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2011年11月1期32: 悟りに近づくために (596) TOP カテ一覧 スレ一覧

悟りに近づくために


1 :11/10/01 〜 最終レス :11/11/11
お釈迦さまの開いた悟り。そこへ至るために、各自の経験と論理行使によって、新しい考えを積み重ねていきましょう。

2 :
アブサロムはん
何したはるんですか・・・

3 :
宗教家かね

4 :
うつ病の薬でRが立たなくなってからというもの悟れるのなんのって

5 :
どうも。
まず頭に浮かんだのが、忘れるという作用について。人は知っていることも知っているとは自覚できないのでは無いだろうか。
自覚の依他者性。リマインダーの必要性。知っていることを知っていると自覚するには、それが行為として出たときの、
少なくとも脳の働いたという、記憶が思い出されるのでなければならない。

6 :
それで、悟りについても、同様だ。悟ったことはその瞬間に、悟ったという事実のみを残して、忘れ去れれる知識があるだろう。
したがって、独りだけの悟りは、真の伝達がかなわない。その瞬間に近ければ、書き残したりすることで、漸近的に近づける
だろうが、一者であるという限界を超えて、なぜ悟ったということがいえるのか、釈迦には伝えられなかっただろう。

7 :
全一者になったというのが、釈迦の悟りの体験の対外的意味であったと考えてみるテスト。
自分が自分のみで自足しているという境地。

8 :
自分が何のリマインダーも必要とせず、思い出すべき事、忘れていることがなく、知る必要もないという境地。
それが少なくともわたしにとってのプチ悟りである様な気がする。

9 :
>>4
神様が、日本では老人の姿で描かれることが多いですもんね。

10 :
>>2
暇と環境を有意義に使いたいと思って。
>>3
ニートの、宗教、哲学等に興味のある、34です。

11 :
才を使い果たすこと、それが悟りに近い。
人間が何才と、自分を数えることの意味もそういったことを含むだろう。

12 :
悟りと呼ばれる感覚=
仏教哲学の理解+行による脳内物質=全能感
物質が切れるとすぐに凡人感が出てくる。
多くの座禅経験者が体験していることだ。くだらん

13 :
人間の行為は、必ず周囲に影響を及ぼす。
悟りという言葉に興味を持った人は、すでにその入り口に立っている。

14 :
>>12
それは、実体験ですか?

15 :
>>14
実体験じゃないですが大体わかります。
何回悟っても元に戻るって正直に言ってる仏教者もいました。
くだらん

16 :
>>15
全能感と物質というのが、キーワードみたいですが、仏教哲学自体は否定されていないように見受けて、
少し安心したというのが、正直なところ感じました。

17 :
人はその存在によって、時間と空間を埋めていく。個人に残された自由は、自然のみだ。
理解を急くことがない。

18 :
知識や思考の中での悟りは悟りではない。
だが知識や思考にドップリ浸かった人間に対して
その道理を伝える方法がない。

19 :
>>18
知識や思考のみで意識は構成されませんよね。

20 :
美意識と差別の悟りによる克服。
美意識は序列づける差別。自らの位置を制限することになる。争いも起こる。

21 :
頭の良さをはかる指針として、思考の細かさがある。

22 :
考えるんじゃない、感じるんだ。
感じ取った後にそれを分析して理解すればいい。
求めなければ感じられない。何を感じればいいか分からないから、見つからない。
最後まで到達してしまえば、演繹法とやらで、大体の事が理解できるようになる。

23 :
>>22
>考えるんじゃない、感じるんだ。
>感じ取った後にそれを分析して理解すればいい。
ただ感じるだけでイイ、分析や理解はいらない。

24 :
感じるだけなら、座禅でもやればいい。何の意味もないことが解る。
釈迦になりたきゃ利用できなきゃ。悟りを。

25 :
>>22
感覚が思考に先んじるということかなあ

26 :
>>24
悟りを開いて、さらに衆生を救わねばなりませんね。

27 :
>>24
>釈迦になりたきゃ利用できなきゃ。悟りを。
悟りは利用できるようなモノじゃないよ。
悟った瞬間に自分と同化し、どこかへ行っちゃうもの。

28 :
死は生の一部分である。区別は厳然としてあるが、生があるから死があるのである。神が生まれたとき(生命体が誕生
したとき)、宇宙はその営みを知るすべを得た。

29 :
座禅でいける方、感じる方法での、"悟り"が欲しいの?
真理を得る"悟り"が欲しいの?
前者は 感覚状態、後者は技術。
後者を得るには前者が要るが、前者を極めると霧散し固定する。死と変わらない。
極端は否定しなきゃいけない。それは執着だから。
"悟り"という執着があっては"悟り"へと至らない。なら"悟り"ってなんだ?
行き着く前に理解し、その執着を断つ。それが技術。よく「悟った!」とか言うでしょ。それと大して差はない。

30 :
>>29
物事の理解(悟り)の、技術的な側面にお詳しそうですが、悟りのためにどんな技術が必要なのか、教えていただければ
うれしいです。

31 :
やだ、金になりそうだもの。
こんな世じゃ、金がなきゃ生きられないから。生きていないと救えるものも救い難いから。
下手に私を信仰しても、それが執着となって逆に遠ざかりかねない。
むしろ鼻で笑え、恥を知れ!と。

32 :
>>31
自分に必要な金、満足するまで稼げばいいですね。死ぬときに誰かに渡さなけりゃいけないものだし。

33 :
まぁ、私も元ニートだし。社会に触れないぶん執着少なくて悟り易いと思うよ。
こんなとこで、理解できりゃそれが"悟り"。
出来なかったら>>22に戻って無限ループしてりゃいいと思う。「輪廻転生の縮図だ」とでも思え。

34 :
グルジェフがいうには、釈迦は悟りに至ってないらしい。

35 :
ここまでで悟りについての具体的な話はないね

36 :
悟りが具体的なものだと思うことが、"具体性"への執着なんだよね。
実際は三法印だけで余裕なんだがな。"だけ"に至る道や、"だけ"に執着し得ることが難しい秘訣。
さすがに言い過ぎた気もするが、案外大丈夫かな。
特許制の早い者勝ち理論が怖い。
目的は、真理を金に変えて真理を真理足らなくする。そうしてまた更に上の真理へ。
上手く行けば来年か再来年には出せるかな。
今までの発言全部フィクションです。

37 :
ペン字学習しないで
文字から汚いって思われたくないから

38 :
>>36
>実際は三法印だけで余裕なんだがな。
涅槃寂静は結果だから、法印は2つで余裕
と言うか、これしかいらない。

39 :
悟りを望んだものに、望んだ状態で悟りなど与えられない。
望めば得られるなら、努力した奴は全員に(ry

40 :
Absalomさん
悟りと悟るでは多少、意味合いが異なりますが悟りと悟るを同義とすることも有りますね。
一般的には、全てのまよいを断ち真理を会得することを悟りと言うようです。
しかし、これでは論理的な間違いが有ります。
先ず、@物事の理を悟ること理性を得てA真理を会得し、B道理をさとり知ることができます。
道理をさとり知ることでC物事を理解し、是非・善悪を弁別する心の作用(知性)
Dのはたらき(知能)が目覚めE知識を集めF全てを適切に処理する智恵を産みだします。
つまりFの智恵が全てのまよいを断つのですから、Aの真理を会得する前にまよいを立つと言う
ことは悟りの意味が論理破綻をおこしていますね。

41 :
真理だの悟りだのに憧れている人って、宗教臭くて
心底気持ち悪いんだけど、俺みたいな悪意をもった人間に対して
悟りを開いた人はどういう風に接するのだろう。

42 :
>>40
完全に筋道を付けると、そういう順序になるのでしょうか。本道としてはそれで良いでしょうが、悟りが「完全に」論理的
なものなのか、というのは、わたしには良く分からないところですが。
>>41
一生宗教とや宗教的問題と関わらずにいれる人はまずいないと思いますよ。先入観をただしてあげたいです。

43 :
>>40
哲人さんへ
論理的なもののすべてが言葉で語りうるか、論理を超えたものが存在するか、という二つの問題があります。
悟りが論理的で、言葉では表し得ないものだったら、あなたの論理は破綻することになりますし、悟りが論理的で
言葉に表しうるものだったら、あなたの考えは、いっこうに値するものですし、言葉が論理を超えたものだったら、
それは伝達不可能なものです。ウィトゲンシュタインでさえ、「語り得ぬものについては沈黙せねばならない」と、
語り得ぬものが存在することを表明しています。

44 :
レス見ながら昨日の補足。
>>38
判断技法として必要なのはその2つです。涅槃と一切はそこから理解へ至る筋道へと誘ってくれる、持っていればいいモノ。
一切は三法印への執着を消すためのモノなんで、ある意味「おいおい、違うだろ」って思えるのがいい。
>>39
望むのは、感覚獲得の為であり、手に入れるには別の手段が必要、故に技術。
>>40
もう見えてるはずなのに見えてないんだろうね。見えてないように見せかけてるのかもしれないけど。
>>41
正直どうでもいい。悪意、つまり反発が強すぎると、説法したところで相手は理解しない。
そういう相手に伝えられなかったことから、仏陀の悟りきれてない部分に気付けるはず。
ワシなら救いを求めてくるまで眺めてニヤニヤしておくよ。
>>42,43
素質あると思うよ。無理せず適当にやったほうが気付ける。
ワシは、悟りよりも実存主義的自我を探してたら、真理っぽいの獲得→分析してたら悟りをある程度理解 な流れ。

45 :
>>44
実存主義、本質否定ですか。物理と真っ向から対立するような気がしますが。見方によっていろいろ物事は
変わるけど、本質という概念の存在が、実存によって、新たな高次に高められるわけでもなくて、ただ
正しさのみを追求するという姿勢か。それによって得られた真理というのは、ゼロと無限大の両方に接するような
数学的概念であると、思いますが。

46 :
>>44
>望むのは、感覚獲得の為であり、手に入れるには別の手段が必要、故に技術。
手段が技術だけと断言しちゃうと足元をすくわれるぞ。
それは物事を理屈だけで割り切れると信じちゃった信仰にすぎない。

47 :
>>40
仏教ですとAの真理を会得することを目的とし、哲学だとBの道理をさとり知ることを目的としています。
AとBの違いが有れど、仏教と哲学の目的はFの全てを適切に処理する智恵を産みだすことにあります。
先に述べた@〜Fの順番は論理という思考の法則的繋がりを示したものですが@の物事の理を悟ることで
自動的にFまで貫くようにできています。
と、言うことは@を行わぬ限り人は物事を覚えることができてもEの知識を集めることはできません。
つまり、私が伝える法則は皆さんの理解は得られないと言うことです。
皆さんも@を行わなければCの物事を理解し、是非・善悪を弁別する心の作用(知性)のはたらき(知能)
が停止したままですから。


48 :
>>45,46
伝えたい事があっても、どうしてもココじゃ手段として文字に頼らなければならない。
会って話す場合も言葉や視覚やその他もろもろに頼らなければならない。
それを観測して認識する為に、文字や視覚やを固定化概念として捉え、そこから推察するしか無い。
アウトプット側とインプット側の変換方式や意味付けが微妙に変わってくるために、完全な理解は互いに修正を続けなければ近づけない。
どちらかが自分か相手かに完全性を持っていると、もうそれだけで不可能になる。
必要以上には考えず、信じず、感じればいいの。
↑ここまで全部フィクション。

49 :
>>43
論理という思考の法則的な繋がりは辞書の中に言葉の語義として記されているのです。
{広辞苑より)【智恵】「物事の理を悟り、適切に処理する能力。」と書かれていますが、
この意味は物事の理を悟ることで適切に処理する能力が備わることを表しています。
先に私が述べた法則の@とFを取りだしたものですが、論理という言葉の法則的な繋がり
を文字で表したものです。
しかし、物事の理を悟らなければ智恵を産みだせない何て誰も気が付きませんよね。
つまり、辞書に記されている言葉の語義を読み覚えることはできても誰も理解はできない
と言うことです。
何故ならば物事の理を悟らず、真理を会得せず、物事の道理に昧い(くらい)為に生じる
必然的な現象です。

50 :
>>49
思考遊戯から到達した方なのか、技術を教わるかして覚えた方かな?
能力を高めすぎると、特化された道具に近づきモノと化します。その方が性能が高まり且つ安定するので。
定まってしまうと壁に突き当たります。壁に気付く力を失います。その先にいけなくなります。
自由な自我が残っていますか?内面に反発を感じませんか?
人に戻れますか?
戻る気があれば、内面の声を聞いてあげて下さい。
今の自分を"どうでもいい"と思って下さい。
それで好きな事を探して下さい。
その上で選んで下さい。
杞憂ならいいのですが。

51 :
教わることをその通りに実行できれば、同じ行為が可能になります。
技術として"悟る"ことも同じように体得することは可能です。
しかし下手な信仰があると、そのやり方が"絶対"になってしまう。
能力に一方的に信仰するだけになってしまうと、自分をそれだけに使うようになってしまう。
狂信は信仰対象による絶対支配を可能にしてしまいます。
信仰を高めると、信仰対象に命が宿ります。
現在の宗教はその為に道を外して来ました。そして信仰対象に支配されて多くの悲劇が産まれました。
今は宗教に限らず、同じように命を持ったかのように動き出してしまっているものが、既に存在してしまっています。
"悟る"を技術として、それで得られる事象も道具として、自己の主体を失わずに使えなければいけません。
今は、作成者をし壊し得る道具も、作成者を操り支配してしまう道具も、作成者を生かしている世界まで自由にする力を持った道具も生まれてきています。
技術を"使う"こと。これが出来て"悟り"の完成です。
使っているうちに、使う技術が発達して、無理をしなくても操れるようになります。
そして、それが及ぼしうる効果をまた(出来れば使う前に)理解し、その上で利益の拡大に繋げるように使って行って下さい。
↑フィクションです。誰がなんと言おうと。
流石に言い過ぎた。下手に漏らし過ぎると、得られる金が減ってしまうね。

52 :
>>47,>>49
なんか、禅とか仏教方面の人、久松真一なんかを思い出しました。ご自分なりに悟っておられるようで、一考に値する
思想だと思います。
>>50,>>51
おお。これは面白い。本出したら教えて。買うから。

53 :
皆さんもっとわかり易い言葉で説明してください。

54 :
永遠はつかめるだろうか。そんな集中力って。時間の流れが、速かったり遅かったりして、不安定だけど、
体内時計が存在するのなら、認識は極小なものか、無限大なものを、概念でなく現実として把握することは
可能だろうか。

55 :
>>52
そう言って頂けると励みになります。
唯、その過程にまだかなりの距離があるので、まだまだ先になりそうです。
釈迦は悟りを体系化し広めようとしたようですが、他にも同じコトを部分的にも、或いはより具体的に悟っている哲学者は結構居ます。(ように思います)
個人的には、道家の老子荘子なんかは釈迦よりも上の位置に達していると感じられます。
執着の回避にでも、気の向くままに眺めてみるのもいいかと思います。
>>53
分からなければ分からないほうがいいのです。きっと分かることを求めきれていない。
利益だけ求めてしまい、その結果 その力が何なのか解らず、使い方を誤ってしまいます。
故に判る人にだけ、解ってもも大丈夫そうな人にだけ伝わるように言葉を選んでいるつもりです。

56 :
時間には常に流れが「あり」、川のようだ。それを感じるわたしは川の中の石のようだ。川上(過去)から、川下(未来)へと
流れる流れを、記憶による認識で、今のここを感じながら、それでも未来へといくわたしのことを考えれば、不動の石
というさっきの比喩は、どこか不味い、不完全なものだ。すると、わたしは川に浮く葉っぱのようなものか。

57 :
川のたとえで言いたかったことは、死に対する態度だ。生が死と共に、無限の長さを持って、感じられるという、
死への恐怖は嘘っぱちだ。無限の苦しみなど、決して存在しない。体内時計はいつか相変わらずの速度で
時間を過ぎ去らせ、死は我が身を通り抜けていく。

58 :
なんだ、結局真理って上から目線で人を諭すのが目的なのか。
そこから新たな差別や悪意が発生してもお構いなしなのね。

59 :
その通り。
日本人は内面が幼稚なので、真理というと宗教の罠から抜け出せないのです。

60 :
>>58
真理を伝達するという一方行の流れが生じるとき、それのとらえ方が、上から目線
だと映るケースはあり得るでしょう。しかし、人生を上から目線に出会わないで
やっていける人間などいないでしょう。上から目線に関わって、実害を被りそう
だからいやなのか、そういうことが美意識的にいやなのか、というのは分からないけど。
たぶん、過去に嫌なことが多くて人間不信に陥っておられるのじゃないか。
もっと、他人を信頼して、自分に閉じこもっていないことが、素晴らしいんだと
思うけど。自分の態度を変更して、心の働きをつかめば、安楽で、楽しい毎日が
やってきますよ。

61 :
啓発的な意図で人を諭したり、広い心で弱者を救済しようという発想が生まれた段階で
それはただの馬鹿宗教です。ここの書き込みを見てると人間を舐め腐ったやつが多くて吐き気がする。

62 :
>>60
ほら、これが馬鹿宗教の正体。
ただ諭してるだけ。

63 :
>>60
長文をダラダラと綴ることは悟りの典型、お釈迦様の悟りまでの道のりを考えれば離れていくばかりという気がするね。
長文でもいいが最低限読ませるものでなければ。
修辞を尽くして語れば語るほど指間を流れる水の如くでは話にならない。
たとえそれが心理とか悟りとかに近づく内容であったとしても。
一度黙ることも悟りに近づくかもしれないからネットを離れてみては?

64 :
>>50,>>51
>定まってしまうと壁に突き当たります。壁に気付く力を失います。その先にいけなくなります。
>自由な自我が残っていますか?内面に反発を感じませんか?
言っていることが支離滅裂ですよ。
壁に突き当たるのではなく、上り詰めるのですよ。
己の身勝手な自由を主張することを自我と言います。
その自我は悟性から派生する欲望であり、物事の理を悟り理性を得た者には自我は自然消滅します。
何故、人類は悟性に捉えられ無知に陥るのか、君に理解できますか。
そして自我の連鎖を明かせますか?
君には心を純粋にし、更なる探求が必要ですね。

65 :
僕の哀しみは無限大です。

66 :
宗教は道具です。知恵も技術も結局は道具に似たモノです。
あなた方はそれを使わない意思を持っている。それでいい。
電卓を毛嫌いし、そろばんを使ってもいい、人によってはそっちのほうが優れた道具であるから。電卓が爆発してケガをするかも知れないから。
でも、様々な利益を得るために、大きな力を得るために道具を改良する。
道具を嫌うのは構いません。ですが道具を作る人、道具を使う人まで嫌ってしまいますか?
貴方はその人の姿が見えていますか?その人の機嫌を損ねることで、結果道具を分けて貰えなくなるかも知れない。
欲した時に、欲する者に、必要な力が使えるように。その力を産む為の悟りです。

67 :
ただの「馬」「鹿」でしかない僕。

68 :
>>66
銃(道具)を作る人も使う人も好きです。優れた道具を改良してより多くの人が死に、多くの人が生まれました。
私はとても楽しいです。

69 :
これから一城の主になりたい。
あまりに多くの風が吹きすぎていったから。
悟りたいと言う欲望は、願望となるだろうか。
祈りの奇跡がこうやって頭をもたげる。
僕は自分以外の他人が好きだ。意味に溢れていて。
冷たい態度で過ごすよりは、暖かい存在を感じていたい。

70 :
>>66
古い文献の悟りの使われ方を勉強してきたほうがいい、
それともお前の造語?
欲して得られないものが悟りだよ、悟りは訪れるものであって習得したり
努力したり力となったりするものでもない。
そして悟りという状態がすばらしいものでもない。
何か凄いものやら凄い力とかおもいこんでねぇ?アフォすぎる。
知が満ちたあとどうにもならないときに、最後に勝ち取るもの
宗教的にいえば神が与えてくれるものだ。
強く念じれば念じるほど駄目、努力しようと繰り返すほど無駄、
完全に諦めても無理、ではどうやって?
非常に簡単な例なら、その辺を散歩してリラックスしたときとか
風呂場で無心になった瞬間とか、究極の思考の果てで疲れ果て停止した後とか
瞑想の果てで完全に無心になれたときなど、
そういう瞬間に生まれる形而上の知であって、それは君が重視している
形而下の知ではない。
簡単にいえばどうやっても解けない因数分解の因数が頭にぽっと浮かんできた
そういう答えだ。そこには論理も意志も関係ない。自然淘汰されるという
仕組みで流れるつくってことな。

71 :
>>41
>真理だの悟りだのに憧れている人って、宗教臭くて
>心底気持ち悪いんだけど、俺みたいな悪意をもった人間に対して
>悟りを開いた人はどういう風に接するのだろう。
【理解】の意味は「物事の道理をさとり知ること。」です。
君が悟るとか悟りを嫌えば君は生涯、何も理解できず何も知らずに終わってしまうのです。
それでも、誰もがそうして人生を終えてきたのですから無理にとは言えません。
しかし、今の君はチャンスを逃しさえしなければ、物事の道理をさとり知り全てを理解できる時代に産まれてきたのです。
そう、人類が進化を果たし、真の自由と平等の社会を創る時代に産まれながら君は参加せず横目で眺め済ますのですか?
燻った人生を送っても一生、己が望むことの全てを知り楽しい人生を送っても一生は一生です。
人の知能を育てる物事の理を悟る方法は『命を知る』と言う簡単な方法で叶いますので君もトライしてご覧なさい。

72 :
>>66
悟りの目的は、希望を叶えるためのものであり、欲望を叶えるものでは有りません。

73 :
悟りの中身を定義しようとするのは違う。
その人にある哲学が悟りであってそれが悪だろうが2chしてる最中に思いつこうが散歩中に思いつこうが悟りである。
なぜブッダが悟りを得たと思われているかそれは多くの人に彼の悟りが共有されたから。
クズみたいな共感の得られないものは否定され自然淘汰され、そんなもんは悟りじゃねえとなる。
悟りとは極めて私的な個人の宇宙の話である。
だが、現実には(たぶん)われわれの各宇宙は物理空間を伝わってつながっていて哲学をぶつけ合ってどの悟りが正しいか、好きかを争っている。
(反してキリスト教は神という絶対宇宙の中に罪深い人間がいるので悟りなど高尚な真似は生意気にも人間にはできないとされる)

74 :
>>72
おそらく貴方は、自分の作った道具と一体化してしまった。
そして、その道具としてその気持ちを、効用を語ります。
定まっているので、変わらない。故に絶対的であり得る。
劣化を防ぎ、揺ぎ無く在り続けられる理由です。
しかし、道具の作り方は一つではありません。作る人も貴方一人ではありません。
別人が似たものを産み、それを改良し、別のことを始めます。
壁ということには語弊がありました。抽象的ですが、世界は球体、もしくは円状に存在します。
進み続けることで世界を見て周ります。
前だけ見て歩くと、元の場所に戻ってきてしまう。所謂"永劫回帰"ですかね?
そこで立ち止まって世界を目に向ける、自分の立っていた足元を。そして世界と一体化を為す事で安定します。
これが多分貴方が言う"上り詰める"行為です。
しかし、ある人は世界を見た後(或いは見ずに)空の果てへと視線を移します。
そして空の果てへと憧れを募らせ続けるうちに、空へ果てへ飛び出す力を見つけ出します。
その果ての先に何があるか解らぬまま、それでも好奇心を抑えきれず飛び立ちます。
この人が何かを見つけられるか、またはそのまま死ぬかは、世界と一体化した貴方には見ることが出来ません。
仮に見つけて、その事を伝えに戻ってきても、貴方は世界と一体化してしまっています。
この時に話に従い試しに付いて行ってみる、という選択が取れなくなっているかもしれない。
大きなものと融合化し、その中で絶対的にあり続けるのもいいかも知れません。
しかし、より大きなものとなった時、例えば自らに小さな傷が入っているかどうか確認できますか?
ひびが走り、亀裂が広がり分裂を始めるのを防ぐことが出来ますか?
一体何がその世界を永遠に保ち続けるのか、本当に永遠に保っていられるのか答えられますか?
出来るならいいのです、きっと私なんかより完成してしまっている。
でも私は、どんな場合でも選ぶ意思を残しておきたいのです。
今の私には観念的に、こういう形でしか伝える力がありません。しかし、こんな在り方が在ってもいいと思います。

75 :
認めないものを無いと断じることで、それを見なくなってしまう。
それによって、それが有るという主張が馬鹿らしくなってしまう。
だから全て認めてみた。
認めることで、認めた対象は勝手にやって来るようになった。
いつの間にか私と共にあって、無意識でも手伝ってくれる。
それを経験し習得する。それで成り立たせる。
よく分からないものも近づいてくる。
しかし、それを知っている別のものが私を導いてくれる。間を取り持ってくれる。
得た力、発揮する力は私は最初は自分でもよく分からない。
が使っているうちに覚えていく、力に近づき力を理解する。
この方法でも悟りは成り立つし。私はこれから技術を得る。
否定するなら否定すればいいし、そのそっちに否定されものが流れて私の方へ来てくれる。
触れているうちに近付くものが何なのか気付き、それが何か把握する能力も高まる。
いつか否定された過去のものがどんどん近づいてきて、漠然としながらもそれを捉え技術を磨く。
きっと今の対立は、獲得方法が、その方向性の違いが生んでいる。
そちらがこっちを潰すならこっちはそちらの見つからぬ方向へ避ける。
そのほうが争いがない、争う必要がない。

76 :
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77 :
似たものを別の形で手に入れただけならば、独自に伸ばしていけばいい。
完全なのなら、不完全を気にする必要はないはず。
私は貴方の説明を見て、理を突き詰めて達成したことを感じ取りました。
私は、いつの間にか知っていたことに気付いて、そこから理を組み上げます。
経験法と演繹法、結局はそんな関係では?

78 :
形ないものを捉える方法だもんなぁ。オカルト扱いされやすいし。証明が難しい。
形を与えたらそれは別物になってしまうし、突き詰めるほどそうなりやすい。
信仰が崩れてしまうと、それぞれが与える形がバラバラになっていき形が保てなくなる。
矯正し固定すれば物に、捉えることをやめると霧散しその存在が失われる。
完全性に囚われ固定化巨大化を目指した挙句、弱者の生を否定する。否定される側になるのをおそれて、疑心暗鬼し闘争する。
そして求めるものに、自己との合一を求め、拒否するものは養分とする。
見えるものに囚われることを止めようとした筈なのに、結局は見えるものと同じ道を行ってしまう。
自ら、自分への信仰を潰してしまう。過去自分が辿ったのと同じ形で。
もうここも信仰が壊れてしまった。あとは崩壊を待つのみ。

79 :
>>75
認めたものと否定したものについては分かったけど、
「見えるけど実際は存在しない」ものの場合はどうなるの?

80 :
>>73
個人が個々の事象に対し、ただ単に気付いたこと・感づいたことを悟ったと表現する場合が有りますが、今そのような戯れ言を語り合う場では有りません。
仏教で【悟り】とは「まよいが解けて真理を会得すること。」【悟る】とは「心の迷いを去って真理を体得する」とされていますが、君の場合には真理を無視しています。
君は哲学の迷路に陥り、真理を幻想のものと捉える、自分の作った道具と一体化してしまったのですよ。

81 :
768 名前: 年金払えよ。 [sage] 投稿日: 2011/09/18(日) 20:20:03.49 0
>>80
ドットコムて何を生業にして暮らしているの?
もしかしてニート君?

82 :
>>74
>私は貴方の説明を見て、理を突き詰めて達成したことを感じ取りました。
>私は、いつの間にか知っていたことに気付いて、そこから理を組み上げます。
では、君が組み上げたと言う「理とは如何なるものか」を説明して下さい。

83 :
>>78
>形ないものを捉える方法だもんなぁ。オカルト扱いされやすいし。証明が難しい。
>形を与えたらそれは別物になってしまうし、突き詰めるほどそうなりやすい。
では、どうしますか?
君が、物事の理を悟ったのであれば、全てを適切に処理する智恵を産みだせます。
その智恵を使い、崩壊せずに方法を聞かせて下さい。

84 :
>>79,80
見える、ということはその存在を既に認識しています。それを見ようとし続ければそれはある意味での信仰であり、そのものをよりはっきりと形作ります。
実際に物質として存在することは無くても、その存在が少しづつ強まり、多くの人が捉えていくことになる。
でも、見ることにはある程度それを定める力があります。捉える人が増えるほど、捉え方が少しづつ違っていく。
そのうち、違うということは別のものではないか、となって分裂を始めたり、「そもそもそんなもの必要ない」と、見ることをやめて消えていく。
今私たちが話している対象も同じものです。
その両面を理解した上で、それが持つ性質、特性を見ていけばそれが"何"だったのか少しづつ判ってくるはずです。
>>80
定めることで、不安はある程度消えます。しかしその定まったものを壊す存在を否定できない場合、結局まだ不安を抱えてしまいます。
"定まる"という個体としての局地をやめ、"分散する"というこの否定をやめ、自由にそれを選びつつ自己を変化させてみてください。
必要次第で集め固まり強大化すればいいし、それに危険を感じれば抜け出せばいい。
何事にも対応する手段になりうるために、"心の迷い"になり得る不安は消すことが出来ます。
ある程度使っていくことで、次元の壁とでも言うようなものに突き当たります。
その時気にせず直進していっても、気がつくと元の位置に戻されてしまいます。進むだけではなく、壁を捉えて超える手段を見つけていけばいい。
個体の壁を抜けた所に、現実の物質の様々な性質をもつ世界があり、その壁を超えた所に、見えないものが見えないまま定まらない世界があります。
個体の中にも、ひとつの世界の成り立ちがあり、それらが上手く働いて個体を構成しています。
上の世界を見て新たな力を創りだそうとしてもいい、下の世界からまだ気づいていない力を見つけてきてもいい。
それらを上手く使うことで自由に主体として見る世界を選びとり、自在に自己を駆使していけるはずです。

85 :
要旨が意味不明。

86 :
>>84
>見える、ということはその存在を既に認識しています。
スマン、「見える」というのは網膜に映る画像をただ見るって意味で書いたんだけど・・・

87 :
日本語が不自由な長文な人がいるな。

88 :
今生きてる事がもうすでに悟りなんすよw

89 :
>>86
その場合は、貴方がモノと見なしていないだけ。
それが在ってもなくても自分に何の影響もないと感じるから。見る必要がないんですね。
再度見た時になくなっていた場合、それを見間違え、もしくは初めから無かったのだ、と感じる筈。
>>87
恥ずかしい限りです。続けることで、身につけます。
涅槃が目指す状態とありました。また、無我と無常がその手段だとも言っています。
ココからそれらを上手く使うことで、希望通りに物事を流せると感じ、その技術を完成させたのだと見ます。
しかし、それは希望以外を否定する事であり、邪魔するものを無力化する力です。
目指す理想がそれで達成を出来るんでしょう。そして必要ないものを必要ないと切り捨ててしまうのでしょう。
でもそれが効かない対象を意識しなければいけない。
それで否定した対象が、自らの生を保っていた可能性を無視してはいけない。
それでは唯の思考停止です。
そのままでは、いずれ自分が生んだ綻びが自身にまで害を及ぼします。
それを警告しています。
それらを全てうまく成り立たせる術を伝えたい、しかしその本質が"漠然"なのです。
漠然さを表すために、漠然とさせたまま表現します。そこから少しづつ形を読み取って欲しい。
>>88
有る意味正解。一番単純に言えばそれです。その奥の"真人"や、"超人"等の多彩な在り方へ至る道を示したい。

90 :
>>84
君が悟りを会得した、と言うのであればもう少し物事を体系的に捕らえたら如何ですか。
ああでもなければ、こうでもない、こうでもなければ、ああでもない、と君の話は悟った振りをする隠者の如くですよ。

91 :
>>80
まよいが解けて真理を会得するといわれて真っ先にイメージするのは死だね。
煩悩もなくただ座して骨と皮の物質となり果てたお釈迦様はすごいね。
仏教では開祖のそういった悟りを目指して結構。
彼よりさらに死の漸近線に近づく戦いは苦しいし、今や殆どの仏教は生活規範に成り下がったけども。
ただ、哲学として広く悟りを捉えてみようかな、と。真理とは死だけでない自然。
本能のまま獲物を追うチーター、馬並みの、人に媚を売る犬、職場の人間関係に悩む人
どれも自然。ただ、自然淘汰され残ったものが言葉でくくられみんなに共有され「悟り」となる。
そういう意味で仏教の悟りは強く、長く残るものではある。

92 :
>>90
各個人が別々の世界を形作り、そこで生活をしています。その世界の広さの違いが視点の大きさや、その対象の大小等、多くの認識の差を生みます。
私が貴方に伝えられないのは、貴方の居る世界が見えないでいることが一番大きい。
それを上手く合わせていくことで、深いコミュニケーションが可能となっていきます。
貴方は自分が居る世界を、自分が認識できる範囲に閉じてしまっています。
そしてそこに引きこもっている。その外など触れるに値しないと思い込んでいる。
貴方の真理は貴方の世界の中で絶対的なものです。
しかし、それが別の世界に居る者にも当てはまるとは限りません。それを外に出て試してみてください。
きっと引きこもったまま、人が近づいてくるのを待っているだけ。
自分が相手に近づこうとしなければ、単純な会話すら成り立ちません。

93 :
悟りによって得られる考えとかを知ってしまっていると遠のきそうだよね
自分の場合哲学にも宗教にも殆ど前提知識なく
個人的に気になる事があって自分なりに政治思想を体系的にまとめてたら突然開けてマジびびった
でもそのせいで理解されない事が辛すぎて一時期相当精神不安定になったが

94 :
>>93
お仲間か先輩のヨカーン
こういうことは自分一人で考えることが多いから
一つ真理に気付いてしまってもそれが自分の世界だけでしか成り立ち得ない場合に気付きにくいね。
それが適用される世界も同時に見ていく必要があった。
私はある程度外に適用できたことで満足していたけど。世界の構成方向の多様性を今日改めて知りました。

95 :
悟るとか悟りが最終的な目的、目標なんですか?

96 :
それでさあ
破壊光線の話だけどさあ

97 :
>>95
むしろ悟りを経験してからの人生のが大変だよ
劇的に変わったのに何も変わってないからな

98 :
>>91
>まよいが解けて真理を会得するといわれて真っ先にイメージするのは死だね。
またまたバカなことを、
【悟り】とは「理解すること。知ること。また気づくこと。感づくこと。察知。」を意味します。
〔仏〕で【悟り」とは「まよいが解けて真理を会得すること。」(広辞苑より引用)ですが、
君は何故、悟りで真っ先にイメージするのが死なのですか?
君は言葉の意味が分からなければ先ず辞書を見なさい。
そして、辞書に記されている語義に思惟を巡らすだけの知能を育てることが先決ですね。
>>92
支離滅裂。

99 :
>>98
おまえバカだろ、悟りを知らないものが悟りを知らない人から聞いて
悟りとは何かを記述したのがその辞書であって。
それの辞書を読んだら悟りが理解できたと思うのはバカの無能さを
証明しているようなもの。

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