2011年11月1期43: 日本語と哲学 (31) TOP カテ一覧 スレ一覧

日本語と哲学


1 :11/10/31 〜 最終レス :11/11/11
日本語で哲学は可能なのか

2 :
古代の論理学ひいては哲学は主語-述語の対応が前提になっているが
日本語はもともと主語の概念があいまいである
印欧語との根本的な構造の違いが(西洋的な)哲学の普及を阻んでいるのではないか

3 :
中高で英語を習ったとき、主語述語がはっきりした英文の直訳文に不自然さを感じた人も多いだろう
どんなに欧米文化が入ってきても、西洋の言語感覚までは容易に移入されていないのである

4 :
日本語は主語が不要で、そのうえ厳密な格変化もないので、コンテクストや状況、
雰囲気が十分理解できていないとテキストの意味をとりにくい
こうした言語構造が、以心伝心とか空気の文化を発達させる要因になったのかもしれない

5 :
西洋哲学を日本語を介して理解するのはもとから無理があるのか
大昔から日本語の一部になっていた漢語にしても和語と相性がいいとは思えない
漢文の書き下し文は見方を変えると、かなり無理のある読み方である

6 :
文法的な「主語-述語」と論理的な「主語-述語」は意味が違う。
これが分からないとそもそも古典哲学は読めないはずなので、
そんなことが分からない程度の人は「哲学の普及」とか気にしてくれないっていいッスw

7 :
>>6
日本語には文法的な「主語-述語」がないので、主語を明確にして個体を厳密に識別し、
同一律を重視する西洋の論理にマッチしないという話し
そんな日本語をむりやり論理的に記述することに意味があるのかという問いでもある

8 :
日本語を習いたての欧米人は、西洋的な論理(主語-述語)で言葉を組み立てるのでおかしな表現に聞こえる
しかし、英語習いたての日本人は律儀に主語-述語構造を守ってこんな感じにするだろう
「今朝はパン食べた」
I had some bread this morning.
しかし、日本語的にはこっちの方が直感的で分かりやすいはず
This morning bread had.
無生物主語とか難しい表現を無理して言葉にして結局変な英語になるくらいなら、
日本語文法の英語をごり押しした方がマシではないか

9 :
だから伝統的「項論理学」は西洋人目線でも「不自然」なんだってw
馬鹿が無理住んなよw

10 :
>>9
無理に反論しなくてもいいから建設的なアイデアを出してくれたまえ

11 :
日本語の多くはitが主語
別にそれは非論理的ではないし、英語にもある
例:it' raining
だから英語を規準に他言語に論理非論理を無理矢理当てはめようとすると無理がでる
のは英語と論理学を理解していないから
文頭にくる日本語の「は」は主題の提示として日本語文法学者の見解は一致している
そうした日本語文法への無知も原因だ

12 :
it's raining

13 :
>>11
それは「象は鼻が長い」問題のことであるね
学校文法がいまだにああなのは英語教育の布石と何かで書いてあったような

14 :
>>2
西洋的な哲学が普及したらなにかいいことあるの?
というか、日本的な哲学の定義って何?

15 :
>>14
日本的な哲学の定義などないけど可能性としては西田哲学とか。一応先例があるし
あと西洋哲学の普及は、日本語構造が印欧語的に改造されるとか根本的な変化がないとないとなさそう
学校文法は主語ベースの考え方とか中途半端に真似ているだけで不十分

16 :
>>15
おもしろそうな話ですね。
より日本語に適した(日本語)文法理論があるのでしょうか。
文献等がありましたら読んでみたいのですが。

17 :
よく難易度という言葉を使いたがる輩がいるが、
正確には「難度」のことじゃないか?
「易」についての意味は無視されている。
難度が高い、もしくは難度が低いが正しくは無いか?
×高濃淡度汚染水
○高濃度汚染水

18 :
言語ってのはいいたいことを伝えるものだよ

19 :
>>16
主語廃止論の文脈でいくなら三上文法のがいいんじゃないですか
>>17
難度も濃度は、漢和辞典をみると載っていないので、明治以降の造語と思われ
たぶんその辺の違いはてきとーに考えてたんでは
難易度については、昔から「難易」という同じ意味の漢語があるので、
それを学問っぽく「度」をつけただけかもしれない。あくまで憶測

20 :
>>19
御回答ありがとうございます。
上のレスにもあった「象は鼻が長い」は著作名でもあったんですね。
図書館で入門書を漁ってみることにします。

21 :
日本語の人称表現について
私・僕・オレ・自分……と相当に豊富だけど、普段は「オレ」と表現していても
上司の前では「私」とか使い分けを余儀なくされるケースがあるわけで、西洋的な
自己同一性とかアイデンティティを確立するのに障害になっているのかもしれない

22 :
>>15
>>2
>印欧語との根本的な構造の違いが(西洋的な)哲学の普及を阻んでいるのではないか
阻むという単語だったから、西洋哲学を普及させたい意図と受け止めたんだけど、
普及させたらメリットがあるの?
哲学なしに2000年も日本人が安穏と暮らし得たと考えた根拠は?

23 :
自己同一性と西洋的基準で型にはめないと苦労する?言いあらわせないはみ出るものは切り捨て?

24 :
>>22
結局哲学や論理学のような考え方が国民に普及すれば、議論が活発になると思ったのである
>>23
西洋の学問は、世界を理解するために言ってみれば真か偽の二者択一という究極の単純化で
推し進めたといえるけれども、それでは割り切れないことがあるのも確かであるね

25 :
要するにただの言葉遊びですよね

26 :
日本語のなかには、基本的な語彙なのに漢字ベースの言葉しかなく
和語に置き換える言葉がないというケースがある
「信じる」とか「感じる」などである
古代の日本人に「信じる」という概念自体なかったわけではないと思うが、
武士道の忠義は儒教を参考にしたものであるし、日本には言葉とともに概念が海を越えて
たびたび移入されている
しかし考えてみると、どんな概念や観念も元々は一部の地域で使われていた局地的な思想なのではないか
それが各地に伝わり受け入れられていくうち次第に普遍性を帯びていくのであろう

27 :
茶道や華道などの芸事だとその思想体系は「口伝」なので文字にないよ
タブーというか万人には伝えづらい

28 :
芸道の思想体系は昭和に入ってから口伝が文字ベースになってきているけど、肝心なところは未だに口伝と稽古のみで伝えられる
もじでは「ひたすらに見る」行為が何を実際にするかわからないと思う
カルトじゃないただの生け花でさえその行為はあるよ

29 :
>>27-28
伝統芸能も思想というわけであるね
考えてみればピアノの稽古も座学じゃ何も体得できない
風姿花伝や五輪書みたいな文字ベースのもあるにはあるが

30 :
学校の英語と古文教育は似たところが多い
どちらも文法を重視する頭でっかちところなど
不慣れな洋式文法、主語ー述語文などを中途半端に教わった後、ただちにそれを前提とした英語・古文カリキュラムに放り込まれるのである
実際、古文を外国語のように感じた人も多いだろう
古い日本語を英語と同じようなやり方で教えるのだから、そうなるのも当然である
当時の時代背景、コンテキスト、作中の人物の説明といったテキスト外の情報を十分に教えず、テキスト内の情報だけを頼りに読解させる、エスパーのような能力を要求する学習指針なのだから
欧米の文化や風土、考え方の違いに関する教育をおろそかにして、テキスト分析と読解を重視する英語教育と似ているわけである

31 :11/11/11
>>29
日本の芸事は人間同士のコミュニケーションを如何に円滑にするために
よく演出するかということにもとづいている。
つまり、「人をもてなす」ことはなんなのかを考えるために
自分というものを考え、そして相手の本質を考える
その思想に基づき生活のあり方、立ち居振る舞い、心遣いすべてが統制される
それが各流派、各芸事によりほぼ口伝により伝えられているが、一般にはほとんど公開されていない
口伝なのはその部分を文字に残さないであくまで【教える】ことで金をもらっていたこともある
流派の看板免許制にそれがみられる
看板とその【伝書】を得るのには未だに数十万かかるw
千利休はその思想を文字にまったく残さず口伝のみが弟子に伝わっている
昭和に入り芸事が爆発的に流行して弟子の数を把握しきれなくなったことと
その普及のために活版印刷の恩恵で文字ベースに大分変わってきた

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