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2011年11月1期21: カール・マルクス (810)
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カール・マルクス
- 1 :11/07/03 〜 最終レス :11/11/11
- 実践の教科書としてのマルクスではなく、今一度思想としての、哲学としてのマルクスを
取り戻すべくそのテクストに回帰せよ。
- 2 :
- 性別・年齢・支持政党の自己紹介よろしくです
- 3 :
- ■前スレ
「所有」という概念について
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/philo/1309563194/
- 4 :
- 共産主義の崩壊は政治腐敗と言われてるけどそれ以外に欠点はなかったのだろうか
- 5 :
- 経済学として間違ってたんだろうね、
よく確認もせず労働=経済と決めつけてしまった
実際の所、物理的仕事量、方向性というより
各人の趣味、嗜好で世界は回ってるようだね
- 6 :
- 間違っていた、というより時代的な制約があった、と言ったほうが近いんじゃないか?
経済的価値生産の源泉が主に単純労働だった時代だから。
- 7 :
- うーん、まあそうは思わんけど
例えば貴族が何もしてなくても、実際には経済の実体だったのだと思う
マルクスが非労働者を敵視するのは結構だけど
経済学に自分の思い入れを持ちこむのはどうかと
- 8 :
- 労働そのものに「価値」があるわけではないんだよな。
価値の付加もそうだ。
- 9 :
- 商業・流通による「価値生産・価値創造」はみとめられてしかるべきだろう。
肉体労働をして作ればいいってもんじゃない。
- 10 :
- 搾取が、生産手段の所有権の有無によって生じる、
レンタルによって生じる、はわかる。
だが、労働価値説は・・・・
- 11 :
- 労働価値説とは言ってるけど
マルクスの場合は資本制経済システムによって
労働が価値の基準となる、というシステム的な捉え方で
実体的な捉え方じゃないでしょ。
- 12 :
- モノや商品の価値は消費側の主観で決まります。
直接的には労働では決まりません。
供給側が生産コストを価格に転嫁させることは当然よくあります。
人件費もそうです。
しかし、人件費がかかるから価値があるのではないです。
それを買わざるを得ない売り手市場になっていて、価値<価格となっちゃってるだけです。
- 13 :
- >モノや商品の価値は消費側の主観
だけでも決まらないよな。
- 14 :
- >>4
マルクスは「資本主義が成熟してから共産主義に移行させるべき」
と言っていたのに勘違いしちゃったという点
- 15 :
- 移行させるべき?
資本主義→社会主義→共産主義のプロセスは歴史的必然と説いてたのでは?
- 16 :
- これはひどい 恫喝 必見
松本復興相、また解放同盟副委員長でもある。
宮城県知事と会談
http://www.youtube.com/watch?v=VtUqWdbjnTk
- 17 :
- >>13
価値は、買う側の評価です。それが本質です。労働の付加それ自身ではありません。
もちろん、消費者心理を操作して「価値」をでっちあげるテクニックは昔から多用されています。
これも価値創造ですね。
- 18 :
- 消費側が、商品の「みかけ」の価値を貶める操作も行われてきた。
供給側が買い手を煽動し、不当に「みかけ」の価値を高める操作も行われてきた。
実際のところの価値≠価格(みかけの価値)
市場による価値評価、行政による価格設定、
世間の価値設定、
これらのみかけの価格と実際の価値をあわせていくこと。どうやって?
それはわからないが、労資対立にかぎらず、
価値の不当な移転が取引活動の中で生じているということ。
あらゆる商売における「等価交換」は幻想である。
- 19 :
- 財・サービスあるいはそのレンタルとカネの交換を行った時点で
等価交換はなされていない。
- 20 :
- 実際のところの価値=客観的な価値なんて存在しないよ
- 21 :
- 客観的な価値、ではなく主観的な価値
そして主観はいかようにも変わるし、
操作もなされる
ここに不条理も条理もあるのだが
本来の価値を客観的な代物と考えようとしたマルはまちがっている
- 22 :
- 主観的な価値しか存在しないのならば市場価格との乖離は問題ないのでは?
消費者は(主観的価値)−(価格)≧0の時しか購入しないのだから
- 23 :
- >>21
競争市場における価格の収斂と利潤率の平準化って考慮に入れてる?
- 24 :
- >>22
それは理想的な完全市場の話
そのとおりにいってるのは実は少ない。
需給曲線のゴールデンクロス、
つまり価値=価格に収れんしてなどはいないのだ。
ヘーゲルの言う
承認をめぐるたたかい、そのなかでの価値の運動、ここにこそ本質があるのだ。
このスレで古典・近代経済学とマルケイ双方の前提を破壊していきたいと思う。
- 25 :
- 需給曲線はクロスしてないと?
- 26 :
- 価値の独占ということで、
近代経済学が分析している方法をつかって、
○経の資本主義批判を再考してみてもよいのでは。
労資対立は一例にすぎん。
- 27 :
- 資本主義の成立を前提としている近代経済学のツールで資本主義批判はできるのか
- 28 :
- 現代ブルジョアあるいは共産党の護教神学である近代経済学とマルクス経済学の
経済哲学を鵜呑みにする前に、
我々はまず「価値」とはなにか、
「価値」の運動とは、
そして「価格」と「価値」との関係とは、
をかんがえねばならない。
価値とは?
- 29 :
- 価格
- 30 :
- そこを疑うべきでは。
- 31 :
- システムによって決定されるものの実体を問うても無意味ではないか?
「(資本主義社会において)価値を決定するシステムはどのようなものか?」と問い直す必要があるのでは?
- 32 :
- Whatと書いたのがいけなかったな。
形而上学をやろうとしているのではないよ。
おっしゃるとおり、Howをつきつめ、
あらたなHowを探っていこうという趣旨。
- 33 :
- それから、
問題を「資本」だけに限定しなくてもいいですよ。
- 34 :
- ちょっと漠然としてて、どんなアプローチを取りたいのかわからないなあ。
マルクス関連で言うと、身分制と贈与性で特徴付けられるような封建的経済社会から
価値を生み出すものとしての資本の運動を中心とする資本制経済社会への移行と
そのからくりの分析、みたいなところから始めたほうがわかりやすいような気がするがなあ。
なんかそういうのとは違うのかな?
- 35 :
- いや、それでいいですよ。
マルクスをダシにしてその補足、批判、
前提の懐疑、自由主義経済学の批判、
などをしていきましょうか。
ただ、「資本」だけでは問題はとらえられないとは思っています。
のちほどまた。
- 36 :
- 中国「菅直人首相が北朝鮮系の団体に政治献金で厄介な事態」
Y! 【政治ニュース】 【この記事に対するコメント】 2011/07/04(月) 20:27
中国メディアの環球時報(電子版)は2日、菅直人首相の資金管理団体
「草志会」が日本人拉致事件の容疑者の長男が所属する政治団体「市民の党」
の派生団体「政権交代をめざす市民の会」に計6250万円の政治献金をしていた
と伝え、「菅直人首相が北朝鮮系の団体に政治献金していた問題は、『北朝鮮
拉致問題対策本部』の本部長でもある立場としては厄介(やっかい)な事態だ」
と伝えた。
- 37 :
- >>36
労働価値説が資本制でのみ真実があるとして
資本制のまま労働価値説を廃棄するよなことかな
国家が現実的にあるならそのルールが真実だわな
だからプラグラマテックに管が批判されるのは当然だし同意する
- 38 :
- 「働かざる者食うべからず
※ただし資本家・オーナーは除く」
byダグラス・マッカーサー
- 39 :
- 保守派のひとたちも
資本主義のカネもうけ制度が
奇妙でおかしいってことはよくわかってるよ。
ホリエモンも、初めて万引きした時のような快感を
覚えた、とかいってたし。
- 40 :
- しかし、
効率のよい元手集金システムではある。
どんな賢くモラルのある行政機関にも無理だな。
- 41 :
- 実際マルクスは資本主義への反感として意味をもっただけなんだろうね
感情的な話に過ぎなかったのだろう
- 42 :
- そりゃいくらなんでも大雑把すぎるだろw
- 43 :
- >>41
感情的な話ではなかったからこそ
警戒されてたわけで。
- 44 :
- 経済学も哲学も無力だよな・・・
いやになってくる。
- 45 :
- 無力なものに情熱を傾けるのが貴族の嗜みだろうに。
- 46 :
- 社会的に無力かどうかは気にしないにしても、
知的にも無力だ・・・
そう思わんか?
数学と、ある種の単純な系での物理学ぐらいだろうな。
すっきりしているのは。
うんざりする。
すごくアタマ良い奴がやっても、すっきり納得できる切り口を示せない。
理性ってこの程度のもんか?
- 47 :
- そりゃ理性に幻想を抱きすぎてるんじゃないか?
- 48 :
- 理性だとか知性だとかって無力だな・・・
これ以上やってもしょうがないんや
- 49 :
- 日本の学校システムの悪弊だな。
答えが出ないと意味なしと感じるのは。
- 50 :
- >>8
> 労働そのものに「価値」があるわけではないんだよな。
> 価値の付加もそうだ。
『ゴータ綱領批判』の冒頭でマルクスが、
「労働はすべての富と文化の源泉だ」と記している
ラサール派の綱領を批判いて「労働はすべての富の源泉じゃない」
と言っているのはどう説明する。
同じく綱領批判で、人間間の平等の権利が労働という尺度で測ることは
ブルジョア社会(資本主義社会の)「弊害」だとも言っている。
共産社会の第2段階ではそういう弊害は克服されると考えるべきだと。
- 51 :
- >>8
『ゴータ綱領批判』の冒頭でマルクスが、
「労働はすべての富と文化の源泉だ」と記しているラサール派の綱領を
批判いて「労働はすべての富の源泉じゃない」と言っているのはどう説明する?
同じく綱領批判で、人間間の平等の権利を労働という尺度で測ることは
ブルジョア社会(資本主義社会の)「弊害」だとも言っている。
共産社会の第2段階ではそういう弊害は克服されると考えるべきだと。
- 52 :
- それはカネづるである労働者たちを洗脳するために
流布させていった労働道徳、という文脈でマルクスが批判したんだろ。
経済学説としては、価値の付加=モノへの労働の付加、
こそが価値の本質だとして単純化して、話全体を進めちゃってるのは確かだよ。
- 53 :
- >>49
日本の受験システムとは関係ないな。
あれも仮想的な法的合理性を軸とする
行政機関や司法機関向けであるだけで、
本質的には無力さ。
「わかった」「すっきり納得した」「的確に応用できた」
といえる状態になりたいと思うのは当然のことだと思うが。
やはり自然科学と数学は出来すぎている。
人間、社会についてそうはいかんから苦しい。
おれは合理性にたいする信仰を捨て切れていないのだ。
合理性を合理性で批判するってのもうんざりだ。
- 54 :
- 物理学や数学、生物学などにおける思考・観察にたいする
信頼はもてるが、
人文・社会科学上の思考については(他人のものも自分のものも)
私はなにも信用できないのだ。
マルクスやその他経済学、哲学、を見てると特に
合理性とはなんなんだ?ということを考えさせられる。
- 55 :
- 人文・社会科学が自然科学と違って「意味」を対象とするからね。
どうしたって自然科学より認識主観の切り取り方にバラつきが出る。
研究対象の問題じゃないか?
- 56 :
- 人文・社会科学「は」、ね。
- 57 :
- 切り取り方・解釈のどうしようもない相異、ということもあるが、
応用・実践上もあまり信頼ならんところに悩んでいるのだ
- 58 :
- 例えば社会科学は、その知見が正しいかどうかは別として
実際に経済政策・社会政策・政治・立法・行政・司法などには欠かすことのできないものになってるわけじゃん。
人文科学は直接的な実利は少ないかもしれないけど
文化を理解する手助けにはなってるでしょ?これじゃ不満?
- 59 :
- 法学は文明創始のころからその目的・機能からいって当たり前だ
ありゃ科学ではない
そういうことをいってるんじゃないんだよ
- 60 :
- >>人文科学は文化を理解する手助けにはなってる
そうだが、自分の見解にも他人の見解にも
もううんざりなんだよ。わかった気にはなれない。
社会学にもうんざりだ。
プロテスタントと資本主義?儒教と日本組織?
はあ・・・
新古典派、ケインジアンの争いにもうんざりだ。
結局政治的意識が論理に先行してるんじゃねえか?
- 61 :
- >>52
> それはカネづるである労働者たちを洗脳するために
> 流布させていった労働道徳、という文脈でマルクスが批判したんだろ。
『綱領批判』にそんな文脈など出てこないぞ。
- 62 :
- >>52は、もしかすると、マックス・ヴェーバーが問題にした文脈とごっちゃにしていないかなあ?
- 63 :
- プロテスタンティズムの倫理⇒ブルジョア商人の倫理、
というのと、
「労働者」の平等な権利の源泉を労働に設定することとは
別だということはわかってるよ。ごっちゃにするどころか、
ウェーバーのこじつけなどかならずしも信用していない。
俺が言いたいのは、人間の価値・基本的人権の源泉=労働というみるとこを
マルクスは批判しているのであって、
商品の付加価値=労働の付加がすべての基本、とマルクスがしているということとは別の話であろう、
矛盾はしていないと思う、ということだ。
- 64 :
- ここで、
労働者(人間)の価値が、
「商品の価値」の測り方と同一化されていくことをマルクスは批判するに至るのではないか。
- 65 :
- つまり、
彼の唯物論では
一般的な「商品価値」と「人間の価値」を明確に峻別して考えている
、または人間中心主義に貫かれていると思うんだ。
どうだい?
- 66 :
- ____
___産業利潤_/____|
_____ | \____|
|第1部門 | |___利子___単利___|
|機械と原料| | \_複利___|
|_____| 利潤/|___地代___差額地代_|
/ \_絶対地代_|
不変資本C 可変資本V 剰余価値M 生産物W |
_____\____ / |
/ \ / |
____ / 労賃\ / _産業利潤______|
|第2部門| / \/ | | |
|生活手段| / /\ 利潤_|_利子______| |
|____ / 労賃__/__\ / | | |
/ / / \\ |_地代______| |
/ / / /\\ | |
不変資本 可変資本/ 剰余価値 生産物_________/_/
/ /
____ / /
|第3部門| / /
|総生産物| / /
|____|/________/_
不変資本 可変資本 剰余価値 生産物
注:原典のマルクス経済表とは部門1と2が逆だが、再生産表式とは順序は同じ。
http://image.blog.livedoor.jp/yojisekimoto/imgs/c/9/c9b1c840.jpg
http://image.blog.livedoor.jp/yojisekimoto/imgs/8/5/85a8cb30.gif
- 67 :
- 内閣総理大臣夫人・菅伸子さんからの手紙を読んで
http://wakeari-book.jp/?p=1637
「とにかく、総理は覚悟を決めていますよ。昨日、菅さんは国会で、刀折れ、
矢尽きるまで、と言っていましたが、あれははったりでもなんでもありません。
本当にそういう覚悟で臨んでいる。」
「とにかくマスコミは、権力欲だとか功名心だとかいろいろ言っているけど、
あんなのは全部ウソ。全部デマです。菅さんはそんなものはとっくに捨てています。
命も捨てている。」
「行間から、暗されたほうが楽だ、という総理の声が聞こえてくるようでした。」
「わが国は、ほんとうに崖っぷちに立たされているんですよ。とにかく、
菅さんは人柱になる覚悟です。自分のことなんて何にも考えてない。」
菅死ぬな!でも死ぬ気でがんばれ!!
- 68 :
- 結局共産主義とは何なのか
人間の価値を最大限に発揮・尊重できるシステムなのか?
- 69 :
- インテリ層にもそう思われていた
が、行政機関が独占的な力を持ちすぎて腐敗し、
生産流通効率も悪くて・・・
マルクスの罪ではない
- 70 :
- 【新唐人日本2011年7月8日付ニュース】
中国各地で横行している強制土地収用や強制立ち退き。
地方政府の土地収入はもはやGDPの3割を占めるまで至った。
中国経済のいわゆる繁栄は庶民の苦しみを代価に得たものと
いっても決して過言ではない。
強制立ち退き被害にあった哀れな庶民。家財道具を並べて野宿するしか
ない。日の当たらない中国社会の陰の世界にご案内しよう。これがGDP
世界第2位の中国の現実なのだ。
(ネット写真)
http://www.ntdtv.jp/ntdtv_jap/society/2011-07-07/147097028558.html
- 71 :
- >>63
平等の権利が労働の提供量という尺度によって測られるべきではない
とマルクスはゴータ綱領批判のなかで言っている箇所がたしかにある。
それはブルジョアイデオロギーであって、資本主義の弊害だと言っている。
未熟な段階の共産社会は資本主義との混合段階になるだろうから
その弊害を残存してしまうだろうとも言っている。
しかし、まず第一にそれはゴータ綱領批判の冒頭ではない。
冒頭にはそんな文脈はまだ語られていない。
「労働は全ての富と文化の源泉だ」とラサール派が記した綱領を批判して、
「労働は全ての富の源泉じゃない」とマルクスは言っている。
ラサール派の文言は幼稚なマルクス主義の入門書に書かれているものにすぎないと。
つづく
- 72 :
- >>63
マルクスとかヴェーバーとかを君が信用するとかしないとかは
一切問題にしていない。
君という主体とは一切関係ないことを問うているのに、
なんで君が信用するしないの話にすりかわるのか。
>>52
> それはカネづるである労働者たちを洗脳するために
> 流布させていった労働道徳、という文脈でマルクスが批判したんだろ。
この文脈で、批判というか、資本主義を分析したのはマルクスでなくヴェーバーだ
と言っている。その事実の指摘と、君がそれを信用するしないは全く無関係なことだ。
- 73 :
- >>63
> 俺が言いたいのは、人間の価値・基本的人権の源泉=労働というみるとこを
> マルクスは批判しているのであって、
> 商品の付加価値=労働の付加がすべての基本、とマルクスがしているということとは別の話であろう、
> 矛盾はしていないと思う、ということだ。
そうだとすれば疑問が湧く。共産社会では労働価値説は無効になるということか?
労働価値説にもとづく公正な分配に与しないのが共産社会だということになるのか?
労働提供量(労働時間とその密度)によって同等の権利にもとづいて労働収益が
分配されねばならないということを、マルクスはここで批判している。
そうした平等の権利概念はブルジョア的概念であって資本主義の弊害だとマルクスは言う。
生まれてまだ未熟な段階の共産社会では資本主義システムをまだ残存せざるをえないから、
その弊害は避けられないだろうがともマルクスは言っているが、ブルジョア的な弊害だと
見なしていることに変わりはない。
- 74 :
- 簡単に言えば、理念としての等労働量交換ってのもブルジョア・イデオロギーの残滓つーことだよね?
各人は生まれつき持ってる才能・能力が違うのに、その不平等なものを平等であるが如き等労働量交換で
処理しちゃうのは、まさにブルジョア・イデオロギーの構造そのもの。
だからこそ次の段階の展望は「各人はその能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」ような社会であると。
俺はどっちかっていうと、個人は社会的諸関係の組み換えによって造り変えられ
その結果として分業的隷属を脱した労働のあり方を展望しうる、っていう側面の方に興味があるけどね。
- 75 :
- お前らがどんなに理屈をこねあげたところで資本主義の構造はゆるがないわけだが
- 76 :
- >>75
だから貴族の嗜みだと言っておろうが
- 77 :
- 共産貴族かい
- 78 :
- 1 :中山悟:04/03/06(土) 19:36
マルクス全般
カント『永久平和のために』
ニーチェ全般
つーか、害毒を撒く岩波の白みんなか。
2 :考える名無し仔猫さん:04/03/06(土) 20:09
されてえのか、テメエ
3 :くろしろ@ポストポストマルクシズム:04/03/06(土) 20:23
論語
4 :考える名無しさん:04/03/12(金) 13:49
右翼の本全部。
- 79 :
- 資本主義が500年後にも存続してたら笑う。
- 80 :
- 笑う前に死んでるだろ
- 81 :
- 必死で代替システムを熟慮して、
革命をおこす?
やるなら、アメリカでやらないとな・・・。
理論的にも実践的にも無理だけど。
- 82 :
- 効率性という純粋な経済原則からみても資本主義は無駄が多過ぎる。これを絶対視するのは時代の制約を抜きにすれば不合理でしかない。
- 83 :
- > 効率性という純粋な経済原則からみても資本主義は無駄が多過ぎる。
おバカな私にもう少し具体的に説明してもらえないだろうか。
- 84 :
- 不必要なものを過労死寸前まで働きづめで生産して無駄に廃棄するとか、食料の分配の効率性とかね、あんまり俺も難しく考えてなかったけど…普通に生活して働いていても無駄が多過ぎると思う、その無駄がこじつけだけど剰余価値を生みだしてるんじゃないかなということだよ。
- 85 :
- なるほど。たしかに資本主義経済にも無駄は多いけど
計画経済に比べたら、はるかにニーズにあったものを生産しているように思える。
計画経済だとニーズとのギャップが大きすぎて多くの資源(労働力を含め)が無駄に使われているように
思えてならない。案外、素朴な原始共産制社会とか遊牧社会が最も効率的な生産様式なのかも。
- 86 :
- 計画経済以外に資本主義の対抗馬がいないのが問題だよね。不必要なものを無理矢理作り続けて無理苦理消費させて成長発展しようというのは不経済の上に成り立つ経済だと思うわ。
- 87 :
- とにかくカネがまわりゃ良いんだがな。
大量販売競争でそれをやってるからなあ・・・
- 88 :
- 現行システムの効率が悪いとかアホらしいったって、
実践可能な最良の代替案が出せなきゃ意味ないよ。
- 89 :
- とりあえず公共部門には任せられない
- 90 :
- 代替案を考えるのが未来に向かう哲学だろw
暇人なんだから頑張って考えてよ
- 91 :
- そんな暇でもない
- 92 :
- 誰か国会図書館にでも10年引きこもって21世紀の資本論書いてよ。
- 93 :
- マルクスみたいな人生は送りたくない
- 94 :
- メイドのねーちゃんに子ども産ませてみたいとは思わんか?
- 95 :
- 修羅場だろうな
死にたくなる
子供も飢え・病死
上流出身の妻も没落させて
おれならつらすぎる
そのなかでひたすら読書・執筆した結果が真っ赤な共産主義論。
- 96 :
- この前ジブリ新作についてのインタビューで宮崎駿が
「お金という物神を崇拝している現代人〜」って言ってたけどテロップは
「物資を崇拝〜」になってた
マルクスの時代は確実に終わってるな、と確信した
- 97 :
- マルクスの時代が終わったというよりマルクス主義の時代が終わったといったほうがいい
- 98 :
- >>74
ゴータ綱領批判でのマルクスのその趣旨は、どちらかといえば、その権利概念がブルジョア的である所以は、
人間を「労働者としてのみ処遇する」という前提を不問にしている上での権利概念だから問題だと読めたが。
- 99 :
- 銭とか市場そのものをマルクスは否定しているというよりは、人間そのものを労働者として処遇する
資本家的生産様式にもとづく市場は、不完全市場もはなはだしい、つまり市場原理に反する、
という「資本主義=自由市場」批判のようにすらも見えるが。
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