まで関心がなかったから、その個所に持論なんざないよw
無くて興味を持ったから、現時点で>>44が何故そこに興味を持ったか&思う処があるなら知りたいだけですが?
なんでそんなにケンカ腰なのかは知らないが、俺は>>44の見解を聞かせてくれとは書いても>>44に対しても其れへのレスの>>47にも批判をしたことは無いはずだ。
それでも何か持論を書けと言うなら、論点の舞台をを持論のある部分に変えるが
良くオルペウスと比べられるイザナギの黄泉国行きは、本来「イザナギは死者の国なんぞ行ってない」とか手頃かな?
論拠
黄泉に行ったのが主文だが、その他の一書を見れば「殯(モガリ)の場所に行った」とか「(言葉としても穢れを避けるためか)イザナミのいる処に行った」と書かれておりまた
オルペウスの嫁みたいに死者の国の住人ではあっても生者と同じ姿ではなく、イザナミは生者の世界の殯の遺体の如く腐れてる。
他の理由によって一見すると似ているようだが、内容的にもその話が聞き手に伝える内容からも別物。
とか、話題が違うが持論のある箇所で持論を書いた。
- 58 :
- ああ>>44の質問に関することで1つは思うところがあったわ。
書紀の中で、国譲りの神武と同じハツクニシラスの諱を持つ崇神の項を読めば
崇神が「国譲り神話」と相通じる形で出雲の神宝を取り上げた話や、大国主命の幸魂奇魂である大物主を祀る話がある。
なので>>44には崇神の前後も読んでみることもお薦めする
- 59 :
- グダグダ書いてるけど、要するに俺には内容が無いからごめんなさいでしたって、ことだろ?
最初っからそう書けや。ウザい
- 60 :
- >>57
東南アジアとかの類話を考えると、その自論には首肯できないな。
明らかに始祖別離による生死起源が要素としてある以上は。
死体安置所と死者の国とを当然のように区別してるのもどうかという気が。
だいたい、文脈から書記を基本材料にしてるらしいが、
それぞれの差異性に言及せず一からげに「行ってない」とは乱暴にすぎないか。
- 61 :
- >>42
古事記の方が成り立ちが古いし
書紀は古事記に比べて内容の整合性が取れすぎててお話としての纏まりはいいけど不自然で信用できない
より伝承の原典に近いのは古事記のような気がしてくる
- 62 :
- >>60
>明らかに始祖別離による生死起源が要素としてある
確かにそれも含むんだけども、イザナミは「腐ってる自分を見ないでくれ」と言ってるのに
イザナギが見て拒否するから怒るんだよね。これは殯の場への立ち入りを戒める話でもあるのではないか。
>死体安置所と死者の国とを当然のように区別してるのもどうか
現世を去って行くのは常世だし、根の国は大国主が嫁を連れてきたりイザナミ生存時点でスサノオに「根の国に行け」といってたり死者の国とは違うようです。
で、黄泉は「古墳のような墳墓の中ではないか」と思います。
すると殯などとも整合性がとれます。
またイザナギとイザナミが争ってる場面で、イザナミの言葉をイザナギに伝えるヨモツチモリなんて墓守りみたいな名前も出てきます。
なので黄泉=死者の国という解釈にこそ懐疑的です。
- 63 :
- >>59
俺は持論のある部分について持論を書いてるよ
他人の批判ばっかりしてるのはキミだ
- 64 :
- >>62
そもそも概念として、墓所と死者の国とは地続きのものだろう。
前者が起源とまでは言わないにしても、共通、派生、混合の関係でありうる。
それ以上に、たとえば死者の国の扱い一つをとってみても、
記紀内で複数の概念が混在している可能性にも言及せず
やはり一からげに見なして論ずる、そういう姿勢は乱暴だと言っている。
殯の場への立ち入り云々は自分も否定しないが。
- 65 :
- >>64
>墓所と死者の国とは地続き
というより日本人の場合だと、民族学の立場に立つと生者の世界ともかなり地続きですね。
ですから黄泉国が仮に墓所だとすると、生者の国と死者の国の中間の「澱みの国」→「黄泉の国」という語源解釈も成り立ちそうですね。
>(死者の国を)一からげに見なして論ずるのは乱暴
そう感じられるのは、それで良いと思います。これはあくまで私の持論ですから
読んだ方が、その中に見るべき点を見出して、私も宗旨変えするような話が読める一助になれば本当に嬉しいですから。
そもそもこの持論に行き着いたのも数年前に民神板で「イザナミの話はオルペウスのパクリ」という方に反論していく中で出来あがりました。
なので色んな方の持論には興味があるだけの次第です。
以上、自分語りでサーセン
- 66 :
- 民族学の立場ってなんだ?
- 67 :
- 書き忘れに気付いたので、もう1つだけ
死者の国の扱いですが、黄泉の意味を考えたのも持論への道でした。
「蘇る・甦る」→「黄泉帰る」という言葉がありますが、仮死状態が死んだと見なされた→蘇生を考慮に入れた場合にも
黄泉は「帰ることが可能な範囲」であると思います。
- 68 :
- >>66
ゴメン。民俗学の誤変換ですorz
- 69 :
- >>65
記紀神話に見られる程度の生死越境は、どこの神話でも大抵見られるだろう。
だからわざわざ黄泉が生者世界とも近いことを日本の独自性みたいに捉える必要はないし、
したがって黄泉を中間世界と想定する必要もない。
あと、ここは別に学会ではないし我々の立場も学者ではないので
互いに徹底して議論を追及する義務はないが、
しかし「きみがそう感じるなら、それで構わない」などという発言は
少なくとも他者の意見を聞いて参考にしようという姿勢から出てくるものではない
ということは、自覚しておくべきだと思う。
- 70 :
- >>69
黄泉の定義を考えなきゃ話が動かないのに、どうしろってんだよ?
黄泉はヨモ(四方)と読んでも生活圏の外とも解釈されるし、
根の国は海の向こうの国という説もある。それを実在の国を想定するかニライカナイみたいなのを想定するかは個人によるだろうが、自分は前者をとる。
常世は「床の間」のトコと同じで現世よりも一段高い世界瑞_界だと思います。
では、伺いますが黄泉って何処ですか? 根国・黄泉・常世はどう違うのでしょうか?
それを踏まえて、イザナギ・イザナミの話にどのような展開が出来るのでしょうか?
- 71 :
- >>69
>他者の意見を聞いて参考にしようという姿勢
だって「他者の意見」=「(あなたの)私はこういう持論です」がないんですよ?
あなたが、「ここに関してはどうなんだよ?」と聞いてくることに「私はこう考えてます」と返してるだけのレスの展開なんですがね
- 72 :
- >>70
定義づけって……
常世は言うまでもない。
ある程度の時代を超えると、人間は、決まった埋葬地というものを作り出す。そこが本来、根国に該当する。
余談だがこの埋葬地が古語では、「テラ」と発音し、これが寺の呼び名に繋がる。
黄泉とは、常世から入れる根国からいける異界であり、朝廷サイドだけでなく、
琉球にアイヌやアジア諸国、ヨーロッパにおいても石窟より黄泉に下る話は、当たり前にある。
- 73 :
- >>72
それで、そこからどうなるの?
俺は>>72の持論を聞きたい
目の覚めるような鮮やかな考察を頼む
- 74 :
- >>72
話をどう進めたいかは、お前さんの勝手だろう。矮小的な物の見方で黄泉を定義づけようとしてうから、
おいおいって話になってるだけだ。
結論から言うと、黄泉の国定義づけしないと話が進まないんじゃなくて、
お前さんの場合は、期待している結果に到達すためにその道順としての定義付けが欲しいだけだろ?
物事の整理がなって無いよ
- 75 :
- >>70-71
記紀神話内では、複数の死後の世界の観念が混在しているのであって、
一からげに首尾一貫した解釈を構築しようとするのではなく、
それぞれの場面でどう扱われているのかを解釈するのが筋じゃないかと思っている。
少なくとも、それを前提として念頭に置いて論ずるべきだろうと。
あんたの持論は、記紀内の他界記述は統一した概念に基づくとする根拠のない前提に基づいているし、
首尾一貫した他界観を導き出そうという狙いも的に向いたものではないと感じる。
そして実際、その結論や過程に解決すべき難点が見られるから、俺はそこを指摘している。
まとめると俺の持論は、あんたの「イザナギの行った黄泉国は死者の国ではない」説に対して
「A.イザナギの黄泉訪問における黄泉は、死者の国と見て差し支えない
B.記紀内の概念の多様性を考慮しないで論を展開するあんたのスタンスはおかしい」
この二点。
- 76 :
- 「ヨミ」に漢語の「黄泉」があてられている時点で
死者の国っていう意味が多少なりともあったと思う。
- 77 :
- 黄泉国って国だから墓にはならんだろ。
記紀の話の流れからみても黄泉国は死者の国という解釈でOK。
- 78 :
- >>74>>75
「記紀神話内では、複数の死後の世界の観念が混在しているのであって、」
もっともらしいご託宣ですが、とりあえず神代の範囲内で、それらがどう書いてあるか有耶無耶にしてるのは、そちらです。
>>60で
>死体安置所と死者の国とを当然のように区別してるのもどうかという気が
と言いながら
>>64で
>殯の場への立ち入り云々は自分も否定しないが。
これを踏まえてあなたの持論をどう纏まるのですか?
- 79 :
- 黄泉がただの墓穴なら、呪的逃走が長過ぎるだろw
鍾洞くらいの規模はないと、あの話成り立たんぞ
- 80 :
- 黄泉って当て字じゃなかったのか…
字義どうりに解釈するなら、黄色い泉→火山火口?
って説は宗像教授でもうやってたな
八雷神=火山雷,千引きの岩=溶岩ドームとか
- 81 :
- >>77
夜食す国は夜が統治する国だが、それは場所としてあなたが暮らす場所と無関係ですか?
同様に墳墓の中をはじめ、特定の山や特定の島など亡骸を安置する特定のエリアが黄泉国であっても構わないと思います。
そこを経て魂だけになった祖霊は常世に行くんじゃないですかね?
- 82 :
- >>80
速まるな「黄泉」って言葉をしらべろ。
中国でいう地底にある死者の国が黄泉ってのを日本に輸入した時にヨミやヨモって言葉に当てただけだぞ
ちなみに秦の始皇帝の墓ってそういう風に作ってあるよね
- 83 :
- 民族学…というか文化人類学では、超自然概念につてその文化の中でどう考えられているか
色んな人に尋ねてはっきりさせようとしても、人によって答えが全然違ってくる問題が知られているね。
人それぞれってだけじゃなくて、質問されてはじめて「XXとは何か」みたいな概念的問題を考え出すせいで、
その人が元から持っていた概念ってより、人類学者の質問とその応答の対話によって作り出された概念という側面桃ってしまう。
(これは超自然的概念に限らず、生きた文化の記述の宿命だが)
当時の日本人がどこまで突っ込んで考えていたか。
また逆に突っ込んで考えるような文化の場合、明確化された多数の神学間論争が起きるね。
- 84 :
- スサノオは母神伊邪那美のいる黄泉国に行きたいと願い、伊邪那岐の怒りを買って追放されてしまう。
そこで建速須佐之男命は根の国へ向う
黄泉国≠根の国
- 85 :
- 御免ageてもうた
- 86 :
- 海の彼方の異郷が常世。
古事記での用例
↓
・常世の長鳴鳥を集めて鳴かせ、
・少名毘古那は、常世国に渡りき。
・御毛沼命は、波頭を伝って、常世国へお渡りになり、
・また、天皇は、三宅連らの祖先、名は多遅摩毛理を、常世国に遣わして、時を定めず常に輝く
木のを実求めさせた。
そして、多遅摩毛理が、ついにその常世国に着き、その木の実を採って、その葉がついたまま
折り取った枝や、葉を取り去って実だけがついた枝を八組持ち帰ってくる間に、
天皇はすでに崩御されていた。
- 87 :
- >>83
民族学は民俗学の誤変換だと書いてあるよ。
- 88 :
- >>78
自分に言わせれば、明らかに黄泉国と常世とは別系統の概念であるし、
イザナキの訪問段の黄泉と、大国主の訪問段の根の国とでは機能上にも違いがある。
話の語りとして同一の場所とされてはいても、概念や機能の差異が認められる以上、
「それぞれの描写をもとに類推すれば一貫した黄泉国像を導けるはず。
そうして導いたのが、イザナギが行ったのは死者の国ではない、黄泉国は死者の国ではないという持論だ」
という論理展開は(上下段いずれとも)成立しないだろう。
これが成立するためには、まず最初に各場面における各異界の共通性を論証するのが先で、
しかる後に材料を検討してこういう黄泉国像が導けました、とかいう手順を踏まなきゃならない。
あんたはその前段階をすっ飛ばして、いきなり「一貫した黄泉国像」を前提にしているから、
おかしいでしょと言っている。
わざわざイザナミの腐乱の様子が描写されているのは、
あんたが>>62で述べた死体忌避の観念に因るという可能性は十分考えられるよ。
しかしそれは、その段の黄泉国が同時に死者の国であることと矛盾するものではない。
あんたが引用してる俺の発言はそういう真意で言ったもの。
- 89 :
- 根の国=黄泉の国=バイストン・ウェルのようなものであって
死んでから行くという点にスポットを当てれば黄泉
そこから再生する生命の根源と見れば根の国(ニライカナイやカーゴ信仰)
古事記では意図的に集合したんじゃなかろか
- 90 :
- >>78
いや、悪いけど>>74と>>75は、別人だから、一緒にされても困る。
文脈見て分からないかな?
- 91 :
- >>87
民族学って言葉もあるんだよ。
覚えておこうね。
- 92 :
- というか、民族学…というか文化人類学ってわざわざ言い換えてあるのに
民俗学の誤記だと思い込むとは…。
- 93 :
- >>88
>黄泉国と常世とは別系統の概念であるし
ですから、黄泉国の段を考えるのに不必要・不適当だという結論に於いて一致しますね
>イザナキの訪問段の黄泉と、大国主の訪問段の根の国の概念や機能の差異
手元に日本書紀がおありならば確認して頂きたいのですが、根の国は
・スサノオがイザナギに命じられた赴任先であること
・ヤマタノオロチを退治した後、根の国に向かったこと
・スサノオの赴任先である根の国を大国主が訪問したこと
以上3点が書紀の記述に存在しない事柄でしょうか?
3貴子中で空を任された2貴子と比して機能的にも別物として扱うしかない場所でしょうか?
また、参考までに書紀の神代中で他に黄泉国がでる箇所をご存知ならばご教授下さい。
- 94 :
- とりあえずさ、持論がある箇所では持論があることを示したんだが?
>>47に対しては>>57>>58と返してるし、持論というほど固まってないけれどもの範囲でも>>58を書いてる。
別人だとは思うが、それを踏まえて>>54>>59は持論を示すなり何なり
人間として、他人にモノを言う上で「取るべき態度」があるんじゃないか?
それがなければ>>54は俺が受けるべきアンカーじゃないな
- 95 :
- 書紀を見れば解ること
・中国の黄泉と違い、日本書紀の黄泉は「地下ではない」
・中国の黄泉と日本の黄泉の共通項は其処に遺体があること
つまり日本の黄泉は殯の場と捉えることが可能
一書を参考に黄泉津平坂(現世と黄泉と裂かれる)が「息の切れる瞬間」なら次に体が移されるのは殯の場。
物理的に現世と繋がっていて行き来出来るのは、其処まで。体が腐敗して蘇生不可になったら
物理的に現世には戻れない、殯の場からその先の死者の国とか概念世界の住人
- 96 :
- 妣(はは)は亡母のこと。
伊邪那美神を指すととるのが一般的だけど、
スサノヲ命は身をすすいで成った神であり、父母から生まれた神ではないからなお不審が残る。
少なくとも、妣=伊邪那美神だから根之堅州国=黄泉の国だとする説は成り立たない。
古語拾遺「古語に大蛇を羽羽(ハハ) といふ」の記述を参考にして、
妣(はは)を古語と認識すると、スサノヲ命は大蛇の国=根の国に行ったと考える。
- 97 :
- >>96
父母
- 98 :
- >>96
d切れちった
国産みの第十の一書と、その次の段の第二の一書は
父母から生まれたよ。
- 99 :
- 根の国ってスサノオが父のイザナギに追放されたとこだろ。
イザナギは「汝はこの国に住むべからず」といってスサノオを追放してるから、
「妣の国根之堅州国」は高天原および葦原中国以外の場所を指す。
たとえば、墓は葦原中国にあるから根の国とは言わんわな。
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